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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
85/109

幕間『心と絆は鋼鉄よりも硬く、思考は尾よりも柔軟に』



「墳ッ、破ァァッ!」


 咆哮と共に打ち出された拳が滝へと突き刺さり、陽光の下に水しぶきを跳ね飛ばしている。

 舞い散った水滴がキラキラと輝き――そしてそれを消し飛ばすかのように男の右足が薙ぎ払われた。

 水面から飛び出た岩の上で回る独楽の如き蹴打は、一頻り空気を裂いた後、ピタリと動きを止めた。

 石像のように停止した身体は崩れることはない。一見しただけでも蹴りを放った男のバランス感覚が優れていることが理解できる。


 中空へと定められていた足が静かに下ろされ、男は自身の動きに納得するように瞑目しながら頷いた。


「うむ……もう随分と片腕の重心にも慣れてきたな……ふははッ、やはり滝こそが至高の修行場だということで間違いなかったようだッ!」


 鬱蒼とした木々に囲まれた大きな滝――その滝壺に降り注ぐ水音よりも大きな笑い声が、木霊するかの如く通り抜ける。

 ここは、クレスタリアから真っ直ぐ南のとある場所。

 三方を危険区域に、背後には山が頂く、奇跡的に出来上がった隙間とも呼べる安全地帯。

 端的に言えば、今も高笑いを上げているカルガンの漢【ラング・ラッド】の故郷だ。



 メイ達とわかれた後、ラング・ラッドは出来るだけ早く再会の約束を果たさんと――時には近くの滝に挑み、時にはモンスターを追いまわし、更には走破者達の手助けに入って怒られたりしながら、寄り道もせず……いや、少しの寄り道を……それなりの寄り道を経て、帰郷を果たしていた。

 

 故郷に帰りついてからも己を甘やかすことはせず“目標”を乗り越えるために、片腕での崖登り、目に付くモンスターとの立ち会い、生活の一部を逆立ちで過ごす、など黙々と修練を続けている。

 何が彼を駆り立てるのか……恐らく単純に修行が好きなだけなのかもしれない。

 

 ただ、こうやって文句も言わずに修行しているところを見ると、やはりラングにとっては『腕を無くしたことなど瑣末な事実でしかなかった』ということがわかる。


 いや、むしろ逆に――隻腕? だからどうした。生えぬものなど仕方あるまい。それに自分の片腕と引き換えに、それ以上の者を見出すことが出来たのだから悔いなどあるはずが無い。と、ドランを見いだす機会を得られたことに満足している節さえ見えた。


 漢は細かいことなど気にしない。ラングは自らの不幸は嘆かない。

 メイ達との、ドランとの出会い。

 熱くなりクロムウェルに不覚をとった自分、シャイドの言で揺らいだ自分自身の脆さとの出会い。

 ドランから喰らった頭突きは今までに無いほどの痛打。

 交わした約束は、今も彼の心の中で、鋼鉄よりも固い硬度を保ったまま据えられていた。


 今までに無い経験によって、彼の長所でもある短直さは、良い意味でも、悪い意味でも成長していたと言える。

 

 ラング自身はそれでも良いと思っていた。一人で全てを出来る筈が無い、ということを深く刻み込むほどに知ってしまったからだ。

 自分が出来ないことはメイ殿達に任せれば良い。その代わり、己の出来ることは極めて見せよう。

 

 愚直で短慮な一人のカルガンは、もしかすれば誰よりも早く己の進むべき道を見いだしていたのかもしれない――。



「これならば……」


 滝壷から突き出した岩の上で、己の調子を確認した上半身裸となっている暑苦しい(ラング)が呟く。

 閉じられた瞼はそのままに、縦に振られた(こうべ)は先ほどよりも自信に満ちている。


 ラングは静かに呼吸を整え、ゆっくりと左拳を前方に突き出し構えると――双眸をカッと開眼し、

「今日こそは、貴様(たき)を制覇して見せようぞッ、覚悟するが良いッ!」

 フンッ、と気合を入れた叫びを上げて、滝つぼに高らかに飛び込んだ。


 上がる飛沫、水中に消えていく身体。そして、入水してから五秒ほど経った後にボコボコと気泡が浮かび、滝の真下からラングの体が現れた。


「ぬぅおおおおッ!!」


 蹴り足が水を激しく吹き飛ばし、片手をバタつかせて滝を逆流しようと試みる一匹のカルガン。


 その驚異的な身体能力と脚力は凄まじいものがあり、信じられないことに、極めて緩やかにではあるが……身体が水の流れに逆らい上昇していた――が

「ガボッ――ボボボボ!?」

 ほんの一瞬力を緩めたこともあって、呆気なく下へと押し戻され、滝壷に叩き落されてしまう。


 プカリプカリとたらふく水を飲んで流れていく彼の背中は、人が流れているというよりは、芝生の塊が流れているようにも見える。


 盛大に雄叫びを上げながら泳いでいれば、水を飲まない訳がない……が、残念なことに『気合の咆哮を上げずにどうする』と反省することはなかった。

 普通であればこのまま溺死しかねない事件なのではあるが、良くも悪くも、これはラングにとって日常茶飯事の出来事だ。


「ぬんッ!」


 慣れたものだと言わんばかりに、ラングは五秒と経たずに復活を果たし、川から陸地へ飛び出し着地。

 懲りるどころか悔しそうな面持ちを湛えながら、大地へと拳を打ちつけている。

 ギシリと食いしばられた歯が音を鳴らし、打ち砕かれた地面の破片がパラパラと周囲へと舞っていた。


「っぐ、まだ駄目なのかッ。何故、登れぬのだ……やはり(ドラゴニアン)への道は険しく遠いということかッ!

 いや、仕方あるまい、修行を続けることこそが何よりの近道、己を信じて突き進むのみッ!」


 ずぶ濡れのまま己の実力不足を嘆きながら、憤慨し、すぐに頭を切り替え修行に戻る。

 ここまでの一連の流れが、彼にとっての日常であった。

 


 二時間程の修練を繰り返し、滝に挑む。コレを繰り返して二度ほど経った頃。

 陸に上がり身体を乾かしていたラングが、不意に尖った耳をピクリと動かし、周囲への警戒を見せた。

 何処からか人の気配を察知した為である。


「なに奴ッ! コソコソと隠れて居ないで堂々と姿を現せ!」


 片拳を腰溜め、辺りを睨みつけるかのように見渡し、ラングが何者かに向かって叫びを上げるが、その声は水音に掻き消されるだけで、反応は返ってこない。

 人の姿影も形も見当たらない。されど気配だけは明らかに漂っている。

 

(この曲者……相当デキルと見たほうが良いだろうな)


 ラングの身体に緊張が這い上がり、澄んだ空気がピンと張り詰めた。

 ――その瞬間。


「何処を見て居るか、この戯けがああああッ!」

「――むぅッ!?」


 轟くような怒鳴り声が森を震わすように響き、聞き覚えのあるその声に反応したラングが慌てたように唸る。


 驚愕で表情を歪めたラングの視線――それが、滝壺の頂きで沈みゆく夕日を背に、腕を組み立っている一人の男の姿を然りと捉えた。

 

 張り詰めんばかりに鍛え抜かれた肉体。不敵に笑う表情。全身からは溢れんばかりに自信と活力が噴出している。

 ハタハタと風にはためく前掛け布には『カルガン流』との文字が刺繍のように堂々と縫い付けられていた。


「ラング……気配を掴んだのは、まずまず上出来。しかしッ、こちらを認識できぬとは、やはり小童ッ!」


 刺すような叱責をラングに飛ばした男は、組まれた腕をそのままに、躊躇いも無く滝の頂から身を放る。

 靡く服とは対照的に、落ちている最中も男の姿勢は不動のまま――真っ直ぐに、まるで槍の如く滝壺に向かって垂直に落下し、男の身体が滝壺の水を貫いた。


「むッ、相変わらず見事なまでのカルガン不動の構え……さすが我が師と言うべきか」


 戦慄するかのようにラングが漏らした畏怖の感情。

 というのも、今滝壺へと落下したカルガン男性こそが、ラングの師であり、彼の故郷でもある集落を纏める長……そして、カルガン流の現最高師範――【ジグ・ルルガイア】その人であったからだ。


「ブハハハッ、心地よい、心地よい流水の冷たさぞッ!」


 ザバッ、と水中からしぶきを上げて跳躍、落ちた時と変わらぬ構えでラングの側へと着地したジグは、身体を一度震わせて水滴を辺りに吹き散らし、豪快な笑い声を上げている。


「さすが師匠分かっておられる。滝の水の冷たさは身を引き締めるには丁度良いですからなッ! ふはッ、ふははは!」

「ほう、ラング、お前も中々に成長しているようだな。ぶぅわーッはははッ!」


 同じ高さの顔を付き合わせ、水滴をボタボタと流しながら、互いの声に張り合うように大きくなっていくカルガン二人の笑い声。

 声量は喧しく、ここにメイがいたならば間違いなく『二人はキツイ』と漏らしていることだろう。


 五分程経って未だに笑い続けていたラングであったが『そういえば』と鼻をスンと鳴らし、ジグへと疑問の眼差しを据える。


「師匠、今日は何故このような場所に? やはり修練の為ですかな?」

「ラングよ、そうではない。お主に出した試練の進み具合を確かめに来ただけだ」

「ぬ、態々来られなくとも、見事果たしたその時は、自分から報告に行くと言ったではないですか」


 不機嫌そうに眼差しを細め、口端を下ろしへの字を描いたラングを見て、ジグは我が子にするかのようにガシガシと頭を乱暴に撫でつけた。

 これは堪らぬとラングが手を払い、鼻息荒くもジグを睨む。


「師匠止めて下さらぬかっ、自分はもういい大人、何時までも子供扱いしないで頂きたいたいですなッ」

「っは、そうのたまっている内はまだまだ子供。大体、このまま放っておくと終わるまで何年掛かるか分かったモノではない。下手をすれば、報告に来る前に此方の寿命が切れてしまうのではないかと思っているが、どうか?」


 ジグの煽るような言葉を受け、ラングの機嫌は更に悪くなる。とはいえ、師の言うこともあながち間違ってはいないのだから、文句を返すことも出来はしない。


(ぬぬ、早くこの修練を治めねば、メイ殿達を追いかけることが出来ぬというのに……)


 焦る心はラングの胸中に苛立ちを渦巻かせていた。



 ラングが故郷に帰り着き、両親の墓に次いで向かったのは自らの師の元。そこで『鍛え直してもらいたい』と教えを()ったまではいいのだが……。

 返ってきた台詞は『付いて来い』の一言だった。


 疑いもなくジグの後を付いていき、到着したのは幼きラングがシャイドに追い回された山の中――つまりこの滝。


 高台のように突き出た岩肌の上。

 そこに立たされたラングが、……こんな場所で一体何を? といった疑問を抱いた瞬間。彼はジグに蹴り飛ばされ、滝壺に叩き落されていた。

 

 何をッ! と、水面から顔を出し、抗議の声を上げたラングに向かって、ジグはこう言った。

 『頂上までたどり着けたら教えてやろう』と。


 滝壺に落された挙句に、頂上にまでたどり着け――そう言われたラングは、その言葉を素直に受け取り、毎日この滝に来ては修行を繰り返しては滝登りを続けた。


 成果の程は先ほど見ても分かるとおり、芳しくはない。

 元々両腕がある状態ですら登ることが出来ないのに、片腕でどうすれば?

 そんな歯噛みするかのような悔しさを胸にしながらも、それでも毎日ラングは滝を登った。

 登って落とされまた登り、成果は少しも上がらない。

 

 こんなことを続けていても強くなれないのでは?

 きっとメイ殿達は今も成長している。更に差を広げられてしまい、約束を果たせなくなるのでは?


 刺すような焦燥感がジクジクと胸を貫き、焦れば焦るほど上手くいかなくなる。

 それでも登った。諦めずに。それでも不満は口には出さなかった。


 元々ラングは、修行をすること自体は好ましく思っていた。

 自らが強くなったのを実感出来るから。

 届きたい頂へと近づけている実感を得られるから。

 だが、この滝登りにはそれが全く無かった。

 進めない――幾ら修行をして挑んでも、決して先へと進めない。

 

 水を飲むごとに愚痴を呑み込み、腕を振るごとに陰気を払う。

 早く、早く。そんな焦りを押し込めて、彼は毎日滝を登った。

 あの楽しかった仲間とまた会う為に――。



 ◆



 燃えるような夕日の光をその身に受けながら、ラングは自らの家に向かうため、カルガンの村の中を重い足を動かし一人歩いていた。


(今日も無理であったか……師匠には見っとも無い格好を晒してしまったな)


 成果を見せろ。そう言われてジグの前で滝へと登ったラングであったが、やはり結果は変わらなかった。

 

 押し流されての見っとも無い落下。

 そうやって失敗したラングを見て――ジグが馬鹿にするでもなく、笑うでもなく、ただ黙っていたことも、ラングの陰気な気持ちを助長させる原因だ。

 

(笑ってもらえたほうが、まだ気分が良いものを……ぬう、いかん。せっかく悩むのであれば、修行のことを考えるべきだ)


 ラングは、モヤモヤと漂う陰気な感情を、ふんッ、と鼻息と共に吹き散らした。

 落ち込んだところで解決するわけではない。きっと気合が足りないだけだ、と自分を奮起させる。


(しかし師匠も、もう少し役に立つ助言をくれればありがたいものを……)


 愚痴では無いが、ついつい零してしまう少しの不満。

 ラングの頭の中には、ジグが去り際にいった言葉が今もグルグルと回っていた。

 

 『ラング目的を見失うな。うむ……これでは、お前の姉の方が簡単に答えを出してしまうやも知れんぞ?』

 どういうことだろうか、ラングは歩きながらもその言葉の意味を延々と考え込む。

 目的は滝を登ることだ。別に見失ってはいない。一体師匠は何を言いたいのか要領が掴めない。

 姉上の方が答えを――わざわざこの言葉をつけたと言うことは、助言を貰えと教えてくれているのだろうか。


(一時の恥など気にするものではない……か。姉上に詳しく話しを通し、少し意見を伺ってみるのもいいやもしれん)


 自分に出された試練を越えるために人に意見を講う等と、以前のラングであれば意地になってしまい、そんなことは出来なかっただろう。

 やはり尊ぶべきは経験――仲間からの指示のお陰で敵を打倒し、自分の隙をいとも容易く埋めてくれる他人。

 それを体感したお陰か、今のラングは、素直に人の意見を受け入れる余裕を持つことが出来ていたのかもしれない。 


 木材で建造された民家の間を抜けながらラングは考えた。

 『幾ら肉親とはいえど、ただで教えを請うのは些か無作法に過ぎる』と。

 別に『意見を伺いたい』と素直に言えば嫌な顔せず答えてくれるのだから、態々そんなことはする必要はないのだが、なにかと理由をつけなければ、自分の姉に意見を講うのは恥かしいということか?


 ブツブツとよく分からない理屈を捏ねながらも、ラングは姉の好きな野菜でも買いに行こう、と商店街へと足向きを変えた。

 


 石畳も敷かれていない土がむき出しとなった地面。左右にはさほど大きくもない構えの店が立ち並んでいる。

 夕飯に向けての買出しなどをする人々の談笑。

 『カルガン魂ッ』などと掛け声を上げながらランニングしている数名の男達の姿。

 少し視線を巡らせれば、ガタイのいいカルガン男性が、肩に角材を担ぎながらえっちらおっちらと行きかっているのが見て取れる。


 ここはカルガン集落内にある唯一大きな買い物通り。都市や街などと比べると、大きさは比べるまでも無いが、騒がしさだけなら負けてはいないだろう。

 

 騒がしい通りを一人ノシノシと踏みしめ進むラング。

 そんな彼の目前に、突如として一人のカルガンが現れた。


「腰抜けラングめがッ、今日という今日こそは叩きのめしてやるッ」


 顔を怒らせ、叫びを上げる男。ラングよりもさらにガタイのいい体は中々の迫力で、鍛錬を積んでいるであろう肢体は筋肉で固められている。

 男は両手にもった警棒の如き黒い金属棒をラングに真っ直ぐに構え、今にも飛び出しそうな面持ちで、鼻息を荒くしていた。


「ぬぅ、いま自分は忙しいのだ、明日にしてはくれまいか?」

「馬鹿めがッ、何で俺がお前の言うことを聞く必要がある! 勝負だ、さあ勝負しろ!」

「そうか……そこまで言われたら仕方あるまい……」


 どこまで言われたのか、何が仕方ないのか不明ではあるが、カルガン通りの中央で躊躇いもなく始まる戦闘行為。

 なんというはた迷惑な――と普通なら警備員でもすっ飛んできて大事になるのだが、残念ながらここはラングの故郷、カルガンの集落である。

 元々気性が荒いといわれているカルガン種族、そんな彼等にとっては、これも至って日常の光景でしかなかった。


「おお、ラングとダムの奴がまたおっぱじめたぞ! さあ、どっちに賭ける?」

「ラングだ」

「ラングで」

「ラングしかねーな」

「……ここはダムでいく!!」

「おおおおッ!」


 野次馬が集まり賭けが始まり、大穴狙いの声を聞いて拍手喝さいが鳴り響く。

 買い物帰りの主婦達が『全く元気だわ』『今日も平和ね』『建物だけは壊さないで欲しいわ』と会話を交わしている辺り、暢気である。


 やんややんやと声が飛ぶ中――ダムと呼ばれたカルガン男性が、尻尾を地面に打ちつけ飛び出した。

 バチッ、と鞭を打ち付けたような音が響き、地面が砕け、ダムの身体が加速する。

 フェイントなど何も考えず、ただ真っ直ぐに両手にもった二本の金属棒を、ラングに向かって振り下ろした。


「ふはは、甘いわッ!」


 左手に装着された手甲をもって、ラングは一本の金属棒を打ち払うと、身体をそのまま捻り、右足を軸に回転。ハイキック気味に放たれた左足が、もう一本を握っているダムの腕を蹴り飛ばす。

 ラングの蹴りによって、いとも容易くダムの攻撃の軌道は変えられ、身体が横に流れる。


「ッぐ――!」


 腕に伝わる蹴りの衝撃に思わずダムが呻きを漏らした。それでも尚武器を手放さなかったところを見ると、このダムも中々の腕を持っていることが分かる。

 痛みに顔を顰めたダムではあったが、この程度では止まらない。


「っりゃあああ!」


 左に流れた体を戻す力をそのままに、気合の雄叫びを上げダムが左足で蹴りを放つ。

 ラングにとって腕の無い右手側から迫る蹴り足。

 地面から空へ――斜めの軌道を持って唸りを上げるその蹴りを、

「ぬるいッ!」

 己の右足裏で踏み潰すように止めた。


 蹴りを受け止め片足で立つ。それでも微動だにしないラングの姿を見て、ダムは悔しそうに顔を歪めた。


「ではダム、悪いが急いでいるのでな。また出直して来るがいいッ!」


 ラングがダムにニヤリと笑いを向ける。

 瞬間――先ほど攻撃を受け止めた右足を跳ね上げるように躍動させ、ダムの顎を蹴り上げる。

 スパッ、と小気味良い音が鳴り、短い悲鳴を漏らして、ダムの身体が後方へと転んだ。

 鳴り響く声援と、ダムに賭けた男達が『嗚呼ッ』と、悲鳴を漏らした。

 

 蹴られたダムは気を失っては居ないようで、どうにか立とうとはしているが、見事に脳を揺すられたせいで、そう簡単には立つことが出来ない。

 地面に四肢を付きながら、プルプルしているこの姿を見れば、どちらが今日の勝者かは一目瞭然だといえる。


「まあ、やっぱラングだな。さあ寄こせ」

「大穴は無しか……くそ、酒代だったのに」


 溜息を零しながら行われるやり取り、興味を失い去っていく野次馬。今日も概ねカルガンの集落は平和だった。



 騒ぎも収まり、元の活気に戻った通り中央――ラングは未だ立てないダムへと気軽に歩み寄り、スッと左腕を差し出した。


「おう、すまねーなラング。くそ、これで百六十勝三千敗か」

「その勝ちは子供の頃の話であろうが、いつまで覚えているんだお主は」

「はは、死ぬまでだ!」


 ラングの手を取り身を起こしたダムは、嬉しそうに『絶対忘れん』と言い切り、ソレを見てラングが『変わらんなお主も』と呆れたような少し嬉しそうな声を返す。


 実はこのダムこそが、幼き日のラングに不名誉な『腰抜け』という称号を初めて与えた男だった。

 ラングと同じくカルガン流を学ぶ彼にとって、幼い頃のラングは見ているだけでイライラするような性格であり、嫌うに値する人物だったのだ。

 ダム自身は元々陰口を叩くような性格ではないので、真正面から『腰抜け』と罵っていただけではあったが。


 だが、シャイドとの出来事――アレ以来ラングは己の強さを磨く為に修練に励み、何時しかダムでは敵わない腕を身につけてしまった。

 そんなダムが始めてラングに敗北したのは、百三十勝の頃だろうか、以来ダムはラングに付きまといこうやって何かと勝負を挑んでいたのである。


 久しぶりにラングが帰郷した初日は、それはもう酷い有様であった。ボコボコにされては復活し、また挑む。ラングもラングでそれを受けてまたボコル。

 ようやく疲れ果てたダムが、ラングに向けて放った言葉、それは『片腕だから勝てると思った』、だ。


 ラングはダムのことを別に恨んではいないし、ダムも既にラングのことを認めている。

 なんだかんだと仲が良い二人ではあった――が、未だに互いを友だと呼んだことは一度もない。

 これはこれで、彼等なりのつき合い方ではあるのだろうか。


 既に立てるようになっているダムを確認して、ラングが口を開いた。


「ではダム、自分は買い物に行かねばならぬので、これで行くぞ」

「まてまてラング、俺も暇だからちょっと付いていく」

「本当に相変わらずだなお主は」


 悪びれもせずに付いていくと言い出すダムに、ラングは呆れ顔を向け溜息を吐く。


「……うむ、まあ良いだろ。では行くぞ」


 一瞬断ろうか、とも考えたのだが、一度言い出したらしつこいことを経験から悟っていたラングは仕方なく『邪魔をするなよ』と添えて連れて行くことに決める。


 

 店を回り十分程買い物を続けたラングとダム。

 腕に抱えているのは野菜や果物。

 隻腕のラングと体格の良いダムが、ソレを抱えながら歩いている姿は中々に珍妙な光景だ。


「しかしラング、お前また強くなったか? 俺も修行してるんだが全然勝てやしない」

「っは、まだまだ修行が足らんのだろう」

「っち、言ってくれる。おい、そうだラング良い事を思いついた。この際だからどっかでもう一本腕を無くして来てくれ、それなら勝てるッ」

「阿呆か己はッ、誰が好き好んで腕を落とすか」


 ッチ、と舌打ちするダムを見て、思わず苛付いたラングは、なんの迷いも無く左足のフト腿にローキックを放った。


「いてぇッ! 何しやがる。この野朗」


 痛みに悲鳴を上げたダムが、仕返しとばかりに同じくローを返す。


「ぐぬぅッ、己ッ、よくもやってくれおったな」

「うっせ、お前が先にやったんだろッ」

「黙れ、お主が余計な事を言うからだろうがッ」


 野菜を抱えていては避けられず、手も出ない。だが、代わりに口は出るし、勿論足も出る。

 買い物を終えていたラングとダムは、野菜を抱えたままで延々と互いの足へと蹴りを放ち続け、帰路へとついた。


 ◆


 集落の端――民家が固まっている一角にラングとダムがたどり着いたのは、すでに日が暮れた後だった。

 普通に歩けばここまで時間が掛からなかった。完全に余計な戦闘(こと)をしていた所為である。


「ダム、お主どうする? 食事でも一緒に食うてから帰るか?」


 ラングの住処、現在姉と二人で暮らしている二階建ての木造住宅の前で――ラングはダムに向かって儀礼的に食事の誘いをかけた。


「ん……良いのか?」

「別に構わんが、遠慮があるなら帰ってくれて良いぞ」

「安心しろ、そんなものは無い」

「いや、少しは持て」

 

 ラングは反射的に出そうとした足を寸でのところで止める。流石に自分の家の前で騒ごうものなら、姉上になんと言われるか……と自制心が働いたためだ。

 それにここまで荷物を運んでもらったのだから、多少は報いたって良いだろう。と考えながら、自宅のドアを足で押し開け中へと入る。


 玄関を抜けてリビングへと向かう。

 部屋の中はそこそこ広く、暖かい明かりに満ちていた。

 光を湛える特殊な樹液で作られた持続性の高い蝋燭。中央に置かれたテーブルとイス。

 奥には暖炉が有り、少し冷える今日は小さく火が灯されていた。


「あらラングちゃんお帰りなさい。今日はダム君まで一緒なのね。良いお友達をもってよかったわねラングちゃん」

「姉上……頼むからその呼び方は……」

「おいラングちゃん、ラングちゃーん」

「己ダムめ、口を縫い付けてやろうかッ」


 良い大人のラングをちゃん呼ばわりしながら出迎える、一人のカルガン女性。

 一人掛けのソファーにゆるりと座って微笑んでいる彼女こそが、ラングの姉、ノリアであった。

 口元や体格、目元は確かに女性特有の丸みを帯びている。

 子供の頃からの呼び方を決して変えはせず、何度ラングが『止めてくれっ』と頼み込んでもスルーされる。ラングにとっては一番の天敵であった。


「して姉上、ちょっと食材を買ってきたのだが、食事を頼んでもよろしいか? ダムはココまで運ぶのを手伝ってくれたのでな、一緒に誘ったのだが」

「お邪魔します……あと夕飯ありがとうございます」

「おいダム、まだ良いかどうか答えが返ってきておらんだろうが」

「あら、勿論良いわよ。じゃあ今から支度するわね」


 ラングとダムが騒ぎながらも抱えていた食材をテーブルに広げると、ノリアは『座ってて良いわよ』と声を掛けて食事の支度へと向かう。

 イスの座って待つ男二人と料理をする女性。少しは手伝えば良いものなのだが、彼等が下手に手を出すと『漢料理』なる大雑把な味付けのものしか出来上がらない。

 

 料理手順は至って単純で、野菜を折る、焼く、味付けをする――完成だ。

 更に工程が短いものになると、掴む――齧る、となる。


 そんな二人がすることなど、今日の戦闘を振り返って盛り上がることしかない。

 『お前のハイキックはまだまだ』だとか『武器の扱いがなっとらん』などと話している二人は、暑苦しいとしかいいようのない姿だった。


 そんな役に立たない男二人が盛り上がっている内にも、今日の食事の支度が終わる。

 テーブルに並べられていくのは野菜のスープやサラダや野菜炒めやら、野菜煮込みやらと、清々しいまでの野菜尽くし。

 

「美味そうだなラング」

「少しは遠慮を覚えろダム」

「よし、覚えた……すまん忘れた」

「むむ、冗談なのか本気なのかが難しい所ではあるな……」


 下らないやり取りを交わし、ラングとダムは二人揃って腹を鳴らす。クスクスと笑い声をあげたノリアは子供に言い聞かせるように『二人とも手を洗ってきてね?』と声を掛けた。


 手も洗い終わって、席に着いたラング達は――カルガンの誇りを尊ぶ台詞を重ねて、食事へと手を付ける。

 ガツガツと豪快に食べる男衆とノリア。

 ラング達に比べると、ノリアの食べる姿は中々に上品ではある……が何故か食事の減っている速度が変わらない。いやむしろラング達より早いのではないだろうか。

 謎だ、きっと決して解けない謎なのだろう。


 食事をとる速度は異常に早く、あっという間に食べ終わる。カップに注いだ飲み物を啜りながら、三人はゆったりとイスに座り、談笑を続けた。

 十分程話し続けた頃だろうか、不意にノリアがラングへと視線を据える。


「そういえばラングちゃん、なにか頼みごとでもあるんじゃ無いのかしら? 余り遅くなると眠くなってしまうし、出来れば早めに話してくれると嬉しいわねー」


 笑いながらナイフで刺すかのごとく、ラングの考えは見事に貫かれた。というのも、ラングは昔からこうだったのだ。

 苦手な姉に頼みごとをする場合は先ず自分からお礼を持っていく。

 でなければ『じゃあお礼は何が良いかしらー』と言われ、その頼みごとが、大概ラングにとってはよく無い結果へと転ぶからだ。

 

 『ラングちゃん、毛が伸びてきたわねーじゃあ私が切ってあげるわ』素晴らしい挟み捌きで整えられて、独特のセンスで縞模様が出来る。

 『お料理を作って欲しいのだけどー』作る料理ことごとくに駄目出しをされて、優しい笑顔で『作り直してね』と告げられる。

 

 他にも様々なことがあったのだが、決まってラングにとって嫌がらせにしかならない。

 つまり、もうノリアの中でラングが何かを持ってくる=頼みごと、という方程式がなりたっているのだ。

 ラングとしては未だにバレテいないと思っているので『姉上は思考を読まれる』等とたまに戦慄している。


 微笑むノリア、引きつるラング。ダムはガパガパと飲み物を開けている。

 一人だけ緊張した面持ちのまま、ラングが恐る恐ると喋りだした。


「いや、実は姉上……それがですな――――」



 十分程ラングの話しは続き、一連の流れを聞いたノリアはクスクスと笑っていた。

 ダムはダムで『滝か……つまり俺もそれをやればラングに勝てる?』などと呟いている。

 そんな二人を見て、若干不機嫌さを浮かべたラングは、鼻の穴を少し膨らませながら口を開く。


「笑ごとではないのですよ姉上よ、これが終わらねば約束が果たせぬのだッ」

「あら、ごめんなさいね。別に馬鹿にしている訳でもないのよ? ただ凄く簡単な訓練をしているのね、と思って」

「――ッな!?」


 それは馬鹿にしているのではッ、と思わず言葉を荒げそうになったラングだったが、寸での所で飲み込みとめる。下手に怒鳴り散らして姉の怒りを買おうものなら、せっかくの助言が台無しになる。後、食事を作ってもらえなくなる。


「では、分かるのですな? 答えとは言いませぬせめて何か助言をっ」


 ダンッ、とテーブルに片手を打ちつけ揺らし、ラングは興奮を顕に姉へと尋ねる。

 『そうね』呟くと、ノリアは近くに置いてあった、黄色のニンジンのような野菜を手に取りラングに見せた。


「例えばこのお野菜“今ココに”は一本しか無いわね? で、ここに四人の人が居たとするわね? 

 その全員は皆お腹が減っていて、野菜を食べたい……ラングちゃんだったらどうする?」

「全員なぎ倒して食らう」

「そのラングを俺が倒して食べる」


 ノリアの言葉に即答する男二人。それを見てノリアは少し笑いながら、言葉を続けた。


「それは無しで、皆で分けるとしてよ」

「それならば折るか?」

「齧って回せば良い」


 顔をそろえて似たような言葉を返す二人を見て、ノリアは満足気に頷くと、じゃあ私は――とそこに続けるように答えた。


「新しいお野菜を買いに行くわ」

「いや姉上よ、それはズルではないか?」

「だよな、それ一本しかないって話しだろノリアさん」


 納得いかないように唸りを上げるラングと、驚いた顔でノリアを見るダム。


「でも二人とも……私はね“今ココに”って言ったでしょ? じゃあココじゃなきゃ野菜はあるのよ? 誰も世界中で一本なんて言ってないじゃない」


 『助言は、ここまでね』とノリアは言うと、さっさと食後の後片付けをする為に席を立ってしまう。

 残されたラングとダムは揃って頭を捻り、ウンウンと考え込み、そのまま一晩中二人で唸っていたのだった――。



 ◆



 姉の言葉を聞いてから二日、延々と答えを探していたラングは、ついに自分なりの考えを見つけ出していた。

 そして、現在それを実行する為、滝壺の岩の上で一人来るであろうジグを待ち受けていたのだった。

 上半身は相変わらず裸ではあったが、今日は手甲も脚甲をつけている。やる気満々な面持ちだ。


(出来る――大丈夫だ。問題なんてありはしない筈)


 瞑目し滝の飛沫の音を聞きながら、ラングは自分自身へと声を掛けていく。頭に描くのは成功したときの想像。

 どのように動きどのように登るか。全てを頭の中に描きだし予行練習をしていく。

 俗に言うイメージトレーニングという奴である。

 何故ラングがこんなことをしているのかというと、実はまだそれを試しては居なかったからだ。

 

 思いついた瞬間にテンションが上がり、果たし状のようなものをジグへと送ってここまでやってきた。そして今ココ。

 つまりぶっつけ本番である。ラングらしいと言えばラングらしいのだが、相変わらずの猪突猛進ぶりであった。


(ぬぅッ、きおったか!)


 ラングの全身の感覚が、だれかがココに近づいているのを察知した。凄まじい速度だ。

 だが、きているのは分かるが、どこからかは理解できない。

 集中力を高め、さらに周囲の気配を探ろうとした――瞬間。

 ラングの横合いの水面が弾け飛んだッ。


「ここだぞラングッ、ぶわーーーはっはっはッ!!」


 一本の槍の如く水中から空中へと向かって飛び出したカルガンは、前掛けをはためかせ、豪快な笑い声を上げながら川岸へと着地した。


「ぬぅ、どこにもおらぬと思えば……まさか師匠ッ!?」

「然りッ、泳いで来たに決まっておろう!」


 何が決まっているのかわからないが、とにかくジグはラングを欺くためだけに川を遡って泳いできたらしい。


「ふむ、まあよいラングよ……呼びつけたと言うことは……遂にやったのか?」

「否、しかしながら、答えは見つけたと思うております」

「ほう、面白い。やって見せい」


 応ッ、と気合を込めた叫びを上げて、ラングは滝壺へと飛び込んだ。

 盛大な飛沫が上がり水中へ――ラングは滝の直下へと向かって泳ぎ進めていく。

 

 ラングは考えた。懸命に頭を捻って姉の言葉の意味を考えた。

 いつもは使わない脳をフル稼働させ、そして答えを導き出したのだ。

 ノリアは言った『“今ココに”って言っただけ』だと、そしてジグは言った“頂上にたどり着け”と。


(これはきっと同じことだ。師匠はたった一度たりとも言っていない。“泳いで登れ”とは)


 これは思考を柔軟にすることによって、不可能を可能にする試練。

 ラングはそう判断した。

 

 そして彼なりに柔軟に考えた結果が出た――

 

 泳ぐ泳ぐ、ラングは泳いで滝へと向かい、そのまま滝の背面にある壁へに――拳を突き入れ足を突き立てたッ。


「ぬははははッ、容易い、容易いぞッ、泳ぐ必要がないのならこの程度、重りを背負った壁のぼりと変わら――ガボボボボッ、ぬぅ、水めこしゃくな手を使いおる……」


 滝の裏手の壁を高笑いしながら登るラング。笑いすぎて水が入って咳き込み、滝に悪態を吐いているが、概ね元気だった。

 そう、ラングなりに柔軟な思考によって考えたのだ――泳ぐのが無理ならば、壁を抉って登れば良いじゃない、と。

 恐らくこれがメイならば『登らないで川で遊ぶ』と言うだろうし。

 ドリーならば『横の壁を登る』と言うだろう。

 きっとドランならば『回り道して普通に登る』。

 

 正直ラングの判断は柔軟というより違う方向に向かう力任せ。だが、順調に登っているのは事実。

 壁を抉って上へ上へ――下方のほうには隙間があって水は少ないが、上に行くほど水が多くなる。

 頂点付近に来た頃には、既にラングは水の中、呼吸も出来ずに視界がゴボゴボと気泡に阻まれ霞む、だがラングは諦めずに手を動かし続け――やがて、滝の頂点にまで到達した。


 息が苦しくなり、堪らず崖の上の川岸へと上がる。

 ラングは高い高い頂上に佇んだ。眼下に広がる緑の絨毯。間を流れるのはキラキラと陽光を受けて輝く川の道。

 青い空は澄み切って、視界のずっと先には集落の姿が少し見えていた。


 込み上げる、湧き上がる。激しく胸を揺らす想いの全てを――ラングは全力で吐き出した。

 

「ゥウオオオ雄雄雄雄雄ッッ!!」


 カルガンが叫んだ。崖の上から仲間に届かせるほどの咆哮を、何度も何度も上げた。

 達成感や、歓喜が次々と湧いて止まらなくなっていた。泳いで上がることは未だ叶わないが、それでも天辺にたどり着いたことには違いない。


 震える拳を握り締め、やがてラングをゆっくりと、満足を含めた吐息を零した。


「ぶわーははっはは! ラング……見事だ、見事な柔軟性だッ!」

「しッ、師匠!? では……自分のこれは正解だったのですな?」


 顔に浮かんできそうになる安堵を押し殺し、ラングはどこからか登ってきたジグに確認とった。

 カッ、とジグの鋭い眼まなこ)が開き、ラングに『笑止ッ』と良いながら拳を握った右手を向ける。


「っは、正解など有りはせんわッ、好きに登ればそれでいい。頂上に達することが目的で手段を求める試練では無いッ!

 ラングお主はまだまだ若すぎる。頭をもっと柔らかくするが良い。片腕のことだってそうだ。腕なんぞ一本無くなったところで大して変わりはせんッ!

 右腕が無いなら右腕の分まで左腕を強くすれば良いだろう。幸いにもカルガンには強靭な尾まである。

 お前の失った腕はたった一本。これでやっと人種と同じ四本になったというわけだッ」


 迷う素振りすらなく腕なぞなくても変わらんというジグ。確実にメイがいたら『変わるに決まってんだろ』という場面なのだが、残念ながらここにはこれを否定するような思考をもった人が居なかった。

 つまる所ラングもである。


「……ご迷惑をかけ申した……師匠の教えは胸に刻んで決して忘れはしませぬッ!」

「うむ……中々に立派になっておるなラングよ。今日から厳しい修行が始まるがしかとついてくるがいいッ。

 なぁに、お主の強さは既にある一定の場所にたどり着いておる。そう時間も掛からんだろう」

「ありがたい……よろしくお願いし申すッ!」


 ビッ、と腕を身体の横につけ、礼をするラングと腕を組んでそれを頷きながら見るジグ。

 一見すると素晴らしい光景なのだが、二人の上半身は裸なのでむしょうに暑苦しい景色になっている。


「そうだなラング、お主に良い言葉を送ってやろう。ワシが昔古い友人に『頂点にまで登ってみろ』と同様の言葉を向けたときの話しだ」

「むむ……それは中々に興味深い。して、どうなったので?」


 遠い目をどこかに向けるジグが、好奇心で瞳を揺らすラングを見ながら言った。


「うむ良いだろう、その友人は頂点まで登ってこういったのだ『滝なんぞ、蒸発させればただの壁』」

「おおッ、素晴らしい教えですなッ!! じつに豪快でよいではないですか」


 『素晴らしい』などと良いながら、ラングはしきりに頷き、ジグは遠い空を見ながら懐かしそうに『ゴンちゃんは今頃元気にしているのか……』と呟いた。


 北に向かって定められたジグの瞳は、実に楽しげに揺れている。


 そんなジグを横目で見ながらラングは思考に浸った。

 遂に本格的な修練に入れる。しかも師曰く『そう時間は掛からない』とのことだ。

 胸が躍った。どんな厳しい修行でも耐え抜けそうな程に。

 早く修行が始まらないだろうか――そんな与えられた玩具を目前にしたかのような、落ち着きのなさをラングは表情に浮かべている。


「ラングよ……お主そんなに早く修行に入りたいのか?」

「ぬぅ、そう見えますかな?」

「見えない奴は目が腐れとるだろうな。仕方あるまい。先ずは川下での組み手から始めるとしようッ。行くぞラングッ」


 墳ッ、と一声上げてジグが滝から飛び降り、ラングが『むんッ』と後に続いた。落ちる間も高笑いを上げていた二人は、やがて盛大な水しぶきを上げて滝壺へと沈む。


 キラキラと上がった水滴が、陽光を受けて宝石の如き輝きを見せている。

 

 始まった修行、乗り越えた試練。

 カルガン流を極めんと、今日も【ラング・ラッド】は強さを求めて修行に励む。

 いつかの時を夢見て拳を振るい。近づく時を想像して蹴りを放つ。


 今日一日中――滝の近くでは、暑苦しい叫び声が鳴り響き続けていた。

 




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