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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
99/109

譲れぬモノがある限り




 メイが赤錆を誘導する以前。

 シルクリークの玄関口――南門都市外付近で、スルスは乾いた笑いを漏らしていた。


「先発隊……勘弁して欲しいところですね」


 近辺にいたファシオン兵は打ち倒し、集められるだけの資材と数台の荷台、それを引っ張るケイメルなどの準備を済ませている。

 『無事に退路確保は完了した』そんな状況だったのに、視線の先――西側の地平線には、無情にも大量の砂埃が立ち昇っていた。

 

 敵の増援。

 量から見て、十万の進軍のものではない。おそらくナニカに騎乗した足の速い者だけを集めた先行部隊だ。

 しかし、それでも相手の数は見たところ四千以上はいる。比べてこちらの人数は五十いない程度……。


 さすがにこれは、とスルスは我知らずと天を仰いだ。

 

(まさか、連絡を取り合っていたのでしょうか……それにしたって早過ぎます。予言じゃあるまいし)


 できれば鼻で笑いたかったが、相手はまるで逃亡経路を知っているかのように、コチラに向かってきていた。

 妙だ……人をやったとしても、行って帰ってと往復すれば、かなり手間がかかる。それを考えると、相手の動きは迅速すぎる。


(いや……そんなことはどうでもいいでしょうか、敵がこちらに迫ってきていることには変わりないのですし)

 

 奪われそうになっている意識をスルスは強引に引き戻す。まだ気にはなっていたが、今はそれを究明していられるほどの余裕もない。


「サバラさん、これはかなりマズイですよ」


 できるだけ平静を装い、スルスが自身の真横に声をかけると、何事かを考え込んでいたサバラが、今日の天候と同じような浮かない表情を、ついと向けた。


「マズイどころじゃないね。退路確保も危ういかも」

「逃げ……ますか?」


 どう考えても分が悪い。

 思わずスルスが問いかけたが、サバラは小さく首を横に振るばかり。


「それが最良だってんなら、迷う必要もないんだけど、今回は厳しいかな。

 逃げるってことは兄さんと本隊を見捨てるってことだろ?」

 

 スルスが顔をうっと顰めて頷くと、サバラは『だよね』と言葉を続けた。

 

「正直、兄さんだけなら、なーんか、生き残ってくれそうな気もするけど……たぶん姉さんたちが『絶対にここに残る』って言い出すと思うんだ。

 そうなると、リキヤマさんとか白い姉さんがどうやっても目立つし、きっと逃げ切れなくなる」


 伸びた鼻の半ば、そこに残る傷跡を親指でなぞり、サバラは苦笑する。


「本隊の人員だって、見捨てたら後が続かないし、ソレを選択する場面はもうずっと前さ。

 ここで逃げちゃ駄目なんだ。

 兄さんたちと、本隊……それだけ貴重な戦力捨てて、オイラたちだけ逃げたら、もう完全な敗走、立ち直れない負けになる。

 な、やっぱりオイラにはソレを選べないよ」


「そう、ですね」


 その意思を汲み取って、スルスは反論せずに肯定した。

 元々、メイたち参入による戦力増強は、スルスたちにとっては奇跡的なことだった。

 それを捨てて生き延びたとして、次に同等の戦力を集められると考えるのは、子供の夢より楽観的だ。

 目標を達成するために、ここは無理をする場面であり、戦力を守るべき状況だ。サバラはそう言っているのだろう。

 ただ、確かにソレが基盤ではあるが、他にもきっと理由がある。

 それは、

 

(サバラさんが個人的に気に入ってるのも、あるのかもしれませんね)


 言葉にこそ出さなかったが、そんな想いがあるはずだ。

 たったそれだけで選択を変えるほど、サバラはヤワではないが、少なくとも『死んで欲しくないな』と思っていることは間違いない。

 そう思えるほどには、スルス自身も、あの妙な助っ人と親交を深めていた。

 しかし、そんな彼らの中でも、実はメイだけはちょっと特別だった。

 

 性格といい、雰囲気といい……スルスだってそう感じてしまうことが、たーまにある。

 なんというか……似ているのだ。

 サバラにとっての一番、前任者の(かしら)と、彼は。

 

 見た目も種族も全然違うが、根本的な部分で同種の気配が漂っている。

 そう、一言で簡単に表すとすれば、あの『胡散臭さ』。

 

 前の頭は、それはもう胡散臭かった。

 小さかったサバラに嘘八百を並べてカラかっては、後でバレテ怒られる。その際に反撃されようものなら、わざわざ血糊まで使って死んだフリ。

 その演技は迫真で、本当に死んだと勘違いして、ぼろ泣きしてしまったサバラを、今でもスルスは鮮明に思い出せる。

 

 それだけではない。

 面倒な縄張りの仕切りを頼めば『おっふぅ、持病の癪がどうのこうのだから、今は都合が悪ぃんだっ』などと言い出し、即座に逃亡……割を食うのはいつもスルスや部下たちだった。

 

 その上、

 『シルクリークの表の顔が王ならァ……裏の顔はオレだっ、ははん、そうだよなっ?』

 などと平気でのたまう。

 一般的に見ると、かなり“アレ”な部類に入る(かしら)だろう。

 でも、彼はなんだかんだで好かれていた。いざとなれば頼りになるし、たぶん、恐らく、器量があった……のだ。

 

 きっと、サバラもそんな胡散臭さを嗅ぎ取り――それだけが理由ではないが――懐かしさを感じながら、彼らと親しくなっていったのではないか、スルスはそう考えていた。


(亡くなって、まだそう時間も経っていないのに、妙に懐かしい。

 私としても、彼らが死んで欲しくないと思う気持ちは同じなのですが、やはり状況が……)

 

 グルリと周囲の様子を見渡してみると、部下たちも、苦渋を舐めたような表情を浮かべている。

 例外としては、外套をスッポリかぶって表情を隠している二名。

 真っ直ぐに砂埃を見つめて、怯える様子もなく先頭に立っているリーンと、その隣で周囲の様子をキョロキョロと伺っているドランだ。

 

(赤い方はいつも通り……リキヤマさんのほうは相変わらず良く分からないですね)


 一見すると、ドランは挙動不審にも見えるが、逃げようとする素振りは微塵もない。

 どころか、その視線を追ってみればサバラの部下たちへと向かっている。まるで、周囲が取り乱していないか心配しているようではないか。

 

 やっぱり赤錆の相手を務めるだけあって、胆力が違うのか……などとスルスは感心してしまう。

 あの様子からして、間違いなく、あの二人はここで仲間を待つつもりだろう。

 大群を退けるために立ち向かう。

 言うだけなら簡単であるが、不意を突け、いつでも逃げていい局地戦と、守り通さなければならない防衛線では難易度が違う。

 数の差をひっくり返すようなナニカがなければ、ただ押しつぶされて死ぬだけだ。

 

 どうすれば、そう考え込んでも、残念ながらスルスには秘策と言えそうなモノは浮かんでこなかった。

 

 都市内に逃げこんで隠れるのは駄目。

 逃げる方向を変えるのも、合流できない危険性が上がるので駄目だ。それと同じような理由で門を閉めるわけにもいかない。

 

 城に全軍で突っ込んで、王を()る、それも駄目……結局、それをやっても、増援の十万が止まる保障はどこにもない。

 むしろ、上手くいっても赤錆たちが怒り狂い、都市を壊すほどに暴れることだってありえる。

 目的は王子救出と、シルクリークの日常を取り戻すこと。特攻したところで、その両方を満たせるとは、スルスには到底思えない。

 

(諦めては……くれないでしょうね)

 

 サバラたちに死んで欲しくない……それがスルスの根底に押し込めた本心だった。

 メイや本隊を見捨てることは、もちろん嫌なのだが、やはり彼にとっての一番は、サバラを筆頭とした仲間――家族の命。

 

 前任者の願い。死んだ仲間たちの想いを遂げる。

 スルスにだって、その気持ちが痛いほど分かる。

 でも、

 それでも“今”を生きているサバラたちが死ぬ方が受け入れがたいのだ。

 

 ――命が大事です。逃げてください。

 それを言ってもサバラたちは頷かない。だから、スルスは彼らの負担を和らげて、死なない確率を上げ続けていくしかなかった。


 きっと、幾ら考えても無駄だろう。

 何時間かけたって、それこそ何日かけたって、選択肢は一つしかない。


 少し目を細め、部下に声をかけようと振り返ったサバラの姿を眺める。

 フードを外し、爛々と輝く瞳で部下を見つめるその横顔は、幼さはあれど、しっかりと頭領の顔になっている。

 子供のようで、教え子にも近いはずだったのに。

 

 ――そのうち、私の補佐も必要なくなるのでしょうか。

 なんとなく、嬉しくもあり、ほんの少し寂しい気持ちを感じながらも、スルスはその姿を視界に収め続けていた。

 

 サバラが、吠えるように『防衛する』と告げている。部下たちの間に一瞬動揺が走ったものの、少ししたら、すっと遠ざかった。

 見れば各々が表情から苦渋を消して、武器を握り締めている。

 反応こそ、荒くれにしては大人しいものだったが、それはとても力強い無言の応答だ。

 

 ――まったく、すぐに乗っかる者ばっかだから、大変なんですよね、私は。

 

 結局、前任者が作った悪たれの吹き溜まりは。

 様々な者をゴチャゴチャと詰め込んだこの集団は。

 やはり一つの家族として、機能していたということなのだろうか。

 

 そんな彼らの姿を見て、いつまでも黙っているわけにもいかない。スルスは一度嘆息して、パンパンと手を叩いて声を張った。

 

「さあ皆さんッ、ここが踏ん張りどころですよ!! もしサバラさんの顔を潰すような醜態を晒したら、絶対に許しませんからね!」


 ギョロリと部下を見渡すと、数名がなにかを思い出すかのように、微かに表情を引きつらせている。

 何か思い当たるふしでもあったのか、サバラも少し苦笑していたが、すぐに気を取り直して、都市方面に向かって片手を振り、示してみせた。

 

「よし、いったん都市内まで退くんだ。こんなだだっ広い場所で真正面から戦うおうとか、そんな自殺志願者はいないだろ!」


 部下の反応は迅速だった。

 少しおどけて放たれたその指示を聞いて、皆すぐに踵を返して走り出している。

 ただ……


かしらッ、自殺もなにも、ここに残るなら大して変わりゃしねーでしょっ!」

「くっそっ、こんなことになるなら全財産はたいて昨日良い思いでもしておくべきだったッ! 馬鹿野朗、昨日のオレっ!」

「頼む……拠点に隠したへそくり、ファシオンの奴らが見つけませんように……頼む」

「大事に取っておいた高級酒、飲んでおくべきだった」


 なんか口からブチブチと文句を垂れ流しながらだが。

 

「――お前らッ、死ぬ気で守るのはいいけど、死ねとはいってないじゃんよっ! やる気ねーんだったらもうどっかいけよっ」


 癇癪を起こすかのように、サバラがゲシゲシと地面を踏みつけ、尻を蹴り上げんばかりに追い立てると、亜人たちはゲラゲラと笑いながら速度を上げた。


 一見すると楽しそうではあるが、やはり緊張しているのだろう。

 これから行うのは、都市の門幅と、城壁を利用しての防衛戦。

 一度に当たる敵の数を確実に減らせるし、囲まれる危険も少ない。最初だけ耐えれば、時間経過と共に本隊から合流してくる人員が増え、戦力強化だって望める。

 この状況で取る策の中では、いい部類だろう。


 しかし、この場合、最後の撤退時の被害が怖い。

 ほぼ間違いなく、サバラは強者を先頭に据えての強行突破を狙っている。

 できなくはない。鉄仮面のいない包囲網なら十分可能な範囲なのだが、その代わりに、被害は確実にでる。

 たぶん数字だけ考えるならば、本隊と合わせて現在の人員よりは多く生き残るだろうが、この五十余名の死亡率は上がる。


 そんな状況で恐怖を感じるな、緊張するなというのは酷だ。ふざけているのもソレを誤魔化すために違いない。

 基本的に単純なのだ、彼らは。


「仕方ない。まったく仕方ない奴らだ」


 自身に言い聞かせているのか、はたまた愚痴なのか、スルスは独り言のような呟きを大気に残し、彼らを追った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 南門 都市側

 

 

 高い防壁が、今にも降り出しそうなな曇天へと向かって建ち、門は内壁に当たりそうなほど開ききっていた。

 開閉の邪魔にならぬよう、周辺には民家や建物がなく、十分戦闘を行える広さがある。

 普段は人の往来も多く、生活の喧騒が溢れているはずなのだが、今は怒号と忙しなさだけが満ちている。


「お前らッ、塹壕を掘れ! 荷馬車は巻き込まれない位置に寄せろッ。ハイク、後方のファシオンは任せるからな!」


 サバラの指示に、亜人たちが止まることなく動く。

 ケイメルなどに騎乗した兵に備え、幅二メートル、深さ二メートルほどの溝を半円状に掘り、傷薬や魔力回復薬などを積んだ荷車は、戦闘中すぐに回せるよう、中央後方に移動している。

 重要な戦力でもあるハイクは、城側から寄って来るファシオン兵の相手。

 スルスは全体の面倒を見ながら、文字通り目を回して駆け巡っていた。

 

 が、これでもまだ全然足りない。

 サバラは少し焦っていた。

 土壁をもっと作りたい。

 斜めに作った土杭を『チェンジ・ロック』で全て岩杭にしておきたい。

 などなど、やることは山ほどあるのに、時間が足りないのだ。

 

 都市外から聞えていた馬蹄の唸りは、既にゴロゴロと響く雷雲のような低い重音を轟かせ、敵が目前にまで迫ってきていることを、サバラの耳に届けている。

 

 時間が無い。

 満足に準備ができているとは到底言い難いが、それを悔やんでも始まらない。

 考える暇すら惜しみ、サバラは視線を巡らせ状況把握に努めた。

 塹壕は三本。岩壁の防壁も数枚。馬止めの岩杭も、一番外円側にずらりと並んでいる。

 

(まあまあ……かな)

 

 所詮は仮設、足止め程度の意味しかなく、溝なんてバカスカと死体が入ればすぐに埋まってしまう。

 でも、やらないよりは良い。

 どの程度の勢いがあるのか、どれだけやれば止められるのか、そういうものを掴み損ね、初手で一気に流れを持っていかれることもありえる。

 初撃を防ぐことは重要だ。やはり最初の当たりが一番怖い。

 

 後は準備を進むのを待つだけか……と、サバラは一度ソチラから視線を外し、最重要人物でもある二人へと顔を向けた。

 

「姉さんとリキヤマさんはいつでもいける?」


 サバラの問いかけに、側にいたリーンは、『うーん』と首を傾げ、ドランは手持ち無沙汰な様子で、片手にもった大槌をゆらゆらと泳がせた。

 

「調子って意味なら全然大丈夫かしら。ただ、何もしないで待つのって、私も余り好きじゃないのだけれど、この場合仕方ないのでしょうね」

「シシっ、気にしなくて良いよ。姉さんとリキヤマさんの体力は消耗して貰いたくないし、逆にここで手伝われても困るくらいだ」


 『ないない』と、サバラが片手を扇ぐと、リーンは隣にいたドランを見上げた。

 

「ほら、なにもしないのも仕事の内なのよ、気にせず待ちましょ」

「…………」


 相変わらず無言を通していたドランは、『でも』と言いたげな様子で、キョロキョロと周囲を見渡している。

 

(ああ、待つのが苦手なのはリキヤマさんの方だったのか)


 その落ち着かない様子を見て、サバラは『恐らくリキヤマさんの闘争本能が爆発しそうなのだろう。頼りになる』などと考え、一人頷いた。

 

 二人の調子も良さそうだ。大きな問題もここまでは起こっていない。

 

(なら、後は隊列を整えて……)

 

 と、塹壕付近へと視線をやったその時。

 

「ま、真ん丸ッ!? お前何やってんだっ!」


 サバラは、そこに居てはいけない人物の姿を見咎めて、反射的に声を荒げて走り寄った。

 

「お、お前……」

 

 ころころとした体格の真ん丸が地面に屈むように座り、ザクザクと、周りも見えない様子で塹壕を掘っている。

 サバラの声も聞えていない様子で、アース・メイクを使って防壁を作っている。

 真ん丸の土魔法はとても上手で、見れば作業がはかどっているのが分かった。


 しかし、なぜ彼はココに居る。まだ休んでなければマズイ。

 

 回復魔法、回復薬は十分に使っているが、だからといって、アレだけ疲弊した状態から動いていい訳がない。

 

 命力。

 生命力とも呼べるソレは、体力や魔力とは違う。魔法や薬を使っても無駄だ。

 それを取り戻すのに必要なのは時間。大事なのは休息。

 休んで、食べて、寝て、そうやって失った命力を回復させるまで、真ん丸は大人しくしていなければならない。

 

 はずなのに……


「足がもっと速ければ……もっと頑張ってればッ……伝えるのがもっと早ければッ……休まないでもっと走ってればッ。

 頑張らないと、頑張らないと……兄貴の頑張りを無駄にしたらいけないんだ」


 痛々しい姿だった。

 ザクリザクリと地面が掘られるたびに、真ん丸は呟き続け『自分が』と己を責めている。

 その姿を見て、そんな言葉を聞いて、サバラは胸がズキリと痛んで、表情を歪めた。

 喉はひり付き、なんと声を掛ければ良いのか、分からなくなった。


 そんなことないよ。頑張ったよ。十分さ。お前のお陰だ。

 言うだけなら簡単だが、それはきっと、今の真ん丸の心には届かない。

 なぜなら、真ん丸の足がもっと速ければ、こうならずに逃げられたのも事実だったからだ。

 

 彼の情報がなければ全滅していた。それはサバラだって分かっている。

 真ん丸と死んでしまった彼には、感謝してもしきれない。

 でも、

 いくらサバラが礼を述べ、慰めてみても、今ここで仲間が無残に殺されれば、真ん丸は己を責めずにはいられないだろう。

 

「…………っ」

 

 サバラには、何も言えなかった。

 今も馬蹄の音と怒号が蔓延しているのに、土を掘り返す音と、真ん丸の呟きがやけにはっきりと聞える。

 真ん丸たちに追跡を頼んだのは自分だ。こうしてしまったのは自分だ。

 お前は気にしなくて良い。そう言ってやりたかったが、口は満足に動かない。

 彼の大事な兄貴分を殺したのは、サバラの思想と指示なのだから……。

 

 体感で言えば長く、現実では少しの時間、サバラは真ん丸を見つめ続けて立ちすくんでいた。 

 なにか言おうと考えては止める。そんなことを数度繰り返していた。

 聞える進軍の音はもう間近、時間がないのは分かっていたが、何か一言かけてやりたかったのだ。

 

 でも、やはり言葉は出てこない。

 

(駄目だ……こうなった力ずくでも退かせようッ)


 時間もない。説得を諦め、一歩足を踏み出そうとした……のだが、不自然に陰が落ちていることに気がついて、サバラはピタリと足を止めた。


「あ、あれ……リキヤマさん?」


 振り返ってみれば、見上げるほどの体格をしたドランがいる。

 一体なにを。

 サバラは、そんな意味合いを込めた視線を、リーンに向けたが、彼女は『仕方ないわね』と言わんばかりに首を振っているだけ。

 

 ノシノシと、その重たげな身体を揺すってドランが真ん丸に近づく。その巨躯に気圧され、サバラは我知らずと足を引いて道を譲っていた。

 そして、

 真ん丸の側まで近づいたドランは、少し腰をかがめると、半分を地中に埋まっている状態の彼を、両手でワシ、とつかんで持ち上げた。


「――ッ!? 離してっ、離してくれよっ」


 唐突に身体が浮き上がったことに驚き、真ん丸が暴れ始めたものの、ドランとの力の差は激しく、逃げられない。

 

「お願いだよ……離してよぅ」

 

 どうやっても逃れられないことを悟ったのか、真ん丸が懇願するようにつぶやいた。

 それを聞いたドランは、少し困ったように首を傾げた後――

 ゆっくりと真ん丸に話しかけた(、、、、、)

 

「お、落ち着いてくんろ、無理はいけねー。大人しくしてけれっ」

「――ッ!?」

「リキヤマさんが喋ったああッ!?」


 真ん丸が眼を見開いて驚愕をあらわにし、サバラもサバラで思わず上半身を僅かに引いて叫んでいる。

 リーンは『あーあー』と、呟いていたが、呆れや、怒っている様子はない。

 

(ビ、ビックリしたな……もう。というか、あの喋り方は北西の一部地域の方言だったっけ、少し珍しいから、それで今まで黙ってたのかな)


 特徴的な喋り方を聞いて、サバラはそんな推測を立てた。

 シルクリークからずっと北西、ホーリンデルから大分西。ドランの喋っている言葉は、その付近の方言だったと記憶している。

 

 シルクリークは東西南北の各所から、違う地域に向かう際――水晶船の乗り場も近い――もっとも通りやすい位置にあるため、ここは色々な場所から人が集まり易い。

 サバラの昔の知り合いに、その方言を喋る知り合いがいたのだ。

 

 とはいえ、少々珍しいが、別にその方言だけで人物を特定できるモノではないし、そこまで隠す必要性はないはず。

 

(なんか目立つことでもしたのかな? 体格と亜人……方言とその当たりで調べれば、どうにか……いや、止めとこ)


 湧き上がった探究心を押し込める。

 何をするのか分からないが、こうやって喋ってくれたということは、また少し、信頼を築けている証拠だ。

 いつか話してくれることを願って、サバラはぐっと口を閉ざして二人の様子を見守った。

 

「えっと、真ん丸どん……でいいんだよな。とにかく、今は大人しく休んでおいたほうがいいだで」

「――っ、駄目だよ、少しでも頑張らないと、いけないんだッ!」

 

 ドランが宥めるも、真ん丸はかたくにそれを拒否している。

 恐らく見かねて入ってきてくれたのだと理解したが、サバラは思わず『それじゃ無理だよ』と、口出ししそうになった。

 が、結局それを口に出すことはなく、隠すように飲み下す。

 自分には無理だけど、どうにかしてあげて欲しい。そんな気持ちが心の底にあったからだ。

 

 しかし、そんなサバラの心境とは裏腹に、


「まってくんろ、だから落ち着いてけれっ。頑張るのは良いんだけんども、それはまた今度に――」


 ドランがそこまで言った瞬間。

 真ん丸は一気に感情を膨れ上がらせ、我慢できないとばかりに叫んだ。


「今度っていつさッ! 死んじゃったら、今度なんてないんだ! 兄貴を無駄死になんてさせるもんか、離してッ!」


 悲鳴のような真ん丸の叫びは、ジクジクと、サバラの心も抉る。

 ――そうだ、今度なんて死んでしまったらなくなる。

 死ぬ可能性が極めて高いこの状況で『一人休んでいろ』なんて、言われてできるはずがない。サバラには、その気持ちが自分のことのように分かってしまった。

 

 ――やっぱり、やらせたいようにさせよう。

 感情の流れは真ん丸の気持ちに同調するように靡き、サバラはドランを止めるために制止を投げかけ……られなかった。


「ジッとしてられない、とか。もう少し早く走れれば、とか。

 オラも足がすっごい遅いもんで、その気持ちはわかるけんども、頑張らないといけない時と場所が違うだで」

 

 躊躇いなく言い切られたドランの言葉に、サバラの口は縫い付けられたかのように、閉じられた。

 何を……と、真ん丸がグッと睨んでいたが、ドランは『落ち着いて』と一言投げかけ話を続けてゆく。


「オラがいつも、足が遅くてすまねぇ、って謝ると、皆は『適材適所だ』って言ってくれる。

 真ん丸どんも足が遅いかもしれないけんども、今回は間に合った、オラたちに伝えてくれたでねーか。

 ほら、そのお陰でこうやって迎え撃つことができてるんだ。

 大丈夫、後は任してくんろ、頑張る機会は、頑張って作るから、また絶対にあるだよ。

 “絶対”に」


 疑わせる隙間をすり潰し、よどみなく言い切られたその台詞に、先ほどまで叫んでいた真ん丸でさえも、二の句を告げられなくなっていた。


 ――何を根拠に。

 一瞬サバラはそう思ったが、ドランの声音は柔らかく、実直だった。

 『なら大丈夫だ』思わずそう言ってしまいそうなほど、嘘の色が見当たらない。


「姉さん、リキヤマさん、なんかやたらと自信あり気だけど、秘策とかあったの? だったら最初から教えてくれよ」


 ここまでここまで言い切るんだ、何もないはずがない。

 サバラは二人に『ズルイ』、と半眼を向けた。

 が、


「秘策……んー、しいていうなら、私の“得意分野”ってところかしら?

 この周辺って今は人がいないし、民家もないし、密閉されてないし……久しぶりに気にせずに撃てるわね。

 それに、これだけ条件が揃っていれば、持ち堪えるくらいできるに決まってるじゃない」

 

 リーンは肩を竦めてそう答え、

 

「あ、サバラどん……前に言えなかったけんども、始めましてー。安心してくんろっ、オラは守るのだけは得意……になる予定だもんでっ」


 ドランは無駄に礼儀正しく挨拶を行った。


「始めましてー。じゃなくて、リキヤマさん……さっきの自信はどこにいったんだよ。もっと勇ましい人かと思ってたのに、色々予想外なんだけどっ。というか、秘策は? 秘策はないのっ!?」


 のびのびと、両手を上に伸ばすリーンと、急に自信が失速したドランの二人を見て、サバラはなんだか色々ぶち壊しな気分で、額に手をあて『あーもう』と呟く。

 

 そんなサバラを見ても、リーンは『細かいことは良いじゃない』と言い放ち、ドランもドランで、既に真ん丸へと向き直っていた。


「んなら、真ん丸どん、オラ行ってくるから休んでてくんろ。どうしても納得できないんなら、せめて座って見てるくらいにしとくほうがいいだで。

 確か『漢は行動で魅せるッ』って、教えてもらったし……オラもちょっと頑張ってくるだよ」

「ぇ、ぅ、うん」


 一気に雰囲気が和やかなものに変わっているせいか、真ん丸もかなり困惑している様子で、反射的に返答して、言われるがままに地面にぺタリと座った。

 やはり性根が素直なのだろう。

 

「じゃあ、私たちは行ってくるけれど、できれば魔力回復薬をこちらに寄せて貰ってもいいかしら? 後、戦闘が始まる前に、リキヤマさんに身体強化を全力で」

「いいけど、姉さんはなにするの?」

「なにって、燃やすだけなのだけど」

「え?」


 リーンの言葉にサバラが聞き返すが、既に彼女はドランを伴い、門へと向かって歩き出している。

 二人の足取り重さを感じない。いや、それどころか、


「ぁぁ……どうしよう。オラ喋らない約束破っちまって、怒られるんでねーかな……」

「もーう、たぶん怒られないから大丈夫よ。でも、私が破ったらきっと怒るのよ。ひどくないかしら?」

「それはなんだか想像つく気がするだで」

「でしょ?」

「んー、なんだかちょっと緊張してきたけんども、掠っても大丈夫だって思うと、気分もだいぶ楽だで」

「そうね、地面にいるし、いっぺんに当たる数も門のお陰で少ないもの」

「良かっただでー」

「助かったわ」


 とても普通な感じである。

 一体ナニと比べているのか、サバラには知る由もなかったが、一先ず自分の考えている絶体絶命と、彼らのソレがズレていることだけは存分に理解できた。

 

「はぁ、頼りになるのかならないのか、訳がわからないよ。姉さーん、リキヤマさーん、頼むから気をつけてよね!!」

 

 なんだかなー、とサバラが声をかけると、二人は武器をブンブカ動かし応えを返し、さっさと先へと向かってしまった。



 半円状の闘技場コロシアムの後衛にリーンが、前衛にドランが辿り着く。周囲の壁や杭付近ではサバラや亜人たちが待ち構える。

 ハイクや数名の部下の活躍もあって、後方に憂いはない。

 

「よし、リキヤマさんに強化魔法ッ、姉さんの場所に誰か魔力回復薬を届けてやれ! 油断するな、ビビッてんじゃねーぞ、気合入れて踏ん張れ!」


 地鳴りの如き重音が延々と空気を揺らし、大地まで振動で揺れている。

 ビリビリと殺気や緊張が渦巻く中――サバラは鼓舞をかけ、亜人たちは雄叫びを響き渡らせた。


 ドクドク、とサバラの心臓が早くなる。

 汗は滲み、自身の尻尾が逆立っているのを感じていた。

 やがて、敵の進軍の音が大きく……大きく、なっていき、


「来たぞおおおおおおおおおッッ!」


 誰かが叫んだその言葉を切っ掛けに、開け放たれた門から、砂色の兵隊が姿を現した。

 

 刃を混ぜ込んだ、砂の雪崩が都市へと流れ込む。

 ケイメルが引く鉄板を貼り付けた戦車チャリオットが嘶きと共に迫ってくる。

 

 サバラの視界は埋め尽くされた。

 先に見えるのは武器、武器、武器。

 奥に見えるのは兵士の群れ。

 

 ――やべぇ、こりゃ……無理だ。

 いつもの局地戦とは違う、一塊となったファシオンの迫力を垣間見て、諦めるつもりは毛頭なかったはずなのに、一瞬だけ脳裏に弱気が掠めた。

 

 だがしかし。

 ファシオンの群れがサバラの視界を埋めたのは、ほんの数秒の短い時間だけだった。

 

『フレア・ボムズ』

 

 騒音の中でやけに通る魔名を唱える声音が響き、前方にいたリーンの右手から、一メートル程の火球が十ほど放たれる。

 しかも、ソレは一度では止まらない。二、三……更に、延々と、立て続けにリーンの唱えた魔名が連続する。

 

 十が二十に増え、三十に――――数えるのも馬鹿らしくなるほどの火球群が、ただ前方の敵を燃やさんと、宙空を駆った。

 

 閃光。

 次いで、爆音、轟音が続く。

 既にサバラの視界は砂色ではなく、真っ赤に塗りつぶされ、馬蹄の音もつんざくような炸裂音に蹂躙されていた。

 

「ちょっ!?」

 

 隙間のないほど火の手が上がる。爆発していない場所がないほどに、大気を赤が支配した。

 ファシオン兵は即座に消し炭に、戦車は乗せた兵ごと瞬く間の内に壊され灰に。


 景気良く舞っているのは燐炎で、轟々と唸っているのは熱風だけ。

 放たれているのはなにも火球ばかりではない。

 火柱、炎の壁、炎の道が、そこらかしこで燃え上がり、戦場になるはずの門前広場は、既にただの炎海と成り果てている。

 

「危ねぇッ、なんだあれ、姉さんあり得ねぇ!?」

かしら、やべぇ、アチィ、燃える!」

「うおおおお、火の粉で尻尾が焦げた!?」


 サバラが驚愕し、爆風に煽られ少々の被害を被った亜人たちは、阿鼻叫喚の叫びを上げた。

 

 ――ありえない。

 吹き荒れる熱風に顔を顰めながら、サバラは眼前で繰り広げられる光景を、信じられない気持ちで見つめた。

 

 どう見ても、現在撃ち出されているソレら全ては、中位魔法である。

 普通であれば、中位以上の魔法を使用する際は――個人によって異なるが――集中する時間が必須。

 なのに、現在その全てが殆どタイムラグなしで放たれている。

 

 炎の単一属性。

 その言葉がサバラの頭に浮かんだ。

 

 単一属性の者は、その他の魔法を使えない代わりに、ソレの相性が極端によくなったり、魔力消費が抑えられたり、そういった利点があると云われている。

 多属性を使いこなす者が殆どの中、比較的珍しい部類だ。

 しかし、それを踏まえても、あの速度は尋常ではない。少なくとも、サバラはあそこまで速く中位魔法を連打できる者を見たことがなかった。

 

(兄さん、聞いてないぜ、こんなの)

 

 都市内であんな真似できるわけがないし、実際知ってても使い辛いのだが、なんとなく、愚痴を零さずにはいられない。

 と、不意にサバラの視界の中で、量産されていた炎が止まった。


「むぅ、空っぽになっちゃうわね……仕方ない『ファイア・ウォール』」

 

 自分の手の甲へと視線を落とし、三枚の炎の壁を作り門を塞いだリーンは、てけてけと近くの地面に放置されている布袋へ走りより、少し屈んでモソモソと漁り始めた。


 ――あ、これはマズイ。

 魔力補給のためだと分かっていたが、サバラはその行動に危機を感じた。

 普通だったら通り抜けられるわけもない熱の防壁だが、相手はファシオン。爆風がなければ……きっと、強引に突っ切ってくる。

 

 そんなサバラの悪い予感は即座に当たり、炎壁の中から身体を燃やして疾走する兵士と、炎塊のようになったチャリオットが数台飛び出した。

 

「くそ、お前らッ、ボーっとして――――」

「――――ッ――ゥル雄雄――ッッ!!」

 

 援護をさせようとサバラが叫びをあげたと同時に、まるでそれを遮るかの如く、空気を震撼させる咆哮が轟いた。

 

 強化魔法を存分に掛けられた一匹の竜人ドランが、サバラたちの援護が入る間もなく動き、先頭を走ってくる一台の火車へと突進を開始した。


 敵との距離が瞬く間に縮まる。

 激突する直前――まるで道を譲るようにドランが右手に動き、火車の横腹を、両手で握った大槌で強引に殴打した。

 

 筆舌に尽くしがたい騒音が鳴る。砕かれた金属板の欠片が、炎を映して赤く煌く。

 ファシオン共々戦車が吹き飛ぶように横転し、数度地面を転がった後、空回る車輪でカラカラと虚しい音を渡らせた。

 全開に強化魔法が掛けられているとはいえ、呆れるほどに恐ろしい膂力だ。

 とはいえ、しょせん壊したのは一台。

 

 その後方からは、今もファシオン兵が炎壁を突き破って、次々と内部へ侵入してきていた。


 人の形を象った、炎の波が押し寄せる。苦痛の悲鳴を上げず、ただ武器を構えて雪崩れ込む。

 向かい風が身に纏った炎を揺らし、ときおり覗く焼け爛れた皮膚は、ひどく不気味で目を背けたい衝動に駆られる姿だ。

 だがドランは臆さず、止まらず、真っ向からそれに立ち向かうように、二台目の戦馬車へと走り出す。

 なぜか……その途中で槌を放り捨てながら。

 

 ――何をッ!

 そんな悲鳴をサバラが上げる暇もなく――ドランは赤々と燃える戦車に向かって両手を開いて構え、こともあろうにその突撃を受け止めた。

 

 ドンッ!

 重々しい衝突音が鳴り、受け止めたドランの身体が後方へと下がる。

 踏ん張った足はガリガリと地面を抉り、受け止めた手の平からは、熱で焼ける嫌な音が聞えてきそうだった。

 乗っていたファシオンなど、急停止させられたことによって、つんのめるように……いや、勢い良く吹き飛び、地面に衝突。

 足か腰の骨でも折ったのか、不気味な動きでモゾモゾと起き上がろうともがいている。


 ――なぜわざわざあんな危険な真似を。

 サバラの胸中に疑問が湧いたが、すぐにソレは氷解した。

 

 燃えて暴れるケイメルと、荷車を繋ぐ接続部分に手をかけたドランは、力任せにそれを引きちぎり、鉄板を張られた車体の縁をグッと掴んだ。

 相当な力を込めているのか、その巨躯が、更に一回り膨れたようにも見えた。

 

「――ッ――ッ!」

 

 サバラや部下が呆然と見守る中。ドランが吼え、車体を弧を描くように振り回して、迫ってきていたファシオン兵を薙ぎ払う。

 

 轟音。

 骨が砕ける音と、鉄板と武器がかち合う音が、綯い交ぜにぶちまけられた。

 一振りされるたびにファシオンが宙を舞い、返す剛打で、更に近づいてきていた兵士が叩き潰される。

 車体が振り回させるたびにファシオンが死ぬ。火の粉が散る。轟音が立て続けに鳴り続ける。

 

 炎が揺らめく闘技場で、ドランはソレを振り回し、炎弾の代わりを務めていた。


(――リキヤマさん、ソレ武器じゃないから!)


 まるでデカイ武器こそ、重量級のモノこそ、元々の獲物だ。そう言わんばかりに、ごく自然に扱われている荷車を見て、サバラはそんな想いを胸中で叫んだ。

 と、その時。

 急にドランが武器にだいを引きずりながら、後方へと下がった。


 瞬間。

 まるで『どれくらい飲めるかしら?』とでも言いたげに、お腹をポンポンと片手で叩きながら、リーンが、炎弾の爆撃を再開する。

 

 乱射、連射、暴雨のように炎が降る。

 ひたすらに撃ち込まれる炎塊が、門周辺へと容赦なく降り注ぎ、また爆音と熱風を辺りに撒き散らした。

 

(――ッ!? チッ、何してんだオイラっ)

 

 熱風がぶわりと吹きつけ、ふと我に返ったサバラは、慌てて周囲へと指示を繰り出した。

 

「見とれてないで、矢を撃つなり、魔法撃つなりして加勢しろッ、リキヤマさんも手を火傷してるはずだし、回復をッ!

 アレがいつまでも続くわけがないんだ。できるだけ負担を和らげろ!

 動け、動け動けええええええ!」

 

 サバラの怒号に押し出され、亜人たちは呆然と停止させていた四肢を動かした。

 風の魔法を放ち、炎の魔法を放ち、ときおり突き抜けてくる兵士をドランと共に殲滅する。

 それを確認したからなのか、リーンも必要最低限と思わしき程度まで連射速度を落とした。

 

(ああ、良かった……やっぱりそうか)

 

 その様子を見てサバラは確信した。

 やはり、あのまま撃ち続けることは無理なんだ、と。

 というか、むしろできるわけがない。

 魔力回復薬はまだ存分に残っているが、それを飲んだからといって、永続的に中位魔法を撃てるなんてことは、絶対にありえない(、、、、、)

 

 理由は単純だ。

 下位魔法ならまだしも、中位以上の魔法を撃つ際には、魔力と同時に命力も消費してしまうのである。

 魔力や体力と違って、命力は即座に回復できない。

 つまり、あんな真似を続けていれば、いずれは極度の疲労状態に陥り、動けなくなるし、更に無理をすれば昏倒する。

 

 元々、魔力だけでは、中位以上の魔法を発現できないのだと云われている。

 だからこそ、上位の魔法を撃った後は疲労して、極大魔法を行使すれば、命力の全てを使い果たして死んでしまうのだ。

 

(ったく、ボケッとしてるなんて、情けない!)

 

 サバラは悔しげにキバをかみ合わせた。

 恐らくあの二人は、自分たちにあった緊張や怯えを感じ取り、最初に派手に暴れて、ソレを払拭してくれようとしているのだろう。

 こういった危機に対する経験が、まるで違う。

 自身も戦闘慣れしてきたつもりだったのに、サバラそう思わずにはいられなかった。

 

 ――こんなんじゃ、まるでおんぶに抱っこじゃないか。

 

 そんなこと許されるはずがない。これは自分たちの戦いでもあるのに、人に頼りきりで良いわけがない。

 

 強者に頼るということは簡単だが、ソレに溺れることは怠慢である。

 弱いこと自体は悪くない。それを甘受することが悪いのだ。

 頭を使い、自分できることを考慮して、目的を達成する。それが自分の戦い方であり、自分たちのするべきことだと、サバラは再確認した。

 

 ギリ、と心にわだかまっていた怯えを噛み潰し、サバラは顔を獰猛に上げる。


「おい、お前らッ、負けてんじゃねーぞ、ファシオンにも、姉さんたちにもだッ! オイラたちの底力を存分に見せてやれ!」


 部下たちも、サバラと同じ気持ちを抱いていたのか、その咆哮に呼応する。

 炎が渦巻く門前広場の中――亜人たちの雄叫びが、凄まじい勢いで天高く上がる黒煙と共に、高く高く通り抜けていった。




 ◆

 

 

 

 すっかり人の気配がなくなった城門前、ソコで赤錆の檻に囲まれている俺は、いつでも逃げられるように、前傾姿勢に身を屈め、構えを取っていた。

 状況は、最悪だ……いや、例の衝動が軽いぶんだけ、その一歩手前だろうか。

 

 胸の底に渦巻いているイライラとした感情は、そこまで荒れていない。

 赤錆四人だから四倍――なんてこともなく、十分に我慢できる範囲に収まっていた。

 最初の頃に比べると、時間経過と共に随分と楽になっている気がする。

 なんというか、身体に馴染んできて、拒否反応が出なくなっているような、そんな感覚だ。

 

 こういうのも、慣れればどうにかなるもの……なのだろうか、謎が多くていまいち掴めないが、我を失う恐れがなさそうなのは非常に助かる。

 

『むむ……状況はかなりよろしくありません。死角は私が抑えますが、決して気を抜かないでくださいっ』


 了解、とドリーの言葉に、右肩を微かに動かし返答する。

 

 つか、どうすんだこれ……。

 

 赤錆との距離は後方以外、おおよそ九メートルほど。

 包囲網と呼ぶには隙間が十分空いているが、油断なくこちらの動きを伺っている赤錆の姿を見るに、簡単にソコを通り抜けられるとは思えない。

 

 チョイチョイ、と幾度か重心を右へ左へと移動させ、フェイントを掛けてみるが、反応なし。

 

 くそ、この妙な距離は見てから対応するためか。

 どうやら俺は『逃亡するのではないか』、とかなり警戒されているようだ。やはり散々逃げ回ったことが原因なのだろうか。

 

 チリチリと、全身を刺すような赤錆の殺意が襲っている。ひりつくような空気のせいか、唇もやたらと乾いている。

 

 迂闊に動けない。かといって、じっと待っていても――

『相棒っ、右へ三歩』

 動けとばかりに背後から撃たれる。

 

 指示と同時、いや少し前にドリーの重心が右へと傾き、俺はその重みを感じ取って、身体を右へと流して躱す。

 ダンッ、ダンッ!

 先ほど俺がいた場所を、直後二本の剛矢が通り抜け、地面に二本の杭が生まれる。

 

った――ッッ!】


 矢を避けて安心する暇など微塵もなく、右手に避けたせいで、大槌が嬉々とした声音で武器を打ち下ろしてくる。

 ――お、これなら抜けられるか。

 潜り抜けるように剛打を避け、更に右手側に動いた俺は、地面が粉砕する音を聞きながら、大槌の横を走りぬけようと駆けだした。

 が、

 俺の前方の地面に上空から剛矢が降り注ぎ、まるで柵のように行く手を阻んだ。


 ――あの野郎っ。

 

『更に三本、後方に下がってくださいっ』


 ドリーの重心が後ろに傾き、それを頼りに地面を二度ほど蹴ってバックステップ。

 三本の剛矢を避けながら後方へと退く。

 

【あら、いらっしゃい】


 前門の大槌、後門の大剣とばかりに、今度は覚えのある猫なで声が後ろから囁かれた。

 

「――っ――!」


 いつもの指示を待つまでもなく、何をされるか予測できた俺は、槍の柄尻を地面に刺して止まり、即座に前方へと逃げる。

 轟風が背中を叩いた。何かが少し後ろを通り抜けたのが判った。恐らくは大剣の薙ぎ払い。

 少し遅れれば胴体が分断されていただろう。

 血の気が引く。背筋にゾワゾワと恐怖が蠢いた。

 

 ――くそ、なんだコレ。

 命からがら避けきった俺だったが、自分の現在位置を確認し、思わず溜息を吐く。

 矢、槌、大剣――それらを無事に潜り抜けたのに、残念、そこは元の場所だ。

 

 命を懸けて、フリダシに戻る。なんて無駄な労力なのだろうか。

 と、そんな愚痴を胸中で零していると、確かハルバとか呼ばれていた赤錆が、つまらなそうな様子で声をかけてきた。


【おい、槍使い……なぜ私のほうに来ない】

「知るかボケッ!」


 いつでも来いとばかりに身構えているハルバに、俺は思わず怒声を返す。

 こっちの気も知らないで好き勝手言いやがって。

 射抜くような視線をハルバに固定して『俺はそっちにはいかん』とばかりに動きを止めた。

 

【む、仕方あるまい……ならばコチラから寄るしかないか】


 やめろ、コッチくんなッ。

 穂先をヒョイヒョイと追いやるように動かしたが、それも無駄で、ハルバは慎重に距離を一歩詰める。


【む……ならばコチラも】

【あら、抜け駆けは駄目よ】


 それに呼応するように大槌も一歩距離を縮め、大剣も足を踏み出した。

 ただ、赤錆たちは一気に襲いかかってくる様子はない。

 その姿を見て、赤錆同士ですらも警戒し合っているかのような印象を抱いた。

 例えるなら、最後に残った好物の菓子を、全員で牽制し合っているかのような感じである。

 

 ……つまり、この場合の菓子は俺で、奪い合っているのは赤錆たちってことか。

 あの弓野朗以外は、なんだかんだ言って、互いに譲る気もなさそうだし、その辺りを突付いてみれば多少マシになるか。

 

 脳裏に過ぎったその考えに刺激され、この現状を打破するための作戦を、懸命にひねり出す。

 ――よし、いける。

 思いついたソレを実行するために、俺は真剣な面持ちを貼り付け、声音に真面目さと誠実さを乗せて……ゆっくりと赤錆たちに向かって、言い放った。

 

「そうか……わかった。そんなに俺の首が欲しいってんなら、一対一で掛かってこいよ。

 さぁ、順番を決めて、正々堂々、正面から勝負しろ!」

【阿呆か、そんなことしたら逃げるだろう貴様は】

【馬鹿なのかしら? そんな子供だましにかかる奴いないわよ】

【……む】

 

 駄目だ、失敗した。こいつら騎士道精神ってやつがまるでない。

 いや、若干一名、大槌がちょっと迷っていたから、掠りはしてたのかもしれないが。

 

『っく……残念ながら、相棒が信用される要素は種粒ほどもないようです。困りましたね』


 ドリーさん、やめてください。素直に言われるとちょっと傷つきます。

 ほんの少しだけショックを受けていると、まるでそれを咎めるようなタイミングで、ドリーが矢弾が飛んでくることを報せた。

 

 ――またかよッ!?

 ドリーの重心移動と声を頼りに、攻撃避けたのも束の間、先ほど同様に――移動した先で危険に晒される。

 鼻先を掠めるほど紙一重でハルバの薙ぎ払いを、下がり避け、即座に屈んで大剣を潜る。

 大槌が地面を抉って礫を飛ばしてきたが、顔を庇って背を向けて、装備の強度を信じて受け止めた。

 

 ドドド、短い間隔で背中に衝撃と少しの痛みが走ったものの、さすが鉄皮竜のうんたらかんたらと言うべきか、どうやら穴が空くことも、背中に突き刺さることも免れたらしい。

 

 痛みなんて、貫かれたり折れたりするのと比べれば零に等しい。

 最後に、降ってきた剛矢を避けて赤錆との距離を離し一息ついた。

 どうにか無事だ。また生き延びた。

 ただ、気がつくと俺はまた元の位置に戻っていた訳だが……。

 

『これは……かなり厳しいですね』


 ――もうやだ……俺、赤錆こいつら嫌い。

 

 気がつけば、囲む檻はまた一歩距離を縮めている。地味に逃げ道も狭まり、緊張感も肌で感じる殺意も高まっている。

 

 今も赤錆三人が俺の首を狙っている。

 ただ、コイツらも厄介なのだが……俺が現状でもっとも消えて欲しいと願っているのは、弓の赤錆だった。

 アイツは他の三人とは違い、俺を自分で殺すよりも、死んだという結果が残ればいいらしく、こちらの逃亡経路を塞ぐように攻撃してくる。

 幾度か抜けられるチャンスがあったのに、アレのせいで全て封殺された。

 

 ――またおちょくって俺を狙わせるか?

 警戒だけは解かず、幾つか挑発する手段を考えてみたが、どれもパッとしない。

 というより、アイツを挑発しても、ハルバたちのように“自分が”と目的を見失うとは思えなかった。

 なんというか挑発すればするほど、確実に殺せる手段にシフトしてくるタイプっぽい。

 やはり面倒な相手だ。


 ジリジリと包囲の輪が狭まる。既に距離は八メートルほど。

 ――もうちょっと近づいてくれば良いのに。

 接近されるのは怖いのだが、意外と隙をついて突破できる可能性がでる。

 どちらかといえば、こうやってジリジリと狙われるほうがキツイ。

 

 どうにかしないと……。

 デカイ泥沼を生成してみるか? いや、こちらの利点でもある足を殺すことになるし、状況が悪化する。

 

 植物大砲で自分を撃ちだす。

 随分間抜けだが、案外いい手かもしれない。ただ、それを相手がのんびりと見ていてくれる訳もない。

 

 穴掘って逃げる。

 穴を掘って相手の動きを制限する、っても現実的じゃないし、やっぱり悪路作って自滅するのが目に見えているので却下。

 

 全力で逃げる。

 後方にスペースはあるが、あれは罠。というか城門は閉まっているし、あっちに逃げると、自分から袋小路に向かっているようなものだ。

 他の魔法はこの状況を打破できるようなものでもないし、今ひとつ。

 唯一使えそうなのは蠅魔法なのだが、ランダム性が強すぎるのと、さすがに赤錆四人を相手取れるほど、あの魔法は強くない。

 

 手段を浮かべては自ら潰し、残ったモノで案を立てるものの、名案は浮かばない。


 ――ああ、くそ、駄目だコレ。

 一定距離を保たれて、弓が援護。逃亡しようとすると、相手にしている一人以外が逃さないように警戒する。

 この状態のままで逃げるのは無理だ。

 地団駄でも踏んで、叫んでやろうかと思うほど、詰んでいる。


 もう無理だ。


 諦めが心の底で渦巻く。俺は完全に諦めた。

 ――更なる危険を遠ざけることを、だ。

 逃げることは諦めない。生き残ることも諦めない。ただ、危険を免れようとすることを諦めた。

 

〈ドリー、こっちから突っ込むぞ。任せるからな〉

『――っ、はいっ』


 ほんの少しだけ言葉を詰まらせ、ドリーが返答する。

 即断速攻。

 恐怖に縛られると、碌なことにならない。

 俺は、いったん体を左に揺らして大剣に向かうと見せかけた後、即座に大槌へと駆けた。

 

 大剣とハルバが、俺を逃さないように警戒の構えを取る。弓野郎からの反応はまだないが……進行方向を塞ぐために、今も狙い定めているに違いない。


 ――やっぱりか、コイツら、俺を逃さないとき“だけ”はキッチリ連携を取りやがる。

 

【ほう、やはりオレに殺されたいか、その心意気や良し――死ねぇい!】


 言葉と同時に大鉄槌が頭上から迫る。すかさず俺は身体を軌道上から逃し、代わりに指先を向けて小声で蠅の魔名を囁いた。

 生成された黒マメが剛打によって一瞬で掻き消えるが、これでよし。即時発動できるように保険はできた。

 しかし、まだやるべきことが残っている。

 俺はそれを実行するために、大槌からの攻撃を避けながら、ヘラヘラと声を出して笑う。


「いやー、やっぱ最弱狙うのは常識ですよね。攻撃も避け易いですし」

 そう言いながら屈んで横払いを避け、

「ね、大振りさん。あ、間違えた大槌さん」

 にこやかに追撃をかけた。


【ぉ――のれッ、まだ言うか! オレの名はハマだ。誰が大振りか、舐めおってッッ!】

「あ、申し訳ない。空振りさん」

【貴様――ッ!】


 やっぱこいつ扱い易い。

 怒声を上げ、瘴気を撒き散らす大槌、ハマとやらを見て、俺は内心でほくそ笑む。

 ただ、『本当に、もっと雑で大振りな攻撃をしてくれれば良いのに……』と、胸中で愚痴も零れた。

 

 ハマの一撃を戦々恐々で避けながら、『わー凄いー』と拍手を送った俺は、そのまま後方に身を引いて、大剣の攻撃範囲に流れのままに入る。

 

『屈んでっ』


 と、予想通りドリーの指示が飛んだ。かかとで足払いを掛けるような形で地に身体を沈めて左回転。

 ハマがイラつきながらも、俺を逃さないように待機していることを確認し、大剣へと視線を移動させる。

 見えたのは頭上に大剣を掲げた戦士の姿。その鎧は、泥が固まりひび割れている。

 

 振り下ろされる赤錆の刃を、ギロチンを前にした囚人の気持ちで躱す。

 目前で地面が割れる。

 通り過ぎていく赤刃に、肌が粟立ったが、おくびにも出さずに口を開いた。

 

「なんてこった……もしかして貴方、乾燥肌でいらっしゃる? お肌がまるで不毛の大地のようですよ。オススメはやはり泥パックなどいかかがで?」

【誰のッ――せいだとッ、思っているのッッ!】

「うお、その上怒りっぽい……やはり年齢からきている……はは、残念手遅れですねっ」

『ふおお、相棒、敵さんが山火事のようになっていますっ』


 おう、すげぇ煙だ。

 これで二人目――と、即時後方に飛び退り、大剣の攻撃範囲から外れる。俺の行動を咎めるように二本ほど矢弾も放たれたが、こちらとしてもそう易々とは当たってやれない。


 矢弾を横見に動きながらも、俺は大剣に向かって『はいどうぞ』と槍の柄尻で地面の砂を抉ってかける。

 

【――ッ鬱陶しい!】

 

 叩きつけるかの如く、武器の腹でそれを吹き散らした大剣は、追いかけたい衝動を我慢しているのか、イライラと足を揺すっていた。

 視界の中のハマと大剣――その赤錆二人は、いつの間にか少しだけ前進している。

 

『きましたよ、相棒っ、右へ』


 流れるようにハルバの範囲に入ると、ドリーの忠告が聞えた。

 軸足を右へと移し、ねじるように身体を回して、ハルバへと向き直る。

 瞬間。

 先ほどまで俺の身体があった空間を、ハルバの斧槍が真っ直ぐにつらぬいた。

 

 ――危ねぇ。

 高さで言えば右わき腹付近を通り抜けたソレに、俺は頬を引きつらせる。

 と、斧槍の軌道が急速に横へと変化、更に追走してきた。

 

「――ッチ」

 

 武器で受け止めるわけにもいかず、渋々と後方に身を引いた後、俺はゆっくりと左手に握っていた槍を地面に立てた。

 

【どうした、掛かってこんのか、槍使い】


 ハルバが待ち受けながらも言う。

 俺の背後からは恐ろしいほどの殺意が今も向けられていて、首筋がチリチリと総毛立った。

 が、俺は特に気にした様子も見せず、静かに首を横に振る。


「もういい……」

【……なに?】


 ポツリ、と零した俺の台詞にハルバが聞き返す。鉄仮面がなかったら、訝しげな表情を存分に見せてくれそうな声音だった。

 ――よし、乗っかってきた。

 しめしめと胸中で拳を握り、俺は心底呆れたように口調を変えると、更に言葉を続ける。


「期待して損したって言ってんだよ。

 四人集まって囲って、未だ一撃も加えられない。お前らの本気はその程度なのか? 俺の首が欲しいんじゃないのか?

 チッ、そんなに怖いってんなら、仕方ない。ほら、これで良いだろ」

 

 そこまで言い放ち、俺は投げるように武器を捨てた。蒼槍はひゅんひゅんと風を切り、包囲を越えて地に落ち、カランと乾いた音をたてた。

 

【貴様ぁ……まさか私相手に、武器など要らぬとでも言いたいのか――ッ!】

「ああ、俺は素手での格闘を、知り合いから数時間教えてもらったことがあるんだ。余裕で手前らのその仮面、メコメコにしてやるよ。

 オラオラ、どうしたどうした、赤錆さんビビッてんのかっ」

『しゅっしゅ、素晴らしい、相棒の幻の右が遂にお披露目にっ!』


 バッチこーい、とシャドーボクシングするように、右、左、と拳を突き出すと、ドリーもそれに乗っかる形で、蛇頭を真似して動かす。

 

 途端に、空気が軋んだ。

 ギシギシギシギシと金属音が鳴り響き、三方向から感じる殺意が一気に増大、包囲網がすり潰されるように更に一メートル狭まった。

 

 目の前では、怒りを通り越したかのような、くつくつとした笑い声がハルバから漏れている。

 ハマですらも押し黙り、大剣が柄を握り締める音が延々と聞えていた。

 

 ――マジで怖いんだが。

 冷や汗が一気に噴出し、少しだけ恐怖で身体が竦みそうになったが、コチラの狙い通りに状況が動いたので、後悔はない。

 

 煽る。とことんまで怒らせる。

 生き残るためにはそれが必須だ。絶対に冷静さを取り戻させてはいけない。

 武器を捨てたのは、どうせ受けられないし、攻撃しても弾かれるんだから邪魔なだけ、捨てたほうが身軽になっていいからだ。

 格闘で戦う? 無理に決まっている。速攻で負ける自信だってある。

 

 それでも、危険に向かって自ら前に。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。危機的状況にこそ、活路はあるのだから。

 

「さあ来いよ、首も命も“一個”しかないぞ。取れるもんならってみろよ」

 

 弓野郎は挑発しても無駄っぽいので無視をして、俺は三人へと向かって、手の平を上にクイクイと招く。

 

【――ッ嗚呼!】


 怒りをぶつけるようにハルバが一足で距離を潰し、斧槍を突き出す。直後、『殺すのは自分だ』とばかりにハマと大剣も距離を詰めてくる。

 望むべき危険が、目前に迫ってきた。


 すぐにドリーが悲鳴を上げるように、指示を放った。

 ハルバと大剣の、突きと袈裟切りを自分の視界に収め、ハマの一撃と弓野郎の攻撃はドリーに頼る。

 刃と刃、鉄槌と矢。

 殺しにかかってきたソレらを睨みつけて、俺は身体を半身に動かし、突きと袈裟切りの間を抜ける。

 剣風と砕かれた土塊が身体を叩いたが、それを気にせず、即座に槌を屈んで躱し、ほんの少しだけ飛んで矢から逃れた。

 

【馬鹿が、貰ったッ!】


 ハルバが怒号を上げ、少し飛んだ俺へと向かって薙ぎ払う。

 避けられない。重量の軽さもあって、もしかしたら死なないかもしれないが、間違いなく左腕一本と腹が半分は切られる――そんな避けようもない一撃とタイミングだった。

 迫るその一撃は、恐怖を煽り、痛みを想像するだけでも不安になった。

 でも、それ以上に俺は赤錆を“信じていた”。

 

 視界の中で火花が散った。俺を切りつけるはずだった斧刃は寸前で遮られた。 

 そう、大剣の手によって、だ。

 ――引っ掛かりやがった。

 口元が緩むのを感じる。口角が自然と釣りあがった。

 

【邪魔をするなッ!】

【私の獲物だと言っているじゃないッ!】

 

 ハルバが怒り大剣に文句を放つが、それに耳を貸す様子もなく、斧を赤錆の刃で受け止めている。

 

【は、馬鹿どもが、おのれらは勝手に争っていろッ】

【させんッッ!】

 

 次いでハマが大槌を振り回したが、それをハルバが叩き落すように逸らしてくれた。

 ――よし、赤錆シールドゲットっ。

 この瞬間、俺の命を狙う彼らの刃は、同時に獲物の命を守る盾と変わる。


 弓を除いた赤錆三人、こいつらの狙いは“自分の手で”俺を殺すこと。

 先ほどまでだって、逃さないための連携はしていたが、協力して向かってくることは決してなかった。

 だからさらに怒りを煽り、俺の首は“一つ”だと言い放ち、獲物を取られる危険性をすりこんだ。

 

 その結果がコレ。

 距離が縮まり危険度は段違いに跳ね上がっているし、いつ死ぬかわからない状況ではある。

 だが、それでも逃げられる可能性は、これで少しは上がったと言えるだろう。

 

 ――でも、さ、さすがにコレはヤバイ。

 

 眼前で赤錆の攻撃が飛び交う。火花が幾つも散った。打ち合いの金属音が鳴り響く。

 

 周囲の風が剣閃によって狂ったように暴れ、当たってもいないのに、音を聞くだけで身体を切り裂かれているように感じた。

 やはり武器を捨てたのは正解か。

 俺も意識を集中させて動き続けていたが、余りにも逃げる隙間が狭すぎる。


【――レイモア、手を出すなと何度言えばッ】

【煩い! アンタからぶちまけて欲しいのかしらッッ!!】


 ハルバが憤慨し、レイモアと呼ばれる赤錆が、狂戦士のように叫んだ。凶刃の打ち合いで武器が加熱するごとに、怒りも比例し激しさを増すようだった。

 

 剣戟が瞬く。目の前を通り過ぎる刃の嵐を、俺は必死に恐怖を押し込め、掻い潜る。

 

 ヂィッ、と篭手に斧槍の刃先が掠める。バンッ、と後方で矢弾が槌で殴られたのだろうか、破裂した音が鳴った。

 大剣が顔の寸前で斧槍の柄で止められ、俺は悲鳴を必死で抑えながら身を屈んで、大槌から逃げる。

 

 赤錆シールドが絶賛稼動中とはいえ、微塵も安心できる状況ではない。

 やらなきゃよかった。

 自ら引き込んだ状況なのだが、そんな後悔の念が湧いてくる。

 

 ――抜けられるか。

 隙を見つけて駆け抜けようとするも、矢弾の柵で遮られる。やはりアイツが一番邪魔だ。

 こうなったら仕方ない。ハマ辺りを更に煽って、馬鹿蠅さまを出してもっと場を滅茶苦茶にするしか……。

 このまま避けていてもいつか死ぬ。危険度を上げるようなことにはなるが、やはり奴に頼るしかない。

 

 いける。さらに混乱が広がれば、絶対に逃げる隙が生まれる。

 短気な赤錆、連携もとれず、仲間だなんて到底呼べそうにもないコイツら。

 幾らでもつけ込める。活路が目前に見えた!

 

 

 そう……思っていた――

 

「少し様子を見に来てみれば、なぁ、お前ら、いつまでそうやって遊んでいるつもりだ? その無様な姿をオレに晒して、一体ナニがしたい。

 オレは道化なぞ必要としていないんだが、そんなことすら分かっていないのか?」

 

 低く、距離など関係ないとばかりに耳に届く、そんな声が城壁上から放たれるまでは。

 

 一瞬。

 あれだけ怒り狂っていた赤錆たちの剣戟が、ピタリと止んだ。

 怒号も殺気も不気味なほどに消えた。

 ここまで必死に煽ってきたのに、まるでかすみでも払うかのように、全て消失している。

 

 ――え?

 ゆっくりと顔を上げると、視界の中に一人の男が映った。

 仮面。黒革の手袋。

 頬杖をつくように弓使いの隣に胡坐をかいて座り、城壁の上からコチラを見下ろしている。


 偉そうなその姿。

 赤錆を一言で止められる人物。

 思いついたのは一人しかいなかった。

 シルクリークの王、赤錆の主――ただ一人。

 

「――ッが――嗚呼――ッ!?」

『あ、相棒?』


 その姿を認めた瞬間、脳髄に痛みが走った。

 体の内側に毒虫が這い回るような怖気が駆け巡った。

 

 ギチギチギチギチギチギチギチ。

 

 どこかで聞いたことのあるような、蟲の鳴き声が木霊する。

 憎悪が産声を上げ、意識の手綱が瞬く間に引っ張られる。

 気持ち悪い。気分が悪い。

 怨嗟のコールタールがゴポゴポと沸き立つ。

 視界が白くなってゆく。水中に沈んでいくように音がこもり始めた。

 

「おい武器共よ、さっさと殺せ」


 ギリギリで聞えたのは、そんな声で、

 

『いけない相棒、動いてッ――!』


 届いたのはドリーの悲鳴だった。

 

 王の一言で赤錆が整然と動く。

 左からは地面を捲り上げるような角度で大槌が振るわれ。

 後方からは、赤錆の大剣が振り下ろされる唸りが聞えた。

 右からは斧槍が空気を貫き迫っているし、前方からは五本の剛矢が見える。

 

 誰が殺すか。

 そんな迷いが微塵もない赤錆の一撃たちが、四方の逃げ場を完全に塞いでいた。

 どうしよう。避けないと。

 色々考えようとしたけれど、思考が上手く働かない。

 もう絶対に避けられないほど、攻撃が目前に見えている。

 

 俺は――

 

 無意識の内に、左肩から突っ込むように、大槌に向かっていた。

 多分、右側から攻撃されるのが、嫌だっただけなのだろう。

 

 ずルり。

 残っていた意識まで、その瞬間後方にもっていかれた。

 

 衝撃。

 骨が砕ける音が響く。身体が宙に浮いたのだけは分かった。

 

 いつの間にか、自分自身の背後に立っているかのように、口から血液を吐き出して、盛大に吹き飛ぶ俺……を、俺は見ていた。


 ――ああ、アレは肋骨が折れてる。左腕は曲がったら駄目な方に向いてる。

 

 宙を回り赤錆たちから距離を離して行く俺と一緒に、俺の視界もグルグル回った。

 見えたのは砂、砂、砂色。

 

 やがてドス、と鈍い音が聞えたと思ったら、俺は地面に血反吐を吐いて横たわっていた。

 ビチャビチャと、今も俺が血を撒き散らして、地面を汚している。

 壊れた笛の玩具みたいな、ひゅーひゅーとした呼吸音が吐き出されている。

 

 どうやら、まだ俺は生きている――らしい。

 重量軽減を掛けまくっていたおかげだとは思うが、随分と頑丈な奴だ。

 意識が混濁しているせいか、まるで他人事のような感覚でソレを眺めていた。

 

『――ッぁ――っ』


 ドリーが地面に下りてなにか叫んでいる。なぜかその声はくぐもっている。

 蝶子さんが出現し、体に光りが注いだ。

 回復、きっと回復を掛けてくれているのだろう。

 

 ありがとう。

 そう言おうと思ったが、口は俺の意思では動かずに、鮮血を吐き出しながらブツブツと何かを呟いていた。

 

 憎い、憎い。

 殺したい。あいつを引き裂いてやりたい。

 

 ブツブツと怨嗟を語るように口元が動いている。右手が勝手に動いて赤錆の先にいる、王らしき人物へと伸びていた。

 魔法を使いたいらしい。でも、魔名を呟こうとしても口から零れる血のせいで、ゴボゴボとした妙な音しか出ていない。

 

 これで二度目、また俺は意識を奪われてしまっているようだ。

 死ぬ。間違いなく死んだ。

 赤錆が前方から俺に止めを刺そうと迫ってきている。矢弾も飛んできていたが、ドリーが水弾を斜めに当てて、一生懸命軌道を変えていた。

 

 ――なにやってんだ、もう逃げちゃえよ、ドリー。

 

 俺は意識を取られているし、怪我だって、回復を掛けてもらっているけど、全開には程遠い

 もうさっきみたいに避けられない。俺を殺せばきっとそれで満足だろう。あいつらは逃げていくただの蛇なんて、きっと追わない。

 

 ――さっさと逃げちゃえよ。

 

 でも、ドリーは逃げてくれない。地面で蛇頭をグッともたげ、赤錆を迎え撃つかのように動かない。

 ――止めろッ。

 叫びたいのに口は呪言を語っている。

 ――止めてくれッ。

 動きたいのに意識の手綱は奪われている。

 

 死ぬ。俺だけじゃなくてドリーも死ぬ。このままじゃきっと赤錆に砕かれる。

 

 ……ザリザリ……ザリザリ

 

 古いテレビがぼやけるように、俺の視界――いや、意識に砂嵐が走った。

 

 ……ザリザりザりザ……ザ、ザザ

 

 砂を擦り合わせているような音が脳裏に延々と流れ、フラッシュが瞬くように、何度か映像が見えた。

 

 子供、少年? 少女? 女の子?

 なんだかアヤフヤなナニカが幾度か映ったが、ソレはひどく捉えづらい。

 でも、

 それが切っ掛けになったのか、渦巻くような激しい感情が湧いた。

 全てを焦がすようなソレが、心の中で燃えた。

 少年、少女、血溜まり――

 

 ブツン――。

 電源コードでも一気に抜いたように視界が反転する。砂嵐が消えて、ドリーと三人の赤錆が映る。

 ドリーはまだ逃げていない。赤錆に魔法を撃っているせいで、もう目標に入ってしまっている。

 

 駄目だ、止めろっ。

 死んじまうッ。それだけは絶対に嫌だッ!!

 

 叫んでいるのか思ってるだけなのか、自分でも良く分からない不思議な感覚のまま、俺は言い続ける。

 

 ドリーが死ぬ。いなくなる。

 そんなことは許せない。絶対に認められない。

 このまま寝そべってソレを見ているなんて、俺にできるわけがない。

 

 赤錆がくる……もうすぐ側に。

 ドリーはまだ逃げないで、魔法を撃って俺に回復をかけようとしていた。

 

 刃がくる。

 ハルバが貫かんと構えた。ハマが忌々しげにドリーに大槌を掲げた。レイモアが大剣を切上げようと刃を後方に引いた。

 

 間に合え、間に合えッ!

 意識の手綱を強引に、見えないナニカを殴り飛ばすように掴み取る。

 全霊で、全力で、引っ張って、俺は――

 

「好き……手……に、人の……から、だ、使ってんじゃねーぞ、くそ蠅がァァアアア呼嗚呼ッッ!!」


 横たわっていた身体を、無理やり右手をついて“動かして”、喉が枯れんばかりの咆哮を上げた。

 

 意識が身体に雪崩れ込む。全身に激痛が一気に戻り、口の中と鼻腔の奥で鉄の臭いが香る。

 咆哮と共に肺から血潮がゴボリと撒かれ、ジクジクと、“右目”がやけに熱くなった。

 瞬間。

 民家や通り、地面や先に見える防壁。その全てが、“右”視界の中で“溶けた”。

 

 ドロドロと朧気に景色が溶ける。はっきりと見えているのは赤錆と飛んでくる矢弾。

 左の視界ではドリーも景色も普通に見える。

 ただ、その全てがスローモーションの如く、緩やかに動いている。

 ノロノロと動く。

 赤錆も武器も全てがナメクジのように遅い。

 右目の視界の中では、振り下ろされる武器が、空気の層を裂いていくのすら見えていた。

 

 意味が分からない。でも、疑問や疑念は腐るほどあったが、考えている時間は皆無だった。

 

 ――こなくそッ!

 痛む身体を強引に動かすが、溶かした鉛の中を動いているかのように、身体が重い。

 重い右腕を必死に動かす。

 鈍い痛みが永続的に続いている身体を持ち上げる。

 緩やかに動いているが、とてつもない重量を掛けられているかのように、俺の動きは鈍かった。

 

 足を動かす。膝を立てる。右手を伸ばして地面にいるドリーの尻尾を掴み取る。

 狭い、恐ろしく狭い刃と鉄槌の隙間に身体をねじ込み、転がるように全てを躱し、ドリーを片手に俺は後方に飛んだ。

 

 そして、

 不思議な浮遊感を味わって、着地した瞬間。

 プツッ……と、視界全てがいつものソレに戻った。


「ぁ――?」


 掠れた声で呟く。

 一気に時間を加速させたように、ゆるゆると散っていた土塊がバチバチと飛び、武器を振り終わったままだったハルバが、いつも通りの速度で俺を見た。

 他の二人の赤錆も、少し戸惑っているかのように止まっている。

 

【……貴様、その負傷でッ、その速度、だと……まさか本当に今まで手を抜いていたのかッ】


 王の手前、極力怒りを抑えているのだろうが、ハルバの台詞の端々には、驚愕と静かな怒りが見え隠れしている。

 

 ――いや、俺も知りません。

 んなもん聞かれても知るわけないし、答えようがない。

 なにより、ハルバの相手をする暇なんて、今の俺にはなかった。

 

『あいぼぅ……無事なら無事ってっ……言ってくださぃ』

〈悪い。一応、無事……ではないんだけど〉


 俺の返答に、右手の中でプラプラと揺れていたドリーは、悲しそうで、少し怒っているような声で『良かった』と呟いた。

 

 本当に、よかった……。

 

 今も全身が痛い。左腹付近なんて削り取られたように感覚がない。左腕だって力を入れても、ピクリとも動かなかった。

 

 でも、本当によかった。

 

 例の衝動は、いつもなら我を失うほどに渦巻いている。だが、それだけ。

 もう意識を奪われるような感覚はなくなっていた。

 

 身体の状態は満身創痍。

 いや、どうだろう。足も動くし、右手も動くし、なによりドリーが無事だ。

 余裕だ。楽勝じゃないか。まだこのくらいじゃ、倒れてやらない。

 

 抉られるような痛みに顔は歪んだが、歯を食いしばって悲鳴は漏らさない。

 少し視線を動かし、自分の位置を確認した俺は、少しだけ笑った。

 突破している。

 俺もドリーもまだ生きている状態で、赤錆の包囲網を破った。

 

 ざまあみろ。

 心の中で囁いて、俺は迷わず決断を下した。

 ――さっさと逃げる。

 

 踵を返す。

 ドリーを首に戻し、転がっている蒼槍を少しの未練を振り切り諦めて、俺は南へ向けて駆け出した。

 ついでに、捨て台詞を残して。

 

「じゃあ、あばよッ、赤錆共っ! はははは――ッ、エフッ、ゲフッ」

『相棒ぅッ!?』


 くそ、決まらねぇ。

 脱出したことで若干テンションがあがり、調子に乗って笑ってみたものの、どうやらまだ胃か肺に血が残っていたらしく、盛大に咳き込んだ。

 ドリーはよほど心配してくれているのか、珍しく、オロオロと首元で蛇頭を動かしていた。


【チッ――追うぞ】

【ここで逃げられて堪るものですか!!】

【王の命を遂げられぬなどありえぬッ】


 ハルバたちが騒いでいるのが聞えたが、無視。

 恐らく矢も飛んでくるだろうが、やはり無視。

 振り返る必要性は感じない――ドリーがいれば避けられるのだから。

 

 風を切って全力で駆ける。

 痛みが酷くて思うように速度が出ず、振り切れるか怪しいところだが、あそこにいるよりは安全だ。

 痛みで呻くのも、転げまわるのも全部後回し、強引に押し込めて、俺は足を動かしてゆく。

 

 右視界は、すっかり元通りに戻っている。何事もなかったかのように。

 先ほどのなんだったのか……いや、予想はつくというか、思い当たるふしはあった。

 もしかしたら、最近やけに敵の動きが見えたのも、そのお陰だったのだろうか。

 分からない。

 一瞬思考がそちらに流れそうになったが、『後回しだ』と自分を制して、俺はかぶりを振った。

 

 走ることしか、今はできない。

 武器も捨ててしまったし、魔法を使うには、もう少しだけ時間が経たないと、集中できない気がする。

 ドリーがまた回復を掛けてくれたが、よほど負傷が酷かったようで、まだ痛みが引いてくれない。

 

 俺の武器を取りに行こうか……。

 

 ほんの少し迷ったが、今も後方からは赤錆が追いかけてきている。

 それに、たとえ赤錆がいなくても、南門から上がる黒煙を見るに、モタモタしている訳にはいかなかっただろう。

 ――あの重さと握りが懐かしい。

 後ろ髪引かれる想いを感じながらも、俺は、待っててくれているであろう仲間の姿を脳裏に描き、南へ、真っ直ぐ南へ向けて、ひた走った。

 

 



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