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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
89/109

人と獣が手を結び 日輪は未だ輝きを失わず




 サバラ――その名を耳にした俺は、今も目の前で椅子に座っている亜人へ、好機と驚きの混ざった視線を向ける。

 まさかこんな所で。今もそんな思いが胸の内で湧き上がっていた。

 彼の名前は覚えている。というか最近聞いたばかりだし、早々忘れる筈もなかった。

 

 サバラ・テイル……ねえ。

 その名を吟味するかのように呟いてみるが、やはり気のせいではない。

 苗字こそ知らないが、共に蟲毒を駆け抜けた亜人の魔法使い。彼女が俺に『よろしく言っておいてくれ』と教えてくれた名前と一致している。


 偶然か? と思わず奇妙な巡り合わせに苦笑を漏らしそうになってしまったが、別にここで彼と会うこと自体は、何らオカシナことでもないと思い直す。

 シルクリークに居残っている亜人が反抗勢力に所属しているのは、ある意味自然な成り行きだ。

 

 ただ、やはり少し予想外だったのは、やはりその人物の立ち位置だろう。

 

 (かしら)をやっている――との先ほどの言葉を信じるならば、サバラは反抗勢力のリーダーをやっているってことになる。

 

 いや……まて、それを決めるにはまだ早い。

 これも嘘かもしれないし、なにより“頭”と言うのが、反抗勢力全体のトップだとは限らない。


 しかしこの辺りは、今から交わすであろう会話の中で確かめていけば良いことで、俺が一人で考え答えを出すことでもないともいえる。

 

 というか、彼女には悪いけれど『よろしく』とは伝えられる状況じゃなくなっちまったな。

 ぽそり、と口元を覆う布の上から人差し指で頬を一掻き、少しの罪悪感から視線を中空に彷徨わす。

 

 俺としても伝えたいのは山々だが、普通に考えてそんなこと出来る筈もない。

 ただ言うだけならば、容易いことなのだが……もしも彼女の行き先がリドルであるとサバラが知っていたら、俺達が其処から来たことくらいは検討が付いてしまう。

 まだ信頼関係すら築いていない現状で、俺としてはそんな危険を冒す訳にもいかなかった。


 この分じゃ、伝えられるのはこの問題が解決した後か、正体を晒す程――本来の武器を使用しなければならない程――俺達が追い詰められた時だろうか。

 俺は心中で、少し前の仲間であり、部下だった彼女に謝罪を入れて、改めてサバラへと顔を向ける。

 と、俺の視線を受けたサバラが――スンと鼻を鳴らし、少しからかうような調子で口火を切った。


「おっと、どうしました兄さん、もしかして驚かせちまった?」

「驚いた……って言えば驚いたかもな。てっきりそっちの緑の人がリーダーやってると思ってたしな」

「シシッ、そりゃ何より、オイラの演技も中々捨てたものじゃないってことかな。

 さっきはぜーんぶ破られちまったし、少しは意趣返しになったってもんだぜ」


 パチン、と指を鳴らしてサバラが笑う。ピョコピョコと動かされている片耳は、彼の悪戯心を、そのまま表しているかのようにも見える。


 俺とサバラは、いつの間にか、互いに馴れ馴れしい……とまでは言わないが、多少砕けた調子で会話を交わしていた。

 このあたりは先ほどの戦闘で『この相手には堅苦しい真似は不要』といったことを無意識で理解していた故だろう。

 サバラの口調自体はさして変化は現れていないが、その雰囲気は極小にだが和らいでいるようにも思える。


「さあ皆さん、今更ですが、少し自己紹介でもしてはどうでしょうか? 私もさすがに緑の人と呼ばれ続けるのはアレですし……」


 シュルリと舌を一度出して、カメレオンの人が不気味な笑顔を湛えながらそんな提案を持ちかけてきた。

 がしかし――

「どうも槍・使いです。そして彼女が使い魔のスネー子さんです」

『しゃー』

「では、私のことは頼りになるお姉さん、とでも呼んで頂ければ」

「あ……ああそうですか……それはそれは、ハハっ」

 すぐさま言い放った俺とリーンの自己紹介を聞いて、笑いを乾いたものへと変えた。


 ただ、それでもめげなかったカメレオンの人は、ギョロギョロと世話しなく目を動かしながらも言葉を続けてくる。


「と、とりあえず私の名前は【スルス・リア】と申します。(かしら)の紹介は済ませましたし、ハイク……は、一応改めて名乗ってはどうです」


 ねっ、とスルスと名乗ったカメレオンがハイクに向けて声をかけるが、肝心のパンダはプイ、と顔を背けて無視。

 ……どうやら赤だけでなく、緑もお気に召さないようだ。


「ええ、ええ? ハイク、私ですよスルスですよ? 昨日一緒にご飯も食べたじゃないですかっ。冗談ですよね? 冗談だといってくださいっ!?」


 慌てたスルスが懇願にも近い声を上げるが、やはりハイクは返事もしない。


「おいおい、スルスもハイクも客人の前でみっともない。恥かしいのはオイラなんだだからなっ」


 サバラはフルフルと首を左右に振ると『仕方ない』と言わんばかりの表情で、ハイクへと顔を向け、

「なあハイク、自己紹介も出来ない男は女性には嫌われるってオイラは聞いたぞ」 

 なにやら意図の掴めない台詞を言い放った。

 ――瞬間。


「どうも黒い(くん)僕の名前は【ハイク・アード】デス。

 好きな色は白と黒。好きな言葉は『愛』好きな時間は『朝と夜』白い朝と黒い夜……素敵デスよね。僕はそう思いマス。

 でも、夕方――ついでに赤はお断り、緑もやっぱりサヨウナラ」


 胸元に片手を当ててしゃなりと礼を一つ。無駄に凛々しい面持ちで自己紹介を始めたハイク。

 

 切り替えはえーよお前。

 

 しかしだ、自己紹介した所で、ハイクの放った余計な一言のせいで、スルスは肩を落としてブツブツ言っているし、リーンからはギン、と刺さるような視線がカッ飛んでいた。

 そして肝心のハイクは、先ほど頭をごちごちされた記憶が蘇ったのか、すぐにパッと両手を頭頂部におき防御体勢に入って待ち構えている。


 なんというか……本当に変わった奴だな。

 

 リーンとハイク、どうにも仲がいいとは言えそうにもない二人ではあるが、別にここで暴れまわるほど見境ない訳でもないので、俺は黙って放置することに決める――正直、下手に構っていると夜が明けてしまう気がしてならなかったからだ。


 一先ず互いの自己紹介――俺達はまともにしていない――は無事に終わる。


 俺としても名乗らないのは、失礼だとも思ったのだが、ここで本名とか名乗れる訳がないので仕方あるまい。

 俺の名前は既に獄級走破者ということもあって、知っている人は間違いなく知っている。リーンの名前も爺が有名なので却下。

 俺と似たような理由でリッツも駄目だし、ドランの名前も結局ラッセル達には知られているので教えられない。


 かといって、偽名とか名乗って反応出来ずに後でバレルのも拙い。

 結局俺は、というより俺達は話し合いの末『最初から教える気がありませんよ』との意思表示をして開き直ることにしていたのだった。


 ただ、カメレオンの人は少々驚いていたようだが、サバラは特に気にした様子を見せていない。ハイクに関しては問題外で、今は天井を見ながら上半身を左右に揺らしながら立っているだけである。


 この様子を見るからに、サバラ的にはこの程度でのことは、気にもしないといった所だろうか。

 何も考えていないのか、それともある程度理解して受け入れているのか……。

 俺が思わず品定めするような視線をサバラへと向けると、同時に彼からも似たような視線が返ってきた。


「それにしても、態々名前を隠すってことは、もしかして兄さん達って有名人だったり?」

「おいおい、考えすぎだって。こんな状況だ、名前なんて大っぴらに名乗るもんじゃないだろ?」

「シシッ、そりゃそうか。オイラとしては、実は最近噂の獄級走破者でしたーなんて上手い話を期待したりしていたんだけどね」


 サバラの言葉に一度だけ心臓がギクリと跳ねたが、俺は視線を真っ直ぐに向けたままで、すぐさま『ないない』と片手を振って否定する。

 

 一拍の間――サバラの射抜くように双眸が俺に注いできたが、やがてそれも和らいだ。

 かなり危なかったな。 

 口元の布が無かったら、頬を隠す布が無かったら、俺の動揺は彼に見抜かれていたかもしれない――そう考えると背筋にヒヤリと緊張が走った。


 リーンは大丈夫か? と心配になったが、こんな時の彼女は妙に無表情なことを思い出し、泳がせそうになった視線を間一髪で(とど)める。


「まあ、オイラとしては、兄さん達が名前を教える気がなくても、別に構やしないんですけど。

 こっちが求めてるのは名前じゃなくて、兄さん達の力だし。

 どうせ槍使いの兄さんだって、それを分かっているからこそ、偽名使わずごり押しにきたんでしょうや?」


 サバラの質問に『そりゃ予想くらいはな』と短く返答し、話が変わった安堵と共に、ソファーに腰を沈めた。


「つか、サバラこそ態々と正体隠してたのに、バラシテも良かったのか? まだ俺達が密偵でそっちの命を狙っている……なんて可能性も十分あるんだが。ちょっと警戒心が足りな過ぎるんじゃないか?」


 仕返しとばかりにそう言ってやるが、俺の台詞を聞いたサバラはゾロリとキバをむき出し笑う。


「兄さん、それこそさっきの模擬戦で殺っとけば良いでしょっ。

 大体、知ってますかい? オイラって結構ここじゃ有名なんだぜ。住民からも、勿論お国からも――それにしちゃ兄さんはあっさり騙されてくれたもんで。

 まあ、あれが演技って可能性もあるけど、とりあえず、兄さん達が外から来たんだな、って線は濃厚になった感じで」

 

 最後に、サバラは『聞きこみもしてたことですし』と付け足し俺を見る。

 あの模擬戦の目的は……そういうことか。

 恐らく、この確認を取る為にサバラは自分がリーダーだとの明言は避け、立ち位置だけを変えたのだろう。

 そして、スルスに話させている間に、こちらの反応を探っていたと見て間違いない。

 

 自分を表に出して、模擬戦を行ったのは危険と言わざるを得ない行動だが、同時に『ある程度リスクを冒す覚悟もある』ということでもある。


 話が早くて俺としても助かるが、気をつけて接しないと、こちらの素性までバレかねない。 

 どうにも手持ちの情報に差があるせいで、こちらが常に後手後手になっている気がする……。

 ただ、この辺りは埋めようがないものだし、ある程度は仕方ないことだろう。

 

 俺は、すぐに思考を切り替えると、より一層の注意を払いながらも、話題を先へと促すように言葉をかけた。

 

「で、サバラ、結局俺達を呼び出したのは戦力提供してくれってことで良いんだな?」


「端的に言えばそんな感じで。兄さん達はなんの目的でオイラ達を探ってたんで?」


「こっちは情報提供者を求めてって所だな。シルクリークの現状と、上層部付近の動きとかその辺り。どうせ街で聞いても駄目そうだったし、出来れば反抗勢力と繋がりもって色々聞こうと思ってな。

 まさか“リーダー”と直接会えるとは思っていなかったけど」


 確認の為に、リーダーを強調してサバラの反応を確かめると、彼はこちらの意図に気が付いたのか、特に躊躇う素振りも見せず言葉を返してきた。


「シシッ、兄さん。本当に何にも知らないっぽいですね。オイラは確かに(かしら)やってるって言ったけど『全体』のって訳じゃあないぜ。

 勿論繋がってはいるが……基本的にオイラ達は別モン。なんたって、オイラ達の本職は――シルクリークでの裏家業だからね」


 別? 裏家業? 一体どういうことだ……。

 よく状況がわからぬまま、俺がサバラに疑問を湛えた視線を向けると、指でテーブルをコツコツと叩いていた彼は、ピタリとその動作を止め『別に隠すようなことでもないし』と、大まかな状況説明を始めてくれた。



 ◆


 

 黙って話を聞き続けて十分、いや二十分程たっただろうか――

 ようやくサバラが『大体こんな感じで』と締めくくって口を閉ざし、俺は今聞いた情報を整理する為に、脳内でソレを纏め上げていった。


 サバラから聞いた説明は、それなり役に立ちそうなものでもあり、かといって重要な部分はしっかりと隠されている簡易的なものだった。


 先ず、多少考慮していたとはいえ、一番驚いたのは、サバラは反抗勢力のリーダーではなかったという事実だろう。

 正確に言えば、彼がかしらをやっているのは本当だ。

 ただ、そのグループが……分かりやすく言えばこの世界のマフィア的な人達だったのである。

 そう考えると、先ほど見た亜人達が、やたらとガラが悪かったのも当然か。


 どうも部屋に集まっていた亜人の数が少なかったのも、それが理由らしい。

 本隊と分隊――彼等はそれの分隊にあたり、本隊と呼べる反抗勢力のトップを担っているのは、第一王子側の護衛部隊の隊長格。

 ようは俺が見た亜人達はサバラの部下なのだとか。


 最初は、五十名~六十名程度と聞いてかなり数が少ない……とも思ったが、サバラの『いやいや、オイラ達みてーなのが、その数残っているだけでも奇跡的だとおもいますけどねっ』との言葉を聞いて納得した。

 サバラ達が名を隠さない理由も『もう散々目立って知れ渡っているからそんなことする必要がない』とのこと。


 基本的には、サバラ達は情報収集などを請負、本隊はそれを元に動く。と、これだけならば聞こえは良いのだが、実際はそうも上手くは言っていないと見える。

 

 というのも、サバラが本隊の話をする際に、若干表情に苛立ちを浮かべていたからだ。

 その時のサバラは、己の表情が変わっていたことを悟とり『あっちはどうにも頭が固くて』と誤魔化すようにそんな言葉を漏らしていた。

 

 やはり国に仕えている人とサバラ達じゃ、どうしたって折り合いがつかない箇所もあるのだろう。

 俺としては、裏家業だって必要悪ともいえる存在だと思っているし、サバラ達と接してみてソリが合わないとも感じなかったので、余り気にするつもりもなかった。


 ただ、サバラとしては少し不安だったらしく、苦笑いしながら『本隊の紹介が望みで?』と俺に問いかけてきた。

 彼の性格からしても、不安そうにしているこれだって演技の可能性は十分にあったが、どちらにせよ俺が欲しいのは情報だ。

 正直本隊とかどうでも良かったので、サバラに『別に要らない』と返答しておいた。

 

 嬉しそうに『さすが兄さんっ』等と言ってくるサバラは、とても演技をしているようには見えなかったが、その本心はやはり俺には分からない。


 そしてだ、現在の反抗勢力の状況を一言で纏めると、予想はしていたが『劣悪』と言ってもいい程だった。

 本隊の数は既に千程度、対するシルクリークは――周辺の街から正規兵を集めずに――〈ファシオン〉だけでも八千もしくはそれ以上居る“らしい”。


 “らしい”という曖昧な言葉に引っ掛かりを覚え、サバラに追求してみたものの、俺達には教えられないことが絡んでくるので『まだ説明は出来ない』とのことだった。

 この辺りは信用を勝ち取りながらも、後々聞いていくしかないだろう。


 ともかく、多少の折り合いはついていないようだが、本隊、分隊含めての目的は第一王子の救出と国の開放と一貫しており、互いに協力はしているようだ。

 

 サバラ達に関しては、盗賊とか山賊っぽいイメージが強かったのでこの辺りは少し意外に感じたが『別に話すことじゃねーんで』とやはり詳しくは教えて貰うことは出来なかった。

 

 多少気になりはしたが、最初からペラペラ教えてくれる方がオカシイので、特に追求するつもりもない。


 全体的にサバラから聞いた情報は少なく、結構隠されている部分が多い。

 ただ、俺にとって最重要部分とも呼べる騒動の発端を知れたので、それが聞けただけでも十分な利益はあった。


 今回の騒動の起こりは――大よそ三ヶ月前ほどで、クレスタリアからの使者が来たのと同時期だとか。

 しかも、使者の名前は【シャイド・ゲルガナム】だ。

 もうこの時点でアイツがなんらかの関わりをもっているのが、容易に想像できてしまう――本当に、余計なことしかしない奴である。


 そして、それを境に起こったのが、耳にしていた継承者争い。

 本来ならば争う必要すらなく第一王子で決まりだったのに、なぜか急に第二王子を支持する派閥が出来始め、気が付いてみれば大騒動。

 話によると、第一王子が第二王子を殺害しようと企み、それが発覚。

 現在は、殺されこそしていないものの、冷たい冷たい牢の中だとか。


 サバラの言うには『確実に第二王子側に何かを仕掛けられたのだろう』との話だが、それを覆せる証拠は第一王子側には提出できず、手の打ちようもなかったらしい。


 元々、第二王子は亜人嫌いの節はあったとの話だが、根本的な人柄は自体は悪いものではなく『ここまで酷いことになるとは思っていなかったのだろう』というのがサバラの見解だ。


 後は俺も知っている通り、ファシオンが徐々に勢力を増してゆき、現在に至る。


 サバラ達が現状で打てる手立ては、局地的なゲリラ戦で相手の数を減らすこと。

 最近は一度拠点がバレテ襲撃されてしまい、少し大人しくしていたらしいが、今日また拠点に攻め込まれ、昼間の騒ぎに発展したという流れだ。


 試しに、結構無茶をしていたことを言及してみると、サバラは、毎回何かあるたびに周辺民家等には被害も出ているが、その後にしっかりフォローは入れていると言っていた。

 

 フォローしても不満は堪るだろう……とは思ったのだが、どうやらファシオンは人間だからといって特に、優遇する訳でもなく【弱いものは死ね】【逆らうものは死ね】を有言実行しているとのこと。


 つまり、別に彼等が何もしなければ被害が出ない、と言ったわけでもないらしく、迷惑は迷惑だが、恨むならファシオンで、彼等の被害はまだ許せる範囲で収まっているのだと思われる。


 ファシオンの出所は不明、鉄仮面達もどこからか降って湧いたかのように、いつの間にか現在の王の側に居たらしい。

 最近ではそこに付いて回る外套を着込んだ付き人――恐らくラッセルだとは思うが――も増え、シルクリークの上層はかなり様変わりしていると教えてもらった。

 

 ただ、肝心のシャイドらしき人物とクロムウェルらしき人物の情報は、残念ながら聞けず終いだ。

 サバラがソレを隠しているのか、本当に知らないのかまでは俺には判断出来ない所……ではあるが、トントン拍子にいかないことなど、端から覚悟の上ではある。

 

 焦らず、少しずつ調べていくしかないか……。

 暫く黙って考え込み、一頻り纏め終わった俺は、深く呼吸を落とした。

 魔灯だけではなく、蝋燭の明かりも灯ったこの部屋を一度見渡し、意識を切り替える。


「とりあえず、ある程度の状況は分かった。サバラ的には俺達にその局地戦で、手を貸して欲しいってことでいいんだな?」

「へい、兄さん達の腕は拝見させて貰ったけど、そうしてくれるとオイラとしても助かりますね。

 いや、さすがっ、兄さんお強いっ、素晴らしいっ」


 パチパチと、ふざけているのか真面目なのか、良く分からないサバラの妙な煽てをシカトして、俺は少し考えを巡らした。


 出来ることならば、戦闘行為に加担するのは避けたい所ではあるが、やはりそうワガママも言っていられない状況だ。


 俺が求める情報は普通の手段では入りそうにもない――そんなことは、ここ何日か歩き回っていて分かっていたことだ。

 もし仮に、情報集めを彼等の手を借りずにやろうとすれば、俺達は城への侵入などにまで手を伸ばさないといけなくなる。

 そう考えると、小さな戦闘程度ならば許容できる範囲か……。


 視線をリーンへと向けてみるが、彼女としては俺に任せるつもりなのか、特に否も応も漏らさない。

 ドリーは小難しい話が続いてなんだか良く分からなくなったのか、既に俺の頭に寄りかかってウトウトしている。


 まあ、ドリーの仕事範囲ではないし、何かあったら確実に反応してくれていると信じているので、このまま放っておくことにする。

 リッツやドランからも判断は任せると言われているし、やはり此処は俺の裁量で決めるしかないだろう。


 一度瞑目し、様々なリスクやリターンと相談を済ませ、やがて俺は決断を下す。


「分かった、協力はする」

「おおっ!!」


 パッと輝くサバラの表情――よし、とガッツポーズをしているところを見ると、余程戦力が足りずに苦しかったのだろうか。


「いやーさすが兄さん、話がわかるぜっ。これで大分オイラとしても楽になるってもんだ。赤い姉さんにも勿論期待させて頂きますよっ」


 テンション高く言い募るサバラ。だが、俺はそんな調子の良い彼に釘を刺すため……『だが』と人差し指を立てて言葉を続けていった。


「協力はするが幾つか条件はある。あまり無茶苦茶に頼られても困る。そっちは俺達に情報を、俺達は見合った働きを……これは当然だろ?

 そしてもう一つ、出来れば隠れ家になりそうな拠点が欲しい。立地は外壁から離れていて、それなりに人通りが少ない場所だ。これはそっちにとっても悪い話じゃない。

 実は俺達にはまだ仲間がいるんだが、その二人は亜人だ。呼び込むにはどうしたって拠点が欲しい。

 仲間の実力は俺が保障する……どうだ?」


 ふむ、と一言漏らし、サバラは俺の出した条件を反芻するように考え込む。

 

 正直、俺としてはこの条件は飲んでもらわないと困る。

 ここで都市内に拠点を構えることが出来れば、ドランとリッツも呼び込めるし、それこそ――色は変えるが――樹々を出撃させることだって可能だ。


 樹々の姿は確かに目立つデメリットはある。そんなことは百も承知。

 大体普通に考えて、俺が樹々とこのまま一緒にいるのならば、いずれ必ず姿を晒すことになる。

 リスクを減らすために樹々と別れる? 勝手に大きくしといてこちらの都合で、そんな事するなど絶対にあり得ない。

 樹々だって立派な仲間、この辺りはきちんと俺が覚悟せねばならない部分だといえる。

 

 樹々だって大きくなれて嬉しそうにしていたし、良かったに違いない。つまり、フォローや苦労は俺がすれば良いだけといった至極単純な話だ。

 

 そもそも、あの時と拠点を持ってからじゃ全然話が違う。隠せる場所があり、荷物や馬が一緒にいないというのはかなり大きい。

 馬がおらず樹々単独であれば、あの速度に任せて斧槍だって容易に振りきれるし、そのお陰で俺達の安全性だって増す。


 これから先のことまでは言い切れないが、今回の件に関してだけならば、樹々の存在はシャイドもラッセル達も知らないし、彼女の姿から俺達の正体までは行き着く心配もないだろう。


 と、俺がそんなことをツラツラと考えている間にも、サバラが考えを纏めたのか、落としていた顔を上げ――二カッと牙を見せ、言った。


「亜人の仲間が居る……この話が本当なら、オイラ達はかなりの当たりくじを引いたってことかもしれない」


 どういうことだ? と俺がその言葉に首を傾げていると、サバラは『なに、簡単なことですって』と手をヒラヒラと振った。


「あの腐れ鉄仮面達は、今まで一度たりとも、亜人を拷問にかけて情報を吐かせこそすれ、密偵などに使ってくることなかった。

 というよりは亜人と手を組む……否、下に付けることすら嫌がってんでしょうね。

 ようは、また一つ兄さん達と手を組んでいい理由が増えたってことだっ。

 幾らオイラだって、その程度で信じきるなんて馬鹿な真似はしないけど、結構期待はかけちまうよね。

 乗ったよその話、余っている拠点もあるし、そこで良いなら使って貰って構わない」


 よし、これでどうにか拠点は確保できそうだ。

 後は一度そこを見に行って荷物を移動、リッツ達を迎えに一度仮拠点へと戻るって所か……。

 

 今後の方針を少し考えながら、俺はソファーから立ち上がり、リーンもそれに続く。


 俺達は、そのままツカツカとサバラの所まで歩み寄り、

「なら、暫くよろしくなサバラ」

「シシッ、こちらこそ、期待してますからね、兄さん」

 手を結ぶ――その言葉通りにサバラとの握手を交わしていった。



 そのまま話し合いは終了へと向かおうとしたが、俺は『待てよ』と気を取り直して、試しにハイクに向かって手を差し伸べてみることに。

 駄目か? と一瞬そう思ったが、ハイクは俺の言葉に反応し、素直に手を握り返してくれた。

 とてもハイクの手は大きく……そしてプニプニでした。


『にょおお、相棒良いなー良いなー、私もプニプニを。でも、この蛇さんを脱がなければ黒くなれません。

 っく、こうなれば……おや? おやおや? これはこれで素晴らしいですっ』


 話しの終わりに差し掛かり、目を覚ましていたドリーは、ハイクの肉球を触れなかったのを嘆き、フードの上から俺の耳たぶをフニフニと触ると……なぜか気にいったらしく、延々と摘んで遊び出した。

 

 右前方にいるスルスが、やたらと心配そうに俺を伺っているのは、きっと、俺が使い魔の蛇に噛まれているようにしか見えないからだろう。間違いない。


 お願いです。恥かしいのでやめてくださいドリーさん。


 俺は急いで『後で遊んでやるから』とコソコソとドリーを説得し、どうにかソレを止めさせ一息つく。

 とはいえ気恥ずかしさは未だある。俺はソレを誤魔化すためにコホンと咳払いを一つ、そのままハイクへと挨拶を送った。


「じゃ、じゃあ、ハイク、よろしくな」

「おお、ヨロシクですね黒い君。ところで、僕は友好の証に君の肌を白く塗ってあげようと思いマシタ」

「……いや、気持ちは嬉しいけど、本当に遠慮しときます。マジで勘弁してください」


 ははは、と苦笑いを零しながらハイクの申し出を断ると、彼はシュンと肩を落として『とても残念デス』と呟いた。

 ハイクの黒い瞳は、どう見ても本当に残念そうな光りを湛えている。


 やべぇ、コイツ……冗談じゃなく本気だ。

 そんなハイクを見て戦々恐々としながら、横に視線をやると、見えたのはリーンの姿。


 右腕はハイクの方へと向かおうと伸び、リーンはそれを『自分を保つのよ私』と左手で掴んで止めている。

 どうやら、リーン的にはハイクは嫌だけど、肉球には触りたかったらしい。

 なんだか可哀想だし……後でしこたま自慢してやろう。


 よしよし、とからかうネタが増えたことに喜んでいると、視界の中にスルスの姿が映った。 

 相変わらず素敵(ぶきみ)な笑顔を貼り付けたカメレオン。

 彼としても握手しようと思ってくれていたのか、俺へと手を伸ばしてくれている。

 カメレオンの皮膚ってどんな感触だろうか、などと思いながらも、俺はソレを受け取ろうと手を伸ばした――のだが、

 

「兄さんって結構人付き合い得意っぽいですね。こりゃありがたい。ハイクの面倒も見てもらえそうだし、オイラの手も空くってもんだっ、いやー助かる」

 

 交わす寸前、横合いからサバラ聞き捨てなら無い台詞が飛び込んできて手を止めた。


「おい待てサバラ、落ち着け止めろっ。俺は人付き合いが凄く苦手だ。初対面の人とは話すことすら出来ない程なんだっ。

 大体、自分の部下だろ、責任はかしらが持てよっ!」


 思わず変人を押し付けられそうな危機的状況に焦り、スルスと握手をすることすらも忘れ、サバラに抗議する。


「あー言い忘れてたけど、ハイクは別にオイラの部下じゃないよ」


 しかしそれすらも、サバラの軽い言葉で返されてしまう。 

 俺は思わず『え?』と、声を漏らした後――我に返り、サバラへと問いかけた。

 

「いや、部下じゃないって、じゃあなんだよ。実はハイクが真の頭でしたってオチは無しだぞ」

「おおっ、兄さん、それ面白いっ。でも残念ながらそういう訳じゃないんだよね。

 簡単に言うと、ハイクは二十日前程にオイラがちょっと道端で拾ってきただけでして、なっハイク」

「はい、斑点君に拾われマシタ」


 シシッ、と笑うサバラと、妙に凛々しい顔つきで言い切るハイク。

 

 正直、全く意味が分かりません。

 思わず俺が二人へと呆れた視線を送っていると、サバラが『こりゃ、失礼』と言いながらも説明を続けてきた。


「どうもハイクって、人探しの途中でシルクリークに寄っただけらしいんで……しかしまあ、コイツって目立つでしょ? 直ぐにファシオンに見つかっちまって、通りの中央で大暴れ。

 で、そのままにしとくと、鉄仮面の野郎に殺られちまうのが目に見えてたんで、オイラが回収しましたって話でさ」

「砂色は惜しいですが、白じゃないから嫌いデス」


 さ、さいですか……。

 黒い耳をヒョコヒョコと動かすハイクを見て、俺は『でも、ハイクは人探しをしているってのに、何でまだサバラ達と一緒にいるんだ?』といった疑問を抱き、そのままそれを口に出した。

 ――瞬間。


「ばっ、兄さん余計なことをっ」


 サバラが慌てて俺に制止の声を投げかけ、俺は訳も分からずそちらに身体をむけ――ようとしたのだが、腕をガシリと掴まれて、動けなかった。

 え、と嫌な予感がして腕を見ると、何故か爪付きの、大きな手が映った。

 そして眼前に見えるのは、爛々と瞳を輝かせているハイクの顔。


「黒い君そんなに知りたいのデスカっ! 分かりましたっ、では、僕と彼女の愛の出会いをきっちり語って差し上げましょおおお!」

「え、ちょ、ハイクさん? 何これ怖い」


 両腕を、縄跳びのようにブンブン振り回された俺は、ハイクの血走った瞳を見て反射的に恐怖を感じ、サバラに助けを求めて視線をやる。

 が、彼は『もう遅い』と無常にも首を横に振るだけで助けてはくれない。


 っぐ、そうだよな、お前今日あったばかりだもんな、冷たいのも当然だ。良いよ、俺には頼りになる仲間がいるしっ。 

 胸中でサバラに毒づき、俺は首を捻り、リーンへと向けて、必死になってSOSの電波を放つ――が、


「なんというか……いつも余計なことするわよね。

 例えるなら、自分から『いやっほー』って叫びながら罠に向かっていって、盛大に踏みつける……とでも言えば良いのかしら?

 即死の罠だけ踏まない辺り、運が良いのか悪いのかわからないわね」


『むふふ、リーンちゃん、ここは私の【相棒伝説箇条書き】の三ページ目に載っている言葉を引用し、お答えしましょう。

 良いですか【相棒は、真っ直ぐ行っては罠を踏み、横に避ければ敵に会う。逃げない姿勢が素晴らしいっ】はいっ、つまりはこういうことですっ』


 いや、どういうことです? 後、その妙な本没収するからな。


 全く助ける気もなく失礼なことを呟いているリーン、謎の自慢話を暢気にしているドリー。

 俺はその二人の様子を見て、自身の出した救助信号が受け取り拒否をされたことを理解した。いや、拒否というよりも気づいてすらもいやしなない。


「さて黒い君、まずは僕と彼女との出会い編【白だった僕が白黒になった日】から聞いて貰おうと思いマス」

「いや、いいよっ、大体お前最初から白黒だろっ」

「心の有り方の問題デス」


 くそ、話にならないっ。

 このままでは、全何話あるのかも分からないハイクの話に付き合うハメなる。

 だが、逃げようにも腕を掴まれ動けない。本人に悪気がなさそうなのが厄介だ。これが俺の命を狙ってのことならば、殴り倒してでも逃げられるのに。


「嗚呼、なんだか、皆さん楽しそうですね……はは、私まだ握手……してない……そ、そうですよね、私と握手なんてしませんよね。

 ふふ、もう駄目だ、消えてしまいたい」


 ふと、耳に入ってきた寂しそうな声。

 パッと見てみると、そこにいたのは右手を伸ばした状態で止まっているスルスだった。

 俺は思わずハイクから逃れることも忘れ、失礼にも『あ、そういえばそうだっけ』と呟いてしまう。


「そういえば……そうだっけ……ですか。くぅ!!」

 

 ガパっ、と口を開けてショックを表し、拳を握って落ち込んでいるスルス。


 いや、ごめんなさい、悪気はないんです。

 心なしか、彼の皮膚が背景の壁と同化しているように見えたが、まあ若干程度なので、気のせいだ。そういうことにしておこう。

 これ以上オカシナ事態が起こられても俺一人では対処できません。


 どうにも掴めない感じのサバラ、全く掴めない感じのハイク。

 後、スルス。と結構癖の強いのが揃っているこのメンバーと付き合っていくのは、中々に大変そうだ。

 

 一応、サバラは色々厄介なので、これからも多少注意しておかなければならない……とは思っているが、同時に『出来れば良い付き合いが出来たら良いな』と願う気持ちもある。

 というのも、色々抜きにして、個人的な意見だけならば、俺はこの亜人達を嫌いではないからだ。


 ――ああ、でも、ドランはまだしもリッツが慣れるのは大変そうだな。変な奴しかいねーし。


 ハイクの上機嫌な語りを右から左へと流しながらも、俺はこれから迎えにいかねばならない二人の仲間に『上手くいったよ人柄以外は』と謝罪の言葉を述べていった。




 ◆◆◆◆◆




 石畳の上にピチャピチャと、水滴が跳ね、黴臭い臭いが“アッシ”の鼻をつく。

 いつ来ても薄暗く、何度来てもいい気分はしない。

 鉄格子のハマッタ牢屋を右手に顔を顰めて足を進めると、手に持っていた食器がカチャカチャと鳴り、暗い廊下にその音が木霊した。


「おい、アンタ、出してくれッ! 良いだろう? なっ!?

 くそ、畜生ッ、亜人だからって何でこんな目にあわなきゃならねーんだッ!」

 

 そんなもんこっちの台詞でさ……。

 牢獄の中から亜人が叫び、アッシはそれを無視して更に足を動かす。

 延々と、延々と、呻き声と、叫び声、怒声が響き渡っている。

 毎回アッシが通る度、こうやって必死になって気を引こうと声をかけてくるのだから堪らない。

 

 気にしないように意識を散らし、牢屋の中へと視線を向かわせながらも先へと進む。

 冷たい鉄格子の中には――亜人、人間、城のお偉いさんまでいる始末。

 余裕があれば『助けてやろうか』なんて気持ちも湧いてきたかもしれないが、今のアッシには、そんなものは微塵も有りはしなかった。端的に言えば、自分のことでいっぱいいっぱい、ということだ。


 しかし、さすが城の地下にある罪人監獄、碌な場所ではない。いや、正確に言えば……違いやすかね。

 今、此処に入っている者達は、きっと常識で考えると誰一人として、罪を犯してはいない筈、つまり、ここは罪人監獄だった場所と言った方が正しいだろう。


 お尋ね者になっているアッシは、こうやって捕まらずに歩き回り、何もしてない彼等が牢の中――不思議なものだ。

 素直に喜べそうにはありやせんが。


 蝋燭に灯火に照らされた自身の影、アッシはそれを見て項垂れた。

 制約、監視、お目付け役。

 呼び方こそ何でもいいが、今もアッシの影にはシルクリークにいく直前に入れ込まれたシャイドの使いが潜んでいる……筈。

 クロの旦那には、アッシ達の安全を守るためだーなんていっていたが、どう考えても余計なお世話である。


 その上、出発直前掛けられた【下手なことを喋ると、お守りがナイフへと変わるかもしれませんね】との言葉のせいで、恐ろしくて何も喋れやしない。

 

 何を喋るな、とは一言も教えてはくれず、ただ【喋るな】との警告。

 それは、下手に指定されているよりも俄然自由度が低く、とても恐怖を感じる。

 嫌らしいこの鎖は、掛けた本人の性格が透けて見えるというものだ。


 とはいえ、何も縛りが無い状態で外に出してもらえるとも思えない。

 シャイドとしては旦那の意向を聞いてやる素振りを見せたかっただけだろうが、あの吊られた死体のようにならなかっただけ、アッシ達はまだ運が良かったのだろうか。

 

 ふー、と息を吐き零し休まず足を動かしていく、カツッ、カツッ、とブーツのカカトが石畳を叩き、陰鬱な音を響かせた。

 

 暫くの間、奥へ奥へ向かい続け、ようやくアッシの目的の場所へと辿り着く。

 牢の最奥、一際大きな檻の中にいる人物を見て、思わずアッシは『本当に強い人で』と感心の声を漏らしてしまった。


 牢屋のど真ん中で健在している男。

 正座を少し広げた形で石畳の上に座り込み、両手は行儀よく膝の上、背筋は固定されているかのように美しく、今も堂々と伸ばされている。

 年齢は二十七前後だと聞いているが、これだけ力を落としていてさえ尚、アッシの目からはもう少し若く見えた。

 

 上等な絹の服は既に薄汚れており、頬だって痩せ、金色だった髪も心なしか輝きを落としている。

 それなのに、アッシを貫くように黄金の瞳は、今も太陽の如き力強さを保ったままだった。


 不意に、食器を手に持ち呆然としているアッシに、朗々とした声音が掛かる。


「ラッセル君……だったかな? いつも食事を運んでくれて助かっているよ。

 所で、私としては国の方も気に掛かるし、そろそろ出して貰いたいのだが、如何かね?」

「え、い、いや、アッシに言われましてもっ」


 思わず男の声にたじろぎ、しどろもどろに返答する。

 かさついた唇から吐き出されているとは思えない、しっかりとした声音。

 こんな場所じゃなければ……いや、潜む影さえいなければ、反射的に従ってしまっていたと思うほど、妙な強制力を持っている。

 しかも大槌の旦那が考えずに呼ぶもんだから、名前まで覚えられちまっている始末。


 お尋ね者のアッシが、シルクリークの王とこうやって話す……なんてどんなイカレタ状況ですかい。

 いやいや、王ではなく、第一王子【イシュ・シルリーク】でしかない筈だ。

 何度来てもこれだ。毎度毎度、この思わぬ迫力に押されてしまい、彼が王だと感じてしまう。

 

 玉座は石畳で、服は薄汚れているのに、だ。

 アッシには一生出せないナニカを彼はもっている。

 ただ『羨ましい』と感じると同時に『別に要らない』とも思ってしまった。

 

 特別なものを持っている人は、得てして特別にしか生きられない。

 一人の男として憧れこそすれ、一人の人間としては、特別ではなく好きに生きたいと願う。

 

 アッシも獄級走破者なんてなろうと思わなければ、普通に暮らせていた気もしやすしね……っち、またどうでもいい事を考えちまいやしたね。

 

 フルフルと頭を振って妙な思考を追い出して、アッシはイシュの元へと食事を運んでいく。

 

 中身を零さぬように、格子の隙間から食器を慎重に入れ、そのまま格子からゆっくりと離れる。

 最初は腕でも掴まれやしないかと恐る恐ると(おこな)っていたのだが、イシュは特に暴れる様子も見せず、いつもアッシが離れるまで黙って動かず待ってくれていた。


「ありがとうラッセル君。所で、今都市内の状況はどうなっている? 未だ亜人を迫害するなどといった下らない行為が続けられているのかい?」

「いや、だから、アッシはそういうの答えられないんですって」

「ふむ……では仕方ないね。ならば、亜人(たみ)の様子を教えてはくれないかい」

「……言い方変えただけで内容大して変わっていやせんが」

「はは、それはすまない。でどうかな?」


 この人……本当に諦めの悪い方でさ。

 アッシが食事を運びに来る度、こうやって少し言い方を変えただけの質問をくり返してくるのだから、なんともしぶとい。

 正直、こんなジメジメと陰気な場所に閉じ込められていて、よくこれだけ気力が湧いてくるものだ――と感心せざるを得なかった。


 とはいえ、アッシから語るべきことは何もなく、イシュを助けるような真似だって出来などしない。

 これ以上ココに居ても、罪悪感やら色々なものが刺激されてしまい、居た堪れない気持ちになりそうだ。

 

 これだからココに来るのは嫌なんでさ。

 深く嘆息し、アッシが早々にここから立ち去ろうとイシュに背を向けた――その時だった。


 何かを引きずる音と、軋むような金属音が、アッシの足の向く先、つまりは出口方面から近づいてくるのが分かった。

 姿はいまだに見えないし、周囲の牢屋が騒がしくて、詳細にはわからない。

 ただ、職業柄、耳と鼻にはある程度自信があり、気のせいではないと断言はできた。


 こんな場所に誰が? いや、ここに来れる人物なんて限られていやすし、この金属の軋む音は、あの四人のうちの誰か……。


 そんなアッシの予測は良くも悪くも当たり、炭を塗ったかのような暗闇の中から、赤錆色の鎧を着込んだ戦士の姿が浮き上がる。


 他の旦那達に比べると布地が目立つ、赤錆色の軽鎧。ただやはり肌は微塵も晒していない。

 頭部を覆う鉄仮面の後部には、連なった矢尻の先のような金属装飾がダラリと後方に下がっていて、歩みに合わせてチャラチャラと揺れている。

 

 シルエット自体は女性特有の丸みを帯びてはいる……が、纏う雰囲気が凶悪過ぎて色気もへったくれもあったものではない。


 なにより、今も背負われている大剣を目にすれば、誰もそんなことを考えている余裕はなくなるだろう。

 一般的な女性よりも彼女の身長は高い――が、背負われている大剣はそれを容易く超えていた。

 

 広い幅と肉厚な刀身、先端付近までは両刃ではあるが、先に向かうにつれてほんの少しだけソリを見せ、片刃に変化している。

 その先端裏側部分は、ギザギザとした形状となっており、少し引っ掛けただけでも骨まで持っていかれそうな、獣の牙を連想してしまう。

 包丁にも少し似ているようで、ナイフを巨大化させたような形とも言えなくはない。


 いや、飾りなど一切無く、(ガード)すらも付いていないその様は、刀身と柄を持っただけの凶器と言った方が相応しいだろう。

 一見しただけでも分かる、重量と、想像しただけで分かる破壊力。

 アレを強化魔法など掛けずに、腕一本で振り回すのだから、やはりアッシが相手にしているのは化け物で間違いない。


 腕を後方に垂らすように向け、何かを握って引きずって歩いてくる姉御は、アッシを見つけると、少し首を傾げながらも声を掛けてきた。


【あらラッセル、また餌やり当番? アハハ、可哀想に】

「へ、へぇ……あ、姉御こそ今日は何用で?」

【用……用って程じゃないわ。少し届けモノがあったから持って来て上げただけ。

 嗚呼、ほらラッセル、私って優しいと思わない?】


 全然――という言葉は寸前で飲み下し、どう返答しようかと迷っていると、姉御は不意にイシュの方へと身体を向けて、右手を振って何かを投げた。

 軽々と飛んだソレは、ドサリと荷物袋でも落ちたかのような音をたてて、牢屋目前へと転がった。

 ピクリ、と珍しくもイシュの眉が微かに顰められている。


【見覚えあるでしょソレ。貴方の知り合いだもの。

 あら、ゴメンナサイ。もうただのゴミにしか見えないかも】


 楽しげに笑う姉御を見て、思わずアッシは戦慄した。

 投げ出されたのは死体。顔は既に分からないぐらいに潰されていて、全身には数えるのが馬鹿らしくなる程の、切り痕が刻まれている。

 どうにか人だと分かったのは、わざと手足が残され、服を着ていたからに過ぎない。

 ソレラがなければ、血液などとうに枯れ果て、赤黒く変色し乾いて固まっているただの肉塊にしか見えなかっただろう。


 アッシは自身を善人だとは思わないが、これを心底楽しんで行えるほどイカレテもいなかった。

 無慈悲、というよりは、慈悲という言葉すら知らないのではと思えるほどに、姉御は心の底から笑いを上げている。


 しかもあの死体は……。

 そのボロクズのようになっている服装の刺繍に、アッシは見覚えがあった。

 確かイシュ派の高官で彼が捕まった際、こちらに流れてきた男のものだった筈。

 何故こんな姿に? とそんな疑問が振って湧いたが、ソレはそのまま続けられた姉御の言葉によって解消されることになった。


【この死体(オジサン)、亜人と繋がっていたのよ、知ってた? 余計なことしなければまだ生きていられたのに、これだから馬鹿は嫌い。

 コレ、貴方とも仲が良かったのかしら?】


 つまらなそうに吐き捨て、イシュを嬲るかのように声を掛ける姉御に、瞑目したまま微動だにしなかったイシュだったが、やがてポツリと言葉を返す。


(むご)いことをする。冥福を祈る。私が言えるのはこれだけだ」


 瞑目し、尊ぶように言い切ったイシュを見て、オイラは息を呑んだ。

 ……あの死んだ高官は話によると、イシュとかなり友好的な間柄だった筈、よく感情を抑えられる。


【そういえば、今日は、ワタシの優しさから犯人も連れてきてあげたのだったわ……ほら嬉しいでしょう?】


 姉御はそこまで言うと、もう片方の手に捕まえていたモノ――いや、猿轡を噛まされ拘束されている亜人を、イシュの目前へと突き出し見せた。


【この亜人が殺したのよ。これは嘘じゃなくて、本当……ほら復讐しなさいな。特別に許してあげる。

 武器が欲しい? ナイフが欲しい? 今なら手渡してあげても良いわ】


 何を考えているのかイシュを(そそのか)す姉御を見て『たぶん、本当に嘘ではないんでしょうね』とアッシは捕まっている亜人に同情した。

 ただ、間違いなく強制されての行動だ。恐らくどうしようも無い状態に追い込まれ、やらされたのだろう。

 

 そして、イシュもアッシと同じことを考えていたのか、

「私は彼を殺さない。君達の言う通りには動かない。これは何度もいった筈だが、まだ分かっていないのかい?」

 特に躊躇うことなくそう断言した。


【相変わらずつまらない男だと思うわ、貴方って】

「そうかい? 光栄だね」

【ふぅん……じゃあコレはもう要らない】


 たった一言――無情な一言によって、捕まっていた亜人の処遇が決まる。

 ゴミでも放るかのように床に投げられ、打ち付けられた亜人の男。

 痛みにもだえながら、ようようと身を起こした――瞬間。

 亜人の頭部が、姉御の背から抜かれた大剣の一振りで飛んだ……いや、弾け飛んだ。


 撒き散らされる脳漿と血液。

 ソレラは床を汚し、格子を汚し、中に居たイシュの頬にまでピシャリと跳ねて届いた。

 が、それでもイシュは動かず、声も上げずに座り続けている。

 唯一、その膝に置かれている両拳が、砕け散らんばかりに握り込まれていること以外は、普段の彼と変わらぬ姿だった。


【ねえ、そろそろ王に従う気にはならない? いい加減、面倒で仕方ないのだけど。このままこれを続けていると、いずれは貴方も同じ目に遭うわよ】

「じゃあ今すぐソレをすれば良い。私など居なくとも特に困らない筈だ。

 やらないのには、それなりの理由があるからじゃないかい?」


 少しの沈黙が流れる。雰囲気は最低なもので、姉御の全身からは怒気が垂れ流されている。

 牢に捕まっている人等は、姉御が来た時点で一寸たりとも口を開かない。

 今この場には、緊張感と静寂と、二つの死体と血の臭いしかなかった。


【殺さなくとも、幾らでも苦しめる方法はあるわ】


 拷問に掛けるけど良いか? とそう姉御は問いかける。


「ハハっ、自分で言うのも情けないが、実は私は余り強くなくてね。下手に拷問に掛けたら誤って死んでしまうかもしれないが、それでも構わないなら好きにすると良い」


 しかしそれを聞いてもイシュは少し笑ってそう言った。


【どうしても従う気はないのかしら。また知り合いの死体が増えるかもしれないけど】

「出来れば止めてくれるとありがたいが、君達の言うことを聞いてしまうと、それ以上に死体が増えそうだ。

 ――残念だが断るよ、何度問いかけても答えは同じだ、私は君達には屈しない」


 姉御の怒気が一段と膨れ、イシュを切り殺すか……とまで心配したが、

【次に来る時にはいい返事を期待しているわ、また死体(みやげ)も持ってきてあげる】

 すぅ、と怒りを納め、それだけ言ってイシュに背を向けた。


 石壁に渡る姉御の足音が、次第に闇に溶け込むように消えていき、それをアッシは緊張を和らげながらも見届けていく。


 尋常じゃなく胃が痛い。本当に勘弁してくだせぇや……関係ないアッシまでこれだ。当の本人はどれほどの緊張を抱いていたのか。

 と思ったが、その張本人は特に顔色を変えず、頬についていた血を裾で拭っているだけで、そこまで動揺は見受けられなかった。


 思わず『信じられねー』と、アッシが間抜けな視線を向けていると、暫く黙っていたイシュが、ポツリ……と呟きを零した。


「なあラッセル君、この国はどうなってしまうのだろうね」

「いや……アッシに聞かれてもわかりやせんや」

「……そうか、そうだね、すまない。出来れば、また食事を頼むよ。飢えたら死んでしまうからね」


 冗談交じりのイシュの声、その裏側で何を想い、何を悔やんでいるかはアッシには何一つ分からない。

 どうなるのか、どうなっていくのか。

 先ほどのイシュの質問、アレは、例え影の縛りがなくとも答えられなかったに違いない――。




 ◆◆◆◆◆


 


 鬱蒼たる葉が生い茂る樹木の上“アタシ”はそこで身を潜め、ただひたすらに機会を伺い、息を殺していた。

 

 後少し、もう一歩。

 眼下に見える緑色の狩人、それが射程に足を踏み入れたのを見届け、アタシは何も考えずに淡々と引き金を引いた。


 カシュッ、と小さな音が鳴り、一本の金属矢が空気を裂いて狩人へと向かう。

 外すわけが無い。中らない筈が無い。

 そんなアタシの自信に従うように、矢弾は吸い込まれるようにモンスターの瞳を貫らぬき、脳へと埋まり――瞬間、予想していた以上の声量で、獣の断末魔の叫びが森の中を駆け抜けていった。

 すこし驚き、ビクリとしてしまったが、まだ動くのは早い。

 自分自身を諌めながらも、木の上から獣の様子を冷たく見下ろして、相手の動きを伺っていく。


 今もアタシの眼下では、獣は矢弾を抜こうともがいているが、今回はしっかりと矢尻つきなので、早々抜けるはずもなかった。

 それどころか下手に手で引っ掻くものだから、更に深く突き刺さっている様子だ。


 しかし、相手の頭は二頭であり、コレではとどめを刺すには至らない。

 手に持っていたボウガンに新たなる矢を装填したアタシは、今も振られている獣の頭部へと狙いを定めていった。

 

 緊張感が肌を舐める。自身の呼吸の音が、まるで暴風のように盛大な音に聞える。

 痛みで暴れる的を射抜くのは、やはり先ほどよりも数段難しい。

 が、やはりアタシは外す気はしなかった。

 

 相手の動きを予測して、黙したまま、淡々と引き金を引く。

 先ほどと同じ音を立てながら飛び出した矢弾は――やはりアタシの狙い通り、もう一方の頭と同様の場所に突き刺さる。

 再び、穏やかではない叫びが轟き、獣が盛大に荒れ狂い、アタシはその様子を眺めながら念のためもう一本矢を装填し『この分だと大丈夫そうね』と呟き、一息ついた。


 その後も暫く、驚異的な体力で暴れ狂っていたツイン・レパードだったが……さすがに脳まで入り込んだ矢を受けては生きていられなかったのか、やがて動きを止め、倒れ伏した。


 まあまあって所かしら……もう少し距離離しても届くならやりやすいけど、さすがにこの武器じゃ無理そうね。


 レパードが力尽きたのを見届けたアタシは、手に持っていた代えの武器と、保険で持ってきていた魔銃を肩に、樹木の上からスルスルと下りていく。

 着地と共に、地面におちていた枯れ葉がアタシの足裏で破砕し、サクッ、と軽い音を鳴らした。


「ねえ、ドラーン、もういいわよ、お願いー」


 レパードの死体に歩み寄りながら、居るであろうドランへと声を掛けていく……と、右手前方の茂みがカサリと揺れ、中から角が生え、続いてドランがヒョコっと顔を見せた。


「さすがリッツどんだで、オラの出番はなかっただよー。今回は結構上手く隠れられた気がしたから、ちょこっとだけ残念だけども」

「ふふん、ドランの出番はアタシが外した時な訳だし。もしかしたら一生無いかも知れないわよ?」

「んー、それはそれで中々複雑な気分だで」


 会話を交わしながらも、がさがさと出てきたドランは、アタシの言葉を聞くと、とても難しそうな表情を湛えて腕を組み唸っている。


 出番が欲しいのか欲しくないのか、外して欲しいのか、欲しくないのか。

 そんなことを真剣に考えているドランは、ある意味で彼らしい姿と言える。


「アンタ、何妙なこと長々と悩んでるのよ。

 もう、ほらほら、そんなに心配なら、さっさとコイツを運んでまた訓練すれば良いでしょうが。アタシも手伝ってあげるからっ」

「おお――!? 確かにそれもそうだで。それに急がねーと、血の臭いで他のモンスターも寄って来るかもしれねーもんな」


 アタシの言葉に納得したのか、ドランは、ワシと大きな手でレパードの尻尾を掴むと、特に苦労している素振りもなく歩き始めた。

 食料確保にモンスターをお持ち帰りする竜人。正直どちらがモンスターか分からない光景ではあるが『これなら後二匹くらい持たせられるんじゃない?』とか考えているアタシは、人のことを言えなくなってきてしまっているのかもしれない。


 仮拠点で暮す日々――食料調達し、水を確保し、薪を集めて訓練をして、ドランに料理を習ったりと、既に、クロウエ達が向かってからそれなりの時が経過している。


 クロウエの奴『適度に帰ってくるよー』等と言っていた割には、未だ帰ってくる様子を見せないのは一体どういう了見だろうか。

 まさかナニカ問題でもあった? もしくはヘマでも踏んで捕まったり?


 と、そんなことを考えこんでしまっていた所為か、

「クロウエ達……本当に遅いわね」

 気が付くと私は無意識のうちに、考えを口から漏らしてしまっていた。


 そんなアタシの言葉を聞いたドランは、それを自身への問いかけと取ったのか、ズンズンと歩きながらも『うーん』と声を漏らし、少しの間を置きアタシへと返答した。


「確かにちょっと遅い気もするけんども、そんなに言うほど時間は経ってないし、遅いってことは、上手くいっているってことだとオラは思うだで」

「そう? でも分からないでしょっ。凄く失敗してなんだか大変なことになっているかもしれないじゃない?」


 なんだか一人不安になっているのが悔しくて、ついつい少し苛ついた声音を発してしまった。

 正直、クロウエ、ドリーちゃん、リーン、とあの三人の組み合わせはナニカやらかしそうで不安が拭えない。

 

 しかし、ドランはやはり特に不安そうな表情は見せずに、逆にアタシを宥めるような調子で声を掛けてくる。


「いや、そったら心配しなくても、大丈夫だよ。

 今回は逃げちゃいけない理由が無いから、メイどんなら、危なくなったら絶対逃げ出すだで。

 したら、樹々どんもいるし、逆にオラとしては逃げ切れない想像が付かないというか……心配しようにも出来ないというか。そんな感じだで」


 ああ、とソレを聞いたアタシは、ストンと何かが胸のうちに収まるかのように納得してしまう。

 というのも『全力で逃走する彼等を捕まえられるものがいるのだろうか』との前提で考えると、実際アタシも想像できなかったからだ。


 少し前に見たドランを牽引しながら疾走する樹々の姿――不意にソレを思い出したアタシは、一人心配していたのが急に馬鹿らしくなった。

 それにしても、まさかドランに諭されるとは思わなかったわね。


「アタシとしては……こういう時ってドランが一番慌ててるって印象だったのに」

「うーん、オラも思うんだけんども……?」


 少し失礼ではあるが素直にそう吐いてみると、ドランは別段気を悪くした風もなく、アッサリ肯定して、自分自身に首を傾げていた。

 そのまま暫くの間考え続けていたドランだったが、やがて思い当たったのか言葉を続けてきた。


「やっぱり、蟲毒の時と比べて気がらく……ってだけだと思うだで。いつでも逃げられるのと、時間制限付きで逃げるのも出来ないだと、やっぱり心配する大きさが違うだよ」

「ふーん、そんなものなの?」

「たぶん……?」


 何で自信なさげなのよ……。

 どうせなら最後まで言い切れば良いのに、などと思ってしまったが、ドランのお陰で不安は結構軽くなっていたので、感謝すれど文句など言えよう筈もない。


 普通にお礼をいっておしまいじゃ味気ないわね。と考え始めたアタシは『ドランが喜びそうな』……とそこまえ考えてピンと思い当たるふしがあった。

 最近のドランは妙に訓練を頑張っている。やる気もあるし、アタシもその手伝いをやっている。

 

 つまり……

「……じゃあお礼に、今日は一段と気合を入れて、撃ちまくってあげるから、ちゃんと弾きなさいよ?」

 コレならば喜ぶ筈である。


 フフン、と鼻を鳴らして『どうだ』と見てみるが、肝心のドランはなんとも珍妙な表情を湛えていた。

 どうにも喜んでいる感じではない。が、かといって嫌そうでもない。


「う、嬉しいような、遠慮したいような……複雑な気分だで」

「何よ“アレ”なら当たったって痛かないんだから良いじゃない?」

「でもアレのせいで……たまに夜眩しくて寝れないことがあって……。

 いや、いやいや、頑張るだでっ」


 シュンと肩を落としたり、少しして奮起したりするドランは、見ていてそれなりに楽しいものではあった。

 アタシが『頑張りなさいっ』と言って、少しジャンプし肩バンッ、と叩いてやると、ドランは『んー、出来るだけ頑張るだでっ』等とやはり煮え切らない感じで返答してくる。

 

 言葉だけは自信なさげだが、いざとなればやる気をしっかりと出すので、アタシは特に追求することもなく、目的地へと向かって足を進めて行ったのだった――。






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