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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
83/109

砂蛇と闇に紛れて壁を蹴る




 四方を縞々模様の砂岩壁に囲まれたそれなりに広いリビングで、早朝の忙しなさとも言える音を聞きながら、俺はアース・メイクで製作された石テーブルに肘を付いて、樹木を切り倒して作った丸太の椅子に腰を下ろした。


 眼前のテーブルに続々と運ばれてくるドラン料理長作の朝ごはんの数々――。

 泉で取れた魚、食用キノコ、様々な香草を纏め、頑丈な葉で包んで蒸し焼きにした一品。

 ドリーの育てた新鮮な野菜のサラダ。デカイノシシ肉のハンバーグに、チーズを溶かし込んだ濃厚なスープ。

 作ったのか持ってきていたのかまでは分からないが、ご丁寧に手の平大のパンまでもが用意されている。


「これで終わりだでー」

 

 満足げなドランの声と共に――カツカツ、と軽快な音がテーブルを叩き、人数分のマイカップと、水の入ったビン並べられた。

 揺ら揺らと波打つ濃紺色の果実ジュース。チャプチャプ、とした水音は中々に心地良い響き。


 二級区域の真っ只中で食べるにしては、なんとも贅沢な朝食だ。

 あの地獄の初日から数えて一週間目の今日は、ようやく全ての準備も終えて一段落つけることができた日――つまりこの朝食は、そのお祝い代わりも兼ねてのもの。


 実際の所……拠点製作自体は三日ほどで目処は付いていたのだが、その他の準備もあり、なんだかんだと今日まで時間がかかってしまった。

 

 ここまで来るのは大変だったが、それなりに楽しかったし満足感も味わえた。

 風呂もエントをかけなくても沸かせるようにしたり、入り口に簡易ではあるがドアを取り付け、その周辺に植物を生やして隠蔽したり、樹々や馬も含めそれぞれの部屋まで揃え、地下には食料貯蔵庫まである。

 ここまでやれば、仮拠点としては十分な状態だといえる。


 一週間という日時は、長いようで短い。

 体感的には頗る短く感じた、というのが本音だ。とはいえ、平和で健やかな日々を送れたし、俺としては十分癒されることが出来た。

 正直言って『このままここで暮したら幸せじゃね?』などと頭に花畑が生まれるほどに。


 だがしかし、実際そんなことをしてしまえば『気が付いたら拠点の周囲全部が獄に変わっていました』なんてことにもなりかねない。休憩も準備も済んだのだし、自分の為にも仲間の為にも動き始めなければいけない頃合いだろう。


 などと、一人惚けた頭で考えていると、真向かいに足を組んで据わっていたリッツが、偉そうな顔をこちらへと向けてきていることに気が付いた。


「んっふっふー」

「え、なに急に笑い出して、怖いんだが……」


 突然上げられたリッツの含み笑いを聞き、反射的に訝しげな声を返すと、リッツの唇が自慢げに三日月を描き、組まれていた腕が「さあどうだ」と言わんばかりに広げられた。

 淡い桜色のリッツの室内着が、その動きでフワリとはためき、揺れている。

 

「さあ、クロウエっ。このアタシの作った素晴らしい食事を堪能して、感動で平伏しなさいっ!」

「……おい、ちょっと待てよ“素晴らしい料理”って所には全面的に同意なんだが……俺の記憶が正しければ、お前野菜しか剥いてねーだろ?」

「――っな、なにを言っているのかしら、これだからクロウエって奴は……っは、アンタが見てなかっただけでしょ?」


 挙動不審に耳を動かし、喚くリッツへ『本当かよ』と呟きながらも、疑惑を色濃く宿した視線を飛ばす。

 真っ直ぐ見つめる俺の視線。斜め上にダッシュで逃亡するリッツの瞳。

 

 怪しすぎる……。

 

 どう考えても嘘八百の匂いしかしない。

 正直、このまま追求すればいとも簡単にボロを出してくれそうな気はした――が、リッツが食事の手伝いを買って出ていたのも事実……。


 感謝しながら食事を取るのは別に当然のことだし、一々気にするのも馬鹿らしい話か?


「そうか、疑って悪かったな。凄いぞリッツ、でかしたっ!」


 ふむ、と一つ頷き素直にリッツを褒めてみたが、なぜか彼女は眉根をよせて、納得がいかないような顔つきだ。


「……あれ? 平伏さないの?」

「伏さないです」

「涙は?」

「流しません」


 俺がきっぱりと言い切ると、リッツの口から、チッ、と舌打ちの音が漏れた。

 この毛玉……証拠を掴んでやろうか、とそんな想いが湧き上がってきたが、それはそれで面倒だと考え直す。


 全く何考えてんだ……相変わらず妙な奴だな。


 惜しかった――などと呟いているリッツを眺めながら、俺は朝のゆったりとした時間をまどろむように過ごし、堪能していく。


 そのままリッツとくだらない会話を交わしながら、五分ほど経った頃か。


「あら、美味しそうね」

『おお、お水もありますっ、朝一番のお風呂後に出てくるなんて、やりますねトカゲさんっ』


 頭にタオルのようなものを被せたリーンと、その頭上で喜びに揺れているドリーが、リビングの中へと遅れてやってきた。

 幸せそうに表情を崩し、頬をほんのりと赤く染めているリーン。

 遅いと思っていたら、どうやら朝風呂へと入っていたらしい。


「てか、リーン。俺達今日シルクリーク行きだぞ、今風呂入ってもすぐに砂まみれだろうが」

「メイったら、それはソレ。これはこれよっ。お風呂に入ったほうが髪も直しやすいもの」

「嗚呼……リーン凄いなお前、最後の一言で思わず納得しちまった」

「あら、そんなに褒めても何もでないわよ?」


 大丈夫だ、俺の口から溜息は出ます。


 俺の中での七不思議でもある局地的台風現象。いずれ謎を解明したいと思っているが、中々その機会は訪れてはくれなかった。

 最大の謎は、とある爺の身体の秘密なのだが、自分の身が危うくなるのでそちらは解明する気は更々ない。

 

 いや、ブラムさん辺りを生贄にすればどうにか……。


 何度か脳内でシュミレーションを繰り返してみたが、ブラムがボロ雑巾のような姿になっている場面しか思い浮かべられなかった。それどころか最終的に俺まで地面に倒れている始末。

 やはり、ここは触らぬ神には祟り無しとの言葉に従うべきだな。


『メイちゃんさん。皆さん揃いましたし、そろそろ食事に致しましょうっ』


 下らないことを悶々と考えていた俺の意識を、ドリーの楽しげな声が引き戻した。

 既に全員が席について、準備万端な様子。


「そうだな。冷めないうち食べないとな――じゃあ頂きます」


 俺の声を切っ掛けに、それぞれが好き勝手に食前の言葉を述べていく。


 リーンは作ってくれたドランとリッツを褒め称え、ドランは食材への礼を紡ぐ。

 リッツが今日を迎えられたことへの感謝を囁くと、ドリーがビンを手に取りえっちらおっちら謎の踊りを披露した。

 テーブルの下で果物を前にした樹々が一声鳴いたのを確認して――俺達は一斉に朝食へと手を伸ばしていった。


 やっぱり、これはこれで良いものだな。


 当然、信仰宗教などはどっかに有るだろうし、それに伴い、食前の言葉や動作が決まっていてもオカシクはないのだが、俺の『いただきます』の動作にすら違和感を抱かないほど、この世界の人々は自身の祈りを個々に持っている。

 

 一斉に同じ言葉を重ねるのに慣れていた俺は、最初こそ戸惑ってしまったが、今ではそれぞれに個性の出るこんな食前も、楽しく思えるようになっていた。

 

 緩やかに流れる朝食の時間。

 腕をかけた食事はとても素晴らしく、談笑混じりの時間は幸せに満ちている。

 

 これから迫りくるであろう忙しさ、立ち向かわなければならないだろう困難。

 それは十分理解していたが、それでも、こんな日々があるならば、きっと俺は耐えることが出来そうだ――と、この貴重な時間を忘れぬように、心に刻みこんでいった。




 ◆




 食事も終わり、後片付けも済ませた俺は、ドランの努力の成果を披露目する為、リビングの出入りに隠れコソコソと中を覗いていた。

 食後に寛いでいる三人と一匹は、こちらに気づいている様子はない。


〈ドリーどんな感じだ?〉

『むふふ、最高の“着心地”といってもいいほどですっ』

〈そうか……さすがドラン職人だ〉

『完璧な仕事ですっ』


 喜びの感情を全身で表すかのようにウネッテいるドリーを見て、俺は満足気に頷きを返した。

 本職の人にはそりゃ及ばないだろうけど、ズブの素人の俺からすれば、ドランの腕も十分職人のように見える。


 早くこの素晴らしさを皆に見せてやらなくては……。

 

 心にメラメラと燃える使命感と、早く自慢したい気持ちを抑えることすらせずに、俺は堂々と歩き出し、出入り口からリビングへと入場を果たす。


 カツカツと岩の地面が音を鳴らし、俺の存在を中にいる全員へと伝え、それに気が付いた皆がこちらへと一斉に顔を向ける。

 談笑がピタリと止まり、一瞬だけ辺りが静まり返った。

 

 表情こそ人によって違っているが、皆一様に同じ感情を浮かび上がらせている。

 驚き、驚愕、言葉こそ違えど恐らくそんな感じのものだ。


「ね、ねぇ、クロウエ……」

「なんだい? リッツ君」


 引き結んでいた口を緩め、おずおずと言った様子でリッツが口火を切り、俺はそれにニヤニヤと返答。


「一つ聞きたいことがあるのだけどいいかしら?」

「おう、構わんぞっ、ドンドン聞いてくれたまえ!」

「その首に捲きついているのは一体ナニ?」


 リッツのプルプルと細やかに揺れている人差し指が、真っ直ぐにこちらの首周りへと向けられ――俺はそれを待ってましたとばかりに、両手を雄雄しく広げてリッツへと視線を据えた。


「はは、良いだろう教えてやろうじゃないかっ。これこそが『蝶・ドリー』改めッ『ドリー・スネー子さん』だッ!」

『しゃーっ』


 俺が自信満々に吼えると同時に、首に捲きついていたドリーが鳴く。

 細長く滑らかな胴体がハチャメチャに躍動し、上背を覆っている砂色の鱗が、シャラリと蠢くようにウネッた。

 首元には紐に通され縛られた使い魔印の指輪――身分証明をわかりやすくしてあげようといった、ドランの優しさが溢れているポイントだ。

 

 死んだ魚の如き丸く愛らしい瞳は、瞬きすることすらせず何処かへと向けられており、ドリーの手の動きに連動し開閉している大きく裂けた口元は、獅子舞の如き激しさでパクパクと動きを止めることはない。


 右へ左へシャバダバと暴れ狂うように動く、矢印型とも呼べそうな三角の頭部先端には、鼻の穴とも呼べる二つの穴。

 右側頭部にチョコンと張り付いている白い花弁など、ドリーのお洒落さん具合を如実に現していると言えよう。


 素晴らしい出来栄えだ。

 ソレを見たリッツなど、感心からか言葉も出ずに頭を抑え、テーブルに突っ伏している様子。


 仕方ない。それも当然だ……。

 何故ならば、正しく完璧とも言えるほどに、ドリーの姿は砂色の“蛇”へと変貌を果たしていたのだからッ!


 ババーン、ともう一度両手を広げてリッツに自慢してみたが、残念ながら彼女はみてくれていなかった。

 きっと、朝飯を食いすぎて身体の調子でも悪くなっているのだろう。


「おお、ドリーどん、似合ってるだよ。大きさも丁度良かったみたいで何よりだで」

「メイっ!! やだ……凄い可愛い……何これ、とても愛らしいじゃないっ」

「ぬはは、そうだろう、そうだろうっ!」

『シャっ、シャっ、しゃーっ!』


 未だ動かないリッツと特に興味なさげな樹々を除いた二人――これを作ったドランと、初めて目にしたリーン――はドリーの元へと近づいて、思い思いの言葉を掛けてきた。

 ドリーは褒められて照れているのか、口をバックバックと動かして、歓喜の舞いを踊っている。

 

 でもドリー、いい加減普通に喋ってもいいと思います。


 暫くリーンやドランと、蛇ぐるみの出来をアレヤコレヤと話していると、先ほどまで突っ伏していたリッツが、ようやく疲れを滲ませた顔を上げた。


「はぁ、ドランがチクチクやってたのが、まさか着ぐるみだとは思いもしなかたったわ……というか、クロウエ、本当にアレでシルクリークに行っても大丈夫なの?」

「じゃあ逆に聞くが、あの出来で駄目だと思うのか?」


 俺がさも当然のように聞き返すと、リッツは頬を引きつらせ、悔しそうに顔を歪めると、額を抑えてうな垂れた。


「っぐ……思わないところが余計腹立つのよね。でも、もうちょっとあの目と、頭の花はどうにかならなかったの? 

 あの目とか本当に生気が無い感じなんだけど……」

「花はドリーのお気に入りなので外せないし、目に関してはドラン曰く『ほかの部分はモンスターの素材でどうにかなったけんども、瞳だけはどうにもならなかっただでー』だそうだ」


 そう、とリッツは一言返えすと、何かを考えるかのように、唸りながら黙り込んだ。

 リッツなりにこちらを心配してくれている、ということだろうか?


 確かにリッツの言うように、蛇の目だけは本物を使うわけにもいかず、鉱石を削って作った義眼だ。不安に思うのも無理もない。

 しかし、真面目な話し他の部分はかなり精巧な見た目なので、そう易々とバレルとも思えなかった。

 

 構造自体は、手に被せて口を動かす玩具の着ぐるみと同じようなものではあるが、単純に素材が違う。

 鱗はサンド・リザードの尻尾辺りの、細かな鱗部分を選び取って使用され、蛇腹に至っては、区域内で狩って来たモノホンの蛇の皮膚。

 胴体内部には自然な丸みと硬さを出すためにデカ蛇の皮や、この区域のモンスターの毛皮などを、上手く詰め込んである。


 更にミシンいらずのドランの剛力、現代ではありえない強靭な針をもって縫われた糸は、大和撫子の如き謙虚な色合いの、かなり頑丈な糸。

 

 何より……中に入っているのがドリーということが大きい。

 本来なら先端まで動かすことなど不可能な長い身体を、彼女ならば根足を使って操作出来る。

 単独で全身を動かすとなると若干……いや相当“不安”が残っているが、俺の首にいる程度の動きなら問題は出ない筈。


 大体、俺だってなんの下調べもせずに『蛇にしよう』と考えたわけではない。事前に色々と調べた結果“蛇”に決定したんだ。


 一つは“使い魔として蛇を持っている人が別段珍しくない”という理由。

 もう一つは“シルクリーク周辺に実際同じ色合いの蛇が生息している”という点。

 

 これならば多少の誤魔化しも効くし、違和感があっても『ちょっと珍しいけど、あの蛇か』などと皆勝手に自己完結してくれる可能性も高い。

 元々、一部の地域にいるものが変化してその色になった。など、蛇自体の種類もかなり多いらしいし、一々気にする人の方が稀だろう。


 俺としては、ここまで色々揃えてバレルなら、外套に隠して連れて行っても大して変わらない気がしている。

 仮に外套に隠して連れて行ってしまうと、微妙な危機程度ではドリーが姿を晒せず『戦闘に全く手が出せない』といったことにもなりかねない。


 絶対にバラサナイ、というのも大事だが、戦闘が起こると仮定してある程度の準備を進めるのもまた重要なことだ。


 ……と、頷きながらそんなことを考えていると、

「でも、クロウエ。きぐるみ着てたら、戦闘出来ないんじゃない?」

 リッツも同じような思考に至ったのか、タイミング良く質問を投げかけてくれた。


「いや、その辺りはある程度考えてあるんだよな。ちょっと試しに見せるよ、ドリー!」

『お任せぃっ《ウォーター・ボール》』


 ガパリ、と大口を開けたドリー。

 唱えられた魔名が響き渡り、蛇の口内に生まれた水球が、勢いよく飛び出すっ――ことなく口の中で破裂した。


 だばぁーと、まるでマーライオンの如く水が蛇の口から流れ落ち、俺の右肩に滝を作る。


 ……うむ。


「ドリーさん『ウォーター・ボール』は無しで頼む」

『へいっ』


 俺が左手の親指をドリーに向かってグッと立て『頼むぞ』と差し出すと、ドリーが蛇の頭を縦にブンブン振って答えてくれる。

 素直でとても嬉しかったが、首を振っている所為で、蛇の胴体内部に溜まっていた水が、ばっしゃ、ばっしゃ、と飛び散り、顔までずぶ濡れになった。


 やれやれ、と顔に付いた水をピッピッと地面に飛ばし、俺はリッツに向かって至極真面目な顔を向け、言ってやった。

 

「まあ、リッツ……つまりはこういうことだ」

「――アホかアンタはッ!! 一体なにがどういうことよッ、肩がずぶ濡れになっただけじゃないっ!?」

「い、いや、待てリッツ。今のちょっと失敗というか、魔法の選択をミスっただけだ。もう一回、もう一回やるから」


 どうどう、と憤慨するリッツを宥める。

 一瞬『怒りっぽいなーコイツ……カルシウムが絶対足りてないぞ』と思ったが、部屋着にしているリッツの服が、飛び散った水の被害によって濡れている所を見ると、余りカルシウムは関係なかったのようだ。後でちゃんと謝っておこう。


 気を取り直し再度構える。今度は失敗しないように、少し練習していた魔法を使うことに決めた。


「リッツ、そこのテーブルにある俺のコップ、ちょっと上に投げてくれないか」

「これ? 仕方ないわね……行くわよっ」


 石材テーブルに置かれていた俺のマイカップ、ソレを手に取ったリッツは『よっ』と静かに掛け声を上げて、中空にカップを放り投げる。


「やれドリーッ」

『アイビー・ロープ』


 あんぐりと開けられた蛇の口、その中から蔦縄がまるで舌の如く飛び出し、空に舞っていたカップを掴んで一気に引きよせた。

 コントロールも慣れたもので、あらぬ方向に行くこともなく俺の手の中にポンと目的のブツが収まりを見せる。


「おお、すごいだでっ」

「やるじゃないドリーちゃん。アレって見た目ほど簡単なことじゃないわよ」

「へー、本当に舌みたいね。これなら平気……なのかしら?」


 ドラン、リーン、リッツの順に、三者三様の反応を返し、一連の動作に好意的な感想を述べてくる。


「って感じで、別に戦闘出来ないって訳じゃないんだよな」


 先ほど少し調子にのってドジを踏んだことに反省し、俺は改めて仲間へと、現状で行えるドリーの戦闘方法を説明していった――。



 非常に省略して言ってしまえば“魔法はある程度使えるが、近接は出来ない”と言ったところか。

 

 先ほど見た通り、現状のドリーの変装なら『ウォーター・ボール』などの口より大きな魔法でないかぎり、特に問題なく使用出来る。

 エントだって口で武器を噛むようにすれば掛けられるし、鼻の穴から指先を少し出せば『ペネトレイト・ウォーター』だって撃ち出すことが可能だ。


 首に巻きついているだけなので、支えが強固ではなく――ナイフでの近接などは出来ない。が、外套で隠すよりは戦闘できる分だけマシだし、俺の重心だって違和感が無くなる。

 戦闘力低下の問題自体は消せないが、緩和する為のせめてもの対応策だ、とそこまで言い切り、俺は説明を打ち切った。

 

 話しを聞き終わったリッツは『そうね』と一つ頷くと、俺に真剣な色を帯びた眼差しを向けてくる。


「確かにクロウエの言う通り、ないよりは断然良いでしょうね。でも、本当に気をつけなさいよ? アンタ達って妙な所で抜けてるから、さっきみたいな失敗しそうでハラハラすんのよ」


 顰められた眉根。細められた双眸。

 投げつけられた言葉は声音だけ聞くなら刺々しく、話しの内容だって『信用できない』と言っているようではあったが――リッツなりにこちらを心配してくれているのだということが、ありあり滲んでいる。


「……確かに、そろそろ気を引き締めていかないと拙いな。忠告ありがたく聞いておくよ」

「別に忠告じゃないわよ、注意よただの注意」


 大して変わらんだろ、と言いながら、俺はリッツの助言を素直に受け入れ、ドリーに使用させる魔法の選別を改めて脳裏に描き纏めていった……が、横合いからリーンに肩を叩かれそれを遮られる。


 見れば、頭に疑問符でも浮かべそうな面持ちを宿したリーン。

 何かこちらに聞きたいことでもあるのだろうか?


「ねえ、メイ。そういえばドリーちゃんってこの状態って一人で動けるの?」

「う……動けるぞ、そりゃもう完璧に……な」


 まさか……よりにもよってこの話題を振られるとは。

 思わず声が上擦りってしまった俺にリーンの『どうしたの?』と尋ねるような眼差しが突き刺さる。


 どうにか話題を変えないと……などと、少し抵抗を試みようとしたが、

『見ますか? じゃあやってみせますねっ』

 それはドリーの無垢な言葉で叩き壊された。


 まって、お願いちょっとお待ち――と叫びを上げようとしたが、時既に遅く、ドリーがヒョイと地面に飛び降り、実演を始めてしまう。

 クネクネと動く蛇の身体。順調に前に進んでいくドリーを見て、皆が皆、時が止まったかのように閉口していた。

 

 ああ、と手を額に当ててソレを見るが、ドリーは全く気にしておらず楽しそうに『ふおおお』と地面を這っている。


 クネクネ、それは良い。蛇なのだから当然の動きだ……ただし、それが横方向だったらの話しだ。

 ドリーが現在体をクネラセテいるのは、縦方向。つまり分かりやすく言うならば、しゃくとり虫よろしく、へっこら、へっこら動いているということだった。

 

 蛇にあるまじき移動方法を改めて見せられ、俺は小さく嘆息する。

 

 このドリーの動き――仕方ない、と言えば仕方ないことではあった。いくらドリーに根足があった所で、曲げられる箇所は限られている。蛇のように軟体な身体を持っている訳ではないので、自由自在に横にウネルことなど不可能だ。


 別にドリー自身を一人移動させる気は無かったので、そこに付いてはさして大きな問題ではなかったのだが――


「クロウエ……絶対人前で下ろしちゃ駄目よ」

「メイ……これは流石に駄目だと思うの」

「メイどん……オラが不甲斐ないばっかりに、すまえねぇだで」


 こうなると思ったから言いたくなかったんだよ! チクショウっ。

 

 向けられてくる生暖かい視線と『あれはアカン』と密かに振られる首。なんというか、非常に居た堪れない気持ちだ。


 はぁ、バレテしまったものはしょうがないか。さっさとシルクリークへの出発準備でもして気分を変えよう。


 微妙にテンションが下降気味になってはいたが、俺は無理やりにそれを持ち直して、様々な準備を終わらせる為に自分の部屋へと戻っていった。




 ◆◆◆◆◆




 “オラ”とリッツどんをココに残し、遂にメイどん達がシルクリークへと向かうことになった。

 

 今回は特にこれといった挨拶も無く『行って来まーす』と至極アッサリとした言葉だけ残し、メイどん達は、最後の仕事が残されている水晶槍斧と大剣を含めた荷物を持って、樹々どんへと乗り込み、区域から飛び出していった。


 遠のいていく仲間の姿を見送っていたオラの心には、蟲毒の時のような置いてけぼり感は、一切渦巻いてはいない。

 というのも、後から自分自身も向かうことが分かっていたし……大槌のことを考えると、こうやって自由に使える時間を貰えたのはありがたくもあったからだ。

 

 今のオラじゃあの大槌には絶対にかてねぇーだで。


 怯えではなく、自信がないと言うわけでもなく、自分自身の実力と敵の技量をはっきりと意識した上での結論。

 力不足。技術不足。既に己の足りない部分は、あの時の戦闘によって明確にされている。

 

 今のうちに少しでも強くなっておきたい。

 実際ちょっと練習したからといって、そんな急激に強くなれるわけがないのだが、やはり何もしないよりは目標に近づける筈だ。

 


 そそくさと今日やっておかなければならない薪集めや、食事の下ごしらえを済ませ――オラは武器を片手にリッツどんの部屋へと尋ねていった。


「リッツどん、ちょっと外さ行きたいんだけんども、お願いしてもいいけ?」


 ドアと呼ぶに失礼だろう立て板をトントンと叩き、声を掛ける。


「あ、ドラン。ちょっと待ってて」


 暫く中からガサガサと何かを漁る音が聞えていたが、それもやがて止み――部屋の立て板がガタリと退かされ、リッツどんが現れた。

 右手には荷物袋、肩には魔銃、そして左手には代えの武器だろうクロスボウが握られている。

 伸ばした彼女の腕、その指先から肩ほどの長さをもったクロスボウは、基本的にモンスターの素材で作られているらしく、全体的な配色が骨の白、所々の補強材が茶色と、ミルクに別の飲み物を落としたかのような、少し美味しそうな色合いだ。


「アタシも外に行きたかったし丁度良かったわ。代えの武器触っておかないと不安だしね」


 ヒョコヒョコと耳を動かし、手に持ったクロスボウをこちらへと見せると『さあ、行くわよっ』と声を上げて、リッツどんは元気良く通路をズンズン進んで行った。

 その様子を見てホッと胸を撫で下ろし、オラも後を追う。


 良かった。オラの用事でばかり引っ張りまわすのも悪いもんな。


 メイどんの作った決まり『ドラン、一人、駄目絶対』により、オラは一人で区域内をうろつくことを禁止されていた。

 理由は簡単。オラ一人では『ツイン・レパード』などの速度を持ったモンスターに出会った時に危険だからだ。

 

 別に不満は無いし、納得もしている……が少し情けなくも感じる。


 引っ張りまわされるリッツどん自身は、大して面倒だと感じていないようで『食事作ってもらってるんだし当然じゃない』などと言ってくれたが、やはり一々付き合わせてしまうのは『悪いなー』といった気分になる。


「ドランっ、ほらさっさと行くわよっ」

「おお、すまんだでっ」


 考え込んで足を止めていたオラを見かねて、リッツどんが急かすように声を上げた。

 オラが反射的に謝罪を入れると、なぜかリッツどんは右眉をピクリと跳ねさせ、表情を不満気なものへと変えている。


「別に一々謝らなくていいわよ、気にしすぎじゃない?」

「はは、どうも癖だもんで」

「全く、ドランはクロウエの図々しさを少しは見習っても良いかもしれないわね」

「メイどんを参考に……」


 確かにリッツどんの言うことはもっともだ。ラングどんやメイどんの素晴らしさを見習えば、きっとオラも漢とやらになれるに違いない。


「が、頑張るだでっ!」

「……ごめん、今の無しでお願い。アタシ、やっぱりドランはそのままで良いと思うの」

「え、そうけ?」


 グッと拳を握ったオラを見て、なぜかリッツどんが意見を正反対に覆し『二人に増えたら堪ったもんじゃない』と呟きを漏らしていた。

 よくわからないままに頷きを返し、オラは外へと足を進めていく。



 近くに湧いている泉付近まで足を伸ばし、その近くにある広場ともいえる場所へとたどり着いた。

 周囲には高々と聳えた樹木の塔が群生し、視線のずっと先にある砂岩の崖は、まるで一枚の巨大な壁のように見える。


 よし、と呟き、オラは愛用の金属箱の重量軽減を切って、腕へと力を込めた。

 馴染みある重さがズシリとかかり、それを確認して一度全力で振るう。

 轟――と、武器の過ぎ去った後から風がビュウビュウと巻き起こり、土埃が盛大に舞った。


「……一体なに食べたらそんな力が出るのかしら、不思議でならないわね」


 地面から生え出した岩に腰を下ろしていたリッツどんが、オラへと向かって疑問を乗せた声音で呟いた。


「オラにしてみれば、代えの武器をすぐに使えるリッツどんのほうが不思議でならねーんだけんども……」

「そう? 大してかわりゃしないわよ。風の影響もあるから修正はいるけど、狙うって部分は一緒でしょ」


 何でもないことのように、オラの言葉に返答し、手に持っていたクロスボウの引き金を引く。

 強靭な弦が勢い良く弾かれ、重量ある金属矢が空気を貫くかのように発射。

 金属の輝きが線を描き、カエシを付けられていない矢弾が、的として定められていた樹木の幹へとその身を沈めた。


 そんな簡単なものじゃねーと思うんだけんども……。


 針山の如く無数の矢が突き刺さっている幹を見て、思わずオラは感心の吐息をもらした。

 一矢として外されたものは無く、狙った全てが直撃している。しかも、綺麗に円を描かれているところを見ると、わざとずらして当てているようだ。


「というか、ドランはいつもの武器みたいだけど、代えの方を慣らさないの?」

「えっと、オラそこまで器用じゃないもんで、別の武器を慣らすなら、こっちの練習しておいたほうがいいと思って」


 この判断がいいのか悪いのかは自分自身まだ分からないが、基礎がまず出来ていないオラが下手に他の武器を握ってしまうと、なんだか悪いほうへと向かいそうな気がして躊躇われる。

 それに、もし大槌とまた戦うことになったとしたら、代えの武器では絶対に勝てない。というか打ち合った瞬間、武器が壊れるだろう。

 最終的に頼るのはこの武器となるだろうし、練習はいつもの武器でしておきたかった。


「でも、十分器用じゃない? 蛇ぐるみ作ったり」

「んー、戦闘の器用さはまた別もんだで。全身使ったり、色々難しいだよ……」

「そうね……それは確かにって気もするわね」


 リッツどんと話しをしながらも武器をブンブンと振り回す。身体能力のお陰で武器に振り回されることはないけども、やはり速度が足りていない気がしてならない。

 

 気合を入れる為にも『カルガン魂だでー』と声を出しながら、練習を行うことにした。


「ちょ、ちょっとごめんドラン、本当に悪いとは思うけど……その掛け声止めてくれない?」

「あ、ごめん、うるさかったけ?」

「いえ、それとはちょっと違うけど……その掛け声聞くと前に立ち寄った村を少し思い出しちゃって」


 何か嫌な思い出でもあるのか、リッツどんの尻尾は勢い良く動き、バシバシと下の岩を叩いていた。

 思わず機嫌を損ねてしまったのだろうか、と一人戦々恐々といていると、リッツどんは一言『ドランは別に悪くないから気にしなくていいわよ』と添え、更に言葉を続けた。


「アタシの故郷って、クレスタリアから南に向かった場所にあるのよ。で、そっちの地方からクレスタリアに入る時って、危険区域を突っ切らないといけないの。

 二級、三級とか入り乱れている結構面倒な場所なんだけど……」


 と一気に言い募ったリッツどんは、そこで呼吸を整える為に一度言葉を切る。


「その区域の隙間にね一つ村があるの。微妙な安全地帯みたいな場所よ。で、その村に立ち寄って、宿で二日滞在――したらね……毎朝、そう、毎朝ッ!!

 早朝、窓外から『カルガーン魂ッ』ってその妙な掛け声が外から聞えてきて、ほんとうっさくて眠れなかったのよっ!」

「そ……そうけ。ソレは災難ダッタダデーー」


 吼えるように空に向かって怒りを飛ばすリッツどんを見て、オラの頬は引きつり、額からは冷や汗がとめどなく流れていた。

 クレスタリアの南、聞き覚えのある掛け声、そして、ある一人の漢が言っていた言葉。

 

 ――ふはは、ドラン気合が足らんのではないか? 仕方あるまい……今からカルガンの伝統ある掛け声を教えてやろうではないかっ!


 脳裏に鮮明に蘇ってきたその言葉を思い出して、オラは『今は知らないふりをしておく方が無難だで』と心を固め、ブツブツと文句を言っているリッツどんから視線を外して修行を再開した。




 ◆◆◆◆◆




 区域を飛び出し、モンスターの殆ど全てを置き去りしながら駆け続けて二日“俺”達はシルクリーク近辺に到着していた。

 だが、そのまますぐに都市に入る訳ではなく、進入に適した天候を待つため地中に潜って二日を過ごした。

 移動と待機――計四日の日時を費やして、今日はようやく俺の望んでいた天候の日――。


 既に時刻は日を跨いでの夜中。天候は望むべく曇り。

 夜天を流れる暗雲が月光を防ぎ、シルクリーク周辺地域を深い黒で塗りつぶしている。

 今も耳を通り過ぎているのは、土埃を運ぶビュウビュウと逆巻く風の音。

 明かりが無ければ、数メートル先の物体を確認出来ない程の暗闇の中を、俺達はただ静かに移動していた。


 闇に紛れる黒外套に身を包み、山葡萄のような植物の汁で闇色に染色された樹々に乗り、進む。

 目的地は、既に視界に入っている都市シルクリーク。

 珊瑚砂を固めて作ったかのような、白色と薄茶色が入り混じった防壁、都市内と防壁上から染み出すように漏れている魔灯の明かり。

 遠めに見ている分には、地面から隆起した巨大な砂岩塊に見えなくも無い様相だ。


 防壁の高さはグランウッドほどではないが、それなりに高い。堅牢さはココからでは知る由もないが――確かドラン情報によると『モンスターの体液を繋ぎに砂と金属粉を練り上げた建材』とのことなので、アース・メイクで易々穴を開けられるようなものではないことだけは確かだ。


 いや、多少硬かろうと、俺には余り関係のない話しだけど……。


 心の中で呟きながら、接近と停止を繰り返す。巨大な金属門がある位置を避けるように移動し、俺達は防壁へと向かっていく。

 視界の先にシルクリークの防壁上を歩いている兵士の姿が、朧気ながらも映っているが、俺の目でもこのアヤフヤさだ、向こうからこちらを見ても気がつくことなど出来ないだろう。


 ゆっくりと――されど、俺とリーンに掛けている『フェザー・ウェイト』の効果が切れる前にと先を急ぐ。

 見つからない自信はそれなりにあったが、やはりバレル可能性だって皆無ではない。

 緊張からか、頭の芯がジンジンと痺れ、無意識のうちに俺とリーンの呼吸は揃って殺されていた。


 視線を巡らし上部の兵士の位置を再度確認。

 防壁上部を右方に向かって歩いている兵士が二名、左方に向かっているのが三名、見張り台のような場所で周囲を伺っている兵士が数名。

 未だこちらが見つかっている様子は無く、となりの兵士に顔を向けている様子からしても、会話でも交わしているのだろうと予想できた。

 『聞えるわけが無い』とは分かっていたが樹々が地面を蹴る音さえも、朝の目覚ましの如き騒音に聞える。


 緊張と慎重さを保ちながらも進み――どうにか見つかることなく、城壁の間際とも言える位置へと辿りつく。

 樹々から音を立てずに飛び降りて、俺は水晶槍を、リーンはメルライナの大剣を手に取り、壁際へと張り付くように移動。

 すぐさま荷物から砂まみれの布を引っ張り出して、樹々に被せて身を伏せた。


『相棒、真上で十分です。後は私がどうにかします』

〈おう、任せる〉

〈ゆっくりでいいから、慎重にねドリーちゃん〉

『はいっ』


 パクパクと蛇人形の口を動かし喋っているドリーに、リーンと二人で声を掛け、俺は静かに立ち上がって、蛇の胴体半ばを片手で鷲掴んで、しならせるように背を逸らす。

 右手はダラリと地面へ向け、風を巻き込むかの如く腰を捻る。

 壁に当たらないように――ただそれだけに注意を払って、俺はカタパルトの如くドリーを上空へと放り投げた。


『ひゅおおおおおぉぉぉぉぉ……っ』


 夜空に向かって蛇が舞い、ドリーの奇声が消えていく。

 風に煽られプラプラと高速ではためく蛇人形は、やがて真っ直ぐにひたすらに高く上がり、

『アイビー・ロープ』

 蔦縄を上部の取っ掛かりに巻きつけ壁にぺシャ、とへばりついた。


 おお、素晴らしい。

 

 シルクリークの防壁を、シャカシャカと上がっていくドリーの影の動きは、流石の怪盗淑女と言うべき登りっぷりだ。

 暫くの間、感心しながらその場に留まっていると、上方からドリーの垂らしたであろう蔦が、スルスルと降りてきた。

 蔦を手に取り一度クイ、と引く――五秒ほどの時間をおいて、呼応するかのように引き返される。


〈よし、いくぞリーン。樹々はちょっと待っていてくれな〉


 事前に決めておいた『登ってきて良いですよ』の合図を確認し、俺は水晶槍斧だけを背に壁へと足を掛けた。

 本来なら滑る筈の靴裏、それがガッチリと壁に縫い止められているのが分かった。


 ……さすがは森の狩人さんって所か。


 滑り止めと足音を消す意味を兼ねて『ツイン・レパード』の足裏の皮膚をドランに頼んで靴底に付けて貰ったのだが、思いのほか上手くいったらしい。

 俺は一度足を踏みしめ問題ないことを確認し――そして壁を蹴りつけるようにして足に力を込めた。

 

 獣の皮膚に吸収された蹴打の音、体重を受けて張った蔦。

 両腕にかかる重量をものともしない身体能力に任せ、俺は強引に腕と足を動かし、壁を上に向かって登り始めた。

 

 トロトロとしている暇は無い。文字通り、駆け上がるかの如き速さで壁を走る。

 不意に『もし手を滑らせ落ちてしまったら』……と恐怖心が鎌首をもたげてきたが、俺は『獄に入る怖さよりマシだ』と踏みにじるようにソレを捨てた。

 

 大丈夫、平気だ。

 自分を励ますように心の中で声を上げ、更に身体を加速させる。向かい風が身体にぶつかり、耳元を轟々と通り過ぎていく。 

 見る見るうち近づく頂点――視界の先でドリーが蛇頭を覗かせ『来い来い』と合図しているのが見えた。

 勢いをそのままに防壁の淵に躊躇い無く手を掛け、飛び上がるように着地。少し遅れて俺の後に続いていたリーンも、無事防壁の上へと降り立った。


『相棒、余り時間はありません。すぐに私に付いてきてくださいっ。とぅっ』


 珍妙な掛け声を上げて、ドリーが都市内部に面している防壁からアイビーを使い、飛び降り消える。頭を出して下を覗いてみると、口をパックリと開けてそのままシャーと下に向かっていく蛇の姿が映り込んでいる。

 

 ドリーの奴、やけに慣れてやがるな。


 無駄に手際が良いドリーの動きを見て、少しだけ驚いてしまったが『クレスタリアで似たようなことをやった』と言っていたことを思い出し納得した。

 

〈メイ、先に行くわね〉


 囁きかけるように小さな声、俺の肩を軽く叩いたリーンは、返答を待つこともなく蔦を片手に姿を消す。

 

 本当こいつらって躊躇いってものが無いよな。


 この高さから蔦片手に落下するのだから、少しくらい怖がっても罰は当たらないだろうに、等と呟きを漏らしながらも、俺も急いで二人の後を追う。

 見たくもない下方を伺いつつも、蔦を揺らして滑るように壁を下る。

 篭手をしていても尚感じ取れるほどに、手の平が摩擦で熱くなっていた。もし素手だったらきっと大変なことになっていただろう。


 それにしても、結構遅くまで起きてるんだなこの世界の人達って。


 やはり魔灯の明かりや走破者の存在もあってか、この時刻でも都市の一部には明かりが煌々とついている。

 高所から見るシルクリークは中々に綺麗な町並みだ。

 暗い区域と明るい区域、砂色の建材に照らされた民家が、少し赤みを帯びて闇から浮き上がっている。

 はっきりと明暗が分かれているのは、恐らく民家の密集しているところと、店などの多い通りでの違いか。

 

 色々と問題が巻き起こっているシルクリークではあるが『それでも人の営みはしっかりと続いている』ということらしい。

 

 景色を眺めながらも、蔦を握っている手をテンポ良く緩め、レンジャー部隊よろしく壁を下って――剥き出しとなっている土の地面へと静かに着地した。

 慎重に周囲を見渡してみるが、静まり返っていて誰かに見られた様子は無い。

 

 こんな場所に早々人なんていないか……


 現在俺達がいる場所は、防壁と民家との隙間とも呼べる場所。さらには大通りからも外れているし、時刻だって非常に遅い。人の気配が無いのもある意味で当然と言える。


〈リーンは少し周囲の様子を伺ってくれ、ドリーは予定通りで〉

〈了解よ〉

『ではっ《アース・メイク》』


 人が二人並んで通るのがやっとの空間で、樽や残骸などを避けリーンが周囲の警戒を開始、ドリーは屈んだ俺の外套内に隠れ地面にアース・メイク、ドンドンと下方へ穴を開けていく。


 既に手馴れた穴掘り活動――ある一定の深度まで進んだことを確認した俺は、見張りに立っていたリーンを中に呼び寄せ、空気孔を残し出口を塞いだ。

 

 最近地中に篭ってばっかだな、モグラかよ俺は……。

 

 ブツクサと文句を言いながらも更に下へと深め、やがて満足がいく深度まで到達。

 動けるだけのスペースを確保して、一度周囲を見渡した。

 長さこそ多少あるが、武器はギリギリで動かせる程度の横幅、地中深くにまで埋もれている防壁を残こして、残りは当然の如く土壁。

 どうにも圧迫感がある空間だ。

 

「じゃあ、ドリーは空気孔を取りあえず塞いでくれ音が漏れる。リーンは振動軽減の魔法を全ての壁に、防壁側だけは蝶子さんつきでな。後は、俺の武器にも蝶子さんを頼む」

「わかったわ。でも……拠点製作が終わってからも穴掘りするとは思わなかったわね『バイブレート・リダクション』」

『ふみゅ……私は結構楽しいですよっ? 《アース・メイク》』


 やれやれと頭を振りながら、リーンが全ての壁に土魔法の振動軽減をかけ、ドリーが俺の首に巻きつきながらも残っていた穴を適度に塞ぐ。


「蟲毒から延々土の中だった俺としては、やっぱ外がいいけどな『エント・ボルト』」


 ヒラリと舞った蝶子さんが、水晶武器に取り付いたことを確認して、俺はエントを発動。

 暗い土の中で瞬く紫電の輝き。たった一度のエントを掛けただけで、武器の刃先が振動を始めた。

 

 やっぱ蝶子さんがいるとかなり魔力の消費が抑えられるな。

 

 蝶子さんの助けによって、ボルトがサンダーボルト程度にまで威力があがり、一度の魔法で能力が開放出来るようになっていた。

 簡単に言えば、ボルトで発動するよりも五発分のお得となる。


 正直、魔印ストック空きがある人にとってはどう考えても下位分の魔法だけ損なのだが、中級魔法なんて入れる余裕の無い俺からしてみれば、随分と助かる話しだ。


 最初の頃は、下位魔法と中位に威力の差がありすぎじゃね? などと不満タラタラだったのだが、リーンの親切な説明を受けて納得した……というかさせられた。


 元々下位魔法というのは、魔法の発動という結果だけをみると、かなり魔力消費に無駄があるのだそうだ。

 理由は至極単純で“下位魔法の容量の多くが、発動、呪文短縮、などなど、細かい基礎で使用されてしまっているから”


 魔力の多くもソチラの使用に持っていかれてしまうので、結果的に、本来の下位魔法の消費魔力より多く掛かってしまうのだとか。

 それが中位魔法になってくると話しが違う。

 基礎は下位分のスペースで大方完成しているので、余りを威力向上、範囲拡大に当てられる。

 それもあって、下位と中位では決定的な差が出てくるということらしい。


 よくリーンがそんなことを知っているな、と少し疑問に思ったが、即座に『ゲイルさんがいたか』と自己完結した。

 きっと、いや間違いなく延々とリーンにその話しを聞かせ続けていたに違いない。


 久しぶりに会いたいなーなどと思いながらも、俺は武器の切っ先を目の前の防壁へと刺し込んだ。


 防壁に穴を開けて、外に繋がる地中の抜け道を作っていく。

 人様の国に勝手に穴を開けるのはどうかと思うが、毎回シルクリークに入るたびに壁を越えるのなど鬱陶しいことこの上ないので、仕方ない。

 

 問題が解決したら塞げば済む話だし、と俺は気にせずにガンガン掘り進めた。


 穴の中に響き渡る切断音。

 防壁は思いのほか硬く、結構な騒音が反響している……が、外に聞える心配は無い筈なので、俺が我慢すれば良いだけだった。

 音というものは空気や壁を振動して伝わっていく――それを防ぐための、振動軽減であり、空気孔の閉口だ。


 もちろん酸素がなくなってしまうので、定期的に空気を入れ替えなければならないので、面倒にはなるのだが、見つかるよりは断然マシだ。


 と、分かっていつつも、ウンザリした気分は無くならない『頑張れー、俺―』などとブツブツ言いながら掘削作業を続けていった。


「ぁぁ……風呂を作ったときの記憶が蘇る」

「やめてよメイっ、思い出しちゃったじゃないっ!?」

『あれ、でもリーンちゃんって、途中で寝ていましたよね?』


 てめえ、マジかよっ!?

 

 ドリーの暴露を聞いて急いで視線を向けると、リーンは口をギュッと引き絞り『何も聞えません』と言わんばかりに両手で耳を塞いでいた。

 こ、この野朗……。


 壁を切り取りながらも、俺は足元の土をゲシゲシと蹴り上げリーンに飛ばす、が全てヒラリヒラリと無駄に華麗な動きで避けられ、挙句の果てに『どうだ』と自慢気な顔を向けられる。

 

 凄く……凄くムカつきます。


 手は休めずに、リーンに向かって延々と土を蹴り飛ばし、俺は無駄に体力を消耗しながら、夜を明かしていった――。



 ◆



 溜息を吐きながら時計で時刻を確認すると、朝の四時を示していた。

 朝日が登っていない内に外へと繋がる隠し通路と隠し部屋が、簡易ながらも完成したことに、思わず安堵の気持ちが湧き上がる。


 都市外の地中に作られた八畳ほどの広さの空間――そのすべての壁が一部を残し、リーンの『チェンジ・ロック』によって変貌し、灰色の岩肌を晒していた。

 部屋の隅には樹々が飲めるようにと用意された水溜めと『グロウ・フラワー』で生やした果物の生った木。

 天井には目立たぬ程度の空気孔、雨が降ったときのことも考えて、地面は少し斜めにしてあり、先には深い水抜き穴。


 余程の大雨でもなければ問題はないだろうし、仮に大雨が降っても、俺かリーンのどちらかが毎晩ここに帰ってくるので、特に心配する必要は無い。


 都市外に出る時は一々『アース・メイク』を使用しないといけないので、まだ結構不便ではあるが、短時間ではここまでが限界だ。後々材料を買い揃え、少しずつ改良していくほかないだろう。


 しっかし、拠点を区域内にしたのはやっぱり正解だったな。


 湿度の高い地下室――陽光届かぬ石倉は、どこか牢獄のようにも見えて、余りいい気分はしない。

 リドルにいた当初は『地中に拠点を作ってしまおうか』とも考えていたのだが、流石に出入りが激しくなれば危ないし、空気孔から声が漏れてしまうので、大声も出せずに面倒だ。

 

 外に出る時は顔を隠し、細々と太陽の届かない地中で延々と過ごす――なんて、やはり居心地のいい場所とは言い難い。

 ただ、一番ココで過ごさなければならないだろう肝心の樹々は、湿度あるこの空間をそれなりに気に入っているらしく、布を下に敷いてスピスピと丸まって寛いでいる。


 トカゲって結構ジメジメした場所が好きだったりするのだろうか?

 

 その辺りのことは聞いてみないと分からないが、樹々が気にいっているのならば御の字か。


「さて……きついけどさっさと準備を終わらせて外に出るか」

「そうね、太陽でも浴びれば眠気も覚めるでしょうしね」

『では私は外の様子を少し見てきますねっ』

「おう、すぐに行くから待っててくれ」


 シャカシャカと都市内へと向かう通路を進んでいくドリーを見送り、俺とリーンは黒い外套を脱ぎ捨てて、さっさと砂色のモノへと着替えていった。

 徹夜明けで疲れてはいたが、ゆっくりと寝ているわけにもいかない。都市内の様子を探り、理由もあって宿だって取らなければならないし、買い物をしたり、情報を集めたりと、やることが山積みだ。


 頭部と口元を隠すように布を巻き、蒼鋼の槍を手に取る。既に水晶槍斧とメルライナの大剣は、湿気が入らないように皮布で包んで土の中。

 二級区域の拠点に帰宅するまで、手に取ることはないだろう。ある意味でもう一人の相棒とも呼べる武器を手放すのはかなり不安ではあるが、こればかりはどうしようもない。


 手荷物の殆どをここに置き去り、背に槍を背負う。肩から掛けるタイプの荷物袋だけを用意し、俺達はドリーの待つ場所へと向かった。


 通路の最奥、都市内部に通じる非常口にも似た四角の縦穴を、壁に刻まれている凹みを掴み、そして足場にして登る。

 もう少し上がるのに苦戦するかと思っていたが、石の梯子は思いのほか登りやすく、難なく俺は最上段にまでたどり着いた。


 天板とも呼べる、モンスターの素材で補強された木板に手を掛け、合図を待っていると、

『相棒、今ですよっ』

 十秒ほど経った後、指だけ出して外の様子伺っていたドリーの声が俺の耳に届いた。


 天板を横にずらし、外へと向かって這い出るように身を進ませ――リーンが続いて外に出たのを確認し、すぐさま天板を元に戻して土を被せ偽装を施す。

 一度、二度、確認の為に地面を踏みしめてみるが、そこまで違和感もないし、人が乗っても壊れそうにはない。わざわざこんな場所に入ってくる奴もいないだろうし、大丈夫だと思ってよさそうだ。


〈リーン、目印は?〉

〈そこの防壁に小さくつけておいたわ〉

〈よし、じゃあさっさとここから移動するぞ〉


 ヒョイと飛び乗ってきたドリーを肩に、俺とリーンは互いに頷きを交わし、狭い民家裏から静かに進み出る。


 砂の建材で象られている四角い町並み、高い防壁の先から陽光の明かりが仄かに垣間見えていた。

 裏路地のような狭い道を、リドルで買ったシルクリーク内の簡易マップ片手に練り歩き、高所から見た大通りを目指す。

 朝靄がユラユラと漂い、土と湿気の匂いが鼻につく。


 雨が近いのだろうか?


 天気は曇り、陽光を全て遮るほどの厚みを持っている訳ではないが、雨が降ってもオカシクはない天候だ。都市に入った今となっては出来れば晴れて欲しいところだったが、そう上手くはいかないかもしれない。


「結構人が少ないわね」

「時間が時間だしな。大通りに出れば少しは増えるんじゃないか?」

『あ、相棒そこは右みたいですよっ』

「お、悪いな助かるよ」


 ドリーの言葉に従い道程を進み、その順路を地図へと書き込んでいく。自分一人であればここまでする必要はないのだが、しっかりと書き込んだものを作ってやらねば、リーンが迷子になる。

 彼女に任せると訳の分からない芸術作品にされてしまうし、俺が書き込んだものを丸写ししてやったほうが無難だろう。

 リーンには『余計なことは書きこむな』『書いてある通りに進め』と言ってあるので、さすがに迷いはしない筈だ。


 大体、こいつは元々方向音痴ではない。クレスタリアの時だって、リドルの時だって、一人で出歩いてもしっかりと帰還を果たしていることから分かる。

 ただ無駄に頑張ると色々とすっぽ抜けるのと、感性が人よりアクロバティックなだけだ。

 しいていうなら思考の方向音痴といった所だろうか。


「どうしたのメイ? 妙な目つきでこっち見て。やだ、地中にいたし髪形でもボサボサになってる?」

「大丈夫だリーン、別に“髪”はオカシクない」

「……そう?」


 ペタペタと頭を撫でつけながら、首を傾げているリーン。というか、何故頭に布を巻いているのに髪型がオカシイと思ったのが、俺には不思議でならなかった。

 ただ、一々突っ込んでいてはきっと日が暮れるだろうし、ここはサラリと流すのが大人の対応に違いない。


『リーンちゃん、私の髪型も変じゃないですか?』

「大丈夫よドリーちゃん。バッチリよっ」

「おいお前ら、まず髪がどこにあるかを教えてくれ」


 クネクネと頭部を動かし自分の身体を見ようとしているドリーと、なんの躊躇いもなく答えたリーンに、俺は思わず口を挟んでしまっていた。残念ながら、俺はまだまだ大人にはなれなかったようだ。


「メイったら、女性の身だしなみは大切なのよ?」

『そうですよっ。ふっふっ、いかに相棒と言えども、女の子の気持ちまでは知りえないようですね』


 なぜだ……どこをどうしたら今の流れで俺が駄目だという結論になるのだろうか。 

 キャッキャと楽しそうに話しを続けるドリーとリーンを見て、俺は戦慄を覚えざるを得なかった。


 安穏な話を続けながらも、十分ほど狭い道を進んでいくと、大通りとも呼べそうな広い道へとぶち当たった。

 喧騒こそ余りないが、店先などで忙しなく準備をしている人達の姿が視界に入る。談笑しているような人達は見当たらず、表情には少し怯えが混ざっているように感じた。

 俺とリーンの外套姿を見て、ビクリと驚きに表情を染める人々――そして一様にこちらの姿を確認しては、安堵の色へと変えている。


 砂色の外套など別段珍しい色ではない。それなのにこの反応が返ってくるということは、それだけ〈ファシオン〉の影が住民の脳裏に焼きついていると言うことか。

 

 やっぱり普通に情報集めは無理そうだな。


 怯え、恐怖、その感情はとても心に根付くものだ『ペラペラと口軽く情報を話して、もし自分の身に被害が及んだら?』きっとそんな考えが頭に浮かんで口は自然と重くなる。

 ただ、俺としては“目立つ”ってのも一つの目的ではあるし、答えてくれないと分かっていても聞かずにはいられないのだが……。


「メイ、取りあえず二手に分かれるって感じでいいのよね?」

「そうだな。リーンは宿を取って二つある大通りの近いほう、俺は少し先の大通りで色々店を回りながら聞き込み……って所だな」

「じゃあ夜にそこにある酒場で待ち合わせしましょうか?」


 リーンの差し示した先には、一軒の酒場。こんな時間に開業している筈もなく、戸は締め切られているが、中々に店先は大きく目印には丁度よさそうではあった。


 夜まで情報集めて、飯を食いながら意見交換って感じで良いな……。


「わかった、じゃあこれリーン用の地図な。絶対何も書き足すなよっ」

「あらそう? 細かい情報とか追記しておいたほうが便利だと思うのだけど」

「止めてくださいお願いしますっ。これさ、あれだから、俺の練習でもあるから!

 だからあえて、リーンの力を頼らない感じな訳だよ……な、わかるだろ?」

「そう? メイったら頑張ってるわね。なら触らずにおくわ」


 ありがとうございます。俺の為に絶対に触らないでおいてくださいっ。

 やはりコイツの説得には『本当は頼りたいけど、あえて我慢しているんだ』的な雰囲気を出すのが一番いいようだ。

 随分と扱いに慣れてきた自分に、思わず乾いた笑いを向けた。なんというか、気分は猛獣……いや珍獣使いの気持ちです。


 とはいえ『リーンだったりラングだったりが凄く普通になってしまったら、随分寂しくなるな』などと考えてしまう辺り、俺も俺で結構重症なのかもしれない。



 リーンと分かれ――俺は、様々な店の位置を確かめながら、大よそ三時間ほど歩き回った。

 時間が流れるにつれ、走破者の姿や買い物をする住民達の姿が増し始め、建材を運ぶ荷馬車や、積荷を載せた押し車を引いている人達が通ったりと、大通りの喧騒さを感じさせる雰囲気にはなった。

 が、やはり亜人の姿は殆ど見当たらない。


 時折外套に身を包んだ亜人……らしき姿は確認できたのだが、三時間歩いて『そうかな』と思えるのが数人程度。

 少ないとは予想はしていたが、こうやって実際に見るとかなり違和感がある。

 

 やっぱり面倒なことになってんな。反抗勢力全滅とかなってなきゃいいけど……いや、この兵士の数から考えると、それはなさそうだな。


 大量に――というわけではないが、今まで見てきた都市と比べると、明らかに見回りをしている兵士の数が多い。

 恐らく反抗勢力が残っていて、それを探しての見張り強化といったところだろう。

 俺も何度か兵士の横を通り過ぎるときに、訝しげな視線を向けられていたし、ほぼ間違いない。


 これは下手に隠さなくて正解だったか……。


 俺は自分の服装を改めて“着崩す”ように直し、兵士の視線を上手く逸らせていることに胸を撫で下ろした。

 外套や頭部を巻いている布をわざと緩める――これは自分の身を隠す為には非常に大事な要素であると俺は思っている。


 基本的に亜人の多くは頭部に耳を持っていたり、肌に体毛があったり鱗があったり、尻尾があったりと、すぐソレと分かる特徴を持っているものが多い。

 つまり、頭部を覆っている布を緩め、耳が生えている位置を見せたり、外套の前をある程度開いたりとすることによって“俺が亜人ではない”と遠目から判断させているということだ。


 全てを隠すから怪しい。ある程度推測できる情報を与えてやると、人は勝手に考えを進めてくれる。


 普通ならそう上手くもいかないのかもしれないが、今回は環境も味方してくれていた。


 元々この辺りは、土の性質の所為で土埃が舞い易い環境らしく、普通の住民でも口元を布で覆っている人も多い。それもあって、遠目で人だと分からせさえすれば、態々顔を晒せと問い詰められることが無い。

 普通に考えれば当然か。一々外套を着ている人達を問い詰めていたら、幾らやってもきりがないのだから。


 ただ、歩き回っていて注意すべきことも見つけた……ファシオン兵は明らかに異質だと言うことだ。

 シルクリークの一般兵的な兵士と、ファシオン兵の違い。これは少し遠めから見ただけでも十分すぎるほど理解出来た。

 

 ただ通るだけで、住民の空気が張り詰め、喧騒が一気に静まり返る。

 明らかに一般の兵士の時と住民の反応が異なっていた。


 最初の印象は一言でいってしまえば“不気味”だった。

 砂色の軽装戦闘服。口元を決して見せないようにきつく捲かれている布。

 覗かせている双眸は感情を宿していない冷たい瞳。


 愚痴も零さず、クスリとも笑わず、足並み揃えて見回りをしているあの兵士は、見ているだけで、妙なおぞましさを感じさせる。

 

 ――近寄るべきではない。

 ドランの話しなどで、早めにそれが分かっていたこともあり、俺はファシオン兵を見つけた場合は、なるべく近づかないように進路を変えることにしていた。


 もし仮にファシオン兵に捕まり調べを受けた場合、その状況によって判断しようと考えている。

 

 人目の多い場所の場合は、素顔を晒さぬ程度に指示に従い、それでも駄目なら即座に逃亡。

 逆に少ない場所であれば、一度素顔を晒して相手の出方を伺ってみるのも良いか……微妙にこの辺りは危険な匂いもするが、これを行えば後々動きやすくもなるので悩ましいところだ。


 こちらの顔に気が付き連行しようとするなら、情報が末端にまで行き届いていると予測を付けられる。その場合は、そのまま大人しく捕まるわけにはいかないし、目撃者の〈ファシオン兵〉を即座に斬って逃亡するしかないだろう。

 特に反応が無ければ、俺はすぐに開放されるだろうし、その後の安全性がある程度確保できる。


 外套なんかは幾らでも変えられるし、逃げてしまえば後はどうにでもなる。


 最初は『相手は化け物だし、なにやってくるかわからん。兵士に顔を見せたらその瞬間こちらの位置がバレルんじゃ』……とか恐れていたが、良く考えればその可能性は殆どないことに気が付いた。

 というのも、シャイドの頼みかどうかは定かじゃないが、ラッセルは別枠で俺の所在を突き止める動きを見せていた。

 もし俺の心配するようなことが出来るのだったら、ラッセルが態々と避難所にまで来る必要性がない。

 

 大体……暴れていたファシオンを止める為にラッセルが焦っていたって時点で、かなり命令系統がグチャグチャで、定まっていないことが分かる。


 王とシャイドの関係性は一体どうなっているのだろうか? と色々疑問は尽きなかったが、その辺りは少しずつ調べていくしかなさそうだ。


 人気が大分多くなってきたし、余り考え込みながら歩いていると危ないな――と意識を戻すと、

『相棒、これからどこに向かうのですか?』

 それを待っていたのか、ドリーが蛇頭をフラフラ揺らしながらこれからの予定を尋ねてきた。


〈取りあえず……リッツに頼まれたものもあるし、買い物は早めに済ませておきたいな。

 それが終わってから色々店回りながら情報集めたり、亜人探したりしてみようか〉

『おお、了解ですっ』


 肩でウネル相棒の元気のよさに笑顔を向けて、俺は今日の予定をこなすために、少しだけ足並みを早めて雑踏を抜けていく――。





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