3
楽屋は広かったが、ひとバンドずつに用意された長机の上は、鞄やパスや飲食物やらでごちゃごちゃな上に、壁や床にも様々な機材が並べられては、狭苦しく雑然となっていた。
人口はといえば、ホールにライブを見に行っているのか、物の密度の割には少ない。
そのまばらな人影の中にタツはいた。部屋の奥の方に座って、雑誌を眺めている。
先日と変わらない威圧感に、寧々も優子もタツをすぐに見つけることができたのだが、排他的空気漂う楽屋の深部にまではすぐには入れず、二人はしばらく目当ての人を伺うような格好になってしまった。
そうとは知らないタツは、机に肘をつき、不機嫌そうにページをめくる。
机の上は、何人かがたった今まで飲んでいたらしいペットボトルや、吸い殻だらけの灰皿、スマホなんかが散乱していたが、それとは対照的に、ギターやベースなんかはケースに丁寧に『安置』されていた。寧々と優子には何なのかよく分からなかったが、エフェクターや配線関係なども同様だ。その差が激しい。
周りには、空いたパイプ椅子がいくつか散らばっているので、何人かがそこに座っていたらしかったが、どうやら今は席を外しているようだ。
場違いな寧々と優子の醸し出す空気の違いでも感じたのだろうか。そうこうしているとタツがふと目をあげ、入口に立っていた二人に気がついた。
優子が慌てて満面の笑みで手を振る。
「えへへ。来たよー」
するとタツは口をぽかんと開けた。驚いた。そんな表情だ。それは、優子がいつの間にか入って来ていたから、というだけではなさそうだった。
「……げ。ホントに来た……」
耳を疑う発言に、今度は優子が一瞬前のタツと同じ顔をする。だが、その後一拍も無いうちに、もう優子の口が開く。
「ホントに、って……なによそれ! 嫌ならチケットなんか、くれなきゃよかったでしょ!?」
人一倍耳に痛い優子の甲高い声が楽屋に響き渡る。タツは再び驚いて、反射的に、という勢いで立ち上がった。
「そ、そういう意味じゃねえよ。大声出すな」
「じゃあどういう意味よ!」
楽屋に他に残っていた何人かの注目を受けて、タツは恥ずかしそうにぎこちない愛想笑いを浮かべて、そちらに軽く頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。本当に来ちゃって……」
歓迎されていない気がして寧々が謝る。それでタツが慌てた。
「や、違う、違う。ホントに、社交辞令とかじゃないから。来てくれてサンキュ。マジで。ただ……」
タツは優子に対するのとは違う少し角の無い話し方で寧々に言ってから、途中でちらりと視線の行く先を変えた。
「……ただ……ホントに優子が来ると思わなくてさ……」
タツはまだ信じられないという顔をしていた。優子は風船のようにぷくーっと膨らむ。
「あたしは邪魔だってのー!?」
「まさか来ると思うかよ!」
「行くって言ったじゃない!」
部屋のほぼ端と端とで言い争う優子とタツの間で、軽く火花が飛んだ。
寧々には興味があるところだった。過去の彼氏に対して、いつもこだわりを見せない優子。それが、例外として唯一タツにだけは違った。だから、その人には、どんな態度で接するのか。が、予想も期待もしない展開なってしまった。これがかつて付き合ってた恋人同士とは。
「ま、まあまあ……」
本当は、寧々はすっかり面食らってしまっていたのだが、徐々にエスカレートしつつある二人を放っておけず、おずおずと口を挟む。
それでも二人はしばらく睨み合っていたのだが、ふっとタツの方が態度を緩めた。
「ばか。冗談でチケットなんか渡すかよ」
そう言うと、タツは嫌そうな顔でこめかみを押さえ、元の席につこうとしたが、周りの迷惑を考えたのだろうか、やめて、寧々と優子の方に近づいてきた。だが同時に、楽屋にいた何人かも、タイミングを見計らっていたかのように、その隙に全員出て行った。
心なしではなく、楽屋が静まり返っている。空気が重い。
ようやく会話するのに適切な距離となっても、優子とタツの間には不穏な空気が漂う。寧々は、その二人の間で視線を泳がせるしかない。だが良いことに、そのうちにタツが何かに気がついた。