もう何が何だか
人間にとって重要なことは『安定』である。
心に余裕がなくなると日常生活は破綻し、冷静な思考やモラル、その他多くのものを置き去りにしてしまう。その結果、様々な犯罪が起こり治安は乱れる。
ブラック企業というものはその温床であり、前に出るのをためらう日本人は素直に企業の言う事を聞き、奴隷としてこき使われる。これは由々しき事態であり、勤務体制について即効、改革を求めるものとする。具体的な案などない。
まぁそんな話は置いとくとして、今はこの状況を何とかするのが先だ。
――ルルカ達にバレてしまったのだ。動けることが。
雨を抜けてお婆さんの家に到着したのは良かったが、そこで問題が起きた。もう少しこのまま命令されているフリをしよう、とか考えていたのが浅はかだった。
目の前でお婆さんがルルカのために椅子を用意していたのだが、家の奥から出て来たゴーレムが間違えてもう一つ椅子を持ってきてしまったのだ。
……あろうことか、それに座ってしまった。
でも、仕方ないよね、元々人間だったんだし。反射的にそういうことしちゃうよね。
…………ルルカとお婆さんがこちらを見て唖然としている。視線に耐えきれず、頭を横に向けてしまう。バカだ。
「……ねぇ、そうなんでしょう?」
な、何がでしょうか。
「動けるようになったんでしょ?」
え、ええそうですとも。
命令されてもいないのに椅子に座っているのが良い証拠ですよ。
「あ、見てよお婆。背中のゴーレム印が消えてるよ」
「ほほお。長年ゴーレム作っとるがこんなこと初めてじゃ」
「自力で消したってことで良いのかな?そんなこと有り得るの?」
「この世にはまだまだ、分からないことが沢山あるもんなんじゃよ」
「ふうん」
ふうんって……軽いわ!
ゴーレム印がなんなのかは知らないけど、もう少しこう、感動して欲しかったです。
「……ミル、君が意思を持っていたのにはなんとなく気付いていたんだ。確信したのはついこの間なんだけどさ。おかしいよね。僕の手で作り上げたのに、出来上がったゴーレムは僕の想像を遥かに超えてた。君はきっと別のどこかから来たんだと、そう思ったよ」
とっくに気付かれてたのか……
くそっ、動けるようになったのはいいが喋ることは出来ない。
自分の気持ちを伝えることがこんなにも大事に思ったことがあったろうか。
「でも意思を持ったゴーレムなんて、皆知ったら大変なことになると思うんだ。だから前みたいに僕の命令に従って欲しい。出来る限りでいいからさ」
分かった。
ルルカがそう望むなら言う通りにしよう。
これでも前の世界では二十歳の大学生だったんだ。物分かりは良い方だと思うぞ。
「じゃあさっそくなんだけど拭くもの持ってきてくれる? さっきの雨でまだちょっと濡れてるみたいなんだよね」
了解。そのくらいのことできなくてどうする。
……どこにあるの?
「ふふふ、そんなにおどおどしなくていいじゃない。ミル、君は人間くさいね」
ルルカはいつの間にか白いタオルのようなもので頭を拭いている。
後ろでお婆さんが二ヤリとした。……謀ったな。
「ほっほっほ、これはからかいがいがありそうじゃ」
やめてくれ。変にいじらないでくれ。昔のトラウマを思い出す。
「……ミル、話したいことがいっぱいあるんだ。順を追って話そうと思うから晩御飯の後に付き合ってね。あ、それと今日の夜の見張りはしなくていいから」
……分かったよ。
ああ、長い夜になりそうな気がする。
外が暗くなる時刻、二人と一体? のゴーレムで話し合いが行われる。自分はうなずくばかりで喋れない。けれど、二人共こちらの意思を汲み取っているのか、あえて初歩的な知識から入ってくれてることがなんとなく分かる。本当にありがたい。
――今、自分達がいる大陸の名前はゲトーミア大陸。
かつてこの大陸にはゴーレムが多く闊歩していたそうで、そこに住む人々にとってなくてはならない存在だったそうだ。ゴーレムを作る技術のあるものから購入し、日常生活に役立てるのが常であったそうな。
ところが二年前、ある魔法使いがゴーレムを作成している工房に次々と乗り込み、破壊。その際、街で活動していたゴーレム達をどうやったかは知らないが活動停止に追いやったらしい。
「その魔法使いが僕のお父さんなんだよ」
え? マジで?
ちょっと待って理解が追い付かない。
と、とにかく話を最後まで聞こう。
「ミル。お父さんは……」
「そこから先はアタシが説明しようさね」
「お婆……」
……ルルカの父親は三年前に失踪したそうで行方が分からないそうだ。魔法使いとして秀逸な腕を持ったルルカ父は、ゲトーミア大陸で知らないものはいない程だったという。
だか失踪してから一年後、ゴーレム工房破壊事件の際に姿を現した。瞬間移動の魔法を駆使していたそうで止めるのは困難だったとか。目撃者の証言からすぐにルルカ父が浮上し、ルルカと母アムリタは住んでいた街から追い出された。けれどそれを不憫に思った街の知り合いが、前住んでいた空き家を紹介してくれたそうだ。その空き家が今、母親と住んでいる家という訳だ。
「なんでお父さんがそんなことをしたのか分からない。……いつか直接会って理由を確かめるんだ。僕とお母さんを置いて何をしてたの?って」
ルルカ……
強がっているけれど、その顔が今にも泣きそうなのが分かる。
「お婆もね、元々は街に住んでたんだよ。でも、僕達のところにまで来てくれたんだ!あのときはすっごく嬉しかったなあ」
「ほっほ、偶然じゃよ。偶然」
「またまたお婆は照れちゃって」
「ほっほっほ」
ルルカがそんな過酷な事情を抱えているとは思いもしなかった。
それにしても親父さん、今どこにいるんだよ。あと瞬間移動の魔法使えるとか反則だろう。どこの戦闘民族だ。
「それでね、これからどうするかなんだけど」
バタンッ!!
な、なんの音だ!?
「夜分遅くに失礼します」
玄関口に居たのはルルカに粗相をしてくれた紳士で嫌味な村長。兵士を連れて何用だ。あれ?てかパス付きのドアは……?
「またあんたかい。扉を壊すんじゃないよ!直すこっちの身にもなってほしいさね」
お婆さん、知り合いか?
まあこの村に居るわけだし別におかしくはないけど、ドア毎回壊してんの?それもどうやって……
「こちらに例の息子様がおられるかと思いましてね。訪ねて見たのですがどうやら正解だったようで」
「ふん!白々しい。……それで今日はどんな難癖をつけにきたんだい? いつもの話ならお断りだよ」
「いえいえ。今日はそちらのゴーレムに用がありましてね」
「……ミルに何の用なの」
村長はルルカの発言を無視してこっちに歩み寄ってくる。その顔は不気味な笑みで染まっていた。初めてかもしれない。人間をこんなに怖いと思ったのは。
ガチャン!
「おっと!危ないですねえ」
お婆さんの白いゴーレムが村長と自分の間に立ち塞がる。
「そのゴーレムはルルカのものだよ。あんたのじゃあない。決してね」
お婆さんは怒りのこもった目で睨みつけている。
村長はじっとお婆さんを見据えている。
…………
この空気に耐えられそうにない。今すぐにでも外に飛び出したい気分だ。けどルルカを置いていくわけにはいかないし、勝手に動くこともできないし、どうしたらいいんだ。