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「えっ!? その人のやってるバンド、『Irony』だよ!」
あの京介の初ライブ以来、久しぶりのデートの日、先日のことを寧々が話すと、京介が飛び上がって驚いていた。優子の幼馴染で元カレ、タツと偶然再会したことだ。
「京介くん知ってるの?」
「この辺では有名なバンドだよ」
京介は体格も顔つきも、年よりも少々幼く感じられる。その代わりと言っては何だが、見るからに優しそうな雰囲気を持っている。こんな男の子がロック系のバンドを組んでいると言ったら、恐らく十人中、九人は驚くだろう。彼女である寧々ですら、否定できない。
そんな京介と寧々が、ちょこんと噴水そばのベンチに腰掛けている。見上げる空は気持ちのよい澄んだ水色。今日は日曜。二人で、街まで出て来ていた。
「そうなの……? タツさん、バンドのことは何にも言わなかったから……」
「間違いないよ。チケットにも『Irony』って書いてあるし、僕ら、皆で一回ライブも見に行ったことあるし。それに、ヨシさんやトウジさんと知り合いだったんでしょ?」
「う、うん。たしか、そう呼んでた。そのヨシさんって人たちのことも、京介くん、知ってるの?」
「知ってるも何も、僕らが次に出る予定のライブの主催だよ! 二人一緒だったんなら、絶対間違いないよ」
「えーっ!?」
寧々が目を白黒させる横で、京介はタツから貰ったチケットを見直す。
「へえ……あのタツさんから直接……てか優子の……寧々ちゃんから聞いても、ちょっとすぐには信じられないなあ……」
かねてより何度も優子からタツの話を聞いてきた寧々は、実は、その本人に会えて、想像とは少し違ってはいたが、多少の感動を覚えていた。ところが、そうではない京介が、なにやら目を輝かせている。
寧々は小さく首を傾げて、京介を見つめた。
「……どうしたの? 京介くん」
その言葉で、京介はまるで弾けたように立ち上がった。
「どうもこうもないよ! Ironyって、すんごい上手くて、すんごい人気があるバンドなんだよ!? 知り合いだったなんて、びっくりしないわけないよ!」
「そ、そうなんだ……」
寧々はその事実よりも、普段おとなしい京介の勢いに驚かされていた。それに気づいたのか、京介は恥ずかしそうに笑って顔を掻く。
「あ……ごめん。熱くなりすぎだよね。所詮アマチュアバンドでしょ? って思った?」
「ううん、そうじゃないの。京介くんのそんな顔初めて見たから」
穏やかに返す寧々に、京介はどこか安心したような表情を浮かべた。
「……僕さ、バンド始めてみて分かったんだけど、ほんと、音楽を人に聴かせるって大変なことなんだ」
京介はどこを見るともない瞳で、苦々しそうに、ぽつりぽつりと静かに話し始める。
「僕、カラオケでけっこうイケてたから、バンドだってそこそこやれると思ってたけど……全然違ったんだ。そりゃそうだよね。カラオケは歌いやすいように出来てるもん。それに、生音じゃないカラオケ音源は物足りなく感じはするけれど、僕らみたいにミスはしない。不安定な音だって出さない。……録音した僕らのバンドの音聞いたら、正直、辞めたくなった。ひどかった。音ひとつ、声ひとつ、きちんと出すってことすら、僕ら、満足には出来てなかったんだ」
寧々が見つめる中、京介はさらに続けた。
「Ironyのライブはすごかった。僕らがへこむくらいかっこよかった……」
京介はその時のことを思い出しているのか、複雑な顔をした。なにがどう具体的に「すごかった」のか、多分京介にもわかってはいない。けれど、体で感じるものがあったのだろう。それきり黙った。
「そうだったの……あの、ごめんね……軽い気持ちで誘ったりして……」
悪い気がして寧々は謝ったのだが、京介には意外だったらしい。きょとんとした。
「なんで謝るの?」
「だって……じゃあ、やっぱり行きたくないよね?」
しどろもどろの寧々の返答、それも京介には意外なものだったらしい。
「まさか! 行くよ」
「え? だって……」
分からない、という顔をする寧々に、京介はきらきらした表情を向けた。
「僕ら、Ironyのライブ見て、圧倒されてへこんだけど、同時にもっと上手くなりたい! ライブやりたい! って思ったんだ」
「京介くん……」
こんな京介を、寧々は初めて見た。
いつも優しいけれど、どこか遠慮がちな(優子に言わせると気弱で頼りない)感じがあった京介。ずっと、何かに強気で取り組むということには縁遠かった。
「バンド活動、楽しくやってるんだね」
「うん! すっごい楽しいよ!」
『もしかしたらだけど、けっこう気が合うかもしれないよ?』
試してみるといい。そんな優子の軽い調子に後押しされたのが、二人の始まりだった。
ちょうど今から一年前頃、中学三年生になったばかり初夏、同じクラスになった京介からの告白がきっかけだった。前カレとの別れ方が気持ちのいいものではなかったので、初め、あまり乗り気ではなかった寧々だったのだが、実際、優子が言ったとおり、似たところもある二人が打ち解けるのは、そう時間がかからなかった。
それに、その後も優子がしゃしゃり出てきて、ダブルデートと称し、二人を遊園地や水族館など、様々な場所に連れまわしたのも、時間を早めたかもしれない。
きっと優子なりに、前カレに疲れていた寧々を元気付けようとしてたのだろう。それに、はっきりした性格の優子と、穏やかな京介、間逆にも近いせいで、逆にお互いに親しみが湧いたのだろう。
それからは、寧々と優子と京介はいつも一緒だった。優子が数ヶ月で彼氏をとっかえ引っ替えしても、三人はいつも一緒にいた。
けれど、最近は――。
京介とは高校が別になり、さらにバンドを始めて、顔を合わせる時間はめっきり少なくなってしまっていた。同じクラスだった中学生の時のようにはいかない。この頃は、週一回会えたらいい方だ。
それで、正直、寧々には淋しい気持ちがあった。
音楽は嫌いではないが、アマチュアバンドになんて興味が無い。
バンドを始めた京介の心境が、よくわからなかった。
さっきまでは。
寧々は、目の前で音楽のことをあれこれ話す京介に微笑んでいた。
今でもバンドなんて興味が無いけれど、やっと寧々にも、京介のライブを楽しみだと思える時が来たのだった。
「じゃあ京介くん、今週の土曜、その『Irony』……っていうタツさんのバンドのライブの日、どこで待ち合わせする?」
「んーと、その日は確かバンドの練習があるから……現地集合で!」
「うん。じゃあ、このライブハウスの前で、ゆっこと待ってるね」
寧々はタツに貰ったチケットをもう一度京介によく見せた。今日までよく見ていなかったので、『主催・仏ロック』と書かれていることに、そこで気づいた。
正直このライブは、寧々には別に楽しみなものでもなんでもない。ただ優子や京介が行くから同行するだけだ。京介のことはともかく、優子についてはわずかに不安がよぎっていた。
(いつもタツさんの良い所ばっかり聞いてきたけど……そういえば、悪い所とか、どうして別れたのかとか、そういうことは、優子、言ってなかったから……)
タツとと再会した反応があまりにも意味ありげだった。元カレであればなおさらに。けれど優子は、あの日あのあと、「ただ単に懐かしい人のライブを久々に見たいだけ」だと寧々に確かに言ったのだった。
寧々が絡めた自分の指を眺めていると、そこに京介の顔が入ってきた。
「えっ!? どうしたの、京介くん?」
「いや、寧々ちゃんこそどうしたの? なんか暗いけど」
「ううん、なんでもないよ。大丈夫」
寧々はおおげさに背筋を伸ばしてみたりする。
(考えすぎかな。ゆっこ、ああ言ってたし、あれ以来、普通にしてるし、別れた彼とも友達に戻れるタイプだし)
別に何か起こってほしいわけではないのだが、しかし、そう考えると少し納得できない。だから、そういう意味でも、このライブには付き添わなければいけないような気が、寧々にはしてきた。
(もしなにかあるんだとしたら、力になれたらいいのにな)
今日は日曜。週末のライブ当日まで、寧々はすっきりしないまま過ごす事になるだろう。