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無償の愛をあなたに  作者: 白露
3/5

ナギハタ


 翌日、はたりと目が覚めた。 


 やけに視界が滲んでいて、どうしたのだろうと強く目を閉じると、一筋の雫が目元から零れた。あくびなんかじゃなかった。はらりはらりと留めなく溢れた。こんなのはおかあさんが死んでしまった日以来だった。



 夢を見たような気がするが、どういった夢だったのかは覚えていない。

 目元を腕で拭って、窓を見ると、夜明けだった。夕焼けのように滲んだ橙色が紫紺の闇を追い出していく。少しだけ早起きだ。

 

 チトは布団から出ると身震いをした。

 春先らしく、まだ空気がひんやりとしている。少しだけ、吐く息が白かった。


「おはよう、おかあさん」


 何処にでも無く呟いて、戸口の外に出ると貯めてある水で顔を洗った。

 芯から冷える水で、チトの幼い指はすぐに赤くかじかんだ。

 手で顔の水を拭って、山々の稜線を眺める。


 あそこにはまだビーストがいるのだろうか。


 恐ろしい存在のはずなのに、手負いと知ってしまうと後ろ髪を引かれる。

 それにあのビーストは自分を食べなかったし、何より優しい声音だった。

 


――なにを考えているの。



 チトは首をふる。


 ビーストは嘗て人類を滅ぼしかけたという。



 そのことを考え、チトは仕事に取り掛かる準備を始めた。



▽▽



「――またか」



 それから数時間たった日没にも近い頃。チトはあの空間にいた。

 銀色の毛をしたビーストがうろんげな目でこちらを見てきた。先日と変わらない体勢で、こちらを睥睨している。

 少し距離をとっても、やはり大きさがあることもあってかなり圧迫感のある。



「そんなに珍しいか」



 ビーストはわざとらしく牙を見せ、笑う。

 チトはぎゅっと「へ」に結んだ口をして、ビーストの脇を遠巻きから見た。血はかたまっているようだが、折角の白銀の毛並みが汚れてしまっている。それに虫が寄ってきているようだった。


「村のものに言われたのか」


 ビーストは面白くなさそうに呟く。

 

「いわれてない。見逃せないだけだよ」


 ぴくりとビーストの耳が揺れる。

 それからチトはビーストから離れると、肩にかけた麻のポシェットから何枚かの葉っぱを取り出した。



「ナギハタか」



 チトが頷く。

 葉っぱはちょうどチトの手のひらほどあり、指のように切れ込みが入った薄い緑黄色をしていた。

 これは、ナギハタの木の葉。虫を寄せ付けず、怪我を早く治すと人々に親しまれている植物のものだった。



「余計なお世話だ」



 そういったものの、ビーストは威嚇する風ではなかった。チトが横目で恐る恐るといったようにビーストを見上げてから、その脇に座り込んだ。

 それから再びポシェットから出てきたのは、木で作られた鉢とめん棒だった。

 鉢にナギハタを入れるとめん棒ですりつぶし始める。ぴりっとした染みる匂いがあたりに漂い、ビーストは喉を唸らせたが目を瞑り、何も言うことは無かった。

 

「――どうしてこんな傷を?」


 暫く無言で作業をしていたが、数十分してから沈黙に耐えかねてチトが疑問をなげかける。


「……ビーストは、他にもいるの?」

「……いいや」


 ビーストは首を横に振った。




「――…世界の裏側には、死者を蘇えらせることのできる神が住むときいた」




 そのことにチトは少なからず驚いた。

 ビーストにも蘇ってほしいと願う何かがいるということに。

 それはあまりにも人間らしく、少しだけ親しみがわく。


「それがこのざまよ。裏側などいけはしない。恐ろしく鋭い矢が降り注いできて腹を抉った。……裏に居る神は余程生者嫌いらしい」


 ビーストの声は淡々としていたし、表情も考えも分かりにくいものだったが、自嘲しているようだった。



「神様は居るの?」



 素朴な疑問に、ビーストが赤い瞳で此方を見つめた。



「お前は、……願いがあるのか」


「ねがいだなんて」とチトが苦笑する。

 

 それは少し自虐的で、悲しい声だった。


「私が願い事なんかしたら村の人に怒られちゃうよ」

「なぜ?」

「だって、ヤッカイモノだもん」

「厄介者?」


 チトは少し口ごもった。

 あまり「ビースト」と話しなれてない緊張さからもあるが、つい前に村人が話していたことを思い出してしまったからだ。



「よくはわからないけど――、わたしのかあさんもとうさんも早く死んで――同じミナシゴのティノはみんなから人気者だけど、わたしは扱いづらいって、……」



 ティノ、とは一つ年上の少年で、チトと同じく孤児だが村長が養子にとっている。チトとは違く活発で明るく、いつだって誰かと話している印象があるほどだ。


 チトは口をへの字に一瞬結んで、何かを我慢すると、ナギハタをビーストの傷に塗りこむ。

 

 ビーストがびくりと体を震わせた。



「わ、……っ、ごめんなさい。痛くしちゃった、ごめんね」


「いい、気にしない」



 その言葉に胸を撫で下ろす。怒ってはいないようだ。



「人間の幼子なのにナギハタの存在を知っているのだな」

「……かあさんが色々役に立つから、って、たくさん教えてくれたの」


 例えば、と近くに生えていた下層植物を指差す。


「あれは、カノラギ、魔よけの葉っぱ。悪いことを退治してくれるから、家の前に持っておくといいって言ってたっ。知ってる? それから、あれはヒイミヤ、力が出ないときは煎じて飲みなさいっていってた。……あ、ヒイミヤ、食べる?」


 空き地のそこら中一面に生えているカノラギは柔らかな長い葉を持っているが、根が頑丈で強く中々地中から抜けない。また、ヒイミヤは根はあまり張らず、背丈も小さいが内包する栄養が良いということで、母からしつこく教わっていた。


「お前の母は随分物知りなんだな」

「うん、自慢の母さんなの。あなたにも母さんがいるの?」

「もちろん、腹から産まれたから母はいるが子が多い種族だからな……」






 ――その日は不思議とビーストと会話が続き、気づけば日が沈み、家に辿り着いた頃にはすっかり真っ暗な夜になっていた。








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