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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
88/109

何処かでの会合 何処かでの悲哀

 




 時刻は深夜、場所は裏路地。

 大通りとは異なり、周辺民家の明かりはことごとく消えていて、視線を巡らせてみても人影は見えず、樽や建材ばかりが目に入る。

 静まり返った空気は肌に触る気温を一段と低く感じさ、唯一耳に入ってきている音は、鼠の鳴き声と自身の足音くらいのものだった。


〈ねえ、メイ。目的地まで後どれくらいなの?〉

〈……んー、そうだな。もう十分くらい歩けば到着って所だとは思う〉


 少しだけ思案した後、左隣を歩くリーンに向かって到着時刻を伝えてはみたものの、俺自身もこの辺りの地理には疎く多少不安になってしまう。

 念には念を入れておくか、と俺は手元にある手紙に視線を落として確認を取った。

 

 白紙とは呼べそうにもない粗い作りの一枚の紙、その上には周辺の地図が書かれており、目的地までの順路がラインによって記載されている。

 サラリ、と軽く地図に書かれているルートを目で追って、自分達の居る場所を把握した俺は『まったく面倒な道を指定してきたな』と、つい一人ごちた。

 

 子供の落書きの如くグチャグチャとラインが描かれている地図――実はこれこそが、先ほど宿屋で受け取った手紙の中身だ。

 実際には地図以外にも【話がしたい、指定した場所で待つ】といった文面と【この時刻に出発しろ】との簡単な指示が書かれてはいるのだが、なんというか、手紙と言うには随分と簡素な内容といえる。


 届いた手紙と目的地を示した地図。

 端的に言えば、俺達はその指定された待ち合わせ場所に赴く為に、こんな暗い裏路地を態々と進んでいる、と言うことだ。


 差出人不明の呼び出しにノコノコと応じる、なんて普通に考えれば褒められた行為ではないのだが、俺の中では『ココは多少危険を冒すべき部分』だと考えている。

 

 この好機を逃せば次がいつくるかわからないし、それこそもう来ない可能性だってある。

 大体、名前なんて書かれていたとしても、なんの証明にもならないし、危険が減るわけでもない。

 つまり、あってもなくても大した違いはないということだ。

 

 それに、相手が誰かなんて簡単に予想がつく。

 昼間の戦闘のことや、今日というタイミングから考えると、反抗勢力からと思って間違いない筈だ――というよりは、ソレしか心当たりがない。


 一応“実はこの手紙は斧槍からで、あいつ等がこちらを罠にかけてきている場合”という危険性も考えてはみたのだが、“斧槍達ならば、態々手紙で呼び出さなくても、数に任せて宿屋を囲んで襲撃すれば済む話”なので、俺としてはこんなまどろっこしい真似はしないだろうと結論付けている。

 

 これに関しては、多少勘といえる部分も入ってくるのだが『斧槍はこういった面倒な手を使うタイプじゃない』といった思いもあった。

 勿論過信なんてするつもりは更々ない。

 だが、案外一度戦ってみると、相手の攻撃の癖などから性格が透けて見えたりするものではある。


 昔だったらこんなこと分からなかっただろうな――等と、一人暢気なことを考えていると、不意に横を歩いていたリーンが足を止めた。


 何か問題でもあったのか? 

 その様子に少しばかり警戒を増したのだが、鬱陶しそうに外套の裾を引っ張っているリーンの様子を見て、緊張を緩めた。

 どうも、残骸に裾でも引っ掛けてしまったらしい。


〈もぅ、道が狭くて嫌になるわね……屋根の上から真っ直ぐに進みたい気分よ〉

〈んー、面倒なのは同意するけど、見回りに見つかるのだってそれはそれで嫌だろ〉

〈それはそうだけど……気分的には、ね?〉


 フードの中で膨れっ面でもしているであろうリーンの言葉に、俺は思わず肯定の頷きを返す。

 反抗勢力からの呼び出しは、確かにこちらとしても望んでいた展開ではあったのだが……地図に書かれているルートが非常に回りくどく、はっきりいって面倒臭かった。

 

 “まだ一度も見回りの兵士を見かけていない”ことや出発時刻を指定してきたことから考えても、これが『見回りを避けるルート』なのだろうということは俺だって理解している。しかし、それが分かっていても尚、暗い裏路地を延々と歩き回るのは単純に楽しいものではなかった。

 

 とはいえ、彼等が見回りを避けるルートを指示出来るほど、相手の動きを把握しているとなると『反抗勢力の情報収集能力はそれなりに期待できる』ということにもなるので、そこに関しては喜ぶべきだろう。

 昼間の一件で、亜人達に対する不安要素が若干俺の中で出ていたのだが、これならそれを補って余りあるほどのメリットを期待できそうだ。




 その後暫く色々と思案を繰り返し、裏路地を黙々と歩き続けている内に――特になんの問題も起こらず、待ち合わせ場所へと到着した。


 いざ到着してみると、そこは道幅狭い裏路地の十字路で、周囲には民家しかなく特に目新しいモノは見当たらなかった。

 こういってはなんだが『待ち合わせする場所』といった感じではない普通の場所だ。


 ――ただし、辺りから漂う人の気配を抜けば、って話だが。


『ふみゅ……中々出てこられませんね』

〈いい加減バレテいるのだし、早く出てくれば良いのに……と思うのだけど〉


 ……いや、お前ら簡単にいうけど、向こうはバレテないと思ってるんだから、余り無茶言ってやるなよ。


 シャッ、シャッ、と頭を鋭く右左へと動かし、不思議そうに首を傾げるドリー。

 数箇所の民家へと視線を向け、既に相手の位置を確認しているリーン。

 そんな二人をみて、俺は口にまでは出さなかったが、呆れ混じりのツッコミを入れてしまった。


 ただ、実際の所、リーン達の言う通り本当にバレバレだったりもする。

 右の民家に二人、その屋根に二人、少し先の横道に一人と、逆の横道に一人――合計六人の気配を俺ですら把握している。


 気配とか、漫画じゃあるまいし、となんとなく笑ってしまいそうになるが、これが実際分かってくるとなると案外侮れないものだ。

 正直、状況次第では『一番命を守る上で大事な要素だ』と思う程には重用だと思っている。

 

 これも全て、獄のモンスターとかに急襲されすぎたお陰…………あ、駄目だ、微塵も感謝の気持ちが湧いてこねーや。


 俺が、脳裏に浮かんでくる数々の素敵な思い出に、一人『うへぇ』と口から嫌気を漏らしていると――

「いや、こりゃ参った、これでも十分隠れているつもりだったんだがね。どうにもお見通しのようで……」

 右前方の民家のドアがゆっくりと開き、中から黒い外套を着込んだ男が、少々気まずそうな声音を零しながら現れた。


 口元を覆う布のせいで声が若干聞き取り辛かったが、声質からして男。

 恐らくこちらに対する配慮なのだろうか、頭部や腕元もとに捲かれた布は多少崩れており、隙間から耳や体毛が垣間見えている。

 

 襲い掛かってくる雰囲気でもないし、危険はそこまでなさそうだ。

 背負った武器には手を伸ばさず、黙って相手の動きを伺っていると、亜人の男が片手を上げて周囲に『出てこい』と声かけた。

 予想通りと言うべきか、先ほど目をつけていた場所から五名の黒外套達が現れ、こちらから数メートル程離れた場所で足を止める。


 相手も武器には手を掛けていないし、殺気も感じない。が、それだけで油断することなど出来はしなかった。

 俺は、視線だけリーンに『警戒を頼む』と伝え――最初に出てきた男へと近づき対峙する。

 穏やかとは言えず、さりとて殺気に満ちたものでもない微妙な空気が漂い始め――暫しの間、互いに口を開かず向かい合った。

 

 出来れば相手の出方を伺いたかったが、『こんな場所に長居するのもそれはそれでどうか』と思う部分も多少あったので、今回はこちらから口火を切ることに。


「で、態々手紙までくれて俺達に一体何の用です?」

「はは、用があるのはそっちも同じだろう。あれだけ派手に聞き込みしといてよく言ってくれる……なあ、面倒な腹の探り合いをするのもいいが、このまま遊んでいると見回りが来ちまうし、此方としては場所を移したいと思っているんだが、どうだ?」


 特に断る理由もなかったが、一応俺は少しだけ思案する素振りを見せてから『構わないですよ』と返答する。

 

 しかし、答えを聞いて、直ぐに移動するのかと思いきや――

「ああ、下っ端のオレと話をしても有意義な時間は過ごせねーだろうし、できればボスの所に連れて行きたいんだが、そっちはそれで構わないか?」

 亜人の男は俺にとって、少々予想外の提案を持ちかけてきた。


 思わず驚きに目を開く。

 これは話が上手すぎるというか、いきなり上に会わせてくれるとは予想してなかった。もっとこっちを警戒してくると思ったんだが……。

 少しの警戒心が湧き上がり、俺は無意識の内に、男に訝しげな視線を送ってしまっていた。


 が、やはり事はそう上手く運んではくれない。俺の訝しげな視線を受けた男は、それを遮るようにピンと指を一本立て『ただし』と言葉を続けてくる。


「場所はこちらの拠点の一つ……更にそこへ案内するにしても、道を覚えられるのはオレ達としても避けたい。

 つまり……ソチラには目隠しをして貰う。

 仮にそれは出来ないというのならば、オレの預かってきた手紙を渡して今日は終わりだ。残念ながら今回は会わせる訳にはいかないな」


 男の言葉を聞いて『ああ、そういうことか……』と、俺は思わず納得する。

 彼等は別に俺達を信用しているわけではなく、何も考えていない訳でも無い。単純にこちらの出方を探っているのだろう。

 

 目隠しをしてまで身を預ける気があるか?

 こちらの胃袋の中でもある、拠点にまでついて来る気があるか?

 これはそういう問いかけだ。

 

 どうも向こうとしては、直ぐに信頼するつもりはないが、十分に歩み寄る気はあるらしい。

 良い流れではある……がしかし、それと同時に“彼等がそれなりに追い込まれている”ということも俺は理解してしまった。

 

 理由は簡単だ。向こうからしてみれば『俺達は密偵の可能性だってある危険な人物』なのに、それを理解した上で――本拠点ではないだろうが――拠点に招こうというのだから、多少の危険性には目を瞑ってしまう程に彼等は焦っている、と考えられる。


 恐らく、向こうが俺達に求めてきているのは、鉄仮面に対抗する“戦力”といった所か。

 今日、亜人達の戦いぶりを少し見たが、鉄仮面とまともに戦えそうな者は見当たらなかった。流石に皆無という訳ではないだろうが、かなり数は少ないのだろう。


 そんな状況で、鉄仮面から逃げ出すことが可能で、尚且つある程度足止めを果たせそうな者を見つけたら?

 俺が彼等の立場ならば、喉から手が出るほどに欲しい。

 

 つまり……彼等にとって、俺達の存在は非常に扱いが難しいものなのだろう。


 とはいえ、今俺が考えたことだって所詮憶測の域を出ない。

 こんな状態で、視界を塞ぎ相手に身を任せるなんてどう考えても危険だ。そんな危なっかしい真似は絶対にするべきではない。

 ――と思っただろう“俺だけ”だったならば。


 思わず零れそうになった笑み。それを堪えながら、俺は自信満々に聞えるように、

「お好きにどうぞ、構いませんよ、目隠し位」

 亜人の男にそう言い放った。


 少し晒していた耳をピクリと動かし亜人の男が『へぇ』と興味ありげに声を漏らす。


「オレとしては断られると思っていたんだが……やけに自信ありげだな」

「そうですか? 単純に目隠しされた程度じゃ、どうこうされる危険はないって判断しただけですよ」

「おうおう、それがすげぇ自信って言うんだよ。

 なら、お言葉に甘えて目隠しをさせてもらうか……絶対に動くなよ?」


 ドスを効かした低い声音に頷きを返し、俺は胸の前で腕を組んで棒立ちになった。左を見ればリーンも武器には手を掛けず、手を下ろして大人しくしている。

 そのままジッとしていると、男が鉢巻の幅を広くしたかのような布で、こちらの目を覆っていき――俺の視界を完全に閉ざしていった。

 

 余程厚みのある布なのか、本当に何も見えなくなった。しかし、不安なんてなく、危険も全く感じてはいない。

 というよりはその必要がないと言った方が正確だろうか?

 向こうには知る由も無いことだが、何と言っても、俺には頼りになる相方が付いている。


『相棒、亜人さん達に特に怪しい動きはありませんので、ご安心くださいっ。何かあれば私がバババーンっとお守りしますっ』


 おお、流石ドリーセンサーさん。いつもありがとございますっ。

 ドリーの声にお礼を返し、俺は安堵の溜息をバレナイように吐いた。

 

 何が『目隠しされた程度じゃー』だよ恥かしい。舐められないように言ったのは良いけど、正直言っていて無茶苦茶恥かしかった。

 大体、目隠ししたまま一人で戦闘なんて出来るわけがねーだろ……どこぞの爺じゃあるまいし。

 

 先ほどは自信満々にうそぶいてはみたが、ドリーの存在がいなかったら、普通に『じゃあ手紙でいいです』と断っていた。

 なんとなくズルをして騙しているみたいに思えるが、こういうことに関しては、騙される奴が悪いっ。

 オカシイな……本来ならば、溢れんばかりの俺の良心がキリキリと悲鳴を上げている筈なのに、一ミリたりとも心が痛まない。


 ああ、そうか、きっとこの間の敗北の所為に違いない……くそ、マイクとジェシーめ、全く許せん奴らだ。

 

 俺の良心を奪い取っていった二人の猛者に向かって『許せんっ』と脳内で連呼していると、少し距離を離していた亜人の男が、再度こちらへと近づいてきた。

 音と気配だけなので向こうの細かい動作は分からないが、ドリーが騒ぐ様子も無いので問題はないだろう。


「なぁ……えっと、兄ちゃん? すまねーが、使い魔の方も目隠しさせて貰うぜ。たまにやたらと頭の良い奴が居やがるからな、油断は出来ねーってことで」

「へえ、蛇の目まで塞ぐなんて、かなり慎重ですね。どうぞ、こっちとしては全然構わないですよ」


 じゃんじゃん塞いで良いです。それ本物の目じゃないんで。

 高笑いを上げながらも、亜人の男に快く返答したが、何故か妙に男はモタモタとして動かない。

 どうしたんだ? と不思議に思いながらも首を傾げて待っていると、

「こいつ……噛まないよな?」

 男は少し緊張した様子でそんなことを聞いてきた。


 どうやらちょっと怖かったようだ。

 しかしなんと答えようか、ここで『噛みませんよ』と言うだけなら簡単だが、それで舐められても宜しくない。今後のことも考えると、下手にチョッカイ出されないように牽制を入れておくべきか――。


「俺が命令しなきゃ噛み付きはしませんよ。ただし……死にたく無ければ優しく扱ったほうが良いでしょうね。そいつ猛毒持ちなんで」

『――ッツ!? なんと、私の身体にそんな秘密があったとは……綺麗な花には毒がある……つまり私にも綺麗な花が咲く日がくるということですねっ、相棒っ!?』


 いや、ごめんなさい、わからないです。

 ちくしょうっ、なんてこった、亜人を騙そうと思ったら味方まで騙されやがった。

 

 直後、横合いからブフッ、と誰かが吹き出しただろう音が聞えた。いや、誰かじゃなくて、確実にリーンなのだが。

 バレたらどうすんだよ、と思いながらも、表には出さずにシラをきり続けていった。


 幸いにも向こうにはバレズに済み、そのまま無事に準備が整え終わる。

 行くぞ、との男の声を合図に、俺は亜人の肩に、リーンは俺の肩に手を置き、さながら電車ごっこでもするかのように連なり、何処かへと向かって進んでいった。




 ◆




 恐らく……歩き始めて一時間程経った頃だろうか。いい加減目隠しがウザッタくなってきた俺の耳に、

『おお相棒っ、なにやら家の中に入るみたいですよ。もしかしたら到着したのかもしれませんっ』

 ようやくドリーから到着の報せが届いた。


 やはり視界を塞がれたままだとどうにも気味が悪いというか、落ち着かなかったこともあって、俺の胸中には自然と安堵に近い気持ちが湧きあがる。

 実際の所は、ここまでドリーの道案内実況が付いてきたお陰で、余り退屈はしなかったし、緊張感はいい意味で薄れてはいたのだが。


「兄ちゃん達、もう少しの辛抱だから、そのまま大人しくしていてくれよ」


 前方から亜人の男の声と共に、ドアを開ける音が鳴った。どうやらドリーの予想通り、目的地へと到着したということらしい。

 視界を塞がれたままで足だけ進める。木板が軋む音が聞え、鼻腔には埃とカビの臭いが漂っていた。この臭いから察するに、この拠点は余り頻繁に使用する場所ではないのだろうことが分かる。

 

 その後も、金属音や何かを引きずる音など、さまざまな音が耳に入ってきたが、流石に詳細までは知ることは出来ない。


『にゅおおっ、まさかあの棚が……あんなことに、ええ、テーブルさんがそうなってしまうとは!? むむ、その床はそうやって動くのですかっ、素晴らしいですっ』


 くそ、ドリーさんお願いです、もう少し詳しく教えてください。もう気になって気になって仕方が無いです。

 

 もの凄くふわっふわっなドリーの実況を聞いて、俺の頭は自然と言葉を補填しようと想像を膨らませていく。

 が、暫く考え、棚が合体変形した辺りで『流石にこれは違う』と冷静さを取り戻し、頭を振って妙な想像を追い出した。

 不意に、ギュッと左肩を掴んでいたリーンの手に力がこもり、俺の耳に彼女の小さな呟きが入ってくる。


〈そう……まさかこの家自体が巨大な一つのモンスターだったとは思わなかったわ、恐ろしい。つまりあたし達は今から相手の胃袋の中に飛び込むって訳ね……〉


 それはさすがに俺も思わなかったです。

 というか、リーン、お前本当に惜しい奴だよな。相手の胃袋の中に……ってニュアンスだけならカッコいい感じにも聞えるのに。

 

 きっと今頃リーンの脳内には、巨大な家型のモンスターが描かれているんだろうな……と、なんだか緊張感もへったくれもないことを考えながら、また男に導かれて先へと進んだ。


 ドアを潜り、階段を降り、恐らく小部屋か何かを通り抜け、その途中途中に人の気配を感じながらも足を動かし続けて六分くらい。

 不意に足を止めた男の『もう良いぞ』という声と共に、俺の目隠しが外された。


 魔灯の明かりが視界に入り、思わず眩しさで目を細める。

 シパシパと瞬きを数度繰り返し、慣れてきた目で周囲の様子を改めて伺った俺は『おお』と物珍しげな風に声を漏らした。

 

 こりゃ中々に盛大なお出迎えで。

 部屋というには相当広く、広間といっても過言では無い長方形の空間。

 床は黒ずんだ木材で、壁と天井は砂色の石材で出来ている。

 窓が一切見当たらないのと、先ほど階段を下りたことから考えて、ここが恐らく何処かの地下なのだろうと当たりをつけた。


 そして俺が少しだけ驚いてしまった一番の理由――それは視線を左右に振った先、両サイドの壁際に見える亜人達の姿のせいだ。

 腕を組みこちらを睨みつけている者、酒瓶片手に興味深げな表情を貼り付け床に座りこんでいる者、武器を手に取り警戒している者、その姿形は様々で、雰囲気や表情も多種多様。


 今まで何処に隠れていたのか、外套を纏わず姿を晒した約五十名程の亜人達が、好き勝手な格好のままに、全員揃ってこちらへと視線を向けていた。

 思ったより数が少ないが、ここに居るのが全員という訳ではないだろうし、こんなものだろう。

 

 しかし、想像していたより随分ガラの悪い奴が多いな。

 目付きや姿格好、全身から発せられている雰囲気は、反抗勢力……というよりはどこぞの盗賊団の様だ。性根の方もあまり穏やかでない者が多いのか、今も突き刺さるような視線の束が、延々とこちらへと降り注いでいる。


 昔の自分ならばこのような状況に置かれたら、きっと萎縮してしまっていただろうが、今は別に気にもならなかった。正直、獄の主と対峙するよりは百倍マシである。

 

 さて、どうなることやら……。

 亜人に囲まれた中心で、周囲へと警戒を飛ばしながらも、俺とリーンがただ相手の出方を待っていると、先ほど俺を連れてきた亜人が歩いていく先、真っ直ぐ前方で少しの動きが起こる。

 

 立ち並んでいた亜人達が左右に分かれ、奥にあったドアから、三人の亜人が姿を現した。

 真っ直ぐに、特に警戒するでもなく俺達へと向かって足を進めてきた亜人達が、やがて俺達の四メートル程先で足を止める。

 左から順に小中大、と身体の大きさが違う三人、それぞれに種族が異なっていて、全員が初めて見るタイプの亜人達だった。


 俺がしげしげと相手の姿を伺っていると、左端に立っていた百四十五センチ程の背丈の亜人が、シシッ、と妙な笑い声を上げながら口を開いた。


「どうも、昼間ぶりで? あの糞仮面を引き付けてくれたお陰で、オイラ達も難なく逃げられましたぜ。ここは礼を言うべきですかね?」

「ああっ……そうか、最初に追われていた外套の人か。いや、礼は良いですよ、どっちかといえば俺が勝手に顔突っ込んで巻き込まれただけですし」


 俺がポンと手をうちながら小さな亜人に言葉を返すと、彼は『そりゃどうも』と、また少し特徴的な笑いを漏らした。

 この小さな亜人のことは俺もしっかり覚えている。確か最後に視線が合った気がしたのも彼だったはずだ。

 なんだか奇遇だな、といった感慨が湧いてきて、俺は改めて彼の姿を視界に入れた。


 好奇心を湛えた茶色い瞳。スッと前方に伸びた鼻先、楽しげに上げられた口端からはチラリと尖った牙が見え隠れしていて、犬を少し狐に似せたような……そんな顔立ちをしている。

 恐らく全身を覆っているであろう、油揚げを少し焦がしたかのような体毛は、ラングのものよりは毛足が長く、少し硬そうな印象だ。

 頭部に生えた耳はピンと尖っており、右耳は半ばをネズミに食いちぎられたかのようにボロボロになっていた。

 鼻筋の途中で斜めに走っている古い傷跡は、恐らく何かしらの刃物で切られたものなのだろうか?


 身軽そうな布の服、両腕には鉤爪を生やした手甲、頭頂部中央から、首元、そして後背部へと流れている体毛は、白と黒を斑に混ぜた独特の模様を浮かべていた。

 そのまま下へと視線をやると、見えたのは後方に垂れている細めの尻尾、細く少し毛並みはボサボサで、先端に向かうにつれ色が黒へと変わっている。


 どこかで見たことがあるような……と考えていると、頭の中に不意に一匹の動物の姿が浮かび上がる。

 猛獣から獲物を奪う――そんなイメージを強く持たれる獣。

 “ジャッカル”……そう、この背丈の小さな彼は、あの動物の姿に良く似ている。


 一度分かってしまえばもうソレにしか見えず、あの傷跡や千切れた耳でさえなんとなくジャッカルっぽく思えてしまうから不思議なものだ。


 しかし、俺が見た背丈の低い亜人が彼なのだとしたら。もしかして……

 視線を左から右へと移動させ、俺はジャッカルの彼に素直に疑問を投げかけてみた。


「そっちのデッカイ彼も俺が昼間に見た一人ですかね?」

「おお、ご名答でっ。ほら【ハイク】挨拶しておけ……おーい、ハイクよーい。頼むから聞いてくれってっ、ハーイクッ」


 右端でぬぼーと突っ立っていたハイクと呼ばれるデカイ亜人。

 その彼にジャッカルが一生懸命に声を掛けているが、肝心のハイクは天井をボケッと見つめたまま反応を返さない。

 足を引っ張り、裾を引っ張ったり、小さなジャッカルがハイクを押したり引いたりしている姿は、どこか大人にじゃれ付いている子供のようだった。


 見れば見るほど……やっぱあのハイクって亜人は“アレ”だよな……?

 今も脳裏に描かれている一匹の動物の姿を、ハイクへとダブらせながら、俺は確認をとるかのように彼の姿を眺めていく。


 猫背のように背を丸め、長い腕を前にだらりと垂らして突っ立っているハイク。

 恐らくちゃんと背を伸ばせば、その身長はドランに届くだろうことがわかる。

 ジャッカルの彼に比べれば顔立ちは人間に近い。

 肌はやたらと白く、眠っているかのように細められている目線は、フラフラと中空を彷徨っている。


 目の下にある黒いクマは、肌の色と相まって少し病的な雰囲気を醸し出し、ボサボサの白い髪から覗く半円状の黒い耳は、時折ピコピコと動いていた。


 肘先から先を覆うのは黒い暖かそうな体毛。手の平はどこか丸く、肉球らしきものがついているのが見えている……触りてぇ。

 肉球をグニグニと突付きまわしたい衝動に駆られ、無意識のうちに手が伸びそうになる。

 が、ハイクの両手から伸びている鋭い爪を見て、不用意に手を出す気にはなれず、自分を抑えつけてどうにか止めた。


 ハイクの巨体を包む黒い鎧と、その下に着込んでいる白い服。背中に交差させて背負っている二本の巨大な戦斧も白が一本、黒が一本、と、全身が黒と白で統一されている。

 

 爪、耳、クマ――そして白黒。

 もうアレだ。完全にどこからどう見てもアレだった。

 言い切ってもいい、ハイクは間違いなく“パンダ”の亜人だ。

 

『相棒ぅ……私あのプニプニを触りたいのですが、どうすればいいでしょうか? むむ……こうなれば捕獲するしかっ』


 ドリーさん、気持ちは分かるけど止めてください。

 口をクワッ、と開けて物騒な事を言い出したドリーの首根っこを、全力で鷲掴んで食い止める。『ふおおお』とか叫んでいる所を見ると、興味深い対象を前にして、若干テンションが上がってしまっているようだ。

 

 それにしてもパンダか……確かにクマっちゃクマだし本当は凶暴だって聞くけど、元のあの姿を知っていると、どうにも強いイメージが出てこない。

 

 ボケッと突っ立っているハイクへと、なんとなく顔を向けてみると――それに気がついたのか、天井を眺めていた彼の顔がノソリと動いた。

 何故かジーッと俺を眺めてくるハイク。表情は眠そうなもので固定されていて、俺には彼が何を考えているのか一切読み取れない。


 ジロジロと不躾な視線をやってしまったし、もしかしたら気分でも害してしまったのだろうか……と少し反省しながら黙っていると、眼前にいたハイクが片手を上げ、俺の頭部へと爪先をさし示し、ポツリと呟きを漏らした。


「髪が黒いんデスネ。良い色だと思いますよ。あ、所で……白はお好きで?」

「べ、別に、白は嫌いじゃないですよ」

「そう……それは良かった」


 そこまで言って満足そうに頷くと、ハイクはまた天井へと視線をやってぼぅとし始める。

 ……くそ、なんだったんだ今のは。全然コミュニケーションを取れた気がしない。とりあえず怒っている様子も無かったし、問題ないと思えるんだが。


 頭の中に疑問符がキャッキャッと飛び交い、俺が一人混乱していると、今まで黙って様子を見守っていたリーンが動いた。

 彼女の発している雰囲気はこういった状況にしては珍しく明るい。なんというか、初対面の相手に対してリーンが放つものではない。

 まさか知り合い? と思ったが、そんな感じではなかった。恐らく『この空気を変えようとリーンなりに頑張っている』ということなのだろう。


 よし、頑張ってくれリーン。


「やっぱりハイクさんも黒と白の毛並みですし、その色がお好きなんでしょうか?」

 

 先ほどの俺に対する質問、それを汲んで考えたのだろうリーンの質問が飛ぶ。

 よくやった、実に自然な流れだ。と思わず心の中で声援を送った……のだが、なんとそれを受けたハイクは、視線すらも動かさず、微動だにせず、至極自然に――ガン無視した。

 

 ちょっ、なんでだよ!?

 答えを待つ為に口を閉ざしていた亜人を含んだ全員。その所為でこの場には、シンとした静かで耐え難い空気が流れている。

 意味が分からん、何で無視したんだこの人。別にリーンはオカシナこと聞いてないよな? 駄目だ、マジで混乱してきた。


 オロオロとハイクを見て、リーンを見てと繰り返していると、ジャッカルがさすがに見かねたのか、

「おい、ハイクっ、失礼だろ。何か一言くらい返して差し上げろ」

 額に手を当てて空を仰ぎながらも、ハイクに向かって注意を飛ばす。


 するとそれを聞いたハイクが、ノロノロとリーンに向けて視線をやり、ジッとリーンのはみ出している髪や瞳をみて、手をフリフリと左右に振って一言。


「赤とかちょっと生理的に受け付けないので……せめて黒か白を混ぜてから来て下サイ」


 ……もうわかった、駄目だコイツ、変人だ。

 恐る恐るリーンの様子を伺うと、手がプルプルと小刻みに震えていた。どうやらかなり苛ついているらしい。

 『あの変な奴ぶっ飛ばしていい』と視線だけで俺に語りかけてきたので『気持ちは分かるが落ち着けっ、お前も大して変わらん』と返しておく。正確に伝わっているかどうかは定かではないが、飛び出していく様子はないので、良しとしよう。


「ま、まあハイクの事は一先ず放っておいて、話を先に進めましょうか」


 今まですっかり存在を忘れてしまっていたが、大中小の中くらいの人が、仕切り直すようにパンパンと手を叩いて声を上げる。


 おお、そういえば居たんだっけかこの人。

 この中くらいの人は、立ち位置的に見るとこの中で一番偉い人だとは思うのだが、余り前面に出て喋って来ないので、どうにも意識の外にやってしまっていた。

 

 決して目立たない姿ではない筈なんだけどな――と俺は中くらいの人へと視線を向けた。

 

 彼の種族は非常に大雑把に言ってしまえば、爬虫類だ。


 体色は基本的に緑色で、一定間隔置きには縦縞の黒い模様が走っている。服装はいたって普通の布の服だが、お尻辺りを切り取られているのだろうズボンからは、地面に向かって長い尻尾が伸びていた。


『ふむ……相棒、尻尾にゼンマイがついています。少し分けて貰いましょうか、きっと美味しく頂けますよっ』


 いや、遠慮しときます。

 ドリーの言葉に苦笑いが浮かんだ。とはいえ、確かに彼女の言葉ももっともで、尻尾の先端がクルリと丸まっているのを見ていると、記憶にあった山菜の形を思い浮かべてしまう。


 ただ、それも彼の種族を見ればその尻尾の形も頷けるというものだ。

 周囲を落ち着き無く見渡しているギョロギョロと大きな瞳、口元からは時折シュルリと覗く舌は、伸びては引っ込みを繰り返していた。


 爬虫類――さらに種族を絞るのならば“カメレオン”といった方が的確だろう。

 それにしても……こんなにも姿は異彩を放っているのに、なんだかとても目立たない人である。

 立ち位置から考えて『彼はこの中で一番偉いのでは?』とは思うのだが、どうにもオーラが無く。失礼だとは思うのだが、なんとなくお世話役といった印象が拭えなかった。


 とはいえ、彼の言葉を切っ掛けに、話を先に進める空気へと戻ったのだから、中々に良い仕事をしてくれたと言えなくもない。ありがとう、カメレオンの人。

 

 などと暢気に考えていると、カメレオンの人が俺達へとギョロリと目を向け、話を再開させた。


「さて、こちらとしても色々と聞きたいことがあるのですが、出来ればその前に一つお願いがあるのですが、聞いていただけませんか?」

「お願い? まず内容を教えてもらわないと、俺としても返答しようがないのですが」


 俺が言った至極当たり前の返答に、カメレオンの人は頷きを返し、一度周囲を見渡すかのようにグルリと振って見せた。


「なに、実に簡単なお願いです。出来ればここにいる者にアナタ方の実力を見せて頂きたいのですよ。実際に見た私達からすれば必要の無いことですが、知らない彼等にしてみれば、色々と疑問も湧くでしょう?

 この先の話を円滑に進めるためにも、必要なことだと思いますが、如何でしょうか?」


 カメレオンの言葉に俺も一度周囲へと視線をやり、視界に入ってくるのは少しガラの悪い亜人達の目付きや、態度をみて納得する。

 要は彼等を黙らせる為にも一度戦闘を見せてくれ、ということか。

 

 こうなってくると……彼等が俺達に“戦力”としての働きを期待していることがほぼ確定したと言える。

 恐らく彼等は事前に話し合いでもしていて、その時に反対意見でも出たのだろう。

 本当に戦力になるのか? 危険性に目を瞑ってまで引き入れる価値があるのか?

 とか、そんなことを思う者がいて当然と言えば当然だ。


 是か非か、ここは悩む必要など無く、受ける一択。

 

 ココで俺達が彼等を納得させるだけの力を示せたのならば、今後の話し合いが間違いなく有利に働く。その上、期待を掛けられる度合いが強くなればなるほどに、引き出せる情報も相対的に多くなる。

 正直、彼等が戦力を求めているのは微妙に嬉しく無い状況と言えるのだが、こうなることもある程度は覚悟していたし問題ない。

 

 元々、俺達が情報の対価として差し出せるのは限られている。その中でも戦力は俺達が持っている中でも一番彼等の求めているものだ。

 あまり無茶苦茶な要求でもなければ、こちらとしても手を貸すのは当然の成り行きか。


 リーンに目線を向け『受けるぞ』といった意味合いを送ると、彼女も特に異論はないのかコクリと頷いた。

 それを確かめ、俺は再度カメレオンの男へと顔を向け答えを返す。


「こっちとしては特に異論は無いですよ。で、相手は? 何か決まりはありますか?」

「おお、それは助かります。では相手は私以外の二人。決まりは当人同士で決めてもらえると助かりますね」


 そこまで言ってカメレオンの男が後ろに下がり、代わりジャッカルの男がヘラヘラと愛想良く笑いながらも進み出てきた。


「どうもどうも、相手はオイラとハイク、ってことなんでお手柔らかに頼みますよ。

 で、決まりごとなんですが、こんなところで互いに怪我なんてしたくないでしょう?

 というこって“武器”は使用禁止って具合で、どうです?

 刃を潰した得物をこっちで用意してあるんで、それで我慢してくださいな。

 なんというか、そう“模擬戦”だと思って、ちょいちょいと打ち合って“一撃当てた”ほうが勝ちの軽い感じでお願いしますよっ」


 シシッと笑いながらも説明を終らせたジャッカルに『それでいいですよ』と返答すると彼は『どうも』と一言残して、そそくさと準備を行っていった。

 ジャッカルは辺りにあったテーブルを移動させたり、なにやら床の様子を見たりと、セカセカと動き回っていたが――やがて満足がいったのか、近くにいたものから刃を潰した武器を受け取り、こちらへと受け渡しに戻ってきた。

 

 ヒョイヒョイ、と投げ渡された代えの武器。

 俺は自身の武器に近い形の槍を、リーンも同様に使っている大剣に近いものを受け取って、俺とリーン、ジャッカルとハイク、互いに十メートルほどの距離を離し、無事に準備が整い終わった。

 周囲を見渡せば亜人達が事の成り行きを見守るように注目していた。仮に俺達が何か怪しい動きでもすれば、いつでも乱入できるように構えているのだろう。


 なんともアウェー感が強い……いや、実際相手の拠点の中なのだから、当然ではあるのだが。

 取りあえず周囲の視線を気にしないことにして、ジャッカル達へと向けて槍(模)を構えると『痛いの嫌なんで、手加減をお願いしますねー』などとジャッカルがこちらに声を掛けてくる。

 

 うーん、なんだろうか、もう少し真剣に勝ちにくると思っていただけに少々気が抜ける。

 というのもだ『俺達の実力をココにいる全員に見せる』という目的は勿論あるのだろうが、それを抜きにして、彼等が俺達に勝つメリットは十分にあるからだ。

 格付けをする。とでも言えば良いのだろうか……彼等が勝てば確かに俺達は舐められるかもしれないが、それと同時に『こちらの方が上だ』と、立ち位置的に有利な状況に持っていくことが出来る。


 もし俺が向こうの立場だったら、相手の隙を突いてでもここで勝ちを拾って、後に繋げたいと思うんだけど……あ。

 

 と、そこまで考えたところで、不意に頭の中に湧き上がった考えがあった。

 そういえば、やたらと軽くやりましょうね、とか言う割には、禁止されてないものがあるじゃないか……これはもしかすると……どうも注意したほうが良さそうだな。


〈リーン、ちょっとこっち来て〉


 近くにいたリーンに向かって手招きし、俺はボソボソと周囲に聞えないように、自分の考えを伝えていく。


〈メイ……本当にやるのそれ、怒られない?〉

〈大丈夫、絶対に怒られない。だから準備しておいてくれ〉

〈いいけど……知らないわよ私〉


 若干不安そうなリーンではあったが『大丈夫だって』と念を押すと、渋々と了承してくれる。

 ジャッカルもハイクにコソコソと耳打ちしようとしているようだったが、背丈が足りなさ過ぎて、残念ながら届いていなかった。

 ハイク、ちょっと屈んでやれよ。


「じゃあ、準備は良いですね。では始めてくださいッ」


 両者の様子を伺っていたカメレオンが、後方に下がりながらも開始の合図を放った。

 ――瞬間。


「シシッ、頂きィッ――『サンド・スプラッシュ』」

 開幕早々ジャッカル拳大の砂粒を大量にこちらへと向かってばら撒き、

『フェザー・ウェイト』『オーバー・アクセル』

 それと同時に俺とリーンが身体強化を互いに掛け合った。


 遠慮なしにこちらに向かって飛んでくる砂粒の嵐。それを俺とリーンは強化した身体能力に任せて全て躱し、撃ち落す。

 パラパラと砂がばら撒かれ、辺りの床へと散乱していく中――ジャッカルの男が俺達へと向かって、指をビシッと差し向け口を開いた。


「ず、ずりぃ! 軽い感じで模擬戦って言ったっしょっ」

「やかましいっ、攻撃魔法ぶっ放してきた張本人が何言ってやがんだッ!」

 

 いけしゃあしゃあと言い募るジャッカルに、俺は思わず叫びを返す。

 大体オカシイと思ったんだよ、危険がないようにとか強調しているくせに攻撃魔法は禁止してないし『一撃当てるだけ』とか、どう考えても長期戦にならないようにする保険だ。

 大方奇襲かけてさっさと終らせようとでも思ったんだろう。


 この分だと他にも何か仕掛けてきかねない。そう感じた俺は、先ずは面倒臭そうなジャッカルを先に片付けようと真っ直ぐに走りよっていく。


「うおお、オイラに向かってきやがった!? ハイク、頼むッ!」


 ジャッカルの懇願を聞き入れるかのように、俺の直線上に白黒が飛び込んできた――ハイクだ。

 やたらと柄の長い戦斧それを二本もっている彼は、先ほどまでのやる気の無い顔はどこへやら、黒い瞳を爛々と輝かせて俺を待ち受けている。


「僕としては黒い(くん)を攻撃するのは好ましくはありませんが、これも彼女への愛の為なら仕方が……ないいいいッッ!」


 目を充血させながら見開いて、意味の分からない雄たけびを上げたハイクが、斧を振り上げ突進を開始。

 床を砕きながら、怒涛の如き勢いで白黒のデカイ塊がこちらへと突っ込んできた。

 

 ちょ、予想以上にはえーッ!

 

 あの巨体だし、なんとなくドランと同様のパワータイプを想定していた俺は、思わぬハイクの足の速さに少しだけ驚いてしまう。

 流石に正面衝突は避けたいし、横に逃げるか? と一瞬思ったのだが――ハイクの横合いから突っ込んでいく赤い影を見て、その必要は無い事を悟り、足を止めずに走り続けることにした。


「――さっきはよくも、赤くて悪かったわね!!」

「また赤い人デスカ、お帰りください」

 

 先ほどの暴言をまだ根に持っていたのか、リーンが文句を言いながら大剣を振るい、それを確認したハイクが嫌そうに顔を顰め、足を止めて戦斧の柄で迎え撃った。

 痛打を受け止め火花が散る。

 一撃で終るかと思っていた俺の予想に反して、ハイクは――多少手加減されているだろうが――リーンの攻撃をしっかりと受け止めていた。

 

 へえ、結構やるなハイクの奴。と少し感心しながら、俺は二人の横をすり抜けジャッカルへと接近していく。


「げげぇっ、もう来やがった『サンド・ブラインド』」


 わたわたと慌てた様子のジャッカルが魔名を叫ぶ――と同時に先ほどの魔法によって周囲に散らばっていた砂粒が一斉に中空へと飛んだ。

 ザザ、と砂嵐の中にいるかのように視界が悪化していき、ジャッカルの姿がそこに溶け込むように消えていく。


 恐らくこちらの視界を塞ぐ魔法なのだろう……が、

「てめえ、俺達の実力見せるのに目隠ししてどうすんだよっ……うおお、叫んだら口の中に砂入った」

『あ、相棒、後ろに影が見えますご注意をっ』


 堪らず、ペッペと布の隙間から砂を外へと吐き出していると、ドリーの警告が俺の耳へと入ってきた。

 ドリーの指示す方向へと身体を反転させ、警戒していると、視界の先から迫ってくる黒い影を見つけることが出来た。

 影の大きさからしてもジャッカルで間違いない。

 このまま迎え撃って終らせてやるッ。

 槍を片手に構えて影の肩口へと突き出す。骨にヒビくらいは入るかもしれないが、死にはしないし、回復魔法もあるのだからなんの問題もないだろう。


 避ける間すら与えず、それなりの速度で突き出した俺の槍は、正面にいた影の肩へと見事命中し――あっさりとその肩を貫き通した。

 はあ?

 自らの手に返ってきた感触と、あっさりと肩が吹き飛んでしまったことに驚く。よくよく見るとジャッカルだと思っていたものはただの砂の塊。それを見た俺は、不覚にも一瞬だけ固まってしまった。


『相棒、後ろッ』


 叱咤するかのごときドリーの叫びが耳を通り抜ける。考えを巡らせる間もなく俺はそれに反応を返し、右方向へと身体を回転させながら、同時に槍を薙ぎ払う。


 轟、と砂の空気が逆巻いて音を鳴らし、

「うおお、アブナーーイッ」 

 背後からはジャッカルの悲鳴が鳴り響いた。


 そのまま槍を振り切りグルリと回転、背後に忍び寄っていただろうジャッカルの無事な姿を視界に入れ、俺は自身の振るった攻撃が、避けられてしまったことを理解した。


 やっぱり相手の姿も見ないで乱雑に振ったら当たらないか……。

 警戒を怠らずに、眼前で胸に手を当て『ふぅ、危なかったぜぇ』等と呟いているジャッカルへと再度槍を向ける。


「流石に兄さんと正面からってのは……ちょっと……ここは一つ逃してくれませんかね?」

「駄目だな。面倒なことになりそうだし、絶対に逃さん」


 ジャッカルの懇願をアッサリと切り捨てて、俺はジリジリと逃さないように彼の動きを武器の穂先だけで抑制していく。

 動くに動けない状況へと追いやられたジャッカルは、摺り足で後ろへと下がっていたが、急に表情を焦ったものへと変えて、俺の後方を指差し口を開いた。


「危ないっ、兄さんの後ろからハイクがッ!!」

「――嘘付けやッ!」

「シシッ、ばれましたか。ああ、でも後ろが危ないのは本当ですけども……ねッ!」


 意地悪げに吊り上げられる口元、グイと後方に引き絞られていくジャッカルの右腕。

 俺の脳裏に疑問符が浮かぶよりも先にドリーの『右へっ』との声が響き渡る。

 ドリーが言い終わるのが先か、俺が動いたのが先か、どちらか分からない程のタイミングで、俺は地面を蹴って体を右へと流した。

 

 ブンッ、と俺が先ほどまでいた空間に、ナニカが通り抜けていく。

 

 一体ナニが、とよくよく見れると、それは部屋の床に敷かれていた木板の一部だった。

 何をしやがった? と疑問に思ったが、板の先端付近にキラリと光っている針のようなものと、そこに続いて伸びている糸を確認し、俺は思わず舌打ちを鳴らした。


 この野郎、模擬戦始める前に床を調べてたのは、この仕込みをする為か。

 驚きと感心を込めた視線で俺がジャッカルを見ると、彼もまた頬を引く付かせて俺の方へと視線を向けていた。

 

「いやいや、兄さんもしかして後ろに目でも付いてるんで?」

「はは、付いてるっていったら……どうする?」

「そりゃもう、逃げますぜいっ」


 脱兎の如く。そんな言葉が相応しいほどに躊躇いもなく背を向け、俺から距離を離そうと逃げていくジャッカル。

 かなり足が速い。素晴らしい逃げ足だとは思う。

 でも――悪いが速度に関しては、俺の方が速い。


 砂を吹き散らして駆け抜け、逃げるジャッカルを全力で追走する。

 グングンと迫る背中、追われていることに気が付いて、振り返ったジャッカルは、削り取られるかのように一瞬で無くなっていく距離を見て『はは』と乾いた笑いを零していた。


「――ッッ!」


 槍をクルリと回転させ、柄尻を前方に向けた俺は、短く呼吸を吐き出しながらジャッカルの右肩へと向かって横なぎを繰り出した。

 左方向へと盛大に吹き飛ぶジャッカル。振り払った動作のままで固まる俺。

 先ほどまで舞っていた砂が不意に勢いをなくして地に落ちる。


 砂嵐が収まり視界が開け、俺の目には床にグデ、と横たわっているジャッカルの姿が映っていた。

 白目を向き、舌をピョコと出して、口から少しの血反吐を吐いてピクリとも動かない小さな亜人。


『ふおお、やりましたね相棒っ』

 

 …………。

 ドリーの声にも反応を返さずに、俺は自分の手に持っている槍をギュッギュと握りなおすと、無言のままに亜人の側まで近づいて、倒れているジャッカルに向かって躊躇いもなく、突きを繰り出した。


 ――瞬間。


「――ッツ!? き、緊急回避ィッッ」


 倒れていた筈のジャッカルが、いきなりゴロゴロと床を転がり、俺の繰り出した突きを寸でのところで回避。

 そのまま肩膝をついて俺を見ると、ぜぇぜぇ言いながらも『いきなり攻撃するなんて卑怯なっ』等と元気よく抗議の声を掛けてくる。


 やっぱりかこの野郎……。

 先ほど武器を振るった際、妙に手ごたえが軽かったと思えば、どうやらこのジャッカル死んだフリをかまして油断を誘っていただけだったらしい。


「ひゅー、まさかオイラのタンキー寝入りが通用しないなんて、兄さん中々油断ならないお人だ……」


 パチパチっ、と俺に向かって拍手を送りながらそんな事をのたまうジャッカル。

 そんな彼の言葉を聞いて、俺は俺で思わず『この世界には狸型の亜人も居るんだな』と暢気なことを考えていた。

 しかし手加減したとはいえ、結構上手く避けられてしまった。これは今以上に警戒を強くしないといけないかもしれない。


 気持ちを新たに、俺は決着をさっさとつけるべくもう一度武器を構える……が、

「参りましたー。降参ですー」

 ソレを見たジャッカルは ささっと諸手を上げて白旗を振って、チョコチョコと近づいてくると、俺の武器の先に自身の頭をコツンと当てて『オイラの負けですね。いやお強いっ』などと言い出した。


 っく、なんとも……可愛げのあるやつだ。

 いつの間にかこのジャッカルの性格を『面白い奴だな』などと思い始めていた俺は、武器を下ろして、肩の力を抜いた。

 なんというか、妙に毒気を抜かれてしまった。


 既に先ほどジャッカルの頭にコツリと当てたことによって『一撃を入れる』という勝利条件は果たしたことになる。

 ルールを破っての反則はするつもりが無いみたいだし、さすがにコレを罠に仕掛けてくることはないだろう。


 頭を振って周囲の様子を見てみると、少し離れた場所では地面に転がっているハイクの頭を、大剣の平でゴチゴチやっているリーンの姿を確認できた。

 どうやら恨みはしっかりと晴らせたようだ。


「さて、勝負は付きましたし、これで私達の知りたいこともある程度把握できました。少し、奥の部屋へといきましょうか?」


 後方から聞えた声に振り返ってみると、恐らく笑っている……のだとは思うが、良く分からない顔つきをしたカメレオンの男が『さあどうぞ』と言わんばかりに俺を奥のドアへと促していた。


 知りたいことってなんだろうか? などの疑問は尽きなかったが、それも話を始めれば分かるだろうと思い直し、俺はリーンへと『いくぞー』と声を掛けて導かれるままに奥への部屋へと足を運んでいった。



 大量の亜人からの視線から逃れるように、十二畳程度の部屋の中へと入室する。

 最初に目に入ってきたのは、執務室にでも置いて有りそうな木材テーブルが一つと、そこに置かれている偉そうな椅子が一つだ。

 その前方には足の短いテーブルがあり、二つのソファーが挟み込むように向かい合わせに置かれている。


「どうぞ、そこのソファーにお掛けになってください」

「あ、どうも」


 カメレオンの男の言葉に従い、俺とリーンがソファーへと腰を下ろし、少し落ち着き無く周囲をキョロキョロと眺めていると――

 何故か、一番奥の椅子へとジャッカルの男が着席し、その両脇を挟むようにハイクとカメレオンの男が立ったままで待機している。


 ……ん?

 その妙な構図に違和感を覚え、一人首を傾げていると、ジャッカルの男がさも楽し気な表情を湛えて俺を見つめ、ピッピッ、鼻面を親指で擦って口を開いた。


「さて、兄さん、自己紹介だ。

 オイラがここの頭をやらせて貰っている【サバラ・テイル】ってんだ。よろしく頼むぜ?」


 こ、こいつ……。

 驚きと戸惑い――そんな色々な感情を心に宿しながらも、俺はサバラの台詞を聞いて深い溜息を吐き零したのだった。




 ◆◆◆◆◆



 

 決して陽光など差し込まない暗い大広間の中――周囲に見える連なり立った柱も、置かれている椅子もテーブルも、絨毯でさえも、その全てが影を落としたかのように漆黒に染まっている。


 耳に延々と届いてくる、なんの意味をなしてはいない絶叫。 

 そんな苦痛の悲鳴と、今も目の前に見えている光景のお陰で“アタイ”の背筋には蟲が這っているかのような嫌悪感が駆け巡っていた。

 意識とは裏腹に、震えて止まってしまいそうになる足。ソレを必死になって抑えつけ、強引に歩む速度を上げて誤魔化していく。

 

 相変わらずなんて趣味が悪いんだい……。

 広間の天井から釣り下がっているソレを見て、口から嫌気が零れ出た。

 

 天井から人形の如く吊るされた死体の数々が揺れている。

 その全てが影の糸に手を貫かれ、足を貫かれ、眼球を通され、関節があらぬ方向に曲がって、首を括って吊るされている。


 揺らり揺らり、と絶叫に合わせて動く死体の様子は、カチカチと時を刻む、時計の振り子のようだった。

 

 ソレラを視界に収めないように気をつけながら、アタイは広間中央に居る影の下へと更に近づいていく。

 少し前方に見える人型の影、いや、シャイドは……近づくアタイに興味を示さず、今も帽子から生えた手を蠢かして、グズリグズリとナニカを弄繰り回していた。


 足が重い。もう大分慣れてきたとはいえ、シャイドの側に近づけば近づくほど、叫び出したくなるような恐怖心が、心の底で鎌首を持ち上げる。


 大丈夫……大したことないさねこんなもの。

 そんな自身を勇気付ける言葉を掛けた――瞬間。

 狙っていたかのようなタイミングで、シャイドが首をグルリと回して顔を此方へと向け、身体を横へと移動させた。


【いやはや……やはりどうにもアレですね。意識や知性を残そうとすると、アッサリ死んでしまって中々上手くいきません。

 難しいものです。ねえ、そうは思いませんか“ジャイナさん”? 思うでしょう?】

「ひっ、アタイに聞かれたって知りゃしないよそんなことっ!?」


 シャイドの身体が横にズレたお陰で、その先に広がっていた惨状が視界に入り、反射的にアタイは引きつった声を漏らしてしまう。


 頭上部をグルリと切られて、中身がむき出しとなった人間。

 椅子に縛られ身動きすらも取れないそのダレかの身体は、既に命の灯火を消しているのか、まるで動きを見せず、見開かれている瞼の奥の眼球は、流された血涙によって真紅に染められていた。

 苦悶の叫びを上げ過ぎた所為からなのか、口端からは泡のような涎がだらしなく垂れ落ち、その表情はダレカを呪うかのような形で凝固している。


 さっと視線を逸らして見ないようにしたのだが、どうにも脳裏に焼きついて離れなくなった。


 今夜は悪夢でも見そうさね……。

 先ほどまで上げられていた筈の悲鳴は既に止まっていて、広間の中にはグズリグズリと嫌悪感を刺激する生々しい肉の音だけが漂っている。


 気色悪いったらないよ。

 ポソリと呟き、様子を伺うように逸らしていた視線を上げる――と、いつの間にか弄繰り回されていた死体は影も形もなくなっており、代わりに、ニタニタと三日月を描いているシャイドの口腔が目に映った。

 相変わらず鮮血を飲んだかの如き赤い口元を見ていると、心が酷く不安定に揺れる。


【おや、ジャイナさん。ご気分でも悪いんですか? それなら、私が直して差し上げましょうか?】

「え、遠慮しとくさね」


 楽しげに象られているシャイドの薄気味悪い嗤いを見て確信した『きっとこの糞ッ垂れな影は、アタイがココに来るのに合わせて、嫌がらせの為に人間をバラシていたに違いない』と。


 コイツだけは、絶対好きになれそうにないねぇ……。

 苛つきに任せて恐怖心を堪え、睨み殺すかのように視線を飛ばしてみるが、シャイドはニタニタと嗤っているだけで、こちらを歯牙にも掛けていなかった。本当に嫌な奴だ。


【さてジャイナさん、アナタをお呼びしたのは、実はお願いがあったからなんですよ。

 聞いてくださいますね? あ、勿論返事は了承でしょうし必要ありませんよ。ええ、わかっていますとも】

「か、勝手なことを言わないでおくれよっ!? せめてその頼みが何か位は教えてくれないかい?」


 さも当然かのようにシャイドに言われ、反射的に聞き返してしまったアタイは『しまった』と慌てて口を閉ざした。余計なことなんて聞かずに断れば良いのに、態々聞き返してしまうなんて、なんて間抜けなことを。と後悔はしたが時既に遅い。


【おっと、そうでしたね。しっかりと説明をしないなど、私としたことがなんて失礼を……】

 

 大仰に両手を広げ、こちらをからかっているかのような仕草で謝罪を入れたシャイドに、『説明なんて要らないよっ』と言葉を掛けようとしたが、それを遮るかのように影はさっさと続きへと入ってしまった。


【さて、長々と説明をするのも良いのですが、人の寿命は実に短く儚いもの。私としてもアナタの貴重な時間を使うのはとても心苦しいですし、分かりやすく端的に言いましょう。

 ジャイナさん。アナタもお仲間と同様にシルクリークへと向かってください】

「――ッツ!? な、なんでさねッ! 冗談じゃないよ。クロの旦那を一人置いていける訳ないだろっ」


 シャイドに向かって悲鳴にも似た叫びを上げる。

 今の旦那は明らかに不安定になっていて、誰かついていないと拙いのは分かりきっている。それに、ラッセルやゴラッソから『頼む』と言い渡されているのだから、アタイまでココから離れるなんて、在り得ない。


 絶対に断らなくてはいけない――しっかりと自分の中でそんな意思を固め、ニタニタとこちらを見ているシャイドを睨みつける。


 が、それすらも影にとってはカラカイの対象でしかないようで、アタイの睨みなど何処吹く風で気味の悪い嗤いを上げていた。


【いえいえ、実はこの件に関しては、アナタの言うクロムウェル君も賛成してくれているのですよ……ねぇそうでしょう?】


 影がアタイの後方へと、投げかけるように質問を放る。その声に釣られて振り返ってみると、視界の先に、暗い、暗い影の空間にビシリ、と白いヒビが出来ていた。

 ビキビキと、水晶でも割っているかのような破砕音が広間内部に響き渡り、やがてアタイの見ている前で、空間がボロボロと砕け散った。


 ズルリと這い出るように灰色の腕が中から伸び、やがてアタイの良く知る旦那の姿が広間の中に現れる。

 コツ、と裸足のままの足が、硬い地面に下り立ち音を出した。

 人の柔らかな肌の音ではなく、明らかに変質してしまった硬い音。白い絹の如き服から垣間見える肌の全てが灰色で、アタイを真っ直ぐに見つめる瞳は、黒く赤く――悪意や憤怒を固めて作り上げたかのような色をしていた。


 呼吸が止まりそうだった。いつ見ても恐怖で胸がキリキリと軋む。

 旦那だと分かっていなければ、恐らくアタイは悲鳴を上げてこの場から逃げ出してしまっていたことだろう。


 ギシ、と瞬かれた瞼が瞳に擦れ、ガラスを削っているかのような、奇妙な音を鳴らし、石像のような旦那の口元がアタイが見ている中、静かに開かれた。


【嗚呼、久しぶりですね、ジャイナ。どうしましたそんな顔をして、またシャイドが余計なことでもしたのですか?】

「だ、旦那からも何か言っておくれよっ。旦那が了承したなんて嘘までついて、この影がアタイまでシルクリークにいけって言うのさねっ。」

【嘘? ……嘘ではないですね。ジャイナ、私が了承したのは本当ですよ】


 なんでッ!?

 口に出す余裕すらなく、アタイは旦那の言葉を聞いて、心の中で絶叫した。

 焦って旦那の表情を伺ってみるが、少しの笑みを湛えたままで表情が全く変わっている様子が無い。

 恐らく嘘はついていない。本当に影の頼みを了承したらしい。思わず言葉を失い呆然としていると、旦那が更に言葉を紡いだ。


【ここは薄暗く、碌な場所じゃありません。シルクリークへと向かえるのならば、きっとその方が良いでしょう。あの国の中であれば、貴女達は追われる心配もありません。

 そう、いずれ……いずれ私を認めぬ全てを壊せば……壊してしまえば、手配なんて何の意味も無くなる。私の望むものしか残らなくなる。

 嗚呼、早くしなければ、早く消し去ってしまわなければ】


 グラグラと揺れる旦那の不安定な心が一瞬で傾きを見せ、アタイの見ている前で、ドロドロと悪意が形をなして全身から零れていった。

 灰色石の手の平が、何かを掴み取るかのように握られ、それに呼応するかのように、アタイの心臓もぎゅうと縮みあがる。

 全てを壊す――嘘偽りも無く、本心で、旦那はそれを言っている。

 

 何でこんなことになってしまったのだろう。

 アタイ達がやったのは褒められた行為ではないのは重々理解している。後悔だってしている。


 でも、前の旦那はただ英雄になりたかっただけだった。ただそれだけだったのに。

 何故こんなにもオカシクなってしまったのだろう。

 全てを壊してどうするのだろうか、気に食わないものを消し去ってしまって、それで英雄を名乗って何の意味があるのか。

 もう、旦那は……ソレすらも分からない程に化け物になってしまっているのか。


 でも、それでも、溢れ続ける悪意の波が、アタイを避けるように広がっているように感じるのは『旦那に人の意思が残っている』と思いたい、アタイの錯覚なのだろうか。

 

 嗤う。石へと変わった旦那が狂ったように嗤い続けている。

 アタイは既に何も言葉が出なくなっていた。掛ける言葉を見つけられなくなっていた。

 きっとアタイが何を言っても駄目なんだ。と理解してしまっていた。


 項垂れるようにその場で立ちすくみ、自分の弱さを嘆く。奥歯を噛んで拳を握り、ただただ黒い地面を見つめ続ける。


 そんなアタイを、あの陰険な影が見過ごす筈もなく――音も無く近づいてきた化け物がアタイの耳元でゾッとするような声音を囁いた。


【ほらジャイナさん。言った通りでしょう? これで貴女も心おきなくお仲間の下へと向かえる。良かった。嬉しいでしょうね? おめでとう。キヒッ、ヒヒッ】


 心の底へと染みこむ様な、気色の悪い影の声。ソレを聞いていると、恐怖や悲しみや色々な感情がざわざわと荒れ始め、アタイは気がつくと、


「――ッッツ!! アンタッ、一体なんなんだい。

 クレスタリアでも国を引っ掻き回して、今度はシルクリーク。アタイ達に態々言わなくても、あんたの配下でも好きに使えばいいだろッ。

 旦那もアタイ達も放っておいておくれよッ!」


 声に怒りを乗せ、溜まっていた憤りを影へとぶつけていた。


【何を考えている? 決まっているでしょう、私は私の好きなことを考えているだけですよ。それはこれからも変わらない。

 それに、アナタ達を構っているのはこれでも私の親切心からなのですが? 少しは感謝して貰いたいものです。

 ほら、彼は私の同胞、未だ半端者の彼を放っておくなんて、私にはとてもとても……。


 これでも、少々彼の生まれが特殊なせいか、中々思うように運ばなくてこれでもかなり苦労しているのですよ……ん、いや……そうですねやはり関連する“あの場所”を与えるのが一番良いか……嗚呼、それもきっと面白い】


 返答しているようで、影がコレッぽちもまともに答えていないことが良く分かる。

 ブツブツと楽しそうに呟きを零している化け物の姿を見て、アタイはそんなことを痛感していた。


 暗い暗い闇の中、影と旦那が狂った嗤いを上げる。意識を根こそぎ奪われかねない気味の悪い重圧が、広間全体を軋ませる。

 

 闇の中で悪意を振りまいている旦那は、もう既にアタイを見ていない。

 いや、見えていないのだろうか。


 不意に、そんな旦那の姿を見て、脳裏には一つの疑問が湧いた。

 オカシイ、この間まで旦那はそれなりに落ち着きを見せていたはずなのに、何故こんなにも悪化しているのだろう?


 また、また影が何かしたのだろうか……。

 どうしても気になって気になって仕方なくなったアタイは、気が付くと影に向かって『旦那に一体ナニをした』とソンナ質問を投げかけていた。


 答えを期待はしていなかったが、影は予想に反して反応を示し、ヒヒ、と薄ら寒い笑いを漏らし、楽しげに口を歪めて言った。


【いえいえ、大したことは言っていませんよ……私はただ、親切に教えて上げただけです。

 貴方は所詮偽者だ。決して本物にはなれやしない。とね】


 影の言葉を切っ掛けに、旦那の嗤いが叫びに変わり、慟哭するような雄叫びへと成り果てる。

 止めておくれ、もういいから口を止めておくれ。

 旦那の変化を垣間見て、アタイは影へとそんな言葉を必死に掛ける。

 だが、影はまるで歌でも口ずさむかのように、つらつらと本物になれない理由を謡う。


 話が進むめば進むほどに、旦那の怒りや悪意が増していくのが分かり、アタイは余計なことを聞いた自分自身を絞め殺したい衝動に駆られた。

 傷口に塩をゆっくり塗りこめるように、落とした腕に刃物を刺し込む様に。

 楽しげに語る影の口は止められず、アタイは暗い広間の中、狂っていく仲間を見ながら金切り声を上げることしか出来なくなっていた――。





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