【第三章・因果】06
一同は意表を突かれて、それぞれ顔を見合わせた。
「なんでこんなところにいる? 俺達を見張ってたのか?」
アルヴァに押さえ付けさせたまま尋問すると、ゴーシュは目に涙を溜めて首を横に振った。
「違うだ。見張ってたわけじゃないだ。ただ、あんた達の気配が森の中にあったから……」
「やはり追って来たのではないか! 放っておけん。この場で処分してくれる!」
ヴィクトルは額に青筋を立てて剣の柄に手をかけた。性急だ。ベルノは慌てて両手で遮る。
「待てよ。それはおかしい。見張ってたならとっくに襲って来てるだろう。俺達はついさっきまで油断して気を抜いていた。それに、竜ほどの魔力を持ってる奴が、わざわざこいつに俺達を見張らせる必要があるか?」
「……無いね。今のラウル様なら遠視くらい出来るだろう」
ミラは腕を組んだまま首を捻った。なんだか妙だ。
「どういう事だ? 説明しろ」
ベルノが言うと、ゴーシュはご機嫌を伺うようにアルヴァの前脚を両手でさすりながら、要領を得ない調子で喋り始めた。
「あ、あの……ご主人様が、もうゴーシュのことはいらないって言っただ。ここにいちゃダメだって、どこへでも好きな所へ行けって、おっかない声で追っ払われただよ。オラ、オラ、ご主人様に嫌われて、捨てられただ。悲しいだよ……」
捨てられた? あいつに──?
「そ、そうか。まあ、かえって良かったじゃねえか」
拍子抜けして、ベルノはおかしな気分になってしまった。
自分達と同じヴァンディールであるゴーシュを、奴隷のように支配し利用しているラウルに憤り、なんとかしてやる、と意気込んでいたのだが、こうアッサリ解放されるとは思ってもみなかった。あの男なら、自分の行動を自分で考え決める事の出来ない愚かで哀れなゴーシュを、もっと徹底して利用し尽くすだろうと踏んでいた。
「それで、せっかく自由になったのに、なんで俺達のところへ?」
「あ、あんたも、オラに、どこへでも好きな所へ行けって言っただ。だども、あんたの言ってる事は、他の人が言ったのとは、ちょっと違う気がしただ。オラ、あんたの話を、もっと聞いてみたくって……だから、だから、オラ……」
チラッ、とゴーシュはベルノの顔を見て、叱られるのを恐れるように慌てて目を逸らした。
「ああ、なるほど、そういう事か。アルヴァ、放してやってくれ」
ぐるる、と少し不満の混じった声で唸ると、アルヴァは素直に前脚をどけた。ゴーシュは跳ねるように起き上がり、服に付いた枯葉と土を叩いて払うと、手を後ろに組んで、何か言いたげにもじもじとベルノの方を見上げた。
「ゴーシュ、離れてないで皆と一緒に来いよ。飯も食え、ほら」
保存用に固く焼しめたビスケットを差し出すと、さっと引っ手繰るように持って行き、後ろを向いてサクサクと食べ始める。ベルノは皮袋に入れた水も渡してやった。
ヴィクトルが嫌悪も露わにゴーシュを指差す。
「おい、まさか、こんな奴を一行に加えるつもりなのか?」
「そうだよ。魔物憑きの同族が頼ってきたんだから、見捨てるわけにはいかないだろ」
飄々と答えたベルノに、ヴィクトルは益々声を荒げる。
「反対だ。そいつはラウル様の手先だろうが。我々の隙を襲うに決まっている!」
「違うだよ、オラはそんな事はしないだ!」
悲しげにゴーシュは両手を広げて訴えたが、ベルノ以外誰もゴーシュの言葉に頷かなかった。ヴィクトルはゴーシュを敵だと決めつけ憎々しげに睨んでいるし、ミラは疑わしげに腕を組み、ガーランド姫でさえも一歩下がって黙り込んでいる。ルーは、いーっ、と舌を出した。
「こいつ竜神殿でボク達を襲ってきた敵じゃん。気持ち悪い屍人を操る、おっかなくて嫌な奴だよ。ボク、こいつ嫌い。あっちへ行け!」
すかさず足元の石を掴んで投げようとする。
「あっ、こらっ、相変わらず手癖の悪いっ!」
ベルノは慌ててルーの手を掴んだ。我が養い子ながら末恐ろしい。ちゃっかりと言うべきかしっかりと言うべきか、林檎大の石を咄嗟に選んでいるあたり容赦が無さ過ぎる。そんな石が当たったら、いくら魔物憑きでも怪我をする。
石を投げられそうになっても、ゴーシュは両腕で頭を庇っただけだった。魔物を使えば、人間などあっという間に殺せる力を振るえると言うのに……
「ルー、戦うつもりの無い奴を苛めちゃダメだ。ゴーシュは、まだ色々分かってないだけなんだ。真っ当に生きる方法を誰かに教えて貰わなきゃ分からない奴もいるんだよ」
ベルノは確信を込めて言った。ゴーシュに戦う意思は無い。おそらく本当に、ラウルに捨てられ、行き場が無くて頼って来たのだ。
「そうなの?」
ルーの視線にゴーシュは不思議そうに首を捻り、ベルノは優しい目でルーに問い掛けた。
「俺達が、あんまり悪くない生き方を教えてやれたら良いと思わないか?」
本気でそう思う。ベルノは色々な人間を見て来た。世の中には、自分の意思では何も上手く決められず、他人に良いように利用されて悪事に手を染めてしまう者もいる。それは本人が悪いわけじゃない。誰にも教えられなかったから、ただ、上手く生きる方法が分からないだけなんだ。無知が、罪と不幸を招いてしまうのだ。ベルノも生きる為に詐欺や少しの悪事は働いて来たが、それでも殺しにだけは手を染めなかった。簡単に心を支配され、ご主人様の命じるままに人も殺そうとしてしまうゴーシュのような奴は哀しい。
「ルー。俺にもしもの事があったら、おまえが教えてやってくれないか?」
ぽんと頭に手を置くと、ルーは渋い顔でベルノとゴーシュを交互に睨んだ。
「ボクが? う~ん……嫌だけど、しょうがないな。じゃあ、おまえ、今からボクの子分だからね。ボクがやれって言ったことはちゃんとやるんだぞ」
ルーは威張ってゴーシュを指差した。
「子分!? いや、人の言いなりになってちゃダメってことなんだが……」
ゴーシュは、チラッとベルノを見てから、ルーに向かって卑屈な調子でこくこくと頷いた。
「まあ、そのうちなんとかなるか……」
ベルノが顔を向けると、ガーランド姫が鷹揚に微笑んで頷き、ヴィクトルは不満げに眉間にしわを寄せ、ミラは参ったねと苦笑を浮かべた。
ふと、ゴーシュの上着を見ると、くしゃくしゃになった布がポケットに突っ込まれていた。
「そのスカーフ、まだ持ってたのか」
「あ、あんたがくれただ。もったいないでよ……」
「しょうがねえ奴だな。ちょっと寄越せ、結んでやるから」
くびれの無い首にスカーフを巻いてやると、ゴーシュは嬉しそうに醜い顔を歪めた。
†††
「眠れないのか?」
明日には漆黒の魔境を抜けるだろうという深夜。
ベルノが焚き火の番をしていると、ミラが手に火酒の瓶と杯を三つ持って近付いて来た。疲労はあったが旅は順調で、他のみんなはそれぞれの天幕の中で眠っている。
「まあね……ゴーシュも眠れないようだよ」
名前を呼ばれると、ガザガサと木立を揺らしながらゴーシュも出て来た。天幕に入れと言ったのに、遠慮して木蔭に敷物を敷いて寝ているのだ。
「こっちに来な。魔物憑き同士仲良く飲もうじゃないか」
ミラが言い、ベルノも手招きすると、ゴーシュはおずおずと近付いて来てぽすんと焚き火の前に腰を下ろした。火酒を注いだ杯が銘々に行き渡り、硝子の縁が軽く打ち合わされる。塩気の強い干し肉も回され、魔物憑きしかいないという気安さでベルノは思わず呟いた。
「ラウルの最初の願いは何だったんだろうな?」
繊細で優しい顔立ちだ。殺すと宣言された後も、不思議とラウルに対する嫌悪感は湧かなかった。顔が好みだからと言われればそうなのだが、深く透き通った紫水晶の瞳が頭から離れない。あんな寂しげな眼差しをした奴が、誰が苦しもうがどうでもいい、と残虐に振る舞う様は飲み込めない。
どうして、こんな風になってしまったのか……
ヴァンディールは多かれ少なかれ最初の願いに影響される。
契約を遂げさせた〝最初の願い〟が、ラウルを魂を貪り喰う魔物に変え、大量虐殺への道を歩ませているのではないか──そう考えずにいられない。
分かったからと言って、何ができるかは分からない。どうにも出来ないかも知れない。それでも、ベルノはその煩悶を振り払えなかった。
「最初の願い……か。ヴァンディールは最初の願いに影響され、最期まで支配される。ラウル様も、最初の願いに絡め取られてしまっているのかもしれないな……」
ミラが強い火酒を舐めながら言った。宵闇の中、婀娜っぽい顔は焚き火に照らされ、常の妖しい雰囲気が濃度を増している。首には白蛇のシャキルを絡ませて、まるで生贄の儀式でも始めるかのようだ。
ふと、埒も無い事を訊ねてみたくなった。
「ミラ、最初の願い……あんたは何を願ったんだ?」
「百年以上前の話だぞ」
「覚えてるだろ?」
まあね、とミラは肩を竦め皮肉に笑った。
「子供らしい、些細な願いさ。私は流浪の民の生まれで、家族は占いや祈祷で食い扶持を稼いでいた。ある晩、寝付けなくて天幕から這い出したら、目の前に透明に輝く蛇がいた。思わず祈ったね。『姉さんよりすごい占術師にしてください』って、それだけだよ。叶ったけど、代わりに家族は失った」
ベルノは、そうか、と溜息をひとつ吐き、今度はゴーシュに問い掛けた。
「おまえは? ゴーシュ。金色の蝶と初めて出会った時の事は覚えてるか?」
ごほっ、と強い火酒にむせて、それからゴーシュは両手を広げた。人に何かを訊かれるというのは、彼にとっては珍しくて嬉しい事なのだ。力んでつっかえながらだが、一生懸命話す。
「お、お、覚えてるだあよ。十年くらい前のことだ。オラ、村のみんなに仲間外れにされてたけども、あの時は初めて一緒に連れてって貰えたんだあ。みんなで街に牛を売りに行っただよ。いっぱい肥えた良い牛だった。そしたら、森ん中でおっかない人たちが襲って来て、みんな刀で斬られて死んじまっただ。オラ、オラ、おっかなくて、隠れて見てただ。みんな死んじまって悲しかっただよ。オラ、いっぱい泣いただ。そん時、光る蝶々が飛んできて、オラ、神様の使いだと思って、『みんなともっと一緒にいたい』ってお願いしただよ」
うっ、とベルノもミラも言葉を詰まらせた。
それで、ゴーシュは屍人遣いになったのか。みんなと一緒にいたいという願いは歪んだ形で叶えられた。
ラウルの願いも歪められてしまったのではないだろうか……
物思いに沈んでいると、ミラの腕が乱暴にベルノの頭を抱き寄せた。甘い香りに包まれ、ミラの肩に頭を預けて恋人に甘えるような姿勢になる。照れ臭さで抵抗しようとしたら、強引に目元を手の平で覆われた。こんな風に視界を奪われると妙な気分になる。それに、今夜のミラの声は不思議なほど優しい。
「それで? ベルノ、おまえは?」
「六、七十年前かな。『殺されたくない』と願った。ちょうど殺されかけてたんでね」
おどけて言ったが、ミラは慰めるようにベルノの頭を撫でる。軽く身を捩っても放してくれなかった。本当に妙な気分だ。いつの間にか抵抗する気は失せていた。
†††