増しゆく硬度 現れる暴力 我が道を往け
屋根を飛び交い、通りを駆け抜ける。
縋りつくように寄って来るファシオンを全力で無視しながら、俺達は急ぎ先へと進む。
だが、向かっている方向は、城のある西ではなく南西方面。
現在俺は、一先ずサバラをハイクに受け渡すことと、リッツと合流することを目指して移動していたのだった。
これは多少時間を潰してでも、行わないといけない準備。
俺だって、サバラの目隠しの魔法や、持ち前のずる賢さは頼りになるし、是非にでも引っ張って行きたい気持ちはある。
……だが、やはりサバラはスルス達の頭、敵方のど真ん中に突っ込むことを考えると、迂闊に連れて行く訳にもいかなかった。
その点リッツならば自由がきく。
戦闘では樹々に乗りながらも攻撃が可能で、回避能力もそれなりに高い。弓の赤錆からの一撃も把握できるし、全体的にバランスが良く安定感がある。
欠点を上げるとすれば――現在魔銃がないので、魔法にもボウガンにも厳しい弾数制限があることか……ただ、それがあってもリッツは十二分な働きを見せてくれるだろう。
はっきりと言って……単純に戦闘力で考えればこの場合リーン一択であるが、ドランのフォローやサバラ達の安全を考えると、リーンには向こう側に付いていて貰いたい。
きっとリーンがいれば大丈夫。
そう思える程には、俺は彼女に信頼を寄せているということだろう。
……まあ、私生活ならドランがマッハでブッちぎりですけど。
と、ついつい思考が脇へと逸れかけ『いかんいかん』と振り払う。
――にしても、これからかなり危ない橋を渡る感じになりそうだし、もうちょっと流れを確認しておくべきか。
駆ける樹々の揺れに身を任せながら、俺はこの後の動きを潤滑にするため、軽く思案する。
今後の展開としては――リッツと合流した後は、俺は城周辺へと即座に向かう。
そして、鉄仮面達の足止めをしながら、本隊の人員を出来る限り救出。
その間に、サバラはリーン達と一緒に南門付近を制圧し退路の確保。
最後は、俺と合流して一気に都市の外へと逃亡という流れ……といったところか。
下手すれば四人の赤錆が相手、普通に考えればどうにも無理ゲーくさい。が、別に真正面から戦闘する訳でもないので、やりようによっては不可能ではない筈だ。
それに、一番の敵は赤錆じゃなくて、きっと時間。
――武器……は無理でも、魔法くらい変える時間は欲しかったな。
少しだけ頭痛がして、俺はコメカミを軽く揉む。
俺達の武器は現在ボロ拠点の下、居住区とは別に作った地下深くの密室の中だ。
取り出すには『アース・メイク』を乱用しないと厳しく、それでも十分近くは掛かる。
念には念を入れすぎた結果がコレだ。
いや、武器に関しては、今回が決め手となるような戦況じゃないし、ここで派手に使うのもどうかと思うので、まあ、良いのだが……せめて魔法の入れ替えくらいはしておきたかった。
というのも、現在俺が入れているのは、風のエントに、重量軽減、そしてちょっと懐かしの『エア・コントロール』の魔法だったからだ。
サバラの砂を撒き散らす魔法と相性が良かったので、最近よく使っていたのだが、敵陣に突っ込むには少々心もとないか。
ドリーの魔法だって、最近使っているペネトレイト、ヒール、ブーストの水系統の三つ。
そこに、『マッド・ウォーター』『グランド・ホール』『アース・メイク』、と買い足したばかりの新しい奴を加えた計七つ。
足止めに使う分に良いラインナップだが、危険度から考えると『ウッド・ハンド』や『アイビー・ロープ』この辺りは解禁しておきたかった。
……やはり、いつ来るか分からない敵の増援、これがジワジワと効いている。
魔法を入れ替えていて間に合うのか? リッツを拾っていて間に合うのか?
そんな不安が沸々と湧いてくるのだから、中々嫌な気分になる。
なんというか、本隊救出に関しては、やらなければならないことではあるが……今すぐ仲間を連れて逃亡したい……なんてことも少しだけ思わなくもない。
ただ、世の中自分から危険に踏み込まなきゃいけない時があり、少なくとも今は、十分その状況であると俺は判断していた。
ここで本隊の戦力を逃したらきっと後で後悔するだろう――不思議とそんな確信があった。
恐怖は感じる。不安だって感じる。怖気づきそうな気持ちもある。
でも『絶対に死んで堪るか。相手に好き勝手させて堪るか』と、そんな気持ちのほうが大きく俺の心を占めていて、逃げ出す気にはなれそうにもない。
どんなに悪状況に陥っても諦めたくない。もう蟲毒の時のような、情けない姿だけは晒したくない。
それ程に、あの時見た皆の姿は瞼に焼き付いていたし、オッちゃんの拳打は忘れられないくらい、痛烈だった。
諦めることだけは絶対にしてはいけないことだ。
歯を噛み締めて前に。足を踏ん張りもっと前に進むことが大事だ。
これこそが、俺が今まで学んできたことで最も重要なことだと思える。
その経験は、決して良いものばかりとは言えないけれど、同じように諦めなかったことで得られることも沢山あったのだから、きっと今回だってソレと同じことなのだろう――
ふと、心が軽くなる。
先程まで燻っていた少しの恐怖と不安が、まるで潮が引くように消えていった。
――なんだ、やっぱりこのくらい大したことじゃない。
別にそれで状況が変わった訳ではないというのに、俺は思わず笑い出しそうなってしまい、慌ててソレを洩らさないように口をつぐんだ。
大丈夫だ、状況は悪いがまだどうにでもなる。
いくら敵の援軍が迫ってきているとはいえ、別に城内と迅速に連絡を取れるような訳ではない。
例えば足の速い部隊だけ先行して足止めをしてきたり、例えば援軍の位置を正確に把握して敵が動き出したり――そういった動きをされないだけ、まだ随分とマシだといって良いだろう。
後はこちらの頑張り次第で状況は変わる。
俺は静かに吐息を零し、次の戦闘に備えて少しだけ身体の力を抜いた。
樹々の俊足で駆け続けて暫く――
『おお、相棒、白フサさん達が見えましたよっ』
ようやく一先ずの目的地に到着したことを、ドリーが蛇頭を突き出し報せてくれた。
どれどれ……
促されるように視線を少し右方向へとやってみれば、確かに見覚えのあるハイクの継ぎ接ぎ外套、民家の屋根上に見える。近くにはリッツっぽい背丈の外套もいた。
――良かった、二人ともちゃんと無事みたいだな。
でも、弓の赤錆も予想通り来ていないみたいだし、当然っちゃ当然か。
いや……というか逆に……
「めっちゃ暇そうにしてんなあの二人……」
「シシっ、兄さんもさっきまではあんな感じだったけどね」
俺が呟くと、背後からサバラが『人のこと言えないだろ』みたいな意味を含ませ返してくる。
失礼な……あそこまで酷くないからな。
心中で異議を唱え、俺は改めて白黒コンビに視線を向けた。
リッツは屋根の縁に座り足をパタパタとさせながら、矢をそこらに撃っている。
ハイクはその横で、つくしのように棒立ちになりながら、上半身を右へ左へとユラユラさせていた。
……ちゃんと警戒はしてるんだろうが、やたらと余裕そうだな。
でも、見たところ敵の数も少ないし、その上ここから動く訳にもいかないとなってくると、確かに俺でもあーなるかもしれん。
思わずその気持ちを理解してしまい、俺は『あんま気を抜くなよ』と責める気もなくなった。
つか、通りも大分綺麗だな。
一度グルリと周囲を見渡してみたが、余り派手な戦闘をしていないのか、通りの光景はちょっと汚れている程度で収まっていた。
転がる死体は少なく、破壊されている民家も一見する限りではない。唯一『あーあー』と思うのは、店売りの小麦粉っぽい白い粉が、樽を破壊されて散らばっていることか。
いや、今日が風の強い日じゃなくて良かったな。
きっとそんな中で戦闘したら、今頃罰ゲームを受けた芸人さながらの姿に……ん? いや……風か……それはそれで、意外と有りかもしれん。
不意に脳裏に訪れたのは『ちょっと使えるかもしれないな……』程度の小さな案だった。
別に大した案でもないし、実際上手くいくかは分からない。
だが、サバラの部下の人に頼んで、退路の途中に準備しておいて貰えば、そこまで時間も取られない。
やっておく分には損はないか……。
そこまで効果は期待していなかったが、やれることはやっておこうと心に定める。
なんといっても、今日はいつも以上に、延々と追い掛け回されるに違いないのだから。
頑張るか、とそんなことを考えながらも薄く笑い、俺はリッツ達へと向かって声を張り上げた。
◆
シルクリーク城門付近 南側
そこは戦場だった。
それ以外の言葉が思いつかぬほどに、怒号と戦闘が満ちていた。
反抗勢力側の放った魔弾がひたすらに飛び交う。周囲には剣戟と血潮の花が咲いている。
空気中にはすでに焦げた臭いがたち込め、兵士達の足踏みで上がった砂煙と黒煙が溢れていた。
グルリと城を囲む砂色の壁。その上で弓を構える砂色の兵隊。
城門から少し離れた場所では、今も入り乱れるように剣と人が蠢いている。
前衛職とも呼べる戦士達は、武器を握って近くの敵を切り伏せる。中列の弓兵は矢弾で城壁の敵を狙っていた。
そこで戦っている本隊側の前衛は七百人程度。同じ場所のファシオンは千五百ほど。
総数で言うならば、本隊が千百程度で、ファシオン側は二千……いやもう少しいるだろう。
一見すると数の差は大きいが、そこまで一方的な展開にはなっていない。が、やはりあちらこちらで多少の苦戦は強いられているようだった。
「くそ……さっさと死にやがれッ!」
亜人の男が鬼気迫った表情で吼えながら、槍の穂先でファシオンの胸を貫く。
しかし、ヌラヌラと血で染まった真紅の刃を背中から生やしながらも、ファシオンは未だ動きを止めない。
いや……それどころか、握っていた曲刀を振り回し、槍を持つ男に襲いかかっている。
「――ッ!」
迫る刃をその目にして、亜人の男は武器の柄から片手を離して躱すが、武器を完全に手放すことを嫌ったせいか、攻撃避けきれず片腕を浅く切られ、少しの血飛沫が散った。
「ッグ!? 糞、チクショウッ」
貫かれたままで接近するファシオン兵。男はそれに恐怖を感じたが――傷を負って頭に血が上っているのか、怯むことなく切られた腕で、強引に相手の顔面へと拳打を見舞う。
「離れろ、離れろ……離れろおおおおおおッ!!」
悲鳴のような叫びが木霊する。
肉を打つ音が断続的に響く。歯が砕ける音は鈍く、殴れば殴るほどに、男の拳へ嫌な感触が伝わる。
でも、いまの男には、それに眉を顰めている余裕すらもない。
殴っても、殴っても。
首が折れるほど殴っているのに……意識を失わせるほど打ち込んでいるのに!
敵は平然と、男に向かって武器を振るってくる。
「……っ」
右腕が浅く切られ男が呻く。城壁上から飛んで来た矢が左肩へと刺さり、悲鳴を上げないように歯を食いしばった。
ジクジクと血が滲み、男の身体は徐々に赤く染まり、殴る力も緩むばかり。
「――っ――ガッ――嗚呼!」
遂にファシオンの曲刀が男の腹を抉り、苦痛の声を強引に吐き出させた。
ファシオン兵の顔には、歓喜も怒りの色もない。
男の視界に映るその顔は、既にぐちゃぐちゃに潰れていて……その瞳は血液で赤黒く濁っていた。
「ひぃっ――」
その瞳と狂気を垣間見て、男の足元からゾワゾワと恐怖が這い上がる。
大量の蟻にたかられているかの如き怖気が走り、身体も痛みで動かない。喉元から悲鳴がせり上がってくるが、咳と血液が零れてソレをまともに吐き出せなかった。
ズルリ……生々しい音と共に、腹部を抉っていた曲刀が抜かれ、砂色の兵士の手によって天空へと掲げられる。
狙いは男の頭部。ソレが分かっていても、男の動きは恐怖の鎖で縛られて、ナメクジのように鈍い。
容赦なく振り下ろされてくる鮮血で濡れた曲刀。
死んだ――男はそれを覚悟して、迫る刃を呆然と見つめるしか出来なかった。
しかし、
「何をぼさっとしているッ!!」
肉を断つ音の代わりに鳴ったのは、甲高い救いの音。男の視界を塞ぐように突き出されているのは、砂色の岩を纏った左腕。
男の視界の中で茶色の三つ編みが揺れている。見覚えの有る鎧が見えた。
「た……隊長……っ!」
シズルの姿を確認して男が力なく声を洩らし、剣を受け止めていた彼女はそれに答える代わりに、己の左腕を跳ね上げた。
――瞬間。
『エント・アース』を掛けられ岩を纏ったシズルの左腕が、鍔迫り合いに持ち込むことすらさせずに、ファシオンの剣を弾き飛ばす。
そのままシズルは流れるように体勢を整え……
「いいかッ、攻撃するならば――」
貫かれたままで無手となったファシオンに向かって、左拳を後方に引き絞る。
「――頭を狙うかッ、一撃で粉砕しろ!」
咆声と同時に、シズルは土のエントを操作――左腕の岩を杭のように変え、ファシオンの頭部へと打ち込んだ。
ゴガッ、と盛大な破砕音が響き、爆散するようにファシオンの頭部が破裂。
脳漿が勢いで当たり構わず弾け、血潮がばしゃりと、後方に広がるように飛んだ。
すぅ――と短く息吹きを一度吐き、シズルは動かなくなったファシオンを横目に確認、視線をグルリと巡らせた。
前方から一名。右手側から一名――砂色の兵士が迫っている。
手に持った武器は槍と曲刀。シズルの首を取ろうと虚ろな瞳で睨んでいる。
「雑兵が、その程度で私を殺れると思うか、余り舐めるなよッ!」
眉根をよせて怒号を上げ、シズルは右手に握っていた剣を右手側の兵士に投擲。次いで左手でファシオンの胸を貫いていた槍を引き抜き、前方を一閃。
剣がひゅんと風を切り、槍が力強く撓る。
投げられた剣は吸い込まれるように兵士の頭部に直撃。薙いだ槍先は呆気なく前方の首を刎ね飛ばした。
頭部に剣を突き刺したファシオンは、未だに死なずに迫ってきていたが、バランスを崩して減速している。
「ッ――本当にしぶといッ!」
舌打ちを一つ。体を崩したファシオンの隙を突いて、シズルは地面を蹴った。
握っていた槍を手離し、左手の岩を大きな爪のように象る。
そのまま三つ編みを躍らせながら、加速を乗せてシズルは果実でをもぎ取るかの如く、ファシオンの頭部を引き千切った。
軽々とファシオンの頭部と胴体が泣き別れる。
ビシャ、と飛び散った血潮が噴出しシズルの頬を汚したが――彼女はソレを拭うことすらせずに、自身の剣を引き抜き、目立つように掲げて見せた。
「誰かッ、ここに怪我人がいるぞッ! すぐに後方に連れて行き治療してやれ!」
騒音が満ちる中でも、少しだけ高いシズルの声は良くとおり、それに反応した二名の部下が、すがるファシオンを叩き切りながら駆け寄った。
シズルは周囲の警戒をしながらも、今にも倒れそうになっている亜人の男についと目を向ける。
そして、肩、腕、腹――確認するように傷跡を眺めた後、顔色を変えずに言った。
「傷は浅いな、この程度ならば回復魔法でどうにかなる。ほら、お前はまだ死なない……安心しろ。
……もし、傷を癒してまだ戦う気力が残っているのならば、すぐに戻って来てくれ。
今度はお前が違う誰かを助けてやる番だ……できるな?」
酷使するような言葉にも聞える……だが、その声音は少しだけ柔らかく、シズルなりに『頼りにする』精一杯にそんな意味合いを含めた台詞だった。
その思いが伝わったのか、両脇を二名に抱えられた男は俯かせていた顔をノロノロと上げ、笑う。
「はは……ま……任せと……け」
「そうか……その分なら余裕だな。よし、いいぞ連れて行けッ!」
男のかぼそくも、力の篭った返答を聞いたシズルは、剣を振りかざし後方へと向け、男を支えていた二名に指示を出した。
それにともない二人が動く。
「ほれ、少しの我慢だっ、美人の治癒士に頼んでやるから期待しろよ!」
「おお、それならオレもちょっと怪我するべきか……」
二名は意識が薄らいでいる男に明るく声を掛けてやり、自由の効く片手で武器を振るいながらも、迅速な退却をみせた。
その背中にチラチラと視線をやっていたシズルだったが、無事に安全圏まで離れたのを見届けて、小さく安堵の吐息を吐く。
だが、いつまでも気を抜くわけには、とすぐに視線を周囲へと戻し、戦況を軽く確かめた。
武器と兵士と部下達が戦闘を続けている。傷を負っている者はいるが、犠牲者はそれほど多くはない。
やはり後方の回復魔法使いの存在と、準備しておいた魔力回復薬の存在は大きい。
死にさえしなければ、心さえ折れなければ、傷を治してまた戦線に戻れる。
それに鉄仮面達がいないことも、士気を上げる一因となっていた。
(このまま押し込めばいける。あと少し城壁上の敵を減らしたら一気に攻め込むか)
現状の把握に努めながらも、シズルは今後の動きを頭で組み立てる。
少し先に見える城門は、今もその口を硬く閉ざしていた。
アレはそう易々と壊せる強度ではないし、破壊は難しい。城壁だって似たようなものだ。
内部に入るのならば、土の魔法で足場を作り、上から一気に進入するしかない。
(数さえ上回っていれば、拡散して内部に入りこめるものを……)
言っても仕方ないことではあるが、シズルは思わず悔やんだ。
今の総数では攻める場所を広げてしまうと、援護が行き届かずに被害が増える。イシュの捕まっている場所にはまだ寸胴がいるし、纏まって進入出来なければ救出は困難だ。
もう少し戦域が広ければ、多少使い手に無理をさせてでも、上級魔法を使って一気に押し込むのだが……民家も近く、敵味方入り乱れての戦場では、中々使いどころが難しい。
城壁がもう少し脆ければ良いのだが……城の建材は基本的に魔法耐性がきつく簡単に壊せる強度ではない。
(それに私が前線に出ずっぱりというのもな。隙を見て引いたほうが…………いや無理そうだな)
後方へと振り返り、部下が指示を出しているであろう中列と後列付近をみやる。
今の所は問題なく動かせているが、普通に考えると、最上位の権限を持つ指揮官が留守なのはどうか……しかし、一般兵に比べて実力が抜きん出ているシズルが前線から引いてしまえば、被害が増えてしまう。
やはり後ろには下がるのは厳しい。
(いや、私が居ても居なくても、後方の状況はそう変わらんか)
少し不安に駆られた心情を、シズルはそんなことを考え奥に押し込んだ。
この判断は、別に考えなしに下した訳ではない。素直に自身の能力を考えた結果だった。
というのも――自身でも悔やんではいるが――シズルは元々集団戦の指揮をそれほど得意としていない。
ただ、それは別に彼女が修練を怠けていたわけでなく、単純に“近衛”と普通の騎士との職種差からくるものだ。
守る対象が一人である近衛。領内を巡りながら集団戦を続ける騎士達。
大規模戦闘の経験が違うのは当然で、求められる技術の方向性が異なっているのだから、仕方の無いことだと言える。
(――ッ、私が不甲斐ないばかりに……)
それでもシズルは、自身の力の無さに歯噛みする。
指揮が得意な者ならば、この状況でも部下を上手く動かし優位に進めるに違いない。
そうなれば犠牲者も減り、今頃イシュを救えていたに違いない。
シズルは己が悪いと言い切り、悔やむ。
赤熱した金属から余分なモノを金槌で追い出し固めるように、己を叩いて叩いて硬度を上げる。
それが彼女の生き方で、そうするしかシズルは自身を鍛える方法を知らなかった。
守る為に硬く。貫く為に硬く。
そうやって隊長まで上り詰めた。そうやって辿り着きたい場所まで上ったのだ。
でも、だからこそ、
「射手が動いたぞッ! 後方から援護が来るはずだ! 総員体を崩すなよ!」
シズルは力のなさを嘆いても、俯く暇すら己には与えなかった。
力強い声音が広がって、戦闘を行っていた者達が身構える。それに少し遅れて城壁上で砂色の射手が大きく動き、戦場の空に雨のような矢弾が放たれた。
味方ごと撃ち抜くのを微塵も躊躇わない矢の豪雨が、曇り空を更に黒く染める。
高々と上がった矢が一斉に重力を味方に落ち始めた。
逃げる隙間の無いソレを防ぎきることは、戦っている最中の者達には極めて難しい。
が、それは彼等に届かない。
――轟!
戦場に突風が吹き荒れ、降り注ぐ筈だった矢弾をあてどもなく散らす。
それを放ったのは、シズル達の後方に控える魔法使いの部隊であり、屋根で状況をうかがう者の合図に合わされた援護の風。
「よしッ、射手準備! 目標城壁の上だ!」
接近してきたファシオンの首を左腕の岩爪で粉砕しながら、シズルは右手で持っていた剣を高々と上げて叫ぶ。
その声は屋根に控える者へと伝わり、さらに後方へと送られる。
中列に控えていた射手が整然と弓を構える。後列の風使いが各々に手を掲げた。
「――放てえええええッ!!」
シズルの怒号が響き、少し遅れて放たれた一斉射撃が空を占める。
『フォロー・ウィンド』
響き渡るは風使いの魔名。同時に背を押すような風が解き放たれ、矢弾を更に加速させた。
矢弾は戦域を越え高々と飛び、そして城壁の上へと降り注ぐ。
ガガガガッ――雹が一斉に地面を叩いたような、そんな硬い音が響き渡る。
「――っ」
思わず耳を塞ぎたくなるような騒音に耐えながら、シズルは攻撃の結果を視界に収め続けた。
ハリネズミの如く全身を貫かれたファシオンの弓兵が、城壁からゴミのように落下している。
いい具合に被害は出ているようだ……とはいえ、目も覚めるような成果ではない。盾や壁で避けた者も多く、眼球を抉られながらも平然と動いている者が多かった。
(くそ、化け物か奴らは……)
胸中でそう零し、シズルは目を嫌そうにほそめた。
傷を負ってまで戦い続ける――とでも言えば聞えはいいが、痛みで呻くことすらないファシオンの姿は、まるで生きる死体。
シズル自身もそういったモンスターを数度見たことはあるが、ファシオンの動きは、皮膚が腐っていないだけでソレに近いものがある。
「わらわらと……鬱陶しいッ」
左手の岩を円状の盾のように変化させて構え、数名近寄ってきたファシオンの攻撃を阻み、右手で切りつける。
そろそろエントが切れるか……とシズルはすぐさま魔名を数度唱えて重ねがけし、左腕を大きな岩鎌へと作り変えた。
「――疾ッ!」
鋭い息吹きを吐き、シズルは岩鎌を平行に構えて回転。鎧が軋み、腰元から垂れていた鎖布が少し浮く。
――斬。
鎌が勢いよく振り回され、四名いたファシオンの身体が、ゴリゴリと嫌な音を立てて一瞬で倍へと増える。
岩鎌の切れ味はそれほどのものではないが、強引に払われたソレは、周囲に居たファシオンの胴体を分断する程度の威力を持っていた。
(……っ、死狂い近辺のモンスターじゃあるまいし……なんと不気味な)
泣き別れた上半身と下半身。それは内部から吐き出したモノで地面を汚しながらも、未だに動きを見せている。
腕を這わせて剣を探り、足は足で進もうとしているのか、バタバタと動いていた。
話を聞くだけならば間抜けな光景とも言えそうだが、実際目にするとかなり目を背けたいモノだ。
シズルにとっても受け入れがたい光景だったのか、少しだけ結んでいた口元を歪めている。
気味が悪い――とはいうものの、さすがに上半身は武器を取れる為に放置するわけにもいかない。目を背けたい気持ちを押し殺し、シズルは動くソレの頭を潰していった。
(一体どんな魔法を使っているのか、こんな効果聞いたこともないぞ)
痛みを感じず、異常な動きを見せるファシオン兵。
その実態を、シズルはなんらかの分岐魔法の効果であると判断していた。
最初は、痛みを感じさせなくする禁薬でも使っているのか……そう思っていたが、この数の禁薬を長期間仕入れ続けているような動きは、シズルの知る限り一切なかった。
そうなってくると、やはり考えるのは“分岐魔法”これである。
恐らく間違いない――シズルも、そしてサバラも、ファシオンの非人間的な動きの理由を、九割がたそこに定めていた。
何よりも、そう思える理由……いや思ってしまう大きな理由があった。
それは“ファシオン兵がこれまで魔法を使用していない”という事実。
目を抉られても、腹を裂かれても、痛みを感じず戦い続ける強力な効果。
ならば、魔法印がそれだけで埋まってしまっていても、不思議ではないのでは?
もしくは継続的に魔力を抜かれるような効果の為、他の魔法が使えなくなっているのでは?
シズルの中では、そう考えるのが一番納得できて、一番現実味がある答えだったのだ。
(魔法を使われないのはある意味で僥倖だが……やはり普通の兵士を相手にするほうが楽ではあるな)
人はよほど慣れていない限り、痛みで動きが鈍る。片足を切り落とされれば立ち上がれないし、爆炎で半身を焼かれれば、のたうち回る。
魔法で攻撃されるのは確かに避けたいことではあるが、同時にこちらの魔法が掠っただけでも相手に被害出るのだから『どちらが良い?』と聞かれれば、シズルは迷いなく、相手が魔法を使ってくる方を選ぶだろう。
それほどまでに、切っても抉っても迫るファシオンの恐怖は大きく、それを間近で見ることは、全体の士気を下げる。
それはシズルにとっても、戦う部下達にとっても変わらない。
だが……しかし。
それでも今の戦況が、これまでにないほど優勢に運んでいるのは事実。それはもう少し粘れば城内部に入れるまでに、形勢を傾けられそうほどだった。
――この好機は逃せない。
シズルは滲む恐怖を強引に消して、また新たな敵へと駆け寄ってゆく。
自分がやらないと、自分が一番頑張らなければ――そう思わずにはいられない。
今も部下達は命を懸けて戦ってくれている。悪夢のような敵を相手に、士気をギリギリで落とさず粘ってくれている。
傷ついても後方で傷を治し、また戦線に赴いてくれていた。
後方部隊の被害は極めて軽微。準備していた魔力回復などの道具だってまだ十分ある。
戦える――まだまだ力を尽くして戦える。
敵の援軍の情報を聞いて、覚悟を決めて戦うことを選択した。
その際に『付いて来てくれる者だけでも』と、期待せずにいった言葉に頷いてくれた者は、シズルの予想していた以上……いや、想像できないほどに多かった。
そんな彼等の戦う姿。ソレはシズルの気持ちを、前に前にと押し出すには十分なものだった。
あやふやな情報で少し心配だった鉄仮面達だが、未だに出てこない所を見るに、やはり情報通り城からは出立していると見て良い。
できる――このまま急ぎ敵の数を減らして城内に侵入し、寸胴を蹴散らしてイシュを救う。
ほら、すぐ目の前だ。希望はもう手の届く位置まで接近している。
いける。やれる筈だ。これでようやく、守りたい人を取り戻せるんだ――――
……
…………
………………
【……なんて、今頃外ではそんなことを思っている頃合いでしょうか? 嗚呼……きっとそうでしょうね、そうに違いない。
人はすぐに希望を抱く……ヒヒッ、楽しくて、楽しくてしかたがない……そんな真っ直ぐな光を影で染める……想像しただけでも笑いが込み上げて止まらない】
シルクリーク王間――その玉座前で、奇妙な帽子を被った影がケタケタと嗤う。
その場には、影を含めて計八名の姿があった。
沈黙したまま武器を手に命令を持っている赤錆四人と、玉座に座った王が一人。
少し離れた場所には、ラッセルとジャイナが居心地悪そうに身を竦めている。
「シャイド、オレはお前の嗤いを聞くたびに、毎回反吐を吐きそうになる。木偶との連絡を取ったことには礼を言ってやっても良いが、出来ればさっさと失せて貰いたいものだ」
シャイドの嘲笑を寸断させるように、王が不快そうな声音で言う。
態度も黒革の手袋をハメた右手を、シッシと邪険にするように振っており、それを見たラッセルとジャイナは『勘弁してくれ』とばかりに、顔から血の気を失せさせた。
だが、当のシャイドはそれで特に気を悪くした様子は見せず、手に持っている杖をクルクルと回し、
ピタリ――と笑みで固めていた真紅の三日月を崩して、杖先を王へと向けて止めた。
【いやいや、やはり王だけあって態度だけはご立派ですね。素晴らしい、素晴らしいですね?
でも余りツレナイことを言わないで貰いたい。せっかく私が暇を見つけて、多少の協力をして差し上げたのですから】
シャイドの放った言葉は褒める調子であったが、内容は明らかに王を小ばかにするようなもの。
よどみなく喋る素振りからみるに、常からこういう態度で接しているのだろうことが分かる。
王は特に言葉を返す訳でもなく沈黙を保っていた。が、やはり赤錆の四人がその台詞を甘受できる筈もない。
黒紫の瘴気が漏れる。煙各々に身体から殺気が零れ出す。武器の柄は潰されんばかりに握られて、軋みの悲鳴を上げていた。
中でもハルバとハマの二人は特に強烈で、目の前に王の姿さえなければ――それが通じるかどうかはまた別の話ではあるが――間違いなくシャイドに襲いかかっていたことだろう。
ただ、そんな赤錆達の様子を知ってはいても、王とシャイドはさして気にする様子を見せない。
「で……陰険な影よ、もうそろそろ木偶共は着くのだな?」
王が確認するかのように問いかけると、シャイドは『そうですね……』と囁き、続けた。
【……ガルスの所から戻るついでに、ケイメル二千に荷馬車を引かせ――総数四千ほどは、先行させるよう伝えておきましたよ。
ソチラはすぐ……残りは少しすればと言ったところでしょうか。
都市の様子も少々見ましたが、少数は逃げる準備をしているようで……その動きから見ても南でしょうね……塞ぐならそちらをどうぞ?】
「頃合いか……やはり気に喰わぬが、使える化け物ではある」
【ヒヒッ、中々酷い言われようで、いや、酷い。まあ、アナタ達ていどに何を言われようとも、私はなんとも思いませんがね】
挑発しあうような言葉のやり取りがなされ、冷たい仮面と暗い影の顔が見合わされる。
辺りに言いようもない嫌な空気がひしめき始め、人を殺しかねない威圧感が押し合うように周囲を潰した。
ラッセルは恐怖で呼吸を止めて動けない。ジャイナは全身を震わせ嵐が過ぎ去ることを願うように、小さく身を縮めている。
一拍だったのか、それとも長い時間が流れたのか、二人とも緊張感でそれすらも分からなくなっている。
が――今にも破裂しそうだったソレは、不意に王側から納められた。
「まだ敵わんか」
【ヒヒッ、私は物分りが良い方は好きですよ?】
「ふん……」
王はつまらなそうにシャイドから視線を外すと、自身の玉座から立ち上がり、ガツガツと乱暴な足取りで進む。
そして、仮面を付けた顔を見下ろすように赤錆達へと向けた。
「オレは……今までも、そしてこれからも暴力のみをもって突き進む。
強烈な暴力は易々と人を従わせる。鮮烈な暴力は国を容易く掌握する。
暴力こそがオレの正道であり、それがオレの王道だ」
王は断言し、そして宣言した。
堂々と腕を組み、王はただ赤錆を見やりながらも言葉を続ける。
「なれば、それを振るうオレが、より強い暴力に晒されることも、また道理。
気に喰わぬ者だろうが、陰険な影だろうが、オレより強いのならば“今は”大人しく引くしかあるまい」
感情を荒立てることなく言い切ったその言葉。
ソレはシャイドに向けてのモノか、それともすぐに感情を荒立てる武器に対するモノなのか。
はたまた己に向けてのモノなのか……それは冷たい仮面に阻まれ伺えない。
だが、力を振るう者は振るわれて、捻じ伏せる者は捻じ伏せられる。それを当然の理として王が受け入れていることだけは、きっと間違いのない事実だろう。
「いいか――」
さも楽しそうに眺めるシャイドを他所に、王は一歩踏み出し右腕を上げる。
指示を待つ為に武器を手に、沈黙するのは四人の赤錆。
そして、その姿を見下ろした王は、
「オレの武器達よッ、畜生共を囲む檻の準備は整った!
切り伏せろッ、叩ききれッ、すり潰して、貫き殺せ!
反抗する者共の口を噤ませるならば頭を飛ばせ。オレを狙う剣を防ぐならば腕を千切れ!
さあ、オレの武器共、全力で暴力を振るう時がきた!」
――命を下して、右手を振り払った。
ダンッ! と赤錆が柄を打ちつける音が鳴る。
ガッ! と四人の赤錆が進む足音が響く。
武器は進む、指示のままに。武器は進む、ただ暴力を振るうために。
そして、静かに沈黙を保つ赤錆は、命に従い淡々と戦場へと向かってその身を消していった。
【しかしながら……】
佇むシャイドはそれを見届けて、さも残念そうな様子で首を振る。
【……こんな面白そうなことを最後まで見れないとは、自分の忙しさを呪いたくなりますね。
それに、先程も外で姿を見つけられませんでしたし……いやはや、どうにもついていない。
嗚呼、でも、きっとこの国のどこかに居るのでしょう? こんな騒動の渦中にいないなんて、私には想像もできない】
見上げるように顔を動かし、独り言を紡いだ影はクルリクルリと杖を弄ぶ。その姿はどこか楽しげで、どこか憎々しげな様子だった。
「影よ、探し人は良いが、気づかずに殺して何処ぞで死体が腐っても、後でオレに文句を言うなよ」
王が、吐き捨てるようにそう言うと、シャイドは額に片手を当てて薄く嗤う。
【ヒヒっ、随分な余裕ですが、余り侮らないほうが良いと忠告しておきましょう。
正直、アナタのことなどどうでも良いですが、その渡したリジオンを壊されるのは頂けない。
本命はソレではないとは言え、やはり保険は多く、壊されないにこしたことはない。
試作程度のソレを一つ作り出すだけでも、相当な時間が掛かるとの話ですし、頼みますよ?】
黒檀の如きシャイドの人差し指が、王の胸元で揺れる赤黒いクリスタルを示す。
そして、質問を投げかけるような調子で話しながらも、シャイドは返答を待たずに『それに……』と言葉を続けていった。
【油断はきっと身を滅ぼします。もしアナタが消えたくないのならば、持てる全力を尽くすことです。わかりましたか、わかりましたね?】
諭すようなシャイドの言葉を、王はハッと一蹴した。
「戯言を、お前のような化け物ならまだしも、今のオレがそこらの有象無象にどうにかされるものか。くだらぬ、実にくだらぬ心配だ」
【……まぁ良いとしておきましょう。これ以上は何も言いませんよ。
なにより、私にはアナタに構っている時間など無いですから】
シャイドは馬鹿にするように、片方の口角を吊り上げてそう言うと、
【ではラッセル君、ジャイナさん……後は頼みますよ。アナタ達はしっかりと事の結末まで見届けてください。それが終わったら“端切れ”で私のところまで運びますから、報告をお願いしますね】
奇妙な帽子についてた黒い腕で、ラッセルとジャイナの足元を指した。
見えない圧力を全身に掛けられて、ラッセル達は黙ってコクコクと頷いてみせる。
【さて、名残惜しいですが、私はこれで……また次に会えることを願っていますよ、王様】
その言葉と同時にシャイドの足元の影が膨れ上がり、クロムウェルを包んだ時のように球体を象る。
――ピキピキ、と卵の殻を破る音が響き、一瞬で黒い球体が粉砕。
生まれでた一羽の大ガラスが空へと舞った。
そして――不吉を運ぶ使者の如き、光を吸い込む闇色のカラスは、羽ばたきの音だけ残して、開け放たれていた窓から消え失せる。
「……どこまでも、不気味な影だ」
ポツリ、と染みこませるよう王が呟き、ラッセル達は安堵の吐息をそっと洩らす。
戻ってきた静寂は、ひどく居心地の悪いそんな静けさだった――
◆
「っ……城門が開……く」
先程まで希望をもって戦闘を行っていた筈のシズルは、呆けたように呟きを零した。
いや、シズルだけではない。ファシオンと戦っていた亜人も、人も、剣を振るう手をほんの僅かにだけ止め、視線をソコへと集中させている。
ギィ、ギィ、ギギィ……
金属の擦りあう高音が鳴り、その堅牢さを感じさせる重厚な音が低く響く。
呆気なく、そして簡単に。
決死溢れる戦場と、目的を隔てていたソレは、シズルの視界内で開放される。
(ハハっ……あ、あと少しだったというのに……)
諦めるつもりは未だにない――でも、シズルの両手は我知らずのうちに、力が抜けだらりと落ちてしまった。
背筋を流れる冷や汗が止まらない。
開いた門から出てきた“三人”の姿を見て、心臓はどうしようも無いほどに悲鳴を上げていた。
なんで……
シズルが静かに呟く。
なんでっ……
もう一度呟いたが、それは先ほどのソレより大きくなっていた。
怒りにも似た感情が急激に膨れ、身もだえするように胸中で暴れ出し、堪えきれず、我慢できず、どうしてもそれを堪えることができなくなった。
――なんで……手の届きそうだった今、ソレを掴めそうだった今……っ!
呟きが、嘆きに、抗議に、そして――
「なぜこの瞬間に、姿を現したああああッ! 赤錆ィィィ!!」
絶叫に変わった。
シズルは思いの丈を存分に込めて叫ぶ。姿を現した赤錆の戦士達に向かって、まるで子供の泣き声のように、悲しみと悔しさを乗せて……叫んだ。
ザザザ、と戦場の空気が砂嵐に襲われたかのように、一瞬で変貌する。希望を描いたキャンパスが、絶望の墨をぶちまけたように瞬く間に変わる。
一人の男が武器を取り落とし、一人の女が顔色を青く染めて動きを止めた。
叫びを上げたのだって、シズル一人ではなかった。
「出やがった、鉄仮面が出やがったぞッッ!」
「くそ、くそッッ――ふざけんなッ、城出たって話だったろ!!」
「落ち着け、落ち着くんだッッ!!」
既に各所から怒声が上がり、それを必死に収めようとする者達の声が入り混じる。
混乱はひしめくように感染する。
まるで水面に巨大な岩でも投げ込んだかのように、その波紋は一気に広がりを見せた。
悠然と門から現れて、戦域に歩いてくるハルバ、ハマ、レイモアの三者の姿に、高揚していた士気は転がり落ちるように下降していく。
大きくなるばかりの騒ぎを見て、シズルは眉をぐっと寄せた。
(まずい、このタイミングでこれはいけない。どうにかせねば、どうにかせねば……私がどうにかしないと)
動揺する心を宥める。崩れそうな表情を引き締める。どうにか心を落ち着かせ、シズルは無くしていた力を四肢へと込めてゆく。
体は動く、武器は握れる。しかし、幾ら考えても名案なんてすぐに思いついてはくれない。
だが、それでもシズルは俯きそうになっていた顔をグッと上げ、武器を力いっぱい握って、近くにいた部下達へと吊り上げた眼差しを向けた。
「――ッ、先ず統制を取り戻すんだ! 前衛を一旦引かせろッ、鉄仮面がどうしたというのだ!
相手の援軍など所詮は三人、戦況は未だこちらが優勢だ。落ち着いて隊列を立て直せ!」
「りょ、了解ですッ」
少しでも良いから混乱を収めなければ――そんなシズルの真剣な声に感化されたのか、声を掛けられた部下の一人は、即座に動こうと走り出した。
――瞬間。
「おい誰か! すぐに――――ッッッ!?」
ゴシャッ! と硬い壷でも叩き割ったかのようなと共に、走り出そうとした部下の頭が唐突に弾け飛ぶ。
「……ぁ」
目の前で部下の頭が消失したの間近にし、シズルは小さな声を洩らした。
ゴボリと転がった死体の首元からはとめどなく赤が溢れ、近くの地面には“砂色の剛矢”が深く突き刺さっている。
(これは……)
覚えのあるソレを見て、シズルは飛来の角度を大よそに予測し、恐る恐ると視線を手繰らせた。
――居た。
城壁上、そこには巨大な戦弓を構えた戦士の姿があった。
上に一人、下に三人。
赤錆四人が、間違いなくここに全員揃っている。
(くそ……)
また身体から力が抜けそうになったが、シズルは折れずに自分自身を鼓舞して堪える。
たった四人だ、四人ぽっちだ――いつもみたいに、ファシオンが蠢いているわけではない。
優勢だった戦況で、相手の数は減らしている。多少の犠牲はでるやもしれないが、大勢で押せばまだどうにかなる――
折れそうになる心を懸命に支え、膝をついてしまいそうになる足を手で押さえた。
大丈夫、大丈夫、大丈夫……。
繰り返し繰り返し、それを刷り込んでいく――だが、やはり所詮それは希望的観測に過ぎず、戦域に入った赤錆達は、シズルを嘲笑うかのように残酷に動き始めてしまった。
シズルから離れた場所で、ハルバが楽しそうに笑いながら斧槍を振るう。
【ふははッ、随分と手を抜いていた鬱憤が堪っている。今こそ存分に晴らさせて貰おうかッ!】
轟、とそれが一薙ぎされただけで……ただそれだけで周囲にいた六名程が肉塊と化した。
ただ薙がれるだけで呆気なく人が死に、嵐のように斧が回るたびに、範囲にいる全てが死んだ。
そこに残されれているのは血み泥。使い手を失った武器でさえ、強烈な踏み込みで砕かれた。
「どうしろってんだ、こんな奴ッ!」
「止めろ止めろ! 一人でもいいから殺せ!」
「いや、下がったほうが、下がったほうがいいって!」
ハルバの進軍に、一気に前衛の列が崩れさってゆく。
歯向かわなければ、そう思ってはいても、一瞬で肉塊になる一撃を間近にした者達は、我知らずと足を引き、戦場のラインを下げてしまっていた。
と、それを見てか、大槌を振り上げたハマが人群れる中に躊躇いなく突貫する。
【弱者は弱者らしく沈黙したまま潰れろッ!】
轟音。
ハマの大槌が地面を砕き、人を潰す。
爆発するように吹き飛んだ硬い地面――撒き散らされた土の散弾が飛び交い、付近にいた人間の頭部や身体に直撃する。
「――っ、ぐぐ」
亜人男の一人が小さく呻き、その動きが痛みで鈍る。致命傷ではないが、頭部に当たっていつのまにか足が止まっていた。
「くそ、畜生…………嗚呼」
俯いていた足元に影が落ち、それに促されたように顔を上げて男は、視界に映ったソレを見て、小さく嘆きを零す。
見えたのは大槌、映ったのはそれを振り下ろさんとしているハマの姿だった。
【死ね――】
圧殺。地面が震えた。
鉄槌の一撃によって、男は悲鳴すら上げるまもなく、大地を汚す染みへと変わって果てた。
土弾では死にはしない……が、やはり逃げることすら満足に出来なくなった者達の運命は、槌の錆となるしか残っていなかった。
その少し近くで、楽しそうに、嬉しそうに、きゃらきゃらと嗤う女の姿があった。
【嗚呼、赤、鮮血の赤ッ、綺麗だわ、もっと欲しいわ!
吐き出しなさいな血袋達、私にちょうだい、優しく殺してあげるから、痛む間もなく殺してあげるから、もっと血の雨をッ!】
レイモアが人波の中で踊る。大剣で巻き上げるように届く相手を断殺し、中空へと血飛沫を跳ね上げる。
狂ったように血を舞わせ、赤錆の鎧をさらに真紅へ染めている。
赤錆の大剣が踊るたびに、それは大きくなっていく。
断、と武器ごと首が飛び。
断、と鎧ごと身体が割れる。
雨の降っていないはずの曇り空の下、レイモアの周りだけは、紅い紅い血の雨が降り続けていた。
「退け、一旦退けッ!」
明らかにまずい戦況を見て、一人の騎士が必死になって周囲へと指示を送った。だが、それも残念ながら長くは続かない。
ゴガッ!
頭蓋を砕く音が弾ける。飛来した剛矢が、騎士の頭部を吹き飛ばし、その言葉を遮った。
それを撃ったのは城壁の上で戦弓を構えたアロ。彼の現在の狙いは、混乱の場を収めようとする者達の頭だった。
矢弾が放たれ弦が鳴り、人の頭を貫く、貫く、貫く。
何か音が聞えるたびに、ザクロが弾けて身体が倒れる。
黙れ、喋るな、沈黙しろ。
アロの放った凶弾は、ただ黙々と、射手と同じように、喋れぬ骸を無情に増やしていった。
戦場は、既に戦う場所ではなくなっている。
【殺せッ、殺せッ、進軍しろ!】
ハルバが斧槍を振り上げファシオンへと命じる。
【潰せ、すり潰せッ、一人も逃すな!】
ハマが獲物を逃すまいと兵を囲ませるように動かした。
【降らせて、もっと降らせてッ、綺麗な雨を!】
レイモアは、ただ狂り狂りと、骸の観客に舞闘を見せた。
【…………】
アロは己が言葉を噤む代わりに、逃げ惑う獲物の悲鳴を、淡々と作る。
たった四人の赤錆が、ソコをただ暴力を押し付ける場にしてしまっていた。
だが、それでも総員は必死に足掻きを見せている。
「近寄るなッ、遠距離から撃て! 多少の犠牲は構わない、中級の広範囲で足止めしろッ」
後方の魔法使いが、飛び交うアロの矢弾を恐れながらも、指示を放つ。周囲の者も恐怖を押し殺し、赤錆達を中心に魔弾を降らせようと、魔名を唱えている。
中列に位置する射手も同様で、一斉に赤錆達を狙って、弦を引いて矢弾を撃った。
幾つかの炎弾が煌々(こうこう)と火の粉を散らし、矢の雨が赤錆が戦う場所へと向かう。
【甘い、甘すぎるッ! その程度で我等に届くモノかッ!】
ハルバが嘲笑し、武器の切っ先で近くにあった死体を突き刺して、全力で空へと投げ飛ばす。
他の赤錆も似たように死体や味方を空へと投げて、飛んでくる炎弾を落ちる前に炸裂させている。
花火のように、曇り空に赤が咲いて、炎は目的まで届かない。
矢弾は何本もすり抜けているが、それは武器の一薙ぎで払われ、硬い鎧で阻まれ押し返され、なんの効果も生まなかった。
振るわれる暴力は強烈で、それを止められるような者はこの場にいない。必死になって反抗するが、大勢は、ただソレを受け止めるしか術がなかった。
行われる殺戮を茶色の瞳に映しこみ、シズルはワナワナと剣を握って震えていた。
「こんなことが……あって堪るか……っ」
思わずそんな言葉が口から漏れる。
あんなにも優勢だったのに、あんなにもいい流れだったのに、たった四人に押し返されて、人がゴミのように死んでいく。
背中を押してくれた者達が、進む勇気をくれた者達が、まるで埃を払うような気軽さで、物言わぬ骸に変わっていく。
「――許されない。こんなことは決して許される筈がないだろうッ!」
戦場は、命を懸ける場所だと知っている。相手だってその命を懸けているのも分かっている。
それでも、それでもシズルはそう叫ばずに居られなかった。
――撤退。敗走。
脳裏にそんな言葉が流れた。
でも、それを選びたくない。それを言葉にしたくない。
そんなワガママな本心が泣いていた。
今ココで撤退してしまえば、もう好機がなくなる。今ココで負けてしまえば、もう届かなくなる。
そんな脅迫観念に縛られて、口元が動いてくれなかった。
動きを止めている間にも人が死ぬ。目の前で人が無残に死んでいく。
それを見て、シズルはガツッ、と頭を殴られたかのような感覚に襲われた。
(私がここで止まっていては……本当に全滅してしまう。手が届かなくなっても、支えてくれた者くらいはせめて逃してやらなければ……)
どうしても捨て難い目的があって、諦めきれない想いがあった。でも、シズルはそれを押し殺し、恐怖も涙も固めて押しやって、動かなかった口に力を込めた。
ブチ、と噛み締めすぎたせいで、口内に鉄の味が広がったが、それを黙って飲み込んで、シズルは城壁の上を睨みながらも、咆哮を上げる。
「後列ッ、中列ッ、絶え間なく放て! 痛打は与えられなくてもいいから、動きを止めろ!
た――、退却だ、すぐに退却するぞ!」
叫ぶ。
死んでも良いからこのまま戦い続けたい、そんな本心を抑えつけて。
視界は城壁の上のアロに固定しながら、シズルは叫び続ける。
アロがソレを確認して、剛矢でシズルを狙い始めたが――撃ったことが把握できるこの状況でならば、シズルはその凶弾から逃れることができた。
「撃て撃てッ! 前衛はすぐに退けぇッ!」
立ち込める血臭を吸い込みながらも声を飛ばす。
剛矢がまた飛んで来たが、即座に移動を始めてそれから逃れる。
避けながら叫んで、そしてまた避けて。
近くに寄ってくるファシオンを左手で払って指示を。
指示を、指示を……指示を……
忙しなく視線を彷徨わせ、シズルは右へ左へと駆けながらも考える。
(兵が、一人……また矢が来る……この先には斧槍がいる。ああ、指示を出さないと、逃さないと)
しかし、ココに来て、シズルの経験不足が仇となった。
グチャグチャと雪崩をうって頭に入り込む情報。ソレを処理をしきれず、脳内に混乱が埋めつくし、更なる混乱を呼ぶ。
一定間隔おきに自身を狙う、正確無比な矢弾を避けるのも、徐々にキツクなり始め――呼吸は荒くなって足元が覚束なくなり始める。
(逃さないと……逃してやらないと……指揮をとってやらないと…………嗚呼)
ふいに零れた、絶望が。
視界を巡らせて、シズルは南方面を見てしまった。
確認してしまった――その外壁付近でもうもうと上がる黒煙を。
シズルの瞳が光りを失い始め、濁りだす。泥酔した時のように、グラグラと揺れる思考で、それを見ながら考えた。
あの黒煙の量は、間違いなく戦闘が行われている証拠。
誰と誰が?
決まっている――着いてしまったんだ、敵の増援が。
恐らく戦っているのはサバラ達、敵の数は分からないが……きっと、考えるまでもなく……報告通りなのだろう。
絶望だった。
気がつくとシズルは膝を大地に付いてしまっていた。
シズルが口を噤んだせいか、先ほどまで飛んできていた剛矢も、他で指示を出している者へと撃ちこまれ始めていた。
でも、そんなことはもうシズルの頭の中から消えてしまっている。
全て埋まっていた。
シズルの頭の中にあるのは『もう、逃げることもできない』――この言葉だけだった。
シズルは、ビキビキと、硬質な音を聞いた気がした。
固めて固めて、硬度を上げて、
硬くなりすぎたシズルの想いや目的は……撓ることすらできない彼女の芯は、その硬さが災いして、ソレを受け止めきれずに……圧し折れた。
膝をついて動けない。空を見上げたままで立ち上がれない。
(私の……私のせいだ。あの時サバラの言うことを聞いておけば、私の判断が正しくなかったからこうなった……全部、全部私のせいだ、私が不甲斐ないばかりに)
崩れ去った硬さは、抑えていたものを溢れ出させる。茶色の双眸から涙が滲み、ホロリとそれが零れ落ちた。
もう無理だ――そう悟った。
もう無理なんだ――そう観念した。
ふらふらと立ち上がったシズルは、静かに武器を握り締める。
責任――指揮を取る者が責任を……
たどたどしい足取りで、歩き出して、喧騒を外に追いやって、シズルは少しずつ足を速めた。
――せめて、せめて、少しでも付いて来てくれた者達を逃がしてやろう。
――自分の価値もない命を持って、撤退の助力をしてやろう。
シズルの瞳は、離れた場所で暴れている斧槍へと据えられている。
早めた足が駆けだした。握った武器を差し向けた。視界が滲んだ涙でぼやけていたが、シズルはそれを拭わず、
「私がッ、私が一人でも討ち取ればああああッッ――!」
咆声を上げて特攻した。
邪魔だ邪魔だ――とシズルは剣を振るって直線上にいるファシオンを薙ぐ。
「退けッ、退けッ――退けえええええ!」
ただソコ向かうために力任せで武器を振るって、走る。
剣筋も粗い。視野狭窄に陥っているのか、一撃で仕留めきれていない。
避け損なって頬に傷が入って赤い筋が出来る。槍の穂先を屈んで潜ろうとして、イシュに『似合っている』と褒められたこともある……彼女の少しだけ自慢の三つ編みは、その半ばから切れ飛んだ。
千切れた茶髪がハラリと舞う。纏めていた髪が風に靡いて揺れた。
お構いなしに――傷ができても、肩付近を裂かれても、シズルはお構いなしに、左手のエントを操り突っ込んでいく。
命を懸けるんだ。責任を取るんだ。
少しでも逃がさないと、命を懸けてでも、それぐらいはしてやらないと。
埋めつくすのはそんな想い。折れた彼女を動かしているのは、そんな想い。
だが、シズルの必死を覚悟した、身を懸けた特攻は――
――ドスッ!
赤錆にすら届くことなく、視野外から放たれた矢弾によって、あっさりと止められた……
「――っ――!」
激痛で上がったシズルの悲鳴が、小さく泣いた。
痛みでそのまま走ることもできずに、彼女の体が投げ出されるように地に倒れた。
戦場の真っ只中で倒れ付し、白い頬に土が付いて、投げ出されたシズルは……
「……っ、くそ……っ……」
倒れはしたが、まだ、生きていた。
貫いたのは彼女の右フトモモ。飛んで来たのは一本の金属矢。
運が悪い――シズルはそう思って歯噛みする。
腰元から垂れている鎖布は矢避けも果たす筈なのに、それを潜って突き刺さった。おそらく走ったことで後方に靡いたせいだろう。揺れる鎖布を掻い潜って、走る人間の足を狙うなんて、赤錆でもなければ不可能だ。きっと誰を狙ったものでもないのだろう。
運が悪い――そう思ってまた泣きたくなった。
「隊長ッ」
「し、シズルさん!」
倒れたシズルを見かねた数名が、彼女の元へと近づいて、付近のファシオンを相手を始めたが、シズルはそれに礼を述べる余裕すら失っていた。
(こんな、死ぬことすら満足に出来ないのか……私は……)
ジワジワと赤い鮮血が染み出している足を見ながら、シズルは片手を大地に押し付け身を上げる。
こんなことぐらいで、ともう一度走り出そうと肩膝をついた。
そして……
走るのに邪魔だから――そんな理由で、自身の足を貫いていた矢を切断しようと手に取った。
――その時。
一つの違和感に気が付いた。
オカシイ――掴んで分かった。少し動かしてみて理解した。
口を必死に噤んで力任せに引き抜いて、ソレを見て確信した。
この金属矢の先には……
(カエシが付いていない)
手に取った金属の矢を、シズルは呆然と眺める。殺傷力が落ちるのに、カエシを付けていない矢なんて、誰が使うんだ。
走らなければならないことも忘れ、そんなことを考えた。
だが、そんなシズルの疑問は……すぐに氷解することになった。
ドゴッッッ!!
鳴り響く重音。シズルの少し前方にいたファシオン兵が、強烈な音とともに呆気なく“踏み潰された”。
何が起こったのか分からないままで、シズルとその周辺にいた数名がソチラを見ると、
そこには、なんか巨大な爬虫類と、その背中に乗っている、人の姿が二つ。
シン、と――
一瞬だけ静まり返った戦場の中――その二人は緊張感もへったくれもなく、
「うわーどうしよう……味方、しかも女性を撃つとか、もう謝っても許されないレベルな気がするんだが……」
「アンタがやれって言ったんでしょうが!!」
ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた。
黒のフードを被り、左手には蒼い槍。戦場の最中であるにも関わらず、男――いや、メイは必死な声音で言い募る。
「ばッ、仕方ないだろ! 今から死にますよー的な勢いで突っ込んでるし、撃つしかなかったんだって!
よし、後で謝ろう……二人一緒にッ、なっ」
「えぇ、確かに撃ったのアタシだけど、こういうのは言った本人が責任取るもんじゃない?」
片手の平を縦にして『お願い』と示したメイを見て、外套を羽織った女――リッツは少しだけ上半身を引いて『ないわー』と態度で表し言い返す。
「――ちょ、おまっ、お前だって『それしかないわっ』とか言ってたじゃん、卑怯すぎるだろ!」
話が違うといわんばかりに、右手を振って見せたメイは『同罪だッ』と喚きながらも、蒼槍で、左手側のファシオン兵の頭部を跳ね飛ばす。
リッツもリッツで『はいはいー、いけば良いんでしょ、い・け・ば』と煽りながら、チラリと見た程度で、飛来してきた一本の剛矢を、ボウガンでの矢で軌道を変える。
『ぬおお、樹々ちゃん、右側にちょいやっ、ですよっ』
〈ギャッ〉
樹々が嘶き、軽く蹴っただけで一人の兵士が粉砕され、メイの肩付近でドリーがうにょん、うにょん、と蛇頭を揺らす。
固まるシズルと周囲の部下数名。
余りにも日常風景っぽい感じの会話に、先程まで泣き出しそうな気持ちで一杯だった筈のシズルは、一瞬だけソレを忘れていた。
が、ハッ、とすぐさま現状を思い出して頭を振ると、痛む足を強引に動かし立ち上がり、掴みかからんばかりの様子で、メイの元に近づいた。
「助かったッ、良く来てくれた! 皆を逃さなければならんのだッ! 頼む、私と一緒に赤錆の相手をッ!」
必死。
縋るように泣き叫ぶように、シズルはメイに頼み込む。
――いつも赤錆の相手をしてくれている彼や彼女なら。
――退却のしんがりに慣れている者達と協力すればッ!
そんな想いを練りこめて、シズルは声を少し荒げて言い募る。
が、
「あ、いや、すいません。僕の家に『死にそうな顔している人は連れていっちゃ駄目って』って家訓があるので、それはできませんっ……いやー家訓なので仕方ない」
メイにあっさりと一蹴された。
その口調はいつもの如く、若干胡散臭い感じになっていたが……その声音は、ほんの少しだけ迷惑そうな様子で、口調も僅かに突き放すかのようで、どことなく、複雑そうなものだった。
「いや、そんな狙ったような家訓ある筈――」
堪らず異議を唱えるシズル。
だが、メイはそれを放置し、そのままノソノソと樹々から下りると、
「えっと……わっしょーいっ」
「はあ、待ってくれ、え、ええ、きゃあっ!?」
妙な掛け声を共に、若干遠慮がちにではあるが、シズルを肩に担ぎあげた。
不意をつかれて、らしからぬ悲鳴を洩らしたシズルが『待ってっ、待ってくれ!』と叫ぶも、ガン無視――そのまま取り合って貰えぬまま、樹々の上へとドサっと下ろされた。
訳も分からずべちゃりと荷物の如く積まれたシズルを見て、メイは満足そうに『うむ』と頷くと、空を警戒しながら剛矢の軌道を変えていたリッツへと顔を向ける。
「んじゃ、後は早めにシズルさんに説明して、撤退準備を頼む」
「わかったわ、じゃあそっちこそしっかりやんなさいよっ、ドジ踏んだら爆笑してやるわ」
「うっせ、こっちの台詞だ白フサ」
互いの健闘を祈るように――メイとリッツの手の平が打ち合わされ、小気味良いパチンとした音を響かせた。
『ではっ、白フサさんっも頑張ってくださいっ』
「ふふんっ、任せなさいっ。さあ行くわよッ」
リッツはドリーの言葉に自信満々に返すと、少し離れた戦域へと手に持ったボウガンの矢を差し向けた。
〈ギャッ〉
「おい、待ってくれッ、一体なにがどうなっているのか。ああ、落ちてしまうっ」
即座に樹々が加速し、シズルは反射で落ちないよう鞍に捕まった。
珍しいであろうシズルの焦った声音は――まるで溶けるように戦場へと消えていく。
「さて……」
呆気に取られたシズルの部下数人の視線を気にせずに、メイは前方へと眼差しを向けると、心底嫌そうな声音で呟いた。
「あぁ……遂に危険な鬼ごっこの始まりか。おちょくるのは楽しいけど、命懸かってるとなると、微妙にやる気がでねーな、おい」
『今日はお相手の数も多いですしねっ、むむ、頑張りましょっ』
緊張しているのかそうでもないのか、良く分からない調子で会話を交わす、メイとドリー。
その視線の先では――戦車に跳ね飛ばされたように、人が中へと舞っていて、物凄い速度で迫ってきている。
それが一体なんなのか。
メイとドリーは、悩む必要も考える必要もなく分かっていた。
【はははッ、見つけたぞ、槍使いィィイイイイッッ!!】
「ですよねー」
『むふ、正解、二十点ですっ』
ハルバの怒号を耳にして、メイは即座に周囲の人達へ『すぐに撤退してくれッ』と言い残すと、進路上のファシオン兵を切り伏せながら、脱兎の如く逃げ出した――
◆
【待てッ、待たぬか槍使いッ!】
重戦車の如き勢いで、ハルバがメイを追いかける。
道行く障害物は、敵も味方も吹き飛ばされて、その全てが切り殺されていた。
城の前から――大通り、大通りから脇道へ。連なる建物の間を縫って走る二人。
ガシャガシャとハルバの鎧が延々と鳴り響く。
追走する赤い金属塊は、その重量から考えられぬほど速い。
しかもその速度は、少し前にメイを本気で追い掛け回していた時よりも、明らかに上がっていた。
が、
【くそッ、待てと言っているだろうがッ、毎度毎度逃げおって!】
惜しいというべきか、メイの逃亡速度は現在更にその上をいっている。
蝶子さん付きの重量軽減、そして同じく身体強化。動き易い装備への新調。都市の地理の把握。
それらが合わさったメイの疾走速度は『逃げる』という一点ならば、重たい装備を着込んだハルバを既に越えていた。
【力を増したというのにッ――なぜ追いつけんッ! 奴めまさか普段力を隠して戦っていたのか……いや私相手にそんな余裕があって堪るかッ! 不可思議なッ、槍使いめ何をしたッ】
どんどんと小さくなるメイの背中を見ながら、ハルバは苛立ちを乗せて邪魔な樽を打ち壊し、怒りを洩らして憤慨する。
力を隠して……というその考えは、実の所かなり正解に近い部分を掠めているのだが、ハルバがそれに納得できる訳もない。
【ぐぬぬ……ぬぬッ!】
途方もない苛立ちが溢れる。
ただ逃げられているだけならまだ良いが、ハルバが見失いそうになるたびに、不意に止まっては、ちらっと後ろを振り返って『へいへーい』と腰を落として挑発してくるのだから、尋常じゃなく腹が立つ。
肩に居る砂蛇も、なんだか手を振っているようにすら思えてきている。
――なんと腹立たしいことかッ!
明らかに誘っている。大方、自分を戦域から引き剥がそうとしているのだろう。
そんなことはハルバとて気が付いている。
だが、深追いを禁じられていた王命も解け、城前にはハマ達も残っているのだから、自分一人離れたところでなんの問題もなかった。
有象無象を倒すよりも、あの槍使いを倒したほうが、余程王の為になる。そう考え、ハルバはメイの追走に専念してゆく。
赤錆が駆ける。メイが逃げる。
そして、そんな追いかけっこが五分程続いた頃。
先を行くメイが急に民家を右へと曲がって姿を消した――『見失ってなるものかッ』とハルバも少し遅れて角を右へと曲がった。
のだが、
【ぬッ!?】
ハルバは少し驚きの声を洩らし、突如己の武器を地面に突き刺し、急ブレーキを掛けた。
ガガガッ、と武器の穂先が地面を抉り、ハルバの身体は強引に停止する。
【……ちょこざいなことをッ】
ハルバは忌々しそうに毒づく。
視線が向かっているのは目の前の地面。そしてそこには、人一人が余裕で落ちる穴がポカリと開いていた。
少しだけ危なかった――裏道はかなり狭い。もし勢いに任せて突っ込めば、間抜けにも落ちていただろう。
別に落ちたところで痛手はないが、不愉快には違いない。
気に喰わん。子供だましが。
そう呟きを零して、ハルバは先へと進もうと、穴を飛び越え落とし穴の少し先の地面に着地した。
その途端――ゴボッ! とハルバの足元が呆気なく崩れ去ってしまう。
【――なッ!?】
一個目はフェイント、そう言わんばかりにアース・メイクで上辺だけ隠されていた二個目の穴は、ハルバの重量を支えきれずに崩落した。
急になくなった足場。明らかに勢いで掘りすぎた落とし穴。
不意は完全についている。油断は間違いなく誘っている。
がしかし、やはりハルバの言ったとおり、それは所詮子供だましでしかなかったか……
【――ッ――ッ】
腰元まで穴に落ちかけていたハルバが、声にならない音を仮面の隙間から洩らし、同時に足を跳ね上げる。
赤錆の脚甲を嵌められた強烈な蹴撃は、右、左と順番と穴の壁面を貫き、足を埋め込んでハルバは落下食い止めた。
実は少しだけ焦っていた筈のハルバだったが、それをおくびにも出さず『この程度……』と洩らして、穴から脱するために、片手を地面に乗せて力を込めた。
「アース・メイク」『アース・メイク』
唐突に――通り横合いに建っている民家の屋根上から、魔名を唱える声が響く。
地面がうねうねと動き出し、穴が口を閉じるようにバクリと閉まって、ハルバの腰元付近までをその大地の下へと埋め込んだ。
【…………】
余りにも急なことに反応出来ず、ハルバはすこし呆けたように沈黙し、自由の効く顔を上げる。
と……屋根の縁から覗く、見覚えのあるモノと視線が合った。
それは、フードの隙間から観察するように覗いているメイの黒い目と、どこを見てるか良く分からないドリーの砂蛇の義眼。
メイとドリーの近くには、ハルバの知らない、蒼い蝶がフラフラと飛びまわっている。
視線が合ってから一拍――大地から生えた赤錆を無言で観察していたメイが……白々しい態度で、ハルバに向かって声をかけた。
「おお……斧槍さんっ、こんなところで会うなんて奇遇だなー。今日は何してるんです? ああ、アレだっ! 畑に生えた大根ごっこだっ! いや赤カブかな。いやーそっくりっ、マジで似てる!」
『ふーみゅ、グロウ・フラワーがないのが残念ですね……頑張れば立派に成長されたでしょうにっ』
極めて明るいキャッキャとしたメイの声。間違いなく馬鹿にしているであろうその台詞を聞いて、ハルバの怒りは一瞬で頂点近くまで沸きあがる。
【おのれッ、これは一体なんの真似だッ! 槍使いッ!】
「え、マネ……だから赤カブだろ? いやーそんな怒るなよ、似てるって。すごいなー。
まぁ、落ち着け落ち着け、ほらお土産もあげるから……大きくなーれ、大きくなーれー。
『ペネトレイト・ウォーター』」
メイは怒るハルバを宥めるように馬鹿にして、ドリーの顔を隠すように右手を出すと、相変わらず異様に合わされたタイミングで、水の弾丸を放つ魔名を唱えて見せた。
――ダンッ! と火花の代わりに水飛沫が飛んで、一発の水の弾丸が発射される。
そして、自ら飛び込むように、中空の蒼い蝶が水弾へと向かい――ソレを散弾銃のように拡散させた。
【――っ――っ!】
埋まった下半身と、逃げ場もなく撒き散らされた水弾。
これにはさすがのハルバも、それ相応に焦りを見せ、怒声を放ることも忘れ、弾丸の雨を打ち落すことに集中した。
轟々と回る斧槍が水を散らす。飛び散った水滴がザンザンと地面を濡らした。
当たらない。掠らせもしない。この程度では傷も負わない。
ハルバの埋まっている周囲――ソコは綺麗に円を描いて、地面が乾いている。
その結果に満足したのか、ハルバは『どうだッ』と言わんばかりに屋根の縁へと顔を向けた。
【はは、槍使いめ、この程度で私に通用すると思ったかッ!
小細工ばかりしていないで真面目に戦え…………おい、槍使いッ、槍使いッ!
おのれッ! また逃げおったッッッ!!】
ちょっと得意げに言い放ったハルバの台詞だったが、肝心のメイの姿は既にない。
いや、そもそも水弾を弾いた場面を見てすらいない。
それにはたと気が付いたハルバは、勝手に自分一人が踊っているような不愉快さを感じ、異常なほどの腹立たしさに襲われた。
ギシギシと地中に埋もれていた下半身に力が込められ、鎧が軋みを上げている。
全身から怨嗟の黒紫色の瘴気が、ドロドロと溢れ出ていた。
【――ガ嗚呼嗚呼ッッ!】
轟く怒りの咆哮。同時に火薬で爆発させたかのように、地面が爆散し、ハルバは呆気なく自由の身へと戻る。
だが、その怒りを向けるものは既に居ない。屋根に上がって見渡してみるが、姿は微塵も確認できない。
出て来いッ――そう叫んでみたものの、応えが返ってくる筈もなく、再度上げたハルバの怒りの雄叫びは、曇り空に消えゆくばかりであった。
ハルバの頭の中には、既に反抗勢力のことなど消えていて、メイをどのように引き裂いてやるかで煮えくり返っている。
ハルバは知らない。
――先ずは扱い易い奴から慣らしで……そんな思いから、自分が最初に的に掛けられたことなんて。
【ぐぐ、恐らく槍使いの目的は、私を誘き寄せることに違いない……良いだろう、乗ってやる。見ておれ、くだらぬ小細工など全て吹き飛ばしてくれるッ】
メイを探しにハルバは走る『さあ、どんな罠でもかかって来いッ』そう考えてハルバは警戒を続ける。
が、残念なことに、既に目的の人物は、ハルバをうっちゃり、次の獲物相手に向かっていたのだった――