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【第三章・因果】04

「夜が明け、城に戻ると、オーギュスト様が無残な姿で変死していた。その死に様は凄まじく、祟りとしか思えなかった。あの男は死んで当然だ。そして、空になった侯爵位は、最も高い継承権を持つガーランド姫がお継ぎになったのだ。竜神殿が忽然と消えたのは、それからしばらく経ってからだ。ガーランド姫はその頃から古い文献を読み漁るようになり、領内に魔物憑きを召し出すお触れを出された。俺は……姫様が、兄君が魔物憑きになって生きていらっしゃる、だからなんとかしなければ……と、そうお思いになる事で、侯爵の重責に耐えられるなら、それでいいと……」

 そこまで聞いて、ベルノは怪訝そうに眉根を寄せた。

「おまえは、それほどの怪異が起こったのに、ラウルがヴァンディールになっているとは考えなかったのか?」

「考えなかった。今までの恐ろしい出来事はすべて亡くなったラウル様の祟りで、それも、オーギュスト様の死と、ラウル様に取って忌まわしい場所になった竜神殿の消失で終わったものだと……」

「ずいぶん都合良く考えられたな。逆に不思議だ。なぜ……?」

 ヴィクトルは一瞬だけミラを見て、言い難そうに言葉を継いだ。

「おまえ達には分からない。俺は貴族だ。貴族の子弟は、家付きの神官から魔物憑きは穢れたものだと教えられて育つ。俺にとっては、ラウル様が魔物憑きになったなどと考えることは、あの方を穢す事だったのだ。どうしてもそう考える事は出来なかった……」

 ミラはヴィクトルの煩悶を見て見ぬふりをした。それより、言わねばならない事がある。死者の祟りならば過去の事にできるが、ラウルは生きて何かを企んでいる。

 まだ終わってはいないのだ。

「その光──たぶん、若き竜だ。封印は七年前に解かれている。ベルノが封印の剣を抜いたからね。心から求める者があれば顕現してもおかしくはない」

 憔悴し切った様子でヴィクトルは顔を上げた。

「ラウル様は『アルフィニアの剣』を欲しておられる。あの剣の柄にあるのは、伝承の通りなら若き竜の心臓──竜珠だ。愛する女神に捧げた心臓(ハート)を自分を封じる呪具に利用されたんだ。それに竜珠は魔力の源でもある。取り戻そうとするのは若き竜だけだろうよ」

 ヴィクトルを見据えてミラは明言する。

「ラウル様は、若き竜と契約を果たしたんだ」

「そんな……」

 生きていたと喜ぶべきなのか、それとも魔道に堕ちたと悲しむべきなのか、ヴィクトルは、分からない、とうめいた。

「となれば、ラウル様がクラヴィス伯爵夫人の愛人になっているのも臭いな」

 ミラの言葉にベルノも頷く。ヴィクトルは不安げに身を乗り出した。

「どういう事だ?」

 今度はベルノが説明をする。

「俺はほんの十日前までクラヴィス伯爵領にいた。最初にラウルを見たのは、あいつが楽士の恰好をしてグラヴィス伯爵夫人の足元にはべっている姿だった。その時は遠目だったが、後でハッキリと顔を見た。あんな綺麗な男は何人もいないだろ?」

「あの方が、クラヴィス伯爵夫人の愛人だと? それは本当にラウル様なのか?」

「本人がそう名乗った。面も見たし、昨夜も会ったと言っただろうが」

「信じられん。しかし……しかし、なんという事だ……」

 ヴィクトルは一同を見回し、意を決したように、常より一層不機嫌そうな顔で告げた。

「おまえ達に伝えておかねばならない事がある。近々、西の帝域(ベル・フォールズ)で戦が始まるのだ。おそらく来年の早春には情勢が動くと、我々は見ている」

 はあ? と、ベルノは呆れて口を開けてしまった。ミラも、ぽかんとしている。

「……あそこはいつも地方領主同士が戦をやってるだろ?」

 もう百年近くそんな状態だ。今更、西の帝域(ベル・フォールズ)で戦なんて珍しくもない。

「愚か者。そんな小競り合いではない。ついに皇帝の位を奪おうとする者が現れたのだ。クラヴィス伯爵が──」

「クラヴィス伯爵!?」

 なんの偶然だろうか。

「このところ、密偵から続々と報告が届いているのだ。西の帝域(ベル・フォールズ)のクラヴィス伯爵が、南方王国(ラディーニア)から大量の武器と食料を買い込んでいると。軍備を整えている証拠だ。今までのようなケチな領地争いではない。伯爵は首都に進攻して皇帝を廃し、自分がその後釜に座るつもりなのだ。だが、伯爵一人が突出しているわけではない。実力の拮抗した領主が両手の指の数ほどもいる。そやつらが黙って見過ごすはずが無い。本格的な内乱になる」

「──────っ!!」

 そんな大規模な内乱が起これば、どれほどの民が犠牲になるか分からない。進軍路に当たった街や村は、恭順を示すという名目で物資を供出させられる。実質的な略奪だ。生活は滅茶苦茶になるし、戦闘に巻き込まれれば殺される。殺されずとも飢える。

「まずいぞ、ベルノ」

「ああ、わかってる……」

 ベルノとミラは若き竜の伝説を思い出していた。

 若き竜は神になる為に、百の千倍、十万の魂を得ようとしたのではなかったか。大規模な内乱が起これば、十万の魂などすぐに集まる。

「大規模な内乱を謀っているのは、クラヴィス伯爵ではなくラウル様かも知れん。伯爵夫人の陰から糸を引いている気がする。ラウル様は無辜の民を犠牲にするつもりだ。伝説の再現、いや、やり直しだ。百の千倍、十万の魂を喰えば、若き竜は神になれる──」

 西の帝域(ベル・フォールズ)の現状と、壮絶な過去を持つラウル、そして若き竜の伝説が繋がった。推論の域を出ないが、ほぼ確定だろう。

 あの時、ラウルが言った言葉が耳の奥に甦る。今すぐ僕の首を刎ねるべきだ──と。

 相手が人間だと信じていた為に手が鈍った。いや、出来なかった。ベルノは人間を殺したことは無い。なぜかと問われても分からない。ただ、人間の命を奪う事はしたくないのだ。何も知らなかった最初に、クラヴィス伯爵夫人から命を狙われていた青年楽士に、わざわざ逃げろと伝えに行ったのも、結局はベルノのその性向がさせたことだ。ラウルが美しかったから助けたわけではない。相手がもしも醜かったとしても、ベルノは助けただろう。

 宿命的な敵となる男を殺す好機を、二度も逃してしまった──

 ミラは酷く疲れた様子で苛立ちを吐き出した。

「なんなんだ、いったい……やけに事態が錯綜してやがる。まるで因果の糸が一気に収束していってるようじゃないか」

 そもそもの発端はベルノが悪戯半分で『アルフィニアの剣』を盗みに行ったことだ。剣が引き抜かれなければ若き竜の封印は解かれず、竜神殿の地下牢に幽閉され衰弱しきっていたラウルはそのまま死に、竜との契約と同化を果たし魔物になることも無かっただろう。ラウルが力を得なければ、叔父のオーギュストはいまだ健在であっただろうし、ガーランド姫が幽閉の身から脱し侯爵位を継ぐことも、竜神殿が廃墟と化すことも、遠く西の帝域(ベル・フォールズ)で多くの民の命を奪う為の内乱が画策されることもなかったかも知れない……

 ヴィクトルも硬い表情で疲れたように黙り込んでいる。

 空気を変える為にか、わざとらしくミラが憎まれ口を叩く。

「ベルノ、火酒(スピリタス)をちょうだい。落ち着きたいわ。本当は水煙管(シーシャ)が吸いたいけど……」

「おいおい……ハシシは我慢してくれ」

 文句を言いつつも、ベルノはテーブルに用意されていた火酒を注いでやった。赤い硝子の杯に透き通った火酒(スピリタス)が揺れる。指先で杯の縁を撫でながら、ミラは当たり前のことを訊くように問い掛けた。

「それで、どうする?」

 敵は竜だと判明した。竜に勝てる者などいない。神だけが竜を降せるのだ。

 だが、淡い希望はある。若き竜の封印に使われていた『アルフィニアの剣』と、その柄に嵌められた竜の魔力の源たる竜珠がまだこちらの手にある。若き竜は魔力の心臓を欠いて弱っているし、竜を封印する宝具もある──という事だ。それは勝機になり得るかも知れない。

 どのみち手をこまねいていてもベルノは襲われる。

 もはや逃れられない自分自身の問題になった。嫌でもやらねばならない。

「逃げてもあいつは世界の果てまで追って来るだろうな。それに、内乱が起こるのを見過ごすのは癪に障る。兵隊だけで争われる小競り合いならともかく、民を犠牲にするような滅茶苦茶な内乱はダメだ。許せねえ。西の帝域(ベル・フォールズ)はルーの故郷だし、あの子は戦で両親を失った。同じ思いをする子供が増えるのはルーが嫌がる」

 にっ、とミラは凄味のある笑みを浮かべた。

「じゃあ、()るんだね? 竜と向こうを張って喧嘩なんて血が騒ぐじゃないか」

「あんたも()る気か?」

 ベルノが呆れ顔で問い返すと、ミラは火酒の杯を掲げて片目を瞑る。

「だって面白そうじゃないか。『アルフィニアの剣』を盗みに行ったときは除け者にされたからね、今回こそは除け者になりたくないね」

「俺も行く。ラウル様のなさる事には、俺にも責任の一端がある。お救いするのが間に合わなかったせいだ。俺達が遅かったばかりに、あの方を魔道に堕としてしまった……」

 ヴィクトルは思い詰めた顔で宣言した。


   †††


 お互いの情報を擦り合わせて判明した全体像をガーランド姫に報告するかどうかで、ベルノとヴィクトルは一揉めした。ベルノからするとバカバカしい事この上ないのだが、この期に及んでヴィクトルは、姫様を苦しませないよう内密に事を片付けたいと言い張った。

 だが、ガーランド姫にはすべてを知る権利がある。ミラに手厳しく指摘されてヴィクトルは引き下がった。

 午前中の公務を終えたところで、ヴィクトルは、侯爵の私的な談話室にベルノとミラを招き入れた。壁の一面が書棚になっており、高価な本がぎっしりと並べられていた。秋の木漏れ日が窓辺で揺れ、花瓶に生けられた薔薇は強い芳香を放っている。クッションの利いた革張りのソファにそれぞれ腰掛け、ヴィクトルだけがガーランド姫の斜め後ろに立って寄り添った。

 ベルノとミラが話す間、ガーランド姫は胸の前で固く両手を組み、じっと黙り込んで、二人の声に耳を傾けていた。取り乱さないよう、それが彼女の鎧なのだろう。

「そうですか……兄は、西の帝域(ベル・フォールズ)にいたのですね……」

 ガーランド姫はやっと、か細い声を出した。

「兄は魔物憑きになってしまいました。兄に対抗できるのは、兄と同じ力を持つ者だけでしょう。ですから、私はヴァンディールを探していたのです」

 ベルノもミラも敢えて訂正はしなかったが、ラウルは魔物そのものになったはずだ。そもそも契約の相手は竜だ。あらゆる意味で力はあちらが上──

「まだるっこしいのは無しだ。はっきり言う。あんたからの依頼だけが理由ではなく、俺達はラウルを倒さなければならなくなった」

 捨て鉢に言うと、一瞬、ガーランド姫は戸惑ったように目を見開き、何かを探るようにベルノを見つめた。淡い紫水晶(アメジスト)の瞳に射竦められて、不謹慎にも胸が騒ぐ。

 この色の瞳は苦手だ……

 ベルノが視線を逸らし、わずかな沈黙が降りると、ヴィクトルは突然ガーランド姫の前へ進み出て、床に片膝を着き胸に片腕を当てながら請願した。

「姫様を一生お傍でお守りするとお約束しましたのに、誓いを破ることになって申し訳ございません。私は侍従の職を辞し、彼等と共に西の帝域(ベル・フォールズ)へ赴き、成すべきことを成したいと思っています。なにとぞ、姫様の許可を頂きたく……」

「堅苦しいんだよ、てめえは」

 けっ、とベルノが鼻を鳴らすと、ヴィクトルは振り返ってベルノを睨む。ミラは呆れたように肩を竦め、ガーランド姫は三人の様子を静かに見詰めてから、おごそかに言った。

「あなた方だけに重荷を背負わせはしません。なにをするにせよ、私こそが率先していたします。兄の罪は、私の……」

 そこで言葉を切る。悼むように、あるいは涙を堪えるように目を閉じ、ガーランド姫は唇を噛んだ。少しだけ肩と指が震えている。

「兄が竜神殿の地下牢に幽閉されていたことは後で知りました。惨過ぎる仕打ちです。兄が叔父上に復讐をしたのは当然だったと思います。竜神殿の長も残虐な命令に加担したのですから庇う理由はありません。だけど、他の者には罪は無いのです」

 ガーランド姫は気丈に顔を上げた。

「兄は、すべてを取り戻し、私を守る為に力が要るのだと言いました。ですが……幾万の無辜の人々を犠牲にし、その屍の上に築いた力で、私は守られたくありません。兄が人々を犠牲にすると言うのであれば、私は兄を拒絶し、阻まねばなりません」

「あんたの口からそれが聞ければ十分だ」

 彼女は兄を殺したくないのかもしれない。思えば最初から、本当はこんな事はしたくないという本音が仕草や声音の端々に滲んでいた。

 それでも、ガーランド姫は震える声で語り続けた。

「兄は大勢の人間を殺して魂を喰らうつもりです。二年前の夏のあの夜、兄は私に会いに来ました。その時、私に恐ろしい事を言ったのです。十万の生贄の魂を狩り獲ると……それから、私の目の前で恐ろしい魔物に姿を変え、掻き消えるようにいなくなりました」


   †††


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