4:キースだって知りたい
その日のランチタイム、アリス・ルーグは食堂へ行った。
しかし、いつもは昼休憩を知らせる鐘がなると真っ先に食堂へと向かうマーガレットがまだ来ていなかった。
アリスは嫌な予感がしてすぐに踵を返し、食堂を出て薔薇園の方へと向かう。
そして周りを警戒しつつ、制服のポケットから人形に切り抜かれた紙切れを取り出した。
それを芝生の上に置くと、持っていた小さなナイフで指を傷つけ、血を一滴垂らす。
すると、その紙切れは姿を消した。
「ついでだから、どのくらい精度が上がったのか試そう」
アリスがポケットから取り出した紙切れは【式】という魔法具だ。
現在はまだ試作品段階の新種の魔法具で、魔力を込めて飛ばせば、使用者の目となり耳となる事ができる諜報活動には持ってこいの優れもの。
ただ、魔力を込めれば誰でも飛ばすことは出来るが、大量の魔力を消費する魔法具のため、使いこなせる人間は限られている。
アリスが持っているのは改良された試作品で、類い稀なる魔法の才能が評価されている彼女は、秘密裏にこの【式】の使用テストを任されているのだ。
マーガレットを探すついでに、式神の使用テストをしようと考えたアリスは、【式】を飛ばすと、薔薇園の端にあるベンチに座り、静かに目を閉じた。
そして【式】の方に神経を集中させる。
(実用化されれば、必ずやお国のためになる代物だけれど、あまり公にはしない方が良さそうね)
彼女は目を閉じたまま、苦笑した。
薔薇園の奥にはこの時間帯、あまり人が寄り付かない庭園がある。
大きな池をぐるりと囲うように園路が設けられているその庭園には、池の魚やあたりに咲く色とりどりの花を観覧できるように所々に東屋が設置されている。
アリスは、【式】を通じてその庭園にある東屋で男爵令嬢と、婚約者のいる公爵令息が逢引きしているのを目撃してしまったのだ。
アリスの記憶が正しければ、彼は毎朝校門で、皆に見せつけるように、自分の婚約者にキザな言葉で愛を囁いていた。
あれは、このためのカモフラージュだったのだろうか。周りには彼の婚約者はその言葉に頬を染め上げ喜んでいたように見えていたのに。
アリスにとってはどうでも良いことだが、騙されている婚約者の事を考えると、少しだけ可哀想に思った。
「ご愁傷様です」
アリスは彼らがいる方向を向いて手を合わせると、不敵な笑みを浮かべる。
彼の婚約者は苛烈な性格のご令嬢だ。バレたら、次に食堂中の視線を集めるのは彼と男爵令嬢になるだろう。
(マーガレットのような人なんてそうそういないわね)
貴族はすぐに嘘をつく。
マーガレット・ワトソンのような、裏表のない単純でわかりやすい貴族などそうそういない。
アリスは彼女のそんなところが気に入っていた。
もちろん貴族女性としては、彼女のそういう部分は褒められたものではない。だが、アカデミー内で友人として付き合う分には、肩肘を張る必要もなく気楽に付き合える貴重な存在だ。
アリスは気を取り直し、【式】を通して、庭園にマーガレットがいないか探す。
すると、浮気者の逢引きを見つけた東屋と正反対の位置にある東屋でまた別の人影を見つけた。
人影が2人分。1人はマーガレット・ワトソン。そしてもう一つは、アリスの婚約者キース・ダイルだった。
「キース?」
一瞬、先程の2人と同じように浮気かとも思ったが、どうも険悪な雰囲気だ。
さらに耳を澄ませてみると、マーガレットはキースを強く叱責していた。
アリスはすぐ様【式】を戻すと、転移魔法を使い、庭園の東屋に移動した。
***
東屋付近に着いたアリスは険しい顔でマーガレットを見る。
「マーガレット、私は今とても怒っているわ」
つかつかと、東屋の方に近づいてくる彼女は強い怒気を纏っていた。
彼女が怒っているのは勿論のこと、婚約者が他の女と逢引をしているからではない。
「先程は、私の婚約者に対して随分な言い草だったわね。別に貴女に認めてもらわなくとも構わないのだけれど、彼を侮辱することは許さないわ」
「…それは、この男が貴女の所有物だから?」
「ええ、そうよ?」
マーガレットは東屋を出て、彼女の前に立つ。
そして、相変わらず悪役令嬢を演じようとするアリスに、マーガレットは厳しい視線を送る。
「私は本当の事を教えてあげただけよ」
「貴女は本当のことなど何も知らないじゃない」
「じゃあ教えてよ。どうしてこの男なのよ」
「マーガレット、しつこい女は嫌われるわよ?」
アリスは小さくため息をつくと、マーガレットを鋭い目で睨みつけた。
その迫力に今度はマーガレットの方が気圧され、彼女の視線に押されるように、一歩後ろに下がる。
「私の婚約に関して、貴女が口を出す権利なんてないはずよ」
アリスは低く、そして強く言い放った。
アリスの言うことは正論だ。他人の婚約に口を出す権利などマーガレットにはない。
「アリス!私は…、貴女が!貴女の名が傷つくなんて許せないのよ…」
「この程度のことで傷つく名なら、私の価値など所詮その程度ということよ。勝手に私を高いところまで押し上げて妄想で好き勝手に語らないでちょうだい。迷惑だわ」
アリスは険しい表情で辛辣な言葉を並べる。
マーガレットはそんな彼女を見て、本気で怒らせたと内心焦っていた。
キースは二人の険悪な空気に耐えられなくなり、咄嗟に間に割り込んだ。
マーガレットを庇うようにして立ち、ジッとアリスを見る。
相変わらず姿勢が悪く、声も小さいが、婚約して以来はじめて真っ直ぐにアリスの目を見ていた。
「あの!マ、マーガレットさんはアリス様を本当に大切に想っていらっしゃるのだと思います」
「だから?」
アリスは手に持っていた扇を開くと、口元を隠す。
「だ、だから、貴女のような素晴らしい方が、僕なんかと婚約するなんて許せないんです。僕だって、自分の大事な人が僕みたいな奴と婚約したなんて突然言われたら、怒ると思います…」
「だから?」
「だから!マーガレットさんを怒らないであげてください!!」
キースは、俯かずにハッキリと自分の気持ちをアリスに告げた。
アリスは怪訝な表情を返すが、マーガレットは後ろから彼の癖のあるもさっとした髪を見つめながら、少し頬を赤らめた。
普段見かける彼は、いつもオドオドとするだけの男だった。しかし今自分の前にいる男は、同一人物のはずなのに、自分を庇おうと前に出て、アリスに向かってハッキリと意見したのだ。
マーガレットはそんな彼に少し驚いた。そして、少し嬉しかった。
「あ、ありがとう…瓶底眼鏡…」
「…マーガレットさん。そこは名前で呼ぶところです…。多分」
キースは首だけで振り返りマーガレットの方みると、ジトっとした目を彼女に向けた。
ちょっといい雰囲気になりそうだったのに台無しだ。
「…アリス様、どうか話していただけませんか?何故僕なんか買ったのか」
気を取り直し、再びアリスの方を見ると、キースは真剣な目で尋ねた。
キースとて、なぜ自分がアリスのような優秀な令嬢に見そめられたのか知りたかったのだ。
アリスの扇に隠れた口元は、一瞬だけ微かに上がった。
彼女は扇を閉じて3歩前に出ると、キースの閉じた扇でキースの顎をくいっと持ち上げる。
「いい加減、自分を卑下するのはおやめなさい。とても不愉快だわ」
アリスのアメジストの瞳が、彼を射抜く。
「も、申し訳ございません…」
「すぐに謝るのも不愉快よ」
アリスは少し怯えた様子のキースから、一歩下がると、今度は彼の臍の下あたりに扇を突きつける。
「重心は少し前に、臍の下あたりに力を入れて、顎は引く。そしてしっかりと前を見据えなさい。決して目の前の相手から視線を逸らせてはダメよ。私の婿となり、伯爵家を継ぐのならば弱い人間だと思わせてはだめ」
「は、はい!」
キースは言われた通りに姿勢を正し、真っ直ぐアリスを見据えた。
アリスはにこっと微笑むと、後ろにいるマーガレットに視線を向ける。
「マーガレット。貴女の望むような話など何もないけれど、良いかしら?」
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1話から色々と改稿していますのでご注意ください(10.29)