騎士
じゃぶじゃぶとひたすら服を板にこすり付けて汚れを洗っていく。
樽の中にはられた水に、洗い板。それから横にこんもりとつまれた服。これをひとつひとつしっかり洗って、からの樽につんでいく。
もうすぐで梅雨になるから、水の冷たさは冬や春より随分楽だった。ただ、まだ朝で霧もひいていなかったから薄ら寒く感じる。
「おやま、そりゃ何人分の服なのかしらねえ」
井戸のそばで洗濯をしていると、水を汲みにきたらしい金髪のおばさんが声をかけてきた。
チトは控えめにそちらを一瞥して、小さくお辞儀する。
「アンさん、……おはようございます」
「おはよう、ティーシャんとこの洗濯だね。あそこは子供がちっこいから服がすーぐ汚れて大変だね」
元気で快活な声は村に響きわたるほどだった。弾ける笑顔と声とで、チトもつられてしまいそうになる。
「そうですね」
ティーシャはチトの母が生前にチトの面倒を頼むとお願いしておいた相手だ。
3人の子供がいて、ティーシャの旦那は農業をしていてティーシャもそこで日中つきっきりだから、朝早くは家の洗濯、日中は子守を任されている。
なにかあったらティーシャに言え、と母は言っていて、逆に絶対に仲良くしてはいけないといっていたのがアンだった。理由はしらないが、そのときの母の張り詰めた表情から関わってはいけないと思っていたのだが、逆にアンは何かと話しかけてくる。
悪い人ではないが、おっせかい焼きという感じだった。
「なにかあったらなんでもいうんだよ」
アンが、胸を自分の手で叩く。
アンは一人身で、もう壮年なのに体ががっしりとして老いを僅かに髪の毛で感じる程度だ。村の立ち位置は知識人で、昔、旅をしていただとかで様々なことを知っている。それはもう母と同じくらいに物知りであった。
癒しの魔法を使えない村だから、薬草とか軽い病の対応で生計をたてているらしい。
井戸から水を汲むアンに「ありがとうございます」と言う。暖かい言葉をかけてくるのはアンとティーシャ一家くらいだから、仲良くしてはいけないといえど心がむずかゆくなる。
「おーい!! チト!!」
また、元気な声が村に響き渡る。
驚いて振り向くと、ティノの姿があった。手をふりながら此方に向かってくる。
「おはよう、ティノ。あんた、今日も元気だねえ」
「ア、アンおばさんっ! おはようございますっ」
アンの姿に気づくと、ティノがお辞儀する。
「っというか、チト、おまえやーっぱ森のほう行って「わあああああああああ」
慌てて立ち上がり、大声を上げる。
ティノをにらみつけ、アンに目を配り、首をぶんぶん横に振る。
「おや、まあ、なにか内緒話? わるいねえ、退散するよ」
アンがくすくすと笑い声をあげて、軽々と水が入った桶を持ちあげる。
「じゃ、チトがんばりなね」
ぽん、とアンが肩を叩き去っていく。
叩かれた肩は痛くなく、柔らかなあたたかさがあった。
「……ティノ、その話はおおやけにしちゃだめだよ」
アンが立ち去ったのを確認して、チトはティノに口をとがらして言う。
ティノは「ごめんごめん」と苦笑した。
「やっぱ森にいってるんだね」
「知ってて言ったんでしょ」
「かまけたの。やーっぱ森いってるんだね」
チトが絶句する。
騙された、と思った。手を額につけ、思いっきり息を吐く。
「……みんないってるもん」
いじけたような声が、意図せず出てしまう。
村長の息子として怒りにきたのだろうか、変なことを言ってしまわないように、彼の出方を伺う。
ティノは、真顔になると、チトの顔にぐっと近寄った。
「――チト、内緒だぞ」
ティノの表情が緊張していると、少しして分かった。
「――あの森に、ビースト、がいるらしいんだ」
へ、とチトの動きがかたまった。
絶句したチトに、ティノは落ち着けとでもいうかのように両肩を手でおさえた。
「父さんがいってた、間違いない。村のみんなが騒がないようにぎりぎりまで黙ってるみたいだけど、今日の夜か、明日の朝には討伐のために騎士様が来るみたいなんだ」
言葉が右から左へと流れていく。
討伐、今日の夜、朝、騎士様。
ごくりと生唾を飲み込んだ。ティノの目から目が離せなかった。
「――うそ」
「嘘じゃない。落ち着け。冗談じゃないぞ。だから、森にいっちゃだめだ」
ちがう、ちがう、そうじゃない。
今すぐにでもビーストの元に行って、すぐに此処を出るように言わなければならない。
早くて今日の夜。まだ今日は始まったばかり、落ち着いてティーシャの言いつけをこなして夕方に行けば大丈夫だ。
傷口は開いたり閉じたりで中々塞がっていないが、確実に閉じてきてはいるのだ。いや、無理してでもここから去ってもらわなければ。
「夜にみたらしい。森が赤く光って、――炎みたいに燃え盛って、それから天から光が貫いたのを、父とその場に居た人が。僕らはきっと眠っていたからわからなかったけど――、きっとビースト、いや、森だからきっとビーストの残党だろうと。数週間前らしいけどね」
チトが黙っていたのを心配してか、ティノが宥めるように言葉を重ねる。
「チトがこの数週間なにもなくて本当によかったよ。父さんも父さんだ。森の監視を強めたりしてくれればいいのに」
けれど、チトの動悸ははやくなるばかりだった。
「……そうだね。それが本当だったらこわい、ね」
そのとき、村の広場がやたら騒がしくなった。
色々なところから声が響き、家々が騒がしく戸を開閉する音が聞こえる。
光が一閃空に上がったと思うと、強い風が吹いて、目をつむって、開くと、霧が一斉に失せた。
井戸から広場まで距離はあるが真っ直ぐだから、広場で何が起きたかすぐにわかった。
振り向いたチトはすぐに走り出す。
「チトッ」
広場に駆け出して見に行くと、人だかりの奥に赤い燐光を纏った白い光の空間から丁度人が出てくるところだった。
銀色の鎧に四肢をかため、淡い水色の髪に金色の瞳に釣り目な20代前半ほどの青年。それから、全くの軽装なワンピース姿に不釣合いな銀色の剣を帯剣した、紫色の髪を一つに結び、茶色の瞳をした切れ長の目の女性。
彼らがこちらをぐるりと睥睨した頃、慌てて村長がかれらの前にやってきた。
「もうおいでですか、いや、歓迎の準備もできておらず申し訳ございません」
平伏でもするのかといった勢いでお辞儀をする。
「チトっ」
ティノが追いついて、後ろによって名前を呼ぶ。
「ティノ、もしかして、あのひとたちって――」
「貴方がたの要請を教会から改めて受け、馳せ参じたアーリステッド=ラウ=ラアティシャだ。お前がこの村の長だな」
女の人がそう高らかに言い放つと、ざわりと、広場の雰囲気が揺れた。
ラウ、とは騎士階級のもの全てがつける名前だ。騎士だ、と改めて名乗る必要も無く、また、その圧倒的な雰囲気は疑いようも無く、チトは目が釘付けになった。
「はい、左様でございます。こ、このたびはわざわざ遠くからこんなはじっこに訪れていただき」
「よい。……部屋で話そう。村の者を驚かせる出方をして申し訳ないな。首都からここまで村長の家の地点まで上手く呼応できるほど精度に自信を持てずにいて、安全に出れる広場に出てきたことが悪いところだった。反省しよう」
「そそんな、反省だなんて、……ああ、では、ど、どうぞこちらに」
もう壮年を越えたというのに、村長は緊張しどもりながら何かを喋って手を家へと向けて歩き出した。
アーリステッドは口に笑みを浮かべて応える。惚れ惚れするほどに綺麗な人だ。一方でもう片方の男の騎士は黙り込んで、アーリステッドの後ろに従った。その背中には扱うには不便そうな大きな剣が帯剣されていた。
「いったいなんなんだ」
騎士たちが村長に導かれていく姿を見て、広場を囲っていた村人が呆然と言う。
「なにかわるいことでもおこったのかしらね」
「そんな、まさか」
一気に広場に緊張が走った。
根も葉もない憶測が飛び交いだす。
「あ、あ――っ」
そこに大声を出したのは、ティノだ。
「きっとあれだ、僕が学校に通いたいって言ったから父さんが無理して人脈使って騎士様呼びつけたんだ――!」
一気に人々の目がティノにいった。
「本当かい、ティノ。お前、首都の学校に?」
「たしかに最近素振りやら魔法の練習やらしてるとは思ったが――」
嘘だと瞬間的にばれると思ったが、意外にもまわりの雰囲気は認めているようだった。
「たぶんね、きっと稽古つけてくれるんだな。うっわー、ちょっと僕もういく」
さも嬉しくて興奮しています、といったようにティノが大声をあげる。
これはきっと尻拭いなのだろう。
「森にいっちゃだめだからね」と、ティノが小声ですばやくいうと、村人にはやしたてながら、早足で家へと走っていった。
チトは、混乱したまま、そこに置き去りだった。