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【第三章・因果】03

「あ──っ!!」

 湯浴みから戻って来たミラは突然叫んで真っ蒼になった。

 全身から石鹸の香りを漂わせ、タオルに包んだ濡れ髪が妙に色っぽい。そのミラが、肩に白蛇のシャキルを絡ませた迫力満点の占術師スタイルで、ベルノの頸を指差す。

「黒い髪の絡み方が酷くなってるぞ……」

 ミラの後ろにいたルーが、ひっ、と大袈裟に飛び上がる。こちらも真っ蒼になっていた。

「く、黒い髪って呪詛(カース)の……?」

 ルーはかたかた震えながらミラを見た。

「そうだ。一昨日の夜に見た時には呪詛に近いと感じただけだが、今のそれは完全に呪詛だ。生贄につける徴痕(しるし)が刻まれてるようなもんだぞ」

 ミラの真剣な視線に射竦められて、ベルノはふざけた調子で両手を広げた。

「ああ、実は……ついさっき黒髪の主に中庭で会った。ミラが言った通り、西の帝域(ベル・フォールズ)で会った例の楽士だった。竜神殿で俺達を襲ってきたゴーシュを連れてて、しかも〝あなたに運命を感じた〟って熱烈に告白されたよ」

「そんな呑気な言い草をして……あんた、殺されるよ?」

「あ、ああ……そう宣言されたけど、そんな簡単にやられるつもりはねえよ?」

 ミラは乱暴に息を吐いてソファに腰を下ろした。ついでに、顔面蒼白で突っ立ったままのルーの肩に片手を添えて座るように促す。この二人は気が合っているらしい。意地っ張りなルーが大人しくミラに従った。

「それにしても、クラヴィス伯爵夫人の愛人が西の帝域(ベル・フォールズ)から追いかけて来たのか?」

 ミラが眉根を寄せた険しい顔で言い、ベルノも少し真顔になった。

「そういうことになるだろうな。しかもあいつは、ガーランド姫の兄貴だった。ラウル・セヴラン・ロア・ダンジュールなんて御大層に名乗りやがった」

「なんだって!? それは本当かっ!?」

 ミラは再び顔色を変える。出てもいない汗を手の甲でぬぐい、低くうめきながら額に手を当てた。何か思い当たる事でもあるのか、酷く困惑──いや、混乱している様子だ。

「そんな、バカな。ラウル様がヴァンディールになっていたと言うのか?」

「でもあいつの瞳は虹色じゃなかった。ヴァンディールじゃない」

「いや、あるんだよ。魔物の力を得ても、瞳の色が変わらない契約が──」

「なんだって?」

 かつん、とミラの爪が、高価なティーテーブルの縁に象嵌で描かれた運命の環を叩く。

「魔物が契約者と同化してしまった場合だ。私達の瞳の色が揺らぐのは、魂が人と魔物の狭間で揺れているからなんだ。魔物と融合し、完全に魔物になってしまった者にはそんな揺らぎは無い。だから瞳の色も変わらない」

 ベルノは茫然とミラを見つめた。

「いったい、何がどうなってる?」

「それは私が聞きたいよ」

 ミラはベルノに意味深長な視線を返した。自分と同じ魔物憑きの瞳が怪しく虹色に揺らめくが、ラウルと対峙した時のほうがよほど背筋が冷えた。思い出すだけで胸がざわつく、美しく澄んだ紫水晶(アメジスト)の瞳。魔性というのはあれを言うのではないか。

「どこかの坊やを締め上げて、知ってる事を洗いざらい吐かせるしかないね」

「同感だな」


   †††


 翌日の朝。

 ベルノ達が顔を洗って身支度を整えていると、侍女が現れ食堂へ案内された。

 昨夜もここで食事を取ったが、兵士宿舎の食堂とはいえ、さすがは城の一角である。こぢんまりとはしているが、頑丈な扉に手の込んだ鍛鉄の装飾が施され、天上は木組みのアーチ、奥には暖炉と小さな祭壇まである。

 しかも、樫材のテーブルにはすでに白いクロスがかけられ、香ばしく焼かれたパンと茹でた腸詰に炒り卵、青菜のサラダにスグリのジャムとクリームチーズと林檎の甘煮が、それぞれ山盛り用意されていた。ルーは歓声を上げ、ベルノはまた自分が情けなくなった。

 さて、締め上げるべき獲物に選ばれたのは、もちろんヴィクトルである。呼んでくれ、と侍女に頼もうとした時、丁度、仏頂面のヴィクトルが現れた。一応、客の世話に現れたらしい。不便があれば言ってくれ、と苦虫を噛み潰したような顔で言われた。

 ありがたい申し出はさて置き、ベルノは開口一番切り出した。

「ラウル・セヴラン・ロア・ダンジュール──ガーランド姫の兄貴だな?」

 サアッ、とヴィクトルは顔色を変える。

「バ、バカ者、声が高い! 少しそこで待て!」

 ヴィクトルは慌てて人払いをしに行った。

 自分が呼ぶまでは誰もこの食堂に近付いてはならん、と厳命する大声が聞こえ、なぜか大盆に乗せたティーポットと人数分のカップを持って苦虫を噛み潰したような顔で戻って来た。

 どうするつもりか、と見ていると、意外にも繊細な手付きで、ティーカップに紅茶とミルクを注ぎ、手際よく全員のパンを切り分けていく。そこまでの給仕を終えると、ヴィクトルも食卓の椅子に腰を下ろした。

 なんと、ベルノ達と一緒に朝食を取る気になったらしい。魔物憑きなんぞと共に食事が出来るか、と言いそうな男が……

 竜神殿での出来事は、頑ななヴィクトルにも何かしら考えさせたようだ。

 ベルノは面食らったが、気を取り直して話を元に戻した。

「それで? 俺がガーランド姫から、探し出して殺して欲しいと命じられた相手は、ラウル・セヴラン・ロア・ダンジュールで間違いないのか?」

 ヴィクトルは眉間に深い皺を寄せて、ベルノの眼前に指を突き付けた。

「いいか、貴様、姫様が兄君を探しておられることは内密だ」

「昨夜、会ったぞ」

「は?」

 珍しいヴィクトルの間抜け面が見られた。ぽかんと口を開けている。

「だから、昨夜ラウルに会ったって言ったんだよ」

「なんだと? ラウル様とお会いしただと!?」

 ヴィクトルは真っ蒼になって立ち上がった。ガタンと椅子が倒れ、ティーカップが揺れて紅茶が零れる。ああ、とルーがもったいなさそうな声を出す。そんな子供の様子に構う余裕も無いほどヴィクトルは度を失っていた。

「そんなバカな……あの方は二年前の夏に亡くなったはずだ……」

 猛々しい男が、顔色を失って冷や汗を流しながら身を震わせる。ルーが呪いや幽霊を怖がっているのとは様子が違う。ヴィクトルの震えには悲哀が含まれている。

「……いったい何の話だ? あいつが死んだだと? つうか、おまえは、ガーランド姫が誰を探していたか知ってたんじゃなかったのか?」

「いや……いや、違うのだ。俺は、あの方はよもや生きてはおられまいと……ただ、そんな事は姫様には申し上げられなかった。俺はこの目で見たのだ。あの方が、どうしようもなく衰弱し、息を引き取る直前の様子を……」

「なんだって!?」

 ラウルが死んだはずだと? なんなんだ、いったい。

「ヴィクトル、きちんと話を聞かせてくれ。事ここに及んで隠し事は無しだ」

 ミラが軽く腕を叩くと、硬く握りしめていたヴィクトルの両手から力が抜けた。血の気は失せたままだが、なんとか冷静さを取り戻し、倒れた椅子を元に戻して座り直した。

「ルーティリンガルを部屋に戻してやってくれ。子供に聞かせられる話ではない」

 子供呼ばわりされたルーは即座に抗議する。

「ちょっと! ボク、もう大人だよ。ベルノと一緒に仕事だってして来たんだから。ベルノはボクになんだって話してくれるよ。ヴィクトルさんもボクを子供扱いしないでね!」

 えいっ、とポーズを決めてルーはふんぞり返る。子ども扱いは許せない。と言うか、まだ朝食に手も付けていない。こんな美味しそうな食べ物を前に退散するわけにはいかない。

 ヴィクトルは黙って首を横に振った。

 これはダメだ。ルーが居ては彼は話し始めないだろう。ベルノが仲裁に入る。

「ルー、頼む。少し席を外してくれ。必要なら後で俺が話して聞かせるから」

「もうっ。子供扱いしないでって、いつも言ってるのに」

「分かってる。今はこいつが話しやすいよう気を遣ってやってくれ。大人なら出来るだろ?」

 言いながら、大皿一枚に料理を山盛り取り分け、もう一枚にはパンと甘い物をやはり山盛り乗せてやると、ルーは少し機嫌を直したようだ。

「しょうがないな。じゃあ、ヴィクトルさん、ひとつ貸しだからね」

 たっぷりの食糧を乗せた大皿二枚と、ナイフとフォークにスプーン、更にミルク入りの紅茶が注がれたティーカップを欲張って二つお盆に乗せて、ルーは宿泊用の部屋に戻って行った。

 ベルノはちょっとだけ、いや大いに、ルーの躾を間違えた事を後悔した。


   †††


 はあ、と溜息を吐き、ベルノはヴィクトルに向き直った。

「そもそも、事の発端は何だったんだ?」

 ヴィクトルは沈痛な表情で重い口を開いた。

「四年前の春、先々代のダンジュール侯爵が毒殺された。醜い権力闘争だ。侯爵位を奪おうと、弟が、兄とその妻子の毒殺を謀った。ご夫妻は亡くなり、子供達は生き残った」

「その生き残った子供達というのが、ラウル様とガーランド姫か」

 ミラが質すと、ヴィクトル唇が小刻みに震える。

「そうだ。本来であればラウル様が侯爵位を継ぐはずだったが、まだ十五歳だった事を理由に、嫡子が成人するまでという条件で叔父上のオーギュスト様が爵位に就かれた。その後、ラウル様とガーランド様は、教育の為と称して別々の神殿に預けられたのだ」

「ちょっと待て! ラウルとガーランド姫の両親を毒殺したのは、その叔父のオーギュストなんだろう? なんでそんな奴が罪にも問われず侯爵の位を継げたんだ?」

 思わず卓を叩いたベルノに、ヴィクトルは力無く首を振った。

「誰もが犯人は明らかだと思っていたが、証拠が無かった。それに、オーギュスト様は事を起こす以前から、当時の侍従長と兵団長を懐柔し近衛兵をも掌握していた。どこの誰が、そうも身を固めた高貴なお方を弾劾できる?」

「それは……」

 悔しいが、不可能だ。(はらわた)の煮えくり返る事実だった。

「二年前の夏、幽閉されていたラウル様をお救いする為に、我々は竜神殿に忍び込んだのだ。ガーランド姫は女性であるが故、そもそも爵位の継承順位が叔父君より低かった。脅かされる心配が無いせいか、姫への待遇はまだ良かった。しかし、ラウル様は先々代侯爵の直系の男子なのだ。継承順位も、当然、叔父君より上だった。その為に……」

 ヴィクトルの声が再び震えた。

「実の兄君を弑逆して侯爵位を簒奪した叔父君の命で、預け先を転々と変えられた挙句、地下牢に幽閉されていたのだ。半年近く、ほとんど打ち捨てられた状態で──」

 ヴィクトルには、それ以上は言えなかった。筆舌に尽くしがたい状態だったのだ。地下牢の扉を破り、ようやく救出したラウルは、自力で立つことすら出来なくなっていた。

 ベルノは知りようも無い事であったが、七年前、宝物を遺失した罪で廃官された神殿の長に変わり、オーギュストの息の掛かった神官が竜神殿の長になっていたのだ。それが、まだ大人の力を持っていなかった侯爵の嫡男に最悪の結果をもたらした。これもまた運命の皮肉。ベルノが女神の剣を手にしなければ、流れは変わっていたかもしれない。

 半年もの間、ラウルは粗末な食べ物とわずかな水だけを与えられ、人の尊厳を根こそぎ奪われ、汚濁塗れの穴に、生きたまま埋葬されていたのだ。汚れるに任された身は痩せこけ、髪と爪は異様に伸びて、皮膚は病で爛れ、血と膿が全身から滲み出し、美しかった紫水晶の瞳は白く濁り盲いていた。わずかに片方の耳で救出に訪れた騎士達の声を聞きとり、力無く頷くのが精一杯だったのだ。吟遊詩(バラッド)に妖精の子と歌われた程の美貌が見る影もなくなっていた。

 あまりにも惨い仕打ち。獣にも劣る鬼畜の所業。

 これが人間のする事かと、同志は皆、大声を上げて泣いた。

「夏至の直前に、竜神殿の下働きからラウル様が地下牢に幽閉されているという事実を知らされた。俺は、忠誠心の厚い騎士から有志を募りラウル様救出を決行したのだ。しかし、間に合わなかった。あの方はもはや衰弱しきっていた。どうすることもできなかった。体を浄めて差し上げた後、少し休みたいと仰ったので、湖畔に布を敷いて横たえさせて頂いた。そっとしておく為に、我々はほんのわずかな時間その場から離れた。同志は皆酷く動揺していた。我々にも少し時間が必要だったのだ。だがその時、湖から物凄い光が立ち昇って……慌てて駆け戻ったら、ラウル様は消えていた」

 ヴィクトルと仲間たちは声を嗄らして探したが、どうしても消えた主の痕跡は見付けられなかった。ただ、血膿の染みが残る敷物の上に、ぽつんと若き竜の刻まれた指輪だけが残されていたのだ。それが、ガーランド姫が「持ち主を探して欲しい」とベルノに託した竜神殿の高位神官の指輪であり、信じ難い非道を働いた神官長が初見の夜におためごかしで公爵嫡男の指に嵌めた品だった。

 場は水を打ったように静まり返った。悲惨で凄絶なラウルの身の上に、ミラは痛ましい表情を浮かべて沈黙し、ベルノも拳を握りしめたまま何も言えなかった。


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