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【第二章・少女侯爵】07

 閃光が煌めき、ゴウッ、と青い炎が渦を巻いた。古代文字の多重環。目映い光が辺りを包み、巨大な魔方陣がゆったりと廻り始める。

 空気が震える。雷のような咆哮が周囲を征服するように轟いた。

 青いエーテルを纏った漆黒の獅子が顕現する。

「アルヴァ……」

 ホッとしたその瞬間、戦斧を撃ち込まれた。

「早くっ! 急いでそいつをやっつけるだあっ!」

 ばづんっ、と派手な炸裂音がして鞘が粉々に砕ける。破片が頬に傷を付け、前髪が舞い上がった。ステップを踏んで二歩下がる。だが、もう押されはしない。

「あっぶねぇ……ったく、頭に来る。アルヴァ、この木偶人形を吹っ飛ばしてくれ。邪魔だ!」

 巨大な漆黒の獅子と対峙すると、戦斧遣いの巨魁すら小さく見える。敵はアルヴァの放つ光に慄いた様子は無い。それどころか振り向きもしなかった。無感情に暗い穴のような眼差しでベルノを見据えたまま、アルヴァの振り上げた巨大な前脚で張り飛ばされ、呆気なく、木屑で出来た木偶のように真横に吹っ飛び、そのままブワッと空中で黒い砂になって消えて行った。

 後に残った戦斧が弧を描いて敵の陣中に突っ込み、巻き添えを喰らった幾体もの敵が黒い砂と化す。

 ガラランッ、と重い金属音が響いた時には、戦斧の通った道に空間が開けていた。

 アルヴァは盾になるように、ベルノの前に立つ。

 城塞のような威圧感。

 にやり、と不敵にベルノは笑った。

「アルヴァ、俺の剣を寄越せ」

 もう鈍昏(なまくら)には懲り懲りだ。幸い、敵は人間ではない。遠慮は無用。

 ぐおんっ、と激しい衝撃波が駆け抜けた。アルヴァが再び咆哮したのだ。

 獣の王の咆哮に呼応するように、宙に青い光の亀裂が走る。空間が引き裂かれ、侵食されていく。ひび割れたガラスが自壊するようにパキパキと世界の裂け目が広がる。剥がれ落ちた光の欠片がキラキラと舞い落ち、刹那、燃え上がって消えて行った。花が散るように。

 異界へ開いた穴から青い炎が噴き出す。

 一際眩い光を放って、渦を巻く炎に包まれた麗しい剣が姿を現した。

 ──金と銀と黒の華麗な長剣だ。

 黒地の鞘には金銀と蒼石で蔦と花の意匠の華麗な装飾が施され、柄には大ぶりの黒曜石に似た宝珠が輝いている。それは複雑にかけられた古代魔法の共鳴現象をとめどなく起こしている。濡れたように輝く肌の内側は魔力と法術の嵐だ。漏れ出す魔力が、黒く輝く石の周辺にチラチラと青い稲妻と火花を散らせる。柄を握れば遣い手の腕に魔力の稲妻が絡み付く。

 伝承によれば、千年、誰ひとり、柄を掴む事すら出来なかった神剣だ。ベルノは抜いた。剣が台座から持ち上げられ、あまつさえ鞘から引き抜かれる様を見た当時の神官長は、神殿の存在意義とも言える宝物をまさに目の前で盗まれようとしているのに、いや、一瞬前まではベルノに槍を突き付け罵倒していたというのに、『その剣はあなたのものだ』と宣言し、深々と平伏した。

 飲み仲間だったジルから、魔物憑きのおまえでも呪いの掛かった魔剣は怖いか、とからかわれ、なぜか意地になって神殿に盗みに入った。魔が差したと言おうか、まるで神意か何かに操られているような──ベルノにしては珍しい、無意味な戯れだった。それが大事になって、挙句、ダンジュールから逃げ出す羽目になった。あのまま此の地にいたら魔物憑きの神官長などという前代未聞のものに祭り上げられていただろう。

 そんな経緯でベルノの所有になったのが、彼曰く何でもバターみたいに斬れる剣であり、由緒正しき竜神殿の至宝、切断の呪詛(カース)がかかった魔法剣『アルフィニアの(つるぎ)』だ。

 躊躇せず宙に浮かんだ剣の柄を握る。青い稲妻がベルノの腕を這い上がる。肉体の内に雷鎚(いかづち)の触手が入り込み不快感が生じるが、痛みは無い。違和感が消えると同時に、あらゆる感覚が加速され、眠っていた脳の奥が覚醒するような快感が来る。

 軽い。自在だ。剣先まで知覚できる。まるで己が体の一部のように。

 手に馴染む──とはこの事をいうのだ。癖になりそうで遠ざけていた。この剣を味わってしまったら、他のあらゆるものが味気ない。

 ああ、とベルノは溜息を吐く。

 リンッ、と澄んだ鈴のような鞘鳴り。

 抜き放たれた刀身は硝子のように透き通り、薄青い光を放っていた。フラーには女神の戦言葉が黄金で象嵌されている。

『我が成すは至高の正義 雷鎚(いかづち)の子よ 嘆きを退けよ 我と汝が敵を討ち滅ぼせ──』

 片腕で斜めに一閃振り下ろす。剣の軌道が光の残滓となり青く尾を引いた。

 ゆっくりと足を踏み出し、一呼吸。肺が満ちたところで、だらりと剣を握った手を下げたまま駆け出す。スッ、と石畳に剣先が触れた。白い路の上に一筋、滑らかな斬傷が走る。水でも斬っているようだ。いや、もっと軽い。摩擦は起きない。ただ、青い稲妻が弾ける。

 無造作に敵に接近し、振り上げる剣で胴を薙ぐ。敵は大剣で斬撃を受け止めようとするが、まるで柔らかいバターのように鋼の大剣が斬り裂かれ、攻撃は胴に達した。ザアッ、と黒い砂が崩れ落ちる。

 剣舞でも舞うようにベルノはステップを踏み、次々と敵を斬り捨てていく。操られているなりに、みな一様に剣や槍の柄、戦斧を盾に構えるが、意味が無い。ほんの一瞬も、ベルノの剣の勢いを殺ぐことは出来ない。そこに何も無いかの如く斬り裂いていく剣なのだ。

 ──これが切断の呪詛(カース)

 瞬く間に、二十体ほどが黒い砂に還った。

「あ、あああ、あんた……そんな魔力の強い剣を持ってるだなんて、オラ、ご主人様から教えてもらってないだよ。ずるいだ。そんな剣を使うのはインチキだで!」

 ゴーシュは口角の泡を飛ばして的外れな文句を喚いた。ベルノは鼻で笑う。

「なにが、インチキだ、このクズ野郎。てめえの使ってる術も充分インチキだろうが!」

「ああっ、ひでえっ。ひでえだよ、あんた。オラ、インチキなんかしねえだ。ご、ご主人様にちゃんと屍人で戦って来いって言われただよっ! オラ、オラ、ちゃんとやってるだっ!」

「まったく、なんなんだ、こいつは……」

「こいつじゃねえっ。オラにはゴーシュっつう立派な名前があるだあっ!」

 キレて絶叫し、両腕を上げ、交差するように振り下ろす。

 屍人達がドッと勢いを増して襲い掛かってきた。巨大な波のようだ。

 実に惜しげが無い。物量圧しで押してくる。ほぼ無手の屍人で肉の壁を築き、それでベルノを押し潰そうとしてくる。戦術としては最低の悪手だが、疲弊させられる。

 いちいち斬るのは面倒だ。

「薙ぎ払え、アルヴァ──っ!」

 漆黒の獅子が咆哮する。アルヴァが首を一振りすると、衝撃波が光の壁となって疾駆する。石畳を爆砕しながら巨大な一撃が駆け抜ける。人の形をした者達も、雑草が刈り取られるように横薙ぎに吹き飛ばされていく。黒い砂はもはや煙幕のようにもうもうと舞い上がる。

 二撃、三撃、同じ光の壁が疾駆する。

 アルヴァの咆撃が討ち漏らした敵を、ベルノが軽く剣を振り抜いて片付けていく。

 わずか数呼吸の後。もはや立ち塞がる屍人は残っていなかった。

 仕上げとばかりにアルヴァが低い唸り声を発し、後に残った黒い砂を残らず焼き払った。

「スッキリしたな……」

 ヴィクトルが複雑な表情で呟いた。口には出さないが、敬意を表す、と顔に書いてある。

「あ、ああ、ああああ、あんた、なんて事してくれただっ! 大事な屍人達を、ぶっ壊しちまった上に、みぃんな燃やしちまって。火で焼かれちまったら、もうこいつらは操れねえだ。オラ、オラ、きっとご主人様に怒られるだよっ!」

 ゴーシュは、わっと両手で顔を覆うと、子供のように大声で泣きじゃくった。

 信じられない。これが本当に敵なのか?

「誰か、こいつをどうにかしてくれ……」

 助けを求めて近衛兵達に視線を向けるが誰も近寄って来ない。当たり前だ。ゴーシュは言うまでも無く、ベルノも、直前まで恐ろしい魔力を振るって戦っていた魔物憑きなのだから。

 仕方なくベルノは自分の頸に巻いていたスカーフをゴーシュに投げてやった。それで顔を拭け、という意味だ。ゴーシュはスカーフを投げられた意味が分からず、ただ、物を投げつけられた、という様子でビクッと身を竦ませた。

「拭けよ。みっともないから泣くな」

「あ、あぐぅ……?」

 意味が分からないのか、ベルノのスカーフを掴んだが、ただ握りしめている。

「なあ、おまえ。ゴーシュって言ったか? そんなにご主人様に怒られるのが嫌なら、戻らなきゃいいだろ。魔物憑きなんだから、どこへでも好きなところへ行けるだろ?」

「そんなこと、オラ、わからねえ。どこへでも行けなんて追い払われたら悲しいだあっ!」

「ズレてるなぁ。好きなところへ行って好きな事が出来るって意味だろうが」

 ぽかん、とゴーシュは口を開けた。そうすると益々ヒキガエルに似てしまう。大粒の涙をボロボロ零しながら不思議そうにベルノを見上げた。

「オラ、好きな事して良いんだか?」

「当たり前だろ。あっ、ただし悪い事はダメだ。人を困らせたり、騙したり、攻撃したりはするな……って、俺が言う筋合いは無いけどな」

 言いながら恥ずかしくなってきた。なんで敵に説教なんかしなきゃならないんだ?

「ったく、おまえはなんなんだ。調子が狂う」

 キンッ、と澄んだ鞘鳴りを響かせて剣を鞘に戻す。もうゴーシュに戦意は無い。無視していいだろう。ゴーシュに背を向けて、ほんの先刻まで折れた剣と砕かれた鞘が収まっていた安物の剣帯に、この世にまたと無い至宝──絢爛豪華な女神の魔法剣を吊るした。不釣り合いだが、当面はこれより他にしようがない。青い稲妻がまだ宝珠の周りにパチパチと散っているが、だいぶ光は落ち着いていた。

 ベルノはわざとらしく、ごほん、と咳払いをしてから声をかけた。

「ルー、もういいぞ、出て来い」

 ルーは人垣から走り出してきてアルヴァの柱のような前脚に抱き付いた。アルヴァは体の大きさを縮め、やや大きめの獅子のサイズになってから、ルーの頬を舐める。

「アルヴァ、くすぐったいよ」

 気になって振り向くと、金色の蝶の群れを従えた屍人使いのゴーシュは消えていた。


   †††


 ベルノ達が神殿に背を向け出て行った後、神殿の薄暗い拝殿の陰で、くすりと忍び笑いを漏らした者がいた。黒いローブを纏った細身の人影である。すっきりとした体のライン。少年か、まだ若い青年のようだ。

 じっと物陰に潜み、ベルノ達の戦いをこっそりと盗み見ていた。

 そこに金色の蝶を従えた屍人遣いのゴーシュが現れ、ひっ、と惨めな悲鳴を漏らすと、黒いローブを纏った人物の足元に身を投げ出すように這いつくばった。

「すまないだ。すまないだ、ご主人様っ。ゴーシュはあいつをぶっ殺せなかっただあ」

 足に縋りつき、ボロボロと涙を零して許しを請う。

「気にするな、ゴーシュ」

 黒いローブの男は冷たく蔑むように笑った。

「最初から、おまえに彼が倒せるとは思っていない。それに、ガーランドを傷付けてもらっても困ったんでね。これでいいんだよ。目当てのモノの在り処は分かった。十分だ」

 ゴーシュは不思議そうに首を傾げた。今まで何人ものご主人様に仕えたが、言いつけを守らなかったゴーシュを殴らないご主人様は初めてだったからだ。

「奴らを追うぞ、ゴーシュ。もっと近くで『女神の剣』を確認したい」


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