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あまりのうっとおしさについに我慢の限界を迎えた優子は、「もうっ!」と言うと寧々の手を離した。そして長い髪を乱暴に振り回し、男たちの鼻先に人差し指を突きつける。
「いい加減にしないと、あたしの怖ーい彼、呼ぶよ!」
突然の優子の怒鳴り声に、男たちの目が真ん丸になる。
驚いたのは寧々もだった。だが、それは男たちとは別な理由で、なぜなら現在、優子に彼氏はいないからだった。入学式の前の日に、「学校が別になってしまったから」と、あっさり振ってしまったのだ。
だからこれは、追い払うためのでまかせだ。ただ、多分、男たちがひるんだのはその言葉の内容より、優子の剣幕の方だっただろう。行過ぎる通行人も、何人か優子たちを振り返ったほどだ。
「え、えっと……」
男たちは口をもごもごさせ、進退を決めかねてお互いをちらちら見ている。優子が仁王立ちのままそれを睨みつけ、寧々はそばでおろおろとしている。
青に変わった信号でやってきたらしい人々の一団が避けるように通り過ぎても、まだ四人は往来の真ん中で固まっている。と、そこに寧々たちの背後から誰かが話しかけてきた。
「あんましつこいと、ナンパもうまくいかないぞ?」
日焼けした二人の男が飛び上がるようにして慌てて身を正す。その声に覚えがあるらしい。名前はすぐにわかった。男たちが言ったからだ。
「……立花さん!」
寧々と優子も振り返って「タチバナ」という男を見た。
かなり明るい、逆立てた茶髪にたくさんの銀色のピアス。目は切れ長で全体的にシャープで冷たい印象。背が高く、細身だが筋肉質な体を黒い革パンツとシンプルなシャツが覆っている。首や腰には、動くたびじゃらじゃらいうのが聞こえてきそうなほど、ゴツめのアクセがいくつも下げられていた。
この男は、やりとりを少し前から見ていたのかもしれない。助けに入ってきたようにも言葉のイントネーションからは受け取れた。
けれど、それはどうしてなのか。寧々が首を傾げるほど、二人組の男よりも年上らしいそのタチバナという男は、あまり人が良さそうには見えなかった。
「ゆっこ……」
近寄りがたい空気を発するタチバナを目で追いながら、寧々はそばの優子の腕をさぐって服をぎゅっと握る。
その様子を黒尽くめの男は気に留めたようにも見えたが、はっきりそうだったかどうかわからないうちに、もう顔を男たちの方に向けていた。
「こいつら、俺のツレだから」
タチバナの親指が寧々と優子の方を指して言う。寧々が驚いて「えっ!?」っと声をあげたのだが、短髪と長髪のもっと大きな声で掻き消される。
「えっ!? し、失礼しました!」
とたんに慌てふためく短髪と長髪は、寧々たちに向き直ると、おかしいくらいにかしこまり、頭を下げて謝り始める。どうやらこのタチバナという男、この二人組にとっては相当に敬意を払うべき存在のようだ。
だが、男たちより驚いているのは寧々と優子だ。
「ゆっこ……この人……」
寧々はますます優子の袖をぎゅっと握り締めてくしゃくしゃにする。こんな男、ツレではない。何が目的なのか。
ところが、寧々は、そこで優子と自分とでは反応が違うことにようやく気が付いた。
「ゆっこ……?」
優子は呆然とタチバナという男を見つめていたのだ。逃げようと思えば逃げられるのに、その気配がない。
寧々は仕方なく、ポケットに手をつっこみながらつまらなさそうに男たちと話を続けるタチバナを見守る。
「何やってんの? おめーら」
「……や、あの……。呼んでた奴らが来れなくなったんで、客集め、つーか、その……」
「は?」
タチバナは憎たらしい程にふてぶてしい。さっきまで、好かない男たちだと思っていた短髪と長髪が、この男の前では急に可愛く見えてくる。
「今日の主催、怖いんで……」
それを聞いたタチバナが呆れた声を出した。
「はあ~? 主催って、『仏ロック』だろ? 大丈夫、あいつら見た目だけだから」
「いや、立花さんは『仏ロック』さんと親しいから、そんなこと言え……」
バシッ。
突然、タチバナが短髪の肩を笑いながら叩いた。多分、軽く叩いたつもりだったのだろうが、かなり力が入っていたらしい。短髪が「うっ」と痛そうな声を漏らした。
構わずタチバナはバンバン背を叩いて二人の向きを裏通りの方向に無理矢理向かせると、最後にぐいと押した。多分、さっきの話だとライブハウスがあるだろう方向だ。
「ヨシもトウジも、いーから行けって。無差別にチケット売ろうとするお前らの方が、俺にはよっぽど怖いわ」
二人は何か言いたそうに口をもごもごさせたが、タチバナには逆らえないらしい。しぶしぶという顔をしながら、とぼとぼと歩いて行った。どうやらこの男たちにとって本当に怖いのは、仏ロックというバンドよりもタチバナの方のようだ。