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深い森の中、葉々の隙間から漏れた光の筋が地面を照らす。

鬱蒼とした森。その奥深くにある泉に住む蛇女(メリュジーヌ)のマリー=アンジェは、森の入口に恩人と小さな友人の気配を感じて顔を上げた。

彼女の動きに合わせて揺れる、波打つ金の巻き毛が木漏れ日を受け輝き、若草色のエプロンドレスは陽の光と木々が作り出す陰影によって複雑な模様が描かれていた。ドレスの裾から見える深い緑色の尾は、彼女が半人半蛇であることを示していた。

泉の近くに植えられた胡桃の若木の精が「エリーママンの気配だ」と歓声を上げて、森の入口へと駆け出して行く。被った緑色の三角帽子が、ずり落ちそうになって慌てて帽子を押さえながら走る少年の姿。

その姿をクスリと笑って見ていたマリー=アンジェだったが、入れ違いのようにチラリと見えた小さな友人の姿に慌てて人間の姿になって、髪の毛を整え出した。

マリー=アンジェの下半身は蛇の身体から人間と同じ二本の脚になり、その足元を飾るのは繊細なレースで縁取られた白い靴下と深緑の愛らしい靴。

そのソワソワしだした様子は森精たち(アルセイデス)の笑みを誘った。


「ねぇ、おかしくないかしら?」


クスクスと笑う森精たち(アルセイデス)は、口々に「可愛いわ」「愛らしいわよ」と何処かからかうように告げる。彼女たちの声がさざ波のようにあたりに響いた。

面白がっているのが分かったのだろう、マリー=アンジェは頬を膨らませて「意地悪ね」と呟いた。


「リトルマリー、フランシスが来るわよ」


森精たち(アルセイデス)が小さく囁きだすと、彼女たちの声が風に揺れる葉のざわめきの様にサワサワと広がった。

慌ててマリー=アンジェが友人の姿を確認すると、小さな幼子が森の向こうから近付いて来るのが見えた。

そこに居たのは白地に紺のボーダーのセーラーシャツに紺色のスカーフを結び、濃紺のズボンをはいた少年。彼は、マリー=アンジェの姿を確認すると大きく手を振って、よたよたと走り出した。

少年が走り出したのは舗装された道ではなく、木の根や草などの起伏に富んだ獣道。手に持つ大きめのバスケットも動きづらさに拍車をかけ、今にも転びそうだった。


「フランっ! 転ぶから、ゆっくり来なさいっ!」


マリー=アンジェは口元に手を当てて大きな声を出し叫ぶが、フランシスは何を勘違いしたか、満面の笑みを浮かべて口をパクパクさせ、大きく手を振った。

そして、片手に持った大きめのバスケットを抱え直し、またヨタヨタと走り出したのだった。

子供特有のぷくぷくの頬を真っ赤にして、フゥフゥと息を切らせながら走り寄るフランシス。柔らかな黒髪は汗ばんだ額にぺたりとくっ付いた。


「もぅ、世話が焼けるんだから」


憎まれ口を叩きながらも、マリー=アンジェは軽やかに走り出した。

フランに駆け寄ったマリー=アンジェは、フランシスの手からバスケットを奪い取った。


「マリーねえちゃま、ぼくが、もってく、んだよ」


肩で息をしながらフランシスが抗議をすると、マリー=アンジェはツンとそっぽを向いて「フラン、貴方が転んだら、エリーのお菓子がぐちゃぐちゃになるでしょ」と答えた。

むぅっと頬を膨らませるフランシスだったが、本当は此処まで運んでくるだけでも大変な仕事だったので、バスケットをマリー=アンジェから奪おうとはしなかった。


「ぼくが、はこぶって、グランマと、おやくしょく、したのに」


それでも、祖母との約束事を果たせなかったことが心残りなのだろう、息を整えながらも、下を向いて文句を言う。

その様子をチラリと確認したマリー=アンジェは、「しかたないなぁ」と独りごちながら、フランシスの前にバスケットの持ち手を半分差し出した。


「一緒に持っていけばいいでしょ。バスケットが大きくて大変そうだったから、わたしが手伝ってあげる」


マリー=アンジェの言葉に、キョトンとしたフランシスだったが、その言葉を理解すると、満面の笑みを浮かべて頷いてバスケットの取っ手をつかんだ。

破顔したフランシスにマリー=アンジェは真っ赤になる。


「マリーねえちゃま?」


不思議そうにマリー=アンジェの顔を見るフランシスだったが、彼女がサッサと歩きだすと慌てて歩き出す。

二人が仲良く歩いていると、後ろから男の子に手を引かれた黒髪の女性が現れた。


「こんにちは、リトルマリー」

「エリー、こんにちは」


しっとりと微笑んで女性が声をかけると、マリー=アンジェは振り返って無邪気に笑って挨拶をした。

恵理は20数年前、当時この森を守っていたマリー=アンジェの母マリー=テレーズと懇意にしていた。故郷を思ってホームシックになった恵理にマリー=テレーズは恵理が故郷で世話をしていたという胡桃の苗をこの森に植えることを許したのだった。

ちなみに、その時植えられた胡桃の樹の精が、今、恵理の手を引いている少年だった。

その数年後、マリー=テレーズは亡くなってしまうが、彼女は娘のマリー=アンジェの力が未熟なのを心配して、恵理に助けを求めた。

当初は「自分だけで大丈夫だ」と恵理の助力を拒絶していたマリー=アンジェだったが、まだ力が足りず、森の木々が枯れ出してしまった。


「ごめんなさい。みんなを助けて……」


そう言って泣いて助けを求めるマリー=アンジェ。恵理は優しく頭を撫でると、森の木々たちに力を与えたのだった。

恵理の息子夫婦が結婚し、孫のフランシスが生まれてからは、フランシスと散歩がてら森に来るようになった。


「クルミ、そんなにエリーに纏わりついたら、エリーが歩きづらいでしょ」

「なわけあるかよ! なっ、ママン、邪魔じゃねぇよな」


恵理に抱きついてご機嫌なクルミと、大好きな祖母を取られて面白くなさそうなフランシス。マリー=アンジェはバスケットを引っ張って、不機嫌そうなフランシスの意識を自分に向けた。


「ほら、早く行きましょ」

「うん」


仲良く二人でバスケットを持って歩き出す。

恵理が微笑ましそうに二人を見た後、クルミに「いつもの用意してくれるかしら?」とお願いすると、クルミは嬉しそうに頷いて「まかせて」と胸を張る。

クルミは自分の樹まで走ると、雨風から守るために樹の(うろ)に隠してあるドールハウスを取り出した。

丁寧に草の上にドールハウスを置くと、バスケットを持って来たフランシスに声をかけた。


「フラン、早く油揚げ出せよ」

「わかってりゅ」


フランシスは、バスケットの中から取り出したおやつを森精たち(アルセイデス)が用意したテーブルに置いていく。そして、奥の方に入れてあった油揚げの容器を取りだして、クルミの用意したドールハウスの前に供えた。


「きつねのおじちゃま、グランマのあぶらあげでしゅ」

「千住のおっさん、来なきゃオレが喰っちまうぞ」


二人がそれぞれ口にすると、ドールハウスの上空からシュタッと狐が降りてきた。狐の背中には狐耳としっぽが生えた十代後半の娘が、ぎゅむっとしがみついて目をまわしていたが、狐がブルンと身体を震わせるとバタリと草の上に倒れた。

狐は背中から落ちた少女を気にした風もなく、一目散に油揚げの山に近付くと、大きな口を開けて喰らい付いた。見る見るうちに山となった油揚げが狐の口の中に消えていった。


「小娘の油揚げは絶品だな」


あっという間に食べ終わると、口の周りを舌で舐めとり呟く狐。

食べ終わるのを見計らっていたのだろう。恵理が狐に声をかけた。


「千住様、お久しぶりです」

「おぅ、小娘。また腕を上げたな」


美食家じみた論評をしてみるが、千住にとっては油揚げと言うことが重要であり、あまりにもひどい味でなければ許容範囲だ。

それを知っているのだろう、恵理は口元に手を当ててクスリと笑う。


「ありがとうございます」


大人組が挨拶を交わしている頃、子供たちはと言うと、狐に振り落とされた少女の傍にいた。


「はぎねえちゃま、だいじょうぶでちゅか?」


ピクリとも動かない少女を心配したフランシスが、小さな手でペチペチと彼女を叩く。


「動かねぇな……萩、起きれるかぁ?」

「いつものことじゃない」


二匹(人?)が現れた時は、こうなるのは毎度のことだと、マリー=アンジェは肩をすくめた。

クルミが恵理のお菓子につられて泉から顔を出した水精たち(ナイアデス)に、いつもの頼み事をする。


「おやすいごようよ」

「任せて」


にっこりと笑った水精たち(ナイアデス)は、魚の尾でパシンと水面を叩く。すると、大量の水が萩に襲いかかった。


「くしゅんっ!」


水をかけられ慌てて起きた萩は、ブルブルっと身体を震わせた。水気があたりに飛び散り、萩の傍にいたフランシスに掛かった。

慌てて恵理の荷物の中にあったバスタオルと着替え(ワンピース)を取りに行くフランシス。


「あぃ」


まずはバスタオルを差し出した。暖かい季節とはいえ、水浴びをするにはまだ寒い季節。ブルブルと震えだした萩は礼を言うとバスタオルを受け取る。

濡れた服を脱ぎ、頭からバスタオルを被って水気を拭う。

次に差し出されたワンピースを着て、人心地がついた萩はフランシスの頭を撫でた。


「フランは偉い子じゃの」

「いつもこうなるんだから、少しは考えてきたら、オバサン」


萩に頭をなでられニッコリ笑うフランシス。それを面白くなさそうに見ていたマリー=アンジェは、イラつきを萩にぶつけた。

ムッとした萩だったが、相手は子供。目くじら立てることもないと自分に言い聞かせた。

そしてあたりを見回し、千住の傍らにポツンと置いてある空になった容器に目を止める。容器からは油揚げの良い匂いだけが残っていた。

座って毛づくろいをしている千住をジト目で睨んだ萩は告げる。


「親父殿、妾の分が残ってないぞえ?」

「早い者勝ちだ」

「なっ! 妾がどれほど恵理の油揚げを楽しみにしておったか知っておるくせに、食意地の張った雄狐(おのこ)じゃ」


シレッと答える千住に萩は怒りだした。

しかし、千住は気絶している方が悪いとばかりに取り合わおうとしない。

プリプリと怒る萩に恵理は「萩様の分も別にありますよ」と先程より若干小さな器に入れた油揚げを荷物の中から取り出した。


「なんと! 流石は恵理じゃの」


耳をピンと立て、尻尾をブンブンと振った萩は恵理から器を受け取ると「美味じゃ美味じゃ」と食しだした。

煩いのが静かになったところで、千住は恵理に尋ねた。


「チビに変わりは無いか?」

「はぃ。千住様の言いつけ通り、バンダナを首に巻いたり、手首にリボンを結んだりしています。パジャマも首元でリボンを結ぶタイプの物を見つけましたわ」


恵理の答えに萩が疑問を抱き首を傾げる。

食べていた油揚げを急いで飲み込むと二人に尋ねた。


「どういうことじゃ?」

「あの子の強すぎる妖気を抑えるために、千住様に封印を施していただいたんです」

「封印つーより、ありゃ呪いの(たぐい)だがな」


恵理の言葉にカラリと笑って千住は告げる。


「てめぇ以外の奴に身体を縛られたら、全ての力が使えなくなるんだからな」

「身体を縛られるとな?」


訳が分からずますます首を傾げる萩は、パクリと最後の油揚げを飲み込んだ。


「萩様、縄でぐるぐる巻きにするわけではありませんよ。バンダナを首に巻いて縛っても、身体を縛られたことになるのです」

「ほぉ」


恵理に説明され、感心する萩。チラリと千住を見ると「器用なことじゃ」と呟いた。


「さすが親父殿、上手い事考えるものじゃな」


施したのは千住なのに、何故か得意げな顔をする萩。

精霊たちや森の小動物たちとともにお菓子を食べているフランシス。よく見れば、彼が着ているセーラー服には紺色のスカーフが結んであった。

食べ終わったフランシスはクッキーの屑を小鳥にあげた。


「マリーおねえちゃま、あそぼ」

「良いわよ。じゃぁ、どっちがたくさん木の実を拾えるか競争ね」


マリー=アンジェを誘うと彼女は嬉しそうに立ち上がった。

無邪気に遊びだすマリー=アンジェとフランシス。

楽しそうに遊ぶ二人の姿に、萩はうずうずしてきて、「妾が遊んでやろうかの」とウキウキと尻尾を振りながら二人に交じる。

少し迷惑そうなマリー=アンジェと仲間が増えて嬉しそうなフランシス。クルミはその様子を楽しげに見ていた。

穏やかな昼下がり。

無心に遊ぶ子供たちの姿をぼんやりと眺めていた千住は、ぼそりと呟く。


「これがチビの為かどうかは分からんが……暴走されても困るしな」


その言葉を聞いていた恵理は、ギュッと両手を握りしめた。

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