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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
90/109

互いの理念は交わり難く 獣は己が道を信じて歩む



 時刻は深夜。

 吹き込む隙間風が立てられていた蝋燭の火を揺らし、それに伴い砂壁に映っていた“オイラ”の影も独りで踊っている。

 ここは地下の拠点――開いている穴など空気孔くらいしかないというのに、風というのは随分と進入上手なものだ。

 

 あーあー、オイラも風みたいになれれば、もっと情報集めも楽だってのに。

 馬鹿らしくも風を羨み、呆然と影を眺めながら――オイラは、頬杖をついて側にいたスルスへと視線をやった。


「なあ、スルス、今日“兄さん”達を案内したんだろ、何か文句でも出た?」

「いえ、“サバラ”さん、特に異論なく納得してくれたようです。というよりも、立地は完璧でしたので、どちらかと言えば喜んでいらしたみたいですが」

「ふーん……そうか、ありがと、なら良いよ」


 今頃、ハイクはどっかで誰かを捕まえて、延々と語りでも聞かせているところか……これで少しゆっくりできるってもんだな。

 被害にあっている部下には少し悪い気はしたが『こんな時でもなければ人心地もつけやしない』と、身体の力を抜いていく。


 付いていた膝を机に押し付け、『よっ』と声を掛けて、背もたれに身体を預ける。

 体重を受けた椅子が重さで軋み、オイラの吐き出した安堵混じりの呼吸が、部屋の中に溶け消えた。


 兄さん達と最初に会ってから三日後の今日。

 手を結ぶ条件でもある拠点紹介を、スルスに任せて済ませたのだが、どうにかソレも無事纏まってくれたらしい。


 良かった――とそんな呟きを胸中で零す。

 というのも、確かに立地は兄さんの条件に合う場所を選びはしたのだが、外見は一般住居をボロクしたような建物でしかなかったからだ。

 間取りだってソコまで広くはなく、放置されていた内部は当然の如く汚れている。


 オイラとしては、文句の一つや二つは零すだろうと予想していたし、保険で代わりの拠点を用意していたこともあって、若干肩透かしを食らった気分だ。

 

 でも、あれで文句が出ないってことは、兄さん達は旅慣れてる走破者って所かな……っといけねぇ。


 日頃の癖か、つい相手を詮索するような思考に走りそうになったオイラは、慌ててソレに歯止めをかけた。

 最初に兄さん達と会話を交わしたあの時――兄さんはオイラが身元を探ろうとすると、嫌がる素振りを見せていた。


 何事にも、適切な引き際というものがある。今は彼等が密偵だという可能性は大分薄れているし、敵か味方かの詮索ならばまだしも、好奇心で詮索するべきではないだろう。

 下手にチョッカイを出して、機嫌を損ねてしまっては目も当てられないのだから。


 必要なんだオイラには……どうしても。

 力、戦力、闘争力から判断力まで含めた上での戦闘力、彼等はそれを十分満たしている……いや、それ所の話ではない。


 オイラ自身が戦い、そして目にした兄さんの実力。

 模擬戦用の戦斧だったとはいえ、ハイクを容易く下した姉さんの実力。

 その上、まだ実力を持った仲間がいるとも言っていた。


 恐らく……鉄仮面に一対一で勝てる程には強くは無いだろうが、オイラの部下、本隊にいる人員、その全てから探したとしてもあれほどの人材は見つからない。


 今のオイラの感情を例えるならば『埋もれていた宝箱を発見したかのような気持ち』とでも言えば良いのか。

 とにかく、箱を開けてみる期待感も十分あり、中身が宝石である可能性が既にチラチラと垣間見えている状態だ。


 運が良い、流れがきている。

 これで心が弾まないなんて嘘ってもんだ。


 鼻歌混じりに机に両足を乗せ、ゆりかごのように椅子を揺らす。

 行儀が悪い――等とスルスに注意されるかと思ったが、予想に反して横合いから聞えてきたのは笑声だった。

 反射的に声の元へと顔を向けると、先ほどまでセカセカと片付けをしていた筈のスルスが、その大きな口元を笑みへと緩め、妙に生暖かい視線を注がせているのが映りこんだ。


「なんだよスルス、オイラの顔見て笑って……どっかオカシイかい?」

「いえいえ、上機嫌みたいで何よりだな、と。

 ただ、今回サバラさんにしては随分大胆に動いたみたいですし、この結果なら上機嫌になるのも当然でしょうか?」

「んん、確かにそうかもねー。これで大分楽になるし、時間も稼げる……」


 スルスの言葉に返答し、舌先で乾いていた鼻頭をチロリと舐めた。

 随分大胆に――オイラ自身、その言葉通りだと思っている。

 

 兄さん達が探り始めた初日から、オイラはその存在を把握していた。彼等が泊まっている宿屋の主人ですらこちらの協力者だ。

 ならば、だからこそだ……本来なら、もう少し相手の素性を探って、慎重に動くべきだった。

 しかし、今回はそうも言っていられない事情がある。


 緩慢に動いていては、兄さん達が本隊に接触しちまう可能性が高かった。

 広い視点で見れば、本隊に入ろうが、オイラの元に来ようが、戦力が増えることには変わりはない。

 がしかし、オイラからしてみると、そこには雲泥の差がある――。


「シシシッ、これであの鉄頭の姉さんに人手を貸してくれって、頭下げずに済むようになるぜっ」

「サバラさん……また言ってるんですか。そこまで嫌うほど悪い方でもないでしょうに?」

「いやスルス、好き嫌いじゃなくて、ただソリが合わないってだけさ。

 大体あの姉さん、考えが甘いんだよいつもいつも、戦力負けしてる今の状況で、どうしてあーも小うるさく出来るのかね」


 憮然と腕を組み、吐き捨てるようにオイラが言うと、スルスは呆れたように息を零して見せてくる。


「私としては……ある程度は仕方ないと思っていますが。

 最終的な目的こそコチラと一緒ですが、向こうはその後に国政を控えているんですし、余り民衆の反感を買うことはできないでしょう?」

「んー、その辺はオイラだって理解してるさ……でも、負けちまったらそこで終わり、後はないんだぜ?

 その辺りをあの姉さんはわかって――――」


 と、そこまで言い募った所で、部屋の扉が乱暴に叩かれオイラの言葉が寸断された。

 ああ、もうドカドカ叩いて……全く、何度言っても丁寧にノックしやしない。


 オイラは、己の部下の乱雑さ加減に呆れながらも声を張って返答した。


「どうしたっ? 緊急の要件か?」

かしらっぁ! 本隊んとこの姉さんが来たようで。通しても構いませんかねぇ?》


 ドア越しに聞えてきたその内容に少し驚き、一度、二度と目を瞬かせる。

 驚いた……こういうのを、噂をすればなんとやらって言うのかな?


「スルス……」

「あ、はい、了解です」


 部屋の整理の途中だったスルスに軽く視線を飛ばし、隣へと控えさせて――オイラは嬉しくはない来客を迎える為、軽く頬を叩いて引き締めた。


「構わねぇぞ、入ってもらえ!」


 ドア越しに届くオイラの了承の声音。それに少し遅れ、木材ドアが開放されていく。

 錆混じりのドアの軋みが鳴る――その金属音を聞いて思わず鉄仮面の姿を思い起こした。

 嫌な音だ……さっさとドアを立て付け直すべきか、それとも蝶番に油を差すべきか。と、そんなこと考えている内に来客の姿がドアから現れた。


「入るぞ――」


 一声かけながらも、灰色の外套を着込んだ彼女が、遠慮を感じさせない足取りで入室する。見たところ一人、恐らく連れは、部屋の外で待機しているのだろう。

 そのままオイラの近くまで歩み寄ってきた女は、特に挨拶を交わすでもなく、一度不機嫌そうに舌打ちを鳴らした。


「サバラ……どうにかならんのかお前の部下共は、待っている間も人にジロジロと不躾な視線を向けてくる。

 礼儀を教えろとまでは期待していないが、もう少し手綱を握っておけ」


 被っていたフードを取り払いながら、女がそうのたまう。

 長い茶色の三つ編みを『邪魔だ』と言わんばかりに前方に落としている素振りを見て、オイラは胸中で『あんな長ったらしくて邪魔なもの、さっさと切っちまえば良いのに』と悪態をついた。

 

 どう答えようかと数瞬の合間考えたが『初っ端から舌打ちをかます女に遠慮などいるまい』と、オイラは皮肉の声音を交えて返すことに決める。


「いやぁ、不躾もなにも、躾なんざされた覚えもない連中ばっかりなんで。

 というか、オイラとしては【シズル】の姉さんの舌打ちも、随分不躾だと思うけどね」

「……中々言ってくれる。しかし言い分はもっともだな、気をつけよう。賊に忠告されるなど私もまだまだ我慢が足りないようだ」

「はぁ……さいですか」


 ……コレだからこの女は苦手だ。

 真面目腐った顔つきで頷く彼女を見て、オイラは思わず『大丈夫かこいつ』といった眼差しを飛ばしてしまっていた。


 椅子に座る様子も見せず、背筋を伸ばしてオイラを見ている女――

 第一王子イシュ・シルクリークの“元”近衛隊隊長【シズル・レイオード】。

 

 (しな)りの無い混合金属で出来た人間――それが、オイラが彼女に抱く印象の全てだった。

 常に寄せられている細く整った眉根、硬く引き結ばれた口元、何度『微笑む形を忘れてしまっているのでは?』と思ったことか分からない。


 顔立ちに関しては、前に人種の兵士が『もし笑えるのだったらそれなりかもな』と言っていたことから考えると、崩れてはいないのだろが、オイラの感性からすると、いまいち理解できなかった。

 人と亜人が結婚することも良くあるし、この辺りは人か獣か、そのどちらの本能が強いかで好みが違ってくるのだろうとは思う。


 こんなオイラでも、彼女の茶色い瞳は透き通っていて宝石を思い起こすので、それなりに綺麗だとは感じる。

 がしかし、眼光自体は肉食獣を彷彿とさせる力強さを持っているので、やはり微妙に苦手な相手であった。

 

 正直、何が気に食わないって、オイラがせっかく悪態で返したのにも関わらず、素直に自分の否は受け取り、その上でコチラを賊呼ばわりするあの性格だ。

 賊という言葉自体は実際その通りなので、特に気にもならないが、それを堂々と言ってのけるあの思考があり得ない。

 

 真っ直ぐではある、皮肉もストレートに言ってくる程に。

 素直ではある、己の矜持に従うことであれば。


 ある意味で褒めて良い性格なのだろうとは思うが……ひたすらに頭が硬い。

 自分に厳しくしながらも、相手に同じだけを求め、自らが正しいと信じたことに関しては絶対に曲げようとしない。

 やはり、オイラとはソリが合わないと言わざるを得なかった。


 でも、最初こそ我慢していたが、今じゃオイラも悪態を吐いているので、もう同じ穴のムジナとしか言えない状態ではある。

 

 それにしても……今日来る予定は無かったはずだけど、何の用かな? 

 脳裏に躍り出た疑問――それにオイラが首を傾げていると、シズルが『そうだ用件なのだが』と早速口を開いた。


「実は少々急ぎの報せでな……」 

「ふぅん、シズルの姉さんが言う急ぎの報せは、出来ればオイラとしては聞きたくないよね、どうせ悪い報せしかこないし」


 シズルの台詞を聞いたオイラは、条件反射で皮肉を返してしまっていた。

 ただ皮肉とは言っても事実ではある。

 例え良い報せがあったとしても、それが余程戦況に関わることでなければ、シズルが態々オイラに届けに来る訳がない。

 そして現状では戦況が覆るほどのことなど早々起こるはずもない。

 つまり、その彼女が火急と言うのなら、その殆どが悪い方向のもので確定する。

 

 そんなこともあって、オイラの言葉には誰が聞いても分かる程に棘が備わっており、シズルもそれを感じとったのか元々硬い表情を更に硬化させ、剣呑な眼差しを飛ばしていた。

 

「……相変わらず、失礼な言葉でしか語れないドグだなお前は」

「おっと、オイラの(しゅ)はドグじゃなくて、ヤカルだよ。一緒にしないで欲しいけど」

「私から見たら大して変わらんが?」

「シシッ、遂に目でもイカレタのかい?」


 オイラとシズル、苛立ちを乗せた視線が交差し、空気を澱ませ、友好的とは言い難い雰囲気に部屋を染める。

 チクタク、と壁に掛けていた時計の音が規則的な音を鳴らし、無言の時間が数拍流れた。


 今回悪いのは、どう考えてもオイラだ。それは自分自身でも分かっているのだが、どうにも彼女の会話を交わすと、一々突っ掛からずには居られない。


 はぁ、オイラもガキじゃあるまいし。

 自らの言動の幼稚さに嫌気が差す。やはり日頃から鬱憤が堪っているのか、それとも単純に子供から抜け出せていないだけか……あるいはその両方だろうか。


 横で黙って見守っていたスルスから『その辺りで』と嗜める視線が今も飛んできていた。

 しかし、中々抑えられないのが悪感情というもので、オイラはわざと大仰な素振りで両手を開き、答えが分かりきっている問いかけをしてしまう。


「いや、そこまで言うなら、オイラの予想は外れてたってことか。珍しいこともある日だねっ」

「む……いや、悪い方だな」


 そこは素直に認めるのか……オイラの負けでも何でも良いから、出来れば良い報せがよかったよ。

 心情的には耳を伏せて聞きたくない気持ちでいっぱいだったが、オイラがそんなことをする訳にもいかない。

 カシカシ、と右手で耳の付け根を一掻きし――『で、本題は』と話の続きを促す。

 シズルの茶色の瞳が視界の中で仄かに泳ぐ。彼女は緩慢な動作で片手を自身の額に当て、少しまいった様子で先を続けた。

 

「私が連絡を取っていた密の一人が死んだ……と思われる。

 恐らく巡回ルートも変わっているだろうし、お前から部下に今は不用意に外へと出るなと指示しておいてくれ」


 空気が冷える――思考がすぐに回転し、彼女の言葉を頭の中で整理していく。

 死んだってことは相手にバレタってことだし、ということは……


「もしかして、この間の襲撃もそっから漏れたのか。

 ……後、姉さん“思われる”ってのは随分情報として不確かだけど、どういうことだい? 

 それと、相手にも情報が漏れたのだとしたら、此処は大丈夫なんで?」

 

 シズルへと矢継ぎ早に質問を投げる。

 場合によってはすぐに移動することも視野にいれ、スルスへと視線で指示を出す――が、それを見た彼女は、右手を上げてそれを妨げた。


「不確かなのは、死体の顔が潰されていて判別がつかなかったからだそうだ。私が連絡を取ったその者は、服の意匠で本人だと判断したらしい。

 ただ、それを境にその者は城内からは姿を消したとの話だし、死んだと思って良いだろう。

 この間の襲撃に関しては……サバラの言う通り、ソレが原因だろうな。

 しかし、幸いにも伝えていたのは以前まで使っていた拠点までだ。そこまで心配しなくても構わん。

 知られたであろう場所はリストに纏めておいた、一応目を通しておいてくれ」


 外套袖から出された一枚のリスト――それを掠め取るように受け取り、まず自身のいる拠点、続いて兄さん達に紹介した拠点の場所を改める。

 舐めるように何度も視線を動かし、自身の眼で確認したオイラは、最後に『これに間違いは?』と問いかけた。

 シズルが一度頷き、オイラの猜疑(さいぎ)の眼差しを正面から受け止める。

 

 一拍、二拍、相手の様子を見据え、チラリともブレない彼女の瞳を見て、ようやくオイラは動き出さんとしていた四肢の力を抜いた。

 気に食わない相手ではあるが、生真面目にも嘘は絶対につかない。ここまで言うのなら、納得はしておくべきだ。


 一先ずここにまで被害は及ばないか……。

 反射的に安堵が湧いたが、オイラはそれを心の内へと仕舞い込み、確かめておかねばならないことを優先させる。

 オイラは指を三本ばかり立てるとシズルに突き出し見せた。


「シズルの姉さん、そっちの“残り”は後何人だい? こっちは下の方に三人ほどだけど」

「私の方は、まだ上に二人ほどいる」

「――ッチ、もう大分少ないよね」


 シズルの返答を聞いて歯噛みしていると、彼女は特に焦った様子を見せずに『いや、しかしな……』と前置いて、自分の意見を述べていった。


「確かに少ないが、まだ残せているだけでも奇跡的ではないか? 慎重にいけばまだ持つだろう」

「…………っ」


 すぐに返答はしなかった。口を開けば相手を罵る言葉を吐いてしまいそうだったから。

 口から零れ出しそうになった激情を寸前で呑み込んで、オイラは出来る限り感情を抑えていく。


「シズルの姉さん、“残せている”とか勘違いしちゃいけない。“残してもらっている”と考えるべきだぜ」


「またソレかサバラ……そうなると、相手は自分の不利になる人員を手元に残していることになるが?

 こちらも細心の注意を払っているんだ、警戒しすぎじゃないか」


「シズルの姉さんは相手を舐めすぎだッ!

 それを言うなら、何も考えずに、イシュ派の高官を懐に入れる馬鹿はいないだろッ!」


「ゴタゴタが続いたから、向こうを人手が減っている。抱え込むしかない状況なのだろうよ。それとも、全て引き払えとでも言うのか? 

 そうもいかんよ。どれだけあれらに助けられていると思っている」


 そう言うことじゃッ! と怒声を上げそうになるが、やはりまた、口から零れる前に言葉を飲み下した。

 我慢できずに、喉が少し唸る。尻尾もイラつきで左右に振れている。

 頭も沸騰しそうに熱くなっていたが、どうにか『冷静さを欠いてはいけない』と自分を諌めていった。


 所詮、オイラの予想は証拠もなく、説得力のない妄言だ。幾ら言った所で考えの押し付けにしかならず、彼女を納得させることなど出来ないだろう。

 だが、オイラとしてはどうしても嫌な予感を拭えなかった。


 恐らく――こちら仕込んだ密偵は、命綱でもあると同時に、相手がオイラ達を釣る為に垂らしている餌となっている。


 いや、餌というには少し意味合いが異なるか。

 もう少し違う言い方をするならば、敵とこちらを繋ぐ糸だ。

 こちらからも手繰ることが出来るが、相手からも手繰り寄せることが出来る。


 向こうはそれを分かっているからこそ、あえて内側に抱え込んでいるのでは、と思えてならない。

 そんな状態でコチラが未だに生き残っているのは、恐らく相手が本気ではないからだ……いや、本気ではない所か、遊んでいると言っても良い。


 子供が無邪気に蟻を踏み潰すように、猫がネズミを甚振るように。

 定期的な襲撃は狩りであり、獲物は逃げるオイラ達。

 

 ソレを否定できないほど、相手は優位に立っており、ソレを躊躇いなく行えるほどに、ファシオンは残虐だ。


 普通ならば、ごく一般的に考えるならば、戦力が勝っていてもそんな余裕は持てない――が、あいつ等は普通ではなく“異常”だった。

 はあ、と陰鬱な気分を吐き出し、オイラは無駄だと分かっていながらも、シズルに向かって成果を問う。

 

「とりあえず、そっちはファシオン兵の出所は掴めてないのか? オイラの方はまだ駄目だ。

 最近じゃ、相手の数を減らすことすらまともに出来てないしで、向こうは補充すらしやがらない」

「むぅ、残念だが、こちらも同様だ。

 本当にどこからあの数を搾り出しているのか……」


 疲れたように親指と人差し指で眉間を摘み解しているシズルに、オイラは声を低く落として警告を放つ。


「――急がないと拙いぜ、このまま消耗戦やってると、絶対にこっちが先に息切れしちまうよ。

 早く向こうの補給源を探し出して叩かないと絶対に勝てない」


 “絶対に”と強調しながら言ってみたものの、肝心のシズルは『だが……』とか『しかし……』等と零してどうにも腑に落ちない態度だ。

 

 まだ勝てると思っているのか……。

 局地戦――確かにソレは、状況次第で数の優位を覆すことが出来る。

 強襲をかける側が有利なのは間違いないし、慎重に、時間さえかければ、相手の数を削ることだって可能だろう。


 しかし、ソレは“相手の数が減れば”というのが前提条件だ。

 ファシオンは減らない――どんな方法を取っているのかまでは不明だが、下っ端を倒しても倒しても、暫くするとどこからともなく補給が現れる。

 唯一の救いは、一定総数より増えてはいかないことだが……それでもこっちとしては、体力が尽きない相手と延々追いかけっこをしている心境だ。


 補給が都市外から来ているのは調べが付いているが、その肝心の出所が分からない。

 最近では、近隣の街にも手を伸ばし探っているというのに、未だ有力な情報は得られてはいなかった。


 なまじっか、局地戦で成果が現れている分だけ性質が悪い。

 恐らく、ソレもあってシズルはまだ『どうにか相手を減らしきれるのでは?』と希望を抱いているのだろう。


 相手の補給が切れるならばオイラだって別に異論はないのだが、ファシオンの動きに焦りの影は微塵も見えず、まだまだ余力を残していることがオイラの目からは伺える。

 ……自分で状況確認をしているだけでウンザリしてくるほどの状態だ。


 顔を顰めて黙り込むオイラを見て、暫し考え込んでいたシズルが落としていた顔を不意に上げ、意見を述べた。


「なあサバラ、せめて他国に協力は仰げないものか?」


「――無理だね。そんなもんオイラだって調べたさ。

 ホーリンデルは“北”と、南西の死狂いで手一杯。最近じゃ獄に関する情報が更新されてるからって、ソレを元に自分達も潰そうと動いているらしい。

 死狂いの鍵のこともあるし、下手に刺激することはしないよ。シルクリークと全面戦争する余裕なんてあるわきゃないし。

 クレスタリア……はよく分からないけど、どうも少し前から動きが鈍いから、乗らないだろうね。

 グランウッドや、南は遠すぎる。周辺の街から人集めるのは……まず無理だろ。

 オイラだったら自分に関係ないことには態々首は突っ込まないよ」


 一刀両断と言わんばかりにシズルの意見を切り捨て『今はこちらの数を減らさないようにしつつも、相手に損害を与え、地道に情報を集めてくしかないよ』と締めくくる。

 が、シズルは身を乗り出すように動かし、食い下がってきた。


「ならば、総員を使ってイシュ様を救ってみればどうか? イシュ様さえおられれば、きっと近隣の街も動くだろうし、対抗できるようになる筈だ」


「シズルの姉さん……夢見るなら一人で見てくれよ。

 そのイシュ様がどれだけ凄いのかなんてオイラ知らないけど、たった一人助けたくらいで戦況が動くと思う? 

 大体、あそこの警備は半端なくキツイんだ、呆気なく全滅して終わりだね。

 そんなことして無駄死にする位なら、毎日一人ずつ炸裂樽でも背負って突貫してきてくれよ。

 そっちのほうが相手の数削れるし、相手の補充も促せるしで、まだ利益が出るってもんだ」


「――ッツ!? おい、お前……」


 シズル表情から不満の色が消え、代わりに驚きと怒りが顕になるが、こうなるだろうと予想していたオイラは、それに肩を竦めて返すだけで済ませた。

 彼女の頬には興奮で朱が差し、肩は少し震えている。

 やがて我慢の限界だと言わんばかりに、シズルは力任せに、オイラの机へと片手を打ちつけ、怒声の如き勢いでソレを吐き出した。


「国を守ろうと集ってくれている者達にそんなことをさせろと、お前は本気で言っているのかッッ!!

 何を考えている。そんなこと許される筈がないだろッ!」


 ギンギンと鳴り響く咆哮に、思わず耳を伏せて片目を瞑ったオイラは、極力声量だけは抑えながらも吐き捨てた。


「……幾らオイラでも、冗談でこんなこと言わないよ。単純に、どうせ死ぬんだったら利益を生む死に方をしてくれて頼んでいるだけさ。

 大体、特攻して死ねって言うのも、王子を救うために突っ込めって言うのも、耳障りが違うだけで、言ってることは変わらないし」


「――ッ――ッ!」


 机の上に乗せられていた彼女の片手が、怒りに任せて握り締められ、金属手甲が擦れて、ギチと音を鳴らす。それと同時に、溢れんばかりの怒りを湛えた視線が、オイラを射殺さんと飛んでくる。

 さすが元近衛の隊長と言うべきか、その怒りの篭った視線に思わず気圧されそうになったが『こちらとしても文句は山ほど溜まっているのだ』と、意地を張ってそれを押し返し、負けじと睨みで答えた。


 沈黙が流れ――暫しの間それは継続したが、やがてシズルが呆れた面持ちで(かぶり)を振った。


「ッチ、やはり所詮は賊ということか……私の方は好きに動くぞ。

 少しは考えを改めないのなら、もう人員は渡さんと思え」

「姉さんこそ……目的と手段の優先順位を考え直さないと、いずれ見誤って後悔するよ?」


 両方喧嘩腰とも言えそうな眼光を持って相対する。

 横に居たスルスが一瞬手を彷徨わせかけたが――やがて諦めるかのように動きを止めた。

 静かであり、同時にコチラを威圧するかのような雰囲気と共に、シズルが怒りを洩らす。


「……賊が私に説教でもするつもりか?」

「いいや……親切なオイラからの忠告さ。余計なお世話だったかもしれないけど」

「嗚呼、余計なお世話だなッ」


 少しだけ声量を抑えた文句が響き、(きびす)を返した音が鳴る。

 そのまま、誰が見ても分かるような怒りを湛えた足取りをもって、シズルは部屋から退出していった――。

 ダンッ、乱暴に閉められたドアの音、それに驚いたスルスが一瞬だけ瞼を閉じ、そして『あーあー』と呟きながらも首を振った。

 スルスの大きな瞳が、まるでオイラを責めるように向けられる。


「サバラさん……大人げないですよ? 態々喧嘩吹っかけることは無いでしょうに」

「分かってるって……でもあっちだって悪いんだぜ?」


 咎めるような言葉を聞いて、思わず鼻筋にシワを寄せ言い訳をすると、スルスは部下にあるまじき態度で、そこらに散らかっていた紙切れを丸め、遠慮なく投げつけてきた。

 ポスポスとオイラの頭に直撃する紙の弾丸――それを反省の意味も含め、腕を組んで受け取っていると、スルスが不意に手を止め、嘆息した。


「全く……で、どうするんですこれから? 戦力借りられなくなったじゃないですか」

「どうするも何も、予定通りに動くよ。

 暫くは兄さん達の力を借りて局地戦――向こうの補給を促して、探りを入れる。後はそこを潰すまで我慢する。

 戦力の方は、どうせ貸してくれたとしてもたかがしれているし、そこまで困らないよ」


 上手く納得させようとそこまで一気に言葉を紡いだが、未だジト、と円を半分に切ったかのような目付きで、スルスがオイラを睨む。

 ……っぐ。

 だんだんとその視線に耐えかね、オイラは『いや、なあ?』と言い募りながらも、話しを逸らそうと違う話題を振った。


「と、ところでスルス、兄さん達にいつから動けるか聞いておいてくれた?

 出来れば帰ってきたらすぐ動きたいんだけど」


 苦肉の末に投げた質問は仄かに効果を発揮して、オイラの全身をチクチクと刺していた視線が和らいだ。

 未だ咎めているような――なんとなくそう見える――顔つきをしてはいたが、スルスは『全く……もう』などとブツクサ言いながらも話題に乗ってくれた。


「詳しくは分かりませんが、明日……明後日程に、お仲間さんを連れに行くとのことで『数日かかる、帰ってくるまで待っててくれ』と言っておりました。

 口ぶりから察すると、仲間を都市外で待機させているみたいですが……どうやって入ってくるつもりですかね? 素性を隠しておられるみたいですし、正面からってことはないでしょうし……」


「……さぁ、どうするんだろ。協力は申し出た?」


「ええ、それは当然。でも槍使いの方が『別に要らないですよ』と仰られたので、余り押し付けるのもどうかと思い、そこまでしておきました」


 断られた……ねぇ。スルスの言う通り正面からは無いな。

 城壁に使っている混合建材は、民家に使っているものとは比べ物にならないほどに硬く、穴開けて入るなんて馬鹿な真似は出来ない。

 となると、壁に縄でもかけて登ってくるか、積荷かなんかに紛れるのかな?

 いや、積荷は検査があるし微妙か……壁の方は、確かに兄さん達ならそれ位できそうだ。

 うん、と一度頷き考えを纏めたオイラは、あーでもない、こーでもない、と首を傾げているスルスに向けて、片手をヒラヒラと振って見せた。


「スルス、そんな気にしなくても良いよ。槍使いの兄さんが『いらない』って言ってるなら、放っておくのが一番だとオイラは思うぜ」

「あれ、サバラさんやけにアッサリしてますね? 私の予想ではもうちょっと考え込むと思ったのですが」


 右へ左へビッタンビッタンと尻尾を揺らし、不思議そうな顔を向けているスルスに、オイラは思わず苦笑する。


「いや、赤い姉さんは結構素直そうだったけど、あの兄さんは結構食えないだろ?  

 多分、ある程度考えて動く人だし、そこまで心配する必要はないんじゃない」

「……少し話した位で分かるものなんですか?」

「んー、案外そんなもんさ」


 アヤフヤな言い方でその場を濁しはしたが、会話するとその端々でその人の性格や、何を考えているかなどが少しは分かる……とオイラは思っている。


 槍使いの兄さんの場合は、コチラの話を必要最低限しか遮らなかったことや、ある程度口に出さなかった部分にまで、理解の色を浮かべていたことなどを見ても、何も考えずに行動する人では無いと予測できる。

 オイラとの会話で兄さんが矢面にたっていたし、リーダー格であることもほぼ間違いない。


 だまし討ちにもグダグダ文句を言わなかったし、シズルの姉さんのように頭が固い人ってわけでも無さそうだ。

 『下手なことはしないだろう』と、そう思える程度には、オイラの中で兄さんの印象は固まっていた。


 シズルの姉さんも、もうちっとばかしこっちの言い分を聞いてくれれば楽なんだけど……。


 先ほどの会話を思い出し、思わず苛つきが蘇った――勿論、相手に対してと、そして自分に対しての苛立ちだ。


 すぐ感情を乱してしまうなんて、失態としか言いようが無い。

 気に食わないことも含め、キチンと受け止めるのが、上に立つ者がしないといけない仕事だ。

 

 なんだか上手くいかねーな。

 椅子の背もたれをグイと押し、砂の天井をぼぅっと眺めていると、どうにも情けなかったり、不安になったりと、陰鬱な気持ちが湧いてきた。


 オイラが黙り、スルスも何を言うでもなく側にいる。

 そんな静かな時が流れる中――

「なあ、スルス……かしらってのは難しいよな。親父はすげーよ」

 我慢できず洩らしてしまったオイラの呟きが、ゆっくりと部屋の中に広がった。


 が、それを聞いたスルスは、こともあろうか『ぶふっ』と我慢できないとばかりに笑いを洩らして返してくる。


 なんだよ……もう。

 責めるように視線を差し向けてみると、スルスは『いや、すいませんね』と謝罪してきたが、やはりその表情は笑みのままだ。

 先ほどの仕返しとばかりに睨み続けていると、スルスは『誤解ですよ』と両手をブンブンと左右に振って見せた。


「いやいや、サバラさんが凄いとか言うから……ほら、おやっさんは適当なだけだったでしょ?」


 長い緑の人差し指を立ててそう言い切ったスルスの言葉を聞いて『ああ、そういえば……』と脳裏に焼き付けていた記憶が鮮明さを増して蘇る。

 楽しむようにその記憶に浸っているうちに、いつの間にか、オイラの口元は笑みの形を描いていた。


「だね……そうだ。シシッ、違いないね」

「ね、そうでしょう?」


 一頻りスルスと顔を見合わせ共に笑う。

 先ほどよりも感情の波が落ち着いていたオイラは、改めて自身の目的をブレさせないように思い返した。


 イシュ・シルクリークの救出、ソレは本隊となんら変わらない。

 でも正直、オイラにとって、見たことも話したことも無い王子本人のことなんて、どうでも良い。

 オイラは『イシュを救った』――ただこの事実が欲しいだけなんだ。これが目的であり、叶えなきゃならない願い。


 何度も何度も『絶対にやり切る、オイラがやらないと駄目なんだ』……そう自分を奮起させここまできた。

 例えどんなことをしても叶える。そんな覚悟は随分前から決めている。


 そうだ、どんなことをしてでもだ……その為に必要ならば、例え大事な部下にだって――

「……スルス、何時かスルスに炸裂樽抱えて突っ込めって命令するかも」

 きっとソレを命じるだろう。


 シン、と一瞬だけ静まり返った部屋、スルスは少し驚いた表情をしていたが、やがてゆっくりと口端を少し上げ、ハッキリと応えた。


「はは、そんなこと随分前から知ってますよ、サバラさん。ただ、せめてその前に遺言書くらいは書かせてくださいね?」


 ぎゅう、と心臓が縮んで泣いた。

 本気で言ってくれている――それが分かるくらいには、彼との付き合いも長い。

 ありがたい……と思うと同時に、そんなことを命じる機会がないようにと、オイラは心の底から祈りを上げていく。


 大丈夫、上手くいく、運がきているんだ。きっとそんな事にはならないだろう……きっと大丈夫さ。

 覚悟や恐怖や不安、色々なものが渦巻く胸中をグッと押さえ、オイラは意思がぐらつかないよう、今日も自分自身に甘さを殺す釘を刺していった。


 


 ◆◆◆◆◆




 砂風を切って走り続けて数日。

 俺達は、ようやく見覚えのある区域へと足を踏み入れることが出来た。

 太陽が高々と上空に輝き陽光を注がせ――さわさわと揺れる緑葉の隙間を通って、数条の光りの線を地上へと向かって描いている。

 ダカダカ、と大地を蹴りつける樹々の足音が響き、それに伴い上に乗っている俺の視界も上下に揺れた。


「結構時間掛かっちまったな……リッツの奴短気だから、今頃ブリブリ怒っているかもしれん。

 ドランさん、ご苦労様です」


 南無……と手の平を合わせて合唱し、リッツの面倒を見てくれているであろうドランの苦労を労わっていると、

「もうメイったら……色々準備もあったし、ちゃんと説明すればリッツちゃんだって怒らないわよ」

 樹々の後に乗っていたリーンから、暢気な声音で注意を貰った。


「んーだと良いけど、アイツ意外と心配性だし、俺の予想では第一声は絶対『遅いのよあんた達ッ』とかだと思う」

『おおっ、相棒、素晴らしいもの真似っぷりですっ。ぜひもう一度お願いしますっ』

「そ、そうか?」


 肩上で、久しぶりに蛇ぐるみを脱ぎ去っていたドリーが、グッ、と親指を突き出しながらもアンコールを望んでくる。

 自分では良く分からなかったが、しきりに『似ていますっ』と褒めたててくるドリーの言葉で少し気を良くした俺は、コホン、と咳払いして、再度リッツの物真似を試みた。


「『遅いのよッ、あんた達ッ』」

『むひょうっ!? さすがと言わざるを得ませんっ。

 声も発音も微塵も似ていなかったのですが、空恐ろしい完成度……になる可能性はあるかもしれませんっ……大樹の種っぽい力強さは感じますっ』

「ねえドリーちゃん、ソレって似てるっていうの?」

『……? いえ、可能性への投資ですっ』

 

 モノは言いようだよなドリーさんっ。

 

 勢いだけで褒めてみたドリーにまんまと騙され、アンコールに乗ってしまったことを後悔したが、残念ながらかいた恥は消しゴムを使っても消えてはくれない。

 後で思い出して頭を抱えることになるだろうな――そう考えると、自分の頬が熱くなるのを抑えられなかった……ちくしょう。


 頭をガクリと落として少し落ち込む俺。

 そんな俺を慰めてくれようとしているのか、樹々が走りながらも首を後ろへと回し〈ぎゃー〉と一声掛けてくれた。


 樹々……お前って奴は、なんと優しいトカゲなんだ。

 がしかし『うぅ』と左手を口元に当てながらも、頭を撫でようと伸ばした右手は、樹々にバクリと甘噛みされて、俺の下に返ってきた頃にはべとべとになっていた。

 なんだろう……こういうのを、踏んだり蹴ったりって言うんだろうか。

 

 ペッペと右手を振りながら、意識を切り替えてはみたのだが――どうにも思い出すのはここ数日間の苦労ばかりで、俺の口からは溜息しか出てこない。


 仲間を迎え入れるための準備――それは必須だったとはいえ、想像以上に面倒な作業ではあった。

 樹々やドランが通れるように、城壁地下に開けていた秘密通路の拡張。

 サバラに紹介してもらった拠点の掃除と地下室の製作に、愛用の武器を拠点へと移動させたり……など等だ。


 ここ数日で、もうモグラ家業に就職したほうが良いんじゃないか? と自信を持って言い切れる程には穴を掘った。


 さすがにリッツの奴も、この事情説明をすれば文句も言うまい……が、もし言ってきたら、口にクルミ押し込んで黙らせてやる。

 頬を膨らませて『むーむー』唸っているリッツを想像して笑い、俺は樹々に『少し速度を上げてくれ』と首筋を二度叩いて合図を送る。

 砂色に染まった走破竜が一吼えして応え――緑の景色は溶けるように形を崩し後方へと流れていった。



 襲い掛かってくるモンスターすらも置いてけぼりに、走ること暫く。

 俺の視界の中に、ようやく見覚えのある砂岩の壁がその姿を現した。

 出て行った当初と比べると、少し辺りの木々が伐採されているくらいしか変化はなく、特に問題が起こっているようにも見受けられない。


 走っていた樹々の速度が徐々に緩み、やがて崖の手前で停止した。


「樹々ご苦労さん」

『よしよーしですっ』

「ふふ、これで少しは運動不足を解消できたかしら?」

〈ギャッ、ギャース!〉

 

 地面に下り立った俺達が口々に労いの言葉を掛けると、樹々は楽しげな調子で足を後方に蹴り上げ、空へと向かって声音を上げている――大分ストレス発散が出来たようで何よりだ。


 地面を踏みしめ下り立った俺とリーンは、延々と背中で揺られて凝り固まっていた身体を、腕や背中を逸らせて解していった。

 さて、少しの準備運動を終え、少ない荷物を手に、俺達は記憶に新しい仮拠点の入り口へと足を向けていく。


「えっと、確かこの辺りだったっけ……と、あったあった。ちょっと改良されて見え難くなってるな、さすがドラン、いい仕事してやがる」


 砂岩の壁の一部――つまり仮拠点の入り口は、出発当初の掘っ立てドアとは違い、いつの間にやら岩を上手く貼り付けた迷彩ドアへと成り代わっていた。

 遠めに見たら絶対にわからんな……と感心しながらも、俺はそれをガタリと除けて、仮拠点の中へと進む。

 リーンが唱えてくれた、フワフワと漂う魔法球の明かりを先頭に、俺、樹々、最後尾にリーンと、縦に並んで砂岩の通路を奥へと向かい、一番奥にあるリビング的な役割の部屋へと辿り着いた。


 あれ? いないな……。

 部屋の中を覗いて見るも、何故か仲間の姿は影も形も無い。

 仕方なく魔法球を天井付近に滞在させ、俺達は中央に置いてある椅子へと腰を下ろし、帰ってくるのを待つことに――。

 

「んー薪でも拾いに行ってんのかね?」

「どうかしら? 食料調達かもしれないわね」

『お散歩かもしれませんよ?』

〈ぎゃーす〉


 とりあえず、樹々は何言ってるか分からないが、恐らく俺達の予想の内どれかであるのは間違いないだろう。

 特に心配する要素もなかったので、全員でテーブルを囲みながらも、ドランとリッツは今頃何をしているか、などを予想しながら時間を潰す。

 

 そして、干し肉を齧ったりしながらも待つこと一時間程で――

「ああああッ!? やっと帰ってきたッ、遅いのよアンタ達ッ!」

 ようやく帰宅した白いフサフサが部屋の出入り口から顔を覗かせ、俺達を見るや否や、威勢の良い声音を響かせた。


 肩には魔銃とボウガン、服装はいつもの服と、今日はしっかりと軽装も着けている。

 表情は微妙に不機嫌そうで、鼻頭はピクピクと動いているし、尻尾はブワリと逆立っていた。

 リッツはそのままツカツカとテーブルにまで走り寄ってくると『何か言いなさいよ』と言いたげな様子で、腕を組みながら俺達へと半眼を向けてくる。


「ようリッツ、お前が予想通りな子で俺はとても嬉しいぞ」

「本当に言ったわね」

『ふみゅ……相棒の予知能力は凄いですっ』


 予想していた内容通りの第一声を放ってくれたリッツを見て、俺達は『ただいま』と声を掛けるのも忘れて、顔と腕を見合わせ頷きあった。


「え……何? アタシ何か悪いことでもした?」


 不機嫌だったはずのリッツは、俺達の反応に戸惑い、自分の顔を指差しながら混乱している。

 意外と急な変化に弱いんだよなこいつ。

 耳を少し伏せ、キョロキョロと落ち着かない様子で視線を彷徨わせる彼女に、俺達は『いやいや』と手を振って見せ『ただいま』と口を揃えて声を掛けていった。

 未だ混乱から抜け出せては居ないリッツだったが、しっかりと『お、おかえり』と首を傾げながらも返答してくる辺り、素直な奴ではあった。


「まぁ落ち着けリッツ、何でもないから気にするなって。所でドランは?」

「まだ外よ、運んでいた荷物を置いたらすぐに来るわ……っとそうだっ、ふふ、クロウエ……アンタ丁度良い所に帰って来たわね」


 リッツは急にパンッ、と拍手(かしわで)を打つと、肩に担いでいた荷物袋をガサゴソと漁って四角いナニカを取り出すと、とても偉そうな顔つきのまま、ソレをテーブルに置いた。


「さあ、二人とも存分に食らうといいわっ。そして驚愕の声を上げなさい」


 右手を胸元に、左手をババーンと広げてリッツが自慢げに俺達を見下ろし、俺とリーンは訳も分からぬままに、テーブルの上に置かれたものへと視線をやる。


 バンとテーブルに置かれている四角いナニカ――俺はソレを包んでいる布を摘んで、怪訝な顔のままに開けていく。

 すると、中から現れたのは四角いパンに野菜、干し肉、などを挟んだ食べ物だった。

 というか、俺としても非常に馴染み深い食べ物だ。

 

「サンドイッチだな」

「あら美味しそうなパンね……これ、リッツちゃんが作ったの?」

「ふふん、そうよっ。さあ食べなさい、今食べなさい、すぐ食べなさいっ」


 なんだか妙にテンションが高いリッツは『早く早く』と、急かして来る。

 その姿を見て――子供の頃に誕生日プレゼントを友達に贈って『さあ開けろっ』と急かしていた自分の姿とダブり、少しだけ微笑ましく、そして懐かしい気持ちになった。

 じぃ、と俺達の動向を伺うリッツの期待に満ちた眼差しを受けながら、俺はサンドイッチを一切れ掴んで口へと運ぶ。

 

 もぐもぐと咀嚼を繰り返し、リッツ作のサンドイッチを食べた俺とリーンは、

「おお、普通に美味い」

「そうね、とても美味しいわリッツちゃん」

 と思いのままに感想を述べていく。

 

 特にお世辞を言ったわけでもない。

 シャキシャキとした野菜の歯ごたえ、干し肉の塩加減も中々の塩梅。

 胡椒にも似た調味料の味と匂いは丁度良く、腹も減っていた俺がムシャムシャと完食してしまった程には美味かった。

 ――のだが、感想を聞いた彼女は、嬉しそうでもあり微妙そうでもありと、なんだか複雑な面持ちをしている。


「なんだよ? 美味かったぞ」

「んぅ……むぅ……『うおおおおっ』とか叫ばないの? なんていうのかしら……もっとこー激しい反応が欲しいわね」


 本当に子供かお前は。

 うんうんと唸りながらも口をへの字に曲げているリッツに、俺は思わず呆れを零す。

 がしかし、せっかく作ってくれたのだ、少し位サービスしてリアクションをとってやるべきだったかもしれない……。

 気遣いの心が足りなかったと若干の反省をした俺は『んッ、んんっ』と喉を鳴らし、改めてリアクションを取り直してやる――といった優しさを爆発させた。


「ウワー、スゴイナー、スバラシイナー」

「ねえクロウエ、なんか腹が立つから止めてくれない?」

「どうしろってんだお前はっ!?」


 非常に冷たい態度での一言を貰い、思わず叫びを上げて反論するが、リッツは『もっと自然な感じで』と無茶振りしかしてこない。


 リーンはサンドイッチを食べ終わった満足感からか、ニコニコと微笑みながら、自分だけ安全地帯を守っている。

 いや、お前ずるくね?

 ただ、実際リーンにリアクションを求めたところで、大怪我するだけで満足いくものが返って来るとも思えないので、ある意味ではこれで正解なのかもしれない。


『むむ……私が食せれば、植物に例えながらもご意見が出来たのですが……残念でなりませんっ』


 おう、ちょっと聞きたいなそれ。向日葵の種のような香ばしさを感じますっ、とかだろうか?

 

 ぐぐっ、と拳を握り力説するドリーの姿を見て、俺が暢気なことを考えていると、

「ただいまだよー、って……おお、メイどんっ!? おかえりだでーー」

 ようやく返ってきたドランの声を、耳にすることが出来た。

 

 やはりラングの居ない今、数少ない男でもあるドランと会えるのは、俺としてもとても嬉しいことだ。

 が……笑顔を貼り付け首を回し『おお、久しぶり――』と言いながら彼の姿を視界に収めた――瞬間。


「うおぉぉぉおおぁおおおおおっ!?」

『むわああああああああっ!?』

「ちょ、ドラン!?」


 俺、ドリー、リーンは、寸分たがわぬ驚愕の叫び声を同時に上げて、背を逸らして仰け反った。

 

 いや、これは仕方ない誰だって驚く……。

 というのもだ、今も俺の視界に映っているドランの全身が、それはもう……光り輝いていたのだ。

 なんというか、後光が差している感じである。

 簡単に例えると、全身に強烈な蛍光塗料を塗りたくった、スーパードランさんとも言える姿だ。


 キラッキラッしている輝く竜人を見て『何だコレ、今まででの人生で一番ビックリしたかもしれん』と一人呟いた。

 混乱状態に叩き込まれていた俺達全員だったが、やがて一気に意識を取り戻し、ドランに詰めかかる。


「一体、どうしたってんだドランっ、遂に優しさが爆発して仏にでも昇華したのか?」

『いえ相棒、きっと陽光を受けすぎて、太陽になってしまわれたのですよっ』

「メイ……私ったら凄いこと閃いたわ、このドランを部屋において置けば、明かりが要らないかも知れないっ」

「ちょ、ちょっと皆落ち着いてくんろ。

 まず仏がなにか分からないし、太陽にもなってねーだよ。

 後リーンどん、流石に明かり代わりにされるのは勘弁して欲しいだでー」


 代わる()わる問い詰められて、うろたえながらも返答していくドラン(輝)。

 横ではリッツが唇を尖らせて『そういう反応をアタシの時にもしてくれれば良いのに』と洩らしていた。

 いや、この異常事態と同じ反応を期待するのは求めすぎだろお前。


 目に優しい筈の緑から一転して、一気にサイバーな感じへと変わってしまっているドラン。

 俺は、頭上で乱舞している疑問符を鎮める為にも、一度呼吸を整えて、どうしてこうなったのかを、ドランとリッツに伺っていった。




 ピカピカするドランさんを横目に、全ての事情を聞き終えた俺は――現在漏れ出しそうになる笑いを抑えるので、正直一杯一杯になっていた。


「ぶふっ、修行で魔弾落とそうとして失敗してピカピカって……っぐ、ドランお前、俺の見てない間に面白いことするの止めろよっ。くそ見逃したのが悔やまれる」

「メ、メイどーん……別にオラ笑わそうと思ってやった訳じゃないだでー」

「そうよクロウエ、訓練なんだから仕方ないじゃない」


 わたわたとドランが手を振り、リッツが頬杖を付きながらも膨れっ面を見せる。

 ごめんなさい、俺が悪かった……だから手を振らないでください、眩しいですっ。


 暫くの間、ドランを見ては噴出してを繰り返し――満足した俺は、ふぅと深呼吸を行ってようやく落ち着きを取り戻した。


 いやー、それにしても何やってんだよドラン達。

 彼等に聞いた話を簡単に纏めると、ドランがこーなったのは、リッツの魔銃が扱える特殊弾の一つ『(こう)』が原因だった。

 

 “光”は攻撃力皆無の特殊な魔弾であり、直撃した場所に一定時間魔力光を付着させる効果を持っている。

 明かりや道しるべ、もしくは暗闇で相手に貼り付け的にする位しか使いどころが無かった為――蟲毒の中で話だけは聞いていたが――俺も実際その効果を目にするのは初めてだった。


 そして、その特殊な弾丸を使って彼等なりに考えた訓練方法が“光の魔弾をリッツが撃ち出し、ドランが頑張ってソレを叩き落す”といった非常に分かりやすいものだ。

 ドランとリッツ曰く――『反射神経向上や、細かい武器の扱いを学ぶ為にもなる』と、それなりに学べる部分は多かったらしい。

 リッツもリッツで、自身の命中精度を高める訓練と、時折――『重』へと変更しながら撃ち込むことで、今まで余りやってこなかった弾丸の効果を入れ替える練習をしていたのだそうだ。

 

 で、最初から上手くいく筈も無く、ドランがバシバシと直撃、現在のスーパードランさん状態と化してしまったという流れだった。

 

 そのせいでドランは『夜自分の身体の明るさで眠るに眠れない』といった重大な悩みを抱えているとのこと。

 ドラン本人は真剣に悩んでいるのだが、他人事の俺からしてみれば、笑いを誘う補足説明にしかならなかったのが痛いところだ。


 いや、俺自身リッツの“お使い”のこともあってこの魔弾の存在を思い出してはいたのだが、まさかこんな使い方してるとは、想像もしていなかった……。

 などと一人感心していると、テーブルの上に乗っかっていたドリーが、手をピストルの形に変え、横倒し、ふむ……とまるで顎に手を当て考え込むような動作をとった後、俺に声を掛けてきた。


『相棒、私もピカピカにして貰おうと思ったのですが、如何でしょうか?』

「……いや、ドリーはそのままが一番良いです。完璧だと思います」

『にゅうふぅ……そうですか? むふふー』


 あぶねぇ……。

 喜びながら、テーブルの上を縦横無尽にゴロゴロと転がり始めたドリーを見て、俺は額に滲んでいた冷や汗をヒッソリと拭った。


 どうにか上手く免れた。ドリーさんが光ってしまったら、俺まで眩しくて眠れなくなってしまうところだった。


 というか……冷静になってみると、やはりドランの真面目ぶりは凄いと感心せざるを得ない。

 結果は少し笑えるものになってはいたが、やってること自体は馬鹿に出来たものではないのだから。

 思わず感心の眼差しでドランをみやると、彼は少し照れくさそうに頭を掻いて苦笑した。

 勿論光ったままではあるが。


「ねえクロウエ……アタシ達の方はどうでも良いとして、アンタの方はどうなった訳? 遅れたみたいだし、なにか進展くらいはあったんでしょ?」


 緩んでいた空気を引き締めるように、リッツが少し真面目な声音で俺に質問を投げかけてくる。

 リーンは邪魔をする気はないのか黙っているし、ドランも同じように、口をつぐんで待ち受けていた。

 俺はそれを確認した後――『それなんだが……』とこれまでの起こった一連の出来事を、要所だけ押さえて話していった。



 現状の説明を続けて十分程――

「――って感じになってるんだよな。だから、できればすぐにまた出たいんだけど」

 その言葉を最後に締めくくり、俺はリッツとドランに此処を()つ準備を始めてくれと促した。


 ドランはすぐに『持っていけなさそうな保存食を地下室に収納してくる』との言葉を残して部屋から退出。

 残ったリッツは、出て行ったドランの代わりにもう少し詳しく聞いておこうと思ったのか、椅子に座ったまま動かない。


 んー、と唸りを洩らしながら、砂岩のテーブルを人差し指でコツコツと叩き、暫く思案に暮れていたリッツだったが、やがて自分の中で考えが纏まったのか『よし』と頷き口を開いた。

 

「荷物はどれぐらい持ってくの? さすがに今から全部纏めろとは言わないわよね?」

「いや、無い無い、ソレは無理だ。武器と装備と行きの分の食料……後は貴重品って感じで、必要最低限の荷物だけで、残りはここに置いていく。

 馬は途中の街か村で売らないと駄目だろうな」


 俺の台詞に驚いたのか、リッツの耳がピクリと動く。


「馬売るって、またこっち帰ってくる時はどうするつもりなのよ?」

「向こうで素材買ってドランに頼むか、都市の職人さんに荷台でも作ってもらえば、樹々の力なら問題ないだろ――『フェザー・ウェイト』の魔法もあるしな。

 もし、どうしても馬が必要ならまた買うしかない」


 言葉の分かる樹々ならまだしも、馬を都市内に運ぶのは危険が多い。それを行う位ならば、一度売って買い直した方がまだマシだ――と俺は判断している。


 二分ほど、納得いかなさそうな光りを瞳に宿し、眉間にシワを寄せて考え込んでいたリッツだったが、

「むー、なんか勿体無い気がする……けど、言っても仕方ないことよね。

 まぁ、良いわ、じゃあアタシもさっさと準備終わらせてくるから、クロウエ達は少し休んでなさい」

 と言い切って、足早に自身の荷物を纏める為に部屋から飛び出していった。


 相変わらず元気のいい。

 走り去るリッツの背中と尻尾は、彼女の快活さを滲ませており、見ているほうも怠けていてはいけないような気にさせる。

 とはいえだ――。


「どうするのメイ?」

「別に何もすることないし、お言葉に甘えて休んでたら良いんじゃないか」

『お休みを仕事の内と言うことですね?』


 ドリーの言う通り『休むのも仕事の内だ』と考え、俺はリッツの好意に甘える形で、少しの休息を取ることに決めた。


 

 その後――樹々にご飯を上げたりドリーに魔水を上げたり、テーブルに突っ伏して休んだりと、一時間程の休憩を堪能した。

 風呂にでも入る暇があれば良かったのだが、ドラン達の準備は思いのほか早く終わってしまい、俺達は急ぎ仮拠点を締め切って、そのままシルクリークにとって返すこととなった――。




 ◆




 仮拠点を飛び出して、駆け抜け続けて数日後――


「だああ、もうキツイなおい」


 シルクリークの静かな夜の裏路地で、俺は思わず愚痴を零して項垂れていた。

 移動、移動、移動の連続。

 休憩こそ挟んではいたものの、馬を売り払ってからは慎重に歩みを進めざるを得なくなり、かなり精神的にはキツイ旅路ではあった。

 そんな状態で、無事……どうにか、ようやく、俺達はシルクリークの拠点の前へと到着出来たのだから、少しくらい愚痴っても罰は当たるまい。


 満月の輝きの下――俺は目の前に見えるボロ拠点を見て、思わずドッと身体の力を抜いてしまった。


 都市に入るだけでも今回は微妙に危なかった……拡張したにも関わらず、穴の途中でドランが引っ掛かり、顔が地面から出た状態で詰まった時は『やべえ終わった』と妙な覚悟を決めたものだ。

 あの時は近くにあった樽を顔に被せたことでなんとか事なきを得たが、あんな無駄な緊張感はもう勘弁してもらいたい。


 とはいえ、街中の移動自体は予想していたほどの苦労はなかったので、そこは僥倖だったと言えるだろう。

 俺が先行し、ファシオンなどの見回りを見つけたらドリーが大声で報告。

 ドリーの任意の相手にだけ声を伝える力は、ここでもかなり役に立ってくれていた。

 正直これが無かったら、今まで体験してきた問題の難易度が、数倍に跳ね上がっていたといっても過言ではないだろう。


 ――出来ればさっさと問題解決して、何度も往復する目に遭わなきゃいいけど。

 拠点に入りもせず溜息を吐いて突っ立っていると、後方から肩をバシバシと叩かれた。

 何かと思い振り向いて見ると、映ったのは少し不安そうな表情を湛えたリッツ姿。


「ねえクロウエ……この建物大丈夫? というかドランと樹々ちゃん入れるの?」

「大丈夫だって、地下改造しといたし、いらん心配すんな」

「いきなり……壊れない?」

「見た目よりも頑丈だから壊れねーよ」


 どんな心配してんだコイツは――とは思ったものの、その気持ちは微妙に分からなくもなかった。

 一般的な民家より少し小さいくらいのこの建物は、砂色の壁は色褪せ変色し、四角形の右角は――戦闘の余波からなのか――ボロボロと欠けていた。

 そんな状態で窓ガラスが無事な筈もなく、乱雑に打ちつけられた木板が窓から中を伺えないようにしっかりと塞いでいる。

 壁面中には傷跡があるし、どう見ても立派とは言えない建物だ。


 とはいえ、中身は結構掃除したし、地下室は大分広く作ってあるので、特に支障は出ない。風呂を作れるほどの時間の余裕が無かったのは、少し悔やむポイントではあるが、リッツが心配するほどボロクはないと言い切れる。


「ほらほら、ここにいつまでも居るわけにもいかないし、さっさと入るぞ」


 『えー』と微妙に嫌そうな顔をしているリッツの背を押し、いざ拠点に入ろうとドアに手をかけた……のだが、

 ……ん? 誰かいる。

 不意に拠点の中に人の気配を感じ、俺は動きを止めた。

 

 視線を巡らしリーンへとやると、彼女も無言のままで頷き肯定を示してくる。

 ドランは気配を探れてはいないのだが、俺達の様子を見てなんとなく悟ったのか、背負っていた金属箱へは手をかけず、右手に持っていた金属槌の柄を両手で握り締めて構えをとった。


『恐らく一人……ですね。奇襲しますか?』

〈いや、まだ敵かどうか分からない……武器を構えてこのまま進入。相手を確認して対応を決める〉


 ドリーの問いかけに応えて俺は、クイクイと手だけ動かし、全員を外で待たせる指示を出す。

 入ってすぐの部屋は、このボロ屋の中ではそれなりに広い空間ではあるが、大勢で行っても、互いの動きを阻害するだけだ。

 ここはドリーのお陰で奇襲に強く、夜目が効く俺が行くのが適任だろう。


 バクバクと鳴る心臓を抑え、俺は慎重にドアを開けて拠点へと入り込んでいく。

 建物自体は小さく、部屋の数は少ない。気配は入って直ぐの部屋から感じる。

 

 来るなら入った直後……それが無ければ、襲い掛かってくる気はないのだろう。

 一度呼吸を整えて、身体に酸素を取り込んだ俺は、一気に槍を構えて入室し、同時に相手の位置を確認していった。

 

 あれ、普通に……居たな。

 明かりの灯っていない真っ暗な部屋の中央、そこに置かれた椅子に何者かが一人座っている。

 未だ相手は動く様子を見せず、奇襲も来ない。

 

 敵ではないのか?

 そのまま武器を差し向けながらもジリジリと接近し――その人物の姿を確認した俺は、

「あ、あれ? なんでスルスがココにいるんだ」

 身に纏っていた緊張を、間抜けな声音と共に四散させた。

 

「あ、その声は槍使いさん……お帰りなさい。後、お邪魔しております」


 ペコリ、と声を頼りに俺の位置を把握し、身体を折って頭を下げてくるカメレオン。

 正直、暗闇に浮かぶ大きな目玉と、時折シュルリと出されている舌――ニコニコと微笑む彼の笑顔は、この状況だとホラー以外のなにものでもなかった。

 

 とにもかくにも……彼が敵じゃないのは確かだ。

 俺は安堵で少し力を抜き、定位置にいたドリーに――スルスには聞えないよう――『スルスだったから、入ってきて良いぞ』と、外にいる皆に伝えてくれと指示を出した。


 すぐさま部屋に響き渡るドリーの大声、それに少し遅れて――ドアの開き、

「まだ明かり点けてないのね、暗すぎて全然見えない。あ、明かりも魔法使わないとまだ無いのだっけ」

「あばば、オラなんも見えねぇんだけんども……イタッ、なんか出っ張りで頭打っただでっ」

「うわっ……不気味だわ。もうちょっとどうにかならない訳、ここ」

〈ギャっ〉

 好き勝手なことを言いながらも、仲間全員がゾロゾロと部屋へと訪れた。


「こ……こんな場所で申し訳ないです……」


 俺の目の前にいたスルスが、なんだかとても申し訳無さそうな表情を湛えて、囁くような声量で謝罪を呟いた。

 ――紹介してくれた本人が目の前にいるんだから、少しは気を使ってあげてください。


 暗闇でもスルスの顔が見えてしまい、同時に仲間達に悪気がないのも分かっている俺は、なんとも言えない複雑な心境だ。

 いや待て、そんなことはどうでもいい。今問題なのは、大きいのが一人と一匹いるお陰で、部屋の中の圧迫感が半端無いことになっていることだろう。


 さすがに早く明かり点けた方が良いな。

 適当に仲間に声をかけ足を止めさせ、リーンに『明かりと頼む』と頼もうとした――のだが、その直前でスルスが『蝋燭を持ってきていますので、私が点けますよ』と声を上げた。


 光量の問題もあって、魔法の明かりの方が良いに決まっているのだが、スルスが親切にもそう言ってくれたのだから、無碍にするのは気が引ける。

 俺が『お願いします』と言うと、スルスは快く引き受けてくれ、表情を微笑みに変えた。

 懐からマッチのようなナニカを取り出したスルスが、ソレをシャッシャッ、と擦った。

 

 火花がチカリ、チカリと暗闇で瞬いて、俺の視界に一瞬だけスルスの顔が映りこむ。

 めちゃくちゃこえーよ。

 そして、そんな彼の顔を見た瞬間――俺はどうしようもないほど、嫌な予感を感じてしまった。

 

 手に持った蝋燭、下から照らされる顔、そしてスルスに始めて会う二人の仲間。

 あ、これはいかん……。

 ぼっ、と小さな灯火が明かりを照らしたのと同時に、俺は踵を返して反転――カッと目を開いてスルスを見ているリッツとドランの口元へと、躊躇い無く手を伸ばす。


「――ふわあああっ、モンス……むぐぐぐぐ」

「ひいいいい、お化……もごごごごご」


 右手でドランの顎を下から閉じ、左手をリッツの口へと当てて暴言を止める。

 ぎりぎりセーフだった。間一髪だった。

 もう少し遅れていたら、スルスに向かって言葉のナイフが飛んでいたところだ。

 あれは、見慣れてなければ絶対に驚く。見慣れてても不意をつかれたら驚く。

 真っ暗な中で、いきなり下方から照らされたリアルカメレオンの顔を見たら、俺でもきっと声を上げてしまう。


「あの……槍使いさん、どうかされました?」

「いやいや、僕の仲間が急に名前を呼ぼうとしましてね。焦って止めたんですよ。アハハ、馬鹿だなこいつら……」


 訝しげな声を洩らしたスルスに、俺は必死で良い訳を募り、同時に目の前にいたリッツとドランに『敵じゃない。敵じゃないからな』と視線で訴えた。

 コクコク、と素直に頷いた二人を見て、俺はようやく安心して口元から手を離す。

 

 チラリと後方にいたリーンを見ると、彼女は全く動じてはおらず、常と変わらない表情で一連の流れを眺めていた。

 なんでこういう時だけ無駄に冷静なんだアイツは。


 一緒になって騒がれるよりはマシだし、頼りにもなるのだが、せめて気を利かせて『顔が不気味だよ』とか先に注意してくれれば良いのにと思ってしまった。

 聞えないのを言いことに、心中で失礼なことを吐き零しながらも、俺は改めてスルスへと身体を向けて相対する。


「スルスさん、どうしたんですか急に? というかいつから居たんです?」

「あ、昨晩から……ソロソロ帰られる頃かと思ったので、失礼だとは思ったのですが、待たせて貰いました」


 昨晩からて……。

 一晩中ジッと座って待っていたのだろうか……まさか、カメレオンだから動かないでいるのは得意とか言わないよな。

 スルスの我慢強さにちょっとビビリながも、苦笑を返す。

 

 勝手に中で待たれていたことに関しては、正直どうでも良い。というか、俺が『サバラやスルスとか、特定人物以外にこの場所を教えないでくれ』と無茶振りしたので、彼自身がこうやって尋ねてくるしかなかったのだろう。

 ハイクでもいいのだが、アイツの場合は余計なことするのが目に見えているので、絶対そういう役目には向いていない。


 それに、重要なものはしっかり地下へと隠してあるし、出入り口は『アース・メイク』で塞いであるので、別に入られ困る理由もなかった。

 

 スルスは俺に文句を言われなかったことに安心したのか、ほっと胸を撫で下ろすと、先ほどまでとは打って変わって纏っている雰囲気を変える。


「明日の早朝――南区付近でファシオン兵への襲撃を掛けたいと、サバラさんが仰られています。

 私達としても協力して貰えると助かるのですが、そちらの都合は大丈夫でしょうか?」


 先ほどまでのスルスからは想像も出来ないほどに堂々とした口ぶり。両眼に湛えた真剣な光は、蝋燭の炎を宿しているかのように輝いていた。


 見据えるスルスの眼光は俺の答えを待っている。

 心情的には断りたい――が、スルスが態々夜を通して待っていたことから考えても、向こうはかなり本気で協力を求めてきているのが分かった。

 断るのは簡単だ。しかしここで受けることによって、彼等の信頼を少しでも勝ち取れれば、それは後々に響くメリットになってくるだろう。

 

 それに……もう一度鉄仮面と会って、馬鹿バエ魔法について幾つか確かめておかねばならないこともある。

 今から寝ればそれなりに睡眠は取れるし、体力的には問題ない――。


「わかりました受けます。俺達は場所が詳しく分かっていないのですが、その辺りは?」


 待ち受けていたスルスに了承を告げると、彼は目を大きく開いて喜びを表し『助かります』と述べ、そのまま俺の問いを答える為に話しを続けていった。


「明日はサバラさんがここに迎えに来ますよ。ここから通ってそのまま南区に行けますしね。

 本当に皆さんありがとうございます――サバラさんをヨロシクお願いしますね」


 スルスが見せる――深い、綺麗なお辞儀。

 それは、今までで一番想いが篭っていると、一瞬で分かってしまう程のものだった。

 

 ここまで真摯な態度で頼みごとをされてしまうと『嫌です』とは中々言えるものではない。

 かといって、自分にとって不利益になり、それに譲れないものが関係してくるのならば、あっさりと振り切ることも当然だ。

 しかし、今回はサバラを助けることで自分の利益にも繋がる訳だし、ここで気勢を殺ぐ様なことを言う必要はないだろう。


 と、色々と御託を並べているのは、俺が素直にコレを受け取っていい理由を、自分で作っているだけなのかもしれない。

 そんなことに不意に気が付いた俺は、思わず『なんだかなぁ』と笑いを零した。


 明日も無事に過ぎ去って、ぜーんぶ問題が解決してくれれば、一番良いんだけどな。


 調子の良いことを考える。己の抱く不安を掻き消すように。

 今はスルスの態度を間近に見せられ、心の隅の方でへばり付いている陰鬱な気持ちは少しだけ晴れてはいた。

 しかし、このまま調子よく上手いってくれるのだろうか、といった漠然とした不安は消えてくれなどしない。

 俺は自分自身に『大丈夫……』と誤魔化すように言い聞かせ、未だに礼の姿勢を保っているスルスに『任せてくれ』と言葉を掛けた。

 




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