1番目の婚約解消⑦
コーディル公爵家の執務室は、気品高く、国宝に指定されるほどの彫刻がさりげなく置かれている。屋敷にあっても、宰相を務めるコーディル公爵の執務室には、国内外の重要な書類もあり、入退出は厳重に管理されていた。
公爵家末娘令嬢のアンジェリアでも、普段では簡単に立ち入る事が出来ない場所だ。
ーーータチアナお姉様、セライアお姉様、ギルバードお兄様…、お母様はーーまだいらしていないのね
執務室にアンジェリアがやって来ると、すでに他の兄姉達は揃っていた。皆、表情は固く、どこか張詰めている。
「お父様、遅れまして、大変申し訳ございません。アンジェリア、ただいま参りました」
「うむ。最後に呼んだのがアンジェリア、お前だ。気にせずとも良いーー少し、兄姉達には先に話を説明していたところだ」
ーーー? 私が、まだ幼いから理解が追い付かないという配慮なのだろうか…
アンジェリアは、言い様のない、何やら嫌な予感を感じた。冷たい汗が背中につーっと伝わるのを感じながら、アンジェリアは父親の公爵の眼をじっと見つめて、話の先を待った。
「ふむ、さて、決定事項から伝えよう。アンジェリア、そなたはコーション国の王太子の元へ渡ることになった。それにともない、セーシル公爵家との縁談も白紙となる」
ーーーえ…? は?? コーション国?? お父様、何を言って…!!
一瞬、父親の発した言葉を、アンジェリアの頭が拒否した。いつもは、自分を小さな淑女だと自負していたアンジェリアだったが、高位貴族としての立ち振舞いなど、頭からすぱっと抜け落ちてしまった。
「?! っ!? なぜ?!! どうして!!」
青天の霹靂にアンジェリアは、父の公爵に詰め寄った。そんな末娘の姿を見て、僅かに痛ましそうな表情をしながら話し始めた。
アンジェリアの兄姉達も普段ならアンジェリアの振る舞いをチクチク注意するところだが、押し黙ったまま動かない。
「どこから説明しようかーーアンジェリアには少し難しい話になるかもしれないがーー張本人だからね、耳にいれないでは済まされないだろう」
そう言って、コーディル公爵は少し視線を落とした後溜め息をついた。そして、顔をあげると、アンジェリアに強い視線を向けて説明を始めた。
ーーーきっと、この話は覆す事が出来ないんだわ…
父親であるコーディル公爵の表情から、アンジェリアは奈落の底へ突き落とされたような絶望を感じた。
アンジェリアは自分の手の先まですーっと、血の気が引いていくのを感じなからも、公爵の説明に懸命に耳を傾けた。
「ーーコーション国という名は聞いたことがあるかね? とても小さな資源豊かな国だーー、その国で、近年、サスティアル王国以外では殆ど発掘することが出来なかった魔法石が発掘されたのだ。そして、軍事国家であるベイガザート国が、そのコーション国の魔法石鉱山に目をつけてしまったのだよ。弱小のコーション国などは、すぐにベイガザード国に征服されてしまう……」
「ーーまさか、コーション国がベイガザード国に征服されないために、私にコーション国へ嫁げと?」
アンジェリアは思わず、公爵の説明中も関わらず、いてもたってもいられずに口を出してしまった。アンジェリアの口のなかは、緊張でカラカラに乾いて喉が痛い。
話の途中で口を挟んだ娘を咎めようとせず、静かに呈の頷きを見せると公爵は話を進めた。
「ベイガザート国の軍事力を恐れたコーション国とその連盟国達が、我がガーライド王国へ保護を求めてきていているんだ。ーー実はね、この問題は数ヶ月に渡り、王城でも議論を重ねていたんだ。が、決定的な解決策が残念ながら中々出てこなかった。そんなさなかに、カステール侯爵の姪御殿達が、ベイガザート国の者によって殺戮されてしまったーー」
マチルダ殿の従姉妹達の訃報は聞いているね?ーーと公爵から問われたアンジェリアは動揺しながらもコクりと頷いた。
「…エステリア国の者だと間違われた挙げ句、抵抗したら皆殺しにされたとーーー」
アンジェリアが自分の聞いた話を答えると、公爵は眉間のシワを深めながら頷き、話を続けた。
「人質をとり、エステリア国を脅してまで、魔法石の採掘権をベイガザード国は欲しいのだろう。今回のカステール侯爵家の件はベイガザード国にとっても、予想外な事であったとは思うがね。我が国ガーランド王国としては、自国の貴族縁者を殺害され、そう簡単に見過ごす訳にはいかない。ベイガザード国へは正式な抗議とカステール侯爵家への謝罪、賠償を要求している」
「で、では!! それで良いではありませんか?! ーー何もアンジェをコーション国へやらなくても!!」
コーディル公爵が話に一息つくと、感情を押さえきれなくなった、すぐ上の姉セライアが抗議の声をあげた。父親である公爵に掴みかかろうとするセライアを、長子のギルバードが止めた。
「ーーよさないか、セライア。父上も好きでアンジェをコーション国へやるのではないと、先程も説明しただろうーーきっと、ベイガザード国は、ガーランド王国の苦言だけでは、コーション国ーーそして、魔法石を諦めない。それにコーション国並びに周辺諸国も保護を求めている。このままでは、第2の悲劇も発生するかもしれない」
ギルバードはセライアをなだめながらも遣りきれない思いに、ぎゅっと眉間にシワを寄せた。そんな子供達の様子に少し目を伏せた公爵であったが、アンジェリアに再び視線を戻し説明を続けた。
「ーーギルバードの言う通り、コーション国王はベイガザード国の圧倒的な軍事力に危機感を強めているのだろう。だからこそ、自国により高貴な身分の王太子妃をと考えた。弱小のコーション国に代わって、王太子妃の実家の力でベイガザート国へ対抗するしかないーーとね」
公爵はセライアをギルバードに預けて、アンジェリアの側まで来た。そして、アンジェリアの手を握りしめ、小さくすまないと呟いた。公爵の表情にはやるせなさが滲んでいる。
「ーーコーション国の諜報能力は大したものだーーサスティアル国王と縁のあるコーディル公爵家に目をつけて、お前達、特に娘達を各々調べたのだろう。そして、アンジェリアの魔力に行き着いたーーそして、今回のアンジェリアをコーション国王太子妃にという申し出になったのだ」
公爵が説明を終えると、静かにアンジェリアを抱きしめた。公爵も末の娘を他国に嫁がせる気は、初めは全くなかった。もしもカステール侯爵家の一件が起こらなければ、時間をかけて打開案を模索できていたはずだ。
そんな2人を見ていた、セライアが再び抗議の声をあげた。
「アンジェリアの魔力については国家機密のはずてですわ!! 情報を漏らした者など、王家に連なるものにきまっておりますでしょう? その者を、コーション国へ差し出せば良いのです!! サスティアル国王だって、そう仰るに決まってますわ!!」
セライアがしまいには泣きながら、叔父のサスティアル国王の名を挙げたところで、公爵はセライアに制止をかけた。
「それ以上は、口にしないことだ。我がコーディル家はガーランド王国の筆頭公爵家である。サスティアル国を出しては国を揺るがす事にもなるーーしかし、セライア、お前の言い分は尤もだ。だからこそ、アンジェリアの魔力の情報を漏らした愚かな教会の者達には、昨晩のうちに処罰した」
公爵が静かに告げると、説明不足を補うようにギルバードが話を進めた。
「ーー国教会のトップ、教皇が情報を漏らした事が影の調査でわかったのさ。今頃は地下牢に繋がれ大人しくしていることだろう」
ーーー!! 国教会の教皇様が裏切ったなんて!!
アンジェリアがコーディル公爵の説明をパニックになりながらも、真剣に聞いていると、セライアが諦めきれずに父親に詰め寄った。
「だからって! お父様!! まだアンジェリアは8歳!! コーション国の王太子と言えば、既に正妃も迎え、子供もお二人様いますでしょうに!! ーーなぜ、そんな小さな国の言いなりになど!!」
「セライア!! 少し落ち着こう! 父上、本当に他に解決策はなかったのですか? ーーーそれとも何かコーション国は条件を出してきましたか?」
父親に怒りをぶつける妹をなだめながらも、長男のギルバードが行き場のない怒りを何とか抑えて、公爵に聞いた。
「ギルバードの推察通り、コーション国はガーライド王国に断りがたい好条件を出してきたのだ。今朝方、コーション国の使者が今後のコーション国の魔力石の権利全てを、ガーライド王国に献上すると密書を持ってきた。コーション国の魔法石の埋蔵量はサスティアル王国と比べれば僅かなものだがーーー」
ガタンーー!!
「「タチアナお姉様?!」」
青い顔をして静かに父親の公爵の説明を聞いていた長女のタチアナがその場で倒れた。セライアが、慌ててタチアナにソファを薦め、医者を呼びに部屋を出ていく。
そこで、今まで一言も声を出さなかったタチアナがうつむきながら、ポツポツと話し出した。
「お父様、ガーライド国王様は、魔法石の全てをガーライド王国のものにすれば、第一王子の病気が、治せるかも、しれないとーーー?」
「ーーーえ? ライアルト様がご病気?!」
聞いたこともない話に、アンジェリアが慌てて公爵の顔を見ると深く縦に頷き、タチアナの話を引き継いだ。
「タチアナは王子妃候補の筆頭であるから、すでに耳に入れているね。本当は国家機密として処理をされている話だーーー第一王子のライアルト様は、何者かに先月の茶会で毒を盛られた。何とか一命を留めてはいるが、今も起き上がることも儘ならないのだ」
ーーー! なんてこと…第一王子のために魔法石が欲しいガーライド王国と、ベイガザート国の脅威から保護を求めたコーション国ーーー利害が一致してしまったのね…
アンジェリアは、ふーっと、深い溜め息をつくことしか出来なかった。家を国を離れたくないと、アンジェリアが言ったところで、既に話は決まってしまっている。
「アンジェリアーーごめんなさい…殿下を助けて…」
すすり泣くような姉タチアナの声が、執務室の重い空気に消えていった。