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1:アリスは金と権力に物を言わせて男を買った

太陽が真上に登る頃、アリス・ルーグは王立魔法学園の中にある食堂にいた。


そこは今日も、昼食を取ろうとする名家の子息子女が大勢集まっており、アリスにとっては少し騒々しい。

魔法学園は、魔力があれば誰でも通うことの出来る学園ではあるが、学費が高いために生徒は貴族か豪商の子どもが多い。

特に貴族にとって、アカデミー卒業の資格は一種のステータスになっているため、貧乏貴族でも無理やり通わせる家も少なくはない。


食堂に並べられた凝った彫刻の椅子やテーブル、豪奢な調度品。それらは、『誰でも通える』と言いながらも、貴族や豪商を相手にしていることが丸わかりだ。


そんな本音と建前が入り乱れるこのアカデミーでは皆、『家』を背負っている。

そして、彼らにとってこのランチタイムは貴重な情報収集の時間。自分のため、家のため、毎日新鮮な情報を求めてここへ足を運ぶ。



今日の彼らのデザートは、専ら『王の寵臣ルーグ伯爵の娘アリスが、金と権力に物を言わせて男を買ったらしい』という噂だ。

皆が、誰よりも早くその真偽を確かめようと躍起になっている。



渦中の令嬢アリスは少しは静かだろうと、テラス席に出た。

青々とした空の下、見頃を迎えた近くの薔薇園の甘い香りがほのかに漂う。しかし、


(…あまり変わらないわね)


美しい景色に似合わず、空気はどこか淀んでいた。

人間の人間らしい感情が渦巻いている事がよく分かる、そんな空気。

食堂の中と変わらず、噂の人物になってしまった彼女へ、多くの不躾な視線が送られていた。


アリスはその視線に少し疲れた様子でテラス席の椅子を引いた。

そして着席すると、深くため息をつく。



(…ぬかったわね、我ながら情けない)


アリスの婚約はまだ公にされたわけではない。

だが、どこからか漏れてしまったのだ。

そして話に尾ひれがつき、今の状況に至る。

彼女は自分の詰めの甘さに自嘲めいた笑みを浮かべた。



すると突然、ガシャンッと、この優雅な場には似つかわしくない音がする。

ふと顔を上げると、そこには勢いよくランチプレートを置き、怪訝な顔で彼女を見る令嬢が一人。

彼女の名はマーガレット・ワトソン。

ワトソン子爵の娘で、アリスの数少ない友人である。


「急に何の用かしら?」

「どういうつもりなの?」

「何のこと?」

「とぼけないで!ねえ、どういう事なの?婚約したって本当なの!?」


マーガレットは、到底納得できないという顔をしながら、目の前の友人に詰め寄る。

その話題は、その場にいる皆が真相を知りたいと思っている話。けれども、彼女に直接噂の真偽を聞くこともできない話。

アリスは、周囲が遠巻きに自分を見ているだけの状況で、真正面から突っ込んでくる友人に敬意を払う。


「貴女って本当にすごいわね。その猪突猛進な所、貴族女性としてはどうかと思うけれど、友人としては尊敬するわ」

「褒めていないことだけはよくわかるわ。ありがとう」

「どういたしまして。とりあえず座ってはいかが?」


アリスは興奮する彼女に、少し落ち着けと言わんばかりに着席を促す。

マーガレットは渋々それに従う。


「ねえ、本当なの?」

「婚約のこと?それなら本当よ」

「じゃあ、金と権力に物を言わせて買ったというのは?」

「政略的な婚約にその手の話は付き物でしょ?」


王侯貴族の婚約などギブアンドテイクだ。

利害関係が一致して初めて婚約が結ばれる。

その利害に、()()()()()()が含まれていてもおかしくはない。

故に『金で買った』と言われるのは少し心外でもある。


「自分から申し出たという話は?」

「それも本当よ。どうしても彼が欲しくてね」

「…何で、アレなの?」

「アレとか言わないでちょうだい」

「本当にどうして?お金出してまで手に入れる価値なんてアレにある!?」


マーガレットは偶然か必然か、近くに座っていたもう一人の噂の人物、キース・ダイルを指差す。

周囲は一斉に彼を見た。しかし、当の本人は俯いたまま無反応を決め込む。

マーガレットの発言は彼にも聞こえているはずだが、アレ呼ばわりの婚約者はアリスの方を見向きもしない。

金で買われたことが余程不満らしい。


「指を差さないで」

「…アリスならもっと上を狙えたでしょうに」


どうやら噂は本当らしいと判断したマーガレットは、呆れたようにため息をついた。


「そんな事ないわよ」


アリスは食後の紅茶を啜りながら、シレッと返す。

その態度に、友人思いのマーガレットは勢いよく立ち上がり、彼女に人差し指を突きつけて言う。


「何を言うか。知ってるんだからね!この間王太子殿下に言い寄られていたでしょう?」

「はしたないから座りなさい、マーガレット。その発言は不敬よ。お父様に聞きたいことがあるから約束を取り付けてくれ、と頼まれていただけ」


アリスは少し憤りながら、淑女としてのマナーがなっていない友人に着席を促す。

マーガレットは口を尖らせながらも、再び椅子に腰掛けた。

そして、近くに座る友人の婚約者に聞こえるような声で捲したてる。


「あなたは国王陛下の覚えめでたいルーグ伯爵の娘よ?」

「そうね」

「昨年のミス・アカデミーの美貌をもつ令嬢よ?」

「そうだったわね」

「なんなら、今年もミス・アカデミー確実よ?」

「それはどうかしら」

「魔法の才能にも恵まれているわ」

「ありがたいことね」

「おまけに筆記試験では学年首席」

「勉強しているもの」

「私だって勉強はしてるわよ!」


いくら勉強していようとそう簡単に取れないのが首席というものだ。

どれだけ勉強しようとも、マーガレットが首席になることはない。

アリスは彼女と会話しながら、心の中で自分の才能を褒めた。



「そんなハイスペック令嬢のアリスが、なんで!?どうして、わざわざお金出してまであんなもさっとした瓶底眼鏡男を選ぶのよ!」


マーガレットは人目も憚らず叫びながら、その瓶底眼鏡男を指差す。

確かに、キースは癖があり毛量の多い黒髪を特に整えもしていないし、実際にはどんな瞳をしているのかわからないほど分厚いメガネをしているので、間違ってはいない。

しかし、マーガレットの言動はとても失礼なものだ。

アリスは、ふうっと小さく息を吐いて、興奮するマーガレットを叱る。


「だから声が大きいのよ、はしたない。あと指差さないでって言ってるでしょう。いい加減にしないと折るわよ」

「折らないでよ、物騒な女ね」

「何が不満なのよ、別に貴女が婚約するわけでもないのに」

「だって!私のアリスが!あんなもさっとした瓶底眼鏡男と結婚なんて!そんなの…私耐えられないよぉ!」


マーガレットは突然泣き出した。

それを見てアリスはギョッとし、珍しく動揺する。


「な、泣かなくても…ちょっとだけ、引くわ」

「引くとか言わないでよ!」


彼女はやたらとアリスを信奉している。

アリス自身には、彼女にそこまで傾倒される心当たりなどないのだが。


「何故、私なんかにそこまで…」

「顔よ!」

「か、顔?」

「私はアリスの顔が好きなのよ!」

「いっそ清々しいわね。さすがはマーガレット・ワトソンだわ」


腹芸もろくにできない、単純明快でわかりやすい世にも珍しい貴族令嬢。それがマーガレット・ワトソンだ。

アリスは呆れたように、自分の顔が好きな友人を見ると、彼女は熱く語り出した。


「いいこと?アリス。貴女の顔は国宝級なの。白い肌にアメジストの瞳。シュッと通る鼻筋に小さな口。そしてまっすぐ伸びたプラチナブロンドの長い髪。完璧だわ。パーフェクトだわ。貴女の顔はこの国の宝なの。わかるでしょ?」

「貴女が少し危ない人物なのはわかるわ」


アリスは変質的な目で自分を見る友人を前に身構えた。

マーガレットはそれを気に留めることもなく、続ける。


「そんなアリスの遺伝子に、もっさい瓶底眼鏡男の遺伝子が混ざるなんて、国への叛逆だわ。私には耐えられない」

「貴女が産むわけじゃないでしょうに」

「私は産まないけど、生まれた子の乳母をするのは私と決まっているから、貴女の子は私の子でもあるのよ」

「それは初耳だわ」

「今決めたもの」

「断固として拒否するわ」


この変態に任せては未来の我が子の貞操が危ないと、アリスは断固として拒否した。

そこを何とか!と彼女は食い下がるが無視だ。

アリスは彼女のテンションについて行けず、深くため息をついた。



アリスが金と権力に物を言わせて買った男キース・ダイルは、分厚いメガネをかけたダイル男爵家の次男だ。

別に瓶底眼鏡をとったからといって美しい顔が姿を現すこともない、ごくごく平凡な顔立ちの男。

せめて、何か特別な才能でもあればマーガレットも納得しただろうが、魔法の才能も剣の才能もない。かろうじて頭は良いらしいが、アリスには当然のごとく及ばない。

おまけにダイル家は赤字続きで財もない。

驚くほどに何も持たない男だ。

ハイスペック令嬢と言われるアリスには確かに不釣り合い。そういう事情もあり、ここまで噂になっているわけである。



「もしかして釣書に騙された?」

「一応見たけど、寸分の狂いもなく正確に描かれていたわ」

「逆に少しは偽装しなさいと言いたくなるわね」


アリスは、どうマーガレットを説得したものかと悩む。


「本当に伯爵様に強要されたわけではないのよね?」

「ええ。私がどうしてもとお父様にお願いしたのよ」

「どうして?」

「ダイル男爵領で取れるカカオは質が良いの。私の家はスイーツを専門とする商会を経営しているし、縁つづきになる事は我が伯爵家にとって有益な事だわ」

「うそよ。あの家は借金で首が回らないと聞いたわ。あんなのと縁つづきになったところで、なんの得もないはずよ」


確かに、質の良いカカオなんて探せば他にいくらでもある。別にダイル産に拘る必要はない。

それに、赤字の男爵家の息子などもらっても、王に取り立てられるほどの伯爵家には何の得もない。むしろ損しかない。

故に、一部からはダイル家が汚い手を使ったのではないかなどと噂されていたりする。



どうあっても納得などしないか、とアリスは諦めた。

そして、小さくため息をつき、婚約者を嘲笑うかのように言い放つ。


「あら?得ならあるわよ?ご実家を支援する約束で婚約したの。だから彼は私に逆らえない。従順な奴隷が持てたと思えば良いのよ」

「…嘘つかないで」

「本当のことよ?事実、彼は私の命令でそこに座っているのだもの」


皆の視線が、再びキースに集まる。

俯いたままのキースは、よく見ると小さく震えていた。


「キース。聞こえているのでしょう?こちらに来て私の友人にご挨拶をなさい」


アリスは蔑みの目を彼に向けつつ、こちらへ来るようにと命じた。

キースはゆっくり席を立ち、背中を曲げ、下を向いたまま彼女の側に立つ。


「あ、あの。アリス様と婚約させていただきました。キース・ダイル、です…」


おどおどと怯えながら、辿々しく挨拶をするキース。

その怯えた姿に、マーガレットは険しい顔をした。


「アリスの友人のマーガレット・ワトソンです。よろしく…お願い致しますわ」


マーガレットは一応、立ち上がって形式的な挨拶をする。

そしてそのまま、視線を目の前に座る友人の方へと向けた。

友人は、素知らぬ顔で食後の紅茶を啜っていた。

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