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ホラー短編集

エコ穴

作者: 藍上央理

 Iさんは定年退職後の趣味に関して夢があったのだという。


 「畑をね、耕して、そこで実る新鮮な野菜を収穫してみたかったんですよ」


 Iさんが幼いころ、現在住んでいる家屋に、父母と父方の祖父母とともに暮らしていた。


 Iさんの祖父は農業を営んでいて、いまは空き地になっているが、裏手の土地に畑を耕して家計を支えていた。


 しかし、Iさんはそこまで大規模な畑を作りたいわけではなかった。


 どちらかというと、まだ幼い孫に自然のなかで実る野菜を手に取ってもらいたいという思いがあった。


 定年退職後、Iさんは早速ホームセンターへ行き、必要なものを買い揃えた。


 「機械はなるべく使わないようにしたいと思いまして」


 それで、くわやすきを購入した。


 Iさんは家屋の裏にある空き地を畑にするため整備をはじめた。


 まずは目につく石や岩をどけ、邪魔な雑草や木々を取りのぞいた。


 長年の事務仕事でなまった体にはかなりきつい重労働だったが、爽快感があった。


 ひと月ほどで、ようやく土にくわを入れられるようになった。


 土自体を畑として利用できるようにするために、本を参考にしてまずは固くなった地面を掘り返していった。


 たった三メートル四方の作業だったが、これが非常に大変だったらしい。


 「足も腰もがたがたになったよ。こんなことを爺さんは毎日やっていたんだな」


 けれど、Iさんはそのあと眉をしかめた。


 「耕す作業を始めて一週間くらいだったか」


 くわで丁寧に土を掘り下げていると、ガツンと固いものに刃先が当たったというのだ。


 取りのぞけなかった石に当たったと、Iさんは思ったらしい。


 土をはらうと、予想していなかったものが現れた。


 それは古ぼけた木の板だった。


 木の板のおもてには紙が封をするように貼られていたようだが、くわで掘り返した際にはがしてしまったようだった。


 こんなところに木の板が何のためにあるのかわからなかったが、Iさんはそれを井戸かもしくは肥えだめのあとなのだろうかと考えた。


 とりあえず木の板を外してみないことにはわからないと思い、作業を中断して板を両手で持ち上げた。


 きつい臭いがこもっているかもしれないと覚悟していたが、そういった心配はなかった。


 板を外した場所には真っ暗な穴があるだけだった。


 けれど、Iさんにはこの場所に肥溜めや井戸があったという記憶がない。何のための穴だろうかと思ったという。


 「家内に話したら、ゴミでも捨ててたんじゃないのかって言うんだよ。エコとかいうやつね」


 それじゃあ畑の肥料代わりに生ゴミを捨てたらいいということになって、毎日料理の際に出たゴミを捨てていた。


 板は危険防止のために、穴にかぶせたままだった。


 「でもね、その穴がなんというか」


 薄気味悪かったという。生ゴミを落としてもゴミがそこに落ちる音がしなかった。ためしに石を落としても同じだったらしい。


 井戸なら水の音がするだろうが、それもなかった。


 畑の真横にそんな気味の悪い穴があるからといって、いまさら畑の位置を変えるなどこれまでの面倒を思い返すとなかなか出来そうになかった。


 見て見ぬふりですむならばと、Iさんは穴の存在を気にしないことにした。


 


 あるとき、奥さんから飼い犬の散歩にいってきてほしいといわれ、Iさんはひと段落した畑の様子を見に行くついでに犬を連れて出かけた。


 その日は五月晴れで暑かったという。


 先日、畑にトマトやナスの苗を植え、キュウリのつるを這わすための竹もうまく組んだばかりだった。


 畑に入ると、Iさんは飼い犬のことをほったらかして無農薬に徹している野菜の苗の虫をとり始めた。


 どのくらいたったか、キャンという犬の声に我に返ったIさんは、泣き声のしたほうを振り向いた。


 飼い犬がいなくなっていた。


 それまで確かに裏庭の周辺をうろついていたはずだった。


 気がつくと、はめてあったはずの穴の板が外れている。


 嫌な予感がして、Iさんは穴を覗き込んだ。


 真っ暗な穴は静かだった。何かが落ちたという気配すらなかった。


 Iさんの脳裏に奈落という言葉が浮かんだが、あまりにも非現実的すぎる想像を急いで否定した。


 Iさんと奥さんは近所をくまなく当たって飼い犬を探したが、結局見つからなかったらしい。


 Iさんは危険防止のために常に穴に板をはめ、そのうえに重石も置いたという。


 裏庭に通うのはIさんだけだったのだから、厳重すぎるくらいの処置だった。


 お盆になると畑には熟れた野菜が山のように実った。


 孫も来ると知っていたので、畑の野菜を孫と収穫しようと楽しみにしていた。


 まだ三つになったばかりの男の子で、Iさんの長男の小さいころに良く似た孫だという。


 ただ、長男の嫁がいうには野菜が嫌いでなかなか食べてくれないとのことだった。


 Iさんは息子夫婦が帰省した次の日に、孫を連れて畑にやってきた。


 孫も苗に実る野菜をはじめて見てはしゃいでいた。


 午前中の涼しいうちにたくさん収穫しようとIさんが張り切っていると、突然子供の凄まじい泣き声がした。


 Iさんは慌てて孫の姿を探すと、小さな姿が地面に倒れて大泣きしているのが目に入った。


 こけたのかと思い胸をなでおろし、泣いている孫に近づいたIさんはぎょっとした。


 孫の小さな足に無数の手が絡みついていたのだ。


 その手は蓋をしているはずの穴から伸びていた。


 Iさんは無我夢中で孫の体を抱きかかえると、必死で絡みつく手を引き剥がし、急いで家に戻った。


 ツタか何かが絡みついたと思い込みたかったが、細い孫の足にはくっきりと手形がついていた。


 Iさんは穴にゴミを捨てなくなった。元の通り、土をかぶせて埋めてしまった。


 それでもIさんは畑を続けている。


 「だってね、がたがた音がするんだよ。爺さんはどうやってアレが出てこないようにしてたんだろうね」


 それが気になって見に行くのをやめられないのだという。

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