☆3
階段を降りて拓と向かったのは体育館の近くの階段下だった。俺たちが着いた時にはもう何人か来ていて着替えていた。別に誰にここで着替えろと言われたわけでもないけど、体育館に近いし、程よく暗いのでみんなここで着替えるのだった。
いつものように「なんで女子は教室で着替えて、男はこんなところで着替えなきゃいけないのか」という事について拓含め、周りの男達と愚痴りあいながら着替えて体育館に向かう。
体育館の中はネットによって真ん中で区切られていた。体育は男子と女子で担当する先生も違うから、体育館も分けられている訳だ。
先生が来て授業が始まる。準備体操をして、パスやシュートの練習を一通りこなして試合だ。
正直、俺はバスケが苦手だ。というよりも球技全体が。ボールが目の前に来るとつい目を瞑ってしまうのだ。こればっかりは昔からなのでどうしようもない。だから俺は試合が始まったらディフェンスに徹する事にした。といっても相手を邪魔することくらいしかできないのだが。
自分のチームのゴールの下で相手を待ち構えていると、敵チームでバスケ経験のある拓がドリブルをしながら向かってきた。
俺は拓の正面に立ち塞がった。拓は俺と目が合って一瞬ニヤッと笑うと、スピードを緩めずに近づき、体の右側に重心をかけた。その動きに連動するように、俺は無意識のうちに左足に力を入れて手を伸ばしていた。拓は俺がそう動くことが分かっていたかのように、肩が触れるか触れないかの位置で体重心を左にスライドして、風のように俺の右脇をすりぬけていった。
俺が振り返る頃にはもう拓はボールをゴールに入れてしまっていて、落ちてきたボールをキャッチして、俺を見てまたニヤリとした。俺は苦し紛れに笑って「くそっ」と呟くしかなかった。
その後も俺達は拓や他の相手を止めることが出来ず、点差は離されていくばかり、俺はただ疲れて汗を流すばっかりでもう全然面白くなかった。
ふと隣を見ると女子が試合をやっていた。我らが二組の女子と一組の女子による試合だ。
二組の方のチームには田中と渡辺がいた。田中はスポーツが得意な方だし、渡辺は中学の時バスケをやっていたらしい。一年の時から仲の良い二人なだけあってコンビネーションは最高だった。二人は声も出さずにアイコンタクトだけでボールをパスし合って、相手チームのメンバーの間をすり抜けて行った。
田中はゴール前で二人のディフェンスに挟まれて動けなくなるも、床にバウンドさせるパスを、出した方をを見ずに放った。バウンドしたボールは最高点に達したところで、そこに走ってきて跳んだ渡辺の手に触れて彼女のものとなった。
ドリブルされているボールはまるで渡辺に従順に従う生き物のように動いた。さらさらした黒くて長い髪が、走る渡辺の残像をなぞるように滑らかに動く。シュートされたボールはバッグボードにも、ゴールポストにすら触れずに静かにゴールに入った。そのためボールが落ちて床に当たった音は一際大きく響いて、すぐに歓声に変わった。あまりに綺麗に決まったシュートに敵味方関係なく、みんなが感嘆の声を洩らして、クラスメイトは渡辺の元に駆け寄って行った。
田中が嬉しそうにハイタッチをしているのが見えた。首筋から胸元にかけて流れるいくつかの汗の粒がキラリと光るのが見えた。
隣で行われている試合に……というより田中に見惚れていると「祐一っ!」と俺の名前を呼ぶ声がした。
呼ばれた方に振り向くと目の前にボールがあった。二十cmくらいの距離だったと思う。
脊髄反射でも流石に動けず、間に合ったのは目を瞑るくらい。ボールは見事に俺の顔面のど真ん中に直撃して反発し、飛んで行った。
俺はというとボールの衝撃を受けて後ろに倒れた。地面に初めに着いた身体の部位は後頭部だ。顔面、主に鼻と、後頭部に激痛が走って俺は声も上げずにのたうちまわった。
どうやら俺にパスを出したらしいクラスメイトは申し訳なさそうな声で「ごめん、手が滑っちゃって……」と俺に駆け寄って謝り続けていた。最初は笑っていたクラスメイト達や、拓含めた隣のクラスの生徒も「大丈夫か?」と言って周りを囲み出す。
本当に鼻はもげそうなほど痛かったし、後頭部は今にも割れるんじゃないかと思ったけど、すぐ隣に女子達が居た事もあって、その時の俺にとっては痛さより恥ずかしさの方が強かった。
右手で鼻を、左手で後頭部を押さえたまま「だいじょぶ……だいじょぶ……」と言って起き上がると、先生が「気持ち悪かったら保健室行けよ。大丈夫ならそこで座って休んでろ」と言った。指差した先は体育館を真ん中で分けたネットの近くだった。
俺は壁に背をつけてその後の体育の授業を見ていた。俺がいたチームは拓のいるチームに相当な点差をつけて負けてしまって、次の試合が始まった。
今度の試合はお互いのチームの強さが拮抗してなかなかいい勝負だった。しかし、だからと言って隣で女子が試合をしているのに、野郎の試合を見ているのはなんだか勿体無い気がする。だから俺はばれないように女子の方の試合を盗み見ることにした。
見ると試合は終盤で、俺が倒れているうちに反撃を受けていたらしく点差は縮まっていた。
流石に渡辺にも疲れが見えて肩で息をしていた。髪の何本かが汗で濡れた首に張り付いている。
試合終了までもう一分を切った。自分のチームのゴールを守りに入った渡辺が上手い具合にパスカットをして、相手の頭上を越える高いパスを出す。ボールの着地点には相手が先回りしていたが、田中が走って勢いのついたジャンプをして、ボールを空中でキャッチした。地面に着地した田中はその勢いを殺さずに、ドリブルをしながら全速力で駆ける。
俺が座っていたのは田中のいるチームからして敵のチーム側だ。走ってくる田中が見える。激しくドリブルをしながら、目はゴールしか見ていないようだ。
俺の居る所の近くまで走ってきた田中は、斜め前の位置で急に止まった。逆側から相手チームのメンバーが田中を止めに来たからだ。靴のソールがキュッと高い音を立てる。一m以上の距離があったが、顔で風圧を感じた。同時に、汗で蒸された女子特有の甘い匂いが俺の鼻腔をくすぐって頭がくらっとした。
田中は相手を見て、次にゴールを見た。その位置から投げれば3ポイントシュート。時間からして勝利は確実な物となる。
俺は自然に手に力が入っていた。手の汗を体育着で拭う。
無意識のうちに「行けっ!」と叫んでいた。田中は一瞬こちらを見て、次にゴールを一点に見つめ、両足でジャンプをした。
この時、体操着の上着がめくれて田中の綺麗なウエストの曲線と、真ん中の縦に伸びた“へそ”の穴が見えた。時間がスローモーションで流れた気がした。
空中で、両手でボールを投げる。放たれたボールは空中で弧を描き、ゴールポストにバンッと当たってクルクル回った。田中を見ると両手を組み合わせて祈っているようだった。次にゴールを見ると、ちょうどボールがゴールの中をくぐって落ちるところだった。
隣のコートでその日一番の歓声が沸き起こる。その歓声の大きさは男子側で試合をやっていたみんなも気を取られる程だった。
田中を見ると向こうもこっちを見て目が合った。ニコッと満面の笑みを浮かべてピースサインをして見せる。内側に少し巻いたセミロングの髪が少し乱れていたけど、全く気にしていないようだ。俺は何だか顔が熱くなって、ぎこちなく笑ってサムズアップして見せた。
田中の元に渡辺が駆け寄って抱き合っていた。俺はその様子をボーッと眺めていて、腕に水滴が落ちるのを感じた。
鼻血が出ていた。




