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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

超人系高校生たちによる異世界召喚魔王討伐奇譚

作者: 桜木桜


 吸血鬼。

 それはこの地球上に於いて、最強の種族である。

 鬼や悪魔、天狗、悪霊などとも言われる夜の支配者。

 

 その身体能力は人間の、いやこの地球上のあらゆる生物を凌駕している。

 片腕一つで象を捻り殺し、本気で走れば音速を軽々と突破する。

 その知能は平均的にもホモ・サピエンスよりも遥かに優れており、その身に宿す魔力量は莫大なものだ。


 そして鬼や悪魔、天狗といった類の存在であり……

 そのため肉の体には縛られない。


 如何なる現代兵器を用いても、吸血鬼を殺すことは不可能である。

 なぜなら彼らは、その身を霧状に変え、どのような攻撃であっても受け流してしまうことができるのだから。


 吸血鬼に目を付けられたホモ・サピエンスに待つのは死のみだ。

 彼ら・彼女らの牙から、逃れる術はない。


 ただ……そんな最強種族である吸血鬼にも、いくつか弱点は存在する。

 代表的なものとして挙げられるのは……



「くぅ………………」

「橘」

「………………」

「た、ち、ば、な」

「………………」

「起きろ、たちばな」

「………………」

「起きろ!!!!」

「……!?」


 橘亜夜香は目を覚ました。

 周囲を見渡すと……そこは教室だった。


「おはよう、橘」

「おはよう、ございます。先生」


 自然と垂れ落ちそうになる目を擦り、亜夜香は律儀に挨拶を返した。


「昨日、寝たのは何時だ?」

「ん……四時くらいですね」

「それは今日だな。……遅くまで、何をしていたんだ?」

「ちょっと、リオレイアを狩ってまして……天鱗が出ないんですよ」

「つまりゲームで遊んでたんだな?」

「まあ……そうとも言うかもしれません」

「そうとしか言わない! ……頼むから、終業式には寝てくれるなよ?」

「……善処します」


 とろん、とした目で亜夜香は答えた。



 夜行性である吸血鬼は……

 朝が苦手だ。



 

 終業式は午前中に終わり、生徒たちは午後から帰宅を許される。

 明日からは楽しい楽しい夏休みの始まりだ。

 終業式の時間にぐっすりと睡眠を取った亜夜香は午後にはすっかりと元気になり、二人の幼馴染と共にウキウキで帰宅していた。


 百六十五センチと女性としては少し高めの身長に、長い手足。

 どこか日本人離れした容姿をしているのは、彼女の中に外国の吸血鬼の血が流れているからだろう。

 全体的にスレンダーな体つきではあるが、意外に胸部や臀部は大きく自己主張をしている。

 美しいセミロングの黒髪から伸びるアホ毛が嬉しそうにピクピクと動いている。


「亜夜香。お前、少しは早く寝る努力ってものをしたらどうだ?」


 若干、呆れ顔でそう言ったのは亜夜香の幼馴染の“吸血鬼殺し”である源宗一郎である。


 彼は黒髪の寡黙な優男であり、絶世の美少女と言っても良い亜夜香と並んでも見劣りしない程度には容姿が整っている。

 体は細身ではあるが、実は服の下には引き締まった筋肉が隠されている。

 どこを出しても恥ずかしくはないイケメンではあるが、亜夜香やもう一人の幼馴染に言わせれば「女誑し」という大きな欠点があるらしい。


 “吸血鬼”の亜夜香と“吸血鬼殺し”の宗一郎が幼馴染というのは一見妙な話ではあるが、“吸血鬼殺し”の仕事が『人間との契約を破った』“吸血鬼”を殺すことであることを考えれば、不思議なことではない。

 

 幼馴染の源宗一郎に対し、トマトジュースを飲みながら亜夜香は答える。


「いやー、吸血鬼って夜行性だからさ。夜はちょっと、夜更かししちゃうんだよね。宗一郎君が添い寝してくれたら、よく眠れるかも」

「お前と添い寝なんて、ごめんだね。寝惚けたお前に首筋をガブッ! とやられたら洒落にならん」


 吸血鬼と人間は共存関係にある。


 吸血鬼は人間の血を定期的に吸えなければ死んでしまう。

 人間は総力を結集すれば吸血鬼を打倒することは不可能ではないが……多くの被害が出る上に、隠密性に優れる吸血鬼を殺し切ることは不可能だ。


 そのため吸血鬼は人間と、「吸血鬼は無暗に人を殺さない代わりに、人間側は殺しても良い人間や血液などを提供する」という契約を結んでいるのだ。


 この辺りの吸血鬼と人間の関係は、契約の細部は違えど、全世界・歴史時代共通である。


 日本在住の吸血鬼の盟主。

 全権代理者である橘家は、二千年以上も前から所謂『日本国』と契約を結んでいた。

 契約内容は時代に合わせて更新されるが、大枠は二千年前から変わっていない。


 意中の幼馴染に若干冷たくされた亜夜香は、隣を歩いているもう一人の幼馴染に賛同を得ることにした。


「ねぇ、千春ちゃん!」

「ひゃあ!!」


 亜夜香は隣を歩く、土御門千春の臀部を制服越しに鷲掴みしながら声を掛けた。

 すると千春は素っ頓狂な声を上げて、体を仰け反らせた。

 その拍子に、普段は認識阻害魔術を使用して隠しているキツネ耳と尻尾が飛び出た。


 土御門千春は宗一郎と同じように“吸血鬼殺し”であり、また“魔術師”でもある。

 そして先祖返りの半妖だ。


 千春は亜夜香とは別のベクトルの美少女だ。

 亜夜香が典型的な美女であれば、千春はどこか柔らかく、温かい雰囲気を身に纏った美女である。

 髪と瞳は明るい茶色。無論、これは染めたものではなく生まれつきだ。

 身長は百五十センチほどで、そこまで高くはない。

 それに比べて胸や臀部は亜夜香よりも成長しているように見える。

 一際目を引くのは愛らしい狐耳と狐尻尾だが、これは普段は巧妙に隠されている。

 

「も、もう! やめてくださいよ、亜夜香さん!」


 千春の要望をガン無視して亜夜香は尋ねた。

 

「千春ちゃんも、夜の方が得意でしょう? だって、人狼だし」


 人狼は吸血鬼と同様に人間を超える魔力と身体能力を持った種族であり、そしてその魔力は満月の夜に最高潮に高まる。

 特徴としては動物、とくに哺乳動物の耳や尻尾などを体に持っていることがあげられる。

 たとえ狼ではなく狐であっても、狸であっても、何なら猫であっても、種族としては“人狼”で一括りにされる。


 人狼は吸血鬼と比べるとどちらかと言えば人間に近く、吸血鬼ほどの力はない。

 しかし容姿は耳や尻尾がある通り、人間離れしている。

 そのため吸血鬼との生存競争と人間による迫害で大昔に絶滅した。

 だがたまに千春のように、先祖返りする者が現れる。


 実は吸血鬼殺しや呪術師の先祖には、人狼や吸血鬼が多い。

 人間と吸血鬼や人狼の混血による、呪術師や吸血鬼殺しという“種族”が生まれたと解釈することもできる。


「まあ得意ではありますが、しかし夜更かししなければ良いだけのことです。それに私は半妖です。つまり半分だけですから。というか、亜夜香さんだってそんなに昼が辛いわけでもないでしょう?」

「うぅ……そうだけどさぁ」


 吸血鬼と人間との混交は今に始まったことではない。

 純粋な、純血な吸血鬼はとうに絶滅している。

 亜夜香もまたその体には人間の、日本人の血が流れており、実は夜行性の傾向はそこまで強くない。


「そういえば……血液の質が低下してる気がするんだよねぇ。その割には値段も高騰気味だし。いくらお金があるからって言ってもさ、今までは一万円で飲めてたのが十万円出さないと飲めなくなったら、ちょっと腹が立つのよね」


 不利を悟った亜夜香は露骨に話を反らした。


 ちなみに吸血鬼は無益な殺生は好まない、そこそこ平和的な種族である。

 人間と争う気はないので、亜夜香も血液は主に日本政府から購入するか、もしくは外国から輸入したものを吸い、日本国民を傷つけるような真似はしていない。

 ……あくまで“日本国民”()だが。


「しかしお前がしっかりと契約を守っていることは分かった。結構なことだ」

「そりゃあ、守らないと、怖い怖い吸血鬼殺し(ハンター)が来るからね」


 亜夜香は宗一郎をジト目で見た。  

 宗一郎は肩を竦める。


「お前がその気になれば、俺など一捻りだろう。何しろ、俺は弱い弱い裸のサルでしかない」

「何が裸のサルよ。歩く銃刀法違反みたいな人じゃん、宗一郎君」


 最強の種族である吸血鬼を“狩る”存在である吸血鬼殺しも、当然人間離れしている。

 化け物はお互い様だ。


「だがお前は先祖返りだろう? あらゆる吸血鬼の中でも、お前に適う吸血鬼は世界全体でも五本の指に入るくらいじゃないか」


「強さなんてね、この世の中じゃあ何の役にも立たないのよ。ラノベや漫画、アニメじゃないんだからね」


「ラノベや漫画、アニメみたいな人が何を言ってるんですか。まあ私が言うのもなんですが」


 無論だが、多くの一般人にとっては吸血鬼は架空の存在である。

 当然、人狼も吸血鬼殺しも呪術師もだ。

 もっとも知っている人は知っている。

 一握りの官僚や政治家、マスコミ関係者、宗教関係者、学者、そして暴力団関係者など。

 吸血鬼が実在の存在であり、もし敵対するようなことがあればサピエンス側に多大な犠牲者が出ることは、大なり小なり知っている。


 その存在を口に出さないのは、無用な混乱を招くからであり、またそれが吸血鬼と人間との契約だからである。


「私がラノベや漫画、アニメみたいなんじゃなくて……あっちがパクったの! ブラム・ストーカーの罪は重いわ」


 ちゅるちゅると、トマトジュースを飲みながら愚痴る。

 黒髪セミロングの美少女(十五歳)がトマトジュースを飲んでいる様は、どういうわけか絵になった。


「君らサピエンスはさ、私たちに十分な食料を供給する義務があると思うんだよね」


「十分な食料は供給されているだろう。最低限度の血液は日本政府から支給されているはずだ」


「あんなクソ不味いの、飲めないよ。トマトジュースの方がマシなレベル」


 亜夜香はジュースを吸いながら言った。

 

「日本国憲法にはさ、『健康で文化的な最低限度の生活』が保証されているわけじゃん? 君らサピエンスには分からないかもしれないけどね、あの献血用血液を流用したあの配給血液は飲めたもんじゃないからね。全然、文化的じゃない!」


「じゃあ、輸入血液を飲めばいいんじゃないですか?」


 日本では吸血鬼による血液の吸血・採血は禁じられている。

 【契約】によって縛られているため、亜夜香は日本国内では血液を自力で手に入れることが原則的には(・・・・)できない。


 が、海外では必ずしもそういうわけではない。

 よって海外の吸血鬼から食用血液を輸入することは可能だ。


「最近も輸入物は質が低下していてね……あーあ、サピエンスって良いね。最近は人権がどうのこうのとか流行ってるけどさあ……おかげで私たちが自由に血を吸う権利が制限されてるのに。吸血鬼の人権は守られなくて良いの?」


「人権、だからな。鬼権じゃない」


「ホモ・ディアボロスだから広義では人間! それに今では殆どがサピエンスと混じってるし? そもそも君らだって、ネアンデルタール人の遺伝子が入ってるんでしょ? 最近N〇Kで見たよ」


「吸血鬼もN〇K見るんですね」


「まあ、暇な時はね。受信料払ったのに少しも見ないのはちょっと損した気分になるし」


「金持ちの癖にケチ臭いな」


「お金持ちなんだから、大人しく払ってくださいよ」


「ケチ臭いから金持ちになったんだよ」


 亜夜香はお金持ちだ。

 日本有数の富豪と言っても良い。

 

 日本在住の吸血鬼の“全権代理人”である亜夜香は、“日本国吸血鬼女王殿下”の称号を持っている。 

 そしてその称号に見合うだけの資産も有している。


 実は吸血鬼には資本家が多い。

 吸血鬼がその存在を隠蔽できているのは、人間社会でいくつかの既得権益を持っているからでもあるのだ。


 ちなみに亜夜香のことを“金持ち”と揶揄した宗一郎と千春であるが、二人の実家も実はかなり裕福だ。

 宗一郎の家は不動産を運用しており、千春の家は代々神社を営んでいる。


 源家は武士として、土御門家は神主として、古くから日本でそれなりの経済的な権益を得ているのだ。

 それはいざとなったら命を張って吸血鬼を狩ることへの見返りである。


「そうだ、明日から夏休みじゃん? 何して遊ぶ?」

「私はプールに行きたいです! ……海は嫌です。尻尾が砂で汚れるので」

「ん……取り敢えず、後で近くのファミレスで合流して、そこで飯でも食いながら話をしないか? ……そろそろ、亜夜香の家につく」


 そう言って宗一郎は前を指さした。

 もうすぐそこまで大きな洋館が迫っていた。


「それもそうだね。じゃあ、またあとでね! 宗一郎君、千春ちゃん、愛して……」

 

 そんあふざけた挨拶をした瞬間だった。

 突如、亜夜香の前に金属の板のようなものが出現し……

 亜夜香の姿が消えた。


「「えええ!!!!」」







 さて、三日後のことだった。

 宗一郎と千春は近くのファミレス――サ〇ゼ〇ヤ――で会議をしていた。

 議題は無論、『消えた亜夜香事件』についてである。


「あいつの行方は掴めたか?」


 案外、心配して無さそうな口調で宗一郎は言った。

 意中の幼馴染がどこかへ消えれば普通は慌てるものだが、しかし宗一郎は亜夜香の実力を信頼していた。

 

 あいつならブラジルのジャングルの中でも死ぬことはあるまい、と。


 むしろジャングルの生き物や未接触部族の方を心配していた。


 千春も少し前までは宗一郎と同様に余裕だったのだが…… 

 しかし今は焦った表情を浮かべていた。


「良いですか、宗一郎さん。落ち着いて聞いてください……亜夜香さんのスマホの位置情報をあらゆる手段で調べた結果、彼女はこの地球上にいないということが判明しました」


「は? じゃあ宇宙人にでも拉致されたってのか?」


 尚、吸血鬼や人狼は実在するが、宇宙人は実在しない。

 少なくとも宗一郎と千春の二人は産まれてから宇宙人に出会ったことはない。


「いえ、違います。……何て言えば良いんでしょうか? どうやら、この世界とは薄皮一枚隔てた世界にいるみたいでして」


「……異世界ってことか?」


「そう、そんな感じです!」


 異世界の存在は魔術的には示唆されていたが、しかし実際に観測されたことはなく、眉唾物と考えられている。

 宗一郎も信じてはいない。


 しかし千春はこういう冗談を言うタイプではない。

 ならば本当なのだろうと、宗一郎は納得した。


「ちょっと見てください。この波長を」


 そう言って千春はノートパソコンを宗一郎に見せた。

 

「これは私が計測した魔力波です。ほら、三日前の亜夜香さんが消えた時間に重なっているでしょう? これはこの世界と異世界との“距離”がもっとも近づいた時を示しています。多分、この時にあちら側から強引に招かれたのかと」


「なるほどね……」


 吸血鬼を殺すために魔術を使うことはあるが、魔術師ではない――魔術を研究したり開発したりはしない――宗一郎にはイマイチ分からなかった。


「で、助けに行けるのか?」


「幸いなことに私がスマホに入れていた魔力計測アプリによって、魔力波が観測されています。ですから……まあ安全性を考慮に入れなければ、そして片道切符になる可能性を考慮に入れた上でなら可能です」


「なるほど……最短で行けそうなのはいつだ?」


「一週間後です」


「その次は?」


「一年後です」


「一年後!?」


 一週間後と一年後とは、随分と極端である。


「どうしましょう、宗一郎さん。このこと、お父さんとお母さんに伝えた方が良いですかね?」

「……うーん」


 二人が両親にこれを話せば、話は日本政府まですぐに伝わるだろう。

 “日本国吸血鬼女王殿下”である亜夜香が異世界へ“拉致”されたとなれば、当然日本政府も動かざるを得ない。

 ……それに異世界という“フロンティア”を逃すほど、日本政府も腑抜けてはいないはずだ。


 しかしそれは非常に慎重なものになる。

 何しろ世界間移動だ。

 幾度も計算と実験が行われた上で始めて先遣隊が送られるだろう。そしてそれの時期少なくとも……一週間以上先であることは確実だ。


「俺は……すぐに助けに行きたい」

「ですが、宗一郎さん。亜夜香さんなら……」

「あっちは世界間を移動する技術を持ってるんだぞ? こっちよりも科学技術が上かもしれん。だとしたら、亜夜香であってもどうなるか……もしかしたら奴隷にされているかもしれない」

「ど、奴隷だなんて……」


 異世界に飛ばされた。

 ということは勇者召喚に違いない! などと考えるほど二人がゲーム脳でも漫画脳でもない。


「分かりました。一週間後、二人で異世界へ殴り込みに行きましょう!」

「そうと決まったら、準備がいるな」


 二人は一週間後に向けて準備するため、その場を後にした。




 さて一週間後の午後三時。

 とある公園で宗一郎と千春は待ち合わせをしていた。


「遅かったな、千春。あと十五分もないぞ」


 予定より少し遅れてやってきた千春に宗一郎は言った。

 もっともこの世界と異世界が近づく時間まで、あと少ししかない。


「家族の説得に苦労しまして」

「お前の家族、爺さんは特に厳しいもんな……」


 二人は亜夜香と旅行に行くという設定で家族を説得して家を出てきた。

 一か月、つまり夏休み一杯は留守にするということにしている。


 また通信状況が良くない場所へ行くことも説明しているので、連絡ができないかもしれないことも伝えてある。


「夏休みが終わる前に帰ってこれなかった場合、私のパソコンやスマホから魔力の計測結果や使用した魔術術式が送信されて伝わるようにしておきました」


 ミイラ取りがミイラになる可能性を考慮し、二人はこのことを両親や日本政府に伝える手段を残しておいた。

  

「すまないな、何から何まで」

「いえいえ、亜夜香さんのためですからね」


 二人は宗一郎が事前に千春の指示通りに書いた大きな魔法陣の中央へと移動した。

 ちなみに公園とその周辺には事前に人払いの結界を掛けて置いてあるため、儀式が目撃される心配はない。


 最後の仕上げと言わんばかりに千春は呪符を取り出し、それを地面へ投げた。

 呪符は魔法陣にへばり付き、魔法陣と共に発光し始める。


「覚悟は良いですか、宗一郎さん」


 そう言って千春はバッグからタブレット端末を取り出した。

 中には異世界移動のために千春が自作した術式がすでにインストールされており、ボタンを押すだけで起動する。


「無論」


 宗一郎は頷いた。

 すると千春は宗一郎に抱き着いた。


「うお! ど、どうした?」


 千春の大きな胸が腕に当たって、少し宗一郎はドキドキした。


「いえ、くっついた方が安全なんです。あ、そうだ……転移先は人や物に当たらないように一キロ上空に設定しています。いきなり空からの自由落下になりますので、ご注意ください」

「ああ、分かった」


 宗一郎が頷くと、千春はタブレット端末を起動させた。

 端末から音楽と光が発生し、そして魔法陣が激しく発効する。


「転移、開始!」


 その瞬間、二人は洗濯機の中に投げ込まれたかのような感覚に襲われた。

 体が滅茶苦茶に引っ張られ、千切れそうになる。

 二人は互いに違いを抱きしめ合い、離れないようにした。


 そして……


「せ、成功です、宗一郎さん!」

「お、おう! み、みたいだな!!」


 気付くと二人は空から自由落下をしていた。

 

「宗一郎さん、今私たちは亜夜香さんの真上にいます! ……落下の衝撃は私が緩和します。離れないでください」

「分かった」


 しばらく落下を続け、徐々に地面が見えてくる。

 もっとも二人には景色を楽しむ余裕はない。


 タイミングを誤れば死ぬからだ。


「とりゃあ!」


 千春は呪符を投げつけ、魔術を起動させる。

 すると二人の体を結界のようなものが包み込んだ。


 その結界は地面に当たるとボールのように歪み、衝撃を緩和させた。

 それから二人はゆっくりと地面へ降り立った。


「さて、ここは……」

「地面ではなく、どうやら屋根の上みたいですね。亜夜香さんはこの真下あたりです」


 スマホの魔力探知アプリで位置情報を確認しながら千春は下を指さした。


 二人が着地したのは建物の上だった。

 それから改めて二人は周囲を見渡す。


 あまり建築には詳しくない二人であるが……

 どこか中世、もしくは近世のヨーロッパを思わせるような街並みに少し困惑の表情を浮かべた。


「もしかしたら、あまり科学技術は高くないのかもしれませんね」

「世界間を移動する術を持っているのにか?」

「まあでも、異世界ですからね。私たちの知っている世界と、技術の発展の仕方が違うのかもしれません」


 まあ、そんなことはどうでも良いのだ。

 とりあえず、捉えられていそうな亜夜香を救出する方が先である。


「どうします、宗一郎さん。このままこの世界の情報を探すか、それとも今からすぐに亜夜香さんを救出するか……」

「当然、後者だ」

「ですよね」


 賢明なのは前者であることは二人とも分かっている。

 が、しかし幼馴染が心配なのだ。

 後者以外に選択肢はない。


「どうします? 建物の中へ、玄関から入りますか? それとも……」

「当然、ここから穴を開けて入る。どういう事情があるかは知らんが、人を拉致するような奴に遠慮する必要はない」


 そう言って宗一郎は木刀を抜き放ち、軽く振って見せた。

 すると宗一郎と千春が立っていた周辺が大きく切り抜かれた。


 そのまま下へと落下する。


 ガラガラと瓦礫が落ちる中、二人は足からしっかり着地した。


「亜夜香さん!」

「助けに来たぞ!」


 二人は叫んだ。

 すると……意外に元気そうにクッキーを食べていた亜夜香が笑顔を浮かべて言った。


「早かったね、二人とも!」

「「……」」


 二人は思った。

 心配して損した。





 時は十日前に遡る。


 亜夜香は突如、銀色の光に襲われた。

 思わず目をつむり、開くと……


 そこは小部屋だった。

 周囲を見渡すと、びっしりと魔法陣が描かれている。


 亜夜香はゆっくりと立ち上がった。


「ありゃりゃ、これは拉致されちゃった感じかな?」


 呑気な声で言った。

 世界最強種である吸血鬼、その中でも先祖返りとして五本の指に入る実力を持つ亜夜香はこの程度のことでは動じない。


(……私を呼んだのは、大したやつじゃないみたいだね)


 それから同じ部屋の中にいた人物を確認する。

 一人は修道服のようなものに身を包んだ女の子。

 もう一人は王冠のようなものを被った、見るからに偉そうなおっさん。

 そしてそのおっさんの側には軍服のようなものをきた怖そうな顔のおじさんと、何となく裏で悪だくみしてそうな顔をしたひょろひょろのおじさんがいた。


「上から順に、神官ちゃん。王様。将軍。宰相。……みたいな属性かな?」


 亜夜香は適当に言った。

 すると呆気に取られていた四人の人物は、どこか喜んだ様子で話し始めた。


「■■■■■■■!!!」

「■■■■■■■!!」

「■■■■■■■?」

「■■■■■■■」

「日本語で会話して欲しいものだね」


 とりあえず自分のことを話題にしているのだろうということだけは亜夜香は分かった。

 

「仕方がない、翻訳魔術を使いますか。えー、えー、皆さん、こんにちは。えっと、とりあえず、ここはどこですか?」


 すると修道服のようなものに身を包んだ女の子が亜夜香に駆け寄ってきた。


「ようこそ、おいで下さいました。勇者様!」

「勇者様?」


 これが今流行の異世界召喚というやつか。

 と、亜夜香は内心で少し驚いた。


 てっきり橘家を恨んでいる海外の反吸血鬼組織による犯行だと思っていたからだ。


「まあでも考えてみれば聞いたことない言語だしね……えーっと、ここって異世界?」

「はい! 勇者様の世界とは別の世界という意味では、異世界になります」


 自分の住んでいる世界のことを異世界と呼ぶ人はいない。

 彼女たちからすれば亜夜香が住んでいた世界の方が異世界である。


「何で私は呼ばれたの?」

「魔王を倒していただくためです」

「ふーん、ところで私の自由意志は?」


 答えを分かり切った上で亜夜香は一応聞いてみた。


「え……だって、勇者様は勇者様で……」

「いや、知らないよ。突然、ここに呼び出されたんだからさ。……つまり、君たちは」


 亜夜香は内心で少し遊び心を抱きつつ……

 その内心を隠し、不機嫌な表情を浮かべてみせた。


「私の自由意志など関係なしに故郷から拉致して、それを見ず知らずの戦争に、殺し合いに投入しようってわけ?」


 そう言いながら亜夜香は殺気を乗せた魔力を飛ばして見せた。

 ちょっとした威嚇だ。

 魔術を齧ったことがある者ならば、この程度のことは誰でもできる。


 もっとも……

 亜夜香の場合は魔力が桁違いだ。


 それは異世界でも同じだったらしい。


 女の子は尻餅をつき、そのほかの男性三名を顔を青ざめた。


(とりあえず、精神的には優位に立ったかな)


 実際には亜夜香は怒ってなどいない……

 と言えば嘘にはなるが、しかし無暗に感情を露わにするほど亜夜香は愚かではない。


 すべては計算尽くである。


「も、もうしわけない……勇者様。私たちは、てっきり勇者様はすでに了承済みかとばかり……」


 そう言って亜夜香に謝ってきたのは国王と思しきおっさんであった。

 

 国王によると勇者召喚の魔術は異世界から強い人を、勇者を呼ぶとされるものだが……

 実は詳細は分からない。

 なぜなら大昔の魔術で、その原理などは殆ど解明されていないからである。

 そもそも本当に召喚されるのかすら怪しかった。

 しかし今回は国の危機ということで、成功したら儲けもの程度の感覚でやった。


 とのことである。


(うーん、悪気はなかったと? まあ想像力が足りないと責めることはできるけど、その魔王とやらに追い詰められてるんだったら仕方がないのかな?)


 相手の立場に立って考える。

 コミュニケーションではとても大切なことだ。


 一応亜夜香はこれでも資本家として、今まで様々な嘘つきを相手にしたことがあるので、相手が嘘をついているかどうかは何となくわかる。

 彼らは少なくとも、嘘はついていない様子だった。


 本当に悪気はなかったのだろう。

 もっとも、勇者の事情など考えなかったのも事実ではあるが。


「一応聞くんだけどさ、帰る手段ってある?」

「そ、それは……」

「あー、やっぱりないのね」


 何しろ勇者の自由意志など無視して無理矢理拉致してくる魔術だ。

 返還方法など考慮に入れていないのは、まあ当然と言えば当然だ。


 しかし亜夜香はあまり危機感を感じていなかった。


(まあ、宗一郎君と千春ちゃんなら助けに来てくれるでしょう)


 特に千春は魔術の天才である。

 千年以上前に活躍した陰陽師の再来とうたわれるだけの魔力と魔術のセンスを彼女は持っている。 

 勇者召喚の魔術を解析し、すぐにこちらに来てくれるに違いない。

 そもそも地球から異世界へ行けるのだから、異世界から地球へ行けない道理はない。


「困ったな……きっと、家族も友達も心配しているだろうな……」


 悲しいよう、寂しいよう、これからどうしよう……

 という雰囲気を作り出す亜夜香。

 少し涙ぐんでみせる。


 もっとも、亜夜香には家族はいない。

 両親は数年前に他界している。


 友達の方も、宗一郎と千春なら「まあ、あの吸血鬼なら大丈夫だろう。むしろ異世界人の方が心配」とか言ってそうな気もするが、その辺は敢えて無視する。


 さて、どう出るか。

 亜夜香は相手の出方を待つ。


 すると宰相と思しき人が一歩進み出てきて、亜夜香に言った。


「勇者様のご都合を考えずに呼び出してしまい、申し訳ありません。この事故・・の保障は……」

「この国で一番偉いのは誰?」


 亜夜香は宰相の言葉を遮った。

 嘘泣きは止め、真っ直ぐ、真剣な表情で宰相の顔を見つめる。


「それは……国王陛下です」

「それはあなた?」

「い、いえ、国王陛下は……」

「余じゃ。余が国王じゃ」


 そう言って前に一歩、国王と思しき人物が進み出た。

 亜夜香はじっくりと、国王と観察する。

 気弱そうな印象を受ける。

 加えて……


(心臓の動悸が激しいね。……緊張しているのかな? さっきの威嚇でもかなり怯えていたし、臆病な性格なのかな?)


 亜夜香は内心で舌なめずりした。


(とりあえず、録音はしておこう)


 亜夜香はスマートフォンを取り出し、アプリを起動させた。

 

 それからゆっくりと、国王へ向かって歩を進める。

 そして将軍と思しき人物が静止を呼びかけようとした、ギリギリで止まった。


 それから亜夜香は優雅に一礼する。


「お初にお目にかかります。私の名前は橘・亜夜香……橘が家名で、亜夜香が名前です」


 そう言って名乗りを上げた。

 それから自分の肩書を連ねる。


「橘家宗家の現当主であり、日本国吸血鬼女王、そして日本国の吸血鬼全権代理人をしております」


 勘違いしてはならないが、亜夜香は日本国女王ではない。

 日本国吸血鬼(・・・)女王である。


 なぜ女王という称号を持つのかと言えば、日本の吸血鬼の当主である橘家と日本(・・)が契約関係、従属関係を結んだのがはるか大昔だからだ。

 

 その時、吸血鬼たちは大和民族とは異なる異民族として扱われた。

 吸血鬼はホモ・サピエンスではないので、この扱いは妥当なものだ。


 橘家はその異民族の支配者である。

 そのため橘家の当主には()の称号が与えられた。


 もっとも今では機能していない称号である。

 吸血鬼を相手にする時のみに、伝統的に名乗っている称号に過ぎず……

 

 よって亜夜香を示す称号としては女王よりも全権代理人が正しい。 

 が、そんな事情を目の前の気弱な国王は知らない。


「じょ、女王?」

「はい。ところで、あなた様のお名前を伺っても?」


 こちらが名乗ったのだから、名乗り返すのが礼儀だろう。

 亜夜香は暗にそう言った。


「よ、余はリディシア王国、国王リデリテス三世である」

「ではリデリテス陛下とお呼びしても?」

「か、構わない。あー、あなたのことはアヤカ陛下とお呼びすればよろしいかな?」


 亜夜香は少し悩んだ。

 亜夜香の敬称は陛下ではなく、殿下(・・)である。

 この“女王”と“殿下”の組み合わせは亜夜香にとっては非常に重要なものだ。


 しかし“陛下”ということにしておいた方が、待遇は良くなりそうだ。


(……まあ、訂正しておくか)


 もし仮に日本から救助が来た時に亜夜香が“陛下”を名乗っていたら後々問題になるかもしれない。

 面倒ごとは避けるに越したことはない。


「いえ、私のことは“殿下”と。我が国において、“陛下”は王の王(emperor)に対する敬称ですから」

「?」


 質問されるのが面倒だった亜夜香は簡単にそう流してから、本題に入る。


「ともかく……私は『母国が救援に来るまでの間』、自らに相応する待遇を、最低限この国における王族と同等の待遇を要求いたします」


 亜夜香が言いたかったのは、「王族と同等の待遇を要求」することではない。

 いつか「母国が救援に来る」ということだ。


 つまり自分を無礼に扱えば外国問題になるぞ、と脅しているのだ。


(まあ、嘘じゃないしね)


 亜夜香は早ければ年内、遅くても三年以内には救助が来ると考えている。

 亜夜香は吸血鬼の全権代理人なのだ。

 つまり亜夜香なくして、日本政府は吸血鬼と交渉できない。


 それは日本にとって、治安維持・安全保障上の大問題となるため、捨て置けることはできない。


 加えて亜夜香は資本家として、それなりの資産を持っている。

 その中には当然、大企業の株も含まれる。


 亜夜香が長期間行方不明になることによって発生する経済的な損失は馬鹿にならない。

 国外問わず、多くの資本家が政府に圧力を掛けるだろう。


 ついでに言うのであれば、橘家は全権代理人として多くの政略結婚を繰り返した。

 政界財界には橘家と血縁関係がある者が少なくない。


 そして……政略結婚は国内にとどまらない。

 吸血鬼の貴族(おうぞく)として、海外の吸血鬼の全権代理人の一族とも婚姻を重ねてきた。


 古くからは大陸の吸血鬼と縁故があるし、近代に入ってからは列強の吸血鬼と――亜夜香の祖母はロシア出身、曾祖母はイギリス出身――血縁関係を結んできた。

 最近で言えば、亜夜香の親戚が南アフリカ共和国の全権代理人の下へ嫁いでいる。


 国内外に亜夜香のお友達(・・・)はたくさんいるのだ。


「それは……勿論。勇者様には最大限の待遇をお約束しよう」

「最大限、ではなく最低限この国の王族と等しい待遇をいただきたい」

「……良いでしょう」


 亜夜香の物言いが若干不快だったのか、リデリテス三世は少し眉を潜めて言った。


(腹芸はできないタイプなのね)

 

 亜夜香は笑みを浮かべる。


「では、お互いの立ち位置も分かったところで……この度の事故(・・)の責任の所在、そして賠償についてお話をしたいのですが、よろしいですか?」


「そのことについては誠に申し訳なく……」


「謝って済む問題でしょうか?」


 亜夜香は笑みを浮かべたまま、しかし冷徹な視線を浴びせた。

 口だけの謝罪などいくらでもできる。


 そんなものは欲しくもない。

 飯のタネにもならないからだ。


 亜夜香が欲しいのはただ一つ。


 賠償である。


「今回の事件に関して、リディシア王国に全面的な非が存在すると思いますが、陛下はどのように思われますか?」


「それは……」


「勇者召喚を提案したのは、私です! お父様に責任は……」


 国王の言葉を遮って発言したのは修道服っぽい服を来た少女であった。

 どうやら彼女はお姫様らしい。

 が、亜夜香は相手がお姫様だからと言って配慮する気は微塵もなかった。


「私は国王陛下に尋ねています」


 ぴしゃりと、亜夜香は切り捨ててからリデリテス三世の顔を改めて見つめる。


「娘がご無礼を。今回の事件(・・)に関しては、最終的な決断を下した余に責任が……」


 亜夜香は内心でほくそ笑んだ。

 今回の出来事が事件(・・)であると、国王が認めたのだから。


 宰相(と思しき人物)はそのことに気付いたのか、一瞬だけ眉を潜めた。

 ……彼は先ほど、今回の出来事を事故(・・)と表現していた。


「いえ、別に個人の責任をお尋ねしているわけではありません。リディシア王国という、国家に責任があるのではないかと私はお尋ねしているのです」


 個人に責任があるのと、国に責任があるのでは似ているようで大きく違う。

 地球に於いて、私と公の区別は当然だ。


 極端な話、国王に責任があるのであれば国王が退位するなどして責任を取ればそれで終わりだ。

 逆に国に責任があるのであれば、国王が変わろうとも、何なら革命によって共和制へ移行しようとも国としての連続性が存在するのであれば、責任は残り続ける。


「うん? 確かに、この度の事件には我が国に責任がある」


 亜夜香の言っていることのニュアンスを、彼は理解していないらしい。

 もっとも、亜夜香は理解など求めていない。

 言質さえ取れれば、録音さえできればそれでいいのだから。


「アヤカ殿下がお望みであるならば、金貨と土地でもって補償しよう」


 今度は国王の方からそう提案してきた。

 金と土地をやるから水に流してくれと、そういうことだ。

 無論、亜夜香も賠償が欲しいだけなので賠償さえもらえれば水に流すつもりではあるが……


「……いえ、そのようなものは私にとっては無用です」


 金貨も土地も亜夜香にとってはあまり魅力的ではない。

 

 亜夜香の予想が正しければ、この世界の科学技術はお世辞にも発展しているとは言い難い。

 そのため物価も日本とは違うだろう。

 ……つまり金の価値が、地球とは異なる可能性がある。


 江戸時代における金の価値と、現代における金の価値では、前者の方が高い。

 それと同様にこの世界における金の価値の方が、地球における金の価値よりも高い可能性がある。


 これの何が問題なのかと言えば、リディシア王国からすれば「こんな大金を用意してやった」のにも関わらず、亜夜香からすれば「こんな少額しかもらえなかった」となりかねないことだ。


 土地に関しては言うまでもない。

 そんな円にもドルにも換金できにくそうなものなど要らない。


「では、何がお望みか?」

「……そうですね」


 亜夜香は少し考えてから答えた。


「私に商権をください」

「……商権?」

「ええ。リディシア王国の国民と、いえ、リディシア王国の貴族などの特権階級の者が持つのと同程度の商権……つまり物品や土地や建物などを購入したり、逆にそれらを販売したり、時にはお金を借りたり、逆に貸したりする……そんな権利を私にください」


 これには国王は困惑した表情を見せた。

 国王だけではない。

 宰相もだ。


 何らかの専売特権といった特殊な利権ならばともかく、『貴族などの特権階級の者が持つのと同程度の商権』では大した利権とは言えない。


 それはつまり、リディシア王国の貴族であれば誰もが当たり前のように持っているものなのだから。


「……その程度のもので良いのであれば」

「ありがとうございます」


 亜夜香は内心でほくそ笑んだ。


(これで私が、リディシア王国に投資することを法律で妨げることはできない)


 リディシア王国は、いや、この世界は地球から見れば莫大な資源が手つかずのまま残っているフロンティアだ。

 石油や石炭、ウランなどの地下資源はもちろん。

 大量の水資源や水産資源、木材などの農林資源も地球とは比べ物にもならないほど手つかずのまま残っているだろう。


 そして……忘れてはならないのが人的資源。

 地球のどの国よりもその賃金は安いだろう。

 

 それだけでなく、物品を売る市場としての価値もある。


 まさに宝の山であり……

 亜夜香はその宝の山を無制限に漁る権利を得たに等しい。


(まあ、これだけ手に入れば十分でしょう)


 あまり欲を掻くのは良くない。

 そこで亜夜香は今、彼らが一番気にしているであろう話題を口にする。


「ところで魔王討伐に関してなのですが……その魔王という輩がどのような存在なのかを教えていただけない限り、私は首を縦にも横にも振ることはできません」


「そ、それはつまり……」


「ええ……場合によっては、魔王討伐を承ることを検討しても良いですよ」


 まあ、検討するだけはタダだ。

 亜夜香はそんなことを考えながら言った。


「では早速……」


 魔王に関しての説明を始めようとする国王を、亜夜香は手で制した。


「申し訳ありません。少し休ませていただけませんか? 今日は少し疲れてしまって」


 これは嘘ではない。

 何しろ、唐突によく分らない場所に連れてこられ、交渉する羽目になったのだ。

 脳が疲労を訴えている。


「おっと、これは申し訳ない。では具体的な話は明日としましょう。どうぞ、おくつろぎください」

「ありがとうございます」


 亜夜香はそう言って頭を下げた。

 

「それと、一つだけ欲しいものがあるのですが、よろしいですか?」

「用意できるものであれば」


 国王が答えた。

 無論、用意できるもの……というのはあくまで無償で与えられる程度の価値のものに限る、という意味である。

 

 当然、亜夜香も無理な頼みはするつもりはない。


「処女の生き血をください」


 亜夜香は牙を覗かせて言った。

 



 それから亜夜香は快適な異世界生活を満喫した。

 宗一郎と千春がやってきたのは、それから一週間後のことであった。





「んぐ、しかし二人とも。天井から出てくるなんて、ちょっと登場方法が派手過ぎない? せめて玄関から入ってくるべきだったと思うんだけどな」


 クッキーを食べながら亜夜香は言った。

 宗一郎はジト目で亜夜香を見つめる。


「美味しそうだな」

「うん、美味しいよ。食べる?」

「……はぁ、心配して損した」


 随分と亜夜香は歓迎されているらしい。

 奴隷にされているのではないか、あんなことやこんなことをされているのではないか……といろいろと気を揉んだことを宗一郎はとても後悔した。


「貴様ら、何者だ!」


 騒ぎを聞きつけた将軍が衛兵を率いて事件現場にやってきた。

 兵士たちは槍を構え、宗一郎と千春を取り囲んだ。


「千春、あれ、何に見える?」

「槍ですね」

「だよな……つまり、あれだ。銃すらまともに無いかもしれない可能性があると」

「科学技術、低そうですね」

「異世界召喚なんてできるんだから、どんな超文明かと思えば……本当に、心配して損したな」


 これなら一年間放置していても良かったな、などと考える二人。

 それから二人は両手を上げた。


「私の名前は、源宗一郎。こちらは土御門千春。この世界へ拉致された橘亜夜香を救助しに参りました」


 宗一郎は将軍に対していった。

 すると将軍は亜夜香へ視線を向けた。


「……確かですか、アヤカ殿下」

「はい。宗一郎君と千春ちゃんは私の友達です……どうやら、私が酷い目に合わされていると勘違いして、ちょっと強引な入り方をしちゃったみたいですね」


 亜夜香はクッキーを食べながら言った。


「ん、大目に見てもらえませんか?」

「……それを決めるのは国王陛下です。お二方、もし抵抗の意志がないのであれば、武装解除をしてこちらへ来てもらえませんかな?」


 やや高圧的に将軍は二人に言った。

 すると、二人は口を揃えて言った。


「「お断りします」」


 若干、緊張が走る。


「……抵抗の意志があると?」


「まさか。ですが、我々からすればそちらは我が国の要人を誘拐し、監禁した敵国だ。敵地で武器を手放すことはできません。もしこちらに武装解除を求めるのであれば、そちらが先に武装を解除して頂きたい」


「少なくとも、武器を突き付けられている状態で、はいそうですかと、武器を手放す気にはなれませんね」


 宗一郎と千春は飄々と答えた。

 武器を向けられているというのに、一切動じていない。


「……そちらの言い分もご尤もだ。良いでしょう」


 将軍は兵士たちに武器を下げさせた。

 そして二人に背中を向ける。


「武器は持っていても構いません。ですが、抜かずにこちらへ来て頂きたい」

「良いでしょう」

「分かりました」


 二人は将軍の後を追う。

 するといつの間にかクッキーを完食し終えた亜夜香もまた、後に続いた。




 宗一郎と千春は謁見の間へと連行された。

 亜夜香が進み出て、宗一郎と千春を紹介し、二人が“上”からやってきた経緯を説明した。

 

 すると、なるほどとリデリテス三世は頷き……


「アヤカ殿下の意志を確認せず、彼女を連れ去る形になってしまったことは大変申し訳なく思っている」


 そう言って宗一郎と千春に謝罪をした。

 それからさらに続ける。


「私は日本国と敵対する意志は持っていない」


 すると亜夜香が補足するように言った。


「すでに私を誘拐したことに関しては、私とリディシア王国との間で解決したから、そのことに関しては二人は怒らなくても良いよ」


 亜夜香とリディシア王国、そしてリデリテス三世はそれなりに友好的な関係を築いているようだった。

 ならば、それを壊すわけにはいかない。


 すぐに考えた宗一郎と千春はリデリテス三世の前で跪いた。


「軽率な行動を取り、貴国に多大な迷惑をおかけして申し訳ございません」

「私たちにも、リディシア王国に対し、敵対する意志はありません」


 宗一郎と千春があっさりと引き下がったことに、リデリテス三世は安堵の表情を浮かべた。

 そして寛大さを見せつけるかのように言った。


「元々はこちらが悪かったのだ……この度の件は不問とする」

「「ありがとうございます」」


 とりあえず、王宮を破壊したことに関しては水に流してもらえた。

 天井を切断した張本人である宗一郎はホッと息をついた。


「それで……我々にも、亜夜香を誘拐した理由について、お話していただけますか?」

「無論だとも。しかし……その前にあなた方の立場について、教えていただけないかな?」


 立場。

 つまり宗一郎と千春の地位や身分、そして日本政府との関わりについて聞いているのだろう。


 宗一郎と千春は互いに顔を見合わせた。


「宗一郎さん、ご説明は任せます」

「分かった」


 誤魔化しを含めた説明は宗一郎の方が得意だろうと判断した千春は、このことについて宗一郎に一任した。

 千春に託された宗一郎は少し考えてから答える。


「我々二人は亜夜香の友人です。そして亜夜香は日本国にとっては外臣であり、我々は日本国にとって内臣です」

「外臣? 内臣?」


 翻訳魔術によってどのように訳されたのかは分からないが、リディシア王国の人間には「外の家臣」と「内の家臣」という概念がイマイチ伝わらなかったようだ。


「亜夜香は日本国の君主に従属する属国の女王であり、そして我々二人は日本国の君主に仕える家臣ということです」


 亜夜香のことを「殿下」という敬称を使って読んでいるところから、亜夜香がどのように自分の立場について話したのかを推測しながら宗一郎は答えた。


「家格については……まあ亜夜香と同程度であると考えていただいても構いません」


 源家は日本の吸血鬼殺しを統括する一族である。

 そして土御門家は日本有数の魔術師(呪術師)の名家だ。


 財力・政治力では現代の橘家には太刀打ちできないが、家格という側面ならば両家共に橘家と同程度であり、時代によってはその権勢は橘を超えることもあった。


 ので、宗一郎の説明はそこまで間違いではない。


 もっとも、今の日本は身分制社会ではないので“家格”を持ち出すのは少し的外れではある。

 結局のところ、亜夜香も含めて三人は高校生に過ぎない。


「ですが、今回に関してはあくまで亜夜香の友人としてこちらに来ました。つまり、日本政府とは無関係であり、我々は日本政府の指示は受けていません。もっとも……」


 宗一郎は一度言葉を切ってから、はっきりと告げる。


「一月以内に我々が帰還できなかった場合には、詳しい事情とここに来るために使用した魔術式が日本政府へ伝わるようにしています。つまり一月後には正式な日本政府の使者がやってくるでしょう」


 これは嘘だ。

 最低でも一年は掛かるし、その情報の真偽の判定を考えればより長い時間がかかる可能性がある。


「つまり、穏便にことを解決したければ、亜夜香を呼び出した“要件”を早急に済ませる必要がありますね」


 日本政府の使者がここにやってくるまでには一年かかる。

 が、しかし宗一郎たちが日本に帰るのに一年かかるかと言われれば、必ずしもそうとは言えない。

 

 千春ならば、例え地球とこの異世界がもっとも接近していなくとも、日本に帰るのに必要な“穴”を開けるための魔術を、年内に開発できるかもしれないからだ。


 実際、研究のための道具を千春はいくつか用意してある。


「そ、そうか……」


 やや、脅し気味に言った宗一郎に対してリデリテス三世は怒ることなく、むしろ若干怯えた様子を見せた。

 そんなリデリテス三世の様子に、宗一郎と千春は内心で「この人は大丈夫なんだろうか?」とつい心配してしまう。


「では、我々の事情について説明させていただく」


 そう言ってリデリテス三世は宗一郎たちを連行してきた将軍に目配せをした。

 すると将軍は宗一郎たちに説明を始めた。


「アヤカ殿下には“魔王”を討ち取っていただくために、この地に来て頂きました」



 遡ること今から三年前。

 突如、強大な力を持つ三人の(おそらく)人間と思しき者たちがリディシア王国に出現した。

 彼らのうちリーダーは自らを“魔王”と名乗った。


 魔王とその二人の部下は王国から北西の辺境の地に、“魔王城”と呼ばれる拠点を築き、そこでゴブリンやオークといった知性の低い人型の魔物を調教し、軍隊を作っている。


 そして時折、“魔王城”から軍隊を率いてリディシア王国に攻撃を仕掛け、略奪を働いているのだという。


「要するに、その“魔王城”を攻略して欲しいのです」

「ふむ……一つ聞きますが、軍隊で攻め落とすことはできないのですか?」


 亜夜香は強い。

 が、だからといっても限界が存在する。


 槍を思った千人の人間ならば容易く蹂躙できるだろう。

 一万人が相手でも、まだなんとか対応できる。

 しかし十万を超えればさすがに厳しい。


 もし軍隊で太刀打ちできないのであれば、亜夜香にも太刀打ちできないだろう。


「彼らの拠点である魔王城は内部で空間がねじ曲がっており、難攻不落の迷宮となっています。攻め落とすのは不可能です。……すでに二万の兵士が全滅しています」


「魔王城の周囲を長城か何かで囲い、敵が出てこれないようにするのは?」


「それが……敵は転移魔術という極めて高度な、我々では到底不可能な魔術を使用できます。それを使って軍隊を国の各地に送り込んでくるのです」


「転移魔術、ですか」


 転移魔術。

 それは地球でもつい最近開発されたばかりの魔術だ。


 加えて言えば、開発はされたが実用化の目途は立っていない。

 千春のような優れた魔術師にしか扱えない上に、運べる質量も限られているからだ。

 だから輸送手段としてはイマイチで、当然軍隊を送り込むことなど不可能。


 それに非常に複雑な魔術なので、魔術阻害魔術(アンチ・マジック)が施されている空間には飛ぶことができない。

 つまり暗殺にも使えない。


 それを軍隊を展開させるレベルにまで昇華させているとは驚きだ。


「なるほど、事情は分かりました。しかしそれほど強大な相手に、いくら亜夜香が強くても勝てるはずが……」

「いやー、そういうわけでもないんだよ、宗一郎君」


 そう言ったのは今まで黙って聞いていた亜夜香だった。


「どういうことだ?」

「うん、まず敵の軍隊だけど、これは簡単に無力化できそうなんだよね。どうやら、集団洗脳魔術が使用されているみたいでね」

「集団洗脳魔術?」

「そう。……それも、2014年にアメリカで開発されたものと、極めて似たものが」


 亜夜香の言葉に宗一郎と千春は目を見開いた。

 2014年に開発されたもの、というのはアメリカの魔術師が開発した、複数の人間を操ることができる、極めて高度な洗脳魔術のことだ。


 当時、魔術師界隈ではそれなりに話題になったので、そのことは宗一郎も千春も知っている。


 この魔術は日本の魔術師たちにも広まり、少なくとも2016年までには日本の優秀な魔術師ならばその魔術式を“知っている”ほどになっている。


 ちなみにこの「集団洗脳魔術」は、軍事目的に使用するには“欠陥品”であるとされている。

 

 猿のような知能の低い動物には極めて高い効果が出るが、人間には効きにくい。

 加えて魔術阻害魔術(アンチ・マジック)で簡単に無力化できてしまう。


「亜夜香さん、その言い方だと……」


 千春の言葉に、亜夜香は大きくうなずいた。


「多分だけど、その魔王とやらの正体は地球人なんじゃない?」


 しかし亜夜香の意見に対し、宗一郎は意義を唱える。


「それはあり得ないな。地球の転移魔術じゃあ、軍隊を送り込むことはできない。精々、コソ泥ができる程度だ。加えて、二万の兵士が道に迷っちまうレベルの迷宮を作る――内部の空間を大規模に捻じ曲げる――なんてことも、不可能だ」


「いえ、そうとも限りませんよ」


 宗一郎の考えに異議を唱えたのは、意外にも千春だった。


「どうしてだ?」


「転移魔術に関してですが、それは莫大な魔力があれば解決できます。内部空間の大規模な改造も同様です。人を一人転移させることができるならば、一万人を飛ばすこともできますし、また私たちが今現在行っているようにリュックの中の空間を拡張させてたくさんのものを収納するなんてことができるならば、同様に難攻不落の迷宮を作ることもできるでしょう。莫大な魔力があれば、の話になってしまいますが」

 

 千春の言っていることは、もし仮に月まで安全に歩ける道があるのであれば、徒歩で月に行くことは簡単だ……レベルの話だ。

 当然のことだが、月まで徒歩で移動できるような道はないので机上の空論になる。


 だが……莫大な魔力なら?


「もしかして、魔王城とやらの周囲には……」

「リデリテス陛下の話によると、魔王城は元々鉱山だったらしいよ、魔石のね」


 魔力は電力と同様に大量に貯蔵することができない。

 そして電力とは違い、発電ならぬ発魔することも難しい。生命エネルギーそのものだからだ。


 そのため魔術師は自分の魔力でせこせことやり繰りするしかないのだが……

 唯一の例外として、“魔石”が存在する。


 これは魔力の結晶体であり、魔力を取り出して使用できる。


 もっとも、地球では魔石は非常に希少な物質であるため、基本的に“研究”されることはあっても“使用”されることはない。

 使ってしまうにはあまりにも惜しいほど、高価だからだ。


「聞いた話が正しければ、この世界には地球の石炭程度には魔石が埋まってるみたいだよ? かなり大きな結晶がね」


「せ、石炭並みって……」

「本当ですか!?」


 宗一郎たちの気持ちを魔術を知らない一般人にも分かりやすく表現すると、「ダイヤモンド? ああ、うちの庭の砂利石は全部ダイヤモンドだよ」と言われた程度の衝撃になる。


「うんうん……まあ要するに簡単に説明すると、敵は優れた技術と莫大なエネルギーを使って優位に立っているわけよ。でも、それは私たちには関係ないでしょう? 複雑な魔術ほど、簡単に無力化できるからね」


 敵が優位に立っているのは、地球と異世界では地球の方が魔術の技術が数段上だからである。

 槍を装備した者と機関銃を装備した者が戦えば、後者が勝つのは当然だ。

 

 しかし同じ機関銃を持つ者同士が戦えば、話は変わる。


「知っての通り、私は“最強種”吸血鬼の中でも先祖返りだし、それに今、この場には千年に一度の天才魔術師である千春ちゃんと、超人SAMURAIの宗一郎君がいるじゃない? 正直、勝てる気がするんだよねぇー、それに、さ」


 亜夜香はゆっくりと目を細めて言った。


「魔王が現れたのは三年前。そして……あいつら(・・・・)が行方不明になったのも、三年前。私は偶然じゃないような気がするんだよね」


 三年前。

 あいつら。

 

 それは……三年前に亜夜香の父を殺した、亜夜香にとって叔父に当たる男。

 亜夜香の父を殺し、そして亜夜香をも殺すことで橘家の家督と遺産を奪おうとした人物。


 亜夜香を殺すことができず、そして亜夜香の要請によって日本中の吸血鬼、吸血鬼殺しに命を狙われ……

 そしてそのまま行方不明になった、吸血鬼とその一派のことを指している。


「……」

「……」


 亜夜香の言葉には明確な根拠はない。

 が、しかし可能性としてあり得なくはない……いやむしろ高い。


 たった三人で、そても僅か三年で一国を窮地に陥らせることができるほどの強大な力を持った集団となると地球でも数は限られるからだ。


「なるほど、我が国の吸血鬼が他国にご迷惑を掛けているというのであれば……俺も刀を抜く必要がありそうだな」


「そうですね。それにもしかしたら異世界転移に関わる技術を持っているかもしれません。一度、尋問する必要がありそうです」

 

 宗一郎と千春の表情が変わった。

 それは日本政府の命令で吸血鬼を殺す(仕事をする)時と、全く同じ顔だ。

 

 亜夜香はニヤリと笑った。


「そうでなくっちゃ!」







 それから三人は二週間ほどリディシア王国に滞在しつつ、敵の情報を集め、そして“魔王城”を攻略するための作戦を練った。


 そして……


「ふむ、しかし竜の背中に乗れる日が来るとは思わなかったな」


 宗一郎は竜の背中で呟いた。

 宗一郎たちは遥か上空、空の上を飛んでいた。


 今の時間は夜で、夜空には三日月が輝いている。


 空の上から魔王城に侵入し、魔王と二名の部下を暗殺するというのが作戦の概略だ。

 夜という時間を選んだのは、亜夜香と千春の魔力が最高潮に高まるのが夜だからである。


「宗一郎様の故郷には竜はいないのですか?」


 竜を操っている少女――リディシア王国の第三王女、リスティア・リーデシア――は宗一郎に尋ねた。

 宗一郎は曖昧に頷く。


「まあ、この世界で言う“竜”はいなかったな」


 厳密に言えば、実は地球にも竜はいる。

 もっともこの世界の竜とは、少々異なる生物だ。


 地球の竜は“世界最強の生物”である吸血鬼と対比される形で、“世界最高の生物”とされている。

 人間以上の知性を持ち、世界の理を自在に操作する“魔法”を操る。

 

「では空を飛ぶのは初めてということでしょうか?」

「そういうわけではないな。空を飛ぶ道具や技術は地球にもある」


 飛行機やヘリコプターを使えば空を飛ぶことはできるし、何なら飛行魔術を使えば飛べないこともない。


「もし……君が地球に来るようなことがあれば、その時は飛行機やヘリコプターを体験させてやるよ」

「まあ……本当に良いんですか?」

「竜の背中に乗せて貰ったお礼だ」


 などと宗一郎とリスティアが話していると……


「宗一郎君……」


 隣から若干、呆れた声がした。 

 真っ黒い翼を羽ばたかせて竜の隣を飛んでいる少女――橘亜夜香――である。


 吸血鬼は空を飛ぶための翼を持っている。

 普段は体内に隠しているが、いざという時は翼を広げて飛ぶことができるのだ。


 ちなみに空を飛ぶ姿を人間に目撃されて生まれたのが、“天狗”である。


「また口説いているの?」

「外国でできた友人を日本に招待しよう……って話は、別におかしくはないだろう?」

「友人、ね……」


 亜夜香はジト目で宗一郎を見た。


「あ、亜夜香様! そ、その、私は別に宗一郎様のことをどうとは……」


 慌てた様子でリスティアは亜夜香に弁解した。

 

「別にリスティアのことは疑ってないよ。うん、今度機会があったら是非日本に来てね。うちの家に泊まらせてあげる。宿賃は血をちょっと吸わせてくれれば良いよ」


「ち、血ですか」


 リスティアは顔を赤くした。

 恥ずかしそうにもじもじし始めるリスティア。


 宗一郎は亜夜香を睨んだ。


「お前、まさかリスティアの血を吸ったのか?」

「ちょっとだけよ、ちょっとだけ」


 実はリスティアは亜夜香を召喚する儀式を執り行った、修道服っぽい服を着ていた少女その人である。

 罪悪感を抱えていたリスティアは亜夜香にお詫びに何かをさせてくれと頼み、亜夜香はリスティアの血を「お詫び」に吸ったのだ。


 なぜ宗一郎がそのことを咎めているのか、そしてリスティアが顔を赤くしているのかと言えば……


 吸血には激しい性的興奮と快感が伴うからだ。

 正確に言えば、吸血時に牙から麻酔代わりに注入される毒に強力な媚薬としての効果がある。


 中毒性がかなり高く、一度“嵌って”しまうと抜け出しにくくなるのだ。

 吸血鬼が直接、牙を突き立てて吸血することが禁じられているのはそれが理由である。


 ちなみにその毒は吸血鬼の体にも効果が出る。

 

 吸血鬼の吸血欲求は食欲や性欲と直結しており、吸血行為には性的快感を伴う。

 そして性的興奮により、吸血鬼は毒を牙から分泌する。


 そして少し間抜けだが、牙から過剰に分泌された毒は吸血鬼の体内にも回るのだ。


 さらに間抜けな話ではあるが、毒は性的興奮時に分泌されるため、少し“ムラムラ”した時でも分泌してしまう。

 

 こうなると“すっきり”するまで、吸血鬼は自らの分泌した毒で悶え苦しむことになる。


「亜夜香、お前も知っていると思うが、吸血はいろいろと危険で……」

「い、良いんです! わ、私が言い出したことですし! そ、それに、私も、その……」


 どうやらリスティアは吸血されることに“嵌って”しまったらしい。

 宗一郎はため息をついた。


「そ、それはともかく! そ、そろそろ魔王城の真上に到着しますよ!!」

「なるほど、その通りですね」


 そう言ったのは宗一郎たちとは別の竜の上に乗っている千春だ。

 地球から持ってきたのか、仕事着(巫女服)を着用している。


 幻覚の魔術はすでに解いていて、頭からは狐耳が、そしてお尻からは合計九本の尻尾が飛び出ていた。


「この結界、やはり地球で用いられているものと同じ型のものですね。やはり敵は地球人のようです」


 そういう千春の手にはiPadがあった。

 地球から持ち運んだものだ。


 千春はiPadをリュックにしまうと、ポケットからウォークマンと呪符を取り出した。


 呪符を空中に展開する。

 同時にウォークマンのスイッチを押す。


 ウォークマンから流れ出た呪文と、呪符、そして千春が自ら詠唱する呪文と、手で結ばれた印。

 それらが複雑に絡み合うことで魔術式を構築し、結界を破るための魔術を作動させる。


「破!!! っと、これで“魔王城”は丸裸です。さあ、宗一郎さん」

「ああ、分かった」


 宗一郎は軽く頷くと、竜の背中からあっさりと飛び降りた。

 遅れて千春も飛び降り、そして亜夜香は後を追うように地面に向かって飛んだ。


 しばらく地面へと落下していると、気付かれたらしい。 

 防空用に調教されたらしい竜が十頭、宗一郎たちに襲い掛かってきた。


 宗一郎はそんな竜たちに対し……

 軽く手を振った。


 斬!!!


 その瞬間、竜が十頭、すべて肉片に代わった。


「宗一郎君ってさ……人間じゃないよね」

「SAMURAIですからね。真の達人なら、刀を使わずとも物を切断できる……って、真剣に意味不明ですよね」

「ゆで理論だよね。というかさ、宗一郎君の手の長さよりも竜の胴体の方が太いのに、何で真っ二つに斬れるんだろう? 意味わかんないよね」

「斬撃を飛ばしてるんじゃないでしょうか? 宗一郎さん、飛ばせますよね、確か」

「確かなことは物理法則を司る神様は女の子ってことだね」



「聞こえてんぞ、そこの狐と蝙蝠!」


 宗一郎はそんなことを叫びながら、目前に見えてきた魔王城を睨む。

 そして腰に差していた木刀――ちなみに中学の頃に修学旅行で買ったお土産品――を握りしめる。


「この俺に、斬れぬモノなど……」


 魔王城に激突する瞬間、居合のように腰の木刀を振り抜いた。

 

「あんまり、」


 斬!!!

 一陣の風が吹き、まるでバターのように魔王城の屋根を切断した。


「ない!!!!!」


 宗一郎は魔術を使い着地の衝撃を和らげ、そして両足で着地。

 同時に木刀を腰にしまった。


 そして呆気に取られた表情を浮かべている三人――魔王とその愉快な仲間たち――に向かっていった。


「その首、貰おうか」


 

「……やっぱし人間じゃないよね」

「BUSHIってすごいんですね」


 やや呆れた声を浮かべつつ、亜夜香と千春が空から遅れて降りてきた。

 それからゆっくりと亜夜香は前に進み出て、笑みを浮かべて言った。


「やっぱり、叔父様だったんですね。また会えて嬉しいです」


 満面の笑みを浮かべて言った。






「……ああ、久しぶりだな。亜夜香、我が姪よ。またこうして出会うことができて、本当に、嬉しいよ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、魔王――橘龍之介――は言った。

 そんな感動的(?)な叔父と姪の再会に、チャチャを入れるかのように宗一郎と千春は口々に言った。


「しかし、本当に地球人とはな」

「科学技術が進んでない世界に行って、技術SUGEEEEした上に魔王を名乗るなんて、ドラえもんの敵キャラみたいなやつですね」

「日本誕にいたよな。名前、なんだっけ」

「ギガゾンビですね。23世紀の時間犯罪者です」


 そんなことを口々に言う二人を橘龍之介は軽く睨む。


「……なら、君たちはドラえもんか? ふん、勉強不足だな。日本誕生では、タイムパトロールがいなければドラえもんたちは敗北していた。そして……現実にはタイムパトロールはいない。甘夏、やれ!」

「承知しました、橘様」


 橘龍之介は甘夏久嗣あまなつひさつぐという部下の魔術師――古くから橘家に仕える人間の一族出身の男――に命じた。


 甘夏久嗣は呪文の詠唱をしながら、手に持っていたスマートフォンを操作する。

 するとスマートフォンの中にインストールされていた魔術式を起動し、それにより魔王城全体に張り巡らされていた魔術が作動した。


 魔王城の内部空間が歪みはじめ、同時にどこからともなく出現したオークやゴブリンが襲い掛かる。


「勉強不足はそっちですよ、おじさん」


 千春は呪符を周囲に投げつけてから、スマートフォンにあらかじめインストールさせていた魔術式を起動させ、同時に呪文の詠唱をした。 

 

 すると魔術阻害魔術(アンチ・マジック)が作動し、魔王城全体に掛けられていた空間歪曲の魔術と、ゴブリンやオークを支配下に置いていた集団洗脳魔術が無効化された。


「大山のぶ代のドラえもんしか知らない中年おじさんは知らないのかもしれませんが、リメイク版ではギガゾンビはドラえもんに倒されるんですよ?」


 ニヤリ、と千春は笑って言った。

 甘夏久嗣は眉を潜めた。


「……安倍晴明の再来に、魔術勝負を挑むのは無謀だったか」

「なら、足止めは俺が出ましょう。橘様と、甘夏殿はその間に逃げてください」


 そう言って前に進み出たのは、千春と同様に半妖の男だった。

 頭には犬のような耳、臀部からは犬のような尻尾が生えている。


 犬養勝いぬかいまさる

 橘龍之介に個人的に仕えている狼型の人狼の男だ。


「幸いにも、今は月が見える。……できれば満月が良かったがね」


 そう言って犬養勝は宗一郎が明けた穴から覗く三日月に視線を移した。

 見る見るうちに犬養勝の魔力が膨れ上がっていく。


「よし、任せたぞ、犬養!!」


 そう叫ぶと橘龍之介は甘夏久嗣を引き連れて逃げるような階段を下って行った。


「逃げないでよ、おじさん! せっかく、叔父と姪の再会なのに!」

「逃げるのは勝手だが、首だけは置いてってもらうぞ!!」

 

 亜夜香と宗一郎は橘龍之介と甘夏久嗣を追おうとする。

 そんな二人に立ち塞がろうと、犬養勝は爪を振り上げ、二人に襲い掛かろうとした。


 しかし……


「っく!」

「私を忘れて貰ったら困りますね」


 千春が放った呪符が犬養勝の足元に命中し、爆発。

 犬養勝の歩みが止まった。


 結果、犬養勝は亜夜香と宗一郎の二人を取り逃がすことになった。


「同じ人狼同士、戦いません?」

「良いだろう、お嬢ちゃん。……戦い方というものを、教えてやる!!」


 二人は向かい合った。

 

「そういえば、犬養さん。あなたはさっき、今は満月ではないといいましたね?」

「それがどうした?」

「私には……満月に見えます」


 そう言って千春は空を指さした。

 犬養勝は視線だけ空を見上げる。


 そこには三日月が輝いていた。


「頭でも、おかしくなったか!!」


 犬養勝はそういうや否や、千春が呪符を取り出すよりも早く、一気に距離を詰めた。

 そして千春の体に拳を叩きこむ。


「自分の得意を押し付け、敵に得意を発揮させない……それが戦いというものだ!!」


 犬養勝の拳が千春の腹に突き出さる。

 が、しかし同時に千春の拳が犬養勝の胸を打った。


「っぐ」

「っかふ」


 二人は同時に呻き声を上げた。

 そして同時に距離を取る。


「……まさか、同門とはな」

「同じ人狼同士なんですから、不思議はないでしょう?」


 そして二人は全く予備動作無しに、互いの距離を詰めた。 

 そして全く同時に攻撃を打ち合う。


 ほぼゼロ距離の近接打撃。

 それは弩級戦艦同士の撃ち合いのようだった。


(我々、人狼は身体能力が極めて高く、そして体が頑丈……)

(よって、その身体能力を最大限に生かせるのは、この武術。まあ、考えるところは同じようですね)


 「二の打ち要らず」と言われるその拳を、ゴリラを片手で捻り殺せるだけの身体能力をもつ人狼が放てば、その破壊力は形容無しに砲撃並みとなる。

 普通の人間であれば、一撃で体を木っ端微塵に粉砕することが可能だ。


 犬養勝と、土御門千春。

 そんな弩級戦艦同士の砲撃合戦は五分ほど続いた。


 そして……

 最終的に沈んだのは、千春だった。


「げほ……」


 吹き飛ばされた千春は軽くせき込んだ。

 口から血が溢れ出る。


「同じ人狼だが、俺は狼でお前は狐だ。食い合いなら、前者が勝つのは当然だ」

「……そうですね、おっしゃる通りです」


 口から血を吐きながら、千春は笑みを浮かべた。


「食い合いなら、そうかもしれません」

「自暴自棄になったか? まあ、いい。これで、終わりだ!!」


 箭疾歩で距離を一気に詰めた犬養勝は鉄山靠を放った。

 

「俺の勝ちだ」


 千春の全身の骨が砕け散った感触を覚えた犬養勝は笑みを浮かべた。

 しかし、それでも千春は笑みを湛えたままだった。

 それどころか、全身の骨が砕け散ったのにも関わらず、あっさりと立って見せた。


 どういうわけか、血と埃で塗れていたはずの巫女服までもが新品同様に変わっている。


「痛くも痒くもありませんよ?」

「馬鹿な……そんなはずは、ない!!」


 犬養勝は幾度も、幾度も、千春に拳を叩きつけた。

 千春を床に叩きつけ、そして馬乗りになり、その顔面や胸に拳を叩きこむ。


「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!!!」

「あははははははは!!!」


 気づくと千春の体は石のように固くなっていた。

 千春の体には一切傷がついていないのに、一方で犬養勝の拳は血まみれになる。


「なぜ、なぜ、なぜだ!! なぜ、死なない!!」

「そりゃあ、簡単ですよ……自分の得意を押し付けるのが、戦いの基本だからです」


 千春はひたすらに石の床(・・・)を殴り続ける、犬養勝を冷ややかに見下ろし(・・・・)ながら言った。


「知りませんか? 狐は化かすんですよ?」


 そんな千春の言葉は、幻惑に囚われたままの犬養勝には届かなかった。


 






 一方、犬養勝の相手を千春に任せた亜夜香と宗一郎は橘龍之介と甘夏久嗣を追って魔王城の地下へと向かった。


 階段を下った先は学校の体育館より一回り小さな部屋で、無数の水晶の柱が立ち並び、そして壁一面には魔法陣が描かれていた。


「まさか、この水晶は全部……魔石か?」

「その通りだ、源宗一郎」


 そう答えたのは甘夏久嗣だった。


「ここは私の工房だ」


 甘夏久嗣は扉の前に立ち、左手に杖を、右手に呪符を持って言った。


「ここから先は一歩も通さない」


 宗一郎は腰に吊るしていた木刀を抜き放って言った。


「亜夜香、あいつの相手は俺がする。お前は橘龍之介を追え」

「頼んだよ、宗一郎君」


 二人は軽く拳を合わせてから、一気に動き出した。


「通さないと、言っただろう!!」

 

 甘夏久嗣は魔術を作動させた。

 地面や天井から石の杭が、壁からは魔力の鎖が飛び出し、そして道中空間は歪曲する。


 それらの無数の障害に対し……

 宗一郎は木刀を振りぬいた。


「俺に斬れぬものなど、殆どない!!」


 宗一郎の放った斬撃は甘夏久嗣の作り出した障害を一刀両断した。

 そしてどういう原理が、飛ぶ(・・)斬撃が甘夏久嗣を襲う。


 甘夏久嗣は防御魔術でそれを防ぐ。


 そうこうする間に亜夜香は後ろの扉を蹴破り、橘龍之介を追って行ってしまった。


「通さないんじゃ、なかったのか?」

「……さすが、源頼光の子孫なだけはある」

 

 甘夏久嗣は宗一郎を睨んだ。


「だが、ここは私の工房。……すぐに貴様を倒し、橘様の加勢に行く!!」


 甘夏久嗣は無数の魔力弾を放った。

 一つ一つが戦艦の砲撃に匹敵するその魔力弾に対し、宗一郎は木刀一本で対応する。


「俺に切れぬものなど。少ししかない!!」


 次々と木刀でそれらを撃ち落としていく。


「化け物め……」


 しかし甘夏久嗣は余裕だった。

 なぜなら……彼にとって、これらの魔力弾はただの時間稼ぎでしかないからだ。


「これで終わりか?」

「その通りだ、もっとも、終わりなのは貴様だがな!」


 十分な時間を稼いだ甘夏久嗣は、その大規模な魔術を作動させようとする。


「っく!!」


 危機を感じた宗一郎はとっさに木刀を手放し、腰に差していた日本刀の柄を握った。

 そして一気に引き抜く。


「これで、終わりだ!!」


 日本刀から解き放たれた斬撃が甘夏久嗣へと真っ直ぐ向かう。

 木刀ですらも、建物を粉砕し、戦艦の砲撃に匹敵する魔力弾を弾くほどの破壊力があるのだ。

 日本刀から放たれた斬撃の破壊力は、それを遥かに上回るのは間違いない。


 しかし……


「遅い!!」


 すでに甘夏久嗣は魔術を起動させ終えていた。

 工房の全面に張り巡らされていた魔術式が作動し……


 すべてが止まった。


 舞い上がった砂塵も。

 石の礫も。

 宗一郎の放った斬撃も。

 そして宗一郎自身も。


 甘夏久嗣を除く、すべてが停止した。


 それもそのはず。


 甘夏久嗣は……

 自分の工房内の時間を停止させたのだ。


「工房で魔術師に挑んだのが、運の尽きだ!!」


 甘夏久嗣は勝利を確信した。

 そしてとどめの一撃を放とうと魔力を練り……


「なんだ、この程度か。警戒して損したな」


 再び動き始めた斬撃を交わすために、大きく横に飛んだ。

 甘夏久嗣は先ほどまでいた場所が、真っ二つに裂けている。


 少しでも避けるのが遅ければ、真っ二つになっていたのは甘夏久嗣だっただろう。


「な、なぜ……」


 停止した時間の中で、平然と動く宗一郎を、甘夏久嗣は茫然とした表情で見る。

 それに対し、宗一郎は余裕の表情で答えた。


「言っただろう? 俺に斬れぬものなど、あんまり、殆ど、少ししか、ないと」


 そしてニヤリと笑った。


「あんまり、殆ど、少ししかの中に、時間は含まれない」


 簡単な話だ。

 宗一郎は停止した時間を、切断したのだ。


 そして時の世界に入門してみせたのである。


「ば、馬鹿な……そ、そんなはずは……」

「別に、お前みたいなやつはさほど珍しくはない」


 宗一郎は刀を甘夏久嗣に向けて言い放つ。


「俺はお前みたいなやつを、五十六人は殺したことがある」     


 甘夏久嗣は思わず後退りした。


「降伏する気はあるか?」

「……しなかったら、どうなるというのだ?」

「首を貰うだけだ」


 あっさりと答える宗一郎に対し、甘夏久嗣は自暴自棄な笑みを浮かべた。


「私は人間だぞ?」

「知るか。吸血鬼も人間も、首は首だ。違いはない」


 そして笑みを浮かべて言った。


「斬った首の数を誇る武士はいても、首を斬ったことを悔いる武士はいない」


 吸血鬼殺しの仕事は、吸血鬼を殺すだけに限らない。

 吸血鬼と結託した人間の殺害まで含まれる。


 そのため吸血鬼殺しには、殺しのライセンスが与えられているのだ。


「で、どうする?」

「私も日本男児で、武士だ。我が身惜しさに、主人を売る気はない!」

「その心意気だけは、称賛しよう」


 一気に距離を詰めた宗一郎は、甘夏久嗣の首を目掛けて日本刀を振った。



 


 


「観念しなよ、叔父様」

「っく……」


 亜夜香に追いつかれた橘龍之介は立ち止まった。


「……まさか、異世界にまで追ってくるとはな」

「別に追ってきたわけじゃないよ? 偶然、ここに呼ばれただけ」


 そして亜夜香は目を細めた。


「地球上のどこを探してもいないと思ったら、こんなところに逃げ込んでたとはね」

「そうでもしないと、逃げられないだろう」


 亜夜香は橘龍之介を見つけるために、あらゆるコネを総動員した。

 日本中の吸血鬼、吸血鬼殺し、魔術師を動員した。

 それだけでなく、日本政府に圧力をかけて、自衛隊や警察をも動かした。


 日本だけではない。

 世界中のあらゆる国や機関にも、「橘龍之介」を探してもらうように頼み込んでいた。


「……私を、殺すつもりか?」

「別に? ホモ・サピエンスじゃあるまいし、殺したりはしなよ」


 吸血鬼は戦闘を好む種族であるが、しかし殺しは好まない。

 それは人間を支配することなく、人間社会に溶け込むようにして生きていることから分かるだろう。

 

「まあ、でも、罰は受けてもらうよ」


 そう言って亜夜香は橘龍之介を睨んだ、

 同族殺しは吸血鬼にとってタブーの一つ。


 自分の父――橘虎之助――を殺した龍之介を、亜夜香は許すつもりはなかった。


「罰? ……そもそも、橘家の家督は私のものだ。虎之助が、あんな弱っちい吸血鬼が継ぐなんて、あり得ない!」


 吸血鬼の社会でもっとも重要視されるのは血筋で、次に強さだ。

 虎之助と龍之介は兄弟なので……通常の吸血鬼の社会では龍之介が継ぐのが道理である。

 ……というのが龍之介の主張だ。


「人間社会では……強さなんて、重要じゃないよ。大事なのは資本の力。あなたには資本を運営するセンスがなかった。だから、お爺様はあなたを後継者に選ばなかった。そして……だからこそ、私にも負け、日本を追われることになった。違う?」


 橘家が日本の吸血鬼の支配者となり、そしてまた日本の人間社会で絶大な政治力を発揮しているのは、その腕力が理由ではない。

 長い間、蓄え続けてきた富が、その政治力の源泉である。


 ましてや今は資本主義の時代。

 強さはないが経済センスのある虎之助を、亜夜香の祖父が後継者に選ぶのは当然だった。


 そしてこの選択は正解だったと言えよう。

 それは虎之助が殺された後、日本中の吸血鬼が、日本の政治家が、資本家たちが龍之介の家督相続を認めず、亜夜香を後継者とみなしたことから明確である。 


「それに……強さこそが至上なら、どちらにせよ叔父さんよりも私が橘家の後継者に相応しいよ」


 亜夜香は口内の牙をむき出しにして言った。

 三年前、龍之介は十二歳の亜夜香を殺そうともくろみ……敗北したのだ。


 橘龍之介は確かに強い吸血鬼だった。

 しかし、橘亜夜香はそれを上回る強さを持っていたのだ。


 日本中の吸血鬼のほぼすべてが、無条件で平伏してしまうほどに。


「……それは三年前の話。今は私の方が、強い!」


 橘龍之介は莫大な魔力を解放した。

 そして……彼は産まれながら話すことができる、真言を、吸血鬼の強さの根源を口にする。


「『時よ、止まれ』」


 すべてが止まった。

 甘夏久嗣と同様に、時間を停止させてみせたのだ。


 もっとも、橘龍之介は魔術師ではない。

 魔術の腕は甘夏久嗣の方が上である。


 では龍之介はどうして時間を止めることができたのか……

 その答えは『真言』にある。


 『真言』『魔法語』『竜言語』


 様々な名で呼ばれるそれ(・・)は、魔法を使用するための特殊な言語である。

 魔術が技()止まりであるのに対し、魔法は世界の()則そのものである。


 根源的な世界の法則を自在に操作するために必要な魔法語を、一部であるが生まれながらに知っている。

 そのアドバンテージと、人間をはるかに超える身体能力と魔力により、吸血鬼は世界最強の生物の座に君臨している。


 ……余談ではあるが、魔法語が別名『竜言語』と呼ばれる通り、地球の“竜”は吸血鬼よりもはるかに自在にこの魔法語を操れる。

 故に“竜”は世界最高の生物とされている。



「『時間を止めた』くらいでいい気になられても困るね」


 停止した時間の中で、亜夜香は冷ややかな口調で言った。


「そのくらいなら、私は産まれた時からできるよ。そもそも、私の方が使える語彙(・・)は多い」

「ああ、知っているとも。赤ん坊の時の君には随分と、手を焼かされた!」


 停止した時の中で、二人は激突した。

 

 その戦いに、技術と呼べるものはなかった。


 宗一郎は剣術を極めた。

 千春は武術と、魔術を極めた。


 しかしそれは二人が弱い(・・)種族だからだ。


 生まれながらにして強者である吸血鬼には、技術を極める必要はない。

 獅子は訓練などしない。

 生まれながらにして強いからである。


 よって……

 二人の戦いは単純な力のぶつかり合いである。


 強大な魔力と、そして世界を支配する魔法によるぶつかり合い。

 二人の間で、幾度も世界の法則が歪む。

 空間がぐちゃぐちゃにねじ曲がり、時の流れが乱れる。


 それは一瞬だったかもしれない。

 いや、もしかしたら数百年だったかもしれない。


 時間が乱れている故に、その“時間”を図ることは不可能だった。


 しかし……結果だけは確かだった。


「三年前の私に勝てなかったのに、今の私に勝てるわけないじゃん。私は成長期なんだよ?」

「っく……ここ、までか」


 亜夜香に頭を踏みつけられた橘龍之介は呻き声を上げ、気絶した。

 



 

 

 

「お、丁度終わったか?」

「お疲れ様です、亜夜香さん」


 橘龍之介を倒した亜夜香のもとに現れたのは、甘夏久嗣を引きずる宗一郎と、同様に犬養勝を引きずる千春だった。


 亜夜香は満面の笑みを浮かべる。


「うん、倒し終わったところ。……というか、宗一郎君。殺さなかったんだ?」

「ん? ああ、殺さずに無力化できたからな」


 宗一郎は甘夏久嗣に視線を移していった。

 宗一郎は確かに甘夏久嗣の首に日本刀を浴びせたが……

 それは峰打ちだった。


「宗一郎君って、首首言う割にはあんまり殺さないよね?」

「別に武士だって、毎回首落としているわけでもないしな」


 人を殺すことに関して一切躊躇がない宗一郎ではあるが、別に人を殺すのが好きなわけではない。

 殺さずに無力化できるのであれば、基本的に殺さないのが宗一郎の方針だ。


「俺は武士だが。それ以前に文明人だからな。それに……俺はチェスよりも将棋が好きだ」


 将棋は倒した駒をそのまま利用できる。

 そして……宗一郎は甘夏久嗣を利用するつもりでいた。


「こいつらは異世界転移してこっちに逃げてきた……ってことは、異世界転移の技術を持ってるってことだ。……できれば夏休みが終わる前に、地球に帰りたいからな。頼んだぞ、千春」


「はい、任せてください」


 千春は頷いた。



 千春が異世界を自由に行き来する魔術を開発したのは、それから一週間後のことであった。








「懐かしの我が家! 帰ってきました!! いやー、いろいろあったけど、楽しかったね!!」

「ですね」

「否定はしない」


 橘邸の庭で亜夜香と千春と宗一郎は、懐かしの日本の空気に、ホッと一息ついた。

 三人とも、ちょっとホームシックになっていたのだ。


「ところで、こいつらどうする?」


 宗一郎は眠らせた上で鎖と魔術で縛り付け、完全に拘束した状態の橘龍之介、甘夏久嗣、犬養勝を指さして言った。

 倒したのは自分たちなのだから、彼らを裁く権利は自分たちにある。

 という主張で、三人を連れて帰って来たのだ。


 宗一郎も亜夜香も千春も、三人に関しては文明人らしく、文明的な方法で罰を与えるつもりでいる。


「んー、とりあえず倉庫にでも放り込んでおこう」

「了解」


 宗一郎は庭にあった土蔵に三人を放り込んだ。

 それから宗一郎たちは橘邸に上がり、リビングのソファーに座り込んだ。


 ……ちなみに亜夜香は一人暮らしで、基本的に召使を雇っていない。

 魔法で掃除を済ませることができてしまうからだ。


「ところでさ、亜夜香」

「何?」

「異世界のことを日本政府に報告したら、どうなると思う?」

「そうだね……」


 亜夜香は淡々と、「異世界のことを日本政府に報告した場合」の想定を話し始めた。


 異世界には手つかずの石油・石炭・鉄鉱石・ポーキサイト・ウラン・金・プラチナなどの地下資源、そして地球よりもはるかに多くの魔石が存在する。

 それだけでなく、安価な労働力や市場になり得る人口も魅力的だ。


 つまり放っておくはずもなく、当然異世界との“貿易”を図ろうとするだろう。


 そしてこれらを日本だけで独占することは難しい。

 なぜなら、大きな経済活動をすれば必ずほかの国に知られるからである。

 世界経済は一体化しているのだから、日本だけでこれは独占できない。


 日本は“占有権”を主張しつつも、このことを世界に公表するだろう。

 そして世界中の国々は一斉に異世界への進出を図る。


 異世界の莫大な資源や豊かな以前は、現在の地球のあらゆる問題を“一時的に”解決し得るだろう。


「結果として、リディシア王国を始めとする異世界のあらゆる国の経済は崩壊するだろうね。衣服一つとっても……ユ〇〇ロ製品をばらまくだけで、あの世界の繊維産業は壊滅させられる。自然破壊も当然進むし、さらに安価で強力な地球の武器が流入するから、紛争も激化する。そして異世界の国々に“近代化”を促し、近代化に必要な資金の貸し付けの担保として、あらゆる利権が差し押さえられ、買い占められ、事実上の植民地になるだろうね」


「日本には憲法九条もあるし、世界の潮流的にも軍事的な侵略は批難されるんじゃないか?」


「やだなー、宗一郎君。分かっていってるでしょ?」


 亜夜香はペラペラと、羊皮紙を手に取りながら言った。

 それはリデリテス三世から亜夜香が“賠償”として手に入れた、商権である。


「直接侵略する必要なんて、皆無だよ。現地に親日政権を樹立させれば良い。異世界の“野蛮な習慣”を人権問題として取り上げ、それを正すためとか、適当なことを言えばほとんどの人権家は黙るか、もしくは逆に協力してくれる。……何なら、「民無き土地に民無き民を」、とか言って、地球上の難民を押し込むって手もある。おっと、これで今の難民問題の殆どが解決しちゃうね。私って天才かも」


 「あははははは」と愉快そうな声を上げて亜夜香は笑った。

 そんな亜夜香に対し、千春は付け足すようにいった。


「難民問題以外にも、地球温暖化も解決しますよ? 工場の多くは異世界に移せばいいわけですし」

「その代わり、失業率は上がるだろうけどな。特に、先進国の大企業に雇用と経済成長を頼る発展途上国の経済は壊滅するだろうな」


 それから三人は顔を見合わせた。


「まあ、黙っておくのが無難だな」

「そうですね、後味が悪い」

「んー、まあせっかく手に入れた商権は無駄になっちゃうけど、幸いにもお金には困ってないしね」


 三人は認識を共有させた。


「というか、あの世界の存在を知られるのは俺らにとってはかなり不味いだろう。……あの世界では魔術は公然のものだ」


 地球では魔術の存在は秘匿されている。

 それが何を意味しているのかと言えば……魔術という技術が代々魔術師や吸血鬼殺しを世襲する家――源家や土御門家など――の専売特許であるということだ。


 もし仮に異世界の存在が明らかになれば、魔術の秘匿は難しくなる。

 ――そもそも異世界に移動するには魔術が必要だ――


 結果、地球の魔術知識は公開されてしまう。

 それは宗一郎や千春を含む、吸血鬼殺しや魔術師の既得権益が脅かされることを意味する。


「私たちにとっても利益はないよ。魔術が知られたら、吸血鬼の存在も知られちゃうし」


 地球に於いて魔術が秘匿されているのは、吸血鬼の存在を秘匿するためである、

 裏を返せば、魔術が公開されれば、吸血鬼の存在が明らかになるのも時間の問題だ。


 これは吸血鬼にとって、死活問題である。


「ホロコーストは約八十年前、ルワンダ虐殺は約二十数年前……私たち吸血鬼は、自分たちがジェノサイドの対象にならないと安心して枕を高くして眠れるほど、心臓に毛は生えてないね」


「私もです。……私なんて、尻尾生えてるんですよ?」


 ホモ・サピエンス同士ですらも、些細なきっかけや違いで虐殺されることがあるのだ。

 ホモ・サピエンスではない亜夜香や千春は自分たちが差別や迫害の対象にならないと思えるほど、楽観的でもなければ、能天気でもなかった。


「つまり、このことを日本政府に伝えればみんなが不幸になる可能性があるわけだ……うん、黙っておくことにしようじゃないか。俺も21世紀のコロンブスと、歴史に名前を残したくないしな」


 異世界のことは誰にも口外しないこと。

 そして異世界から連れ帰ってきた三人――橘龍之介、甘夏久嗣、犬養勝――の異世界に関する記憶は魔術的手法により完全に消去することに決めた。


「さて……取り敢えず解決しなければならない問題の一つは解決したな」

「……一つはってことは、まだ、何かあるの?」

 

 宗一郎の言葉に、亜夜香は首を傾げた。

 そんな亜夜香に対し、千春は苦笑いを浮かべて言った。


「亜夜香さん、お忘れですか? もう夏休みが終わるまで、一週間もありませんよ?」

「あー、そういえば、まだ海にもプールにも言ってないね! よし、今から水着を買いに行こう!」


 そんな能天気な亜夜香に対し……

 宗一郎と千春はため息をついてから、一言、口を揃えて言った。


「「課題」」

「……あ」


 ようやく、夏休みの課題に全く手をつけていないことに気付いた亜夜香は表情を硬直させた。

 そして……


「ああああああああ!!!!」


 頭を抱えた。

 そして暗い目で言った。


「なんか、腹立ってきた!! 勝手に人の夏休みを潰しやがって! ……復讐のために、異世界のことを日本政府に報告しちゃダメ?」


 そんな亜夜香に対し、宗一郎と千春は淡々と答えた。


「復讐は何も生まないぞ」

「少なくとも課題は解決しませんね」

「もう! 分かってるよ!!」


 亜夜香は拳を握りしめた。


「これから一週間、課題が終わるまでの間、私の家でお泊り合宿を開きます! 異論はある? ないね? よし! じゃあ私、お菓子買ってくるね! あ、なんかわくわくしてきた!!」


 ウキウキとスキップしながら外へ出ていく亜夜香を見送りながら、宗一郎と千春は呟いた。


「たまに、あいつのプラス思考が羨ましくなる」

「拉致されたのにも関わらず楽しそうにしてましたし、見習いたいものですねぇ」


 二人はしみじみと呟いた。 


面白い、続きが読みたい、連載して欲しいと思った方はブクマ・ptを入れてください。

感想も頂けると、なお嬉しいです


あと、このURLの先に書ききれなかった設定や挿入できなかったセクシーシーンを書きました

良かったらどうぞ

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[良い点] ・「強さなんてね、この世の中じゃあ何の役にも立たないのよ。ラノベや漫画、アニメじゃないんだからね」 ・ということは勇者召喚に違いない! などと考えるほど二人がゲーム脳でも漫画脳でもない。 …
[一言] すらすら読めて、面白い。ぜひ続編を読ませてください。それに世界観がしっかりしています。書く方も好きな身としては、いい勉強させて貰いました。
[一言] とても面白かったです!読み応えたっぷりで久々に短編で満足できました!設定もしっかり凝っていて最後の終わり方もうまくまとまっていて読後感がとてもいいです。高校生で俺Tueeしてるのにきちんと自…
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