電子決済アプリの名前を考えるためだけの会議
「本日は議題は来年リリースするスマホ決済アプリの名前についてです」
「「「おおー!」」」
司会進行役のメガネが議題を言うと意味もなく木田、林田、森田の三人が歓声をあげた。この三人はただの社長の金魚の糞である。仕事はできない。ノリだけが取り柄である。歓声をあげたものの三人とも内容を把握していないためお互いに顔色を伺いあっている。
天然木の天板の大きな大きな長机。本革張りで座り心地のいいオフィスチェア。天井には幾何学模様の形をした照明。ここは社長の好みをそのまま形にした会議室。会議室には司会進行の七三メガネ、金魚の糞トリオ、アプリ開発チームのリーダー、広報部長、そして社長の7人が顔を並べている。
「本日の会議はアプリの名前が決まった段階で終了となります。そうですよね社長?」
「そうだ。決まるまでだ。念のため私は今日のスケジュールを一日空けてきたから何時間でも大丈夫だ。さあ始めてくれ」
メガネが右手でくいっと眼鏡を上げながら神妙な顔で質問すると高級感漂う茶色いスーツを着たぽっちゃり系の中年社長がふんぞり返りながら進行を促した。
「あの、すみません、始める前に教えてください。私、ついさっき電話で呼ばれて来たんですがこの件初耳なんです。そもそもいつうちが電子決済アプリなんて作るって決まったんです?」
広報部長が手を挙げながら質問をすると会議室は水を打ったように静まり返った。トリオは顔を見合わせたが三人の中に知る者がいないとわかると石像のように固まり存在感を消した。そして自分に話が振られないよう心の中で天に祈った。
「たぶん昨日決まったんですよ。『さっき思いついたんだが頑張ってくれ』って社長に喫煙所で言われました。たしか昨日の16時頃ですね」
そうあっけらかんと言ったのは「アプリ開発チームリーダー」と書かれたネームプレートを首に下げる三十路天然パーマ。右手には何故かエナジードリンクの缶を握りしめている。
「そんな急な……あの、キャッシュレス決済戦国時代は過ぎたとは言え参入するにはハードルがかなり高い気がするんですが……」
心配そうな広報部長。上の空のメガネ。リアクションに困るトリオ。エナジードリンクを飲むアプリ開発チームリーダー。空調の音だけが会議室に響く。
「ピンチはチャンスだ。ハードルが高ければ高いほどそれを乗り越えた時に得られるものは大きい。そうは思わんか?」
したり顔の社長。使い古された言葉にも関わらず何故かオリジナルの名言を言ったような顔をしている。
「「「その通り! 名言ですね!」」」
心を打たれたわけではないがとりあえずよいしょするトリオ。よいしょされて社長の気分が5上がった。社長のトリオに対する好感度が3上がった。広報部長の会社に対する不信感が100上がった。
おほん。メガネが一度咳払いをして話し始める。
「進めますね。さて、名前を決めるにあたり社長から制限を1ついただきました。制限の内容は『パピプペポの5文字の中から必ず1文字使うこと』です」
「「「おおー!!」」」
意味もなくトリオが歓声をあげる。
「どうしてパピプペポなんです?」
我慢しきれず聞いてしまう広報部長。一方興味がない開発チームリーダーは空になったエナジードリンクの缶を眺めている。特にやることがないので原材料名を何度も何度も読み返して暗記し始めた。
おほんおほん。社長が咳払いをして話し始める。
「濁音の名前は強そうに聞こえると聞いたことがある。某怪獣映画の名前がそうだ。そこで考えた。たくさんの人にかわいいと思ってもらえる名前にするには半濁音を入れるべきだと」
「「「おおー!!」」」
トリオが再び意味もなく歓声をあげる。
「それに考えてみろ。パピプペポからはじまる単語は国民が好きなものが多いだろう。例えば『パ』。パプリカ、パール、パープル、パン、パーカー、パセリ、パーカッション……」
「人によりません?」
広報部長が思わず指摘する。
「『ピ』ならピリオド、ピラミッド、ピラルク、ピー子、ピン子、ピカソ……」
「あのピンクとかピーチじゃだめなんですか? 後半人の名前だし」
「『プ』ならプロテイン、プロレス、プロレスラー、プテラノドン……」
「かわいい要素がないんですが。てか、これパピプペポ全部言うつもりですか?」
「『ぺ』ならペナルティ……」
「いきなり1つ……罰則好きとかただのドMでしょ」
「『ポ』ならポルトガル、ポーランド、ポートランド、ポンペイ、ポリネシア、ポストイナ……」
「最後は地名……長々と話したくせに締めのボケが弱い……」
「それによく考えてみろ。キャッシュバックキャンペーンで一気に知名度をあげたあのアプリの名前だって半濁音が入ってるじゃないか。本当はうちのアプリの名前もあれを真似してPayP……」
おほん。メガネが咳払いをして話し始める。
「とりあえず皆さんには今から名前を考えていただきます。これはというものを思いついたら、いや思いついて発表してください」
「あの……ぱたりってのはどうでしょう?」
今まで空き缶を眺めていた開発チームリーダーがゆっくり手を上げながら発言する。会議室内の視線が一気に集まる。
「あ、えっと、アルファベットで『Patari』です」
ひらがなかと思われたら嫌だと思い開発リーダーが慌てて補足する。
「ほう、その名前を推す理由はなんだ?」
社長が腕を組み一層ふんぞり返って質問する。するとそれを見た役立たずのトリオも意味もなくふんぞり返る。
「えっとアプリで代金を支払うことを『パタる』って言えばかわいいだろうなと思ったんです。これなら若者にも浸透しやすそうだなと。理由はそれだけです」
あっけらかんと話す開発チームリーダー。上の空のメガネ。リアクションに困り顔を見合わせるトリオ。転職するならいつから動こうかと考え始める広報部長。そして……
「素晴らしい! 実は私もそれがいいと思っていたんだ。アプリの名前は『Patari』で決定だ。異論は認めない。これにてこの会議を終わろうと思う。いいな?」
社長が大きな声で言い放つ。
「「「問題ございません!」」」
役立たずトリオが間髪入れずに同意すると社長は満足げに頷き席を立つ。するとトリオも慌てて席を立ち会議室のドアを開けに走る。
「それでは本日の会議は以上です。皆様お疲れ様でした」
メガネは誰に言うでもなく会議終了の宣言をすると社長とトリオの退室を見届けた後ふらふらと会議室を後にした。取り残された広報部長と開発チームリーダーは嵐のように去っていった5人をただぼんやりと見ていた。
「あの、ちなみに来年のリリースはスケジュール上問題ないんですか?」
ふと疑問に思った広報部長が聞くと開発チームリーダーは屈託のない笑みをした。
「無理だと思いますよ? そもそも私専門外ですし」
「は?」
「私はもともと経理部なんです。見た目がなんとなくアプリ開発ができそうっていうので抜擢されただけなんですよね。それに……」
「それに?」
「ここだけの話、次の職が決まっているんです。近いうちにこの会社とはお別れです」
「……本当ですか?」
「こんな嘘をつく意味があると思いますか?」
にこにこと話す開発チームリーダーを見て呆れて何も言えなくなった広報部長。しかし広報部長はこの時心の中である決断を下した。
アプリの名前が決まった一ヶ月後、開発チームリーダーが会社を辞めた。
開発チームリーダーが辞めたさらに二ヶ月後、広報部長が複数名の部下を連れて会社を辞めた。
広報部長が辞めた一年後、会社がぱたり (倒産) した。