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【第三章・因果】05

 ガーランド姫は運命の夜に思いを馳せる。

 うだるように暑い八月の夜だった。

 何度繰り返しても、生傷をかきむしるような痛みに襲われる。

 あの夜、兄を行かせるべきではなかった。殺しておけばよかった。

 自分にそうする力があったなら……

 いや、やはり、殺せなかっただろう。兄を愛していた。力も無く、知識も無く、頼るべき相手も分からず、ただ敵に従順であるしかなかった二人の子供。兄と妹は、血の繋がった叔父に、その叔父と血が繋がっているという理由で、二人きりになってしまった最後の家族と引き離され、要塞のような神殿に幽閉された。あの男が、優しかった両親を手にかけ、その地位と名誉と財産と、二人の子供の自由を奪ったのだ。

 二人はお互いに手紙を書くとも許されず、寂しく虚しい二年が過ぎた。

 あの夜、自分にあてがわれた貧しい部屋に、不意に兄がうずくまっていたので驚いた。いつ来たのか、どこから入って来たのかも分からない。気付いたら愛しい兄がいたのだ。

 抱き締めようとしたのだが、兄は哀しそうな声で、近付いてはだめだ、と拒んだ。

 泣きそうになってガーランド姫は声を張り上げた。

「兄様、ガーランドを嫌いになったの?」

 ちがうよ、と兄は首を横に振った。兄様は少し汚れているんだ、と。

「おまえが無事で良かった。だけど叔父上は許さない。あの人は死ななければならない」

 愛しい兄はそう言って、調律の狂った竪琴のように不安定に笑った。ひとしきり笑った後、苦しげに喉に手を当てて呪詛のような独り言を呟いた。

「おまえを至高の地位に着けてやる。誰にもおまえを傷付けさせない。こんな辛い思いはもう終わりだ。なにもかも取り戻すんだ。兄様は力を手に入れた。だけど、父上と母上を甦らせるにはまだ足りない。百の千倍、十万の魂が必要だ。生贄の命を狩り獲ってやる。どんな手段を用いてでも、僕は更なる力を手に入れる……」

 兄の次の言葉は、呪いのようにいつまでも彼女の耳に残った。

「おまえの為だ。おまえだけは守ってやる──」

 叔父は翌朝亡くなった。生首ひとつしか残っていない無残な死に様。部屋中が真紅の血に染まって、地獄の門が開いたかのようだったという。


   †††


「その時──姫様に最後に会いにいらした時、ラウル様はお一人でしたか? 何者か側に従えては?」

 ミラの問い掛けに、いいえ、とガーランド姫は首を横に振った。

 確定だ──やはりラウルは竜と同化して魔物になっていた。ヴァンディールは、魔物に願わずに魔術を行使することは出来ない。魔物を従えずにそれを成したなら、それは魔物だ。

「もう充分だ……」

 席を立とうとしたベルノにガーランド姫の声が追い縋った。

「待ってください。あなたが会った兄は、どんな姿でしたか?」

 なぜそんな質問をするのか奇妙に思ったが、ベルノはガーランド姫の真摯な眼差しに圧倒された。彼女に取っては重要な事なのだろう。思えば不思議な縁だ。あの兄に、この妹……

「お姫様にそっくりだった。綺麗な男だ」

 何かを噛み締めるように、ガーランド姫は目を閉じた。静かに、涙が頬を伝う。

「そうですか……」

 彼女は声を出さずに泣いていた。


   †††


 結局、出発は三日後の昼になった。

 通常、東の王国(エル・ブラーナ)から西の帝域(ベルフォールズ)へ向かう場合は、一旦、南方王国(ラディーニア)へむかう帆船に乗り、更に西の帝域(ベルフォールズ)の湖側に折れて広がる漆黒の魔境(ロンバルディア)を避けて、巨大湖の最西端まで大回りを強いられる航路になる。更に交易港のあるフェイ大公領からクラヴィス伯爵領までの陸路も遠く、ほとんど西の帝域(ベルフォールズ)を横断する形になる。漆黒の魔境(ロンバルディア)を突っ切るのが最短ルートなのだが、クラヴィス伯爵領を逃げ出した時には、よもや魔物の森を往復するとは予想だにしていなかった。

 ベルノとしては、ヴァンディールのミラと、わずかなりとも戦力になるヴィクトルの三人だけで決行したかったのだが、ルーは置いて行かれるのは絶対に嫌だと言い張り、ガーランド姫は勝手に追うと脅迫してきた。姫様に押し切られれば、ルーを一人で残すことも出来ない。

 それにしても、ガーランド姫は強硬だった。相手は竜なのである。不測の事態が起きてもおかしくはない。万が一にも生きて戻れなかった場合、ダンジュール侯爵領をどうするつもりかと皆が問うと、顎を上げて毅然と応じた。

東の王国(エル・ブラーナ)の王都に父の遠縁の者がおります。彼は三十七歳で、王の書記官も務めている学者です。元は象牙の塔の学徒でもありました。そういう人であれば、きっと欲に走らず民を豊かにする統治を行ってくれるでしょう。私に何事かあった場合は、彼に侯爵位を譲ります」

 そうして、さっさと遺言書を作成してしまったのだ。誰もガーランド姫を諌めることは出来なかった。その上、半ば地位を捨てて行くのであるからと、護衛の騎兵団を従えることすらガーランド姫は拒んだ。

 一行は、抗呪術師ベルノ・グランディス、その養い子ルーティリンガル、占術師ミラ・エリダヌス、ダンジュール侯爵ガーランド姫、侍従のヴィクトル・ルヴァデ子爵。

 たった五人での、しかも徒歩の旅になった。馬を諦めたのは、足場の悪い漆黒の魔境(ロンバルディア)では邪魔になるからだ。

 ガーランド姫は帯剣し、毛皮で裏打ちした長いマントに乗馬用の革ズボンとブーツ、厚手の麻のシャツと毛織のジャケットで旅装束を整えた。ヴィクトルも姫と似たような平服に厚手のマントと革のブーツ、ベルトには大剣を下げている。ミラは男物の衣装をあくまで拒み、普段通りの胸の大きく開いたドレスに、毛皮の縁飾りの付いたローブを纏った。靴は踵の高い華奢な夜会靴だ。まあ、ヴァンディールのミラなら問題はないだろう。ルーとベルノは特に旅装束を改める必要は無かった。ベルノだけは城付きの武具師に頼んで『アルフィニアの剣』に合うソードベルトを新調したが、急拵えの簡素な革製で、神器に相応しいとは言えなかった。

 ついに『切断の呪詛(カース)』のかかった宝剣を下げたベルノを見ると、ミラは部屋の隅にベルノを追いつめてから、壁に手を突き、にやりと片眉を上げた。

「まったく……やっと、その剣を身に付ける気になったか。腰の重い男だね」

 揶揄われて、ベルノは困ったように頭を掻いた。

 糧食や天幕などの荷は、ベルノがずっと『アルフィニアの剣』を隠しておいたアルヴァの異界に放り込んだ。そうしておけばいつでも取り出せるし、重さに耐えて運ぶ労もいらない。それは良いのだが、たった七日か長くて八日の旅だと言うのに、ミラは風呂用のデカイ木桶をぶち込んでくれた。ベルノの眉間にビシッと指を突き付け、シャキルの魔力を使ってでも毎晩風呂には入ると言い張った。

「女に風呂を使うなと言うのかい? それでも男か?」

 これにはガーランド姫とルーが大賛成し、男は黙って従うしか無かった。

 意外にも、ガーランド姫は野営に慣れていた。侯爵位を継いだ当時、女に与するのを良しとしない勢力がダンジュールにも存在し、その平定に自ら軍を率いて奔走したという。ヴィクトルはその時期からの姫の腹心だ。代々侯爵に仕える家に生まれ、ラウル救出に失敗した後しばらく都を離れていたが、ガーランド姫が苦境にあると聞き直ちに膝下に馳せ参じた。ヴィクトルは野営地でもまめまめしく立ち働いて、ガーランド姫の身の周りの世話をしていた。

 時にお互いの身の上話なども交えつつ、一行は巨大な樹が不気味に生い茂る漆黒の魔境(ロンバルディア)の街道を歩き続けた。幾重にも生い茂った枝が頭上を覆い、空はほとんど見えない。陽の射し込まない森は昼でも底冷えがする。かつては美しかった石畳も、今や遺跡と化していた。遭遇すれば軍団さえも為す術なく全滅させられる魔物が生息しているのだ。当然、人通りのあろうはずがない。ベルノ達が無事でいられるのは、先導する漆黒の獅子アルヴァが他の魔物を寄せ付けないでいてくれるお陰だ。

「ベルノ、『アルフィニアの剣』は使えるか?」

 ミラが唐突に言い、ガーランド姫は控え目な視線をベルノに向けた。仲間達がサクサクと枯葉を踏む音が軽やかだ。

「どういう意味だ? 一応、剣は抜けるけど?」

 ベルノは隣を歩いているミラに向き直って小首を傾げた。『アルフィニアの剣』は、千年、誰も、触れる事すら叶わなかったと言われる神器だ。どんな力があるのか、実戦で使ってみなければ分からない。『切断の呪詛(カース)』に気付いたのも、悪戯半分に森の樹に刃を当てたらなんの抵抗も無く斬り倒せてしまった時だ。人間相手に使わなくて本当に良かったと思っている。

 ミラは歩きながらベルノの胸にトッと指を突き立てた。

「若き竜を封印できるか──と訊いている」

「分からん。封印の方法なんてどこにも書いてないし」

「普通は女神様が夢に現れるとか、頭の中に女神様の導きの声が聞こえるとか、何か奇跡が起きるもんじゃないの?」

 無責任に言うルーに、ベルノも調子を合わせる。

「つうか、この剣の魔力、シャキルの力で読めないか?」

「無理だ。女神アルフィニアはシャキルより遥かに強大だ。読もうとしても何も見えない」

 ミラはお手上げと言うように両手を広げた。

「じゃあ、ぶっつけ本番、斬ってみるしかないな」

 雑な物言いをするベルノに、ヴィクトルが大真面目な思案顔で割って入った。

「しかし、こう少数では心許無いな」

「気にするな。相手は竜だ。人間が何人いても意味は無い」

 不意にガーランド姫が足を止めた。どうしたのかと振り返ったら、真っ直ぐな視線に射止められた。淡い紫水晶(アメジスト)の瞳がドキッとするほど真剣にベルノを見詰める。

「それでも、幾らかは加勢出来るでしょう。兄も、私が居れば少しは怯むと思います」

「お姫様、あんた、まさか盾にでもなるつもりじゃねえだろうな?」

 ガーランド姫は答えず、頑是ない瞳にじっとベルノを映し続けた。

「おい、ヴィクトル、この危なっかしい姫様をしっかり見張っとけよ。つうか、俺がヤバくなったら、おまえら、ちゃんと俺を見捨てて逃げてくれよ。面倒見きれないからな……」

 呆れ声でベルノが言い、ヴィクトルも情けない調子でガーランド姫に取り成した。

「姫様、どうか、お慎み下さいませ……」

 ガーランド姫は泣きそうな顔で黙り込んでしまった。厄介なことに決意は固そうだ。

 次の瞬間、ルーが茂みを指差して大声を出した。

「ベルノ、あの樹の陰、何かいるよっ!」

 少し離れた場所で、樹の枝がガサガサと揺れる音がする。何か、いや誰かがいる。

「アルヴァ、頼むっ!」

 ベルノの命令一下、先導していたアルヴァが、疾風のように駆け出した。数瞬と置かず、獲物を捕らえたアルヴァが吼え、王者の咆哮に掻き消されるように、情けない声も聞こえてきた。

「あ、あああ、やめ、やめるだよ。オラ、オラ、何も悪い事はしてねえだっ」

 ベルノ達が駆けつけると、ヒキガエルのような醜い男が獅子の前脚に地面に押さえ付けられ、じたばたともがいていた。

「ゴーシュ、おまえ……」


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