破られる静寂 湧き上がる衝動
大通りを抜け、人波を避けながらも俺は自分の買い物を済ませる為に、足を進めていた。
四方形の混合建材で出来た建物が左右には立ち並び、昼間ということもあってか、人の数は朝とは比べ物にならない程に多くなっている。
耳に入って来るのは店先で客引きしている店員の声音。鼻腔に漂うのは、露店らしき店先で焼いている、香ばしい肉の香り。
おお、都市らしい感じにはなってきたな。
それに、これだけ人が溢れていれば、紛れ込むのには丁度良い。よほど大騒ぎでもしなければ、兵士に見つかることもなさそうだ。
頭を動かし周囲を伺いながらも、俺は騒がしくなってきている雰囲気を感じ『まだ手遅れというほどじゃないな』と、少しの安堵を抱く。
人波を避けるように歩き続けていると、不意に肩上でドリーがモゾリと動く。何かと思い視線を向けてみると、ドリーがクイと蛇頭を傾げ俺に見せていた。
「どうかしたのか?」
『いえ、今から何処に向かわれるのかなーっと思いまして』
「あー、俺としては一先ず自分の買い物済ませて、それから他のって考えてるんだけど」
『相棒の……というと、おお、防具屋さんですねっ』
「そうそう」
びょん、と蛇の身体を伸ばして楽しそうに声を上げたドリーを見て、思わず『意外とドリーも買い物好きだよな』等と笑いを零した。
今もドリーに言った通り、俺は自身の買い物を済ませる為、現在防具屋へと向かって足を進めていた。
というのも、穴が開いては直されて、引き裂かれては修理に出され、酷使され続けてきた愛用のローブが、そろそろ限界に近づいてきていたからだ。
俺としては、あのローブは初めて買った金額の高いものだったし、ここまで使ってきた思い入れもあったので、余り買いなおす気は無かったのだが……。
リーンやリッツに『もう買いなおしたほうが良い』と止められ、最後の頼みの綱でもあるドランにまで『流石に防具屋さんでも修理に限界があるだでー』と言われてしまえば諦めざるを得なかった。
それに、防具の重要さは水晶平原での出来事もあり、痛いほど良く分かっている。
今の外套が使えなくなることだってあるし、やはりこの辺りが買い替え時なのだろう。
懐具合に関しては、オッちゃん達に貰ったお金と――先ほど歩き回った最中に換金しておいた――三級区域で取った素材、それに二級区域で手に入れた命結晶分のお金があるので、それなりに暖かい。
二級の素材も売れればもう少し潤うのだが、さすがにあそこでしか取れない素材もあるだろうし、足が付く危険があるので却下した。
グランウッドで買ったローブが金貨二枚だったし、俺としては今回の予算は多めに見て三枚か四枚位に想定している。出そうと思えばもっと出せるが、余裕は残しておきたいし、こんなものが妥当だろう。
何か良いのが売っていると助かるんだが……いや、きっとある筈、シルクリークだしな。
少しの不安はあるが、それよりも期待感の方が大きい。愛用ローブの素材も確かシルクリーク産のものだったし、きっと軽くて素晴らしいものが売っているに違いない。
元々買い物自体は、面倒なのでさして好きでもないのだが『新しい装備』と考えると、やはりワクワクしてきてしまう。
やっぱローブとかかな……いや、でも樹々に乗ると風で靡いて鬱陶しいし、他のでも良いな……。
暢気な想像を膨らませていると、自然と足取りが軽くなった。
正直、もう少し緊張感を持ったほうが良いとは思うのだが――ソレとコレとは話が別。
何事も切り替えは大事だ。周囲が暗いからといって此方まで暗くなる必要は無い。
情報集めをする際は真剣にやるが、楽しむ所は楽しみたい。
獄内部で落ち込んだ時も物事は決して良い方向には向かってくれなかったし、暗くなればなるほどに精神的な疲労も多かった。
これもある意味、獄で培った経験と言えるものなのかもしれない。
上機嫌で景色を見渡しながら通りを進む。並んでいる建物には武器やら防具やらを示す看板が多く、この辺りが装備の類を売っている店が集中していることがよくわかる。
今俺が向かっているのは、この辺りでもかなり大きな店構えの防具屋。
知る人ぞ知る隠れた名店――なんかを見つけたい気持ちも少しあるのだが、来たばかりの俺がソレを知るはずもない。
こういった時はそれなりに大きな店にしておいたほうが無難だろうとの判断だ。
しかし、いつも思うけど、本当になんか映画とかで見そうな町並みだよな。
ビルなどを見ていた俺だからそう感じるのかもしれないが、こうやって眺めれば眺めるほど、そんな感慨が浮かぶ。
砂色の建物。外套などを羽織った人々。
大通りの広さでは無理ではあるが、脇にある横道通りを伺ってみると、対面している民家と民家の間にロープが通され、洗濯物などが干されているのが見受けられた。
あんな場所に干してたら、土埃とか付くんじゃないのか?
そんなどうでも良い疑問が脳裏に湧く。が、よくよく見てみると……実際掛かっているのは、布切れだったり、作業着みたいな服だったりと、ある程度土埃が付いても構わないものばかり。
恐らく、多少汚れても構わないものは外で、逆に汚したくない服等は、魔法で乾かすことにでもしているに違いない。
何度か俺もリーンに乾かしてもらった経験があるが、あれは中々に気持ちが良い。なんというか……冬にドライヤーを使っていて、既に乾いているのにスイッチを切りたくない気持ち良さというかそんな感じだ。
乾燥機要らずだし、やっぱ魔法って便利だよなー。
反射的にそんな思いが脳裏に流れた――しかし、よくよく考えてみると別に魔法じゃなくても乾燥機有れば誰でも簡単に乾かせるし、別に便利とは言えないのかもしれないと気が付いた。
魔法が便利か、科学が便利か。これは結構難しい問題かもしれない。
魔法のメリットは……科学で出来ることを難しいこと抜きにして可能にすること……いや、違うな。
本来、大本はきっと誰かが苦労して作り上げたのだろうし、今俺がこうやって便利に使っているのは、ある意味完成した乾燥機を買っているのとなんら変わらない。
そう考えると、スイッチ一つ押すだけで使える機械のほうが便利に思えてくるから不思議なものだ。
しいて魔法の利便性を上げるのならば……やはりエネルギーに関する部分だろうか。
人に備わる魔力なる意味不明な力だけで、様々な事象を引き起こせてしまう。燃料は生きているだけで作られるのだから、かなりエコだと言える。後は身体一つで良い身軽さと言った所か。
しかしなんで科学っぽいのが少ないんだろ……ほんとよく分かんないなこの世界って。
今まで見てきた町並みは、自分の感覚からしてみれば時代遅れとも呼べるものなのだが、町並みの清潔さや、水の処理――など、俺の知っている中世辺りと比べれば、かなり発展している。
魔法があるのだから当然だ。だが、最近では随分と歪だなーと感じてしまうこともあった。
刻印回路や、結晶機構。魔道具関連に水晶船。
これだってかなり練りに練られたものだろうし、詠唱省略の魔印なんかも長い月日を掛けて作られたに違いない。
なのに……未だこの発展具合というのは少々疑問を感じてしまう部分だ。
もう少し科学的な部分が発展していても良いんじゃないか? 思わずそんなことを考えてしまうほどに。
物理法則やなんかが、俺のいた場所と同じかどうかは調べようが無いし、もしかしたら、俺の吸っているこの空気も実は酸素じゃない――とか訳が分からんことになっている可能性も無くはない。
だが、摩擦が起きれば熱が生まれるし、塩で氷結速度が上がったりと、ある程度その辺りは同じように感じる。
やはり、根底に魔法という存在があるお陰で科学が発展しないのか? それに他にもモンスターや危険区域の存在も関わっているかもしれない……。
例えば火薬だったりも、この世界ならば作る必要が無いというか、同じ効果を出すような体液があったり植物があったりするし、それが発展を阻害しているのだろうか。
ソレにしちゃ発展速度が遅いんだよな……。
一度気になってくると、モヤモヤと頭に残ってしまう。暫くあれやこれやと予測を立てながら歩いていたが、俺が頭を捻ったところで分かるはずも無く、最終的には面倒臭くなって『もういいや』と、頭の隅へと投げ捨てることに。
ただ、こんな考えごとでも暇を潰すのには役に立ったようで、気が付くと目的地でもある防具屋の前にたどり着いていた。
なんだか少し得した気分ではある。
両開きの木材扉を押し開き、道具屋の中へと足を進める。
まず目に飛び込んできたのは、広い店内に陳列された防具の数々。壁に掛けられたり棚に置かれたりと、中々に壮観な光景。
通り側に面する壁にはガラス窓がはめ込まれ、外からの明かりが店内を照らしている。
魔灯の明かりも相まってか中は非常に明るい雰囲気となっていた。
一番奥のカウンターみたいな場所には店員が二人並んでおり、左側の棚には客であろう女性の剣士が一人。
「いらっしゃいマセー」
微妙に発音に違和感のある男性店員の声が響く。その声は良く通っており、陰気な雰囲気など微塵も感じさせてはいない。さすがは商売人ということか。
『相棒……久々の大きな買い物です。気を引き締めてください』
ドリーの真剣な声音に、俺は黙って頷きを返し、何気ない風を装いながらも店内をウロツキ始めた。
品定めをしているフリをしながらも、念には念を入れ、俺はチラリと店員の顔を伺う。
彫り深い顔立ちで、金色の短髪、中々にガタイの良い体をしている男性店員と、同じく金髪の女性店員。二人ともニコニコと微笑んでいるが、その目は時折こちらへと向けられている。
っく、探られている!? ……だが無駄だッ。
思わず会心の笑みがこぼれ出た。
俺はクレスタリアでの敗北の後、何がいけなかったのかを、三日三晩スヤスヤ寝ながら考えた。
なぜ、なぜあの時店員は此方の懐具合を把握したのだろうか、と。
そして四日目の晩、夢の中で気がついた。
あれは最初に俺の武器を見られてしまったことが一番の原因だったのだ。
俺の武器はどこかで買ったものではないが、きっと一見したら高価なものに見える筈。
そんな槍斧を堂々と担いで店内に入ってしまったらどうなる?
クレスタリアでの――敗北。つまりはそういうことだ。
だがしかし、今回俺が持ってきているのは代えの武器。何処にでも売っていそうなこの武器を背負う俺を見れば、店員も大したことは無いと高を括ってくれるだろう。
はは、馬鹿めが、笑いが止まらないぜ。
口元に片手を当ててニヤニヤとしそうになる表情をひた隠し、俺は一先ず店内に並んでいる品を見てまわる。
下手に会話を交わしてしまえば相手のペースになりかねない。自分で良い品を見つければ手玉に取られることなどないし、安泰だ。
『メイちゃんさん……完璧です……恐ろしいほどに完璧なお買い物ですっ』
クワッ、と口を開いて驚きを表すドリーの頭を撫でる。
だが安心するのはまだ早い。しっかりと買い物を済ませてこそ完璧というのだよドリー君。
ふっ、と冷静沈着な鼻息を漏らしながら、俺は品定めを続けていった。
しかし、十分程店内を歩き回った頃――。
っぐ、中々見つからない。
最初の余裕はどこへやら、俺は湧き上がる焦燥感に、思わず脳内で悪態を吐き零していた。
それなりの品はあったが、どうにも満足いくものが見つからない。このままでは店員に話しかけないとならなくなる……そうなれば、きっとまた負けられない闘いが始まってしまう。
ギシ、と歯噛みしながら足を速めてもう一度店内を回るが、やはり見つからない。
やはり俺の満足いくような品は奥に隠されているのだろうか……。
他の店を巡ってみるか? そんな考えが脳裏に過ぎったが、ある程度大きな店はここしか知らない。そんな俺が下手に店を探して歩き回ったら、どれだけ時間がかかることか……リーンだって今頃歩き回っているだろうに、俺が自身の装備を買う為だけに、時間を使ってしまったら面目が立たない。
やはりココで探すしかないだろう。
グルグルと歩き回り必死に探す――が、見つからない。
焦りが焦りを呼び、集中力が途切れていく。
そして、そんな散漫になった注意力のせいか、
『相棒、前から人がきてますよっ』
不覚にも俺はドリーの警告が聞えるまで、前から人が迫っていることに気がつけなかった。
即座に反応し視線を上げると、此方へと真っ直ぐに歩いてくる店内にいた女性客の姿。
距離は一メートル程しかない。その上向こうも品物を見ているせいか、全く気が付いていない様子。
躊躇いも無く歩いてくる女性客に向かって『危ない!』と警告する暇もなく、あっという間に距離が詰まり、俺はそのまま正面から衝突してしまう――訳などなかった。
「よっと」
『おお、さすが相棒っ』
俺がヒョイ、と左へと身をかわし余裕を持って避けると、ドリーが拍手でもするかのように口をパクパクさせた。
いや、さすがに一メートル手前で気が付いたら余裕というか、正直こんな程度で当たっていたら今頃俺は墓の中である。
「――きゃッ」
が、相手側はそうもいかなかったのか、目前で俺が急に身をかわしたことに驚き、小さな悲鳴を上げて身体を崩してしまう。
傾ぐ女性の体、このままでは倒れ込んでしまうだろうことは瞬時に把握できた。
放っておくのも拙いだろうと考え、支える為に手を伸ばす。
漫画なんかだと、こういった時は腰を支えるのが常ではあるが『知らない女性の腰を抱くとか、ねーよ』と思ったので、無難そうな右腕を取る。
人一人分と、走破者なのであろう女性の装備分の重量が右腕に掛かったが、無駄に高い身体能力に任せ、傾ぐ女性の身体を難なく止めることができた。
「ありがとうございます。あ、ごめんなさい……」
手を支えに体を戻し、俺に向かって慌てたように謝罪をする女性。
軽鎧と腰元に差してある剣から見て、近接型の走破者なのだろうが、危うく転びそうになった所を見ると、まだなって間もないのかもしれない。
「いえ、こちらこそすいません。俺も不注意でした」
ペコペコと頭を下げてくる女性客に片手を振って謝罪を返す。
女性客は最後にもう一度『すいません』と頭を下げ、品定めを再開しに離れていった。
ふー、さすがに少し焦りすぎたのかもしれない。
冷静さを取り戻すため、俺は一度深呼吸を行った。
身体に巡る安堵と油断――だが、それがいけなかった。
そんな俺の心の隙間をつく戦慄するほどのタイミングで、
「お客さん、ナニカお探しですかー?」
無常にも闘いのゴングが鳴り響いてしまった。
ハッと振り向くと、予想通り背後には男性店員が一人。顔には満面の笑みを貼り付けている。
くそ、長居し過ぎた所為で先手を取られた!?
「あ、あっと、探してるっちゃ、探してるんですが……中々見つからないなーと」
『相棒っ、落ち着いて』
おう、すまないドリー。
急な展開によって狼狽してしまったが『冷静にならねば喰われるッ』と、ドリーの言葉を切っ掛けに立て直す。
「実はですね。使っていたローブが一枚駄目になってしまって、代えのものを探しているのですが、中々気に入るものがなくて……なにかとっておきの品はないですか?」
俺がそう言った瞬間――男性店員の青い瞳が力強く輝き、パン、と拍手を打つかのように両手を重ねて見せた。
っぐ、やはり猛者で間違い無さそうだ。
「それはそれは……店には出していないものがまだありますよ? ささっ、こちらへー」
先手は取られてしまったが、どうせ後で話しかけなければならなかったのだ。ここは素直に従って品を拝ませても貰うのが得策。
覚悟を決めて、俺は促されるままに女性店員の待つカウンターへと移動する。
支払いをする場所も兼ねているのであろう、木目が美しい茶色の木材カウンター。そこまでたどり着くと、男性店員が『ご希望の色は?』と尋ねてきた。
別に嘘をつく必要性も感じなかったので、俺が素直に『黒で』と伝えると、男性店員は肩眉だけをピンと上げて『お客さんは運がいいっ』と言って奥に引っ込んだ。
ドキドキと、不安を抱えながら待つこと二分。
黙ったまま微笑んでいる女性店員に、俺が油断せず警戒を向けていると、奥に引っ込んでいた男性店員が黒いジャケットと思しき上着と、何故かダークブラウンのズボンも一緒に抱えて戻ってきた。
なんでズボンを持ってきたんだ?
脳裏に浮かんだ疑問をそのままに、俺は訝しげな視線を向けたが、男性店員はそれを無視してコホンと一つ咳払いをした後『待ってました』と言わんばかりに商品説明を開始した。
「さて、今回ご紹介するのは、この上着とズボンの組み合わせっ」
「え、ちょっとマイク? 何でズボンも一緒なの? お客様が驚いているじゃない!?」
バッと、黒いジャケットを広げ見せたマイクと呼ばれた男性店員に、突如として喋り始めた女性店員が、驚きの声を上げる。
確かにいきなりだったので俺も驚いたが、正直言って、いきなり喋りだしたアナタのほうに驚いています。
いきなり始まった二人の商品紹介に俺は思わず気圧されてしまい、言葉を挟む余裕もなくなった。
駄目だ後手後手に回ってしまっている……。
俺が一人悔しさで歯噛みしていると、マイクが黒いジャケットとズボンを女性店員に示し、明るい笑いを零しながら口を開いた。
「ハハっ、実はね……このズボンと上着、二つでセットになっているのさっ。
お客様の求めているのはローブ……確かにそうだ。でも、ジェシー、もし君がより良い商品を知っていたとしたら……どうする?」
「それは、薦めたくなるわね……っは!? まさかマイク……じゃあそれが?」
「そうだよっ、つまりはこの商品こそがそんな薦めたくなるようなモノだってことなのさ」
人差し指をビシっ、と突きつけて、マイクが自信満々な面持ちで言い切ると、ジェシーは驚愕の色に顔を染め上げて、興味深そうに商品を伺った。
『ふみゅ……相棒どうするんですか?』
肩上から投げかけられた疑問の声に、俺は『暫く様子を見る』とアイコンタクトを返す。
確かに俺の求めていたものはローブではあるが、別にそこまでの拘りは無い。しっかりとした品質で代わりになるのであれば、ジャケットだろうが何でも良い。
それに、これだけ自信満々に持って来たのだ。何かしら見るべきところはある筈。
油断さえしなければ大丈夫だ。
俺が沈黙を保ったままで商品を見ていると、マイクがズボンを一旦カウンターの脇に寄せ、上着をこちらに掲げた。
「ほら、ジェシー見てごらん。とても良いデザインをしていると思わないかい?」
おお、確かにカッコいいな。
ナニカの皮で出来ているであろう黒いジャケット。首元後部にはフードが垂れ、袖と裾フードの縁周りには、暗い灰色の金属らしきものが縁を覆うように張り付いている。
ジャケット前面部分には左右でかみ合せるタイプの暗灰色の金具。恐らく前を閉める為のものだろう。
左肩から胸に掛けては、目立たないよう黒く塗装されている非常に薄い金属で補強されていた。
動きを阻害するのでは? そう思ったが、マイクの手で動かされ形を変えているところを見ると、良くわからないが、柔軟性のある不思議な金属らしい。
右肩には暗灰色の肩当て、金属自体は薄いものらしく、縁取りには草紋を思わせる意匠が凝らせれていた。肩当ての端は、ジャケットから少し浮いていて、若干ながら隙間がある。あそこにドリーを捕まらせれば、穴を空けなくて済みそうだ。
デザイン的には非常にシンプルなジャケット。
あまりゴテゴテしいのも好みではない俺としては、かなり見た目は好ましい……が、同時に不安要素もあった。
「ねえマイク……確かに素敵なデザインだと思うわ。でも、防具としては余り役に立たないんじゃないかしら……」
感じていた不安をズバリ、と切り込んでくれたジェシーの言葉に俺は思わず共感し、一緒になってうんうんと頷く。
普段着る分には良さそうだが、あのジャケットでは下に軽鎧を着込めそうにはない。そうなれば確実に防御力が下がってしまうし、俺としては大問題と言える。
俺とジェシーの不安を受けて、マイクは自分の目をパシ、と片手で覆って首を振って見せた。
「ああ、ジェシー、やはり君もそう思ってしまうのかい? そんな心配いらないさ……そうだね口で説明するのも良いけど……少し待っててくれないか?」
突然そう言い残したマイクは、返事も待たずに小走りで店の奥へ。
『何をなされるなんでしょうねっ、なんだかワクワクしてきました』
落ち着けドリー、相手のペースに巻き込まれてはいけない。
キャッキャと喜んでいるドリーを、俺が眼差しで注意していると、やがてマイクが、片手に色違いの白ジャケットと、もう片手に小ぶりのナイフを持って戻ってきた。
「さあ、ジェシー着てごらん」
「あら……予想以上に素敵な着心地ね。裏生地がとても滑らかだわ……ずっとこのまま着ていたいくらい」
へ、へー滑らかね、後で少し試着するくらいだったらしてもいいかもな。
ウフフ、と微笑みながらジャケットを羽織り、ジェシーがその場でゆっくりと回って見せる。
その時、マイクが流れるように動いた。
片手に持っていた小ぶりのナイフを閃かせ……何を思ったのか、ジェシーの横わき腹に――突き刺したッ。
おい、マイク、お前は何をしているんだッ!?
「マ、マイク……なに……を」
刺された腹部を押さえながらマイクを見つめるジェシーと、
『ああ、樹脂ーさんがっ!』
ダバダバと動きながら、勝手な名前を付けて叫び声を上げるドリー。
俺は俺で、予想外の傷害事件を目にしたお陰で、ドリーに突っ込むことさえ忘れて息を呑み事態を見守ってしまった。
が、直ぐにこのままではいけない。と気が付いて、ドリーに回復魔法を掛けさせようと慌てて口を開いた――瞬間。
「ジェシー、どうしたんだい、そんな腹筋にナイフでも刺さってしまったかのような顔をしてっ、よく見てごらん……君には怪我一つ無いだろ?」
マイクが笑いながらそう言って、手に持っていたナイフを、コン、と木材テーブルに突き立てた。
「え? 嘘? 本当に?」
スッと退けられたジェシーの手、明らかにナイフが刺さっていたその箇所には、傷一つ、穴一つ開いてはいなかった。
やだ……何これ凄い。
「ハハハー、驚いたかい? でもこれでこのジャケットが防具としても一級品だって分かっただろう?
さて、ここで種明かしだ。聞いて驚かないでくれよ……実はこの素材……『鉄皮竜』の皮で出来ているんだよ」
「――ええ!? それって『弱竜種』の一級モンスターじゃない。でも確かに、それなら下手な防具よりも頑丈だわ」
なんだかよく分からないモンスターの名前が出てきたが、弱竜種位は知っている。つまり鉄皮竜、半端ねぇっ、ということだけは確かだった。
「ほらジェシー。良くあるだろ? 道端を歩いている時にいきなり通り魔に刺されることとか」
「確かに……もしかしたらあるかもしれないわね」
あるある。
ギランに魔法で貫かれたり、水晶武器で手足を落とされようとしたり、暑苦しいカルガンに襲われたり、見回りしていたら連続殺人事件に出会ったり。結構多いよな通り魔。
俺が色々と思い出しながら共感していると、ソレを見たマイクが二カッ、と笑って白い歯を光らせた。
「ほらお客さんだってご納得の様子だ。
通り魔が怖い。重い防具はもう嫌だ。そんな時こそこのジャケットの出番。
鎧なんて重苦しいものとはもうお別れ、着心地の良い装備で最高の防御効果を」
「凄いわマイクっ」
『凄いですマイコォー』
うむ、凄いぞマイク。
俺も一緒に、パチパチと拍手を送る。
『ねえメイちゃんさん……あの服ってすごく良い商品なのでは?』
そうだなドリー、俺も段々そんな気がしてきた。
基本的に客を無視して会話を続けていく――そんな、一風変わったマイクとジェシーの商品説明を見ていて、ドリーはすっかり楽しくなってしまったようで、大喜びでくねっている。
かく言う俺も、少しだけ……若干ながら楽しく感じている。
身振り手振り、オーバーリアクション気味な動作で、彼等の話しは続いていく。
「ジェシーそれだけで驚いちゃいけない。
先ず裏面を見てごらん。実はこの裏生地はシルクリークの名産でもある『女王守護蚕』の糸で編まれているのさ。裏に刻まれているのは、勿論『コンディション・エア』の刻印」
「つまり暑さも寒さもバッチリってこと?」
「その通りっ」
ソレを聞いて無意識のうちに、おお、と感嘆の声を漏らしてしまう。
一度あの魔法に慣れちゃうと、いざなくなるときついんだよな。獄級の内部に入ったりすると、一々装備変えたり服変えたりする暇がないことが殆どだし、地中とか入るとやたらと暑いこともあるしで、苦労が多い。
良いなー、便利そうだなー、カッコいいなー。
「更に更に、ジェシーそこのフードを上げてごらん?」
「これかしら?」
「そうだ。フードの側面についている金具を外して、首元にある場所に止めるんだ」
マイクの言葉に従い、ジェシーはフードの両脇に付いていた金具を外し、同じ素材で出来ているであろう小さなベルトを、首元の引っ掛けに止めた。
「マイク……これ……動いてもぜんぜんフードが落ちないわっ」
ハッと口元を両手で覆い、フードを被ったジェシーが驚きの声を漏らす。
「そうだろう、フードと袖の縁を覆っている『堅鉄』の重さがしっかりと揺れないようにしてくれて、更にはベルトを掛けることによって、弱々しい風なんかじゃフードが取れないって寸法さ」
「じゃあ、これなら……お顔を隠したいお客さんにもピッタリじゃない」
「バタバタはためくローブともお別れだね」
恐らくマイクは、こちらが顔を隠したいのを見抜いて薦めてきているのだろう。
くそ、マイクの奴、中々やりおる。
樹々に乗るときあのジャケットなら邪魔になりそうにないし、丁度良さそうだ。
別にマイクの口車にのせられているわけでは、全くもって無い。だが、あえて今の気持ちを言葉にするならば……やばい、超欲しい、だった。
だがしかし……だ、まだ最大の問題があるッ。
「ねえマイク。凄いわ、確かに素敵よ。でも……お高いんでしょう?」
ジェシー、ナイスっ。お前はやればできる子だ。それだよソレが聞きたかったんだ。
なんとなく今までの流れで見ていたけど、気が付けば値段が全く出てきていなかった。
一番大事な部分なのだから、ここを聞くまでは買うかどうかの判断は付けられない。
「ジェシーもお客さんも値段が気になっているようだね。今回紹介したのはこの上着……そして同じ素材で出来ているズボン……でもこれじゃ普通だね。
今回は更に同じ素材で出来た腰元に付けるベルトと、肩に巻ける収納ベルト。
これを一セットで……金貨十五枚。十五万ゴルでお届けだっ」
「ええ、安いわマイク」
たけええええええええええっ!!
安いわマイクっ、じゃねーよ。ジェシーお前どんな金銭感覚してんだよ!?
いやーないわー、流石にない。ローブの軽く五倍以上の値段じゃねーか。
確かに上下セットで一級素材。更に腰ベルトと肩ベルトまで付いてくるのだから安いのかもしれないが、金貨十五枚はちょっと厳しいものがある。
「安いけど……もう少し安くならないのマイク?」
「駄目駄目ジェシー、幾らなんでもこれが限界さ。これ以上安くしたら僕が首を吊らなきゃならなくなるよ」
親指を立てて首を掻っ切る動作をし『HAHAHA―』と陽気に笑うマイク。どうにもこの様子から見ると値引きしてくれる感じではない。
諦めるしかないかなー、でも欲しいなー。
値段はどう考えても厳しい。でも、商品説明を聞いた限りではかなりの一品。
正直買えないことはない……が、この値段はさすがに躊躇うなんてレベルじゃ……。
くそ、駄目だ諦めよう。
マイクとジェシーの視線が降り注ぐ中、俺が断る決心を固め、小さく首を振って口を開いた――その時。
「ちょっと店員さん。その値段高すぎないかしら?」
背後から響いた女性の声が、俺の断りの台詞を遮った。
何奴!? と焦って振り返ってみると、何故か先ほど俺と衝突しそうになった女性走破者が立っている。
突然の展開に戸惑っている俺をそのままに、ツカツカと女性走破者がマイクとジェシーに詰め寄っていく。
「店員さん。流石に弱竜種の素材だからって、十五枚はやりすぎよ……見ていられないわ。普段なら無視するところだけど……さっきこの方に失礼なことしちゃったし。せめてふっかけられるのを止めること位はしてあげたいわね」
「お客さん……な、何をいきなり、十分安いじゃないかそうだろジェシー?」
詰め寄る女性走破者に、マイクが初めて焦った声音を上げた。同意を求めるようにジェシーへと視線を送るも、彼女は静かに瞼を閉じて首を振る。
「マイク……もう諦めるべきよ……何事も引き際が肝心だわ。他のお客様がいるときにやってしまった私達のミス……そうミスなのよ」
「そんな、ジェシー裏切るのかい!? 最近客だって少ないしここで売らないと食べていけないだろ!」
「でも! それでもマイク……私達は商売人の誇りまで失ってはいけないのよッ」
「――ッツ!? 君って奴は……」
両手で、わっと顔を覆ったマイクと、それを聖母の如き優しい眼差しで見つめるジェシー。
そうか……シルクリークの混乱がこんな所にまで影響しているのか。
税も上がり亜人も居なくなり、そうなれば客足も減る。きっとマイクもジェシーも大変な苦労をしながら店を経営しているのだろう。
『相棒……なんだか可哀想ですねっ』
ドリーの言葉に『そうだな』と呟きを返す。
危うくふっかけられるところではあったが、怒りは無い。元々商売なんて高く買わされるほうが悪いのだから。
「ねえ店員さん……この人が買ってくれるかどうかは分からないけど、せめて、正規の値段より少しオマケして、その値段で交渉してみたら? 売れないよりはいいでしょ?」
女性走破者が、二コリと頬笑みマイクとジェシーに向かってそう言うと、二人は申し訳無さそうな表情を顕に、声を揃えてこう言った――。
『本来は十二枚なのですが、金貨十枚。十万ゴルでご提供させてもらいます。よろしければお客様の安全をこの防具で守らせてはくれませんか?』
未だに高い金額ではあるけれど、本来十五枚でも欲しいと思ってしまった防具だ。ここで逃すなんてありえない。
俺は黙って財布から金貨を取り出しカウンターに置き、包まれた荷物を受け取ると、女性走破者に『ありがとう』と一声残して、外へと向かった。
清々しい気持ちのまま、新たに入ってきた客とすれ違い、扉開いて外へとくりだす。
『素晴らしいお買い物でしたねメイちゃんさん……』
「そうだなドリー。今回こそは俺達の勝ちだ」
爽快な気分だった。誇らしい気持ちで一杯だ。
自分の力だけではないが、初めて飾った大勝利の余韻に、俺は風呂にでも入るかのような気分で浸っていた。
頑張れよ、マイク、ジェシー。そしてありがとう知らないおねーさん。
心の中でお礼を言って、俺は最後にもう一度だけ顔を見ておきたくなって、窓から顔を覗かせ店内を伺った。
陳列された防具、カウンターで微笑む二人、先ほどすれ違った新たな客。
そして――その客と衝突するおねーさん。
はは、あのおねーさんまた同じことしてやが……る……。
――ッハ!?
ぶわ、と全身から冷や汗が噴出した。
何故、何故マイクは俺にあんな高価な品を薦めたんだ? 俺の代えの武器はいたって普通のもの……そんな金をもっているようには思われなかった筈なのに。
ゴクリ、と粘りついた唾をゆっくりと嚥下する。
グルグルと回った思考が知りたくも無い一つの答えをはじき出していく。
マイクが……始めて俺に話しかけて来たのは何時だ?
間違いなく“おねーさんとぶつかりそうになった直後”だ。
まさか、本当に?
もしかしたらアレを避けたか否かで実力を試していたのか? そう考えるとあの一連の流れ……全てが計画……通りッ。
わなわなと握り締めた拳が震える。引きつった頬は戻らない。
俺の視界に映っているおねーさんがぶつかった相手……結局彼にマイク話しを持ちかけることはしなかった。
実は偶然じゃないのか? そう願いたかった。
だが、俺の心の底には決して消えない新たな敗北の痕が、深く深く刻み込まれている。
「おおぅぅ……」
『メイちゃんさん……相手が……相手が悪かったんです』
慰めるようにドリーが優しく声を掛けてくれたが、空を覆う暗雲よりも曇った俺の気分は決して晴れることはない――。
◆◆◆◆◆
夜の帳が下り――魔灯が一斉に明かりを付けた頃。
“私”はようやく“メイ”と約束していた酒場にまで到着した。
窓から零れる淡い明かりを見ながら、ドアを開いて中へと入る。
むわ、とお酒の臭いが鼻に付き、同時に漂ってきた食事の香りにお腹の虫がきゅう、と鳴いた。
誰かに聞えてしまったかしら? と少し恥かしくなって周りを見渡してみたが、酒場の中はそれなりに騒がしく、お腹の音など聞えるはずもないと安堵する。
メイはどこにいるのかしら?
視線を巡らせ、いるであろう仲間の姿を探す。
視界に入ってくるのは、木材の床と外気の寒さを遮る砂色の壁。テーブルも建物と同じ素材で出来ているらしく、砂色をしている。
一瞬、何で態々建材で? と思ったが、直ぐに木材よりは頑丈だし、掃除が楽なのかもしれないと納得した。
カツカツと床を鳴らしながらも酒場の中を回る。
話し声と食事をしている食器の擦れ合う音が途切れることなく聞えてきている。
騒がしくはあるが、やはりグランウッド等の酒場に比べると活気は少ない。
メイを探して更に店の奥へ――すると、周囲に余り人がいない店内最奥のテーブルに、見覚えのある外套がベチャ、とテーブルに突っ伏しているを発見した。
最初は『気のせいかしら?』と思ったが、何度見ても、どこからどう見てもメイだった。
まるで酔いつぶれた後のようにピクリとも動かないメイの頭を、ドリーちゃんがペシペシと叩いて起こそうとしている。
全く……何をやっているのかしらメイは。
私は『困ったものね』と呟きを零し、こんなときこそ年上の頼りがいを出そうと思い、ウキウキした足取りで歩み寄った。
「ドリーちゃん元気? メイはどうしたの?」
『おおリーンちゃん、相棒は今敗北感に包まれて不貞寝していますっ』
「え、戦闘があったのっ?」
『はい……強敵でした。完敗です』
この二人が揃っていて……完敗?
戦慄が私の背筋を舐める。いかにメイの戦闘力が落ちているとはいっても、この二人がそう簡単にやられるとは思えない。
実力者……それも信じられないほどの。これは流石に捨て置けない。せめてどんな相手かだけでも聞いておかないと。
「ドリーちゃんどんな相手だったの?」
『マイコォーと樹脂―さんです……』
ドリーちゃんがそう言ったとたん、突っ伏していたメイの頭がピクリと動いた。
余程酷い目に合ったらしい、まいこぉーとじゅしーさん……許せない奴らね。
少しずつ胸のうちに怒りが湧き、せめて私も一緒にいれば対抗できたのに、と後悔が流れ出る。
相手の所在がわかるならどうにか出来そうだけど……
「ドリーちゃん……相手の場所は分かるの?」
『はいっ!』
「偉いわっドリーちゃん! ちょっと教えてくれる? 今からいって片付けてくるから」
メイよりも多対一の戦闘は私が向いている。相手の場所さえ分かれば外から炎弾でも撃ち込めば先手を打てる……いけるわッ!
グッと拳を握り気合十分な面持ちで、身体に力を漲らせる。
が、私がドリーちゃんから相手の居場所を聞きだそうとすると、
「やめろーーーいっ!」
今まで死んでいたメイがガバッ、と身を起こして何故か邪魔をしてきた。
大丈夫……任せて、と私が優しく宥めると、メイはぐぎぎ、と悔しそうに歯軋りをしながらも『待て、お前ら本当に止めてください、お願いします』と頼み込んでくる。
余程こっぴどくやられたせいで怖がっているのか? と一瞬だけ思ったが、すぐにその考えをゴミ箱に捨てた。
さすがにそれは無い。メイがそんな性格をしている訳がない。
じゃあ一体何があったのか……詳しく説明を聞く為に、メイの真正面に腰を下ろして話を伺うことに――。
つらつらと語られることの真相。メイ曰く凄まじい激闘だったというその話しを聞いた私は、現在どうしても我慢できずに、お腹を掛けてテーブルをバンバンと叩いて笑っていた。
「おい、リーン、おい。さすがの俺もそろそろ傷つくから止めろ」
「ぶっふ……だって……まいこぉーにやられた――っぶふ」
「くそっ、話さなきゃ良かった」
顎を片手に乗せ、不貞腐れたような態度で、メイは中央の皿に置いてあった揚芋を手に取り食らいつく。
顔を覆った布の隙間から覗いた目は、不機嫌さを表すかのように細められていた。
「もうメイ、そんな拗ねなくても良いじゃない。損はしてないんだし」
「いやいや、損をしてないから逆に悔しいんだよっ。最初からその値段で売りつけるつもりだった、ってことだからな」
私が『そういうものなの?』と聞くと『そうなのっ』と返してまた芋を口に放る。
水晶平原走破の功績を掠め取られても悔しくないのに、商品を正規の値段で売られたから悔しがる。
メイらしいと言えばメイらしいけど……なにもココまで悔しがらなくても良いと思うのだけど?
先ほどメイに見せて貰ったあの防具。私の目から見てもかなりの上物だと分かる。
細かなところまで丁寧に作り込まれているし、使われている素材の品質も良い。
『鉄皮竜』の皮も紛れも無く本物だった。以前戦ったことがあり『鉄皮竜』の皮の硬さは嫌というほど知っている。靭やかでいて強靭、炎熱に強く氷にも耐性がある。雷撃に関しては多少弱い部分はあるが、メイの持っている水晶武器と組み合わせれば、補って余りある。
更には裏地には女王守護蚕の素材と『コンディション・エア』の刻印。縁取られた堅鉄と右肩を守る肩当てもかなり上品な意匠で、こだわりを感じさせる。左胸付近に張られた金属は、恐らく何かしらの合金。あの柔軟性と触っただけで分かる強度は、下手な武器など決して通さないだろう。
そこに合わせて同素材のズボンとベルトまで付いて金貨十枚。
正直、下手な店に捕まれば、もっとふっかけられてもオカシクはない。そう考えると、あの品質のものを正規の値段で買えただけ十分お得だ。
メイがそこに気が付かないとは思えないし、彼なりに譲れない部分があったのだろうか……本当、メイって妙なところで子供よね。
未だバクバクとやけ食いをするメイを眺めながら、皿にドンドンと揚げ芋を追加してみる。置いたら無くなりまた置いたら無くなる。
なに、これ……楽しいわ。
段々楽しくなってきて、ヒョイヒョイと芋を入れ続けているうちに、やがてメイから『勘弁してください』との声が上がった。
私は仕方なく芋を追加するのを諦めて――植物の茎の中身をくり抜いて作った――ドリーちゃん用の水のみ棒を、コップに入れて差し出す。
「はいドリーちゃんお水よ」
『うひょーーっ! リーンちゃんありがとうございますっ』
ドリーちゃんは、蛇の頭を上下にブンブン振り回し、水のみ棒にパクリと食いつくと、一口飲む度『うまーーいですっ』と喜んでいる。
一体どうやって水のみ棒で水を飲んでいるかの疑問は尽きないが、乙女の口の中を想像するなど失礼なことだし、相変わらず可愛いので、気にしないことにした。
暫く頬を緩ませその様子を見ていると、食事を終えたメイが、周囲に人が居ないかを確かめ出す。
恐らく亜人関連の話しでもするのだろうと判断し、私も一度周囲の気配を探ってみるが、特に問題はなさそうだ。
こんな場所で話しをするのは、普通だったらあり得ないのだけれど、ココにいるのメンバー、更に見渡しの良い部屋、とこの状況が揃っている状態で、話しを盗み聞きされることなどお祖父様に迫る実力がなければまず不可能。
もし、仮にそんな相手が話しを盗み聞きしているのなら、もう何処で話しても一緒なので気にするだけ無駄だ。
と、そんなことを考えているうちに、キョロキョロと見渡していたメイが、満足したのかこちらに顔を向けた。
「でだ、リーンの方は収穫あった?」
「駄目……全然駄目よ。宿は立地にあった場所を取れたけど、情報の方は収穫なしよ。そっちは?」
「買い物済ませて回ったけど、余り変わらん。誰も教えてくれないでやんの」
暢気な調子で成果なしと告げるメイを見て私は思わず『その辺りは相変わらずなのね』と零す。
一日回って成果は無し。主な目的が違うのだから別に構わないのだけど、
『亜人の居場所は?』『シルクリーク上層部で最近人事に変化は?』『何か妙な噂は聞かなかった?』など等の質問をする度、ことごとく嫌な視線や冷たくあしらわれてしまうので、微妙に不満が溜まる。
正直メイ達が危険だから、といった理由が無ければ絶対やりたくない類の活動だった。
「でもさリーン。亜人達が居る可能性もこれで格段に上がったし、今日一日の成果としては上々だと思うよ」
腹ごなしでもするかのように背伸びをして、メイは『良かった良かった』と満足気だ。
可能性が上がる? というと……
「見回りの兵士のことかしら?」
「そうそう、後それもあるけど、質問の返答の仕方とかだな。リーンもさ『亜人の場所は?』とか聞いたときに『あんた亜人か?』とか『話すことはないよ』とか、後やたら睨まれたりしなかった?」
そう言われれば睨まれた記憶もあるし、そんな質問をされた覚えもある。
向けられた敵意と嫌悪の空気は今思い出しても腹立たしいものだ。
反射的に思い出してしまい眉を顰めていると、雰囲気で察したのかメイが軽く笑い、そのまま話しを続けてきた。
「本当に知らなかったら『知りません』で済む話しだし、あそこまで睨まれることはないと思うんだよな。
そう考えると、きっと住民は亜人が居ることを知っているし、俺達に敵意を向けるほどには亜人を庇っているってことだよな?
勿論全員じゃないだろうけど、中には連絡を取れる人が居たかもしれない。つまり、今日俺達がやった聞き込みは大成功って訳だ」
そう言われれば……そうね。と、納得する。
こうやって改めて『無駄ではなかった』と言われると、先ほどまで感じていた不快感が薄くなるのだから不思議なものだ。
自分で言うのもアレではあるけど、私は結構単純なのかもしれない。
「後はコレを繰り返して結果を待つばかりだな。その為に態々宿を借りて外套もリーンと揃えたんだしな」
メイはそう言うと、チョイと自分の袖を指で摘んで、私にヒラヒラと揺らして見せてくる。
私とメイの外套――色も形も似ているコレを選んだのにはちゃんとして理由があった。
こちらが同じ所属ですよ、と示す為と、話が回りやすくする為だ。
似たような外套を着込んだ二人が、やはり似たような質問をしながら毎日出歩いていたら?
それはもう目立つ。下手したら今日一日だけで反抗勢力に、話が伝わっているかもしれない程に。
宿を取ったのもこれの一環。つまりは“こちらの所在地を相手に特定させるため”。
相手が何かしらの行動に出るためには、こちらの居場所を把握してもらわないと困る。その為に態々大通りから一本外れた、目立ちすぎない場所の宿を選んだ。
しいていうなら仮の窓口とでも言えば良いのかしら?
今日は私が宿に泊まり、明日はメイが宿に泊まる。それを繰り返し聞き込みを続け、なにか動きがあるまで待つ。下手に動くよりは随分と計画的だ。
リッツちゃん達のこともあるので、適度に仮拠点には戻る予定なのだが、欲を言えば早く此方で拠点をつくって呼び寄せたい。
続けていれば上手くいきそうな気はする……が、同時に少しの不安要素もある。
そんな脳裏に湧いた不安を、私はそのまま口に出した。
「……でも、あからさま過ぎて警戒されなければいいのだけど」
「まあな、ここまで『連絡ください』みたいな動きしてりゃ怪しすぎるだろ。ファシオンとの状態が今どんな感じになってるか分からんけど……さすがに亜人の位置を探る密偵ぐらい出すだろうし、疑われるだろうな。
でも、結局凄い慎重にやっても疑われるのは絶対だからな。慎重に慎重を重ねてそれでも相手を欺こうとする――ってのが、俺の中での密偵って感じだし」
「最終的には目立っても慎重にやっても同じってことね」
うんうん、と頷くメイを眺めながら、私は少し思案にくれる。
つまり、メイの中での判断としては“相手に対する印象よりも、接触する速度を優先する”といった方針らしい。
速度を優先すれば、相手側に考え無しといった印象を与える。されど一度接触すればその挽回は幾らでも出来る。
逆に、慎重にいけば相手に好印象を与えられる可能性はあるが、時間の浪費は激しいだろう。
この辺りの判断は性格で結構変わるものではあるけれど、どちらが良いかは甲乙つけ難い。
ただ、今回は獄関連の何かが関わっている。あまり時間を置くのはメイとしても避けたいと思ったのだろう。
「吉と出るか凶と出るかは分からないけど、少なくとも続けていれば何かしらの反応はある――と思う」
「もうメイ、最後まで自信有り気に言い切ってくれればいいのに」
「いや、どうなるかは分かんないからな。下手に期待するよりは何かあった時に動揺しないし」
心の保険、というよりは、何かあった時は絶対に対応してみせる。といった意気込みを感じる。
今の状況で、一番追い込まれて焦るべきはメイ。
一見暢気に見えるが、あーやって余裕を持たせることこそ、心の安定方法だったりするのかもしれない。
どちらかというと……不安を感じているのはメイではなく私かしら?
メイが狙われている。ドリーちゃんだって一緒なのだから危ないだろう。
主の話から何かが起ころうとしているとわかった。ドランやリッツちゃん、グランウッドだって危ないかもしれない。
手に入れたものが壊されてしまうのではないか。そんな不安を感じているのかもしれない。
リドルの時は不覚を取っちゃったし……またあんなことにならないようにしないいけないわね。
自然と顔がしょぼくれて、気分が少し落ち込んだ。
そんな私の雰囲気を感じたからだろうか、ドリーちゃんがクイ、と顔をこちらに向けて、元気付けるかのように、自信満々に口を開いた。
『むふふ、心配無用ですよリーンちゃんっ、相棒の頭脳はピカピカですっ!』
「――おい、ドリーさん。せめてピカイチといってくれ、なんかそれは凄く嫌な響きだっ」
相変わらず元気が良い二人を見て、思わず笑いが零れ出る。
いつもの二人、いつもの会話。それを聞いて、不安が晴れて私の心はトクリと動いて温まった。
この光景が好きで、見ていたくて付いてきた。これからも眺めていたくて付いていく。
頑張ろう……。
静かに決意を胸に刻む。
きっと守ってみせる、手に入れた私の仲間を。
大好きだった父のように、広い範囲を愛せず、既に捨ててしまった騎士の証。
でも、この光景を守る為強くなる必要があるのなら、今まで越えられなかった壁でも、必ず燃やし尽くしてみせる。
何気ない日常を見れば見るほど、薪をくべるように強くなる、私の底に燻る炎。以前は小さく種火のようで、命を救われ焚き火になった。
日々を重ねるたびに大きくなっていくこの火があれば、届かなかった領域に近いうちにたどり着けそうだ。
騒がしくも話しを続け、寒い夜の時間は容易く過ぎ去っていった。
◆◆◆◆◆
シルクリークを歩き回って四日目の昼。
今日も今日とて、俺は日課となっている聞き込みを続けていた。
今日のルートは初日の大通りから一本はずれた通りを主に回っている。さすがに同じ場所ばかり聞き込んでも範囲が狭いし、効果も見込めないだろう。
少し狭い通りを歩きながらも、顔を空へと向ける。
視界に入ってくるのは青空――つまり今日の天気は快晴だ。
気温は半袖では少し寒いだろうといったと頃か。風は穏やかで珍しく土埃が飛んでいないので、出来れば変装外套を外して、顔の布を払って昼寝でもしたい気分だ。
いやむしろ、そろそろ仮拠点に帰ってドランのご飯を食べたい。後は新しい装備を着て樹々に乗ってはしゃぎたい。
駄目だ……大分脳が溶けている。
フルフルと頭を振って不真面目な考えを追い出す。最近ずっとシルクリーク内を歩き回っているせいで、どうにも気晴らしをしたくなる。
正直言って、シルクリークの陰気な空気は好きじゃない。店員さんとかはやはり商売優先で明るい感じではあるのだが、歩いている人たちの顔がそれはもう暗い。
相変わらずファシオンの雰囲気も不気味だし、なんというか、都市全体に灰汁でもぶちまけたような感じだ。
黒でもなく白でもなく、何が起こるわけでもないのに、何かに怯えている。
今の所は案外平和なんだがなー。
俺の予想ではもっと大変な事件が起こって、色々と無茶苦茶になる覚悟をしていたのだが、良くも悪くも何も起きない。
こういう状態は微妙にだがストレスが溜まる気がする。別に大変なことが起こってくれと願っている訳ではないのだが、起こることがわかっていて焦らされると気持ちが悪い。
我ながらなんともワガママな話しだとは思う。
「せめてなにか動きがあれば良いんだが。というか、もういい加減亜人達がこっちに何かしてきても良いのにな」
『むおおお、姿すら見ませんし、いやっほおお』
周囲に人が居ないことを確認した上で、愚痴を零してみると、ドリーは亜人の姿でも探しているのか、頭部を扇風機の羽に付けた紐の如き激しさでギュンギュン動かしながら返答してきた。
余りにも蛇らしくない動きをしているので、無言で首根っこを鷲掴み締め上げると『シャーっ』と鳴きながらドリーが暴れた。
『相棒……息が出来ま……せん』
「いや、中の人首無いから苦しくねーだろ」
『手首はありますっ!』
いや、全然上手くないからその顔を止めてください。
恐らく中でグッと握りこぶしでも作っているせいで、蛇の顔がむぎゃっ、と潰れて非常に腹立たしい顔つきになっている。
仕方なくと離してやると『ふぅー』と言いながら大人しくなった。
どうやら少し遊んで欲しかっただけらしい。
きちんと人がいない場所を選んでいる辺り、微妙に気を使っている……のか?
何か発見は無いかと見渡しながらも、更にもう一本通りを外れた場所に足を進める。
冬の空気のようなシンとした静寂が、道路で言うなら二車線程度の通りに流れていた。
どうにもこの辺りは結構人通りが少なく、住民の談笑が聞えない所為もあって、スラムを通っているかのような侘しさを感じてしまう。
やっぱり店が集中している場所じゃないと、かなり活気がなくなるな。
この活気の無さはなんでだろう……と考えると、原因がすぐにわかった。子供が遊んでいないからだ、と。
確かにファシオンがウロツク道端に、自分の大事な子供を平気で遊ばせるような親は居ないだろう。
たかが子供の声、されど子供の声。
人の営みの明るさは、一つの要素が欠けるだけで、見る影も無く色を失ってしまうらしい。
だがしかし。
静寂、静けさ――それは同時にいとも容易く破られてしまう、とても脆いものでもあった。
……アレは?
大通りの方向とは反対側、民家を飛び越え四百メートル先に、いきなり黒い噴煙が上がったのが映り――それに少し遅れて、耳を劈くような爆音が辺りへと鳴り響いた。
「ちょ、なんだよいきなり!? なにか起こってくれとか言ったけど、さすがにこれはないだろう!?」
自然と口から悪態が零れたが、それは絹を裂くような悲鳴と、連続する爆発音によって、塗りつぶされてしまう。
民家のドアが開き、慌てた住民が外へと飛び出る。子供を抱え、家族を連れて、視線を巡らせ事態を把握しようと動いていた。
一人の男性が睨むように噴煙を見て吼えた。
「おいおいッ! 最近大人しくしてたと思ったのに、また始まりやがった!?」
大人しくしていた? また?
言葉の端端を捉えて、答えを導き出す為に思考が回りだす。さらに何か情報を得ようと周囲を見渡すと、少しだけ俺の予想外の景色が映っていた。
見る限りかなりの大事故が起きている筈なのに、住民達の表情は慌ててはいるものの、動揺が薄い。
何故? と少しだけ考え……先ほどの男性の言葉もあって、その答えは直ぐに出た。
亜人――しかも反抗勢力の線が強い。
「ドリー、ちょっと様子を見に行くぞ」
『おお、了解ですっ』
久々に、暫くぶりに、大地を全力で蹴る。
実際はまだ大した日時は経過していないのだが、シルクリークではただ歩いていただけだったので、そう感じてしまった。
何か情報が得られるかもしれないし、急いだほうが良いな。
黒煙が上がっているのは通りの向こう。間には民家が密集していて、路地を通らなければならない。道を全て把握している訳でもないし、小道は時間が掛かりすぎる。
真っ直ぐに行こう。上を通れば早い。
即座に判断を下し『フェザー・ウェイト』を掛けて重量を減らし、左手で蒼鋼の槍を背から抜く。
全速力で向かうは、二階建ての民家。
走る速度はそのままに、俺は地面を蹴りつけ飛び上がり、民家の窓に足を掛け、更に跳躍した。
「ほいっと!」
ビルのように平面な民家の屋根縁へと右手を掛けて、壁面を蹴りながら全力で力を込める。
フェザーを掛けた軽い身体は、腕を支点に蹴り足の力によって浮き上がり、グルリと回った。
片手逆立ちの状態にまで回転したことを確認して、右手で縁を押し出す。
勢いをそのままに押し出した右手の力で身体を浮かせ、ハンドスプリングでもするかの如く屋根に着地。
足を止めることなく俺は一気に駆け出した。
飛ぶ――屋根を足場にガンガン進む。二級区域で豹を追いかけていた時のように、軽くなった体を前へ前へと進ませる。
民家と民家の間を飛び越える時は、ジェットコースターが下る瞬間に感じる、あのヒヤリとした感覚を味わうが、それもある意味慣れたもの。
緩んでいた頭を締め直すには丁度良かった。
風に煽られバタバタと暴れる外套と頭部の布。若干鬱陶しいと思ったが外すわけにもいかない。
『相棒、あの辺りのようです』
「お、らしいな」
ドリーが蛇頭をもって位置を示す。おおよそ百メートル前方。見る限りあそこが騒ぎの中心か。
水に油を落としたかのように、人の波紋がそこから離れるように広がっている。
眼下を走る住民へと視線をやりながら、更に騒ぎの渦中へと向かう。
「お、亜人の姿が見えるな……やっぱ来て正解だったか?」
ちらほらと見える茶色い外套を羽織って疾走している人影、はためく裾から垣間見えているのは、尻尾だったり腕に生えた体毛だったりと、どう見ても亜人のもの。
接触は無理でも後をつけてみるか? そんな考えが脳裏に過ぎった時、
『相棒、兵隊さんも居ますよ、気をつけてっ』
ドリーの鋭い警告が飛んだ。
逃げる亜人と無言でそれを追いかけていくファシオン兵。
砂色の兵隊は、手に持った曲刀や弓を操り、まるでウサギ狩りでもするかのように、亜人を追い回している。
「クソがッ、手前らのせいでッ! さっさと死ねよ! 『スプリット・ラッカー』」
一人の亜人らしき男が、背後から迫るファシオンに怒号を上げて、右手を向けた。
野球ボール程度の、赤いペンキの如き液体が亜人の叫んだ魔名と同時に、十程辺りに散らばっていく。
風に乗せられ俺の鼻腔に入ってくる独特の臭い。
ココまで周囲に臭いを撒き散らすなんて、優れた揮発性を持っている証拠。
一瞬で脳裏に警鐘が響き渡った。
拙い、まさかこれって――。
舌打ちを鳴らして民家の天井で耳を塞いで身を伏せる。倒れこむ間に俺が見たのは亜人が瓶のようなモノを投げ込む姿だった。
オレンジ色の光がチカチカと瞬き、轟音が俺の全身を叩いた。民家が揺れて空気が焦げる。
「くそ、やっぱり可燃性の液体を撒き散らす魔法かッ。こんな場所で使ってんじゃねーよ!?」
躊躇いも無く悪態を吐き出す。さすがに時と場所を考えろと言いたい。
間違いなく先ほどの魔法は可燃性の液体、そして恐らく投げたのは火炎瓶的な何かだろう。
久々っつってたけど、いつもこんなことやってるわけじゃないよな? いやいや、さすがそれは無いだろ。そんなことしてたら住民も庇う気なくなるだろし。
俺の予想ではファシオン側が爆発の原因を作ったと思っていたのだが、今の亜人の行動を見るとちょっと自信がなくなって来た。
場合によっては反抗勢力との距離感を考え直す必要も出てくるな。
鳴り止んだ轟音を確認して身を起こす。風下ではなかったお陰で黒煙は俺の方には漂ってきていない。
事態を把握する為にざっと視線を動かし探る。相変わらず追いかけているのはファシオンで、逃げているのは亜人。どう見ても亜人側が劣勢なのは理解できる。
目測でしかないが、目に付いた亜人の数は三十数名ほど、対するファシオンの数は百以上。
これはちょっと……この場で亜人に協力って線はないな。
規模がもう少し小さければ、亜人に恩を売って協力を仰ぐのも有りだったが、今そんなことをすれば此方まで敵認定されてしまう。
ファシオン兵が百人以上いるこの状態で流石にそれはいただけない。
様子見、ここは適度に情報を探って逃げよう。
打算を巡らせ即座に方針を定める。
頭部を覆う布は触らずに、外套の前面を少し大きくはだけさせた。これで多少遠目から見てもこちらが亜人でないことぐらいは分かるだろう。
ああ、でもこの場合これだけだと危ないな……相手が亜人だけを狙っているとは限らないし。
第一王子側の正規兵にもシルクリークを見限った者がいるはず。そう考えると、普段の街中ならまだしも、現在の状況では亜人じゃなくても、仕掛けてきかねない。
仕方なく後方へと下がり、俺はバラバラと逃げ惑う亜人とファシオンの位置を確認しながら、適度な距離を保つことを重視した。
囲まれなければ逃げる自信は十二分にある。
逃げていく亜人達の方角を頭に刻む――が、四方八方に散らばっているっぽいので、覚えたところで余り役にはたたなそうだ。
右手で悲鳴が上がり、左手で轟音が響く。
土埃少ない快晴のはずが、既に噴煙漂う戦場の最中。
辺りの空気は爆発で巻き上がった土埃と、漂う焦げ付いた匂いで溢れかえっていた。
まったく……誰だよ案外平和とかいった奴。一瞬で危険地帯じゃねーか。
俺としてはもうちょっと柔らかい感じの問題で良かったのに。
胸中で文句を吐き捨てて、周囲を警戒しながら後方へ後方へと下がっていく。
暫く様子を伺いながら動きを見守っていたが、どうもこれ以上動きは無さそうだ。
だとしたら、そろそろ逃げたほうが良いか?
近くにはファシオンがチラホラいるが数は少なく、逃げるだけなら何の問題も無い。
だが俺が、逃げよう――と判断を下したそんな時。
『相棒っ、止まってください!』
安全圏に居る筈の俺の耳に、何故かドリーの焦った声音が響いた。
直ぐに足を止め、ドリーが警告してきた原因へと視線を向ける。
あれって……。
俺が逃げようとしていた方向の十メートルほど先、そこに数人の亜人と――鉄仮面を付けた一人の戦士が対峙していた。
体格の小さな亜人、逆にすこぶる大きな亜人、後は中背程の体格をした三人の亜人の姿。
茶色の外套を着込んでいるので詳しい姿までは分からないが、垣間見えている部分で亜人だとは判断できた。
逃げたほうが良い。面倒なことになる。分かっていたそんなことは分かっている。
だが、対峙している戦士の姿を見た瞬間――何故だか判らないけど、視線が釘付けになって、体が張り付けになってしまった。
「――ッツ!!」
俺の口からは粘ついた空気の塊が漏れ出し、怒り狂ったかのように突如として心臓が暴れた。
手足の筋肉が何故か強張ったかのように固まって、血液がマグマに変わったかのように熱くなった。
何だってんだッツ!!
突如感じた叫びだしたくなるような猛烈な衝動。それを右手で心臓の位置を掴んで堪える。
鉄仮面の戦士から視線を外したいのに外せない……俺の眼差しは、意思とは無関係にただ、真っ直ぐ戦士へと向けられて離せない。
視界に映る、錆が浮いたかのような赤みがかった全身鎧。ラング程度のそれなりに大きな身長と体格。
頭部を覆う鉄仮面の前面上部には、まるで鬼の角のような突起が二本突き出ている。
右手に握っているのは、クレセントアクスを髣髴とさせる三日月状の斧頭を持った【斧槍】。
先端にはギザギザとした波刃が付いた槍先がぎらつき、斧頭の反対側には、カギ爪のような形をした突起が飛び出している。
恐らく鎧と同じ素材なのだろうその武器の赤錆は、既に何人斬ったのかも分からないような、ドロドロとした殺意を撒き散らしているようだった。
なんだよ、なんなんだッ!
自分でもわけが分からないほどに、心が荒れている。その姿を視界に入れた瞬間から、映したその時から、胸の奥が酷く疼いて、肉沼の血反吐の如き黒いナニカが零れだしていた。
今すぐにでも暴れだしかねない身体を、必死になって押さえつける。
アレは恐らくドランから聞いていた鉄仮面の一人に違いない。面倒そうな相手だ。ここにいたら拙い、早く逃げた方がいい。
頭ではそれが分かっていた。それでも俺の足は鉄になったかのように動かない。
どす黒い感情の渦が回り、俺の魂の底には、自分でもどうしようもないほどの強烈な衝動があった。
――アイツの首を力任せに捻じ切って殺してやりたい。
視界が赤に染まる。思考がただそれだけを考える。
右手に持った蒼鋼の槍を潰さんばかりに握り締め、身体から殺意が溢れ出る。
アイツを、アイツをアイツをアイツをッッ!!
『何をやっているんですか相棒ッ!!』
「――ッッ!?」
脳内に響き渡る相棒の声音。それが切っ掛けで、ガキィッ、と脳裏で鉄棒がへし折れたかのような音が鳴り、狭まっていた意識が急激に浮上していった。
ッぐ、危ねぇッ! 本当に何考えてんだ俺は!?
未だ残っている訳の分からない黒い感情を、頭を振って追い出していく。混乱の最中とも言って良いほどに思考がグチャグチャとかき乱され、今の良く分からない現象に対する疑問符の束がグルグルと飛び交った。
駄目だ、冷静に落ち着け、頼むから落ち着け。
警戒心、注意力、判断能力。その全てが低下しているのが自分でも良く分かる。
だからだろうか――
『直ぐに後方へ飛んでくださいッ!』
ドリーのその声が聞えるまで、自分の置かれた状況に気がつけなかったのは。
俺が反射的に後方に下がれたのは、今までドリーと積み重ねてきたものがあったからだと思う。
もしそれが無かったら、きっと俺はココで死んでいた――。
轟音と共に、突如として大地が割れた。いや、先ほど俺が居た場所――民家の天井に、大穴が開いた。
衝撃で破片が飛び散り、ゴトゴトと民家内部に降り注いでいく塊が重い音を響かせる。
くそ……なんだか分からんが、拙いことになった。
悪態を吐く。
金属混じりの混合建材で出来た天井を、容易く打ち砕いた犯人。それは今俺の眼前に佇んでいる鉄仮面の戦士に違いない。
五メートル程先に、悠々と立っている斧槍の戦士。右手に握ったその武器の切っ先は、迷わず俺に据えられている。
反射的に俺も武器を構えて穂先を向けた。
大穴の開いた民家の屋根で、対峙する俺と斧槍の戦士。
空気が一瞬で重くなり、戦士から漏れ出す殺意が、世界を塗り替えるように埋め尽くしていく。
【お前か? 私に腹立たしい殺気を向けてきたのは。いや……答えは要らない。
間違いなくお前だ。今も私を射殺さんばかりに睨んでいる。
見たところ家畜ではないようだが……まあ良いだろう、面倒だ死ね】
油を差し忘れた金属の部品のような不快感を催す声で、戦士は俺に死ねと言い、その手にもった斧槍をなんの躊躇いも無く薙ぎ払った――。
絵とタイトルロゴを貰いました。とても嬉しかったので、両方活動報告のほうに載せておきました。
タイトルロゴのほうは、プロローグにも張っています。