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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
混淆都市シルクリーク
81/109

指針と方針 竜が舞う



 夜の帳がすっかり下りて、月光輝く時間となっている現在。

 俺達は、土塊ドームの中で夕食のカエル肉をありがたく頂いていた。


 食事を中心に円状に座り、仲間と寛ぐ。やたらと落ち着きが無い樹々は悪戯をしないように、尻尾に紐を巻いて俺の足に。

 最初はカジカジと紐を齧っていたが、切れないと見ると諦めたようで、胡坐を組んだ足の上で不貞寝している。

 後で解いてやろうとは思っているが、今は暫く我慢してもらおう。

 

 談笑を交えながらも食事は続く。

 土塊ハウスの中は結構暖かく、上着やローブを脱いでも問題無さそうな気温。

 楽な格好で寛ぎたい。思わずそんな本能的ともいえる衝動を感じたが、俺はローブの袖を捲り上げ、前面を開くだけで我慢していった。

 

 さすがにここは三級区域の真っ只中、装備を外してしまうわけにはいかない。

 ただ……先に魔水を飲み終わっていたドリーレーダーさんが、今も拠点の真上でグワングワン回りながら警戒を続けてくれているので、モンスターからの不意打ちを受けるなどの心配はしなくてもいいだろう。


『相棒っ、風に乗せられて葉っぱさんが一枚接近中ですっ。どうしましょうかっ』

「ドリーっ、それはきっとただの葉っぱだから報告しなくて良いです。

 危なそうなものや、モンスターとかだけでいいっ」

『へいっ』

 

 無駄に気合の入ったドリーの報告が屋根を通して聞こえてきたので、それに少し声を張って返答した。


 どうやら見張りを任せる前に『皆の安全が掛かっているんだ。任せたぞドリーッ!』と無駄に煽ったのがいけなかったらしい。

 少し頑張り過ぎだ、と言えなくも無いが、頼りになるのは間違いない。 

 

 一先ず食事を済ませるか……と考え、俺は木皿に乗せられていた料理へと目を向けた。

 よく分からない生地に包まれた、餃子のようなシュウマイのような見た目の料理。

 カエルさん(故)が素材であるのだが、これが中々に油断ならないモノだった。

  

 本当に美味い。

 何と言えばいいものか……この世界のカエル肉は、鳥というよりも豚に近い。

 元々こういうものなのかは、今まで食べたことがないので分からないが、結構油がのっていて柔らかく、刻まれた野菜と一緒に混ぜられているお陰か、どこか肉まんっぽい味だった。

 香辛料が俺の知らないものだったので、最初は『癖が強いかな?』とかも思ったのだが、食べている内にだんだんと気にならなくなってきて、今ではバクバクと食い散らかしている。


 やはり食わず嫌いはよろしくないな。


 暫くモグモグと食べ続け、やがて食事を終える。


「ねえ、メイ。結局私達はこれからどうするの? ドランと二人で話し合っていたのは知ってたけど、私まだ聞いてないわよ」


 タイミングを見計らっていたのか、正座を横に崩したかのような形で座っていたリーンが俺へと顔を向け、今まで気になっていたのであろう質問を投げかけてきた。

 

 さて、どう説明したものか……口頭で答えてもいいけど、少し分かり辛いかもしれない。


「えっとな……ドランー、悪いけど地図をお願い」

「了解だで」


 俺の頼みに嫌な顔一つせず答えてくれたドランが、誰かさんの落書き帳とは違い、詳細な情報が書き込まれた自らのマップを取りに、立ち上がってくれた。

 ドランが荷物を漁っている間に、俺達は終えた食事の後始末し、場所を開けていく。


 皆で囲んでいたものが、食事から地図へと変わる。

 

「よし、じゃあ皆、ちょっと地図を見てくれ」


 グルリ視線を巡らし、全員の視線が地図に向かっていることを確かめた俺は、シルクリークの位置から南西、そして西にある二つの区域を、トントンと指で叩いて示してみせた。


「この、南西にある二級区域か、更に北西に進んだ三級区域。両方シルクリークから補助をかけた馬を使って三日~四日程の位置なんだけど、俺としては、このどちらかの区域内に拠点と言える場所を作りたい、と思っている」


 黙って頷き続きを促してくるリーンとリッツ。ドランはある程度状況を把握しているので、沈黙を保っていた。

 ――ありがたい。

 説明の途中で横槍を入れられると話が進まなくなる。仲間達の気遣いに感謝しながらも俺は説明を続けていった。


 先ず最初に話したのは、区域内に拠点を構えたい理由。

 色々と細かい理由もあるが、大きく言えば二つだ。

 

 一つ目は“シルクリークの都市に正規の手段では入れない”から。

 

 シルクリークの兵士である〈ファシオン〉それを率いている鉄仮面達と、ラッセル。

 どうもこいつ等は、しっかりと王の命令に従って動いているらしい。

 そこから考えると、シャイドかクロムウェルなのか、それとも他のナニカなのかは不明だが、間違いなく獄級に関連する奴が国の中枢に食い込んでいることが予測できる。


 つまり、シルクリークに入る寸前の検問、ここで俺を含めた全員が引っかかるということだ。

 リーンとドランは俺の仲間だと知られているし、リッツは亜人、まともに通してくれると思わないほうが良い。

 せっかく遠回りして近づいているのに検問で引っかかってはなんの意味も無い。

 都市に入るならば『夜間に紛れて進入』などの手立てが必要だろう。

 

 二つ目は『俺自身が狙われている』といった事情。

 準備もせずに動き回って俺の存在を喧伝してしまえば、リドル襲撃と同じような問題が起こることも考えられる。

 普段のシルクリークであれば、獄級から出てきたモンスター達を迎撃することも可能かもしれないが、現在の都市の状態でソレを求めるのは少々厳しい。

 

 俺としては、最終的には敵に気づかれないように、シルクリーク内に拠点を設けたいとは思っているが、最初からそれをやろうとすると非常に目立つことになるし、先ずは別の場所に拠点が必要だ。

 

 さすがになんの準備もせず、シルクリークの現在状況も分からないままで、長期滞在する拠点を探すのは難易度が高すぎる。


 隠れ家に出来そうな場所、シルクリークからそれなりの位置。

 この条件から考えると、強化馬で疾走して三日、四日の距離にある、この二つの区域は俺にとってはうってつけともいえる場所だった。

 荷物を運ばせるといった理由もあったが、これも考えての馬の購入だ。

 

 最初は二頭馬を買おうとも考えたが、無駄に金を使うことになるし、ドランもいるので馬二頭ではどうにもならない。

 三頭買うには多すぎるし、御者に負担が掛かってしまうので、泣く泣く諦め一頭となった。


「と、まあそんな訳で、皆はどっちが良いと思う? 他にも案があるなら遠慮なく出して欲しい」


 一先ずそこまで説明を終えた俺は、これからの行動方針を話す前に一旦話を切り、皆に意見を伺った。

 自分の中ではとある理由もあってほぼ決まっていたのだが、やはり自分以外の意見を求めるのは、非常に重要なことだろう。


「ねえ、クロウエ。二級と三級の区域の違いは? どんな感じの場所になってるわけ?」


 狙撃手としては立地条件が気になるところなのか、真っ先に声を上げたのはリッツ。


「よし、よかろうリッツ君。では僕が教えてあげようではないか」

「な、なんでそんなやたら自信満々なのよ……しっかり調べてあるんでしょうねっ」

「はは、見て驚け、聞いて(おのの)けっ」


 半眼を向けてくるリッツに向かってニヤニヤ笑いを見せながら、俺はゴソゴソとローブの裏にある秘密ポケットから、手帳のように紐で括って纏めてある紙束を取り出した。

 ピラピラと紙を捲ってシルクリーク周辺の情報を探す。

 簡潔でいて、しかし重要な部分はしっかりと凝縮された、シルクリーク周辺の区域情報を集めたこの手帳。

 

 素晴らしすぎる……。


「先ず三級区域の方は、深い渓谷や川があって岩場なんかも多い場所。モンスターなんかもココと近いと思っていい。

 で、二級の方は、崖の多い森林地帯。モンスターは基本的に獣系が多い、嫌らしい特殊能力をもったモンスターは少なく、割と力押しなモンスターが多い。他にも細かい情報はあるが、とりあえずはこれで良いだろ?」

「む、クロウエにしては準備が良いわね」


 サラサラと答えた俺を見て、少し悔しげな顔をしているリッツ。

 俺は自慢げに『そうだろう、そうだろう』と頷いた。

 

 ふふ、悔しかろう。大体前情報を調べていない筈がないじゃないか……。


「褒めろ褒めろ、存分に褒めると良いッ……この手帳を華麗に纏めてくれた素晴らしいドランさんをなッ!」

 そうこの手帳は、我らがドランさんのものだ。


「――はぁッ!? じゃあなんでアンタが偉そうにしてんのよ!」

「そりゃお前、良い仲間がいれば自慢くらいするだろう?」

「いやーメイどん。やめてけれっ、そんな褒められたらオラ照れっちまうだでぇ」

「っぐ、本人が嬉しそうにしてるけど、なんだかむしょうに納得がいかないわッ」


 大きな手の平をブンブンと振って照れるドランと『凄いぞドランっ』と褒めたてる俺を見て、リッツが頭部を押さえ、呆れたように耳をピクピクと動かした。

 リーンはリーンで何か思いついたのか、ポン、と手を打ちつけて自分の荷物袋をガサガサと漁り始めている。


「ふふ、あったわ! 私の地図も少し書き加えておかないといけないものね」

「……ぁあ、えっと。そうですね」


 リーンが言葉と共に取り出したのは、彼女専用の落書き帳(ちず)

 相変わらずの丸とか三角とかよく分からない記号だらけになっているソレを見て、俺は目を逸らしながら返答することしか出来なかった。

 

 リーンは、鉛筆らしき物体を右手で握り、まるで絵描きがやるように地図に向かって鉛筆を立て、片目を瞑ってドランの地図とにらめっこ。

 暫くウンウン唸っていたが、やがて考えが纏まったのか、自分の地図の上に鉛筆の先を置き――大胆な手つきでガッ、と線を引いた。


「この場所が三級で……ここが二級」


 え? 何故そうなるのか、まるで理解ができません。


 三級区域ね。といって線を引き始めた場所はリドル付近、そして伸ばした先は醜酸運河の真ん中だった。

 いや、それよりも先ず、持っている地図が上下逆さまの時点でもうアウトとしかいえない。

 

 こいつには絶対にドランの地図には触らせまい。

 

〈ねえクロウエ……リーンっていつもあんな感じなの? アタシもっと真面目な感じだと思っていたんだけど〉

 

 確固たる決意を抱いていた俺にむかって、リッツが地図を回り込むようにして近づき、少し戸惑い混じりに声を掛けてきた。

 

〈大体あんな感じだ。喜べ、リッツ。あれは順調にお前のことを受け入れている証拠でもある〉

〈え、あ、うん……なんだか、凄く複雑な気分だわ〉

〈任せろ、俺もだ〉


 尻尾は嬉しそうに振られているのだが、顔は渋面。

 リッツとしては、仲良くなれるのは素直に嬉しい……が、イメージとの食い違いによって、かなり混乱しているといった所だろう。

 とはいえ、リーンのアレは、慣れてくると結構微笑ましいものがあるし、リッツも時間経過と共に気にならなくなるに違いない。


 大体……これくらいで戸惑ってたら、ラングと会った時にどうなるか……アイツもかなり癖が強いしな。

 

 『今頃何をしているのかなー』などと少し考えてみたが、一瞬で何しているのかが浮かんできたのだから苦笑しか出てこない。

 きっと、ラングのことだ、間違いなく無駄に熱くなりながら修行しているだろう。


 一人で笑っていた俺を訝しげな表情でリッツが眺めていた。

 『どうせ彼女もいずれ面白い顔をしてくれるだろう』と考えると、また笑いが漏れた。

 きっといい意味で変わっていないだろう仲間の姿を想像し、いつか来るであろう再会を楽しみにしながらも、俺は話しを続ける為にも頭を切り替える。



 区域の情報もある程度話し終わり、五分程時間を置いた頃。

 俺は、そろそろ全員意見も纏まっている頃だろうと考え『どっちが良い? それとも他に良い案はあるか?』と纏めに入った。


「んー私としては二級がいいと思うわ」

「三級……がいいけんども選ぶなら二級だで」

「別に二級でいいんじゃない」


 リーン、ドラン、リッツ、全員が揃って二級区域との意見。


 やっぱりこうなったか。

 

 意見が揃ったことに関して驚きはなかった。というのも、俺自身も“二級区域しか無い”と思っていたからだ。

 色々と細かい理由はあるが、一番大きな問題は、三級区域の西に距離こそ離れているが……“獄”があるからだった。

 恐らく皆も地図を見てそれを確認したから二級にしようと言ったのだろう。

 

 凄まじく高い崖に周囲を囲まれた広い盆地とも言える地形。 

 死が蔓延し、詰め込まれている場所。

 誰が最初にそう呼んだのかまでは知らないが【死狂(しぐる)牢夜(ろうや)】そう名づけられている獄級だ。

 

 現在は、シルクリークとその北にある【ホーリンデル】が共同で製作した巨大な門が、アルファベットでいう“C”のような形になっている獄の出入り口を塞いでいるらしい。 

 だが、それで止められるのは所詮実体のあるモンスターのみ、溢れ出る亡霊などが今も周囲へと溢れ出しているとの話し。


 内部情報が極端に少ないのは、ある意味その門のせいでもある。

 門を開けるには、シルクリークとホーリンデルが別途で持っている二つの鍵が必須となる。

 今の所、国側は獄の攻略を完全に諦めて、斡旋所は依頼の受付すらもせずに、放置の構えを貫いているそうだ。


 つまり、俺としては『唯でさえ獄のモンスターに狙われているのに、そこに近い位置を選ぶなんてトンでもない』という結論だった。


 リッツとしては岩爺さんの頼みもあるし、獄に近いのはある意味願ってもない状況なのかもしれないが、今優先すべきは獄では無くシルクリーク。恐らく彼女もその辺りを考えてくれての決定だったのだろう。


 時と場合によってはまた獄に入らないといけないかもしれない――とは覚悟しているものの、入らないで済み、尚且つ問題を解決できる可能性があるのなら、俺としてはそちらを優先させるのが当然の理屈だった。


「そういえばメイ、蟲毒の主と話しをしたのでしょ? シャイドの奴が何をしようとしているのかって、わかりそうな情報はなかったのかしら?」

「……ない……ような……あるような?」

「情報が足りないってところ?」

「そんな感じかなー。間違いなく碌なことにならないってのは分かんだけど、あいつらの動きってなんかアバウトっていうか、一貫性が無いっていうか……」


 俺の返答に、肩眉を上げ、口を少し曲げながら不思議そうな表情をしたリーン。恐らく俺の表情も、彼女と大して変わらないものになっているだろう。

 正直、本当に掴み切れていない……というか、理解できない部分が多すぎて、どうにも予想しようがなかった。

 

 人よ滅びろ。世界は変わる。

 あの主の言葉だけ聞くのなら、人という種族を滅ぼそうとしているようにも思える……が、その割には獄の動きに積極性が無い気がする。

 シャイドだってそうだ。クレスタリアを掌握していたにも関わらず“国を滅ぼそうとしていた”といった動きはそこまで見えなかった。

 

 更に、ドランがラッセルから聞いたという、愚痴のような【見失った】【連絡が途切れた】だのといった言葉、そして本当に俺の居場所を掴めていない様子。

 どうも“同胞”とか言っていた割には連携が取れて無いように思える。


 大体、人を滅ぼすだけで良いのなら、獄が連携を取って一斉に溢れ出て国を襲えば良いのに、あえてそれをしないで国の中枢に入ったり、動きがかなり回りくどい。

 

 滅ぼす……ってのが目的じゃないのだろうか? 

 世界を変えるとはどういう意味なのだろうか?

 

 分からない。

 もう少し情報を集めないと今はまだソレを予測することは叶いそうにもなかった。


「ねえクロウエ、どうせ今考えても分からないんでしょ? アタシとしては先にシルクリークに行ってからの話しをして欲しいんだけど」


 リッツの促すような言葉を聞いて、少し考え込みそうになっていた俺は、弾けるように顔を上げた。


 こいつ……こういう所は気が回る癖に、なんであんなに人付き合い下手なんだろうか……。


 不意にそんな疑問が湧いてきたが、せっかくリッツが話しを戻してくれたのだから、ありがたくその流れに乗ることに。


「そうだな。今後の方針としては、拠点を作り、シルクリークに侵入“ばれないように”しながら“目立つように”行動しようと思う」

「また面倒臭い言い回しを。これだからクロウエは……情報狙いで、あえてってことは、大方……反抗勢力狙いって所でしょ?」


 自分で言った後に『ちょっと回りくどかったかな』とか後悔したが、それでもリッツはきちんと理解してくれたらしく、俺の言いたいことを正確に受け取ってくれた。


「おお、リッツ。お前伊達にフサフサじゃないな」

「さすがリッツちゃんフワフワだわっ」

「オラ分かんなかっただで、すごいだよリッツどん」

「そ、そう? そうかしら? まあこのアタシに掛かればこんなものよっ」


 自慢気な顔。ピクピクと動く鼻頭。振られた尻尾はメトロノームの如く。

 おいリッツ、過半数が毛並みを褒めているんだがお前それで良いのか?

 

 とりあえず、見ていて面白い毛玉さんのことは放っておいて、俺は先ほどの答えの補足していった。



 反抗勢力――これは、ほぼあるといっても過言ではないだろう。

 圧制に耐えかねた亜人。捕まったと言われている第一王子を支持していた正規兵。

 人種の住民にだってきっとストレスが溜まっている。

 都市内でのイザコザの噂や、ドランが聞いた亜人達と鉄仮面の戦闘。

 ここまで状況が揃っていて、逆に居ない筈がない。


 俺としては、シャイド達には気づかれず、その反抗勢力とやらと出来れば接触したいと思っていた。

 別に戦力がどうこうという訳ではなく、単純に情報を集めるのに非常に有効な手段だからだ。


 見知らぬ場所からきた俺や、リーン。例え亜人のドランやリッツであっても都市内での情報集めは容易ではない、と考えたほうが良い。

 普通に考えて、答えてくれる人を探すだけで、どれだけ時間が掛かることか。

 

 蛇の道は蛇、という言葉がある。

 シルクリークの情報を知っているのは、やはりシルクリークに近しい人達だろう。その上で国に反抗している勢力なら俺達にとっては願ってもない相手。

 

 素顔を隠し、情報を集めつつも、その居るかもしれない勢力を釣り出す。

 最善としては接触に成功し、更にそいつらがそれなりに戦力を持っている。そして、色々と情報をもっていたら嬉しい……が、正直、それは高望みし過ぎとも言う。


 接触出来るかもわからないし、仮に出来たとしても友好な関係を築けるかも不明。

 シルクリークの兵士に押されているのだから、戦力に期待するのも……微妙。

 正直、どうにか情報だけでも教えてもらえれば御の字だ。


 不安要素は多い。

 とはいえ、別に駄目なら駄目で、その時は俺達のみという振り出しに戻るだけだし、試す価値はある。

 わざわざ着替えとか代えの武器とか色々と荷物を用意したのだし、出来れば無駄にはしたくない。


 とりあえず、短く纏めると“シルクリークで情報収集。それを行いながら、反抗勢力に目を付けてもらう。

 もし接触出来たらどうにか友好的な関係を築き、後は流れや情報を見つつも目的の達成。

 上手くいかなかったら、自分達だけという位置に戻るだけ”


「って感じの方針だな、どうだろうか」


 ココまでを一気に話し終え、俺は皆に最後の確認を取る。


「そうね。現状では他に手も無いし、それを指針にしながら後は状況を見て変更すれば良いんじゃないかしら?」

「オラとしては、特に何も言うことはないだで。皆を守るために頑張るだよっ」

「アタシもそれで構わないわ。どうせ今はこれ以上の指針なんて立てられる筈もないし」


 リーン、ドラン、リッツの順に返答、特に反対意見はないようだ。

 皆としても、後は実際に行ってみないことには分からないのだろう。


 無事話し合いも、終了へと差し掛かった。

 方針に関する同意も得られたし、時間も大分遅くなってきている。

 そろそろ夜番の順番を決めて、明日に備えておいたほうが良いだろう。


 今も頑張ってくれているドリーを褒めてやらないといけないし。

 

 地図を見ながらあーだこーだと話を続けている仲間達に声を掛け、俺は話しの締めとして、夜番の順番決めを行っていった。




 ◆




 雲が掛かり、まだら模様となっている夜空から、チラチラと月光が漏れ出している。

 時折光に照らされ、暗闇から姿を浮き上がらせる岩場。

 聞こえてくるのは、何かのうなり声や、ガサガサと背の低い草を揺らしている何かの足音ぐらいか。


 ほう、と肺から吐き出した呼吸が、顔に捲いていた黒い布の隙間から零れだし、蒸気のような白さをもって空気に溶け込んでいく。


「ローブのお陰で問題ないけど、今日は結構寒いかもな」


 篭手を着けたままでは余り意味の無い行為ではあるが、反射的に両手を擦りあわせ、ローブに包まって寒さを防いだ。


 周囲には、俺の独り言に反応を返してくれる人は居ない。


 リーン達は俺の真下――今頃は夢の中だろう。

 先ほどまでドリーは元気に俺と指相撲をして遊んでいたのだが、少しはしゃいで疲れてしまったようで、俺の足の上で樹々と共にスヤスヤとお休み中。

 

 話し相手に困るってのは、結構久しぶりかもしれないな。


 そう――現在俺は一人寂しく、土塊ドームの天井部分に座り込み、夜番を勤めている真っ最中だった。

 

 静かだなー。


 よく分からない音はたまに聞こえてくるのだが、人の気配がしないだけでも随分と静かに感じるものだ。

 目を閉じて、周囲の音だけに集中するようにしていると、だんだんと意識が狭まっていくようにも感じる。

 目深に被ったフードに吹き込む冷たい風と、肩に担ぐようにして握っている武器の重みが、なんだかやけにはっきりと意識にのぼった。


 ――これから俺は一体どうなっていくのだろうか。


 落ち込むわけでもなく、苛立つわけでもなく、俺は純粋な疑問の塊を呟いた。

 

 シルクリークへと向かう俺、獄級走破者となってしまった俺。

 減った数以上に絆が増えて、ドンドンとここの生活に馴染んでいる俺。


 なんだか、故郷で暮していたのが、ひどく遠くて、遥か昔のことのようにアヤフヤになってきている気がする。

 まだココに来てからそんなに時間が経っている訳でもないのに、ずっと、ずっと昔のことのように思えてしまう。

 

 何を馬鹿なことを。


 頭を振って妙な思考を追い出した。

 濃密な時間――とでも言えば良いのだろうか、ここに来てからというもの、色々なことが起こりすぎて、きっとそのせいでこんな気持ちになったのだろう。


 ズキリ、と少しだけ心が疼いた。

 平和な時を過ごし、仲間と一緒に会話を交わす。

 こういう何でもない時間が、いかに幸せなものだったのかが良く分かる。

 故郷で暮していた少し退屈だけど流れるような日々。それがとても懐かしい。


 ここに来てしまったことに不思議と後悔は無い。出会いや別れ、普通では出会えなかった色々なものを得ることが出来た。

 とはいえ、故郷のことも気にはなる。

 

 中々上手くいかないもんだな。


 前ほど動揺することはなくなっていたが、悩みは尽きる所か増えていくばかり。

 俺が狙われていると分かってしまった今、ただ平々凡々とはしていられないのだから。

 

 シルクリークにシャイドの奴はいるのだろうか……もしかしたら、居ないのかもしれない。

 そうなったら今度はそれを探して獄級へと向かうのだろうか。

 望むとも、望まぬとも、俺はまた獄に行く。ここまで来ると、そんな気がしてならなかった。


 恐怖はあるが、絶望は無い。

 既に走破した獄は三つ。容易ではないが“獄を走破するのは不可能なことでは無い”ということを、俺はもしかしたら誰よりも理解しているのかもしれない。

 

 最初は訳も分からず付いていっただけ、二度目はただがむしゃらに進んだだけ。

 三度目は、自分の意思で人を集めて突入した。

 獄内部以外の問題も、ドンドンと起こる規模が大きくなっているようだ。

 今度のシルクリークだって、明らかにクレスタリアの時よりも被害が大きい。


 終わりは一体いつなのか、俺が悩みを終えるのはいつなのか。

 シャイドを倒したら? 獄を無くしてしまったら? それとも別のナニカがあるのだろうか。

 分からないことだらけだ。


 しかし……『何も進展がないか』と聞かれると、実はそんなこともない。

 

 俺が狙われる理由に関しては、ドリーから話しを聞いたことによって、少しだけ検討をつけることが出来ていた。


 謎の球を吸収する力。

 これが狙われる原因なのではないか、と俺は予想している。

 

 始めて化け物に会ったのは故郷でのことだが、さすがに『俺が目的だったから襲撃しました』なんて考えるのは、突拍子も無さ過ぎる。

 それよりは、まだ吸収能力のせいで狙われていると考えた方が納得できた。


 理屈――というにはかなり弱くて、確定情報でもないのだが『あの球を放っておくと、主が復活してしまうのではないか』というのがドリーの予想だ。

 もしそれが本当であれば、あいつ等に止めを刺せるのは吸収できる俺だけということになり、狙われて当然といった状況になる。 

 

 これは何の証拠も無く、本当かどうかすらも分からない仮定。

 だが、あながち間違っていないのでは、と思える理由もそこかしらにあった。

 

 先ず、クレスタリア城内で投げかけられたシャイドの質問。

 【リズとラズ、それとライラに何をした?】


 あの時は意味不明だったが“俺しか止めを刺せない”といったことを前提にすると、この質問の意図を多少予測できる。

 リズとラズ、そしてライラ。

 これは、獄級の主の名前だったのでは? 

 肉沼で見た二体一組の主と、水晶平原でみた女性とも見える主。

 クロムウェルが主の如く変貌した事実、今まで見てきた人の面影を見せる敵の姿。

 

 もしかしたら、あいつらも元は人間だったのだろうか。

 

 シャイドが零したという【連絡が】との話しや、蟲毒の主が意思疎通できたことから考えてみても、主に個別の名前があっても納得はいく。

  

 そして【何をした】

 この質問は【何をしたら、殺せない筈の主を殺すことが出来たのだ?】といった風にも取れる。


 一つ予測が立つと、そこに連なるように情報が繋がっていった。


 こうなってくると“質問の時点でシャイドは俺が水晶平原の主を倒したことを知っていた”ということになる。

 つまり、初めてクレスタリアでシャイドと出会ったのも、偶然ではなく必然だった、と。

 

 一度目の肉沼――ここでシャイドが主の死を確認して、その原因を探る為に動いていたと仮定。

 そうすると、二度目の水晶平原――ここを走破した後、クレスタリアに向かう道中で、感じた気持ち悪い視線、ここに繋げられる。

 確かあの時は『気のせいか』などと言ってスルーしていたが、視線の先を飛んでいたのは『黒いカラスみたいな鳥』だった筈だ。

 

 クレスタリアの最後、シャイドはどうやって逃亡した?

 “黒いカラスに乗って”だ。

 

 偶然か? いやそれで済ませてしまうには少々気持ちが悪い。

 あれがシャイドの手下、もしくは見張りだったとすれば、俺達の動きを読み、待ち受けるように門前に居たことも頷ける。

 どういった理由で俺に声を掛けてきたのかまでは理解不能、何故あんな回りくどい真似をしたのかも不明。


 だが、この可能性は絶対に無いとは言い切れない……。


 

 集中していた俺の耳に、ガサリ、と草木を鳴らす音が入ってきた。顔を上げ、延々と考え込んでいた思考を、引き上げるように戻し、俺は周囲を伺った。


 モンスターか?


 と思ったが、視界に入ってきたのは小動物の姿。灰色の毛並みと尖った耳、なんとなく狐っぽい姿をしている。


「三級区域っていっても、普通の動物がいるんだな」


 思わず感心するように口から漏れた俺の声、それに反応した小動物は、ビクリと身体を揺らして逃げ出していった。


 驚かせてしまったようだ。

 張り詰めていた警戒をゆっくりと緩めていった。


 しかし、モンスターが居るといっても、獄とは違いやはり普通の区域には生命の息吹がある。

 これが獄だとしたら、小動物が出ようものならどんな嫌らしい特殊能力を発揮するのかと戦々恐々とするところだ。


 安堵が巡り、緊張感が薄らいだ。俺は両手の平を組み、前方へと向かって解すように伸ばした。

 バキバキ、と関節が鳴る音が聞こえる。身体にはあまり良くないとは聞くものの、どうにも癖でやってしまう……。


「ねえメイっ! 交代の時間よ」

「――ぬおおぃッ!? 馬鹿野郎、ビックリさせるなよリーン」

『にゅふ……zzz』

〈ぎゃーす!?〉


 突然下方から聞こえてきた声に驚き、俺が急に立ち上がったせいで、ペイっ、と樹々とドリーが土ハウスの天井に落ちる。

 樹々は抗議の声を上げるように鳴き、ドリーは気にすることもなく寝入ったまま。

 性格が現れていると言えなくも無い反応の違いだった。


「ふふ、メイったら驚きすぎよっ、顔が変てこなことになってるわよ」

「リーンがいきなり声かけるからだろっ」

「あら、見張りなんだから、気づかなくちゃ駄目じゃない」

「っぐ」


 正論だ。反論しようと思ったが、返す言葉も御座いません。

 ただ、仲間の気配というものは無意識の内に排除してあるもので、気づかなくても無理もない……いや、どうも言い訳臭いな。

 

 俺は『参りました』と言わんばかりに両手を上げて、リーンに見せる。

 それを見たリーンは『あらやだ、珍しく素直じゃない』と言いながら、俺の座っていた天井へと、地面を蹴って軽やかに上がった。

 

 フワリ、と赤布が舞い、髪が揺れる。

 音も無く飛び上がり着地したリーンの動きを見て、やはり自分はまだまだな、と自覚せざるを得なかった。


「今日は結構冷えるわね」

「だな。風邪引かないように気をつけないと」

「そうね。怪我は魔法で治せるけど、病気は治せないものがあるから、そういうのに掛かったら長引くわよ?」


 リーンの言葉を聞いて俺は『そうなんだ』と声を漏らした。


 回復魔法が万能では無いことは知ってたけど、病気なんかも治せないものがあるんだな。


 魔法って一体どういう原理で発動しているのだろうか? とも不思議に思ったが、考えても埒があかないことのなので、さっさと諦めることに。


 しかしこんな格好で寒くないんだろうかコイツ?

 リーンの格好は馬車の時と同じ薄手のもので、手甲などはしっかりとつけているがどう見ても寒そうだ。

 だが、よくよく目を凝らして見ていると、リーンの身体を縁取るように赤い魔力光が覆っていることがわかる。

 恐らく何かしらの防寒魔法でも掛けているのだろう。


 体育座りするように腰を下ろしたリーンの顔色は大分良さそうで、後遺症などの心配もなさそうだ。


「どうだ、体の調子は戻った感じか?」

「ぼちぼちかしら、鈍ってるみたいだし、もう少し身体を動かさないといけないわね」

「……さいですか」


 今日の戦闘での動き、先ほどの着地の滑らかさを見る限り、とてもそうとは思えないのだが、リーン的には不調の範囲らしい。

 単純なかけっこなら俺でも勝てる気はするが、技量部分は積み重ねた時間がモノをいう。 

 やはり戦闘での強さがあがる=技術の向上とはいえないようだ。


 俺も、もっと上手く動けるようにならないと。


 とはいえ『足りない』ということは『自分の強さには、まだ伸びしろがある』ということにもなる。

 自分の努力しだいでは、まだ強くなることが出来る。と考えると、少しばかりの嬉しさが込みあがった。


「そういえば、リッツとはどうだ?」

「んー、まだ話しを始めたばかりだし。そこまで分からないけど、良い子じゃないかしら?

 腕もあるし、後衛が増えるのは助かるわ……それに、年下の子みたいだし、私がしっかり面倒をみてあげるべきだと思うのよっ。

 そうでしょ?」


 グッと拳を握って力説し始めたリーンを見て『放っておいても勝手に仲良くなってくれそうだ』と一安心。

 ただ、リッツはどうやらリーンの中での妹分的な位置にロックオンされてしまったようだ――ご愁傷様です。


「なあリーン……仲良くするのは良いけど、お前が面倒見られないように気をつけろよ?」

「やだ、メイったら、冗談ばっかり言って」

「……お、お前な」


 リーンは、手を口元に、両目をパッチリと開いて『信じられない』といった表情を湛えている。

 こいつのこの自信は一体どこから湧いて出てくるのだろうか。



 その後、暫く雑談を交わしていたのだが、段々と眠気が襲ってきてしまい、俺の瞼は重力に屈する素振りを見せ始めていた。


 明日は俺の夜番は無いけど、早めに寝たほうがいいな。


 見張りの順番は俺、リーン、ドリー。そして明日がドラン、リッツ、リーン。

 次の日はリーンとリッツが休み。と全員が寝不足にならないように少し変則的な順番にしてある。

 だが、余り遅くまで雑談していると、移動時の戦闘で集中力を乱してしまうことにもなりかねない。

 夜更かしは控えるべきだろう。


 眠気眼を一擦り、ドリーと樹々を腕に抱え、リーンに向かって『お休みー』と声をかけて立ち上がる。


 だが、俺を引き止めるかのように、

「ねぇ、メイ。私、きっとシルクリークでも戦闘が起きると思うのよね。

 そうなると、相手は人の可能性もあるわ。メイはその時迷わず斬れる?」

 リーンがそんな質問を投げかけてきた。


 そういえば話してなかったし、リーンは知らなかったっけか。


「蟲毒で仲間を斬った。俺が必要だと感じたのならシルクリークでも迷わず斬る」


 恐らく心配してくれたのであろうリーンに、俺は即答した。


 間違いなく、と言っても良いほどに、シルクリークでは戦闘が起こる。

 ファシオン兵は正直人かどうか怪しいところだが、シルクリークの正規兵はきっと普通の人間だ。

 家族もいるかもしれないし、命令に嫌々従っているだけなのかもしれない。

 余裕があれば気絶させて無力化しても良いだろう。足を切って動けなくさせる位で済ませるのもいいだろう。


 だが、そんな余裕がいつもあるのか?

 乱戦になったら? 切羽詰った状況になってしまったら?


 迷いは自分を殺し、仲間も殺す。

 蟲毒でそれを身に染みて体感した。俺が仲間を斬らなかったら、オッちゃんは死んでいたし、被害は間違いなく拡大していた。


 仕方ないことだった、なんていって逃げる気は既に毛頭ない。命を奪うことを当たり前と感じることもきっとない。

 でも、同時に大事な場面で迷う気なんて微塵もなくなっていた。

 

 これを成長と呼んで良いのかは分からない。

 だが、今更迷うなんて俺が斬った仲間や、見捨てた彼らに対して失礼だ。俺の頭の片隅にはそんな想いがこびり付いている。


 リーンは俺の返答に驚くことなく真っ直ぐにこちらに視線を向けている。

 俺はそれをしっかりと受け止めて、自分の意思を視線で示した。

 少しだけ、ほんの少しだけ無言の時が流れ――リーンがゆっくりと口を開いて吐息を零した。


「そう、なら余計なお節介だったかもしれないわね。

 でも、メイったら私の知らないうちに、見違える程になっているのね。

 ドランもドランで強くなっているしで……なんだか少し置いていかれている気分だわ」


 そう言って、リーン拗ねたように眉を寄せ、口端を曲げる。

 表情は、どこか寂しそうで、少しの悔しさを滲ませていた。


 正直、ドランに関しては俺も同じ気持ちだ。


 自分自身のことはよく分からない。でも、ドランは明らかに以前より強くなっていた。

 怖がりな部分は相変わらずだが、それを忘れさせるほどの意思があの巨体から見え隠れしている。


 やっぱり大槌って奴との戦闘のお陰なのかな?


 色々聞いてはいたが、大槌の話しをしている時のドランの顔は、珍しくも怒りと悔しそうな感情を湛えていた。

 それが影響してなのか、歩いている時でも武器を少し振っていたり、リーンに頼んで身体の基本的な動かし方を教わったり――。

 今のドランは『強くなりたい』そんな意欲と熱意を持って、目標に向かって突き進んでいるようにも見える。

 

 元々持ち合わせた身体の強さ。努力を苦とも思わない生来の生真面目さ。

 それが彼の臆病さと技術不足を埋めた時、きっとドランは今より格段に強くなる。

 

 仲間が強くなるのは俺としても嬉しいことだ。

 でも、そんなドランを見ていると、心の底に沸々と湧き上がる想いがあった……。


「俺も……負けていられない」「私も……負けられない」


 俺とリーン、どちらが先に口を開いたのか分からないタイミングで吐き出された言葉。

 思わず驚いて顔を見合わせてしまったほど。


「リーンお前まだ強くなんの? もうよくね」

「馬鹿ねメイ。私なんてまだまだ弱いのよ?」

「えー」


 俺から見れば十分強いような気がするが、リーンの中ではまだまだ納得がいっていない様子。

 リーンは、慣れた動作で大剣を抜き払い、しげしげと眺めるように眼前へと翳した。

 メルライナに伝わる彼女の武器。魔法刻印が刻まれた刀身が光を反射して、ギラリと輝いている。


「知ってる、メイ? 技術を磨いて、強くなっていくと、どうしても突破できない壁に当ることがあるの」

「よく分からんけど、話しの流れからして、リーンがそうなってるってことか?」

「そういうことね……お父様も、お伯父様も、私なんかとは比べ物にならないほどに強い。

 昔の私じゃ越えられなかった壁の先――私に足りなかったモノ。

 段々ね……少しずつ分かってきたような気がするのよ。

 

 力が足りなくて倒れて、気が付いたらメイもドリーちゃんも居なくて。

 ドランに事情を聞いて……助けてもらったことを知って嬉しかった。

 でも、倒れていた自分自身がとても情けなくて、とても悔しかったの。

 私は……今よりももっと強くなりたい」


 リーンの吐き出すような独白が、冷たい空気に溶けるように流れた。

 

 俺には一体何が足りないのか検討もつかないが、リドルで動けなくなってしまったことで、リーンなりに何か思うところがあった、のかもしれない。


 しかし、リーンの父ちゃんも強かったのか……世の中化け物ばっかりだな。

 反射的に超爺のことを思い出し、俺は顔をゲンナリと変えた。

 

「メイ、なんか引き止めちゃったみたいになってごめんね。もう寝るんでしょ?」

「おう、そうだったな。明日もあるし、早めに寝るよ」

「おやすみ。明日から目的地に向かって移動ですもの、頑張りましょ」


 リーンはそういうと、目的地を示すように大剣を前方へと向けた。少し真剣な表情を貼り付け、全身からはやる気が満ち溢れている。

 

 惜しい、本当に惜しい奴だ……。


 今のリーンの姿は真面目な表情もあってか、カッコいいと言えなくもない。

 だがしかし、残念ながら大剣の切っ先は――どうみてもリドル方面を指している。

 もはや……何も言うまい。

 俺は、そっとリーンの大剣の先を二級区域の方へと直し、土塊ドームの中へと戻っていった。


 土壁に背を預け、ゆっくりと瞼を下ろし、俺は誘われるままに眠りへと落ちる……がっ、その後、モンスターからの襲撃を受けること計三回。

 一時間おき程度の感覚で叩き起こされて、深い眠りにつくことは中々出来なかった。


 襲いかかってきたモンスターに関しては、寝起きで不機嫌な俺とリッツの八つ当たりによって可哀想なほどにあっさりと片付いたのだが、削られた睡眠時間は戻ってはくれない。


 ようやく一段落した頃には、もう既にリーンの見張り番が終わりを迎える時間。

 ウンザリとしながらも、俺は『次こそは』と眠りに付くことに。

 溶けるように意識が落ちていく――そんなアヤフヤな状態で、俺の耳に何か楽しげな声が聞こえてきていた。


 にゅほおおお、凄いですっ。ではもう一つっ。

 ぎゃーーーすっ。

 ふおおおおおお、ではではもう一つっ。

 ぎゃーーーーーーーすっ。

 ひゃっほーーーーいっ。


 あまりにも意識が混濁していたので、夢なのか現実だったのかは定かでない。俺は特に気にすることもなく、意識を沈めた。



 ◆



 慣れ親しんだ、ともいえる感覚。

 意識が徐々にはっきりしていき、俺は覚醒へと向かっていった。


 なんだか妙に暖かい。

 昨日の晩の寒さから考えて、朝はきっと冷えるだろうと思っていたのだが、フードを取って露出している筈の顔は、なにかに包まれているように暖かかった。


 いや……顔というよりは、目の部分……むしろ暖かいというか生暖かいといったほうが正確かもしれない。

 

 チクチク、と側頭部に尖った何かを当てられているような、痒い程度の痛みを感じ、俺の意識が一気に現実へと浮き上がった。


 ――あれ、まだ夜か?


 パチリ、と目を開いて見たものの、俺の視界に入ってきたのは真っ暗な闇。

 気分的には既に朝でもおかしくないのに、と疑問に思いながら身体を動かす――が、何故か頭が異常に重い。


 え、何これ怖い。


 混乱したまま自分の頭部付近に手をやると、俺の五指にはゴツゴツ、というか妙に硬い不思議な手触りが返ってくる。

 訳も分からないままに、そのナニカを両手で掴み、頭部から退かすように引き剥がす。


 瞬間、俺の目に入り込んできたのは、入り口から差し込んできている陽光だった。


 何故か髪の毛が若干べたついているが、耳には鳥のさえずり、少し顔から生臭い香りがしたが、概ね空気は清々しい。

 

 やはり朝だった、素晴らしい朝だ。

 いたって普通の朝……俺が現在両手で抱え込んでいる、謎の生き物を除けばの話しだが。


 …………。


 視線が交差する。真正面からカチ合った。

 

 柴犬ぐらいの大きさ、堅牢そうな緑の鱗が全身を覆い守っている。逞しい足は今もジタバタと動き中空を漕ぎ、まるで俺に『離せ』と訴えかけているようだ。

 鼻先に向かって細くなっている頭部。

 口元からは尖った牙が覗き、張り付いているのは下手なチンピラよりも悪い吊りあがった双眸。

 

 はは、オカシイ。幻覚が見える。


 彷徨う視線。なにか夢である証拠を見つけようとフル稼働する頭。

 思わず呆然となり動きが止まっていたそんな俺に、どこかで見たことがある謎の物体Xは、なんの躊躇いも無く真正面から噛み付いた。


 俺の額から後頭部に掛けて、フォークで軽く突付かれているかのような痛みが走る。


「ぅ……ぅうおおおおおおおおおおおおお!?」

〈ぎゃーーーーーーーーーーっす!〉

『わーーーーー』

 

 そこまで痛くは無かった筈なのだが、噛み付かれたことによって、俺の混乱は極限に達し、謎のナニカをペイっと投げ捨て、妙な雄叫びを上げながら外へと逃亡。

 だが、走り出した俺の背後からは、何故か聞きなれた声が追いかけてきていた。


 ……あれ?


 少しだけ冷静さを取り戻し、足を止めて後ろを振り返る。

 見えたのは、同じく足を止めた柴犬サイズの爬虫類……とその背中に生え出すように引っ付いている黒い腕。


 駄目だ俺、まだ寝ぼけてやがる。


 目を擦ってもう一度見るが、やはり視界に映っているのは同じ光景。

 思わず、一歩後ろに足を引いて距離をとった……すると、何故か謎トカゲも背中の腕を揺らして一歩前へ。

 二歩下がると、二歩後を追ってくる。少し走ってみると〈ぎゃーー〉『わーー』と知った声が後を追うように付いてくる。


「わー」

『ひゃほーい』

〈ぎゃーー〉


 なんだかとても楽しそうだったので、俺は十分程その辺りを駆け回った。

 岩場を元気に走り回る俺と、爬虫類と腕。


 ――ッツ!? 俺は一体何をしているんだ。


 未だ寝ぼけたままの思考を引き戻し、俺は、間違いなく何かを知っているであろう彼女に、今の状況説明を頼むことにした。


「なぁドリーさん。アナタが現在乗馬されている物体Xは、なんなのでしょうか?」

『メイちゃんさんは一体何を言っているのですか? 樹々ちゃんではないですかっ』

〈……ぎゃ?〉


 当然の如く言い切るドリーと『もう遊ばないのか』といわんばかりに首を傾げて俺を見る樹々(仮)。


 頬を抓ってみるが、超痛い。目を瞬かせるが、夢から覚めない。

 

 ……もう駄目だ諦めよう俺。これはどうしようもなく現実だ。

 

 ミキサーでグルングルン回されたように混乱が頭上を回っていたが、俺はそれを強引に振り払った。


「……ドリー。少―し相棒に教えてくれると嬉しいんだけど、どうして樹々はそんなに大きくなっているのでしょうね?」

『おおっ!? それはですね。たくさん食べて大きくなりましたっ』

「そ、そうか。何よりだ。所で、ナニを沢山食べたらそんな珍現象が起こるのか、詳しく教えてくれると、相棒はめっちゃ助かるんだが」

『……? 昨日蝶子さんの魔法で育てた果物を朝あげたら、ムキャムキャっと大きくなりましたっ』


 少しだけ――眩暈がした。

 

 ムキャムキャっ、がどういった現象なのかは詳しく知る術はないが……とりあえず原因は判明したようだ。

 理由は分からないし、どういった作用が働けばこうなるのかは知る由もないが、間違いなく『蝶・グロウ・フラワー』とやらが関係しているのだろう。


 なんとなく、足元でピョンピョンと跳ね回っている樹々の頭を、少し屈んで撫でてみると、樹々は満足げに目を細め『もっと撫でろ』と、頭を手にすり寄せてきた。

 

 はぁ、やっぱりこいつは樹々なんだな。


 微笑ましいその反応を見て、再確認したというか、認めざるを得なくなってしまう。

 

 暫くの間樹々を撫でたりして遊んでいると、背後から人の気配を感じた。

 振り返ってみれば、先ほどの騒ぎで目が覚めたのか、土塊ハウスの中から出てきた皆の姿が。


「メイー、おはよ……んぅ?」

「メイどんどうしたんだで? なんか騒がしいけど……どっ、どうしたんだでっ?」

「クロウエ、うっさいのよっ! 朝なんだから少し静かに……

 ふぅ……お休みクロウエ。アタシ疲れたから寝るわね」


 朝起きで頭部が芸術となっているリーンが間抜けな声を漏らし。

 ニコニコとしていたドランの顔が状況を見て固まった。

 騒いでいた俺に文句を言いに来たリッツは、マラソン後に汗をふき取るような仕草で、額を片腕で払うと、何も見なかったことにして戻っていった。


 気持ちは凄くわかります。


『さあ、樹々ちゃん、飛ぶのですっ』

〈ぎゃすっ〉


 ドリーの声と共に、ジャッ、と地面を蹴る音が鳴る。

 その音に少し遅れ『はははっ』と乾いた笑いを上げていた俺の頭に、ズシリとした重みが加わった。


 ……重いです。

 確かにソコは樹々の定位置ではあるのだが、現在の大きさもあって、乗るというよりは、肩車したお父さんの頭にしがみつく子供、のような有様になっている。


 特に耐え切れないほどの重さではなかったので、俺はそのままの状態でハウスの中へと足を進めていった。




 ◆




 あの妙な現象が起きてから三日ほど経った現在。

 俺達は三級区域の少し空けた広場で『一仕事終えたぜ』みたいな顔をしながら、眼前に佇む樹々の姿を眺めていた。


「……まさかこんなことになってしまうとは、俺も予想出来なかった」

『おお、凄いですねー』

「メイ、樹々ちゃん凄く可愛いわっ」

「メイどん……世の中って不思議なことが一杯だってオラわかっただで」

「クロウエ、アタシ気が付いたわ。細かいことは気にしないようにしようと思うの……出来るかは分からないけど」

 

 珍現象とも呼べる結果に向かって各々に感想を呟く俺達の姿は、いつもの姿とは少々異なるものとなっていた。


 愛用している服は荷物の中、代わりに羽織っている砂色のローブが身体を覆っている。

 俺とリーンの口元には、ローブと同色のマフラー。ドランとリッツは少し大きめのローブを着込みフードを目深に素顔を隠していた。

 武器こそまだ普段通りのモノだったが、遠めに見たら俺達だとは分からない状態だ。


 というか、一番変わったのは俺達じゃないんだけど……。

 視線を巡らし、準備万端に広場中央で待ち受けている樹々さんに改めて目を向けた。


〈ギャーーーッ!〉


 自慢げな咆哮を青空へと向かって轟かせた樹々。その姿は……とても大きなものでした。

 頭部の位置は既に俺より少し高い位か、全体的な見た目こそ変わらないながらも、彼女はビッグ樹々さんへと見事成長を果たしていた。

 

 何故こうなった。


 いや、原因は分かっている。あれから俺達が調子にのって樹々に蝶子さんイン『グロウ・フラワー』を与え続けた結果だ。

 とはいえ、まさか本当に人が乗れるサイズにまで育つとは思わなかった。


 結局なんでアレを食べさせると大きくなるのかは分からないまま。

 ドリーや皆と予想した結果としては『蟲毒の蟲も異常に大きかったし、なんだかそんな感じの現象が起きたんでは』とかかなりアバウトな理屈をつけて、気にしないことになっていた。


 元々『走破竜』は大きかったのが退化したみたいなことも聞いていたし、蟲毒の進化の流れを死骸の壁で見ていた俺としては、少しだけ納得のいく現象ともいえ……る?


 ただ、別に考え無しに樹々に食事を与えた訳でない。

 移動時間の短縮が出来るのでは、との予想と期待を込めてのものだった。多少姿は目立つものの、それは色々と対策が取れるので問題は無い。


 本当だ、食べる姿が可愛いからと皆が与えた結果では無い……いや少し位、一ミリ位はそんな気持ちもあったかもしれない。


 だがしかし、現在俺達が未だ三級区域を抜けることが出来ていないのもまた事実。

 過去に走破者達の相棒として大地を駆けたと言われている樹々さんのご先祖様のことを考えれば、期待するのも当然ではあった。


 でも、これ以上は例の果物を与えることは厳禁というよりは、ドリーには蝶子さんの手助けをしたグロウ・フラワー禁止令を出してある。


 正直今よりも大きくなられたら困るし、樹々以外の生物が巨大化しようものなら大変なことになりそうだからだ。

 試していないので、本当にそうなるのかは分からない。だが、試す気はこれからも出ないかもしれない。


 超巨大モンスター現るっ。とかなったら責任が持てん。


「でもメイ、本当に引っ張れるのかしら?」

「んー、蝶子さんに頼んでドリーの強化魔法を掛けて、更にリーンが上から強化魔法をかければ、ドランと俺、荷物くらいならいけるんじゃね?」


 リーンの疑問に俺自身良くわかっていないまま返事をし、ツカツカと樹々に近づいて最終確認を取った。

 

 樹々の背中にはドランが布や紐、余ったモンスターの皮等で製作した簡易の鞍。

 胴体には、ドラン愛用の武器でもある金属箱から伸びた鎖がしっかりと捲きついている。

 繋がる先には当然、金属箱。

 そして馬では持ちきれない荷物が、箱の取っ掛かりなどを利用して、上部に固定されていた。


 箱の下部には、地面に引っかからないように付けられた、スキー板のようになだらかな曲線を描いた板。

 そこらの木と、補強としてモンスターの骨やら皮やらを使っているので、そうそう壊れる強度ではない。


 見れば見るほど完璧で、上手くいくイメージしか湧いてこない。

 後は樹々さんの馬力次第。


「よしドラン、出発するぞー」

「メイどん……本当にやるのけ?」

「当然だドラン。大丈夫、きっと大丈夫っ。俺を信じろっ」


 不安そうなドランに声を掛け、リーンとリッツは買い取っていた馬へ、俺は樹々へと乗り込む。

 この構成にしたのにもきちんと理由があった。


 俺が馬に乗ったことがないからだ。

 馬に始めて乗って上手くいくとも思えない。その点、樹々ならばこちらの言葉が分かっている様子だし、声だけで指示を出すことが出来る。

 

 ドランさんは、どう考えても馬にも樹々にも乗れないので、繋がった金属箱の上、ビップ席ともいえる特別シートへと搭乗してもらっている。

 

「オラ、なんだか分からないけんども、不安が溢れて止まらないだで……」


 怯えたような声を上げたドラン。その不安も頷けるというものだ。

 幾ら大きくなった樹々とはいえ、彼の体重、更に荷物、馬車と違って車輪もないし、満足に牽引できるか分からない。

 もしこれで動けなかったら、きっと優しいドランのことだ『自分の巨体の所為で速度が上がらない』なんて落ち込んでしまうに違いない。


 くそっ……なんて良い奴なんだドラン。


 俺は背後を振り返り、ドランを安心させるべく、親指を突き出して『任せろ』と勇気付ける。

 それを見て少しは安心したのだろうドランは、引きつっている口元をそのままに、俺に向かって大きな親指をグっと返してみせた。


「よーし、ドリー、リーン頼むぞっ」

『了解ですっ――《蝶・フィジカル・ブースト》』

「じゃあ掛けるわよ『オーバー・アクセル』」

〈――ッ――ギャーー!!〉


 ドリーとリーンが揃って身体能力を上げる魔法を、馬と樹々へ。

 水色の魔法球に蝶が吸い込まれ、赤い魔法球がその上から重複していく。


 魔法が掛かったと同時に、力が漲ってきたのか、馬が嘶きを上げ、樹々が空気を揺るがすような雄叫びを発した。

 ザッザ、地面を軽く蹴り上げる樹々の様子は、今か今かと待ちわびているようで、とても頼りになりそうな雰囲気を醸し出している。


「クロウエ……傍から見てるだけのアタシが言うのもなんだけど、不安しか感じられないのは気のせい?」

「大丈夫だリッツ、任せろっ」

『樹々ちゃんを信じましょうっ』

〈ギャーーー〉


 ソリの素材、二重強化魔法、樹々(なかま)の力。

 これを信じなくて何を信じろというのだろうか、案外根が真面目なせいか、リッツは細かいことを気にする奴らしい。


「メイ、時間がある時は、私も樹々ちゃんに乗せてねっ」

「おう勿論だリーン。じゃあ樹々、頼んだぞ、出発ッ――」


 羨ましそうな表情で樹々に声をかけてきたリーンに、軽く手を振って声を返す。

 俺は、気合十分の樹々の頭部を一撫でし、前方へと指を差し向けて勢い良く出発の声を上げた。

 ――瞬間。

 風の如く、暴風の如く、樹々が――駆け飛んだ。

 

 ……ん?

 地面が爆ぜる音がして、景色が溶けるように後方へと吹き飛んでいく。


「うおぉぉぉぉっ!」

『ひゅわわわわッ!』

「メ、メイどんっ、メイどんっ、あばばばばばばっ!」

「メーイ、私やっぱり馬で良いわねー」

「クロウエっ、アンタってやっぱり馬鹿よっ!」


 同時に馬に乗って駆け出したはずのリーンとリッツの声が、あっという間に後方に遠ざかってしまい返事をすることが出来なかった。

 ……いや、どうせ例え遠ざかっていなくても、俺にはそんな余裕はなかっただろう。


 後方から聞こえる悲鳴。地面の小さな岩が砕けたであろう破砕音。


 何これ、何これ、予想以上に早いっていうか……


「速過ぎんだろがあああッ!」

『わーい、凄いぞー樹々ちゃん。速いぞーカゲーヌXっ』

「助けてくんろっ、誰か助けてくんろっ!」

〈ギャーー!〉


 鞍に付いているロープを必死で握り締め、叫び声を上げながら周囲を見渡す俺。既に慣れてしまったのか、楽しそうに妙なテーマソングを歌うドリー。

 ガッタンガッタン揺れまくる箱の上で、来る筈も無い助けを求めるドラン。

 速度は未だ緩まる様子を見せず、前方から叩きつけられてくる向かい風は、どえらいことになっていた。


「止まって、ちょっとスピードを緩めて、樹々っ頼むから、後生だからっ」

「オラ駄目だで、もう駄目だで……」

〈ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃぎゃ――ギャースっ!〉


 楽しくて仕方ない。そんな鳴き声を上げて走る樹々さんの耳には、俺の制止の声もドランの絶望の声音も届かない。

 

 飛ぶように走り、喜び勇んで駆け抜ける。

 

 はは……。

 前方になだらかな起伏が見えた。上部に向かって坂を見せる地面、そこに向かって凄まじい速度で荷物を引きながら突っ込んだらどうなるだろう。

 正解は――引きずられている荷物が空中に飛ぶ。これだった。


「……わー」

「オラ……飛べたん……だで」


 スパッ、と勢い良く飛び出した荷物、それに捕まり少しのあいだ空中浮遊を楽しんだドラン。

 俺はそれを見て、何と言って良いか分からなくなり、口から漏れたのは感心とも取れる妙な声だけだった。


 空に舞ったモノは重力に引かれて地に落ちる。これは当然の成り行きで、当たり前の結果。

 ゴガッ、と凄まじい音と共に地面を軽く破壊、荷物とドランが着地した。

 ドランは振り落とされこそしていないものの、既に叫ぶ気力すらなくなっているようだった。

 

「落ち着け、ドランの為に止まってあげて、もう止めてあげてよっ!」


 必死で樹々に速度を緩める指示を出す。でも止まらない。

 お願いですから樹々さんっ、と頼む込んでみる。それでも止まらない。


 結局、樹々のテンションが落ち着くまで、おおよそ十分近く――俺達は恐怖のジェットコースター体験を味わうことになった。

 いや、俺はまだマシだ……後方で箱に乗っていたドランに比べれば。


 一旦止まって岩場に腰掛け、リーン達が追いつくのを待っている間、ドランはプルプルと震えて、地面をじっと見詰めていた。

 

 ――馬車……馬車をその内買ってあげよう。

 

 透き通った海のような青空の下、俺は太陽のまぶしさに目を細めながら、そんな固い決意を胸に宿したのだった。




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