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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
96/109

迫る流れと歯向かう者達


 

 昇る朝日が届かぬ広い地下の空間に、様々な人種が混じった二百人程の人々が整然と並び立っていた。

 亜人、人、騎士、走破者、はては明らかに一般人と思しき者達の姿まで見える。


 武器や装備は着けられてはいないが、纏う雰囲気は硬く、その表情はさながら戦闘直前の兵士の如き真剣味を帯びているようだ。

 愚痴を零す者は誰一人居らず、小声で話している者すら居ない。

 その全員は何をするでもなく、ただ真っ直ぐに前方へと力強い眼差しを注がせていた。

 

 無数の視線の行く先に立っているのは一人の女――シズルだ。

 彼女は、たじろぐことなく、動揺することなく、全ての視線を堂々とその身に受け、鞘ごと地面に立てた剣の柄に両手を乗せ、静けさを保ち瞑目したまま動きを止めている。


 そんなシズルの出で立ちは、いつもかぶっている外套とは少し違っていた。

 両腕には銀の手甲、左腕の肩当ては右よりは少し装甲が大きく頑強さを感じさせる。

 銀脚甲は膝頭までを守り、砂色のズボンを履いている太腿付近は、腰元から鎖帷子の如き銀鎖が垂れて隠されていた。

 

 胸部と腹部は銀鎧で硬く覆われ、頚動脈を守る為か、首元部分はグルリ襟を立てたような形で守られている。

 脇などの一部は動き易さの為か開いており砂色の布地が見えていた。だが、ファシオン兵に比べると、重装甲であるといって良いだろう。

 やはりシズルが近衛の元隊長であり、一般兵士とは違って砂地など足を取られる場所に出向くことが少なかったであろうことが、その装備を見ると予測出来る。


 女らしい服などではない、硬い防具を身に纏った姿。その立ち姿には違和感など微塵もない。

 シズルにとってはこれが正装。

 守るべきものであるイシュを救い、取り戻すべきである国を解放する――硬く硬く、どこまでも堅牢に、その志を表しているかのような、彼女の大事な装備であった。


(明日……全てが動く。ようやく救える……イシュ様も国も……命を懸けても必ずだ)


 シズルは静かなる決意を胸中で定めてゆく。

 サバラに協力を申し込みにいったあの日から九日――ようやく城への強襲を行う前日となった。

 二週間という決めた期限からすれば若干早いが、サバラとの兼ね合いを含めると、日取り的には明日しかない。

 

 今日までサバラ達は二度ほど動いていたが、流石にそれは早すぎて動けなかった。

 シズルの本心としては、もう少し準備を整える為に、遅らせてもらいたいとも思っていたが、サバラの部下が出立した日取りから考えても――もし実在するのだとしたら――そろそろファシオンの援軍が到着する頃である。

 サバラ的にもこの辺りが限界で、明日を境に一度局地戦を止めて、大人しく静観する腹積もりのようだ。


 ただ、準備万全とは言い難いが……シズルとしても、その位は予測していたし、武器防具、道具と矢弾、そして人員の補給もなどもある程度前倒しに進めていたので、大きな問題と呼べるほどではなかった。

 

 現在――元々居た千余名に加え、シルクリーク市民の中から腕っ節に自信の有る者が参加すると表明してきており、総人員で言うならば千二百名ほどに増えている。

 都市の人口から考えれば、参加の声を上げた者は極めて少ない人数ではあるが、シズルにとっては十分な助け……文句など言えよう筈がない。

 相手の強さを分かっていて尚、自ら申し出てくれた人が居ただけでも、歓喜の感情が湧き上がって止まらないのだから。


 本来なら、零であってもオカシクはない。

 が、やはりメイ達が鉄仮面達から逃れ続けている姿を見せていたり、目に見えて減っているファシオン兵の数は、民衆達に情勢が傾き始めていることを言外に伝えていたのだろう。

 無理だ……からイケルかもしれない。そして、きっとやれるに違いない。

 そういった心持の変化は、シルクリークの都市の水面下で静かに増大していた。

 今回の参加に踏み切った者達も、恐らくそう言った空気を感じ取っての参加だろう。


 勝てそうな戦だから参加する。言葉だけ聞くならば、良い印象は抱かない。しかし、世の中そう簡単に命を懸けられるものばかりでは無い。

 子供が居たり、妻が居たり、恋人が居たり。参加したいと思っていても、踏み切るにはそれなりに切っ掛けが必要である。


 そういった変化を感じられたことも、シズルにとっては喜ばしいことであり、胃の痛みを和らげる一因となっていた。


 とはいえ、なにも準備は武器や人材だけではない。

 情報漏洩にも最新の注意を払っていたし、城内に残っていた最後の密偵から、イシュが捕まっている場所の情報も多少は得られていた。

 場所は地下牢から変わっていない――ファシオンの親衛隊とも呼べる、少し出で立ちの違う兵士が付近を守っているとの話だが、実力的には鉄仮面達に及ぶほどではなく、局地戦でファシオンの大多数と鉄仮面達さえおびき出してしまえば、この数で押せる程度だといえる。


(不可能な筈がない。出来ない筈がない)


 シズルは己に言い聞かせるように繰り返し、静かな息吹きと共にまぶたを上げた。

 視界には部下とも呼べる者達の顔が映っている。各々に緊張はあるが良い面構えだといえる表情だ。

 ここに居るのは一部である二百名程度ではあるが、今頃シルクリーク各所の拠点では、ここと同様に、部隊長格が鼓舞をしていることだろう。


 心臓が喧しいほどに騒いでいる。歓喜なのか緊張なのか、それとも恐怖なのか。

 幾ら言い聞かせても、幾ら繰り返しても、やはり早々簡単にはそれは無くなってくれない。

 しかし、綯い交ぜになった感情は心の波をざわつかせていたが、シズルは面持ちだけは決して変えず、常と同じ硬さを貼り付けていた。


(不安を表に出すのは一人きりになってからやれば良い。歓喜も緊張も救い終わってから出せば良い。

 今は……集まってくれた者達に、背中を押す言葉を掛けるのが私の仕事だ)

 

 静けさとは相反するかのような熱気。それを肌で感じながらもシズルは表情を崩さず、朗々と語りかけるような調子で口を開いた。


「先ず、よくここまで生き残ってくれた。そして此処まで付いてきてくれたことに深甚(しんじん)なる感謝を……」


 頭を下げることこそなかったが、シズルの声にはしっかりと感謝の気持ちが滲んでいる。

 自らの声が届いたのを確認したシズルは、声量を上げることなく、ヒッソリと静か声掛けを続けてゆく。


「明日……例え救出を成功させても、それだけで私達の勝利とはなり得ない。しかし、勝利への道は必ずや広がり、険しく遠かった道程は、なだらかさを取り戻すことだろう。

 ――敵は強い。

 その所為で、志半ばで倒れた者が居て、大事な者を失った者は大勢居る。

 だが、それでも私達はようやく手の届く位置まで辿り着くことが出来た。

 運が良かった? そうだろう。自分達の力だけじゃない? 間違いなくそうだ。

 しかし、この場所に生きて立っていられたのは、決して諦めることなく、折れることなく生き続けてきたからだ」


 放たれた言葉は力強く、部屋の隅々にまで染み渡る。口を閉ざした者達は、視線だけで『応』と返し、面持ちをさらに引き締めた。

 

 シズルの右手が柄から離れ、愛用の両刃の剣を握り締める。

 そして。

 静まり返った空気を押しのけるように、鞘に収められている剣先を、ゆるりと地上へと向け、


「我が名、シズル・レイオードに誓って、ここに立っている者、そして無念にも倒れてしまった、繋いでくれた者達……その全ての強さを保障しよう。

 腕ではない、能力ではない、君達の意思の強さをだッ。自信を持て、想いを固めろ。

 明日こそが、発端であり反撃の狼煙。

 イシュ様でも、私でも、国でも無く、各々の譲れないモノの為に、全力を尽くして掴み取るのだッ」


 シズルは想いを込めた言葉を解き放った。


 ――ッ――ッ!


 音にならない返答が、声に出さない応答が、溢れた想いと共にシズルへと返る。

 言葉にこそ出さないが部屋の温度が……熱気が爆発するように増した。

 叫び出したい激情を抑えて亜人の男が拳を握り締めた。

 咆哮を抑えて、騎士の女が身体を震わせている。

 ココに存在する全ての人々は、一様に己の心の内で静かなる雄叫びを上げていた。


 ――頼りになる。

 シズルは心からそう思い、目の前にいる人々を眺めてゆく。

 少し先には、自分は、もう隊長ではないというのに、付いてきてくれる部下がいて。

 右へと視線をずらせば、報酬などいらないと笑いながら手を貸してくれている亜人がいた。

 グルリと巡らせて見れば、そこには、犯罪者となって一生を追われるかもしれないと言うのに、表立って動いてくれる人々がいた。


 ふっ、と一瞬だけシズルの表情が笑みへと崩れそうになり、それに気がついた彼女は、慌てて手甲を嵌めた右手で口元を隠した。

 駄目だ駄目だ、と首を振り、シズルは顔を強引にいつものモノへと固定する。

 そして、誰にも聞えぬ程度の声量で――掴み取るまで、ソレが叶うまで私は決して笑みなど洩らさない、と小さく呟きを洩らした。


 きっと緩めば油断になる。少しでも安堵してしまえば、失敗するかもしれない。

 完璧にこなさねば、絶対に隙など見せて堪るものか。

 そんな密度の詰まったシズルの想いは、言葉通り隙間が無いほど彼女の心を埋め、遊びなど全く無いほどガチガチに固めていた。

 それが正しいと信じて、それできっと上手くいくと信じて――彼女は、誓約とも呼べそうなソレを守り続ける。


 

 シルクリークの地下で、大勢の意思が渦巻いている……望む未来を掴む為、骸となった同胞に手向ける為に――




 ◆




 砂海原がサラサラと風でウネリ、陽光を反射して気温を上げている。

 季節は冬に近づいていると言うのに、焼け付くような熱さは容赦もなく降り注いでいた。


「ハァ……ハァ……」


 砂から上がる陽炎の中――平たい足を必死になって動かして、一人のモグラが溶けるように揺らめきながら駆けている。

 呼吸は荒い……砂に足を取られているのか、丸い身体は左右にふら付き足取りは危うかった。鼻先はひび割れたように干からび乾いており、かなりの水分が消失していることが一見しただけで分かる。


 形相は必死だ……。

 かみ合わされた口元からは小さな牙が少し覗いていて、疲れ果てているだろうに、その黒々とした瞳は輝きを保ち、真っ直ぐに前方を睨んでいた。

 砂を退けるように足を前へ、少しでも進めるように腕は宙を掻く。

 

 だがしかし、本人は必死になって走っているつもりでも、その速度は遅く緩慢であった。


(どうして……どうしてもっと早く走れないんだよっ)


 真ん丸は己の体を叱咤し、抜け落ちてしまっている体力を恨む。

 足を取ってくる砂に怒りを覚え、そして……自分が兄貴のように早く走れないことに嘆いていた。

 思うように身体が動かない。こんなにも力を込めているのに速度が上がらない。

 でも、真ん丸の体力が尽きるのも当然だ。速度が落ちているのも当たり前だ。

 三級区域を飛び出して、数日間殆ど眠らずに延々と走り続けていれば、そうならない方が異常なのだから。

 

 土の中で涙を呑んだあの後――幸運と言うべきか、ファシオンにも、豹を殺した何者かにも、真ん丸は見つかることはなかった。危うくなったら穴を掘り隠れ、敵の目を掻い潜って逃げ延びて、あの場所からバレることなく抜け出すことが出来ていたからこそ、真ん丸はココに居た。

 

 見つからなかったのなら、焦る必要はないのでは? 

 三級区域から逃げ出す最中――ファシオンが出立しそうな動きを見せていたのを確認していなかったら、今頃そんな甘い考えが湧いたかもしれない。

 でも、見てしまった。知ってしまった。

 剣や防具を積載した荷車を見た。二千頭近いケイメルなどとすれ違った。


 それでどうやったら安心しろというのか。


(急がないと……早くしないと)

 

 恐らく……いや、間違いなく、ファシオンは既に出立している。

 先に出たものの、自分は元々走るのは不得手なのだから、向こうの方が確実に足が速いだろう。

 ――追いつかれるかもしれない。

 背後から見えない魔の手が迫ってきている気がして、どうしても止まれなかった……自分がノロノロと進んでしまった為に、ファシオンが先に到着してしまったら? そう思うと、真ん丸は満足に休むことすら出来なくなっていた。

 不眠不休はいくらなんでも無理だ。

 睡眠だって地中に潜って少しは取っている。倒れたら元も子もないということぐらい理解している。

 でも、寝ようと思っても心を焦がすような焦燥感と、追い立てられるような悪夢ですぐに飛び起きてしまう。

 

 砂色の兵隊に追いかけられる夢、豹の男を殺したナニかの声が響く夢。

 ギリギリで間に合わず、サバラを含めた仲間が死んでしまう夢。

 少し寝ては起きてまた走り、持っていた保存食を齧りながらも足を止めずに大地を蹴る。


 体力も無くなり、精神もガリガリと削られ続け、少し丸い体は、心なしか痩せているようだ。

 気温ですらも敵だった。水分が無くなり頭がふらついて、既に視界がぼやけるようになっていた。

 いつ倒れたってオカシクはなくて、諦めてしまってもオカシクはない状況。


「――っ!」


 急に砂に片足が埋まり、身体が傾き、思わず小さな悲鳴を上げた――が、真ん丸はすぐに片手を付いて倒れこむことを避け、体勢を立て直してまた走り出す。

 倒れそうになったのは、もう何度目だろうか。分からない。多すぎて数えることを止めてしまっていた。

 でも、今までに一度だって、真ん丸は泣くことも無様に転がることもなかった。


(やってやる……きっと兄貴の為にやってやるんだッッ!)


 真ん丸は叫ぶ、乾ききって口は開かなくても、心の中で叫ぶ。

 力ない身体を支えてくれているのは、もう居ない兄貴分の姿。

 脳裏の片隅に、思い出の片隅に、くっきりと刻み込まれている豹の姿。

 

 ――情けない姿を見せたくない。

 真ん丸が見た夢は全て悪夢ばかりではない。楽しい夢だって少しだけ見ていた。

 

 死んだ豹の男が笑っていた夢を見た。真っ直ぐにシルクリークを指して笑っている夢を見た。いつだって、牙を覗かせ不敵に笑っていた。

 ――お前ならやれる、頑張れ真ん丸。

 そう言ってくれている気がして、折れそうな芯を支えてくれている気がして……真ん丸の心には、震えるほどの力が湧いている。

  

 無駄死になんかさせて堪るか、兄貴の頑張りをこんな所で無為にして堪るか。

 そうやって自分を励まし続けて前に進む。

 モグラは決して止まらない。吹きつける砂風なんかには決して負けなどしない。

 

 もう少し、きっとあと一日半程だ。

 既にシルクリークには近い位置まで辿り着いている。苦しくても、もう少し頑張れば、きっと苦労が報われる。

 びゅうびゅうと、顔に吹き付けた砂を片手で拭い、真ん丸は必死に呼吸を繰り返しながらも、俯くことなく空を見た。


 広い青空には白雲が流れている。

 あれは(かしら)

 あれは兄貴。

 と、雲の形を知り合いに見立てて少し笑い、辛さを紛らわせながら走っていると、不意に、シルクリークの方向に、黒いカラスのような鳥が飛んでいくのが映った。


(いいなぁ、空飛べればもっと早く辿りつけるのに)


 地面に潜るしか能が無い。そう思っている真ん丸にとって有翼人種には少し憧れる。

 泥臭くなくて、なんだか綺麗な気がして、ちょっとだけ羨ましい。

 兄貴だったらどう思うだろう、なんて言うのだろうか?

 ……そんなことを考えていたら、脳裏に『つまんねぇこと考えてないで、とっと走れよ真ん丸っ』といった声が聞えてきたような気がした。


(わかった……頑張る)

 

 いつもの問答をするかのように胸中で答え、真ん丸はコクリと頷くように空を見るのを止める。

 力強く前方へと視線を向けると、ぼやけた視界の先で、砂が無くなり始めているのが確認できた。

 あそこまでいけば少しは走り易くなるし、速度も上げられるだろう。

 ペッタンペッタンと、判子を押すように砂地に足跡を残しながら、真ん丸はふらふらと身体を前へと向かわせる。

 

 ――もう少し、あと少し……(かしら)、皆、待ってて……きっとファシオンよりも先に辿り着いてみせるから。




 ◆




 シルクリーク東区域



 民家の屋根の上で足を伸ばして座りながら、空を眺めてみれば、時刻は昼だというのに、不気味な曇天の空模様が俺の視界を占めていて、陽光は遮られている。

 空気は少し湿っていて、雨の匂いがしている気がした。


 今日の都市はやたらと静かで、商人の喧騒さえもなりを潜めたかのように、チラホラとしか聞えない。


 なんか……天気悪いと印象暗いし、縁起悪く感じるな。


 呆然と空に顔を向けたままで、そんなことを考える。なんというか、曇り空自体は嫌いではないのだが、“今日”のことを考えれば、カラっとした晴天を望むのが人情だ。

 そう、今日は俺の……ではないが、シズルさんを筆頭とした人達の、ある意味で決戦の日。

 国を取り戻すまでは至らないが、局地戦に合わせての強襲で、イ……何とかさんと言う王族の人を救出するという大事な日である。


 出来れば上手くいって欲しい。

 シズルさんとは一度しか会ってないし、俺としてはそこまで思い入れのある人ではない。でも、その人の救出に成功すればサバラだって喜ぶだろうし、知り合いになった亜人の人達だって喜ぶ。

 少なくとも、ここ一ヶ月と半分程を過ごした人達なのだから、俺としても嬉しい限りだ。

 

 それに、シルクリークの問題解決の助けには絶対になるから、俺の目的ともある意味合致している。


 本来の目的は、シャイドとクロムウェルの所在を掴み、色々情報を得る……もしくはシャイドをどうにかやっつける……的なモノなのだが、どうにもアイツラ一向に姿を現さない。

 いやそれ所か、サバラにもなんとなしに聞いてみたのだが、城内にすらいないっぽい。

 はっきりいって残念としか言いようがない結果ではあるが、全く手がかりが無いわけでもないので、まあ、良しとしている。

 

 手がかり……そう、ゴラッソやラッセルの存在だ。

 普通に考えて、アイツラはほぼ間違いなくシャイドに繋がっている……筈。

 なので、今の俺の大まかな目的は『シルクリークの問題を解決していく最中に、アイツラをひっとらえて、シャイドの居場所を吐かせるなり、何かしらの情報を絞り出す』といったものになっている。


 この目的に、今回シズルさんが上手いことやってくれれば近づけるのだ。

 例えゴラッソやラッセルが国に捕まってしまったとしても、国さえ安定させてしまえば、正体晒して話をつけて、ラッセル達に会わせてもらえば良い。

 協力するとは明言してないが、今までだってそれなりに働いているのだし、その辺りを使えば、シズルさんと交渉することも出来る。


 あの人……融通は効か無さそうだけど、働きに見合った対応はしてくれそうな人だしな……


 なんとなく印象としては間違っていない気がする。一応、最終兵器としてはグランウッドやクレスタリアに仲立ちを頼むか、獄級走破者としてのなんやかんやを使えば押し通せる気もする。

 俺の根本的な目的は正直言って自分の為だが、ソレはこの世界の人達にとっても、それなり……いやかなり重要な要素になってくるものだし、無下にはされないだろう。

 

 国とか世界がヤバイとか、事が大きすぎて真面目に考えたら、絶対にいっぱいいっぱいになる。

 身の丈……というか、自分の為に動いてたら全部解決しちゃったぜ、くらいの気楽さでいった方が、きっと俺には丁度良い。


 手に入れた情報を伝えても良さそうなもの判断し、走破者斡旋所とかにばら撒いていけば、国も動いてくれるだろう。

 まあ、主の止めに関しては……もし予測が本当だった場合は普通の手段じゃ如何しようもないのだが……


 と、俺は一人そんなことを考えながらも空を眺め、戦闘開始時刻までの空白とも呼べる時間を潰していった。


 

 それから十分程経った頃だろうか、俺と同じく座って考え事をしていたサバラが、ある程度纏まったのか、横合いすっと現れ声を掛けてきた。


「兄さん、まだ時間があるけど、ちょっと動きの確認しておこうか」

「ん?……おうサバラ、確かに今日は少しいつもと違うし、念を入れておいたほうが良いな」

『お話し合いですか? 私も頑張りますよっ』


 うむ……いつもみたいに頑張って頷いててくれ。話を理解してなかったとしても、聞く姿勢を持つのは素晴らしいと思います。

 やる気を漲らせ、首元でウネウネしているドリーに苦笑しながら、俺は伸ばしていた足を胡坐に変えてサバラと向き合った。

 近くには樹々の姿もあるが、立たせると目立つから、現在は伏せの状態で待機させている――俺達が座りこんでいるのも同じ理由だ。


 『さて』と呟いたサバラは、おもむろに手甲に付いた鉤爪の先で、屋根に積もった砂に簡易の地図を書いて口を開く。


「今回の戦域は東区域――オイラ達は真ん中で、すぐ下にハイクと白い姉さん。上には赤い姉さんとリキヤマさん。

 ただ、今日は結構位置的には近いから、余り上下に逃げると合流しちゃう恐れがあるね」


 とそこまで言ったサバラは、シルクリークの都市全土を現す円の東側に、爪先で三つの印をつけてゆく。

 丸い時計の円盤で例えるならば、俺が三時の部分、リッツ達は三と四の間、リーン達は二と三の間といった位置関係。

 そして円の中心には、シルクリークの城がある。俺達がいつも過ごしている拠点は南側、サバラ達の拠点もその付近だ。


「で、サバラ……シズルさん達はこの辺りで戦闘するんだよな?」

「そうそう、南は城門あるし……終わった後も隠し拠点が多いから、逃げ易いしね。シズルの姉さん的にも、その辺りを考えての決定だと思うよ」


 俺が指差している場所は、円の中心から少し南――今回シズル達は、俺達が戦っている場所から見て、南西側から城を攻めるということらしい。

 鉄仮面を引き寄せる……と言った俺達の目的に合わせるのならば、本来であれば正反対である西側から攻めた方がいいのだが、サバラもいった通り城を攻めるなら南側付近が、一番都合が良い。


 ならば俺達が北にいけばとなるのだが、それは少し事情があって厳しい。

 というのも、今回俺達は、少々長い時間、鉄仮面とファシオンを引き付けておくつもりでいたので、体力的にも魔力的にも、余り拠点から離れすぎた位置で戦いたくなかったのだ。


 なぜ長時間引き付け役をするのか……といった理由は『勿論シズルさん達の成功率を上げてやる為』つまりある意味で、自分達の為である。


 この間、協力要請自体は断ったが、自分達に出来る範囲での助力くらいはするつもりだ。サバラもそれに関してあっさりと了承しているのだから、同じ気持ちなのだろう。

 ただ『協力する』とシズルに公言するつもりは、やはり俺には無いし、サバラにも無い筈。

 

 なぜならば、協力関係を結んで事になると、どうしても退却が自由に出来なくなったり、危険性が増す区域へと行かなきゃならなかったり、いろいろと責任やらが掛かってきて、動き難くなってしまう。


 後は、ファシオンの謎補給のことも気になるし、今回の事が絶対に上手くいく……とは、断言出来ない気持ちもあった。

 出来れば上手くいって欲しいと思う気持ちと、何かあるかもしれないから、危険は避けたいという気持ち。

 色々と折り合いをつけた結果が『多少協力はするが手を結ばない』といったものだった。


 なんというか、こういうのは本当に難しい問題だ……。

 と、そのまま思考が別の方向に流れていきそうになったが、俺はそれを寸前で抑え、ちょっと気になっていたことを、サバラへと聞いた。


「なあ、そういやシズルさん達が動くのは、鉄仮面が出てきて少し後だろ? それって誰か伝えに走るか、それともまたライトで連絡すんの?」

「ああ、その辺りは心配しなくてもいいよ。シズルの姉さん達は、自分達の密偵から相手の動向伺うって話だし、コッチはいつも通り暴れてればそれで、って感じだね」

「そっか、なら良いけど」


 どうやって連絡を取るのか定かじゃないが、既に手段が決まっているなら俺が心配することじゃない。


 そのまま似たような応答を五分程続け、今回の動きに必要な分を詰め終わらせる。

 サバラはまだ何か考えることがあるのか、相変わらず鉤爪で地面にガリガリと何かを書いていた。

 恐らく拠点までのルート確認でもしているのだろうか。


 と、そんなサバラを見ている内に、確認しておこうと思っていたことがあったのを、不意に思い出した。

 今日の動きに関係することでもあるし、俺は最後の確認とばかりにサバラ問いかけを投げる。


「もしさ……シズルさん達が失敗したら、行けそうだったら救援に入るのか?」


 ピタリ、とサバラの手の動きが停止したが、それはほんの一瞬のことだった。

 サバラは特に悩んでいる様子はなく、視線は変わらず地面に落ちている。そして、ほんの一拍の時間が流れた後、サバラは口を開いた。


「いや、今の状況じゃオイラは助けに入る気はないよ」


 淡々とした声音。嘘をついている訳でもなく、ただ事実を述べただけの言葉。

 それを聞いて、俺は胡坐の上に肘を置き頬杖を付いた。篭手を嵌めたままだったこともあり、頬には金属の冷たい温度が伝わってきている。

 そして、微妙な顔つきをしたままではあるが、俺は静かな空気の中、納得するように頷いた。


「だよな……まあそうだろうな」


 分かってはいたが、やはりサバラの答えは否であった。俺としても、今の所は同意見だし、特に異論はない。

 今の状況では……サバラの言葉は実に的確なものだ。

 シズルを筆頭とした本隊の戦力――ソレは、サバラにとっても俺にとっても、既に危険を冒して助けるほど、必要な存在ではなくなってしまっている。

 

 サバラがシズルさんを苦手……とか個人の感情とかじゃなく、単純に戦力として。

 現状では、ある程度時間をかけて局地戦を仕掛ければ、ファシオンの兵力を削れることが確定している。

 例えサバラの予測通り相手の補給が来たとしても、今まで上限ともいえる人数以上はこなかったとの事だし……その人数回復されても、次は補給源潰して、もう一度数を減らしてしまえば良いだけの話。

 そうやって相手の数が少なくなって補給が出来なくなれば、後は残った人数で鉄仮面達をボコすか、二対一などの状況下で各個撃破すれば終了だ。


 シズルさん達本隊が協力してくれれば、当然プラスには違いないが、それは残念ながら必須ではない。

 だから、今の状況ではシズルさん達が失敗しても無理をしてまで助けない。そして、もし成功したら補給源探して、その後今度はこちらからシズルさん達に協力要請を出せば、危険を避けつつ、美味しいとこ取り出来るといった寸法だ。

 

 なんというか、非常に冷淡な判断ともいえるが、俺にもサバラにも自分の中で定めた、守るべき優先順位があるのだから、こればかりは如何しようもない。

 もしシズルさん達が逆の立場であったならば、きっと同じ判断を下すと思うし、それを自分がやられたとしても、絶対に腹は立たない。

 これは誰かが下についていたり、自分の判断で死ぬ人達がいる立場ならば――人によるが――似たようなことを考えるだろう。


 つまり、それこそ俺達だけでは手に負えない状態にでもならなければ、こちらとしてはシズルさん達を助ける理由が無いと言うことだ。

 必要だったら助ける。どちらでも良いなら、危険度と相談して釣り合わなければ見捨てる。

 

 ……なんだかなぁ。

 何か考えれば考えるほど、自分が随分嫌な奴になっていく気がして、少し憂鬱になった。

 いや、自分が嫌な奴になってドリーやリーン達が助かるのなら、別にそれで構わないのだが。

 ただ、出来ればこの先気持ち良く過ごせる程度には、俺は道を選んで進んで生きたい……とも思うのだから、自分で言うのもなんだが、随分とワガママだ。 

 

 ――その内、グランウッドにいくことがあったら、ブラムさんにでも話聞いてみるかな。隊長とかやってるし、何か大人の経験的なもので答えてくれるかも。


 なんだか考えていると暗くなりそうだったので、今ここに居ないブラムのハードルを上げつつも、俺は思考の流れを打ち切った。


 なにより、もうそろそろ、時間の筈だ……


 気の所為か、少し空気が変わったように感じる。人の熱気やこれからの戦闘に対する殺気が都市に充満しているような……そういった少し刺々しい空気に。

 最終確認をするように俺は自身の装備を改めた……槍の刃こぼれもないし、ジャケットもズボンも相変わらず素晴らしく着心地が良い。

 篭手とブーツにも不備はない。

 首元には相棒がいて、樹々も様子の変化に気が付いたのか、首を起こして俺を見ていた。


 気持ちを落ち着かせる為に呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がる。樹々の側にまで歩み寄って左手に槍を持ってその背に搭乗した。

 樹々の背が高くて上手く登れないサバラをグイ引っ張り上げて、最近ではすっかり慣れてしまった高い視点で都市を見渡してゆく。


 見える範囲ではファシオンの姿は少ない。やはり大分数を削っただけはある。一般市民の姿が余り見えないのは、きっとシズルさんが律儀に戦域の報せを伝えていたからだろう。

 やはりシズルさんは、結構良い人臭がする。というかシズルさんに限らず、この状況で反抗勢力側に残っている時点で、それぞれに意思の強い人達ばかりだと容易に想像がつく。

 

 利益を考えず、個人的な感情で考えるならば、その人達には出来れば死んで貰いたくないものだ。


 さすがにその為に無理をする気が起きるほど、俺はその人達のことを知らないが、いつもと同じように斧槍を引き付けてやれば、それは自然と彼等の生存率を上げることに繋がる。

 助けてやるぜっ、なんて偉そうなことを考えている訳ではないが、俺の動向が影響して、知らぬ内にそういう人達が死なずに済んでいる……と考えれば、ちょこっとだけ良い事をした気分は味わえる。


 きっと、そんな下らない程度の理由でいいのだろう。難しい理由こねようが、何も考えていまいが、結果は一緒だ。

 

 さて、今日も俺に出来る分だけ頑張ろう。

 心なしか軽くなった気持ちで、俺が、少し気合入れの為に槍を上空に向かって『おー』と振り上げると、それに同調して首元でドリーが、頭を『うにょらー』と叫んで上げた。

 ――なんだ、その掛け声。

 一瞬で気が抜けそうになったが、ギリギリの所で持ち直し、俺はドリーとサバラそして樹々に向けての言葉を放った。


「よしっ、今日も張り切って斧槍の野朗をおちょくってやるかっ!」

『おーっ』

〈ぎゃーっ〉

「いや、オイラも結構アレな方だけど、兄さんってたまに本気で楽しんでおちょくってるんじゃ? と思っちゃう時があるよ」


 空に向けて『うおー』とやっている俺達の背中に、サバラの呆れたような一言が飛んでくる。

 なんだと? と、そのセリフに非常に納得がいかなかった俺は、少しだけ声を荒げた。


「サバラ……失礼なことを言うなッ、俺はいつだって本気だッ!!」

「兄さん、本気って、当然本気で楽しんでる訳じゃなく、本気で戦ってるって意味だよね?」


 何を言っているんだ……こやつめ。

 ふっ、と馬鹿にするように――全く見えてないだろうけど――サバラに微笑みを返した俺は、ビシッ、と蒼槍の穂先を前方へと堂々と向けた。


「………………いけ、カゲーヌ、風の如くッ!」

〈ぎゃっ――!〉

「ちょ、兄さん、その長い沈黙はなにっ!?」

『いけ~いけ~、われらが相棒―っ』


 俺の命令に樹々が嘶き遠慮なく駆け出して、サバラが興奮からか、歓喜の声を洩らしている。

 最近夜なべして作ったという、ドリー作のテーマソングを聴きながら、俺達は屋根の上から飛び出した。

 視界の中――上空には白い魔力の明かりが既に撃ち出されている。耳には各所から勝利を望む雄叫びが届いていた。

 

 大河のような止められない流れ、その分岐点となるかもしれない今日という日が、色々な思いを乗せて始まった。




 ◆




 メイ達が各所で戦闘を開始したその頃。一人の亜人はまた別の場所で己の戦闘を開始していた。


「サバラさん達の退路に問題ないか、今のうちから確認を済ませて置いてくださいッ。そのまま拠点に直行出来るかわかりませんし、退却ルートに面する隠し拠点の安全もしっかりと、分かりましたね?」


 緑の指先があちらこちらへと差し向けられ、彼の大きな口は指示を出す為に忙しなく開閉している。

 目が回るような――文字通りその大きな両眼をキョロキョロと回しながら、カメレオンのスルス・リアは、シルクリーク東区域にある、隠し拠点の中で、己の仕事を全うしていた。


 ドタバタと人が入れ替わり立ち代り、拠点の中を走り回っている。先導しているのは亜人ではあるが、目に映る多くの人々はただの一般市民であった。


「スルスさんっ、裏道の残骸は撤去は完了しています」

「おい、こっちは住民の避難がまだ終わってねーぞ」

「ちょ、隠し拠点の鍵が一個無くなっているんですが知りませんか!?」


 弾丸のように報告が飛び交い、ほぼ全てがスルスに殺到している。スルスはガリガリと紙切れに指示を記入して、まるでばら撒くようにそれを受け渡していきながら、大口を上げて指示を出した。


「く、くぇー! とりあえず、残骸を撤去し終わった方々は、住民避難に。人が空いたら即座にファシオンの動向を伺う者と、赤いお姉さん達の退路確保の方へと回ってくださいっ。

 誰です鍵なくしたお馬鹿はっ、二名だけ回してすぐに探しなさいっ! 後でサバラさんに言いつけますからね」


 悲鳴のような叫びを上げながらも、スルスは集る人々を捌いてゆく。いつもニコニコと笑っているスルスであったが、流石にこの時ばかりはそんな余裕もないようで、長い舌をシュルシュルと出しながら、鬼気迫る様子で仕事を続けていた。

 まるで蜂の巣にデンプシーロールでも叩き込んだかのような騒がしさである。


 メイやサバラ達が花形だとすれば、スルス達は黒子。

 撤退ルートの確保から、住民の避難から、拠点の確保から、残骸撤去まで――それこそ誰もやりたくないような面倒な仕事を一手に引き受け、いつだって、前線で戦う者達を支えている。


 右往左往している者の中には、いつもは店で売り子をやっているものが居て、普段は宿屋の主人をしているものまで居た。

 

 彼等は戦闘が出来ない。前線に出れば塵芥の如く命を散らしてしまうであろう者達。

 故に、命の危険が少ない此処が彼等の誇りある戦場で、これが彼等の戦闘であった。

 魔弾の代わりに飛ぶのは指示の弾丸。剣戟の代わりに吹き荒れるのは、報告と応答の嵐。


 確かに前線と比べれば危険は少ないだろう。でも、だからこそこうやって住民が協力をしてくれて、総数の少ないサバラ達が戦う者を満足に支えることが出来ている。

 黒子が居なければ花形は戦えない。たとえ戦えたとしても華麗には舞えないだろう。


 一言でいって地味だ。水面下で動き、土台となるこの仕事は、その忙しさとは比較にならない地味な仕事だ。

 目立たなくて薄くって、何か成果があっても、いの一番に称えられるような位置には居ない。

 そんなことはスルスだって、他の者だって百も承知だ。それでも彼等は自らの働きに誇りを持っている。


 動く、動く、止まらずに延々と細かい指示を出し続け、まるで働き蜂の如き忙しなさで、ブンブンと小さなトラブルから、戦局に関わってきそうなモノまで全てを処理してゆく。

 スルスの尻尾がバタバタとせっつくように揺れた。少し焦っているのか、目をパチパチと瞬かせている。

 雰囲気が蔓延するほど態度や言葉にこそ出さなかったが、やがて我慢できなくなったのか、側を走り抜けて行こうとした、自分の部下の一人を引きとめて、少し早口で問いかけた。


「鉄仮面達は城内から出たのですか? 何か連絡は?」

「へえ、少し前に密偵伝いに城内を出たとの報告が上がっちゃいやすが、どうも姿を見たわけではなく話を聞いただけのようで、まだ確定情報じゃねーみてぇです」


 狼のような様相の亜人の報告を聞いて、スルスは少し訝しげに目を半ばまで閉じた。


「……ん、初めてのことですね……余り警戒しすぎもどうかとは思いますが、姿をどうにか確認するように伝えてください」


「了解、ただ……一応伝えやすが、余り期待はしねーでください。どうにも今日は城内に“寸胴”達が出歩いてるらしくって、迂闊には動けねーって話なんで。余り無茶させると捕まっちまう」


「わかりました。ある程度自分の身の安全を保障できる程度で構いません。ただ、出来ることなら急いでお願いしますね」


 スルスの指示を受けて、狼が身軽な足取りでその場を去る。その姿を見送り、止まらぬ報告を受け取りながらも、スルスは少し考えを巡らせていた。

 様子が少しオカシイ――普段なら姿をしっかりと確認できる鉄仮面達の挙動も、城内の牢屋近辺や、王の周りを徘徊しているファシオンの近衛、その重装甲から通称“寸胴”と呼ばれている兵士の挙動も、いつもとは少し動きが違う。

 

 いや、そこまで気にする程の変化ではないし、少なくとも鉄仮面達は城外へと出たという報告は上がった。余り猜疑の目を向けすぎて、勝手にこちらが混乱するのも間抜けな話だ。

 とはいえ、疑いをまるで持たずにいるのも足元を掬われそうだとも思える。


(ここは情報待ちでしょうか……サバラさん達の場所に鉄仮面達が現れれば、こちらに報告も来るでしょうし……)


 落ち着き無く視線を動かして、スルスは一先ずの判断を下した。住民の避難もそろそろ完了するし、忙しさもどうにか落ち着くはず。

 後は退却の時にもう一回急がしさの山場が来て、全てが終わった後に頭の痛い経理やら、出費計算などの山場が来るくらいだ。


 周囲を伺ってみれば、少しだけ慌しさも収まっていた。細々とした問題ももう少しで終わる。

 それを確認して少しだけ気を抜いたスルスは、一気に圧し掛かってきた精神的な疲労に、盛大な溜息を吐いた。

 緊張はまだ抜けないし、まだまだリラックスできる状況ではない。とはいえ、ほんの少しだけ休憩を取る程度の時間は作れそうだ。


(私はまだ大丈夫ですし……部下や協力者の方々を休ませましょう。先ほどより少し処理速度上げれば十分休息は取っていただけるでしょう)

 

 よしよし、と頷いたスルスは、すぐさま近くにいた部下を呼び出して、問題なさそうな者から順に休ませるように指示を出した。



 そこから十分程の間――スルスは先ほどよりも忙しなく動き回り、延々と働き続けた。時折『クェッ!?』と潰されたカエルような声を洩らしていたが、概ね大丈夫そうだ。

 今のスルスの姿を見れば、いかにメイと言えど『目立たない人だ』という印象を改めるだろうが、残念ながら前線に出ずっぱりのメイが、スルスの雄姿を見ることはずっと無いだろう。


「と、とりあえず……これで本当に一段落……」


 ようやくスルス自身が休める程度に喧騒が納まった。

 燃え尽きたかのように、グタリと疲労で政務机に頭を落としたスルスは、ゼェゼェと荒くなっていた呼吸を整えようと、深く深く息を吸い込んだ。


 ――瞬間。


「スルスの兄貴ッ! 大変だッ、いや、緊急だ、すぐに来てくれ!」


 蹴破るような勢いで部屋のドアが開けられ、部下の一人が鬼のような形相を貼り付け、飛び込んできた。


「――っゲホ、エホっ……な、なんですか!? どうしたんですか一体」


 突然の来訪に驚き、深呼吸の途中だったスルスは、胸部に手を当てむせ返りながらも部下の亜人に言葉を返す。

 すると、亜人の男は詳しく事情を説明する暇すら惜しむかのように、スルスの手を取り引きずるように机から引き剥がした。


「スルスの兄貴、とと、取り合えず来てくれッ! 本当に緊急なんだ」

「分かりました、分かりましたから離してくださいっ。そんなに引っ張られたら、躓いて危ないでしょう!?」


 トットッ、と片足でケンケンするかのような格好のまま、スルスが抗議するが、亜人の男は余程焦っているのか、聞く耳すらも持たずに強引に部屋の外へと向かっていく。

 スルスはその切羽詰った様子に、並々ならぬ状況なのだと悟る。先ほどまで強張らせていた力を抜き、体勢を立て直すと、足取りを速めて部下の案内に導かれるまま足を進めた。


 石壁で囲まれた薄暗い通路に、駆け出さんばかりの速度でたてられた足音が反響する。

 そして、幾人かの人々とすれ違い、二つほどの部屋を抜け、亜人の男の『ここです』との言葉に従い、スルスは訳も分からないまま、目的の部屋と思しき場所へと辿り着いた。

 

(ただ事ではない様子ですが、一体なにが……)


 その場所は拠点の出入り口に近い大部屋――メイ達とサバラは模擬戦を繰り広げたあの場所だった。

 ガチャリと促されるままスルスがドアを開ける。部屋の中には忙しそうにしている人々の姿が……なかった。

 騒がしくはしている。しかしそれは忙しそうに動き回ってという訳ではなく、部屋の中央で人だかりを作ってザワザワとしている、そんな喧騒だった。


 その輪に入っていない人達の視線ですら、そちらに流れてしまっていて、部屋にいるほぼ全て顔が、その場所へと向いてしまっているといっても過言ではない状況だ。


「皆さん、何をしているのですっ。ほらほら、やらねばならないことがある方々は、自分の仕事に戻ってください」


 パンパンと軽く手を叩き、スルスが動きを止めてしまっている者達へと声を掛けると、集っていた人波にいた数名は顔を弾かせたように上げて、己の職務に戻る為に移動し始めた。

 集まっていた人の輪も、ドーナッツの一端を齧ってしまったかの如く、開かれていき、スルスの通り道を開けていく。


「一体なんだというのですか……この騒ぎ……は」


 足早に騒ぎの中心であろうその場所に向かったスルスは、自らの視界に入れた者の姿を見て、思わず息を詰まらせ言葉を切る。

 指先が小刻みに震え、両目は挙動不審に揺らぐ。たった一瞬でスルスの思考は凍てついていた。

 未だ止まった思考のまま、少しだけ覚束ない足取りでスルスは近づいていく……進むごとに思考が回り始め、その場所に辿り着いた頃には混乱と動揺で脳裏が埋め尽くされているようだった。


 そして、少しだけ泣きそうな声音でスルスは言った。


「真ん丸じゃないですか……どうしたんです? こんなにボロボロになってしまって」


 部屋の中、人だかりの中心に居たのは皆から真ん丸と呼ばれる部下の一人だった。外套は着ていない。鼻先は乾いてすこし白んでいる。おそらく既に回復魔法を掛けられた後であろうが、真ん丸の特徴的な平たい足には、魔法では消えない血の跡がこびり付いていた。

 

 生きている――でも、真ん丸は全ての力を使い果たしたかのような、力ない姿で座ることも出来ないのか仰向けに寝ていた。

 口元や手の平の様子、鼻先などを見れば脱水症状であることが見て取れる。スルスは部下の一人が持ってきた水を、少しずつ、ちょっとずつ真ん丸の口に含ませてやった。


 水を飲む際も、口が乾いて張り付いてしまって上手くいかないようで、そこに水を掛けてやらねばならないほどだ。

 余程喉が渇いていたのか、真ん丸は革の水筒を追うように口を開いて水を飲んだ。

 だが、少し飲んである程度口が潤うと、真ん丸は水筒を右手で軽く押しのけて、スルスへと視線を向けて、何度か試すように声を出した後――言葉を紡いだ。


「き……緊急なんだ、急がないと拙いんだ……お願いだから逃げる準備を、敵がいっぱい来るんだ……よ」


 声音は乾ききり、声は耳を寄せねばならぬほど小さい。内容は少し要領を掴めないが、緊急といった言葉と敵と言う言葉、そしていっぱいという言葉を聞いて、スルスは大まかに言いたいこと掴んだ。

 真ん丸の任務は補給地点を探ることだった筈……なれば、きっと敵の援軍がこちらに向かっていると言いたいのだろう――そう判断を下した。


「真ん丸、敵はいつ頃到着しますか? 数は?」


 余り負担にならないように、必要最低限だけの質問をスルスは投げかけた。今までのことから考えても、六千かその辺りか……しかし沢山というのだし、八千くらいはいるかもしれない。

 だが、そんなスルスの考えは、


「多分十万、く、くらいだって兄貴が、い、言ってた。到着……は、ごめんわからな……よ。明後日かもしれないし……明日かも……もしかしたら一時間後かも……」


 真ん丸の言葉で粉みじんに打ち砕かれた。スルスがソレを聞いて大声を出さなかったのは奇跡的だっただろう。反射的に声音を抑えたことで、周囲にいた数名の部下達以外には、その情報が広がることはなかった。

 パニックにならないだけ御の字だと云える。が、自分の足元が一気に崩されていくような、そんな恐怖をスルスは全身で感じてしまっていた……。


 なんだその馬鹿げた数は、一体どこから集めてきたのだろうか。気がつかれることなくそこまで集めるなんて不可能だ。

 信じたくない気持ちが後から後から湧いてくる。

 でも、今もうわ言のように逃げてくれと呟く真ん丸の声に、嘘や偽りは決して感じ取れない。

 

 やはり事実なのだろうか。

 脳裏に描かれた大量のファシオン兵、その嫌な想像にスルスは小さく震えた。

 相方でもある兄貴分の男はどこにいったのだろう……そんな疑問が恐怖を誤魔化すように湧いてきたが、真ん丸の惨状を見れば、聞かずとも分かること。

 結局それは恐怖と、悲しみを助長する糧としかならなかった。


 仮にも同じ釜の飯を食べている家族とも呼べる者だ――詳しく聞きたい気持ちはある。

 でも、今それを聞くことは真ん丸を深く傷つけてしまうのではないか……そう考えるとスルスは、今この場で豹の男のことを聞くことができなかった。


 その辺りの話は後で落ち着いてから聞こうと心に決め、スルスは真ん丸の傍らから立ち上がる。


(何かあっては遅い……数はその通りで、到着までの時間はない……そう考えて動きましょう)


 スルスはすぐさま近くに居た部下を呼びつけ、真ん丸の手当て、休息、そして水分の補給と、何か消化の良い食べ物を、と命じて連れて行かせた。

 せっつくような焦燥感に心を燻されながらも、スルスは無理やりにでも固定して――必死になって思考を巡らせていく。


 十万というのが本当ならば、もう逃げるしか手立ては無い。都市内部に隠れたところで、その数がいては無意味だ。

 家捜しをされてあっという間に虱潰(しらみつぶ)しにされる。例え隠れきったとしても、間違いなく一歩も外に出られないような状態で、地下に閉じ込められてしまう。


 すぐに減らせるような数じゃないし、真正面から戦うなんて持っての他だ。

 逃げる――これはもう確定しても良いだろう。だが『どこに』と聞かれれば『都市の外へと』……としか言いようがなかった。

 しかし、それはどちらにせよ、(かしら)であるサバラの意見も聞かねば決められないことだ。

 最優先で決定する必要はないだろう。他に優先して行わないことはそれこそ山ほどあるのだから。


 と、そこまで考えを纏めたスルスは、少し俯かせていた顔を上げて、周囲に居た数名の部下達に指示を投げた。


「サバラさん達に報せる為に、すぐに人を走らせてくださいッ!! 本隊にも勿論お知らせしたほうが良いでしょう。距離からみて足が一番早い者を本隊側へ、その次に早いものをサバラさん達へと向かわせなさい。

 残った面々は必要な資料や道具、持って逃げねばならないモノを纏めてください。人手が足りないのならば、前線に向かっている部下を引き戻しても構いませんッ!」


 切羽詰った声でスルスが叫ぶ。しかし部下の動きは明らかに鈍く、困惑から立ち直りきっていないことが、表情にアリアリと浮かんでいる。

 空気は鈍重でドロのように濁っている。数を聞いて戦意が喪失するのもある意味で仕方なかった。

 溢れる悲壮感と絶望感は気力を削り、表情から希望の色を落としていく。


 だが――そんな状況下において、ある意味でいつもと様子が違う者が居た。

 スルスである。

 時間が無いというのに、言っても聞かない部下の姿を見て、スルスの瞳が一瞬だけ燃えるように揺れた。

 ――そして、


「おい――とろとろ……とろとろ、赤子かお前等? 足の遅い真ん丸が走ってここまで来てるってのに、お前等は何やってんだ?

 いらねーんってんなら、その足もぎ取っちまうぞ……なんだ? 嫌だってんならとっと走れッッッ!!」


 スルスの雷鳴のような怒声が轟いた。

 普段は温厚で怒鳴ることなど決してない、そんなスルスから放たれたその声は、それを予期していなかった部下の体と、澱んだ空気を容易く撃ちぬいた。


「へ、へい!」

「了解っすッ!?」

「ちょ、マジで今から行く予定でした、本当に、行って来ますぅ!」


 少し引きつった声が次々と返り、部下達が弾けるように動き出す。先ほどとは打って変わって俊敏な動作となった亜人達の姿は、暴風に吹き消える煙の如くあっさりと消えていった。

 シン、と一瞬で静かになった部屋の中――周囲に残っていた者達の伺うような視線が一様にスルスへと向けられている。

 そして、そんな視線の数々に気が付いたスルスは、一度ふぅと息を吐くと、いつもの笑顔を貼り付けて言った。


「さあ、皆さんも動きましょうか、ゆっくりするのも良いですが、今は急がねばならない時ですしね? 終わったらお茶でも飲んで休みましょう、だから今は指示に従ってください」


 パンと手を一度打ったスルスの口調は既に戻っている。雰囲気も和らぎ、人の良さが滲んでいる。しかし、先ほどの怒声を聞いた人々からすれば、その笑顔は悪魔のように思え、その声音は恐ろしい程低く感じていた。


 スルス・リア、裏家業で頭の側近をやっている男である彼が、前代の頭からずっとこの仕事をやっている彼が、ただ優しいだけの男である筈がないことを、知らなかった者達は心に刻み、知っていた者達は改めて心に刻んだ。


 モグラの男がもたらした、緊急の悪報を受けて――黒子達はまた忙しさの山場へと進んで突入していった。

 部屋に佇む、カメレオンの笑顔を背中に受けながら。




 ◆




 シルクリーク東区域 三時方向



 いつも通りファシオンの死体が転がる通りの最中――俺はやはりいつも通り樹々に乗って、目に付いたファシオンの首を落としていた。

 敵の数が思ったよりも少なくて、背後に乗っているサバラの魔力もまだ大分余っている。

 こちらの被害は相手の数のお陰もあって、未だ零……なんと言うか、余裕の状況だった。

 しかし、


「なあサバラ……絶対にオカシイ」

「だよね、流石にオイラでもここまで来るとオカシイと思うよ」

『来ませんねー、お寝坊しているのでしょうか?』


 俺とサバラは状況の不気味さを感じて冷や汗を流し、ドリーが遠くを見るように蛇顔を動かし、チョコンと首を傾げて見せる。

 ドリーが今も見ているのは西側方面、都市の中央部でもある城の方向だ。

 あちらから来るはずの相手がまだ来ない。

 デートの待ち合わせ、なんて楽しいモノではないが、俺達は待ちぼうけされている状態だった。


 異常事態だ……そう、鉄仮面が未だに現れないのだ。

 いつもだったら即座に現れてはこちらを追いかけてくるのに、今日はこれだけ暴れていても姿を見せない。

 はっきりいって不気味でしかない。


「あ、兄さん、左から来てるよ」


 血なまぐさい湿った風に顔を顰めていると、サバラが俺の右方向を指で差しながら、そう言った。

 ようやく鉄仮面が来たのか? と思ったが、視界に映っているのは普通のファシオン兵で、なんだか肩透かしをされた気分になる。

 いや、別に会いたくはないんだけど……さ。


 溜息と共に胸中で零し、俺は特に焦るでもなく樹々へと指示を出した。


〈ギャっ〉


 待ってましたと樹々が吼え、地面を蹴り上げファシオンへと向かう。そして、無残にもと言うべきか、その速度を保ったままでほんの少し飛び上がり……ファシオンの頭部に真正面から右足をぶつけた。

 ヤクザキックさながらの樹々の飛び前蹴り――それを喰らって無事な筈もなく、投げつけられたトマトように、その頭部が砕け散る。

 

 もうちょっと綺麗に倒せないのかお前は……。

 相変わらずの凄惨な亡骸から視線を外し、今度はまた近くにいた兵へと駆け寄った。

 危険が全く無いとは言わないが、やはり数と鉄仮面達が居ないことは大きい。そのお陰で、たいした苦労をすることもなく、最近のシルクリーク名物血溜まり通りが順調に完成していった。

 

 切って、落として、砕いて、潰して――暫くの間、流れ作業の如く淡々と戦闘を行ったが……それでもやはり待ち人は来る様子がなかった。 

 ふと脳裏に去来した不安を、俺は恐る恐るとサバラに告げた。


「サバラ、マジでどうなってんの? 鉄仮面達こないとか、もしかしてこっちの動きバレテる?」


 相手がこちらの動きを知っているのならば、鉄仮面達がこないのも頷ける。そうなると、このまま暴れていても、やつ等はこないし、シズル達は城へと強襲することが出来ないだろう。

 さすがにここまで来ると、俺としてはそうとしか思えなくなってきている。

 が、どうやらサバラの考えは違うらしく『いや……』と洩らし、そのまま言葉を続けた。


「城から出たって報告は聞いたんだよね……姿見てないって話だけど。それにこっちの動きがバレてるってことも無いと思う……もし仮にバレていたとしても、それは今日局地戦を行うって情報で、シズルの姉さん達のことまでは、絶対に分からないよ。

 かなり入念に隠してだろうし、新規に入ってくる戦力だって元々知り合いだった人とか、今までずっと協力してくれてた人らしいよ」


「そっか……じゃあ違うか」


 俺はサバラの言葉に納得し、唸りながらも頷いた。

 どうにも密偵が入っていた、みたいな線は薄そうだ……零ではないだろうけど、知り合いを疑い出したら、じゃあなんで今まで情報漏れてなかったの? となってくるのできりがない。


 じゃあもしかして鉄仮面寝坊説もあながち……いや、さすがにソレはないわ。


 後五分、とか言っている斧槍を想像し、なんだか嫌なものを見た気分になった俺は、近くにいたファシオンの首を八つ当たり気味に刈った。

 幾ら考えても全く答えが出てこない。


 だが『もしかして、なんか理由があってもう今日は来ないのかなー』と若干思い始めた頃――ほんの少しの変化が起きた。


「――かしらああッ!」


 俺達のいる南側――スルス達が居るであろう方向から、一人の亜人の男が、大声で叫びながらも駆け寄ってきた。

 表情は歪み、声には必死さが滲んでいる。きっと何かしら悪い報せが届いたのだ、と俺は妙な確信を抱いた。

 樹々に指示を出し、こちらからも少し向かってやり、走りよってきた亜人の男と合流する。周囲にいたサバラの部下達数名は、俺達の近くまで寄ってきて、近づいてくるファシオンへの牽制を、買って出てくれていた。


 余程急いでいたのか、亜人の男は肩で息をするように荒い。そんな呼吸を強引に整えた男は、汗だくになって湿った体毛にも構わずに、サバラへと口を開いた。


「ぜぇ……ぜぇ……かしらぁ、一大事です」

「ちっとは落ち着けよ……多少ゆっくりでも良いから、間違えないように内容を話してくれ」

「じ、実は――」


 自分自身の言葉を咀嚼するように確かめながらも、亜人の男は訥々と話し出す。

 サバラの部下の一人が帰って来たこと。

 その持って来た情報が途轍もない悪報だったこと。

 敵の数は十万ほどで、いつ来るかも定かじゃないということ。


 聞けば聞くほど頭が痛くなるような内容だった。サバラも同じような気持ちなのか、少しだけ呆然としたかのように、動きを止めている。

 なんと喋って良いのか誰もわからないのか、少しだけ沈黙が流れた。だが、さすがに『緩慢に動いて良い筈が無い』と思ったのか――少しだけ悩んだ素振りを見せた後、サバラが言葉を紡いだ。


「撤退……撤退だ……この都市からすぐに逃げよう。多分スルスもそういう風に動いているよね」


 悟ったような、静かな声音――でも、その奥底に滲んでいる苛立ちや怒りは漏れていて、言葉の端の声量は少しだけ不安定になっていた。

 俺の腰を掴んでいるサバラの小さな手が、悔しさからか微かに震えている。

 しかし、それもすぐに止まった。


 部下の前では喚き散らせず呑み込んで、格好だけをつける。その気持ちは痛いほどわかってしまい、なんとなく言葉を掛けないほうが良い気がして、俺は口を噤んだ。


「とりあえず……シズルの姉さん達には伝えた? 赤い姉さんや白い姉さん達は?」

「足が速い方を本隊に向かわせたので、恐らく既に伝わってます……北東と南東方面にも、もう誰か向かっているはずです」


 サバラの問いかけに、亜人の男が答える。後ろを振り向いて様子を見てみれば、サバラは新たな情報を聞いて判断を修正しているのか、顎に手を当て少し考え込んでいる。

 時間にするとほんの数十秒程度ではあるが、ソレを待っているこっちとしては、えらく長く感じられる待ち時間だ。

 やがて考えが纏まったのか、サバラはおもむろに顔を上げ、トントンと俺の背中を叩くと、スルス達がいるであろう方向を指差した。


「兄さん、一先ずスルス達と合流して、荷物纏めて一旦出よう。シズルの姉さん達ともこの分じゃ合流しないと拙い。今は一人でも人数欲しいし」


 いかにも悔しそうな顔をしているサバラに、俺は少し明るめの口調で返答した。


「だな、ここで無理する必要はないし、良いんじゃないか? 一旦逃げちまえば、まだどうにかなるって、最後に生きてりゃ勝ちだ」


 これは慰めではなかった。俺は心底から、途中でなにが起ころうと最後に目的を達成すれば勝ちだと思っているからだ。

 サバラはそんな俺の言葉を聞いて『まあ兄さんらしくて良いけどね』と少しだけ和らいだ声で答えた。


 でも……止められないほどの流れで動き出している事態は、そんな俺達に更なる悪情報をもたらした。

 ――最初にそれに気が付いたのはドリーだった。


『相棒……あのモクモクってもしかして』


 砂蛇の頭部は西へと向いている。嫌な予感がした。そちらを見ずにそのまま走り出そうかと思ったほどに。

 でも、やはりそんな訳にも行かず、ゆっくりとソチラへと顔を向けた。

 

 おいおい……。

 遠くに映ったのは城近くから立ち上る黒煙だった。ファシオンから吐き出されるアレではなく、明らかに戦闘行為と攻撃魔法が炸裂しているであろう印。

 本隊が……城を攻めている? その事実に気が付いて一瞬だけ思考がフリーズしたが、すぐに再起動して慌ててサバラへと声を掛ける。


「おいサバラ、あの煙ってシズルさん達が城攻めてんだよな?」

「はあ、兄さん何言って……冗談だろッ!?」


 恐らく外套の下では目を剥いているであろうサバラの驚きの声を聞いて、俺は『やっぱりそうだよな』と愚痴を零した。

 どうやら……俺達とシズルさんは、違う結論に至ったと言うことらしい。


 俺とサバラは一先ず逃げよう。

 シズルさんは、この機を逃せば次が無くなると覚悟を決めたと言う事だろう。

 気持ちは分からなくも無い。相手がいつ到着するか分からないのだから、まだ来ていない今なら――ファシオン兵が少なくなっている今だからこそ、救出が出来ると踏んだのだろう。

 相手の数は十万だというし、正直、そこまで悪くない賭けだとも思える。


 ――鉄仮面達が俺達に寄せられ、この場に来ていたらという条件であったなら。

 

 だが現実は違う、鉄仮面達は未だにこの場に現れていない。恐らく城に残っている。

 先ほどと違って、ファシオンの援軍が迫っていると分かった今なら、その理由を少しだけなら予想出来た。

 恐らく鉄仮面達は援軍が来る時間……もしくは日取りを知っていて、その上で城内から出たといった偽報を流した。


 理由は予測でしかないが『俺達を逃さない為に』だと思う。今まで何度と無く鉄仮面達と相対してきたが、俺達はいつだって相手が現れて暫くすれば逃げ出していた。

 それは向こうだって把握していただろう。つまり、赤錆の四人を出さずに置けば、こちらが逃げないことを相手は知っているということだ。


 そこから分かる重要な要素は二つある。

 相手が援軍を使ってこちらを取り囲もうとしていること。そして、今そうやって鉄仮面をださないことから考えて……援軍は既に近くにまで来ていると言うことだ。

 

 形勢は逆転した。それも間違いなく悪いほうに。

 最近の赤錆の余裕も恐らくこれか……時間を稼いで援軍を待っていたって訳だ。アイツラの性格からして、数で俺達をすりつぶすというよりは、逃げられない囲いを作ろうって腹だろう。


 幸運だったのは、それを早めに知ることが出来たことだ。今なら余裕を持って逃げられる。

 ただ……一つだけ厄介な要素が残っていた。

 いけるかな……微妙なんだよな。

 胸中で呟いて、溜息を吐いた俺は、今日一度やった問いかけを再現するように、黙って黒煙を見つめていたサバラへと問いかけた。


「シズルさん達がヤバイけど、余裕のある内に助けに入るのか?」


 サバラは突然の問いかけに一度ピクリと体を震わせて、溜息を吐いた。

 何故また同じ質問を? というのは少し違う。いや、先ほどと今とでは状況が雲泥の差ほどに違っている。

 相手の数は十万余名。

 たとえ俺達が今から逃げ延びたとしても、十万相手にこの人数だと、とてもじゃないが何もできない。

 情報を集めるにも、相手を誘導するにも、何をするにも数が足りなくなる。

 つまり、本隊の千名いるかいないかの人数は、今の俺達には非常に価値のある存在へと代わっていると言うことだ。


 だからこそ、再度の質問だった。

 サバラも恐らくそれを考えていたのか、返答はすぐに投げ返されてくる。


「いける……? 大丈夫そうなら吸収したいよねあの人数」


 微妙に無理っぽいと思っているだろう、尋ねるようなその言葉に俺は即答した。


「わからんっ! 危なくなったらさっさと逃げるけど、ちょっと行ってみても良いかなーといった気分にはなってる」


 そう言った瞬間――俺の背中にゴン、と何かがぶつかった。感触からしてサバラの額っぽい。

 そのまま俺が黒煙のほうをジッと見ていると、少ししてサバラから呆れたような口調が返ってきた。


「なんか……また微妙な回答で」

「まあな、引っ掻き回して、逃すくらいならいけそうな気がするけど……全員は無理だろって感じだ」

「そりゃしょうがないよね。半分……いやせめて三分の一残れば……どうだい?」

「わからんっ」

『わからんっ』


 俺が断言すると、ドリーがお揃いが良かったのか、声真似をしては楽しそうにクネクネしている。

 すると『はあ』と盛大な溜息の後、サバラが言った。


「じゃあ、やれるだけやってみてくれない? もし危なそうだったら無理しないで逃げて良いから」

 

 頑張れと言われているのか、手を抜けと言われているのか、そんな微妙な指示を聞いた俺は、お返しに『やるだけな』と笑いながら言ってやる。

 危険が一杯だろうあの区域――正直、自信がある訳じゃないけど、かといって無いわけでもない。

 難しく考える必要は余りないか……俺もサバラも自分自身の為に、今も黒煙の上がっているシルクリーク中央へと、向かう選択を取ったということでしかないのだから。





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