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【第四章・若き竜】03

 ベルノは舌打ちし、暗澹たる気分に襲われた。

「都の破壊は、早く来いと俺を急かしてるわけか」

「……だろうな」

 いつの間にかミラが近くに立っていた。

 ガーランド姫も近付いてくる。

 ルーは両手をついて透き通る力場の下で展開される恐ろしい光景を見ていた。生まれたのはクラヴィスではないが、西の帝域(ベルフォールズ)の都市が崩壊していく様を見るのは辛い。

 くっ、とヴィクトルは悔しそうに顔を歪めた。共に戦う、と言えない己が不甲斐ない。しかし現実を認めなければならない。魔物同士の闘いに人間は足手纏いなのだ。

(それに、自分はもはや使い物にならないだろう……)

 ヴィクトルは酷く打ちひしがれていた。ラウルに請願を拒絶され、為す術も無く弾き飛ばされたことが堪えた。いや、それ以上に、幽閉されていた主人の救出が間に合わなかったという、自分を呪いたくなるほどの重い後悔と罪悪感を、魔物になった主人から許されたことがヴィクトルを動揺させていた。

 償っても償いきれない、許されるはずの無いことを──

(許すと言ってくださった……)

「大丈夫か、ヴィクトル?」

 ベルノに声を掛けられて、ヴィクトルは虚を突かれたように顔を上げた。

「あ、ああ……まさか貴様に心配されるとはな……」

「憎まれ口が叩けるなら大丈夫だな。女はおまえに任せる」

「ベルノ、貴様……」

 女は、と軽くひとくくりに言ったが、ベルノに取ってルーとミラは何物にも代え難いかけがえのない身内だ。ガーランド姫がラウルとヴィクトルに取って特別であるように。だから、ただ足手纏いになる弱い者を一時任せると言ったのではない。

 おまえを男として信頼するぞ──と念を押したのだ。

 わかった、と静かにヴィクトルは頷いた。

 ベルノは空中に浮かぶ『アルフィニアの剣』の柄を掴み鞘に戻した。

 女神の雷鎚(いかづち)を帯びたこの剣と、漆黒の獅子アルヴァダーナ──神器も魔物も、最高だ。

 心強いじゃないか。

 覚悟を決める。

 逃げてもいずれ追いつかれて喰われるだけだ。

 分は悪いが、今やるしかない──

「待ってください。私も参ります。兄を止めるのは私の責任です」

 ガーランド姫がベルノの背に必死にしがみついてくる。

「足手纏いだ」

「ですが……」

「お姫様には何も出来ない。あんたはヴァンディールじゃない。魔物を従えてもいないし、魔力も無い。竜相手に何が出来るって言うんだ? あいつの指先一つの攻撃にすら抗う力を持たない人間なんだよ。せめて邪魔はするな」

「いいえ。私を盾にしてください。兄は私を守ると言って魔道に堕ちてしまったのです。ですから、私がいれば手出しは出来ないでしょう。私を使って、兄を倒してください」

「嫌なこと言うなよな……」

「私に出来るのは、あなたの盾になることだけです」

 真摯な眼差しでろくでもない事を言うガーランド姫の頬を、ベルノは呆れたように溜息を吐いてから、軽くぺちんと叩いた。

「え……?」

 そんな真似をされたのは初めてで、ガーランド姫は虚を突かれて目を見開いた。叩かれた頬は痛くない。ただ、温かさだけが残っている。兄以外の誰かが、自分にそんな風に優しく触れるとは思っていなかった。

「わがまま言うなよな」

 唐突に、今までずっと抑え込んできた感情が膨れ上がった。痛み、悲しみ、寂しさ、甘えたい投げ出したいという弱さや、兄への愛情や未練、父母への思慕、自分達を貶めた叔父への憎悪、苦しみを理解してくれない臣下達への苛立ち、運命への絶望、誰かに助けてもらいたいという期待、欲望、希望──誰かに助けて欲しいと、どこかで、いつも……

 ひくっと喉が痙攣する。

 唇を噛んで耐えようとするが無駄だった。

 ベルノの声が、なおも優しくガーランド姫の心を揺さぶる。

「女を盾にしたくない。それに俺は剣が下手でね。お姫様がいないほうが、まだしもマシに動けるんだよ。聞き分けてくれ」

 堰を切ったように熱い涙が込み上げた。何かが壊れてしまったように、次々に溢れて止まらない。自分が足手纏いなのは事実だ。だけどそれだけではない。この魔物憑きの風変わりな青年は、ろくに親しくも無い、いや、最初は騙して利用しようとした自分を、ただ守ろうとしてくれている。何の見返りも求めず、ただ弱いからというだけの理由で……

 助けてくれるのだ。

「あなたと言う人は……どこまでお人好しなのです」

 細い腕が差し延ばされ、有無を言わさずベルノの頭を抱え込んだ。

 涼やかな香りに包まれる。

 涙に濡れた清楚な美貌が目の前に迫り、淡い紫水晶(アメジスト)の瞳がゆっくりと閉じられていった。

「え? おい、何を?」

「ベルノ・グランディス、ご武運を」

 呆気に取られている隙に、唇に唇が重ねられる。潤んだ唇は柔らかく、少しだけ甘かった。

「お、おいっ、なんてことするっ。高貴な姫君が魔物憑きなんかに──っ!」

 ふっ、と挑発するようにガーランド姫は微笑む。控え目な彼女らしくない悪戯な視線。だけど、泣き顔は耳まで真っ赤になっていた。

「乙女のキスには神聖な加護の力があるのですよ。盾にして頂けないのであれば、もう私に出来るのはこれだけです。どうか、生きて戻ってください」

 ヴィクトルが轟沈した。白目を剥いて気絶したように突っ伏して動かない。

「さあ、ルー、あなたも加護のキスを……」

 ガーランド姫に促され、呆然としゃがみ込んでいたルーは、おずおずと立ち上がり、ベルノに駆け寄ると、ぎゅっと両腕でしがみついた。ルーも泣いている。大粒の涙をボロボロ零しながら、ベルノの胸元に額をこすりつける。

「ベルノ、死なないで」

 分かった、と答えたら、ルーは精一杯背伸びをしてベルノの頬にキスをした。

 ごほん、とわざとらしい咳払い。

 ミラは腰に手を当て、苦りきった顔で髪を掻き上げていた。

「参ったね……私のキスには加護の力は無いぞ。まあ、だから、代わりにシャキルの力を貸してやるよ。一緒に戦うつもりで来たが、私が余計な手出しをしても邪魔になるだけだ。それよりも、二人分の魔力を『アルフィニアの剣』に乗せて攻撃したほうがマシな戦術だろうさ。そういうわけだから、私の分もしっかりやりな」

 がすっと鳩尾を殴られた。

「いってえな……」

 涙を浮かべて苦悶しているのに、乱暴に肩を抱かれ、残った方の腕で顎に手をかけ強引に顔の向きを変えられる。いいかげんにしろ、と文句を言いかけた時、ミラの唇が噛み付くようにベルノの唇に重なった。舌に術が乗せられている。小さな雷。痺れるような感覚と共に強烈な魔力が流れ込んできた。目の奥で星が散り、頭がくらくらする。

「死ぬなよ。生きて戻れたら、愛してやる」

「えっ、あ……はあ?」

 あまりにも似合わない台詞に動揺し過ぎて、胸を逆手で叩かれた。

「そこまで驚かれると、逆にこっちが恥ずかしいだろ」

 言葉も無く赤面していると、ヴィクトルが物凄い勢いで叫んだ。

「俺はやらんぞっ! 貴様なんぞにキスするくらいなら死んだ方がマシだっ!」

「き、気色悪いなっ、野郎にキスされてたまるかっ! やる気が萎えるわっ!」

 思わず全身の力が抜けた。なぜそんな思考になったのか理解できない。仏頂面で差別意識も強く、誰彼かまわず見下しているような憎々しい性格だが、ヴィクトル・ルヴァデは意外と面白い男なのかも知れない。

 ふう、とひとつ息を吐く。

「ヴィクトル、ルーを頼めるか?」

「……ああ、分かっている。必ず良いようにする」

 言わずとも通じていた。自分が生きて戻れなかった時はルーの身の振り方を考えてやって欲しい、と。それだけがベルノの心残りだった。

「恩に着る」

 さあ、行こう。成すべきことを、成す時だ──


   †††


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