鉄腕投手・ジェノサイド吉沢
◇入団日◇
それはとても普通。
プロ野球としてのレベルにしてはとても下であり、プロでこの先に通じるとは誰からも思われなかった。
「投手、吉沢高平」
ドラフト8位という注目もされない位置での入団であった。彼よりも優れた高校生の投手は多いのではないかと、球団関係者やファンの者達は思っていた。
しかしながら、名スカウトの一声で吉沢の入団が決まったのであった。名スカウト曰く、
「稀代の真面目さ、投げる意欲の高さ、頑丈かつ柔軟な肉体を持っている」
球速は140にも満たない。変化球はスライダーのみ。コントロールも決して良くはない。
「将来、とても凄い投手になる」
素材としての入団。育成ドラフトと似た形であった。まだ、その名はドラフトでしか知らない1年目であった。
◇1年目◇
吉沢高平。正式にプロ野球選手となり、2軍で春キャンプを迎える。
1年の目標として、怪我をせずプロ生活を1年間やり抜くことを誓う。あまり大きな目標は立てなかった。
周りのレベルはさすがプロ。自分より優れた投手なんて当たり前の生活。仲間も敵も、自分を遥かに超えていた。だからこそ、吉沢は練習に励んでいた。努力で補うその熱心さは一流で活躍するプロ野球選手のようであった。
コミュニケーション能力は決して高くはないが、向上心が滲み出ており、コーチや先輩方にアドバイスを積極的に求めた。そんなところもあって選手としての評価より、人としての評価はかなり良かったそうだ。
怪我をせずに長く、キツイ練習に耐えながら吉沢が1年目で身につけた物は。長く活躍し、怪我をしないための肉体であった。入団時よりも強くをそれを求めた一年であった。
二軍での試合成績は18試合登板、防御率7.62と散々な内容であった。
無論、1軍での登板はなかった。
◇2年目◇
誰よりも練習する吉沢に訪れた変化があった。それは当然であるが、自分自身の肉体と技術の向上である。
球速はプロだと言い張れるだけの、MAX148キロを記録(2軍戦)。コントロールもよくなってきて、無駄な四球が減ってきた。ようやく投手として、プロになれたと吉沢も自信があふれ出てきた。
しかし、吉沢の凄さはようやく実力がプロに達したところではない。
「今日も吉沢が投げるのか」
2軍戦ではあるが、シーズン最多登板。決して目立つ記録ではないが、その鉄腕ぶりはこの頃から注目される。
怪我をしない身体と回復力のある身体。そして、すぐに肩を作れる能力、タフな精神力。
「中継ぎ投手として必須な肉体とメンタルをこの歳で身につけているのか」
丁度この時、中継ぎの不足がチーム内で目立った。
吉沢は決して二軍で良い成績を収めたわけではなかったが、この鉄腕を評価されて1軍へと合流するのであった。これには本人も驚きであり、力になれればと意気込みを語った。
一方でファンからはこの昇格に不満を抱いた。それもそうなのかもしれない。
しかし、吉沢は昇格から最終試合まで一軍に残った。2軍で最多登板を記録しながら、1軍で31試合の登板。初勝利と初ホールドを得る充実したシーズンとなる。
防御率、5.23と中継ぎとしては見ていられない成績であるが、5連投をなんなくこなし、回跨ぎもできることをアピール。
来シーズンへの飛躍を期待させるものであった。
◇3年目◇
「変化球を教えてください」
キャンプ時。2軍からのスタートとなった吉沢。1軍のレベルを間近で知った昨年。
やはり体が丈夫で、投げることが大好きなだけでは通じない。いくら140後半のストレートを投げ続けても、打たれてしまう原因があった。
「スライダーだけじゃ捕手の方々に迷惑がかかりました」
元々、体作りと球速アップ、制球力の強化に重点を置いた1年目と2年目だ。フォームの矯正を重ねて成功できた理由に、変化球の習得がなかったことが要因だろう。
スライダーとストレートを十分にコントロールでき、次のレベルに行くためには別の変化球が必要だった。
コーチは吉沢の生真面目さ故、変化球を教えることを少し躊躇していた。練習熱心な反面、器用な性格と体を持つわけではないからだ。フォームが崩れれば積み重ねた物が崩れてしまう。
「チェンジアップでもやってみるか?」
「なんでもいいっす!」
指先の器用さがそこまで必要ではないチェンジアップの練習を勧められた吉沢。
ボールを鷲掴みにして投げることでストレートよりもボールが来ないので、打者がひっかけてしまう変化球である。わりとメジャーな変化球である。重要なのはストレートとチェンジアップとのフォームを同じにすること。つまり、”チェンジアップを投げる”と悟られないように練習する必要がある。
2年という月日でしっかりと体に染み付いたフォームは、割りと早い段階でチェンジアップに馴染んだ。
オープン戦でチェンジアップを初披露し、十分に通じるレベルであることを首脳陣に見せ付けた。
そして、シーズンでは5月から1軍に合流。昨シーズン同様、中継ぎでの登板だった。
チェンジアップを身につけた吉沢はビハインドでの登板が目立った。試合を壊さない実力を身につけ、回を喰うこと。回跨ぎも4連投も平然と受けて投げ続けた。
いつしか中継ぎの中心におり、困った時には吉沢という状況にもなったほどだ。
わずか3年目にして1軍の顔にもなり、ようやく吉沢の凄さが注目される時代であった。
43試合登板、防御率3.59。12ホールドを記録。
◇4年目◇
今シーズン。結果を語るなら、常に一軍に帯同していた吉沢。
序盤は確かに吉沢の実力で相手チームの流れを断ち切る好リリーフを連発。セットアッパーとして活躍を見せ始めたが、6月を境に途端に調子が落ちる。
とくに狙われるスライダー。
「今月!3度のリリーフ失敗!どうしたんだ吉沢!?」
すでに24試合も登板している吉沢。疲れが出てきたのかと、ファン達は懸念をし始めたがそうではなかった。
中継ぎというポジションは様々な状況での登板がある。ノーアウトランナーなしからの3アウトをとること、2アウトとはいえ得点圏にランナーを背負う場面と……。先発以上に難しい状況での登板が多いのだ。
そんな中で現れ始めた吉沢の現時点でもっとも露出した弱点。
「ランナーを背負ったときのスライダーがかなり甘くなっているな」
ピンチを背負った場面でみせる心の動揺。投球に集中できないという気持ちの揺れが投球に現れる。
一軍にはもう2年半ほどおり、データもしっかりと取られるようになった。中継ぎという位置は一見勝負には左右されにくいと思われがちだが、ピンチを切り抜けたり、イニングを喰えば十分以上の働きがある。まだ勝てるといった範囲内に傷を抑えれば勝ちが転がることもある。
「俺は投げるのが好きですから、どうしてもピンチになると気になっちゃって」
思わぬ弱点が見つかった吉沢であったが、それについては少しだけ自覚もあった模様。
この試合を気にセットアッパーから外され、再びビハインドでの登板を中心に活躍した。投手にとって辛い異動であったが、
「おっしゃ、頑張るぞ!」
吉沢は腐らなかった。むしろ、ピンチやチーム状況を重く考えないビハインド登板が性格にマッチしていた。
ワンポイントリリーフを除いた場面では吉沢の投手としての力は存分に発揮された。
ビハインド時の防御率は、1.97とかなりの好成績に対し。
リード時や接戦時の防御率は、4.23とどうしてこうなるといったほど、極端な成績を残し始めた。
威力のあるストレート、十分にキレを見せつけるスライダーとチェンジアップ。打たせて捕る投球よりも力と技で、相手をねじ伏せる投球。中継ぎながら100奪三振をこのシーズンに記録。
飛躍した年とも言えば、プロの壁にぶつかったとも言える年でもあった。
◇5年目◇
吉沢は相変わらずビハインド登板に馴染んでいた。もっと上を目指せと、首脳陣は訴えたいが……。吉沢ほどビハインド時の投球に代わりがいなかった。
ビハインド登板。負けている状況で、いかにまだ戦えるかという状況を作るにはそれなりの投手力が必要だ。
加えて吉沢は連投も回跨ぎも、さらには敗戦処理ですら嫌にならず、苦にもしないで投げる。
まさに鉄腕。
「今シーズンも中継ぎで行く(ビハインド登板な?)」
「うっす!」
ホールドポイントはそこまで稼げないが、勝利がよく転がってくるし、7回から最終回まで抑えてセーブも記録できるなど。
入団時から評価が高かった体の頑丈さが成せるタフな中継ぎ。そんな状態が続いた8月頃。
「先発でもやってみるか?」
「え?」
ローテーションの先発投手の1人が怪我で長期離脱を余儀なくされた。試しに吉沢を初先発させた首脳陣。素質があるのかどうかのテストであったが、結果は……
5勝を記録し、月間MVPを獲得する。さらには1完投も上げる好成績を残す結果。
先発の方がいいじゃねぇか!と、首脳陣とファンから強く訴えられるのだが、吉沢本人はというと
「週に1回しか投げられないなんて苦痛です。9回投げても足りません」
「本当に吉沢は心から投手だな。選手じゃない」
ちなみに中継ぎの勝ち星もあって、なんと同数ではあるが15勝の最多勝を獲得。吉沢自身初タイトルを記録。
盗っ人勝利は1度だけであり、10つの勝利をビハインド登板で上げる大車輪の中継ぎ投手。なぜだか、吉沢が登板すると打線が燃え上がる。まだ勝てるという気持ちがあるのだろう。
◇6年目◇
「吉沢は中継ぎで行く!」
首脳陣、昨シーズン好調だった先発吉沢を中継ぎに戻す方針を出した。やっぱりというか、吉沢の性格的にもチームの状況を考えても、イニングを喰える中継ぎが欲しいのだ。
「最近、体が鈍ってきたかな?」
一方で吉沢は準備運動の時間を延ばしたそうだ。この丈夫な体は素質だけでなく、日ごろの管理の徹底にあった。
入念かつ綺麗な準備運動は新人達のお手本として評価されたほどだ。ストレッチや柔軟体操など、それらに1時間はかける丁寧さ。地味過ぎるだろうが、こーいった運動が吉沢の体を丈夫にしていたのだ。
シーズン6年目となった吉沢。ついに150キロを連発する豪腕中継ぎ投手としての看板を掲げる。
1点や2点のビハインドをそのままにする圧巻の投球。初の6連投を行なっても、しっかりと結果を残す。
また、日々の鍛錬だけでなく新しい技術を取り入れようとする姿も確認されるようになった。3年目にチェンジアップを習得したようにコーチや先輩方からいろんな変化球を学んだそうだ。
「これがツーシーム。こっちがシュートだ」
「どっちも変化に変わりがつき辛いんだがな……」
ビハインドという環境もあるのだろう。打たれたって、吉沢に負けがつくわけでもないし、吉沢のせいで負けたということもそうあることではない。
ペナントレース中にシュートとツーシームを披露。しかし、キャンプ時に練習した球でもなく。本当に即席で投げた変化球だ。無論、両方共打たれる。それでも教わった2つの変化球に好感触を抱いた吉沢。シーズン終了後、2つの変化球をマスターするために励んだ。
◇7年目◇
キャンプでシュートとツーシームに嵌った吉沢。
プロ入りから球速と球威を伸ばし、その限界までやってきたのだ。投球の幅をより広げるための変化球の習得は、
間違いであった。
オープン戦も打たれても、実績から1軍に帯同した吉沢であったが……。抑えられない。得意のビハインド登板でも抑えられなくなった。
「また被弾!どうした吉沢!?昨シーズンの豪腕が見る影もない!」
シュートとツーシームの習得によって、フォームの乱れが生じた。スライダーとチェンジアップの2つだった頃はちゃんとしたフォームであったのに、今はどの変化球を投げてもフォームに変化が起きていた。さらに制球の悪化。球威のダウン。甘く入ったボールをスタンドに放り込まれまくった。
「吉沢、2軍降格!」
久々の2軍降格を味わった吉沢。これにはかなりのショックを受けていた。
2軍ではフォームの矯正を徹底した。さらにはもう一回、入団時の時のように体力作りに励んだ。もうなんだかんだで7年間もプロにいる。初心を忘れてしまったと、振り返っての基礎練習の反復。あくなき繰り返し。
昨シーズンを大幅に下回った成績であったものの、38試合に登板。
鉄腕が眠った年でもあった。
◇8年目◇
昨年の失態を反省し、度重なる基礎練習を続けたオフシーズン。ちゃんと物にするのに2年という月日が掛かった。シュートとツーシームの投げ分けも、バッチリできるようになった。本人も今シーズンの意気込みは強いと語る。
ビハインドと接戦での起用を中心にリーグ最多となる79試合に登板。防御率2.72と、118回2/3という驚異的な投球回数を記録。
奪三振は130個をとり、名実共に日本を代表する中継ぎへと知らしめるシーズンとなる。
「……………」
しかし、吉沢は無言でいることが多かったそうだ。
物足りないというか、もっと投げたいのだろうか。
首脳陣にも語らなかった不満がどうやらあったようだ。
「吉沢は良い投手だよ」
一方で、選手達からの評価は凄かった。
ストレートは150キロ。コントロールがキッチリとし、変化球も数が増えて狙い通りに打てない。選手間投票でオールスターに初出場を果たす。
それだけでなく、吉沢というビハインドでの投球にも注目が集まった。いかにして失点を減らし、他の投手を投げさせないか。試合を壊さないようにするか。中継ぎという極めて不遇な立ち位置を見なすきっかけとなった1人として、吉沢は世間に紹介された。
ちなみにこの年、吉沢のチームはリーグ優勝を果たす。
MVPとはいかないが、吉沢の力は絶対的であったことを野球ファン達は高く評価していた。最優秀中継ぎとは、吉沢でもいいんじゃないかと言われるほどだった。
◇9年目◇
本人の不満。これを語ったのはFAを決めた時だった。
この年、1軍に居続けたことで手にしたFA権を行使した吉沢。
「去年、俺は逃げてしまったんだ」
最初の頃は必要だと思っての習得だった。
「アウトをとるために俺は投手をやっていたわけじゃない」
何言ってんだと思う。しかし、
「やっぱり、もう少し自分の力を信じて投げたい。この右腕がまだ大きく吼えられる間にもっと凄い球を投げたいんだ」
プロ入りして3つの変化球を習得した吉沢。1軍で活躍し始めた頃は鉄腕と豪腕。本当に力押ししかできなかったわけだが、いつしか軟投派や技巧派にも移り変わってしまった自分の投球スタイルを受け入れられなかったのだ。
捕手の受けたい球を投げるより、打者を抑える球を投げたい。まだ自分に自信がある内に豪腕を使いたいがためのFA。投手としての能力とその性格はかなりマッチしているのだが、いかんせん選手としては良い難い。理想を追求するためのFAであった。
そして、今シーズンもブルペンでフル回転。昨シーズンを上回る81登板。122回を投げて、防御率3.38。110奪三振を記録するなど、FA市場にその名を響かせる成績を残す。セットアッパーとしてではなく、純粋に中継ぎとしての評価は極めて高かった。
「彼、いいですね。獲得に名乗りをあげましょう!和光さん!」
「もちろんだ。最高額を掲示しよう!」
4球団が名乗りをあげ、その中で一番誠意を見せた球団にFAを決める吉沢。中継ぎの層を厚くするための当たり補強であった。
◇10年目◇
もうそんな年になったかと、新天地に来て感じる吉沢。今年も中継ぎとしてチームを支える存在として、アピールを見せる。
一昨年、昨年と。2年連続でリーグ最多登板を果たした吉沢。その肩に不安を抱く者もいたが、そんな不安は何もなかった。150キロのストレートを打者のインコースに投げ込んでいく、強気な投球によって打者達を圧倒。
ピンチさえ背負わなければ存分にその力を発揮。受ける河合とも相性が良かったため。昨シーズンとなんら変わらない成績を残す。
「このチームに来て良かった」
登板数は52にまで減った。投球回も80回1/3までだ。
それはこのチームの中継ぎの層が厚く、吉沢が中心にブルペンを回る必要がなかったからだ。ビハインドでの登板を中心に活躍。
おそらく、吉沢自身は登板数にこだわりたいと同時に体の辛さも感じているのだろう。
チームのAクラス入りに貢献。
◇11年目◇
吉沢にはこの年になっても改善されていない弱点がいくつもあった。一つはピンチやリード時での投球に難があること。
気楽に投げられる状況ならば100%の力を発揮でき、打者を圧倒する。投手としての素質は高い反面、選手としてはかなりダメ。セットアッパーやワンポイントでは向かない理由の一つであった。
そんな性格があって入団当時から言われていた欠点があった。ようやく、如実に浮かび上がったと言っても良い。
「守備が下手」
投球という点には誰も文句をつけないのだが、それ以外の状況では特に目立った能力がない。
投手守備の下手さはリーグ一。現在所属しているチームの守備は、リーグ1下手であり、チーム内でベスト5にはノミネートされてもおかしくないど下手糞な守備を持つ。
牽制もクイックも上手くないし、たまにボークも記録する。
投げるだけが投手だと、この年になっても思っている吉沢。なんとかするべきだと首脳陣は思っているが、吉沢自身はそーいった細かい技術よりも投球に幅を利かせたい意識が強かった。だから、いつまで経っても中継ぎエースとして活躍できないのだろう。
「阪東さん。なんか言ってやってください」
「構わないだろう」
新監督の阪東。吉沢の投球以外の、脆さについてはかなりアバウト。
「吉沢ほどビハインド向きの投手はいない。あいつの頭には三振ばかりしかない。それでいい」
「いやしかしですね……」
「そんな贅沢になる必要はこのチームにはない。中継ぎが豊富だし、ビハインドだけ投げたい投手がいれば役割も決めやすい」
チームには、井梁、安藤、沼田、植木、ケント、清水などなど。中継ぎの数と質は豊富であった。
競争が生まれるのも良いが、ビハインドや敗戦処理を望む選手がいるのなら多いに結構。その素質も実績も十分にある。すぐに投げられる肩を作る早さ、何連投しても文句や不調を訴えないタフさ。回跨ぎだけでなく、大量リード時ならそのまま最終回まで突き進める体力。
先発に近い中継ぎとして、吉沢はこの時点で完成されていた。
「多少の弱点はカバーできる実力がある」
今シーズンもフル回転。2年ぶり、70登板を記録。投球回も110回2/3と、リーグ優勝に大きく貢献。
中継ぎ投手ながら9勝もマークする。また、100奪三振も記録。
「ただもう自覚しないといけないだろうな」
阪東からリーグ終了後、限界を通達される。
◇12年目◇
吉沢。30歳。
鉄腕と豪腕でブルペンを支えてきたが、この年。自らの衰えを自覚し始めた。
「球が来ない」
150キロを記録できなくなる。
自分の限界が来たのではないかという焦燥感。
「右肩に違和感」
むしろ、なぜここまで壊れなかったと思うほどの登板数と連投数。吉沢も人間であった。いかに調整をしていても、壊れる物は壊れる。
ストレートが走らなくなり、今シーズンの自己最速は147キロ。回跨ぎをこなしてきた吉沢であったが、そのタフさも薄れていった。連投する度にピンチを背負うこともままあった。
実績があったうえ、一軍にはいたが信頼を大きく落としてしまった吉沢。
ストレートという基本が削れていけば、変化球の輝きも失せ始める。そして、悪い事に守備や牽制、クイックモーションといった、投球以外での技術をおろそかにしてしまった吉沢は格好の標的となっていた。ランナーを出せば、吉沢は崩れる。ストレートの球威が落ちれば怖くはない。
防御率5.10。奪三振は50と半減。
ベテランとも呼ばれるほどの歳になったが、その一歩目は新人以上に辛いものであった。とくに辛いのはいくら練習を積んでも元に戻らなかったことだった。
◇13年目◇
キャンプから2軍での調整でスタートした吉沢。ストレートの威力を取り戻そうと地道な基礎練習を重ねていくも、年齢に勝つ事ができなかった。
とはいえ、昨年の体を維持したといえば成功だ。2軍では140台後半をマークする投球で圧倒している。しかし、1軍でかつてほどの投球はできなかった。
ストレートは持ち直したに見えたが、スライダーは全盛期と比べてキレが悪くなった。
シュートもツーシームも、時折打者に甘く入って痛打されていた。
吉沢は苦しんだ。
結果を残さなければ、投げることができなくなってしまう。もう歳だ。
昔と違って、経験を積むようなビハインド登板は望めない。また、回跨ぎを平然とこなせる体力もなくなってきたと感じ始めた。
リーグ優勝に貢献した選手であったが、すでにその面影はなくなっていた。
長くイニングを喰えるといっても、試合を壊さないことが前提……。
この年の1軍登板はわずか7試合に終わり、防御率7.32。
◇14年目◇
ギリギリ、クビは繫がった。その理由としてはFAの権利がもうすぐ入るからだった。
契約更改の際。あと1年だけこの球団に置く事を告げられた。
実績はある。長くイニングを喰える中継ぎというのは希少で価値がある。
吉沢は今年はやらねばならないと意気込み、猛練習を積み重ねて開幕1軍を勝ち取った。そのタフな鉄腕が必要だという首脳陣の判断だ。
そして、全盛期とはまったく違う投球を披露し始める。
変わったことは奪三振が大きく減ったこと。ストレートが大きく劣化したのが原因だろう。ストレートへの意地を捨てるのに1年掛かった。
ストレート重視の投球から、スライダーやチェンジアップを駆使した技巧派にモデルチェンジ。昨年の二軍在籍中に自分が転身するにはどのような方法があるか悩んだ時、これまでの経験を振り返ることにした。どーして自分は奪三振以外でのアウトを取れたのだろうか?
配球の勉強はもちろん、間の取り方、打者の観察とデータから弱点。
「ふーぅっ」
全盛期は熱くなって打者を力でねじ伏せた。それだけのストレートがあったからだ。
今は違う。
しかし、昔と違って答えを何千回と見てきたし、作ってきたのだ。
マウンドに立ち、落ち着いて打者と立ち向かい。不器用ながらも走者にも気を遣った。
「3アウト!チェンジ!回跨ぎをなんなくこなす吉沢!」
全力投球をする必要はない。点を与えずに落ち着いて3アウトをとることに集中する。どんなアウトのとりかたでもいい。
打たせて捕る投球を実践し、これが上手い事体力の温存にも繫がった。そして、自分の変化球のキレは落ちても、月日によってコントロールに磨きは掛かったことに自信は持てた。
今シーズン、与えた四球は自己最小を記録。FA権利を獲得して行使。このチームに恩を感じて去る事を決めた吉沢。
◇15年目◇
技巧派へと移り変わった吉沢。選んだチームはベテランが少ないところであった。本人、金にはそこまで興味がなく。将来を考えるなら、若手や未来の野球選手を教えるコーチになりたかったという理由が、今回のFAの肝であった。
そーいった進路もあったが、吉沢はこのチームでも中継ぎとして活躍。
随分と投球が変わってしまい、別人とも言われてしまった。
ただ変わっていないところは怪我に気をつけている事。未だに大きな怪我がなく、シーズンを通して投げ抜ける吉沢の鉄腕は素晴らしい。
また、ストレートに衰えは見せても十分に使えるよう肉体の強化は怠ってはいない。強化というより、若さの維持が近い。
ストレートの平均球速は144キロ。力は抑えているが、球威を維持している。ちょっとした矛盾。
全力で球速を出すようでは若手に負ける。もう勝てそうにない。だが、良いコースに最速のストレートを投げ込むという、制球寄りの全力投球で打者達を翻弄。
三振を奪わずとも上手い投球で凡打を築く。
プロ生活で全盛期を通り過ぎた吉沢であったが、到達するべき投手の地点にやってきた。中継ぎながら自己最高成績を収める。
防御率2.04。30ホールドを記録。
◇16年目◇
「セットアッパーへ?」
「中継ぎのエースはお前しかいない!頼んだぞ!」
昨シーズンの成績を含め、監督がセットアッパーを吉沢に指名する。中継ぎ投手の最高役と言って良いポジションだ。
しかし、吉沢には不安があった。長く中継ぎを務めているが、セットアッパーだけは無難にこなせたシーズンが一度もなかったからだ。何度目の挑戦だろうか。
球団、ファンからの熱い期待を背負った吉沢。ベテランとして、8回をしっかりと抑えて欲しいところであったが……。
ピリッとした結果が出せないでいた。
勝利にかかるプレッシャーに押し負けるような形で制球難が現れ始め、今プロとして生きられる理由を失った吉沢は当然ながら打たれまくった。
開幕ではセットアッパーを指名されるも5月で撤回。2軍落ちも経験。
中継ぎ投手なのに肝心な役割を真っ当できない歯がゆい経験。
「もういいかもな」
吉沢は十分に投げたと思い始めた。一昨年から自分の理想から離れた投手になっていた。
2軍落ちから一度も1軍に昇格することなく、シーズンを終える。完全なる燃え尽き症候群。
「引退します」
シーズンに影響がなくなり始めたところで監督やオーナーなどに引退を決意する吉沢。これから先を過ごす金が入ったかというと、微妙。中継ぎはどうしても注目され辛いところであり、年俸は最高で1億を記録しただけ。それでも野球に携われる仕事はあるはずだ。
この年で止めようと燃え尽きた言葉を周囲に告げたのだが、
「何を言っているんだ、吉沢!本当に言っているのか!?」
「納得いく投球ができなくなったんです」
「しかし、それがお前の本心なのか!?もう一度だけ投げてくれないか!」
監督やコーチからの必死の説得があった。プロ年数は完全にベテランの領域だが、まだまだプロに入られる歳だ。
お手本として吉沢を若手に見せたい。いや、ファンに見せたいのだ。
「考え直してみないか!?鉄腕、吉沢がこんな引退をするなんてファンが悲しむぞ!」
周囲が思っている以上に自分は期待されていたと知る。
今まで自分の好きで投げていた時とは違う。違うが、燻っていた闘志が燃え上がりそうだった。
まだできるかもしれないと、心の中で思ったらすぐに本音を口が言いやがった。
「そーすね。早い決断だったかもしれないです」
来年から、自分のためではなく。人のために自分の投球をしようと決意する。
◇17年目◇
もう35歳。実はまだ独身である吉沢。そんな彼は6つ年上の女性と知り合った。……知り合ったというより、2軍の試合の近くで医師をしている女性だ。嫌な言い方だが、昔から知っている。プロ野球選手以外での人付き合いは彼女ぐらいしかいなかった。
「引退はやっぱり早いですよ」
「そうなのか?」
「吉沢さんは特に大きな怪我はない。1年、活躍ができなかったことは何度も経験しているのでは?」
「……そっか」
引退の事実を伝えに来たのだが、彼女はあっさりと撤回した方が良いと勧めた。それもあって、この17年目を迎えられたと言って良い。
そんなこんなで17年目の春キャンプから、入念な基礎練習の繰り返し。沢山走って、ウェイトトレーニングして、フォームをしっかりと固めていく。
今シーズンはセットアッパーという役割ではなく、例年通りの中継ぎ。得意のビハインド登板で活躍していく。
回跨ぎも無難にこなしていき、やはり引退が早かったと自分自身も気付くシーズンとなった。
一度辞めようと決意した身。球の力強さはなくなっていったが、打たれるものなら打ってみろと、強気の投球で打者を圧倒。
「吉沢なんと15イニング、無失点!完璧なリリーフを続けます!」
気付けば、再びリーグ最高の中継ぎとの呼び声が上がる。この奇跡的な活躍には様々な理由があった。
1つは引退という気持ちもあることで、弱気にならなくなったこと。こっぴどく打たれたらもうそこが自分の精一杯のライン。まだ投げられるときは全力を尽くして打者に立ち向かった。心が強くなった証拠だ。
もう1つにストライクでの投球が可能であることだ。
多彩な変化球を持ち、なおかつストライクをガンガンとりにいく。そして、ストライクゾーンも際どいコースに投げ込んでくるからこそ、打者にとっては厄介。無駄な失投がなくなり、140台前半のストレートでもプロを抑えられる証明をみせる。長く経験したからこそ、どのように投げればいいかが反射的に分かり、それを投球に込められる。
淡々と三者凡退を作り上げることから、この歳で呼称される。
”ジェノサイド・吉沢”
◇18年目◇
「タイトルを獲ったら、付き合ってくれ」
「へー……。交際ね」
オフシーズンの決意。それを初めに報告したのは医師を務める彼女にであった。
「!?えっ!?交際!?私と!?」
「タイトルを獲ったらお願いします」
昨シーズンの活躍によって、2軍には一度もいかなかった。
しかし、球団の関係者を除けば彼女がいたからこそ、できた活躍であった。心の中で彼女が欲しいという小さな欲求。同時に誓いをすることで今シーズンに賭ける想いを見せる。
「私でいいの?」
「あなたには2軍の頃から世話になってます。これからも俺の世話をして欲しい」
初めてプロ野球選手とは別の勝負をした吉沢。
投手からようやく選手に変われたといった感じ。吉沢は何度目かの挑戦となる、セットアッパーへの道を進む事を決意。
同時に最優秀中継ぎのタイトルを獲得すると宣言した。一昨年、引退を考えていた選手だとは到底思えない。しかし、調子に乗っているというわけではない。決意とはこーいったものだと、告白された彼女は感じた。
いつの間にやら、投手としての通算登板数は歴代リーグトップ2に入るほど。史上にも残るほどの鉄腕となっている吉沢。
そして、驚くべきことはベテランになったほど防御率がより改善されているということ。衰えを自覚しながらも、積み重ねた経験と練習がさらなる飛躍を遂げたと言えよう。
その決意が実ったのか、セットアッパーとしてシーズンで活躍を見せる吉沢。冴え渡る、低めへの投球。ピンチでいくつも転がり続けた経験でようやく、学習することができた精神。プレッシャーに負けない揺ぎ無い覚悟を、敗戦から作り上げた。
8回の守備を淡々と抑えていく。
何事もなく、抑えていく。
「ジェノサイド・吉沢!もうこれが普通のことなのか!?」
宣言通り、見事セットアッパーとしての地位を守り抜く。
防御率1.32。5勝2敗。
そして、最優秀中継ぎを獲得。57ホールドという恐るべき記録を打ち立てて、チームの優勝にも貢献するのであった。自らの全盛期と、最高成績はマッチしないこと。衰えを知っても、益々盛んなりと見せつける吉沢に多くのファンができたのは言うまでもない。
◇19年目◇
「結婚しましょう」
「え?」
オフシーズン。彼女との交際を繰り返しながら、練習も怠らない吉沢。ペナント中も本拠地でなら彼女が応援に来ていたことも知っている。
年が開けて受けた報告に吉沢は固まっていた。
「だから、結婚しましょう。もう……。今度は私が今のあなたとこれからを支えます!」
「お、俺なんかでいいのか?」
「プロ野球選手と結婚できるなんて、女性として夢と同義ですよ!」
キャンプイン前に婚約する吉沢。結婚するために昨年同様の誓いをしようと思ったが、彼女の方から誓われた。
「カッコイイ夫でいてくださいね。あなた」
人を守ることを知る吉沢。それがプレッシャーとなるときもあるだろう。若い時ならきっとなっていただろう。しかし、今は違う。守るものができて逆に嬉しかった。
この人のために野球を続けよう。プロで活躍しようと、19年目のベテランが思うのであった。
昨シーズンの活躍からより一層、マークされる吉沢であったがなんのそので活躍を続ける。
ところどころで失点はするものの、キッチリと重要な場面を抑えきるセットアッパーとしてシーズンをやりとおす。例年、体力の衰えで嘆く夏場が以外と楽に感じたのは奥さんを持ったことが要員だろう。ファンが安心でき、敵が戦慄する投手として役目を真っ当。
こんな投手が存在するのかと、疑うほどの大活躍。
昨年と同じく、最優秀中継ぎのタイトルを獲得。
同時に今シーズンで通算歴代最多登板を記録。鉄腕が本物となった瞬間だ。
◇20年目◇
「今シーズンで引退する。構わないかな?」
「確かにもういいんじゃない?」
「ありがとな」
吉沢は今度こそ、今シーズンで引退を表明。
よくぞここまで右腕が持ってくれたと感謝している。一昨年、昨年と、タイトルを獲得し最盛期とも思われる状況での引退発表。
記者会見も行なわれるほどの大きな事に吉沢も、奥さんも驚いてしまった。
「もうよく投げきった。怪我じゃないんですが、限界の中で良くやってきました。自分もそう納得できました」
吉沢は結果こそ残したが、存分な投球ができなくなる前に決意したかった。衰える握力、筋肉の軋み。フォームはまったく問題ではないのに投球に影響が出ている。タイトルを獲得してこそいるが、回跨ぎをこなした回数は年々減ってきている。奪三振も極めて少なくなった。
不様な引退はしたくなかったのもあるだろう。
今年も昨年同様の働き。まるで例年と同じように思えるセットアッパーとして活躍し、引退はどう考えてもおかしいし悲しいと訴えたいほどだ。
49ホールドで3年連続で最優秀中継ぎのタイトルを獲得。また、引退の年になんとシーズンMVPを獲得。
「もう少し投げられると感じます。しかし、きっと自分も監督達も、そしてファンの皆様にも……投手じゃないと思われる球しか投げられなくなる。そーいった引退はしたくない」
実働年数20年。
1037登板。1118奪三振。防御率3.39。109勝、49敗。487ホールド。53セーブ。
「今シーズン。投手として投げ抜いて引退します」
主なタイトルや記録。
最多勝1回、月間MVP1回、最優秀中継ぎ3回。MVP。
「ここまで野球をできて幸せでした」
自分の納得できる幕引きができた吉沢。その姿には多くのファンが悲しみながらも、強く納得してくれたものであった。




