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【第四章・若き竜】04

 ベルノはアルヴァの背にまたがり天を駆けた。

 契約が結ばれる以前──ベルノという伴侶を得て漆黒に染まるまでは、光り輝く獅子はベルノの一族に祀られる守護の獣だった。長く人々に崇められ、捧げられた生贄も多い。故に強靭な魔力を誇る。竜に至らずとも、アルヴァダーナもまた神に近い魔物なのだ。

 その名は、古王国の言葉で『輝く夜明け』──

 アルヴァを伴侶に得られたことは幸運だった。一族が滅亡した後、ベルノは各地を孤独に彷徨った。どこへ行っても魔物憑きは迫害された。どこにも居場所は無かった。蔑まれ、追い立てられ、恐れられた。それでも、常に側にはアルヴァがいた。たとえ、いずれは喰われる運命だとしても、アルヴァと巡り会えてよかった。

 クラヴィスの都から立ち昇る黒煙の異臭が鼻を突く近さになった。滑空するように空を駆け降り、城の尖塔に立つラウルの姿も肉眼で捕えられる距離になる。

 漆黒の獅子にまたがり空を駆けるベルノの姿を見止め、ラウルは振り向きざまに、まるで誘惑するように手招きした。

 舞い上がる黒髪とひるがえるローブが、漆黒の翼のように見える。

 近付き過ぎるのは恐い。ベルノは距離を取って尖塔の周囲を廻るように飛ぶ。ラウルはアルヴァの動きを追って視線を動かし、児戯に辟易したように溜息を吐いた。

「仲間との別れは済ませたか?」

 わざとらしい挑発。ベルノは乗らない。無視して、最後に訊ねたい事を訊ねた。

「もう一度だけ訊かせてくれ。やめるわけにはいかないのか?」

 ベルノの声音は不思議と平静で、ラウルは驚いたようにぴくりと片眉を上げた。逡巡が見て取れる。しばし黙考するように目を閉じた。もしや……とベルノが淡い期待を抱いた時、ラウルは冷たい決意に満ちた声で言った。

「僕は、愛してくれた女を、この手にかけてしまった。もう後戻りをするつもりは無い」

「……はあ? 女? 女って……まさか、殺したのか? あの伯爵夫人を!?」

 一瞬の間。ラウルは頷く。

「そうだ。だから……引き返せない」

 ベルノはカッと頭に血が昇るのを感じた。

「そんな、そんな事……おまえが勝手にやっちまった過ちだろうがっ! 女に情があったならどうして踏み止まらなかった? どうして勝手な理屈で大勢の罪無き人々を巻き添えにするんだ? おまえ、最低だぞ……っ」

「ガーランドを守る為だ」

 ラウルは優雅に髪を流し、一歩、空に歩み出した。何も無い中空に。しかし、瞬時に光る力場が展開され、見えない階段を上るようにラウルはゆっくりと近付いてくる。

 漆黒の魔剣が、差し延べた手の前に現れる。醜い柄を軽く掴み一振りする。闇が霧のように染み出し、黒い軌道に暗い星の残滓が散る。

 幻視化され、噴き出す闇のように見える凄まじい殺気。

 紫水晶(アメジスト)の瞳が燃えている。

 耳の後ろがチリチリと灼ける。まずい、と血の気が引いた瞬間──斬撃が来た。

 チッ、と衝撃が頬を掠る。手の甲で拭うとぬめる血が付いていた。

 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ────っ!

 シャキルの術がわずかな予知を与えてくれるお陰で、ギリギリ避けられたが、白蛇の助力無しで真っ向から戦っていれば、初手で首を飛ばされていた。これまでずっと手加減されていたのだ。しかし盾になり得る唯一の存在を引き離した今、もう手加減をされる理由は無い。

 騎乗したままでは不利だ。いくら魔物と契約者は一心同体と言っても、アルヴァにまたがったまま振るう剣戟にはわずかな鈍さが生じる。刹那の間が生死を分ける局面では、それは決定的な隙になる。

「アルヴァ、あいつと同じ事が出来るか?」

 空中に瞬時に力場を張り、徒で戦えるように出来るかと──アルヴァは、応、と吼えた。

「よし、いくつか先回りして作っておいてくれ。俺の癖はわかるよな?」

 アルヴァは咆哮する。戦いに歓喜するように。

「ついでに動きの補助も頼む──あいつを倒すぞ!」

 言うと同時に筋肉に力が漲る。アルヴァが強化してくれている。

 漆黒の獅子の背から飛び降りながら、『アルフィニアの剣』を鞘から引き抜く。腕を稲妻が駆け上がり、女神の雷鎚(いかづち)が上乗せされる。増幅された身体能力。加速する感覚。さらに白蛇シャキルの予知の霊力。三種の力がマグマのように身の内で暴れ回り灼熱する。頭が爆発しそうだ。

 だが、これならいける──いけるはずだ!

 突風。音が遅れて聞こえる。剣が振り抜かれている。シャキルの予見。黒い衝撃波が下方から襲う。考える前に体が動く。避けた場所を黒い衝撃波が疾駆する。アルヴァの作った力場が砕け、光の欠片となって落下していく。別の力場に跳躍しながら隙を待つ。が、息つく間もなく、次々に衝撃波が来る。ベルノは一瞬先の未来を予知し避ける。光の力場が硝子のように砕ける。青い星屑が降るような眩い光景。ひとつひとつがベルノの時間の代償だ。

「くそっ、今日は願いの大盤振る舞いだな」

 このまま逃げ続けていては、勝機を見出す前に、願いを使い果たしてしまう。それもまたベルノに取っては死の条件なのである。

「埒が明かない。斬り込むぞ、アルヴァ──」

 ぐおう、と短い応え。

 ベルノは踏み込み、剣をすくい上げるように突き出す。

「遅い──」

 キンッ、と鋭い耳鳴り。阻まれた。だが、弾かれてはいない。

 競れる──勝機はある!

 ステップを踏んで素早く退く。斬撃が追ってくる。頭を振って避け、力場を駆け上がり、方角と高さを変え、再び刺突。

 光の盾。もう一撃叩き込む。鍔迫り合い。ラウルの秀麗な顔が間近にある。憎々しげにベルノを睨み、歯を剥いて嗤っている。若き竜もまた闘いに酔っているのだ──

 細腕で巨大な大剣を難無く操り、鋭く重い刺突を繰り出してくる。正統な騎士の剣筋。刃を何度合わせても、隙が無い。ベルノの跳躍。後方に一気に飛び退る。次の瞬間、魔力の凝る濃密な闇が怒涛となって、一瞬前までベルノのいた空間を引き裂く。

 無数の力場が星となって砕け散る。

 逃げた距離を一気に詰める。上段から頸へ──閃光。魔力の盾が展開されている。

 またも斬撃を片手で受け止められた。ちっ、と舌打ち。激情。

「お姫様は、無辜の民を犠牲にして得た力で守って欲しいとは思ってないぞ!」

 ベルノは叫び、ラウルの目は鮮やかな怒りに染まる。

「おまえに何が分かるっ!?」

 びりびりと大気が震えた。ラウルの体から噴き出す闇色の霧はますます濃くなる。無数の頭を持つという伝説の水蛇のように、不吉に身を捩らせ、辺りを侵食する。

 ぞっ、と背筋が凍える。氷のような眼差し。だが、ラウルの心は滾っている。憎悪が、決壊した溶岩のように溢れ出しているのだ。地獄の業火に身も心も焼かれている。

「僕は、父上と母上を甦らせ、元の自分も、幸せも、未来も、すべてを取り戻す! 両親も、ガーランドも、ディアドラも、ヴィクトルも、大切な人はみんな僕が守る──!」

「お姫様は望んでねえって言ってるだろ──っ!」

「邪魔をするなあああああああああああああああああ──っ!」

 力任せに竜が尾を打ち振るうような攻撃。

 単純で、何の工夫も衒いも無く、術ですらない。ただ強大な魔力を叩きつけて来る。それだけに恐ろしい。巨大な魔力の爪が、離れた足下の大地をも削り、土や樹や岩を巻き上げ、圧倒的な黒い津波となって襲い掛かってくる。死の濁流。飲まれればたちまち命を奪われ、肉塊にされる。

 刹那の予知──瞬時に反応。落下。アルヴァが力場を展開。蹴って跳躍。連射される黒い衝撃波。力場が砕ける。ベルノのいた場所に闇と光が綯い交ぜに爆発する。ラウルは片手で剣を向けたまま魔力の黒い矢を放つ。執拗な追撃。ベルノは息をするのも忘れて、避けて、避けて、避けまくる。思考は言語化される前に実行され、目まぐるしく視界が移動する。何者かが勝手に体を動かしいているかのようだ。

 無心に避けながら、ベルノは必死に叫ぶ。

「おまえは大事な妹を苦しめてるんだぞっ!」

 意味があるのか無いのかそれすらも分からない。ただ、どうしても言ってやらなければ気が済まなかった。あの綺麗でいじらしいお姫様……

「ガーランド姫を泣かせているのはおまえだ──ッ!」

 ラウルは、ひっと喉を鳴らし、哀れなほど取り乱した。

「黙れっ! 違う、違うっ! 僕は……僕はガーランドを守る為に……っ」

 混乱。懐疑。懊悩。後悔。慙愧。妹が望んでいないことは分かっている。それでも、自分を穢し蹂躙した敵への憎悪、暗殺された両親への哀惜、失われた過去への妄執が、ラウルを捕えて自由にしない。

「ガーランドは誰にも傷つけさせない──っ!」

「現実を見ろ! 今、おまえの妹を守ってやってるのは俺だ──っ!」

 ラウルのいる場所へ光の力場を蹴って駆け上がり、背後を取る。

 女神の剣を振りかざす。

 長い黒髪が翼のようにひるがえり、ラウルが振り返った。

 瞬きをするよりも短い一瞬。

 夜の泉のような紫水晶(アメジスト)の瞳がベルノを映す。

 ラウルは茫然とした顔でベルノを見ていた。相変わらず、見惚れるほど美しい顔。

 このまま叩き斬る──

 ギイイイイイイイイイイイイイイイインッ!!

 パキンと光の盾にヒビが入った。そのまま押し込む。剣を振り抜いた。

 盾が砕け散り、漆黒の髪が一筋、斬り落とされて風に舞った。

 白皙の額に、つ、と赤い血の筋が流れる。

 傷を付けた──ラウルに……いや、若き竜の化身に──

「ははっ、『拒絶の呪詛(カース)』も無敵ってわけじゃねえな!」

 しん、と辺りは静まり返った。

 時が止まったように永い一瞬──

 指先が痺れる。

 次の瞬間、漆黒の闇が爆発した。凄まじい勢いで噴き出した濃密な黒い霧が、圧倒的な質量で辺りを侵食していく。視界が黒一色に塗り込められる。

 ラウルは放心していた。白い肌が蝋のように蒼褪め、目は焦点を結んでいない。絶望に犯され、狂気の呟きを繰り返す。

「嘘だ……嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ……っ!」

 黒い霧に包まれてベルノは喘ぐ。

「僕が、ガーランドを苦しめていると言うのか──────っ!」

 そうだ、と言えたのかどうか。ただ、抜け出そうと必死に身を捩った。

「う……うう……うああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 ラウルは絶叫し、ドオッ、という猛烈な爆発音と共に世界が揺れた。

 ──────────────────────っっっ!!

「かっ……は……」

 背中をしこたま打ち、息が詰まる。吹き飛ばされ、地上に叩き付けられたようだ。

 剣が無い。

 急げ、起きろ──自分を叱咤し、地面を掻く。視界がぼやける。脳が揺れて平衡感覚が失調している。早く起き上がり、剣を取って走らなければ。止まっていては格好の的だ。

「くそっ、早く、動け……っ」

 苦悶していると、アルヴァの精悍な前脚が目の前に現れ、ベルノの服を咥えて引き起こしてくれた。『アルフィニアの剣』は幸い手の届く場所に落ちていた。手を伸ばし、柄を掴もうとするが、瓦礫の上にへたり込んでしまう。情けないが、まだ体の感覚は戻ってこない。急激に増強した魔力のせいで魔力酔いも始まっている。アルヴァが急かすように鼻先でベルノを押す。

「すまん……アルヴァ……」

 今攻撃されたらおしまいだ。半ば覚悟を決めかける。

 だが、様子がおかしい。攻撃が来ない。何が起こっているのだ? 立ち込める闇の霧のせいで視界が利かない。シャキルの透視を呼び起こそうとした時──

 ぐおおおおおおおおおおおっ、と地の底から響くような怨念に満ちた声が轟いた。

「な……嘘だろ……」


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