拠点確保と拝まされる朝日
土埃混じりの乾いた風が、砂色の外套に孕み、抜ける。
足並みを揃わせた馬と竜の足が大地を叩き、テンポの良い足音を俺の耳に届かせていた。
時刻は朝を少し過ぎた位か、雲は少なく太陽も顔を出しているので、気温自体は暖かいはずなのだが、向かい風の所為もあって体感温度は低く感じる。
もうそろそろ着く筈なんだけどな。
ドランが空を舞ってから五日。
走る速度と距離から考えても、もう目的地に到着してもオカシクはないのだが、二級区域の特色でもある崖と森は、未だ姿を表す様子がない。
視界一杯に広がる、乾いた大地と、大小さまざまの砂岩。
細かい亀裂が走った地面は、古くなり剥がれ始めたペンキの壁を連想させる。
ここは広大な砂岩地帯。乾燥したシルクリークの気候がよく分かる光景だった。
頭部から口元にかけて――グルグルと捲いていた布をグイと引っ張り、位置を直す。
出来るだけ顔を覆ってやらないと、風に運ばれた土埃が入ってきてしまい、非常に鬱陶しいことになる。
思わず『やっぱり馬車が欲しいな』などと愚痴を零しそうになった。
とはいえ、地形自体は起伏が弱く平らな地面が多い。移動時の揺れも軽度で済むので、楽といえば楽なのかもしれない。
揺れ――といえば思い出すのは、やはり後方に引きずられているドランのこと、俺は様子を伺うために、ロープから手を放さないようにしながらも、後方へと振り返った。
視界に映ったのは、ソリのように引きずられている金属箱とその上のドラン。
更にその後方では土埃が盛大に巻き上げられていた。
起伏が少ないといえども、未だ揺れはある。箱が跳ねるたび、無駄に行儀良く座っているドランの巨体も縦にガッタンガッタンと動いている。
「ドラン、居心地の方はどうだっ?」
「おおメイどん、大丈夫だでっ! 樹々どんも落ち着いて走ってくれてるから、オラとしては助かるだよー」
試しにドランに声を掛けてみると、片手を上げて特に慌てた素振りもなく返答してきた。
一番にドランを襲った恐怖体験。
きっとそのお陰で、今程度の揺れなんてドランの中では『最初よりはマシ』となってしまっているのかもしれない。
余裕が出るのは良いことだ。でも何故だろう……素直に良かったね、とは言えなかった。
「ったく、もう暴れるなよな樹々」
〈ギャっ〉
俺が前方で揺れていた樹々の頭を軽くはたくと、不満の声と、ぺシィといった小気味良い音が後方に流れていった。
飛ぶような速度で元気に走り続けている樹々。
ドランを空に舞い上がらせるほどに駆け回った彼女は、今ではすっかり落ち着いてくれたようで、俺の指示に従い速度を落としてくれるようになっている。
「あ、樹々触ったら砂がついちまった」
『おお、まだ結構取れやすいのかもしれませんね。相棒、下手に触ると剥げてしまいますよっ』
握っていたロープから片手を離し、手についた砂を払う。そんな俺を見て、肩上で風に煽られ遊んでいたドリーが忠告を入れてきた。
んー、まだ乾ききってないかもな。
ガラス細工でも触るかのように優しく樹々の首元を撫でてみる。
指先にザラリと砂の手触りが伝わった。目の細かい紙やすりのような感触だ。
樹々の鱗は綺麗な緑色で、硬くはあるが、ガラスのようにツルツル。
本来はこんなザラザラとしたものではないのだが、今の樹々はなんというか……砂塗れだった。
走っていたらそうなるのも当然? いや違う。これはわざとそうなるようにしておいたのだ。
緑色の大きな走破竜。その全身は余すことなく砂色に染まっている。
鱗の線も消えるほど、ゴツゴツとした鋭角なフォルムも少し丸く見えるほど。
三級区域を越えた直後から樹々の見た目は見事に変貌してしまっていた。
理由は“目立たないように”と、俺達の変装と同じようなものだ。
ドリーに育ててもらった粘々の樹液を出す植物。
それを大量生産し、樹々の全身にまぶす。後はドリーと一緒に砂をキャッキャと言いながら掛ければあら不思議、砂色迷彩の走破竜が完成だ。
これなら遠目から見れば、この辺りに生息しているというトカゲ型のモンスターにも見えなくもない。
実際、そのモンスターを手なずけ、足にしている人達もいるのだから、これはこれで立派な偽装になっているだろう。
ただし、近くまで寄られて確認されれば、明らかに走破竜だと分かるので、このまま都市内部に連れて行くのは厳しいものがある。
都市内に入れるだけなら結構簡単なのだが、絶対にバレナイようにするのはやはり不可能に近い。
恐らく樹々を都市内部に入れるのは、シルクリークに拠点を構えてからになると思われるので、その間は、樹々には悪いが多少我慢してもらうほかないだろう。
砂がつくのも構わずに、樹々の首を撫でてみると、嬉しそうな声音が響いた。
いや、なんとも可愛い奴だ。
もっと遊んでやりたいとも思ったが、余り調子に乗っていると樹々のテンションが上がってしまい、後方のドランがフライアウェイしてしまうので、なくなく諦めることに。
『メイちゃんさん。またモンスターさんが』
「あ、本当だな」
右前方に指を差し向け、ドリーが特に慌てた様子もなくそう言った。
示された方角に視線をやると、確かに樹々より少しばかり小さい砂色のトカゲが、四体程こちらに向かってきている。
この辺りに生息している『サンド・リザード』という名前のモンスターだ。
樹々の見た目が二足歩行のドラゴンだとすれば、あいつ等は完全にトカゲ。
鱗の凹凸も少なく、丸みを帯びた顔つきと鋭い牙。チロチロと伸ばされている長い舌はどこか蛇のように見える。
やはり遠目ならいいが、改めて見ると、樹々の姿はこいつらとは似ていないな。
『こちらに来ていますが、魔法で倒しましょうか?』
「いや、取りあえず放っておけば良いよ。どうせリッツの奴が……」
と、そこまでドリーに言った所で、聞きなれた銃声が四連続で響き渡った。
空気を裂くように放たれた白い魔弾――空気を揺らす悲鳴と、地面を汚す脳漿。
「ったく、こいつらって、何回も何回も来てしつっこいのよっ」
実に呆気なく砂岩地帯に四つの血溜まりを作り上げた我が家の狙撃手は、馬の後部で魔銃を肩に担ぎ、誰に向かってか分からない文句を飛ばしている。
さすがというかなんというか……。
予想通りと言うべきか、戦闘に入ることすらもなく、砂トカゲは全滅。
馬の足を止める必要を微塵も感じさせない見事な手並みだ。
コレまでも何度か同じモンスターに襲われていたのだが、毎回似たような結果となっている。
最初こそ命結晶と“ドリーの為に必要”な素材回収もあって、一回毎に足を止めていたのだが、既に必要分は集まっているので、もうスルーして駆け抜けることにしていた。
勿体無い……と少し思わなくもないが、死体はきっと他のモンスターや小動物の食料になるだろうし、無駄になることはないだろう。
『むむ、メイちゃんさん……お水の香りがしていますっ。』
「はあ? ドリーって鼻ねーじゃん。どうやって臭い嗅いでるんだよ」
『え? お花に決まっているじゃないですかっ。あ、ほらほら、あちらからですよっ』
駄目だ、ドリーを知れば知るほどに謎が深まるばかりです。
高らかに上げられたドリーの人差し指が、ビシッ、と軽やかに下ろされた。
目標は、崖のように連なり立っていた、巨大な砂岩の壁。
本当かよ……。
猜疑心の塊のような眼差しをソチラにやりながらも、俺は樹々の速度を上げ、リーン達を先導していった。
馬蹄の音のテンポが上がり、速度が徐々に加速。
砂岩で作られた自然の城壁を、沿うようにして進み、壁が途切れた場所から回り込むように、抜ける――
「ぅ――おお――これは、また」
無意識の内に感嘆とも感動ともつかない声が口から零れた。
壁を境に世界が変わっている。俺の眼下にまったく別の区域が広がりを見せていた。
「メイ、どうやら着いたみたいね」
『メイちゃんさんっ、素晴らしい景色ですっ』
崖の淵で馬と樹々が足を止め、リーンが朗らかな笑みを浮かべて足元を覗き込み、ドリーは実に楽しげに、腕を風にそよぐ稲穂の如く波打たせた。
素晴らしい景色。間違いなくそう言いきれるものだ。
地面の上にいた筈が、気がつくと崖の上。
そう錯覚してしまった原因は、前方の地面が突如として消失してしまったせいだろう。
崖の上から下に広がる区域を、呆然と見渡す。
丸く陥没したかのように形作られた区域、それはまるで巨大な丸い型抜き器で地面を抉り取って作ったかのようだった。
一帯に広がる樹木の絨毯。
恐らく湧き水なのだろう水源が、その布地に青い絵の具をポタポタと垂らしたように点在している。
エリアを区分けするかの如く――樹木よりも尚高い砂岩の崖が、地面に走った亀裂のように走っていた。
好き勝手に聳え、乱立している砂岩の塔と、空を飛んでいる奇妙な鳥の群れ。
むせ返るような植物の匂いが鼻腔を擽り、獣の雄叫びと、鳥の鳴き声が、空気を振動させながら俺に存在を示してきた。
息を呑む。肌が自然と粟立った。
自然が作り出した美しさに抵抗する間もなく目を奪われ、離すことが出来ない。
人では絶対に作り出せない天然の造形は、長い月日を掛けて今に至ったのだ、と無言で俺に語りかけていた。
「ねぇ、ねぇクロウエ。ちょっと見なさいよあの鳥、凄い間抜けな顔してるわ。
あはは、アンタにそっくりじゃないっ」
「てめえリッツ、人が感動に浸っている時に邪魔しやがって。何が俺にそっくりだ、見ろよあの白い羽、まるでどこかの白毛玉ですね」
さも楽しそうに俺の肩をバシバシと叩き、前方の空を指差し笑うリッツ。
棒立ちになっていた俺は、はっと意識を戻し、いつもの如く言い返した。
最近ではそれなりに慣れ親しんでいる日常の光景だ。
少しの間、リッツとどちらが空を飛んでいる間抜けな鳥に似ているか、などとを押し付け合っている……と
「メ、メイどーん……なんか、あの鳥少しオカシイかなーとかオラ思ったんだけど」
ドランが頬を引きつらせ、恐る恐るといった声音で話しかけてきた。
「なんだドラン。一体どうしたん……だぁ!?」
笑いながらドランの見ていると方向へと顔を向けた俺は、圧倒的な違和感を目に、驚きの声を上げてしまった。
白い羽で象られた翼、カギ爪のような嘴と赤い鶏冠と顎下でプラプラと揺れているヒダ。
クリクリと丸い瞳の、間抜けな顔つきの白い怪鳥。
姿形はどう見てもニワトリのそれ……なのだが、明らかに縮尺が在り得ないものだった。
全長七メートル、尻尾とも呼べそうな尾羽まで入れると八~九は有りそうな馬鹿でかいニワトリ型のモンスター。
それが、鷹のような鋭い二爪を構え、こちらに向かって真っ直ぐに飛んできて、そのまま襲い掛かってきた。
「くそ、そういえばここ危険区域だったっ」
「馬鹿クロウエ、何で今思い出したみたいに言ってんのよっ」
「うるせえリッツ、お前も大して変わらんだろっ」
ギャーギャーと言い争いをしながらも武器を抜き構える。
「メイ、見て、あのモンスターの背中っ! “恐ろしい”敵が乗っているわ」
悲鳴のようなリーンの声に緊張感が一気に駆け巡る。
全身に力を漲らせながらも、俺は視界を動かし敵の背中に視線をやった。
位置取りが悪く姿までは見えないが、確かに今もこちらに向かってきているニワトリの背中には、複数のナニカが乗っている様子。
「コ――ケ――ケェエエエエッ!!」
「はあッ?」
怪鳥の叫びが上がる、と同時に背中から六つの塊が空へと舞う。
黄色いモコモコ、無駄に間抜けな顔つき。その正体は一メートルほどもあるヒヨコだった。
「っく、メイ……駄目よ。私には攻撃できないわ。恐ろしい……なんて恐ろしい敵なのかしらっ」
「リーン、馬鹿だろお前、本当馬鹿だろお前ッ」
青い空に飛び立つ白いニワトリと、六匹のヒヨコを見て、リーンが青ざめさせた顔を『いやいや』と横に振っている。
どうもあのヒヨコの姿を気に入ってしまったようだ。
ウサギっぽい奴とか平気でばっさり切るくせに、なんであの腹立つ顔したヒヨコは駄目なんだ。
『相棒っ、私もあのトリさんに乗ってみたいですっ』
「お前もかドリー!? って、危ねぇっ」
「ケェ――ッ!」
ヒヨコに乗りたいとねだるドリーに返答している最中に、迫ってきたモンスターの姿に気が付き、俺は即座に右方へと飛んだ。
白い怪鳥の嘶きと、カギ爪が地面を抉る破壊の音が響き、一拍の間を置き――ヒヨコが先ほど俺がいた場所に降り注ぐ。
ガッ、ガッ、とダーツが的に刺さるかのごとく、地面に突き刺さる黄色い弾丸。
逆さまに生えたような間抜けな姿は珍妙といった言葉が相応しい。
……意味不明過ぎる。大体、何でヒヨコが空飛んでるんだよっ……いや、ニワトリも可笑しいのか?
そんな暢気なことを考えている間にも、獲物を捕らえることが出来なかったのデカヒヨコ達が、こちらに向かって『避けるなっ』と言わんばかりピヨピヨと鳴いていた。
ジタバタと黄色の翼を振りかざし暴れているその姿は、まるで子供の癇癪のようだ。
む、無駄に凶暴だなこいつら。
恍けた顔の割には速度もあり、滑空の勢いを乗せての突撃は、地面を易々と砕くほど。
二級区域に生息しているモンスターだけあって、さすがにそれなりの力は持っている。
〈ギャーっス〉
だがしかし、凶暴さだけなら家の子も負けてはいなかった。
先ほどの突撃を軽々と避けていた樹々が、不機嫌さを隠そうともせず、一羽のヒヨコに向かって爆走。
ヒヨコの目前で、右脚部を軸に半回転させ、勢いを乗せた尻尾をしならせ、鞭打。
バチッ、と痛烈な音が空気を裂き、直撃を受けたヒヨコがコロコロと地面を転がり吹き飛んだ。
「ああ、私のピョライダーがっ」
『ピマワリちゃんがっ』
「お前ら妙な名前付けるのやめろっ!?」
ヒヨコにバッと手を伸ばしたリーンとドリーに呆れ混じりの声を投げ付け、俺は七匹のモンスターへと視線を戻す。
威嚇するかのごとく羽を広げたニワトリ一家、ダカダカと地団駄を踏んでいるその様は、緊張感の欠片もない。
というか、元々そんなものはなかった、ともいえる。
仮にもコイツラは二級区域のモンスターではあるのだが、今の一撃や速度を見る限り、俺達の敵ではないことが分かっていた。
それもあって、リーンとドリーもヒヨコに名前をつける余裕があるのだろう。
ドランも特に腰が引けている様子もなく、リッツは『どうするのアレ』とこちらに戸惑いの視線を投げかけている。
樹々に至ってはヒヨコ二匹をゴロゴロ蹴り転がしている始末。怯えているのは荷物を抱えた馬くらいのものだろうか。
しかし、意外とやるな樹々の奴。
走破竜の身体能力の凄さはドランの実体験もあって分かっていたが、あそこまでとは少し予想外だ。
樹々のご先祖様は余り強くなく、戦闘には向いていない――みたいな話しを聞いたことがあったのだが……。
アレは話し自体が間違っていたのだろうか?
それとも単純に樹々が強いのか?
俺の予想では恐らく後者ではないかと睨んでいる。
走破竜は精霊様の影響を受けやすい、とリドルのオバちゃんが教えてくれたし、ドリーの魔力が篭った食事のせいで、何かしらの変化があった可能性も……。
妙に賢いもんな樹々。
暴れまわっている樹々はしっかりと相手の行動を理解して、戦っているとしか思えない。
樹々の勇士を眺めている内に、ふと『へへっ、凄いだろ?』と誰かに自慢したい衝動に駆られたが、話そうにも俺の周りにいるのは仲間だけなので、自慢しても『知っている』と返されるのがオチだったので諦めた。
「メイどーん、これどうしたらいいのけ、リーンどんと、ドリーどんが……」
荷物が括られているせいで、武器が使えなくなっていたドランは、怯えている馬の面倒を見ながら、困った顔で俺に指示を仰いできた。
ドラン用に買った代えの武器もあるにはあるが、今は紐で落ちないように括り付けているし、直ぐには外せないと判断したのだろう。
さてどうすっか、確かにこいつら倒すのは若干気が引けるんだよな。ドリー達も気に入っているみたいだし……。
空に飛び上がっては、滑空を繰り返す白いニワトリとヒヨコの戦隊。
リッツやリーンは一先ず避けながら様子を伺っていて、ヤル気一杯なのは樹々のみ。
砂塗れの走破竜と、ヒヨコの乱戦。
なんとも妙な雰囲気の戦闘行為が眼前で繰り広げられていた。
人の半分は実は優しさで出来ているって聞いたことがあるし、時には見逃してやることも必要かもしれない。
ふっと俺の脳裏に湧いた慈愛の心……と、優しさ以外の残りからきた考え――。
今相手しているのはニワトリ、つまるところチキン。
一般的にこの言葉を聞いて連想するのは一体なんなのだろうか?
きっと、間違いなく――
「ドラーンッ、今日は鶏肉祭りだっ! 絶対に逃すなよッ」
美味しい鳥料理のことに違いない。
残念ながら俺の半分は優しさで出来ているわけではなかったので、なんの躊躇いも無く今日の夕飯を得る為に動き出した。
「まてや、フライドチキン……は無理そうだから、焼き鳥ッ」
「――ピッ!? ピィィィ」
目の色を変えて追い回し、一匹のデカヒヨコに向かって槍斧を繰り出す。
が、惜しいところで、獲物が空へと飛び上がってしまい、躱されてしまう。
っち、あと少しだったものを……。
「ちょ、メイ、待って。せめて逃してあげましょうっ、ね?」
「ばっきゃろいっ! 甘いぞリーンっ、この世は弱肉強食だ。襲い掛かってきた食材……もといモンスターを逃してどうするっ。
大体ヒヨコを見るから駄目なんだよ。発想を転換してみろ、鳥肉の煮込み、スープ、ステーキだって良い。
このでかい食材をドランが美味しく調理してくれるんだぞ……逃していいのか?」
「……ふぅ、さてメイっ。モンスターの討伐よっ」
切り替えはえーよお前。
顎に手を当て考え込むこと二秒ほどで結論を下したリーンは、大剣を抜き放ち、空中で羽ばたいているモンスターに躊躇いもなく差し向けた。
これで後嫌がっているのは、肩上にいるドリーだけ。
『相棒ぅ』
どうしても気になるか、ドリーはワキワキと空に向かって手を伸ばしている。
「……よし、ドリー分かった。じゃあ仮にヒヨコに乗れるようにしたとする……そしたらもう樹々には乗っちゃ駄目だからな。
ドリーはずっとヒヨコと一緒です。相棒だけ樹々と一緒に遊びます」
『にゅおおおおっ!? 待ってください相棒っ、それだけはーそれだけはっ』
お待ちくださぃっ、と焦りながら俺の耳を引っ張ってドリーが縋りつき、それでも俺が返事をしないでいると、やがて、腕をグルグル回しては、手首をチラと動かし、こちらを伺い『私はやる気があります』と言外に示してきた。
実に素直な子だ――というのも当然か、いくらヒヨコを気に入ろうが、今まで一緒にいた樹々を引き合いに出されてしまえば迷う筈もない。
少々ずるい手のような気もするが、このモンスター相手に毎回手加減していたら、それはそれで面倒なことになるのでビシッ、と言っておいた方が良い。
ありがとうございます。襲い掛かってくれて、ご馳走様です。
手を合わせてお礼を言って、俺は、いや俺達は、空をパタパタ飛んでいるニワトリへと武器を構えた。
「メイどん。下手に火が通ると味が落ちるかもしれないし、出来れば魔法使わないでくれるとありがたいだでー」
「よし、リッツ、任せたっ」
「仕方ないわね……アタシの分は少し多めに作っておきなさいよ」
既に今日の料理をどうするかに頭を悩ませているドラン。面倒臭そうな表情を浮かべている割には、やる気満々のリッツ。
獲物を狙う筈のモンスターは――残念なことに既に獲物へと成り代わっている。
「お前ら、やっちまえっ!」
「――ケェ? ケエエ!?」
ニワトリとヒヨコが俺達の変化に気が付き、驚きの声を上げながら、二級のモンスターの底意地を見せ、真正面から相対する――ことなく背を向けた。
「はあっ? おい待て、俺の晩飯っ! 逃げるな、降りて来いっ」
手に持った武器を振り上げ、ニワトリ一家を挑発してみるものの、モンスターは聞く耳を持ってくれない。
飛んで行く先は区域の中。俺の前は断崖絶壁。
襲い掛かってくる時よりも早い速度で、晩御飯は空の先へと消えていく。
っぐ、逃げ足の速さまでチキンじゃねーか。
あれがこの区域で生き延びる為の知恵なのか、本能なのかは知らないが、なんともいさぎの良い状況判断といえる。
空を飛んで後を追うなど出来る筈もなく、夢に見ていた鳥料理の数々は脆くも崩れ去った。
後に残ったのは、歯軋りの音と、想像したせいで空腹を訴えてくる腹の音。
俺はいつかあいつ等を腹に収めてやろうと誓いを立て、渋々と区域内へと入る準備を進めていくことに。
◆
螺旋を描くように壁際に沿って作られていた坂を下っていき、俺達は二級区域の底へと足をつけた。
踏みしめるのは、少し柔らかな腐葉土混じりの地面。太陽の光は高く育った樹木の葉によって若干遮られており、辺りは少しだけ薄暗い。
静寂さなど微塵もなく、聞えてくるのは獣の鳴き声。伝わってくる生物の気配。
やはり蟲毒の樹海に比べれば、随分と騒がしく感じる。
肌で感じる気温は先ほどと比べると随分と暑い。恐らく、このムッとするような湿度のせいに違いない。
土の風が無くなったのをいいことに、俺は被っていたフードを外し、砂色の外套に付いている土埃を軽く払って落とした。
荷物をもった馬を取り囲むような形で列を組み、不意打ちを警戒しながら、俺達は拠点に最適な場所を探すため、徒歩で先へと向かう。
「しかし、ご丁寧に降りる坂があるとは思わなかったな」
俺達がここに下りる時に通った坂道、あれは明らかに人が介入した痕跡が残っていた。
予想でしかないが、時間を掛けて魔法で坂を作っていったのだろう。
便利なので特に不満はないのだが、俺としてはここが自然に満ちた区域だっただけに、若干の違和感を抱いてしまった。
「そんなに意外かしら? 獄じゃないのだし、そりゃ多少は人の手が入っているわよ」
「確かに……言われてみればそうだよな」
馬を引きながら歩いていたリーンの言葉を聞き、それもそうかと思い直す。
武器を作る為、薬の材料の為、美味しい食材を得る為に、理由は色々あるだろうが、こういった区域は、危険と同時に様々な実りを人に与えてくれる。
それを得る為に走破者がいるのだし、入りやすくする為に手を加えるのも、ある意味で当然の帰結。
とはいえ、全く人の役に立っていないだろう区域もある。
勿論、獄級しかない。
元が人間っぽいモンスターも多く、食えるもんじゃないし、素材も毒やらグネグネだったりと、なんだか役に立ちそうに無いものばかり、正直入るリスクとリターンが釣り合っていない……所かドランとドリーがシーソーに乗ったかの如く傾いている。
消滅して喜ぶ人はいれど、悔やむ人はほぼ皆無だろう。
獄にだけ隕石が直撃して全部消えてしまえばいいのに、などと訳の分からないことを考えながらも、俺は足だけは休ませることなく動かし続けた。
「そういえばメイ、そろそろ武器の慣らしをしておかないと拙いんじゃないかしら?」
「ああ、完全に忘れてた……確かにモンスターの強さもそこまで無いみたいだし、そろそろ変更しておいたほうがいいな」
リーンの言葉で思い出し、俺はポンと手を打って、樹々の後ろに積んでいた代えの武器を取り、いつもの武器を荷物に縛る。
手の中で新しい武器の握り心地を確認。
冷たい金属の手触り、いつもの槍斧よりは柄が少し細い。
「なんかやっぱり違和感あるなー」
『確かに相棒が違う武器を持っているのは、随分久々ですねっ』
刃先から柄までが、全て暗いブルーメタリック色の金属槍。装飾は特に無く実用性に富んでいる。
長さは二メートル三十ほどで、刃部分は十文字槍を変形させたかのような形。
三角形の頂点を引き伸ばしたかのような刃先は、途中から柄に向かって左右の刃が分かれていた。
海に積まれているテトラポットの一面の如く、三角形の辺を中央に潰したかのようだ、とでも言えばいいのだろうか。
地面に向けて、一度横薙ぎに振るってみると、シャッ、と切れの良い音が鳴り、地面に真一文字の痕が刻まれた。
切れ味は上々。重量は軽い……いや軽すぎるか。
フッと、短く呼吸を吐き出し、中空へと向かって槍を躍らせる。
袈裟懸け、突き、右足を踏み込んで、そのまま穂先を空に向かって弾ませ――力を入れて武器を握り、蒼鋼の刃先が天へと向かった状態で停止させた。
やっぱ違うな……。
非常に使いやすいのだが、どうにも重量が軽すぎて『武器を振るった』といった手ごたえが薄い。
切れ味だって十分あるのだが、水晶槍斧に比べると断然見劣りがある。
いつもの武器と比べることこそ間違いなのはわかってはいるが、少しだけ残念な気分になった。
しかし、この武器変更は俺にとっては避けて通れない道。
俺の水晶槍斧、ドランの箱槌。
リーンとリッツの二人の武器なんて、ジムが作ったものだ。ドリーのナイフは市販のものではあるが、クレスタリアで犯人扱いされる理由ともなったわけだし、相手の記憶にも残っていると考えたほうがいい。
俺達は正体を隠してシルクリークに入ろうとしている訳だから、一点物とも言える武器を担いでノコノコ向かうのはやはり無理がある。
いざという時になれば使用するのは当然だが、そこに至るまでの間は武器を封印せざるを得ないだろう。
斧槍ではなく槍にしたのは、単純に『リドルの武器屋で槍以外だと使えそうな武器が売っていなかったから』といった理由から。
あるにはあったがやたらと高かったし、十把一絡げのものでは、戦闘に耐え切れず壊れてしまう。
それもあって、使ったこともあった槍へと決めた。
これだけでも十分戦力低下なのだが、更には正体を辿られないためにも、俺は雷属性全般とウィンド・リコイル、ドリーはウッド・ハンドを使用禁止にしている。
コレに関してはやり過ぎか、とも思ったのだが、俺のリコイルの使い方は目立つらしいし、ウッド・ハンドはドリーが余りにも上手く使えすぎるので、やはり不安。
魔法なんて同じものを使っている人は一杯いる。だが、魔法の使い方には微妙に癖があったりと、人の性格が現れてしまう。
様子を見て開放していこうとは思うが、最初のうちは警戒に警戒を重ねておきたい。
基本的にシャイド戦、クロムウェルパーティ戦で見せたものは使わずにおこう、というのが今の所の方針だった。
魔法は幾つか買い足していて、既に入れ替えも済んでいる。使えるかどうかはここに出てくるモンスターで試してみるほか無いだろう。
多少不安な心持になりつつも、短い付き合いになりそうな武器を、俺は入念に確かめ動かしていった――。
歩きながらではあるが、延々と武器を触っていると、リッツが興味深そうな眼差しを、こちらに向けてきていることに気がついた。
「ねえクロウエ、武器の方はどうなの?」
「いや、軽すぎてどうも」
「へー、そんなに軽いの? ちょっと貸してみて」
リッツが物珍しげに近寄ってきて、しげしげと槍を眺めると、ハイと手を出し寄こせと促してきた。
特に何も考えずに少し放るように渡す。と、両手で槍を受け取ったリッツが、下方に腕を垂らし、鼻に少しシワを寄せて嫌そうな顔を俺に向けてくる。
「何よ、十分重いじゃない。よくこんなものブンブン振り回せるわね」
「リッツって結構力ないのな。こんな槍ドランにとっては耳掻き棒みたいなもんだぞ」
「ちょっと……頼むからもう少しマシな比較対象を出してくれない?
アンタラが可笑しいの、分かる? 一般的に見ればこれは重いの、大体アンタ達は男で、アタシは女、一緒にしないでよっ」
イーッと文句を言ってくるリッツ。確かにドランと比較するのはどうかと自分でも思ったが、正直男女は余り関係ない気がする。
その証拠に――リッツの背後には、俺と同じく代えの武器を手に取り、ブンブン空気を裂いている輩がいた。
当然のごとくリーンだ。
「ほら、リッツ、後ろ見てみろ、な?」
『ふふ、白フサさん、私だって簡単に持てますよっ』
「……待って、待ってクロウエ、ドリーちゃん。女がどうとかはアタシが謝るから、二人も別枠でお願い」
リッツは、右手の平を「待った」と言わんばかりに出して、開いた手を頭部にそう言い放つ、その表情はどこか疲れているようだ。
正直リッツの射撃の腕も十分異常な気がするのだが……隣の芝生はナントやらと言う奴だろうか。いや少し違うのか?
未だ聞える風の逆巻く音。
リーンは黙々と剣を振るい続けていた。
黒鉄色の無骨な見た目。全長はやはり元と同じ長さを選んだのか、百八十センチ程。
装飾は皆無。鍔すらもない。
グリップに赤い皮が巻かれているだけの両刃の大剣。
恐らく、実用性と安さ、後は頑丈さをみて買ったのだろう。
腕が動かされるたびに、赤い髪が空気を燃やすように舞っている。
下手したら今俺が持っている槍よりも重いかもしれないソレを、リーンは自在に操り具合を確認していた。
ふらつきもせず、よろめきもしない。きっとあれは、腕力がどうこうだけの問題ではない。
文句も言わずに武器を馴染ませているリーンを見ているうちに、俺はなんだか気恥ずかしくなって髪をガシガシと掻いた。
もしかしたら、俺にとって武器を変えたことは、良い切っ掛けになるかもしれないな。
技量が足りていない俺が、武器の重量がどうとか文句を言うこと自体がおこがましい。
馴染まないのは、俺が満足に扱えていないだけ。
これを機に、自分に足りていない部分を埋めていくことにしよう。
武器の強さに頼らずに、自らの力を上げていく。
いずれ愛用の武器を手にしたその時に、俺自身が成長していれば――。
想像すると少しだけ心が弾んだ。
強い、それはとても分かりやすい言葉ではあるが、そこに向かうまでは千差万別の道程があり、手に入れたと思った時には次の段階が見えている。
強くなって先が見えて、また強くなってまた先へ。
先に進めば進むほどに、自らの命を含め守れる人数が増え、その可能性が上がる。
この世界において、それはとても重要で、努力のしがいのあるものだ。
遥かなる強さの先へ。
リーンですらも未だ願い続けるソレは、誰もが求めているものなのかもしれない。
◆◆◆◆◆
冗談じゃない“アタシ”の脳裏を占拠していたのは、そんな言葉の群れだ。
目前で行われている戦闘を見て、そう思わない奴がどれだけいるのだろうか、アタシには知る由はないけれど、普通の人が見たら間違いなくこういうだろう。
冗談じゃない、と。
樹々ちゃんの背中に横乗りで腰を下ろし、尻尾をフラフラと動かしながら、呆れと驚き混じりにアタシは嘆息する。
緑色の毛皮に覆われた『ツイン・レパード』と呼ばれるモンスターが、樹木に爪を立て、幹から幹へと飛び移って――逃げ回っていた。
クロウエの倍ほどもある体格を持つ、双頭を持つ狩人。
素早い動きを生み出すのは、靭やかでいて、強靭でもある肢体。頭部に生えた二つの頭部は、凶暴なキバを持ち合わせている。
この区域で他の生物を襲う肉食獣――なのだろうが、刃物の如き爪はただ逃げる為に使われているし、獣の本能を感じさせる鋭い黒い四つの眼光は、いまや戸惑いを浮かべて揺れているように見えた。
泡を食って逃げていく獣とそれを追いかけている仲間。
逃してしまえば戦闘自体は終わるのだが、下手するとまたこちらに襲い掛かってくる可能性もあるので、やはりこのままここで仕留めたい。
……正直、逃しそうな気配は微塵もないし、大丈夫だろうけど。
「い――っやっほーい」
『ァ~ァ~ア~』
あ、アイツラ……。
クロウエの間の抜けた叫びと、ドリーちゃんの妙な掛け声を聞いて、仮にも戦闘中だというのに、気が抜けそうになってしまった。
樹木から樹木へ、飛び移っているのは何もモンスターだけではない。それを追いかけているクロウエも同じような軌道を取っていた。
ドリーちゃんのアイビー・ロープを、前方の枝に捲きつけ、空を移動し、幹を蹴り上げまた次の樹木へ。
移動するたびに妙に間抜けな叫び声を上げ、何故かモンスターよりも早く移動を繰り返す。
馬鹿なの? なんなの?
普通に地面を走れと言いたかったが、やけに楽しそうにしているので、口に出して言うのは気が引ける。
実際、ふざけているっぽいが、戦闘自体は優勢に進めているので、文句を付けられないといった理由もあった。
次から次へと上空を飛び回る人と獣。
レパードが次の幹へと移動……したのだが、さすがに苛ついていたのか反撃とばかりクロウエへと向かって反転し、襲い掛かった。
クロウエは現在蔦を使って移動中で足場は無い。
これでは避けられない――と思いきや、ドリーちゃんが一度魔法を消し、落下。その後また蔦を伸ばして身体を支え、攻撃を難なく躱す。
クロウエが下方、レパードが上方。
空中で交差する瞬間、ついでとばかりに蒼鋼の槍が煌き、レパードの腹部へと斬撃が走る。
石でも斬ったかのような、喧しい切断音と、ボタボタと地面に落ちていく鮮血の飛沫。
さすがに終わりかしら?
そう、思ったのだが、獣の皮膚はやたらと硬く厚いようで、軽く裂いた程度にしかダメージを与えられてはおらず、未だモンスターの命は尽きてはいなかった。
二級区域のモンスターだけあってそれなりにしぶとい。
しかし、既に何度かこれが繰り返されており、既に獣の全身は傷だらけ、ほぼ勝負はついていると言ってもいいだろう。
ピョンピョンとよく落ちないわね。
クロウエが『ウィンド・リコイル』の代わりに、といって入れていた、風の下位魔法でもある『フェザー・ウェイト』
それを身体にかけているからこそ、枝も折れずにあんな真似を行えるのだろうが……やはりあの動きには感心してしまう。
それにしても……アイツってあんな戦い方だっけ?
蟲毒内部でクロウエの戦闘を見てはいたのだが、あの時とは動きが別人だ。後ろを気にせず飛び回り、上下左右へ、縦横無尽に動き回っている。
あれではどちらがこの区域のモンスターなのか分かったものではない。
アタシの以前からの印象は、前衛ではあるが、全体を見渡し指示を出す奴……だったので、あーいった風に好き勝手にしているのを見るのは、少し新鮮だ。
一度目は街中で大暴れ、蟲毒ではやけに冷静ぶって指示を出し、今は好き勝手に飛び回っている。
なんだかコロコロ戦い方が変わる奴ね。
樹々ちゃんのザラザラした首筋を撫でながら、銃を片手に戦況を見守っていると、視界の中で状況が佳境へと向かって動き出した。
何故か区域の住人であるレパードが、空中戦では不利だと悟ったらしく、地面へと降り立ち、クロウエに向かって『降りて来い』と言わんばかりに吠え立て始めたのだ。
「ドリー、なんか言ってるけどどうする?」
『ふみゅ……もう少しアーアーアーをやりたかったのですが、仕方ありませんね。降りましょうか?』
「あいよっ」
緊張感の欠片も無い会話を交わし、にやりと口を吊り上げたクロウエは、迷うことなく地面に飛び降り、着地と同時にレパードへと向かって疾走。
さすがの速度というべきか、砂色の外套がハタハタと動き、蹴りつけられた落葉が、一足ごとに宙にばら撒かれている。
レパードに向かって真っ直ぐ突っ込んでいったクロウエは、右手に握っていた蒼鋼の槍を突き出すように構え、
『エント・ウィンド』
ボルトの代わりに入れ替えていたエントを武器に纏わせた。
空気が渦巻くように歪み、視認し辛い風刃が槍の刃先を伸ばし、攻撃範囲を更に拡大させる。
激突するかと思うほどの勢いで、クロウエが獣の目前にまで迫った。
「切れ味も微妙、重量も軽い……ならば、数で補ってやるッ」
クロウエが吼え、疾風怒濤ともいえる猛攻が獣を襲う。
三連突きから右回転して薙ぎ払い、合間を埋めるように水のエントを纏ったドリーちゃんのナイフが追撃を入れている。
グルグル回り、止まらぬ連撃。
突きを放つ際には刃先に風の刃を、横薙ぎの際には、風の刃を横方向に集中。
まだ上手く扱え切れるわけではないらしく、風の動きが少し鈍いが、それでも獣を翻弄するには十分なものだ。
空中を嫌がって降りてみればこれだ、モンスターも大変ね。
やっぱり……アタシも何か攻撃系の魔法を入れておこうかしら……。
クロウエの戦闘を見ていて脳裏にそんな考えが巡った。普段ならば魔銃に魔力を裂かれるし、下手に魔法を使うよりは銃を優先させたほうが良いので、魔印には回復などの魔法だけしか入れていなかった。
だがしかし、まだ時間はあるが、アタシだっていずれシルクリークに入った時に銃を使えなくなるし、やはり何か攻撃系の魔法を入れておいた方がいいのかもしれない。
……クロウエにお使い頼んで良さそうなものを見繕って貰おう。
アタシの攻撃力の不足は、どうにか埋めなければ拙いもの。
どうにも最近、自分の力不足を痛感していた。
アタシの役割は後方からの狙撃と援護、それを十分行えているつもりだったが、クロウエを始め、他のメンバーを見ていると、見劣りしてしまう気持ちがある。
アタシが何十発も撃ち込んでようやく倒せるモンスターを、きっとドランは一撃で粉砕するし、リーンはきっと消し炭にする。
クロウエとドリーちゃんもなんだかよく分からないけど強いし、結構このパーティーの戦力はとんでもないものだ。
アタシの場合は『遠距離から、急所を撃ち抜き一撃で倒す』ということは得意なのだが、ある一定以上の強さを持つモンスターとの正面対決となると、どうしても決定打にかける。
別にそこまで強力な攻撃を欲しているわけでもないのだが、もう少しアタシにしか出来ない何かが欲しかった。
家族と居る時とは、やはり見えてくるもの自体が違うらしい。
少し拗ねるような気持ちになってしまい『アタシは子供かっ』と思わず恥ずかしさから頬が熱くなる。
頭を一度振って恥ずかしさを追いやり、アタシはクロウエの戦闘へと視線を戻した。
未だ形勢はクロウエ優勢。
終始押され続け既に満身創痍となっていたレパードは、堪らず咆声を上げて、起死回生も求めて反撃を開始した。
左右からの爪が襲い、斜めに引き裂く。双頭の噛み付きから、飛び掛りを織り交ぜ、クロウエに襲い掛かる。
攻撃速度は敏捷で、隙も少ない――が、当たらない。
まるで全てが見えているかのように、ヒラヒラと余裕を持ってクロウエが躱す。
剛風が巻き起こる爪が掠りもしないその様は、まるで風で揺られる木の葉のようだ。
アイツどれだけ目が良いのかしら……これじゃ、援護する必要もなさそうね。
どう考えても負ける要素はなさそうだ。
そう思ったアタシは、クロウエから視線を外し、近くにいた仲間の様子を伺う。
ぽーっとしているようで、今も周囲の警戒を怠っていないリーン。
アタシの後方――引きずられている荷物に腰掛け、針と糸をもってチクチクとナニカを作っているドラン。
アレはなにかしら?
「ね、ねえ、ドラン。何を作ってるの?」
もう大分慣れたとはいえ、ドランやリーンに話しかける時は、未だに少し緊張してしまう。
若干声が上ずってしまったか? などと心配したが、特にドランは気にした様子も無く、アタシの声に反応し、手元にやっていた顔を上げた。
「これけ? これはメイどんに頼まれてるもんだで。完成するまで秘密って言われてるから、教えらんねーだよ」
ドランは手に持ったナニカを後ろに隠し、申し訳無さそうな表情を浮かべている。
この間、クロウエが竹とんぼとかいう玩具をドランに作ってもらっていたことを思い出した。
ドリーちゃんが大喜びしていたのと『それを頭につけると空を飛べる』というクロウエの阿呆な嘘を聞いて、ドランが恐る恐る頭に持っていこうとしていたのは覚えている。
また似たようなものでもねだられたのだろうか?
「ドランも結構大変ね」
「んーそうでもねーかな。オラとしてはこうやって何か頼まれて作るってのは、楽しいもんだで。それが役に立てばもっと嬉しいけんども」
珍しく自慢気なドランの表情を見ていると、ほんの少し羨ましい気持ちが湧いた。
誰かにモノを頼まれて、それをやってあげると言うのは、アタシとしては余り経験の無いことだ。
意外とやってみたら楽しいのかもしれない。
泣いて喜び平伏すクロウエ、喜び勇んで跳ね回るドリーちゃん。ニコニコと微笑むリーンに、ぱちぱちと手を叩いて褒めるドラン。
樹々ちゃんもその辺りを駆け回るに違いない。
そう思うと心が温かくなり、頬が緩んだ。
でも……何をすればいいのかしら? 料理、やったことないわね。
ドランみたいに裁縫? 駄目ね、手を怪我するのが目にみえている……あれ? おかしいわ。何も思いつかない。
まともに出来そうなことが戦闘しかないことに気がつき、アタシは焦りを感じ始めた。
実はアタシって結構何もできないのではないだろうか、と心配になり、ソレを確かめるべく、近くに居たリーンに慌てて声をかけた。
「リーンっ。リーンって料理できるの?」
「どうしたの急に? 料理……料理ね。やったことが無いけど自信はあるわねっ」
「つまり出来ないってこと?」
「自信はあるわっ」
意外と近くに仲間がいたわ。
二ヘラと笑っているリーンを見て、思わず心の中で拳を振り上げる。
「じゃあ、裁縫とかは?」
「斬るのは得意よ」
「いや、縫うのは」
「モンスターを縫い付けるのは得意ねっ」
無駄に自信満々の顔つきでそう言ったリーンを見て、ほっと胸を撫で下ろす……のだが、よくよく考えてみると、別に何の解決にもなっていない。
というよりも、仲間内でまともに家事やら出来そうなのは男達だけでは?
ドリーちゃんは手先が器用だから色々作れそうね……いや、違うわ、そういう問題じゃない。
間違いなく一番器用で家庭的なのが、ドランって……。
なんとなくショックを覚えて、うな垂れる。
そういえば父さん達と一緒にいるときは、殆どをお姉ちゃんがやってくれていたし、アタシはなにもしてなかったわ……違う、これは役割分担……そう、役割分担なのよっ。
言い訳がましい言葉を脳内で繰り返してみるものの、少し虚しい気分になってしまった。
別に女だからといって家事がどうとか思っている訳ではないけれど、実際に気がついてみると思いのほかショックは大きいものだ。
「リーン、一緒に頑張りましょうねっ」
「……? そうねっ、私がいれば大丈夫よリッツちゃん」
明らかに理解していないまま頷いているのがわかり、思わず「絶対わかってないでしょっ」と言いたくなったが、人のことを言えた義理ではないので、グッと堪えて口を閉じた。
クロウエにばれたら絶対に馬鹿にされるわ……っく、考えただけでも腹が立つ。気がつかれない内に、なにか出来るようになっておくべきね。
クロウエの人を食ったかのような表情と『そんなことも出来ないんですか、プフー』といった声が脳内で再生される。
ぎぎぎ、と歯を軋ませ、想像の中のクロウエに腹を立てながら、アタシは、戦闘での手立てと、他の部分の練習もしておくべきだと心に決めた。
モヤモヤと一人悩んでいるうちに、いつの間にか戦闘は終わっていた。
視線の先には、クロウエがモンスターの尻尾を持ち、重たそうにこちらに引きずってきている姿。
自分も手伝おうと思ったのか、ドランが動かしていた手を止めて、荷物の座席から下り巨体を揺らして向かっている。
二級区域の真っ只中だというのに『随分と平和だわー』と感じるあたり、アタシの感覚も気がつかないうちに、ズレて来ているのかもしれない。
良いのか悪いのか、微妙に複雑な気分ね。
ほう、と吐いた溜息が、緑の匂いが香る空気へと溶け込んだ。
◆◆◆◆◆
俺達は、ジャングルの王者を楽しんでから既に二時間ほど歩みを進めていた。
時折、赤いゴリラや、デカイ蛇などが襲い掛かってきたが、妙な特殊能力を使ってくるわけでもなく力押しばかりだったので、なんの問題も起こりはしなかった。
三級区域に比べればモンスター達の基礎能力が高く、武器を変えたこともあって一撃、とはいかないことも多かったのだが、強敵か? と聞かれれば首を捻らざるを得ない。
こうやって獄以外のモンスターと戦うことによって『気がつかないうちに自分は強くなっていたのだな』とようやく思えるようになった。
ただ、俺達が相手にするだろう獄の敵を思い浮かべると、全然安心は出来ない。
武器と魔法の慣らしは正解だったな。リーンに感謝しておかないと。
新たな力ともいえる風の魔法は案外使い易く、それほど違和感はなかった。
ただ、エントの方は操作に慣れていないせいで、まだ微妙に挙動が怪しく、強化魔法は、使いどころをしっかりと見極めないといけないと再確認。
身体を軽くするのはいいのだが、水晶槍斧じゃないと、武器に重さがのせられないこともあって、若干攻撃力が落ちてしまう。
先ほど相手にした双頭の豹でそれが良く分かった。
あの時は手数で埋めたが、技量が自分より高いか同等のモノを相手にしたらそれは通じない。
この辺りはまだまだ練習する必要がありそうだ。
武器を振るいながらも更に三十分ほど歩いていると――ようやく俺達の条件に当てはまりそうな場所を発見する。
水辺まで歩いて十分掛からぬ距離、周囲は鬱蒼と樹木が生い茂っている。
そして、俺の眼前には見上げるほどの砂岩の壁だ。
右から左へ延々とそそり立っている垂直の崖の城壁――これは恐らく上から見た時に、区域を分けるように走っていたアレだろう。
人目につかない場所ではあるし、立地も良い……
「ふむ、完璧だ。お前ら、今日からここを我が家(仮)としますっ。では、頑張って作業を開始してくれたまえっ」
「こらクロウエっ、先ず作業内容を説明しなさいよっ!」
「おお、そういえばそうだった」
ポンと手を打った俺は、ジッとこちらを見ている仲間達へと作業内容を伝えていく――。
皆に作業を割り振り終わり『日が暮れる前に、寝床の確保だけは終われるように』と俺達は急ピッチで拠点製作を開始することに。
「ドラーン、いらなくなった石は草むらに隠しといてくれな、後で使うかもしれないし。樹々も頑張ってくれよー」
「了解だでー」
〈ギャースっ〉
俺が水晶槍を手に持ち、振動能力を発動させながら、崖を切り取り奥へと掘る。
地面に散らばった残骸は、ドランと樹々が外へと運搬してくれていた。
「メイー、今の私なら凄く上手な絵を描けそうだから、ここの壁になにか作っても良いかしら」
「リーンそれは気のせいだ。余計なことはせんでいいから壁の形成してくれっ」
リーンが『えー』と不満顔になりながらも『アース・メイク』で通路を滑らかに仕上げていく。
ここの砂岩にアース・メイクが使えて本当に助かった……これがなかったらどれだけ大変だったことか。
最初使えると分かった時は、全部『アース・メイク』で片付けてやろうかと思っていたのだが、いざ使ってみると範囲が狭く、魔力が幾らあっても足りないことが判明し、今の形に収まった。
しかし、やはり面倒な形成の手間を省けるので、アース・メイクの力は大きいと言えるだろう。
その後も、えっちらおっちらと、砂岩を抉って工事は続いていった。
身体は火を噴くように暑く、額からは大量の汗。
既に俺は外套など脱ぎ去って、上半身の軽鎧を外してズボンとインナー姿となっていた。
「……ドリーの方は順調だろうか」
ぼやくように呟いた。
俺の手に収まっている武器から、現在振動を感じない。どうやらエントが切れてしまっているようだ。
一度背伸びして身体を解し、俺は休憩がてら、ドリー達の様子を覗きに行くことに決めた。
こげ茶色と薄い茶の縞々模様がある岩内部の通路を歩き、途中に開いていた横通路に入り、部屋の中を覗き込むようにして伺う。
おー、いたいた。
真四角にくり貫かれた六畳ほどの部屋。
その中には腕を組みながらウロウロと歩き回っているリッツと、頭部に生えている白い耳の中心から、ニョキと伸びたドリーの姿があった。
『白フサさん……次はここです。あ、魔水をよろしいですか?』
「いいわよ、はいドリーちゃん」
『ふふ、今はドリー班長と呼んでくださいっ』
「なにそれ? まあいいわ、ドリー班長、お水よ」
『ご苦労っです。ふほおお、うっまーいっ』
順調そうでなによりです。
リッツは秘書の如く魔水のお世話をしながら、足の変わりに動き回り、ドリーは蝶子さんに手伝ってもらいながら『アース・メイク』で部屋を広げている。
普通の『アース・メイク』と違って蝶子さんが手伝ってくれると、一気に広範囲を形成できるので、便利だし魔力節約にもなって非常にありがたい。
俺が『ドリーはこの工事の班長だな』と言ったのもあってか、今のドリーはやる気は十分といった様子だし、この調子ならば今夜の寝床確保は楽勝だろう。
と、思っていた。いや実際、このままいけば寝床だけなら直ぐに終わる筈だった――。
◆
太陽など影も形も無いほどに、地平線へと沈みきり、下手すると「昇ってくるのでは」と思うほどの時間。
夜行性の獣の遠吠えが、外から微かに入り込み、砂岩の壁に反響している。
二十畳ほどまで広げきったリビングともいえる岩部屋の中――魔法の明かりが照らす下で、俺達は力尽きたかのように冷たい地面に転がっていた。
俺の直ぐ近くに転がっていた白い……いや若干茶色になっている奴が、寝返りを打ったイモムシの如く床を転がり、俺に疲れきった視線を向けてくる。
「く……クロウエ……アンタのせいよ。調子にのって『他の場所も作ろうぜッ』とか言うから」
「うるせぇ、リッツ。お前だって『もう少し広いほうが良いんじゃない?』とか言ってただろうが」
みにくい責任の擦り付け合いも、地面に転がったままでは哀愁しか感じさせない。
樹々は既に丸くなって床で寝ているし、ドリーも激しい寝相のせいで、床をビッタンビッタン転がっている。
せめてもの救いは、他の全員がおきていること……だ……?
「……zzz」
「馬鹿、リーンまだ寝るなっ。風邪引くだろ。って、ドラーン、お前はまだ生きてるよな、無理だぞ、ドランを運ぶなんてそんな気力俺にないぞっ!?」
「メイどん……オラ、ドラゴニアンだもんで、風邪とかは簡単にはひかないだよ。
じゃあ、また明日」
「おいいい」
クソ、駄目だ。このままじゃ全員固い岩の上で寝るハメになる。というか、夜番もいるんだから最終的に残った奴が不幸な目にあう。
バッと、急いで起きている筈のリッツに顔を向けた――瞬間。
ゴロリと転がり、リッツが俺の視線から逃れていく。
微妙に動いているリッツの背中を、ジッと無言で見つめる俺。部屋の中が一瞬だけ静まり返った。
「……も、もう食べられないわー」
「馬鹿野郎ッ、今時そんなベタな寝言吐く奴がいるかっ!? てめえ起きてんだろ、見たからな、転がったの見たぞッ」
『いやですよぅ、相棒ぅ……そんなにお水貰っても飲めませんよぅ』
ちくしょう! ベタな寝言を吐く奴が本当にいやがった。
……駄目だ、全員動く気がまるで無い。
別に俺が最初の夜番をするのは構わないが、全員が一様に土塗れで、汗まみれとなっているこの状態で寝るのは絶対に拙い。
身体の底に若干残っていた気力を振り絞って立ち上がり、俺はドリーとリーンを脇に抱え、ノロノロと部屋から退出――暗い通路を呻きながら進んでいった。
一番奥に作られている先ほどの部屋から少し歩き、まだ形成が済んでいない乱雑に作られた階段を上がり、一部屋しかない二階とも言える場所にたどり着く。
正直、ここのせいで時間が掛かったとも言えなくもない。と、少し愚痴を零しながらも、足元に注意を向けながら入室する。
暗いな……俺じゃなかったら満足に歩けないぞこれ。まだ完成って訳じゃないし、もう少し改良するべきだろうか?
いやでも仮拠点だし余り気合入れるのもどうか……。
一応……この部屋は外壁に近い位置に作っているので、明り取りの丸窓はある。
が、モンスター進入防止と、目立たないようにと気を使ったせいで、小さい窓しかなく、外の木々も邪魔して相当暗い。
ただ、夜目が効く俺ならば、部屋を見渡す程度のことは出来るので、躓いて怪我する心配などはなかった。
グルリと顔を動かし、俺は改めて、自分達を苦しめたこの部屋の内装を見渡していった。
四角ではなく、ドーム状のようになっている八畳ほどの部屋。壁際には地面をくり貫き作った長方形の凹み――広さはドランが普通に入れるほどで、深さは尻を着けて座れば地面が肩にくる程度。
凹みの淵には縦に地面に突き立っている三本の鉄棒。
底部分の端には、現在詰めものをして塞いでいるが、拳大の穴が一つ。
天井にも、似たような穴が幾つかあり、外壁付近には明り取りの窓が開いている。
この穴を外まで繋げるのが異常に大変だった……。
思わず溜息を吐いて、うな垂れる。
そのまま思考が停止しかけたが、頬を叩いてどうにか再起動。
俺は抱えていたリーンとドリーを床に転がし、二人を起こすために声を掛けていった。
「おい。ドリー起きろ、少しで良いからおきてくれっ。リーンお前もちょっと起きろッ」
グルグルとドリーを振り回し、リーンをグイングイン揺すって無理やり目を覚まさせる。
未だ脳が回っていないのか、訳も分からず周囲を見渡している二人に、俺は簡単な指示を出す。
「いいかードリー。あの穴に向かってウォーター・ボールだ。リーンは鉄棒にエント・フレイム。分かったな? 頼むぞ」
むにゃむにゃと良いながらも。ドリーが水弾を撃ちだし、水を溜め。
側まで引きずって連れて行ったリーンが、目を擦りながら鉄棒にエントを掛けていった。
真っ赤に燃える鉄棒が、溜めた水を温め沸かす。
ここまでくれば後は待つだけ。そう、簡単に言えばこの部屋は浴室だった。
最初は今日やらなくても良く無いか? とか言っていたのだが、最後の方で改めて自分達の姿を見渡し、土埃と汗で凄いことになっていると気がついた。
さすがに作っとかなきゃ拙いだろう、と皆で相談し――止めとけばいいのに『すぐ終わらせてやるぜ』と言いながら作成を開始することに。
この時既に疲れが一周回って、全員すこし可笑しくなっていたのかもしれない。
今考えると、これが地獄の始まりだった。
湯気を抜けさせる穴と、使い終わった水を捨てる穴。
これを作れるのが穴に入れるドリーくらいだったので、通すまでに異常なほどに時間が掛かり、俺の魔力も全て吸われてしまった。
回復の薬もあったので、魔力切れこそなかったが、一度魔力が空になるまで使うと異様に疲れが残る。
結果的には、穴を通すだけで、俺の体力と気力はガリガリと削られ、まるで米粒のように小さくなってしまった。
穴だけでなく部屋の中だって、普通の場所とは違って大変だ。
裸で入るのだし、綺麗に形成しないと怪我をしてしまうことになりかねない。
地味な作業……神経をすり減らしながらの淡々とした仕事。
それは眠気を誘い、ミスを誘う。
こっくり、と首を頷かせ、ハッと意識を戻してみれば、眼前の均した壁に傷が入っていたりで、正直『もう二度とやらん』と思ったほどに辛かった。
大体、元々どっかの馬鹿が『二階に作れば窓作れるんじゃね。外を見れたらテンションあがるよな』と言い出したお陰で、ここまで苦労することになったのだ。
一階に作っていればもう少し大雑把に作れたし、残骸の除去も楽だったのに……。
くそ、殴り倒してやりたいッ!
と、思ったが、その馬鹿は俺だったことを思い出し――殴るのはやめておくことにした。
とはいえ、魔法のお陰で実際に作るよりも格段に楽だろうし、火も水も大した心配をしなくて良いのは随分と助かった。
そうでなければ、こんな短時間でここまで出来る筈も無いのだから。
「あー眠い……疲れた」
返事が無いことは分かっていたが、呟かずにはいられない。
体の底から「この場で横になりたい」という欲求が湧き上がってきたが、俺はそれを必死になって抑えこみ、脳を動かし考え込むことで、誤魔化していった。
風呂は誰から入るべきだろうか? 女が先か男が先か……いや、男だな。間違いない。
どうせ水は入れ替えて沸かしなおさないといけないことを考えると、絶対に男を先にするべきだ。
リーンを先に入れてしまえば、こいつは明日の朝まで起きなくなりそうだし、そうなるとエントを掛けられる人材がいなくなる。
ブツブツと起こす順番などを考えながら、俺は轟々と燃える鉄棒を眺め、湯が沸くのをただじっと待つ。
「ん……あれ?」
不意に――炎の明かりとは異なる光が、俺の視界に入ってきた。
顔をゆっくり動かし光源を探すと、そこにはキラキラと光が差し込む明り取りの窓が。
朝です。どうみても朝です。
どうやら『夜の寝床を作る為に始めた工事の所為で、俺は徹夜をしてしまった』ということらしい。
「は、はは、ははは……はぁ」
乾いた笑いが口から漏れて、やがてそれは溜息に変わる。
暗闇に慣れていた俺の目を差す太陽の明かりは、とても眩いもので、なんだか凄く目に染みた。