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【第二章・少女侯爵】06

「誰だっ? 卑怯だぞ、姿を現せっ!」

 金色の蝶が反応した。元は美しい生垣だっただろう沈丁花の茂みの上を、環を描いてせわしなく飛び続け、突然、ぶわっと金色の光が膨れ上がった。

「増えたぞ!」

 数千、数万の金色の蝶の群れが、竜巻のように渦を巻いて立ち上がる。金色の鱗粉が、砂嵐になって辺りを包む。目も開けられない光の乱舞。

「毒かも知れない。吸い込むなっ!」

 鼻と口をスカーフで覆って叫んだが、間に合ったのかどうか。ベルノ達は金色の光にもみくちゃにされ、抗う術も無く蹂躙された。やられる、と危うく覚悟を決めかけたのだが、金色の嵐は始まったのと同様に、突然止んだ。ぴたり、と。

 後を振り向くと、幾人かが酷く咳き込み膝を着いてはいるが、誰も致命傷は負っていないようだ。毒に苦しんでいるような者もいない。

 遅行性の毒なのだろうか、とも思ったが、ミラに視線で訊ねると、首を横に振られた。

「毒じゃないのか?」

「違う、別の攻撃だ……あっ、気を抜くな、ベルノ!」

 ミラが鋭く叫び、背後を指差す。ベルノが振り向くと同時に陽射しが陰った。いつの間に現れたのか、熊のような大男がぬっと立ち塞がっていた。

「誰だ、てめえ!」

 反射的に剣を抜き、眼前に突き付けるが、大男は何も反応を示さない。切っ先が見えていないかのように、呆けた顔でただ突っ立っている。

「なんだ、こいつ……?」

「うわあっ、なんなんだ、こいつらっ?」

「どこから現れたっ?」

 騎士達の悲鳴。見れば、辺り一面、大男と似たような表情の無い不気味な男達が、幽鬼のように突然立ち現われて、目の前でどんどん増えて行く。一瞬前まで何も無かった場所に、染みのような黒い影が生じ、それが盛り上がり人型を取るのだ。

 見たことのある神官衣を纏っている。この神殿の神官達だ。いや、だったというほうが正しい。一様に生気の無い蒼白い顔をして、意思の光を失った澱んだ目をしている。彼等はそれぞれ、剣や槍、戦斧を携えていた。

 直感的に理解する。生きた人間ではない。

 屍人だ──

「簡単に立ち去らせてはくれないみたいだな……」

 あっという間に、一個中隊──二百人ほどの武器を持った輩に包囲されていた。

「恐ろしい。こんな事が現実に起こるとは……」

「女神アルフィニアよ、どうか我等をお護りください……」

 祈り始めた騎士までいる。ちっ、とベルノは舌打ちした。

 その時、いずこからか、酷く訛りのある異様なダミ声が降りかかった。

「お初にお目にかかるだ。オラ、屍人使いのゴーシュっつうもんだ」

 声の聞こえた高所を仰ぎ見ると、神殿中央の正祭壇へ昇る大理石階段の頂に、ボロボロの皮のマントを被った、ずんぐりとした小男が立っていた。

 全員が、ぎょっと息を飲む。

 ゴーシュと名乗ったその小男は魔物のように醜かったのだ。卑屈そうに背を丸めて太鼓腹を庇っている。頭部が妙に大きい。大き過ぎる靴を履いた足は短く、膝が異様に外側に開いてしまっている。靴同様、不釣り合いに大きな両手と、奇怪に歪んだ長過ぎる腕。ぎょろりと横に飛び出した両目。潰れた鼻。大きすぎる口。ヒキガエルを思わせる醜い面相だ。

「あんたらには恨みはねえだが、ご主人様がぶっ殺せって言うだで、オラ、オラ、ご主人様に怒られたくねえだ。あんたら、知らねえだろうけども、ご主人様はすげえ強くておっかねえんだ。オラ、あんましおっかねえ目には遭いたくねえ……」

 ゴーシュは独り言のような事を大声で喚き立てた上、更に声を張り上げた。

「あんたら、すまねえけども、オラの為に死んでくれろっ!」

「なるほど。あいつをぶちのめせばいいんだな」

 ベルノがゴーシュを睨み据えると、どういうつもりか、ガーランド姫がベルノの横に並んで剣の柄に手をかけた。

「援護します」

「下がってろ、バカ。女は邪魔だ!」

「しかし……」

「足手纏いなんだ。下がっててくれ!」

「姫様……」

 ルーとミラに腕を引いて促され、ガーランド姫は眉根を寄せ、きゅっと唇を引き結んだ。それから、迷いを断ち切るように深く頷き、胸を張る。

「はい。頼みます。ベルノ・グランディス」

 ぽんっ、と軽く肩を叩かれた。なんと、侯爵位を持つ高貴な姫君が、穢らわしい魔物憑きの自分に触れた。妙な気分だ。心の奥にさざ波が立つ。

 ヴィクトルは苦虫を噛み潰したような顔をしてベルノの側に残った。

「俺は戦うぞ」

「いや、あんたも余計な手出しはするな。ヴァンディール同士の闘いに人間は邪魔だ」

 ヴィクトルは返事をしなかった。仕方がない。頑固者は無視だ。勝手に騎士連中に命令する。

「円陣を崩すな! 姫様と自分の身を守る事だけに専念しろ!」

 それから、ミラとルーのほうを指差して付け足した。

「俺の連れを頼む! しっかり守ってくれよ。あっ、ちなみにルーは人間だけど、黒髪のお姉様はヴァンディールだからな! 気を付けてくれよ!」

「えっ!? わ……分かった。任せてくれ!」

「その間はどういう意味だい?」

 どもって答えた騎士とベルノをぎろりと睨んで、ミラはベルノに手を振った。

「とっとと片付けな」

 簡単に言ってくれる。

「ベルノ!」

 ルーが不安げな顔で縋るように声を上げた。

「そこにいろ。大丈夫だ」

 片手を上げてガーランド姫の側へ下がらせる。そのほうが戦いやすい。

 冷たい鞘鳴りを響かせて腰のロングソードを引き抜く。一閃、斜めに振り抜いて剣の握りを確認する。古い質流れ品にしては悪くない。イケるはずだ。

 正直、ベルノは剣の腕に自信が無い。お世辞にも剣筋が良いとは言えない。ただ、致命傷を負えば死ぬ人間と違って、簡単には死なない自分の方がマシだろうと思っただけだ。

 あまりにも敵が多過ぎる──

 とは言え、まったく勝機が無いわけでもない。冥府へ向かった者の映し身を無理やり此の世に作り出された彼等は、所詮、影でしかあり得ない。一部の邪教の信者から奇跡と讃えられる魔物の力をもってしても、『失われた魂』を再生することは出来ないからだ。いかなる魔力をもってしても、死んだ者は呼び戻せない。それが出来るのは、ただ神のみ。

 数は多いが、知恵を使って攻めてくる人間の軍勢を相手にするよりは楽なはずだ。

 正眼に構えて敵の動きを睨み据える。

 バサッ、とマントを投げ捨てる音が響き、ヴィクトルも剣を抜いた。

「おい……」

「何も言うな。貴様だけに手柄を与えるわけにはいかん!」

「どうなっても知らないぞ……」

 右から大剣を構えた男が斬りかかってくる。剣筋は鈍い。一歩前へ踏み込み、刃の中程で受けていなす。力を下方に流しながら、敵の脇腹に蹴りを入れると、簡単に吹っ飛んで地べたに転がる。

 どさりと倒れたまま、その男は動かなくなった。

 あまりの呆気なさにぎょっとしたが、次の瞬間、男は突然、黒い砂になって崩れ去った。ザアッという枝鳴りに似た音が響き、瞬く間に人の形が失われる。

「なんだ、こいつ……?」

 次は両側から槍を持った男が襲ってくる。やはり動きは鋭くない。ベルノが避けると、二人は相討ちになって、お互いの腹を槍で深々と穿ったまま、ザッと黒い砂になって崩れ落ちた。しかし、黒い砂は、もぞもぞと身じろぎするようにのたうち、やがて元の形を取り戻して立ち上がった。

「うげっ、再生するのかよ。際限が無いな!」

 敵は倒されても黒い砂に変じ、また形を取り戻して襲って来る。動作の鈍さと言い、感情の無い胡乱な表情といい、魔術で操られている屍人は大した脅威とは思えないが、いかんせん数が多い。このまま物量で押され続ければ、体力が尽きて、いずれはやられてしまう。

 ヴィクトルに背を預ける形で防戦に追い込まれる。

「貴様、大口を叩く割には弱いな」

「うるせえ。あんたは強いな。でも、気を付けろよ。人間は大怪我したら死ぬんだからな」

「忠告か? 魔物憑き風情が図に乗るなよ」

 ぜいぜいと荒い息つきながら、なおも厭味を言えるとは、良い根性だ。

「ああ、もうっ……見ていられないね!」

 ミラの鋭い叱責。同時に、背後でどよめきと赤い光が弾ける。シャキルを呼び出す魔方陣が展開された──ミラが願いを使ってくれたのだ。

「ベルノ、火だ。燃やしちまえば、そいつらは再生できない。黒い砂を焼き払え──!」

 白い蛇を従えたミラの怒声が飛ぶ。

「そんなこと言ったって……」

 アルヴァを呼び出せば可能だが、隙が無い。

 虚ろな目をした襲撃者達は、ほとんど無策で打ち掛かってくる。一体一体は動きが鈍重なので脅威にならない。避けるまでも無く、武器を振り上げている隙に打ち倒すか、蹴りつけるだけで、次々と黒い砂になって崩れ落ちていくのだが、数体同時に襲い掛かられ、それが間断なく続くのだ。息をつく間もない。

 ガーランド姫を中心に円陣を組んでいる騎士達も状況は同じで……

「くそっ、ゴーシュとか言ったか。あの野郎、嫌らしい攻撃をしてきやがる」

 吐き捨てた時、敵の動きが変わった。ベルノと間合いを取りじりじりと半月陣を組むように下がっていく。相変わらず襲撃者達の目に意思の光は無いのに、決闘者を取り囲む『檻』のような、逃がさない事だけを念頭に置いた布陣だ。

 ベルノを取り囲んでいる人垣が割れ、巨魁がぬっと進み出た。神官衣を纏ってはいるが、その肉体は異彩を放っている。盛り上がった筋肉は、神官というよりは剣闘士のものだった。手には鉄塊のような戦斧が握られている。

「おいおい、冗談だろ……」

 マズイ、と思った瞬間、風を巻いて戦斧が振り上げられた。

 速い──

 剣を盾に敵の戦斧の一撃を受ける。がづんっ、と骨が軋むような激しい衝撃が来た。がづん、がづん、がづん、と攻撃は幾度も撃ち下ろされる。息つく間も無く受け手に回らされる。

 重い。よくもこの巨大な戦斧をこのスピードで振り回せるものだと呆れる。狙いも正確で、隙が無い。人形遣いと同じ理屈なのかもしれない。多数を同時に操るよりも、一体に集中した方が、攻撃の精度も強度も増すということか。

 ぶうん、と耳元で風が鳴った。慌てて剣を合わせる。がぎん、と耳がおかしくなりそうな衝撃音が轟き、火花が散る。砕けた刃の破片が頬を掠めて飛んで行った。焼けるような痛みが奔り、一筋、血が流れ落ちた。

 危うく首を飛ばされるところだった。

 屍人を操っているゴーシュが遅まきながらに巧手を見極め始めたのだ。戦斧に巨魁の体重を乗せて、このまま押し切ろうとしている。必死にこらえるが、抗しきれない。力を受け流そうにも、真っ向から受け過ぎた。じりじりと圧倒されていくうち、刃がピシピシと小さく砕け始めた。

 嫌な予感。ヤバイ、と思った次の瞬間──ミシッ、ピキピキッ、と聞き覚えのある音。

「嘘だろ……」

 バキンッ!

 硬質な破砕音と共に白刃が宙を舞った。

 信じがたい事だが、折れた。剣が。また──っ!

「俺は剣を折られ過ぎだろ~~っ」

 咄嗟に地面を転がって避けたが、ベルノがさっきまで立っていた場所に大穴が開いていた。石畳が粉々に砕かれている。なんという馬鹿力だ。

 それにしても有り得ない。わずか十日ほどで二度も武器を失ってしまった。〝どうしてそんな鈍昏(なまくら)を下げている〟とミラになじられた時に換えておくべきだった。

「ああ、もう……っ」

 ベルノは折れた剣の柄を投げ捨て、剣帯に挿した鞘を引き抜いてそれを構えた。間に合わせだ。この際、しかたがない。

 ゴーシュは用心深く眼を細めた。ベルノの奇妙な行動に不安が生じたのだ。

「あんた、いったい、何するつもりだ?」

 おっ、と思わずベルノはほくそ笑んだ。ゴーシュは身を乗りだし、屍人の操作から気を逸らした。願っても無い隙が生じたのだ。

「悪いが女連れなんでね。出し惜しみはしない」

 言って、ベルノは視線を虚空に定める。

「来いっ、アルヴァダーナ──っ!!」


   †††



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