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【第一章・魔物憑き】01

   


 ──秋の初め。

 石と煉瓦と漆喰と鍛鉄、それに古い木の鎧戸と、壁を這う緑の蔦。ありきたりの物で埋め尽くされた、ありきたりの街だ。沢山の尖塔を持つ城は、民家のひしめくこの辺りでは立ち塞がる石の壁に遮られて見えない。そもそも今夜は新月で、辺りは暗闇に包まれている。

 遅咲きの薔薇がどこか遠くで咲いているらしい。暗い視界に、甘い香りが漂う。

 城下の狭い道は、敵軍の侵入を想定してわざと迷いやすく造られている。その曲がりくねった隘路を、細身の青年が息を切らして駆ける。硬い石畳が派手な足音を発生させ、煉瓦の壁に反響し耳障りな多重奏が鳴り響いていた。

「いたぞっ、ベルノ・グランディスだ!」

「クラヴィス伯爵夫人のご命令だ、殺しても構わん! 断じて逃すなよ!」

「矢を射かけて回り込め! 撃て、撃て──!」

 敵の怒声が追いかけてくる。うるさい足音と混じり合って、ぐわんと耳鳴りがする。

 襲撃者の攻撃は執拗で容赦がない。時に松明の光に捉えられては、弓矢を射かけられ、暗闇の中に浮かぶ影のような大男と何度も剣を打ち合わせた。刃がぶつかり合う度に火花が弾け、赤い光が幻のように敵の形相を浮かび上がらせた。

「くそっ……しつこいな……」

 斬られた左腕の傷がずきずきと痛む。出血が酷い。暗闇では見えないが、ぐっしょりと湿った袖が貼り付いた肘の先から、肌を不快に伝い、石畳にぽたぽたと赤い滴が落ちていく。一度は引き離したものの、これではわざわざ目印を残しているようなものではないか。

 心臓が張り裂けそうだ。

 青年はぜいぜいと喘ぎ、何度も転びそうになりながら、熱を持ち悲鳴を上げている筋肉を叱咤して必死に走り続けていた。最前から何度も背後を振り返っている。頭を振るたび汗が散る。

 夜空に月は無く、街灯りのランタンも、夜警の為のかがり火も無い。

 ただ追手の手にした松明が、時折、迷路の暗闇を破って、曲がり角の向こうから炎がチラつく。輪郭のぼやけたオレンジ色の光。照らし出された影は異様に大きく見え、おとぎ話の幽鬼のように不気味に踊る。

 少なくとも投石の届かない程度の距離はあるはずだ。青年は自分を慰めるが、轟いて来る十数人分の荒々しい足音が、敵を引き離せてはいないという無情な現実を突きつけてくる。もう四半刻ほどもこうして逃げ惑っているのだが、手負いで疲労困憊する青年とは違い、敵の足取りに乱れは無かった。

 敵は訓練された城仕えの衛兵小隊である。しかも一人一人が恵まれた体躯でかなり強い。連携された攻撃が読めず防戦一方になっている。

 不意に暗闇が威圧感を増した。空気が変わる。風が動かない。少し先で澱んでいる。

「ちくしょうっ、袋小路か……」

 行き止まりだ。青年はたたらを踏んで立ち止まった。

 堅固な石積みの壁が三階建の高さまでそびえ立っている。道の両側も城下町特有の隣家と寄り添うように建てられた民家で横道も無い。家々は上階へ行くほど梁がせり出し、連なった軒下が異国のアーケードのように頭上を圧迫している。夜空は岩の亀裂と見紛うほどに狭く、星はほとんど見えない。昔語りの呪われた洞窟に閉じ込められた気分だ。

「やるしかないか……」

 意を決して振り返る。

 斬られた左腕は酷く疼くし、血を失ったせいで全身は重く、息が上がって、汗だくだというのに寒気までする。だが、無視するしかない。

 ひとつ、鋭く息を吐く。

 左腰に下げた剣を抜いた。澄んだ鞘鳴りが響く。白鋼の打ち出し諸刃、フラーにありふれた戦言葉『汝の道を斬り拓け』が刻まれた他には一切の飾り気が無い。ケチな闇商人から城軍の払い下げ品を買い叩いた安物の長剣。質はそう悪くはないはずだ。柄頭に少々錆が浮いてはいるが、なにしろ二年保っている。

「頼むぞ……」

 邪魔な鞘を路傍に投げ捨て、銀色の長剣を正眼に構えた時、足音と喧騒が更に高まり、睨み据えた曲がり角から松明の光が漏れだした。

 わっ、と敵の歓声が上がる。

「追いつめたぞっ!」

「袋の鼠だっ!」

「遠慮はいらん、斬り殺せっ!」

 命令一下、数人が一斉に斬りかかってくる。

 裂帛(れっぱく)の気合の下に敵の大剣が打ち下ろされる。迷いの無い太刀筋。斬り殺せと命じられて遠慮が無い。青年の頸を真っ直ぐに狙ってくる。右下方から打ち上げるように白刃が迫り、敵の呼吸に合わせて剣を振るった。金属同士が打ち合わされる耳障りな擦過音。火花に網膜を侵食されながら、刃に角度をつけて敵の力を流す。打撃が強ければ強いほど、軌道を狂わされた側は引き摺られる。衛兵の巨躯が、どっ、と地響きに似た重い音を立てて転がった。

「ざまあみろ──っ!」

 青年は快哉を上げ、転ばされた兵士は憎々しげに吐き捨てた。

「このっ、穢らわしいヴァンディールめが!」

「ひでえ。それ差別だぞ。同じ御主人様に仕えた仲間だろ?」

「仲間なものか。その御主人様が貴様を殺せと仰せなのだ。図に乗るなよっ!」

「ったく。ふざけんなよな……」

 青年は少し傷付いたようにぼやき、彼を取り囲む衛兵達は激情に身を任せて行く。

「首を叩き落としてやれっ!」

「ヴァンディールなど生かしておくな。殺せっ!」

 ぎらぎらと得体の知れない憎悪が、口々に喚く彼等の目には宿っている。単純で躊躇の無い害意。ヴァンディールは人間ではない。殺されて当然の害獣なのだ。

 市井の民は彼等を魔物憑きと蔑んで呼ぶ。おぞましい闇の生き物と契約し使役する者。孔雀の飾り羽のような虹色の瞳をしており、老いを知らず、百年以上も生きると言われている。彼等の血を飲めば寿命が延びるなどという迷信もある。もともとは『闇の民』という意味だったらしいが、そんなことを覚えているのは酔狂な学者くらいのものだ。

 衛兵の一人が剣の切っ先を青年に向けて怒鳴った。

「死ねっ、この魔物憑きめっ!」

「うるせえんだよっ!」

 それを合図に、わっ、と再び四方から敵が斬りかかってくる。

 左下からの攻撃を、今度は打ち下ろす刃で弾き返す。

「斬れ斬れ、斬り殺せ──っ!」

 連続した攻撃。一撃を受け流せば、次の刃が頸を捕える。

 左右から同時に斬りかかられ、頭を下げて間一髪逃れる。

 体勢を崩した一瞬の隙を突いて、背後から打突が来た。反射的に身をひるがえし、横薙ぎに払う刃で弾き返す。一際甲高い金属音。

 動くたび血がぱたぱたと肘を伝って零れ落ちて行く。左腕が痺れて感覚が鈍くなっている。両手で構えなければとても敵の攻撃を防げないというのに。

 一撃、二撃、三撃と切り結び、敵の大剣を弾き返し、あるいは流す。奇跡的に今は攻撃を受け流せているが、長くは持ちそうにない。

 力技の応酬。どう考えても青年が不利だ。勝ち目があろうはずがない。頭ひとつも背の高い偉丈夫達に取り囲まれ、多勢に無勢。その上、痛みと出血のせいで、すでに彼は体力を失っている。

 猫の仔でもいたぶるように四方から間断なく打ち掛かられてぜいぜいと息が上がる。衛兵たちが仲間を傷付けることを恐れて、いくらか消極的になっている為に、まだ斬り伏せられていないというだけのことだ。

 その時、正面の敵が上段から真っ直ぐ大剣を振り下ろした。ひゅっ、と息を吸った瞬間、汗が目に入り、唐突に視界が滲む。受ける剣筋がぶれる。打撃を流せず、まともに受け止める羽目になった。鍔迫り合いに持ち込まれる。

 踏み止まれない。体格差に押されてずるずると後ろに下がってしまう。背中を壁に押し付けられ、かえって命拾いした。手間取っている隙に背中を刺されてはたまらない。

 しかし、重い……

 膝がガクガクと震える。腕が折れそうだ……

 それに、キリキリと鋭い刃が軋む音がする。

 心なしか、ピシリ、パキリ、と鋼の砕ける音も……

 まさか……そんなバカな……

「うっ……」

 刃と刃を合わせている箇所に、キシッ、と無情な亀裂が走った。

「ヤバ……嘘だろ~~っ!」

 パキンッ、と呆気ない音が響いた。

 刀身が真ん中で見事に折れ、上半分が脆くも弾け飛ぶ。

 信じられない。ありえない。剣が折れた──!

 バランスを崩し上体が大きく揺らぐ。敵も同じようによろめいた。しかし、すぐに次の攻撃。大きく腕を振るい横薙ぎに首を狙う斬撃。咄嗟にしゃがみ込んで刃を躱す。敵の大剣は勢い余って壁に食い込んだ。その隙に地面を転がり、反動をつけて起き上がる。右手に握ったままの柄を掲げてみるが刀身が半分しかない。

「くそっ、やっぱり鈍昏(なまくら)はダメか……」

 きらりと闇の中に白刃が閃き、強烈な一撃が来た。

 頭上からの攻撃を折れて半分の長さになった剣で必死に受け止める。だが、もはや鍔迫り合いをする余裕など無かった。とにかくこの場を逃れようと、仰け反り、重力のままに倒れこみながら、当てずっぽうで敵の足を払う。

 破れかぶれの攻撃は運良くヒットした。敵が重い地響きを立てて倒れる。

 青年は受け身を取ってそのまま石畳みの上を再び転がって追撃から逃れようとするが、起き上がる前に肩を蹴り飛ばされ、あお向けになったところで片腕を踏みつけられた。

 ごりっ、と骨を抑えつける嫌な感触。折り砕かれる激痛を予想して、体が勝手に硬直する。

「首を落として、皆で貴様の血を啜ってやる。若返るかも知れんからな」

 くくっ、と男は喉に籠る嫌な笑い声を立てた。

 逡巡する暇など無かった。敵は本気だ。

 青年は突然、闇に向かって叫んだ。

「アルヴァ──! アルヴァダーナ、来いっ!!」

 チカッ、と空中に青い閃光が煌めく。

 青年を追っていた衛兵たちが、ハッと息を飲むその面前で、閃光はたちまち収縮し、次の瞬間、青い炎になって爆発するように燃え上がった。

 辺りを眩い光が照らし出す。

 水底のような青い光の中で、青年の髪は血のような真紅に見えた。

 炎はますます青く燃え上がり、宙で渦を巻き、いくつもの多重環を描き、呪式をかたちづくり、魔力を紡ぎ、古王国文字の巨大な魔法陣となって、幽玄に廻りはじめる。青い燐光が蛍のように長い残光の尾を引いて群れ飛ぶ。

 無音の業火──召喚魔法だ。

 やがて。宙に浮かぶ魔方陣の中央から、巨大な漆黒の魔獣が姿を現し始めた。

 青いエーテルを身に纏い、獣は咆哮した。

 激しい稲妻が放たれたかのように、びりびりと大気が震える。

 燃え上がる瞳。薄く開かれた口から覗く三日月のように婉曲した白い牙。岩を引き裂く鋼の爪と、城壁をなぎ倒す逞しい四肢。肉体はあくまでも美しくしなやかで、勇猛なたてがみは凪いだ海のように優雅に揺蕩っている。

 獅子だ。岩山のような漆黒の獅子が顕現した。

「アルヴァダーナ……」

 青年は安堵の笑みを浮かべた。

 一方、衛兵たちは顔面蒼白となって言葉も無いまま立ち尽くしている。

「逃げた方がいいと思うぜ。悪いが、こっちもなりふり構ってられねえんだ。仲間に助けてもらうことにした」

 青年はジョークでも言うようにおどけた調子で片手を上げた。いまだ石畳の上に無様に転がったままなのだが、先刻までと違い、声に余裕が戻っている。

 ひくっ、と衛兵の一人が頬をひきつらせた。

「きっ、貴様ぁっ、卑怯だぞっ! 人間相手に魔獣を使うとはなにごとかぁっ! 恥を知れっ、恥を! それでも剣士かあぁぁぁぁっ!?」

 唾を飛ばしてなじって来るが、青年は嘲りの笑みを浮かべて怒鳴り返した。

「うるせえっ、オレはしがない抗呪術師だっ! つうか、集団でたった一人を追い回す奴らに、卑怯だの恥だの言われたくねえっ!」

 カッと衛兵の顔が恥辱の朱に染まる。真っ先に口を開いたと言う事は、この男が小隊長だろう。濃いあごひげが魔方陣の光を浴びてチラチラと輝いている。

「それで、どうすんの? 戦うの? 逃げるの?」

 ぐうう、と小隊長らしき男はうめき声を漏らした。ぎりぎりと奥歯を噛み締め、大剣の柄を憤怒を込めて握りしめているが、さすがに、人間を遥かに凌駕する存在である闇の魔獣に立ち向かうような愚は犯さなかった。

「ええいっ、くそっ。覚えていろよ、この汚らわしい魔物憑きめっ! 撤退だっ! 撤退するぞっ! 一旦退いて体勢を立て直すっ! 総員、速やかに撤退せよ──っ!!」

 屈強な衛兵たちが、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


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