14
恵理は目を離せなかった。否、目を逸らしてはならないと感じていた。
だから、じっと己の孫が人ならざるものへと変貌していく瞬間を見続けていた。
「フランシス……」
哀しげな瞳で己の孫だったものを見つめる恵理。見た目は天使のような愛らしいフランシスのままだというのに、浮かべる表情が格段に違いすぎる。
その変わりすぎた姿と、辺りに撒き散らす妖気の凄まじさ。
恵理は震える身体をグッと抱きしめた。
「契約の代償は頂きました」
ギョッとして振り返ると、にこやかな笑みを浮かべる悪魔がいた。
恵理は言われた内容が信じられず、微かな声が震える唇から漏れる。
「契約……だ、い、しょう?」
「おや? タダで願いがかなえられると御思いでしたか?」
ククッと嗤ったサリエルは、恵理に見せていた表情を一変させ、うっとりとした眼差しでフランシスを眺めた。
恵理もサリエルの視線を追う様にフランシスへ目を向ける。
彼は小さな指に腕の中の少女の美しい金の巻き毛を絡め、楽しげに目を細めて、目の前で繰り広げられる物騒な出し物を観賞していた。
「アザゼル……やっと、お会いすることが出来ましたね」
夢心地に呟くサリエルの声に、恵理は足の力が抜けその場に座り込んだ。
「私は自身の魂ではなく、孫の魂を悪魔に売り渡してしまったの?」
ぼんやりと呟いた恵理の声は、サリエルの唇を歪ませる。
一方その頃、フランシスに抱きついていたマリー=アンジェは、彼から身体を離し、その幼い顔をまじまじと見つめた。
何時も遊んでいる無邪気な幼子の笑みは、何処か妖艶なソレへと変貌していた。
「アナタ、ダレなの?」
ポツリと尋ねる少女に、彼はニッコリ笑って「フランシスよ」と答える。
その答える口調も眼差しも仕草までもが、自分の知っているフランシスと全く異なっていて、マリー=アンジェは混乱する。
「アナタは、私が知ってるフランじゃないわ」
「それでも……あたしはフランシスだわ」
一匹二匹と巧みに蛇たちを避け続けていた獣だったが、やがて足を噛みつかれ、動きが鈍ってしまう。
その様子を涼しげな眼差しで見ていたフランシスは、クスッと笑うと此方を見ている恵理とサリエルに流し眼を送る。
アザゼルはゆっくりと唇を動かして、恵理に告げた。
「貴女が、目覚めさせたがっていた者よ」
恵理の背中がゾクリと冷たくなる。
自分たちが手も足も出なかった相手に対して見せる圧倒的な力。それも、使っている力は彼本来の力ではなく、配下の者たちの『お遊び』に過ぎない。
自分はなんてものを解放しようとしていたのだと、ガタガタと震えだした。
目の前では、動きが鈍った獣に次々と蛇が噛みつき……何回噛まれただろうか、やがて狐は倒れて動かなくなった。
倒れた狐に近付く蛇。薄紫色の美しい蛇が、スルスルと近付くと狐の首に巻き付く。
「最後は、らっぴぃが貰ったなのぉ☆」
「あらあら、ダメですわ、ラピス。久しぶりなんですもの、もう少し遊びましょう」
鮮やかなエメラルド色の蛇は穏やかに告げると、銀色に鈍く光る蛇が「もう、その辺でおしまいにしてあげましょうよぉ」と呟いた。
「アクアってば、わかっていませんのね」
ロースと呼ばれたエメラルド色の蛇は軽く首を振ると、銀色の蛇を睨む。
銀色の蛇、アクアはビクッと身を竦ませ、その青い瞳をロースへ向ける。
「アザゼル様からの久々の命令ですのよ。簡単に殺しては面白くないと思いませんこと?」
「も、もう、狐さん戦意喪失状態ですぅ。なぶり殺しは良くないですぅ」
ビクビクと怯えながらアクアがロースに反論すると、冷たい眼差しで睨まれ、「ご、ごめんなさいですぅ」と縮こまった。
「ラピス、絞殺なう」
何処か疲れたような声で漆黒の蛇が呟くと同時に、「らっぴ、いっきまぁ~すなのぉ☆」と能天気な声が響き渡る。
ロースとアクアが狐の首に巻き付いた蛇を確認すると、楽しげな表情の蛇がチロリと舌を出してグッタリしている狐の顔を舐めた。
その後、ぐいっとラピスと呼ばれた蛇が身体に力を込めると、狐の身体がビクンと大きく跳ね上がり、ぐったりと地面に横たわった。
「おぃおぃ、ラピス! 勝手に殺すなよ……久々にオレ様の料理を楽しんでもらおうと思ったんだけどなぁ」
離れた場所から深紅の蛇が叫ぶ。何処か残念そうな彼の声に、「フランマ、まぁ、落ち付け」と金色の蛇が宥めた。
「掃除ってサ、こっからが勝負ってワケ。ここからは、オレっちの出番ってヤツじゃね?」
そう告げると風撃を妖狐の身体にぶつけた。
ラピスが慌てて離れた瞬間、突風が狐にぶつかり、狐だったものがグシャグシャに潰される。細かく砕かれた肉片や撒き散らばる赤いモノがサラサラと砂になって風に飛ばされ消えて行った。
「うーちぃ、あぶねぇなのぉ☆」
ラピスが抗議の声をあげれば、フランマが問答無用で風撃を飛ばした蛇に詰め寄った。
「ウェントス! んなことしたら、素材が台無しだろぉっ!」
「木端微塵なう」
ラピスの隣にのそりと進んできた黒い蛇が、やはり疲れた口調で呟く。
「やぁぱさぁ、掃除ってぇのはサ、塵ひとつ残さねぇってのがキホンじゃね?」
満足げなウェントスの言葉に、恨みがましそうな目を向けたフランマがガックリと肩を落とした。
「オレ様の創作料理『妖狐タタキ』ってのを喰わせてやりたかったぜ……」
「妖狐タヌキ味わいたかったなのぉ☆」
あぁあと残念そうに呟いたラピスに、誰が止めを刺したんだとギッと睨むフランマ。
そんな彼らに呆れたようにロースは呟く。
「妖狐叩き『つぶし』の間違いじゃないかしら?」
「ろぉす、座布団一枚なのぉ☆」
「座布団って、どういう意味ですかぁ?」
ケラケラとラピスが笑い、アクアが不思議そうに首を傾げた。
賑やかな一団が、スルスルと主であるフランシスの方へと進んできた。
途中、紫の蛇が叢の中にごそごそと入っていく。
「どこに行くんだ?」
「らっぴ、トイレなのぉ☆」
能天気な声にフランマは呆れて、首を振った。
フランシスの近くの草藪が、ガサガサと音をたてて揺れた。蛇たちを注視していたマリー=アンジェはビクッと身体を震わせる。
草藪から出てきたのは真っ白の蛇。赤い瞳をチラリとマリー=アンジェに向けた後、フランシスへ銜えていた黒いハンドバックを渡した。
「ご要望の物に間違いありませんでしょうか?」
「えぇ、ありがとう」
フランシスが受け取ったハンドバックを見て、恵理は車内に置いてきた自身のモノと酷似していることに気が付いたが、何も言えず、ただ黙って見ていた。
そんな恵理に「貴女のバックよ」と軽やかに告げたフランシスは、躊躇なくハンドバックを開け、中から黒のコスメポーチを取りだした。
「これが欲しかったのよね」
ポイっとバックを落とすと、コスメポーチの側面にあるファスナーを開ける。ソレを広げると左側に数本のメイク用ブラシが、右側のファスナーの中にはメイクアップアイテムが収まっていた。
フランシスは右側のファスナーを開けチークを、左側からフェイスブラシを取りだした。
幼いフランシスの記憶から恵理が愛用しているフェイスブラシが、山羊の毛を使っていることを知り、丁度良いとアザゼルは微笑む。
「女の子ですもの、お肌に傷なんてNGよ」
ニッコリと笑ったフランシスは薔薇色のチークをフェイスブラシに取ると、問答無用でマリー=アンジェの頬にフェイスブラシを這わせた。
抵抗しようとするマリー=アンジェだったが、フランシスに軽々と抑えられ、もう一方の頬にもチークを入れられる。
抗議の声を上げようとしたマリー=アンジェの身体に異変が起きたのは、それからすぐだった。
妖狐から受けた雷撃で黒ずんだ皮膚が、元の艶やかな肌に戻っていたのだ。否、下手をすると元の肌よりも美しい肌が、その身を彩っていた。
「な、に? これ……」
絶句するマリー=アンジェ。
フランシスは恵理に近付くと、同じように恵理の頬にチークをのせる。その途端、恵理の身体にあった傷がかき消されるように無くなっていった。
「ちゃんとした道具さえあったら、もっと綺麗にできるのに……残念だわ」
一言呟くと川の傍でボロボロになって広がっている反物に近付いた。
「露紅? 起きれるかしら?」
ゆっくりと反物が集まると、ボロボロの赤い着物を身に付けた傷だらけの女性の姿が現れた。
着物の袖は破れ、襤褸と化した裾。腕や足には裂傷が広がり、喉や顔の半分は火傷で引き攣っていた。
その場でうずくまる彼女。彼女の身が負った傷は酷く、立ち上がることもできないようだった。
「あら、酷い状況ね……大丈夫?」
何処かおどけたように尋ねるフランシス。
そのまま露紅の顔を覗き込む。
「フラン……貴方は、アザゼルだったのね?」
フランシスは露紅の問いに応えず、露紅の両頬にチークを乗せ、ポーチからルージュを取りだすと唇に這わせた。
見る見るうちに露紅の傷が癒え、元の綺麗な姿に戻っていった。
「雉も鳴かずば撃たれまい、口は災いの元、だったかしら?」
艶やかな唇に軽くキスをすると幼子は笑みを浮かべる。
何処か哀しげにフランシスを見ていた露紅は、縋るような眼差しで、「貴方を探していたの」と呟く。
「あたしは、探していなかったわ」
「エヴァ……」
「間違えないで」
にっこりと、残酷までに無邪気な笑顔でフランシスは告げた。
「エヴァリオン? エヴァリオーヌ? そう呼ばれていたあたしは、もういないのよ。これからは『フランシス』として生きるの」
「だって……貴方は『アザゼル』なんでしょう?」
「『フランシス』としての生は始まったばかりなのよ。過去のあたしであたしを縛らないで欲しいわ」
「やっと……やっと逢えたのよ」
「忘れたの? 『エヴァ』は自分の生を露紅にあげたかもしれないけど、『アザゼル』という存在をアナタに渡したつもりはないわ」
きっぱりとした拒絶。フランシスから告げられた言葉に、露紅はハラハラと涙を零した。
そんな彼女に見向きもせず、幼子は立ちあがる。
露紅は涙を拭いもせず、じっとフランシスを見つめるが、その視線が自分に戻ってこないと分かると、微かに呟いた。
「もう……何も言わないし、言うつもりもないわ―――アナタは『フランシス』なのでしょう」
「おりこうさんって、大好きよ」
ニッコリと笑ったフランシスの足元、近寄ってきた蛇がスルスルと彼の中に入っていった。
フランシスの後方でパキリと小枝が踏まれた音がした。
振り返ろうとしたフランシスを抱きあげたサリエル。
「離して」
「酷い事を……私がどれほど貴方に逢いたかったか、知っているでしょう?」
耳元で囁かれた声にため息を零す。
「もう一度言うわ。離して」
「嫌です。このまま私と共に我が屋敷へ帰りましょう」
サリエルが告げた瞬間、彼の足に鋭い痛みが走った。
痛みに顔を歪めた彼を蹴りあげ、緩んだ腕から逃げ出したフランシス。逃げ出した足で恵理たちの方へ向かう。未練がましく自身を見つめる視線に振り返ることなく、手をひらひらと振る。
顔を歪め、自身の足に視線をやるサリエル。彼の足に噛みついている紫の蛇が口を離し、ニタリと笑った。
「嫌がるお子様を連れ帰るのは、ゆーかい剤なのぉ☆ もぉほぉもいー加減にしとけなのぉ☆」
「自分の物を連れ戻すのが罪ですか?」
「アザゼルのモノはアザゼルに、狐のモノは狐神社に、なのぉ☆」
にぱっと笑った後、一つの石を吐きだした。
艶やかに光る石を訝しげに見るサリエルだったが、何かに気付き、蛇に尋ねる。
「どういうことです? これは……」
蛇は応えず、ぴょんと飛び上がり、サリエルの額にぺたりと一枚の紙を貼り付けた。
貼り付けられた紙を剥がし、一目見たサリエルは、その写真から目が離せなくなる。
「その石を狐神社に持ってっとけなのぉ☆」
ニヤニヤ笑いながら蛇は、尻尾でパシンと自身が吐き出した石を叩いた。
「それは契約、ですかね?」
何処か探るように尋ねる悪魔に、蛇は首と尻尾を振った。尻尾の先に数枚の紙の束を見つけ、サリエルは唾を飲み込んだ。
「正当な取引なのぉ☆ サリーは石を狐神社へ、らっぴはサリーに写真を、なのぉ☆」
「しかし……」
渋るサリエルに見せつけるように尻尾を揺らす蛇。ご丁寧にサリエルに見えないよう裏向きに持たれた紙の束が尻尾に合わせて揺れる。
「どぉせ、世界中飛び回って遊んでるんだから、ちょっとぐらい寄り道、かまわねぇなのぉ☆」
ため息を堪えて、石を拾うため身を屈めるサリエル。その視線の先に、バサっと紙の束が投げられた。
上目づかいで此方を見る男を笑った蛇は、チロリと舌を出した。
「まだ先は長いなのぉ☆ 短気は損気なのぉ☆ 気長に待っとけなのぉ☆」
そう告げると、スルスルと己の主人の元に帰っていく紫の蛇。
ササッと写真の束を拾い上げると、サリエルは立ち去るのだった。




