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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
蟲毒の坩堝
77/109

蟲毒の坩堝【最終】

 




 光と共に消滅した獄の区域と、クリスタルを壊してもなお残存している主の遺体。

 “私”は、相棒の肩上から、主の頭部辺りでクルクルと回っているキラキラ球へと視線を向けていた。


 ……てっきりクリスタルを壊したら、主さんの体も消えるものと思っていたのですが、どうやら違っていたようですね。


 前に相棒が『主もこのクリスタルから力を得ている可能性が高い』と言っていたので、この結果は少しだけ意外だった。

 じっ、とキラキラ球を眺めていると、なんだか悲しい気持ちになってきてしまう。


 蝶子さん……。


 無事にクリスタルを破壊し目的を果たしたのだから、悲しんでばかりいても……とは思うけれど、光る球に溶け消えた彼女のことを思い出してしまうと、どうしても明るい気持ちにはなれそうになかった。

 蝶子さんの目的もわからぬままではあったが、私としてはそれ自体はどうでもよく、彼女の存在がいなくなってしまったことだけが悲しくて堪らない。


「……とりあえずあの球を触ってみるか」


 そう呟いた相棒の様子は、どこか疲れているような、悲しんでいるような雰囲気を感じさせる。

 

 相棒も、きっと蝶子さんのことを考えているのでしょう。


 きっとそうに違いない。ただ、そんな表情を浮かべていたのは最初だけで、暫くすると、相棒は気持ちを切り替えるかのように一つ頷き、落ち込んでいた表情を普段通りのものへと変えた。

 相棒らしい。恐らく、皆さんのことを考えていつまでもそんな表情をしていてはいけない、とでも思ったのでしょう。

 私も見習わないといけませんね。


 

 隊の皆さんが治療などを行っている間に、私達はキラキラ球のもとへと向かう。

 私はぼーっと上を見上げながらも、相棒の歩く揺れに体を任せていった。

 右へ、左へ、フラリフラリと揺れる。


 随分お日様が遠いですね。


 ずっと上のほうに小さく見える地上の光。

 お日様までの距離は高く遠く、この地の底まで暖かい光を届かせることはない。

 隊の走破者さんが、頭上へと向けて唱えた魔法球の明かりが無ければ、前方の様子を伺うことだってまともに出来ないだろう。


 魔法の明かりがあるとはいえ、周囲はかなり暗い。ただ、相棒にとってはこの魔法球の明かりだけでも十分なのか、特に問題ない足取りだ。


「さて、今回はどうなんのかね?」

『んーみゅ、とりあえず毎回これのお陰で助かってはいますし、今回も悪いようにはならないのではっ?』


 実際、肉沼での身体能力強化、キラキラ平原での武器強化、それが無ければ乗り切ることが出来なかった場面が多々あった。

 身体能力には上がいて、武器だってジムさんといわれる方の作った似たような武器が存在している。

 強大とはいえない力なれど、これからの相棒のことを考えればきっと役に立ってくれるはずだ。


 手を握り締めたままの状態で死んでいる主。

 間際に着いた相棒は、顎に手を当て少し唸ってから、灰色、黒、白、透明のキラキラ球へとゆっくりと手を伸ばす。


「とりあえず透明でも取ってみるか」


 恐る恐る手を伸ばし、相棒が透明の球へと手を向ける。だが、キラキラ平原の時と同様に、透明の球は相棒の手から逃げるように遠のいていってしまった。


 遠のく球と近づく球。

 入れ替わりになるように、スッと、空を滑り移動してきて白い球が相棒の手の中に納まり、氷でも溶けるかのように体内に消えていく。


 おや?

 蝶子さんがいた泉以来、魔力交換を出来るようになっていた私は、相棒の中に何かが入り込んでいくのをあやふやながらも感じ取れていた。


 力が相棒の中でノロノロと移動していく。

 腕から心臓へ、心臓で一旦止まる。

 そのまま切り離された一部が、肩を抜け――私の中に流れ込んだ。


『――――ぁッッ!?』


 声にならない悲鳴が漏れる。

 痛い、痛い。

 引きずりこまれるようにして、一瞬で意識がその力に持っていかれてしまう。

 ギシギシと軋みを上げていた。

 私の魂が、流れ込んできた膨大な量のナニカによって、破裂してしまいそうなほどに悲鳴を漏らしている。

 よくわからない感情の奔流が荒れ狂い、耐え切れなくなって体が壊れてしまうのじゃないかと思うほど。


 怖い、何だかとても恐ろしい。

 ナニカに触れたことが切欠となったのか、相棒の中に残っている力も先ほどよりも鮮明に感じ取れた。

 

 膨大、莫大。

 人では絶対に耐え切れないほどの、恐ろしく膨大な命とも魂ともいえる力が渦巻いている。

 黒い、黒い、真っ黒な悪意の塊。

 憎しみや、悲しみや、負の感情が渦を巻いているようだった。

 前に本体が『特に問題は無い』等と言っていたが、冗談ではない。実際見ていないからそんな事が言えるのだ。

 

 このままコレを見ていたら――。


 引き込まれてしまいそうな恐怖を感じ、それを誤魔化すかのように、私の中に入ってきた力に意識を逸らす。

 体の痛みが、ほんの少しだけ楽になった。


 蒼い――水のような力の塊。

 相棒の中にあったものとは違い、特に悪意などは感じられない。

 じっとそれに意識を集中しているうちに、何故か私の心の中には、悲哀にも似た感情が湧きあがってきていた。

 悲しい……なぜかとても泣きたいような気分に駆られる。


 悲しくて堪らないけど、嫌な気分では無かった。

 思わずそれに浸っていたい気持ちになってしまったが、暫くすると、眠りから覚めるかのように意識が外されていってしまう。

 

 徐々に徐々に、意識が浮上して――

 ハッと気がつくと、私の視界は開けて、元の景色に戻っていた。

 

 何だったのでしょう今のは一体……。


 混乱した頭のまま、キョロキョロと手を動かし相棒を見ると、何故か相棒が呆然とした表情のままで、両目からボロボロと涙を零している。


 何故? 私も悲しい気分になってしまいましたが、もしかしたら相棒も同じだったのでしょうか?


『相棒……大丈夫ですか?』

「――ッツ!? お、おう、別になんも問題ないぞ」


 心配になって私が声をかけると、それを聞いた相棒が目を覚ましたかのように動き出す。

 ゴシゴシと手の甲で目を擦って涙を拭いて、相棒は『何でもない』と繰り返している。

 何かを隠している? とも思ったが、どうにもそんな感じではなく、自分でも訳が分かっていないような印象だ。

 

 それにしても……いつも相棒はあんなものを受け入れているのだろうか。

 巨大な力、命、魂、なんと言えば良いのか分からないアレは、とても強く大きい。下手すればあのまま球を放置していたら、主さんが“復活してしまう”のではないかと思うほどに。


 もしかしたらあれが主さんの力の源なのでしょうか?


 不安に駆られて相棒を見て見るも、私のように痛がっている訳でもないし、そこまで怖がっている様子も無い。


 むむ……やはり相棒は凄いということなのでしょう。


 相棒の姿を見て少し心が落ち着いた私は、思わず心の中で賛美の声を上げる。


「訳がわからん……つか、今回何も変わってないよな。何だ、もしかしてハズレとかあんのかコレ?

 でもなんかモヤモヤするんだよな。もう少しで出てきそうって言うか……」


 私が自分を見ていることに気がついたのか、相棒は話を逸らすかのように慌てて言葉を募る。

 どうも自分が涙を流していたことが恥ずかしかったようだ。


 おや?

 慌てた相棒を見るのも中々楽しいものです、などと思いながら見ていた私だったが、不意に――頭の中に一つの言葉が浮かんできたことに気がついた。


 よくわからない不思議な言葉。

 私は、無意識の内にその言葉を口にしていた。


幻想蝶の小さな応援バタフライ・エールフェクト


 吸い上げられるかのように私の中の魔力が指先に集まって、蒼い、蒼い魔力光が燐粉のように舞う。

 集まって集まって輝いて――中位程度の魔力消費と共に、指先から魔力で形作られた蝶がキラキラとした光を伴い空へと飛んだ。


 暗い穴倉の底で、蒼い綺麗な蝶がヒラリヒラリと羽ばたく。

 見覚えのある姿。

 記憶に刻まれている彼女。


『にゅおおおお!? 蝶子さんではないですかっ』


 その姿は、蝶子さんと全く同じものだった。



 ◆◆◆◆◆



 ドリーの言葉と同時に、俺の視界の中に蝶子さんが現れた。

 歓喜の声を上げるドリーと、その指先にピタリと止まった蝶子さん。


 目が点になる。とは正しく今の俺の状態を表す言葉だろう。

 嬉しさだったり疑問だったり、様々な想いがグルグル回って、俺はただ間抜けにもその場で突っ立っていることしか出来なかった。


 正直訳がわかりません。


 魔力光と不思議な言葉。

 それから考えると、恐らくドリーが呟いたのは魔名で、それによって現れて蝶子さんは魔法? なのだろうとは思うのだが、何故に球を吸収して ドリーが新しい魔法が使えるようになったのかがわからない。

 もしかしたら蝶子さんが球に吸い込まれたことが関係しているのだろうか?

 

 と、いうか。

 俺は? 俺にご褒美はないんですか?


 確かに蝶子さんにまた会えたのは嬉しい……嬉しいのだが、てっきり新しい力に目覚めた感じになった俺が『これからの来るであろう苦難を楽勝で乗り越える』とか考えていた部分もほんのちょっと、少しだけ、微々たるくらいあったので、なんというか肩透かしされた感じだ。


 悩みはまだまだ多く、心に残る悲しみは消えていない。せめてご褒美くらいは、とか思っていたのが予想外の展開になってしまい、嬉しさ半面、残念さ半面で、肩を落とさざるを得ない。


『メイちゃんさん……見てくださいっ。ふおおおおお』


 妙な掛け声に導かれそちらを見て見ると、順繰りに上下に動かされたドリーの指の隙間を、掠ることなく華麗に潜り抜ける蝶子さんの姿が。

 互いの息が合っていないと絶対に出来ないであろうソレは正に匠の技。


 いや、お前らは一体何をしているんだ。

 一瞬凄いとか思ってしまったが、冷静に考えると超絶に無駄なチームワークだと気がついてしまい、思わず苦笑いが零れる。

 が、その楽しそうなその姿のせいか、不覚にも俺の心は癒されていた。


『おや? 相棒お疲れですか? では私が回復魔法をかけて差し上げますねっ《フィジカル・ヒール》』


 俺の吐いたため息を見て、疲労しているとでも思ったのか、ドリーが此方に向かって回復魔法を掛けた……のだが、淡い光が包み込むと同時に、 何故か俺へと向かって蝶子さんが飛翔。

 そのまま回復魔法の魔力光に溶け込むように消えてしまう。


「あれ? え? 何これ」


 掛けられた魔法の光が跳ね上がるように強くなり、力が溢れるように漲って、疲れ果てていた体に体力がグングンと戻る。

 ドリーの掛けた下位魔法は、何故か中位魔法と同じぐらいの効力を発揮していた。

 しかし、その変わりに折角再会できたはずの蝶子さんの姿は綺麗さっぱり消えてしまい、居なくなってしまっている。


『蝶子さぁぁんっ《バタフライ・エールフェクト》』 


 それに焦ってしまったドリーが、再度魔名を唱える――と、

『おお、出ましたっ!』

 特に何事も無かったかのように蝶子さんが復活を果す。


「えー、なにそれ、ドリーばっかりずるくね」

『ふふふーどうやら私は【蝶・私】に進化してしまったようですよ相棒っ』


 いずれ羽でも生えるんですかドリーさん?


 ただ、今の見た一連の流れでわかったこともある。

 意思があるのか無いのかまではわからないが、やはりこの蝶子さんは魔法だということ。

 もしかしたら効果は『魔法の効果を上げる』といったところか?

 その辺りの効果検証はまた暇な時にするとして、問題は……何故俺には何もないのかということだっ。

 球が入り込んできた時とその後に、なにかが起こりそうな感じがしていたのだが、俺の気のせいだったのだろうか?


「なあ、ドリーというかどうやって魔名が判ったの?」

『むむ……なんと言えばいいのでしょうか。こー頭の中に集中していたらニョキっと出てきましたっ。

 コツは芽が出るときの瞬間みたいな感じですっ』


 駄目だ……芽が出る瞬間の感じが全く分からないッ。


 一瞬で諦めそうになってしまったものの、やはり悔しい気持ちがあり、俺は必死になって集中して、頭の中に入り込むかのようなイメージを描く。

 目を瞑り、出てこい出てこいと念じ続けていく内に、脳裏にナニカが浮かび上がってくる感じがし始める。

 

「おっ? おおおお? キタなんか出てきたぞドリーッ」

『すばらしいですっ、そのままニョキって感じですよメイちゃんさんっ』


 ドリーの言葉を聞いて、ニョキっの想像をしたが、そのせいで出てきたものがどこかにいってしまう。


 おい待てっ。

 わたわたと慌ててそのイメージを止め、もう一度意識を集中していくと、今度こそ不思議な言葉が脳裏に浮かんできた。

 

 よし、よし、そのままだそのまま。

 宥めるように頭の中に声をかけ、俺はソレが消えてなくならないうちに、口に出した。


復讐者の羽ばたきリベンジャー・フラッピング


 低級よりも更に少ない程度の魔力が引き抜かれるようにもっていかれ、無駄に力をこめた俺の指先から、無事真っ黒な小さな魔力の塊が飛び出した。


「はは、きてしまった俺の時代が……やったッ、俺にも新しい魔法がッ」

『おめでとうございますメイちゃんさんっ。やはり世界一位は違いますねっ』


 そうだろう、そうだろうとドリーに声を返しながら、自らの出した魔法に眼を向けた。

 黒い小さな豆粒ほどの大きさの丸い魔力塊。

 それはやはり素晴らしい力を秘めているのか、ブンブンと元気よく飛び回っている。


 ドリーの出した蝶子さんと一緒に飛び回るその姿は、中々可愛いといえるかもしれない。

 なんとなく蠅に見えなくもないが、きっと気のせいだ。


「さて、お前はどんな力を持っているんだッ、俺に見せるが良いさッ。さあやれッ、やるがいいッ」


 腕を振るって、指先をそのへんに突きつける。

 今回の主は強かったし、間違いなく想像を絶する力が持っているに違いない。


 俺は、若干ハイテンションになりながらも黒い豆粒に命令を下す……が、

「おい、馬鹿っ、止めろ。ははーん、嬉しくってじゃれてやがるんだなこやつめ」

 飛翔した豆粒は示した方角には行かず、変わりに俺の周りをブンブンと飛び回り、そのままこちらに体当たりをかましてくる。


 まったく、元気のいい奴だ。

 ようやく出現した魔法だ、少しくらいやんちゃでも仕方ないだろう。


 振り払ってしまったら拙いだろうし、突撃してくる魔法を俺はかわすことに専念した。

 飛ぶ、躱す、飛ぶ、避ける。

 ブンブンと飛び回る魔法は疲れを知らず、こちらに延々と向かってきている。


 頭に乗せていた樹々が、急に動き出した俺に文句でも言いたげに鳴いていたが、今俺は新魔法のじゃれつきを躱すことで忙しいので、放っておくことに。

 

 それにしても少し元気の良すぎる魔法だ。


「まあまあ、落ち着け。

 マジで、そろそろやめろって。判ったから、お前が俺を大好きなのはわかったからお止めっ」


 高速で飛行する豆粒は右から左からと突撃を繰り返す。

 半身になって、頭を下げ、後方にさがって躱し続けるも、やたらとしつこく付きまとってきて、こう言ってはなんだが、だんだんとウザッタクなってくる。

 だが、可愛らしいこいつは、きっと俺に懐いてしまっていて遊んで欲しいのだろう、と自分を諌めて我慢を……。


 突撃、避ける。

 我慢を……。

 突撃、避ける。

 が、我慢を……


「だーうざってぇッ!」


 出来なかった。

 気がついた時には、衝動にまかせ真っ直ぐに飛び交ってきた豆粒を、パンッ、と蠅でも潰すかのように両手で押しつぶした後だった。


「ああッ!? 俺の、俺の魔法ちゃんがッ! くそ、もう一度ッ『リベンジャー・フラッピング』」


 折角出てきた新魔法はこれで終わりなんて冗談じゃない。

 塵のように消えてしまった魔法を見て、焦ってもう一度魔名を唱える、と。

 先ほどよりも多くの魔力を抜き取られた感覚が体を巡り、俺の願いを聞き届けたかのように、再度黒い魔力塊が現れた。

 ……何故か少し大きさを増して。 


「おお、よかった……出てきた」


 豆粒から十円玉くらいの大きさになっている俺の新魔法を見て、少しだけ安堵の気持ちが涌いた。

 さすがにもう出てこないなんて事はなかったらしい。


「さっきは俺が悪かったよ。すこしだけ熱くなっちまった……ごめんな」


 やはり人間自分の非を認めるのはとても大事な事だと俺は思う。

 例え相手が魔法であってもしっかりと謝罪を入れることこそが、友好に繋がるのだろう。

 まるで握手でもするかのように、へへっ、と伸ばされた俺の手。


 相手も俺の気持ちをわかってくれたのか、真っ直ぐにこちらに向かって飛んできて、

 パンッ。

 俺の頬に直撃した。


「いってぇ!? 馬鹿じゃねーのこの魔法! 駄目だこれ、絶対蠅だ。あのムカつく蠅に違いないッ!」

『メイちゃんさんっ、私自分の魔法に逆らわれる人を始めて見ましたっ』


 俺も初めてです。

 平手でも打たれたかの如くヒリヒリと痛む頬を押さえ、感心するかのように掛けられたドリーの言葉に、俺は小さくため息を吐いた。


「隊長さん……何遊んでんだ。もう治療は終わったぞ、早く地上に帰ろうやっ」

「あ、ごめんオッちゃん」


 自分の魔法に対して愚痴を言いながら騒いでいた俺に、呆れるように半眼となったオッちゃんが話しかけてきた。

 言葉に促され後ろを見て見れば、確かにもう全員の準備が終わっているようで、皆が皆不思議そうな眼差しを俺に向けている。


 っぐ、あの糞蠅が……絶対に許さねーからな。


 羞恥の感情をごまかすかのように自分の魔法に文句を言って、俺は地上に出る為に隊の皆の下へと歩いていった。


「つか隊長さんよぉ、せっかく名前教えたのに相変わらずその呼び方なんだな」

「そっちこそ、もう隊長って呼ばなくてもいいでしょうに」

「あぁ、何か癖でな」

「同じく」




 ◆




 行きはよいよい帰りは怖い、とはよく言うが、行きは馬鹿みたいに大変で、帰りも大変など面倒臭いにも程がある。

 横穴や縦穴がなんの脈絡も無く伸びまくって、モンスターこそ出ないものの、ただ外に出るだけでも一苦労。

 時にアース・メイクで真上に掘ったり、グランド・ホールで穴を開けたりしながら上に向かう道を延々とひた進んだ。

 途中であのノミが居たであろう広間を通ったが、クリスタルがなくなった後のソコはかなり酷い有様となっていた。

 

 死体の山。

 やはりあの時点までは生きていたのだろう捕まっていた人達は、獄が消えたことによって、モンスターから解放されはしたが、予想通り全員息絶えていた。

 少しばかりの黙祷を捧げ、攻撃魔法でその広間を破壊。俺達は、土の中へと死体を埋葬した。

 

 やはり良い気分はしない……でも、あのままあそこで捕まったままで生き残ることが彼らの幸せだったのか?

 と考えると、中々難しい。


 結局どちらが良いのかなんて、捕まっていた本人達にしか分からないことではあるし、余り気にしても仕方のないことなのかもしれない。


 その後は特に異変も無く、二日程かけて俺達は地上へとたどり着く。

 速生樹海は跡形も無く消え、坩堝の在った場所には深く底が全く見えない大穴だけ。

 その周りに広がっているのはただ土の地面と、残された蟻地獄のようなお碗状に沈んだ地形だった。

 

 とはいえ、太陽光の光はさんさんと降り注いでいるし、腐った異臭のしない新鮮な空気はそこら中に溢れている。

 凄まじいほどに美しい景色ではないものの、自分が地上に出たんだと実感するには十分なものだ。


 地上に出た瞬間の皆の反応は、十人十色で人によって様々な違いがあった。


 膝をついて泣き出す者、地面に転がって騒ぐ奴。

 馬鹿みたいに深呼吸をしすぎてむせ返る奴もいた。

 俺自身も今まで二度経験していたことだったが、やはり泣き出したくなるほどの感動を覚えずに入られなかった。


 暫しの間地上の素晴らしさを堪能した俺達は、蟻地獄の地形から上へと向かい、御者と別れたあの場所にキャンプ張って馬車が来るのを待つことに。


 馬車を待っている間の時間は、まるで悠久の時を過ごしているかのように感じた。

 確かに、地上で食べる食事は素晴らしいものだったし、夜空に浮かんだ星は忘れられない程に美しいものではあった。

 でも、地上に出た瞬間ほどの感動はなく、喜びに満ち溢れた感情を俺達は抱くことは出来なかったのだ。


 不安だったんだ皆。

 苦労して走破をしたが、街に帰ったら救いたい者達が死んでいるんじゃないか、と想像せずにはいられない。

 かといって、落ち込んだ素振りを見せるのも、それはそれで違っている気がする。

 明るくもなく、暗くもなく、ただ不安だけを感じさせる雰囲気のまま俺達は時間を過ごした。


 遂に、とも、ようやく、とも言える時間が訪れ、俺達を迎えに来た馬車の姿を確認する。

 全員が待ち焦がれていたのだろう迎えの馬車は、最初は警戒した走り方でこちらへと近づいてきていたのだが、御者の一人がこちらを見つけた瞬間、馬が嘶きをあげて加速し、馬車が壊れるんじゃないかと思うほどの速度で駆けてきた。


 馬車を操っていた御者は、行きにも俺達を運んできてくれた御者だ。

 彼は、俺の顔を見るやいなや目をむくように驚きの表情に変え、そして再会が叶ったことを喜んでくれた。

 御者の彼曰く『生きて帰ってくることを願ってはいたが、まさか本当に走破するとは思っていなかった』だそうだ。

 

 苦笑いを返す俺と同じく苦笑いを返す御者。

 しかし、その笑いは暗いものではなく、互いに『確かにそうだ』と言った意味合いを含ませた冗談混じりの笑いだ。


 ただ残念なことに、御者がリドルを出たのは俺達が蟲毒を消す前だったので、肝心のリーン達の様子は聞けなかった。

 街の状況を聞くには聞いたが、街を出る直前の雰囲気は、俺の想像していた通り余りよろしくないものだったらしい。

 結局、安心する為に話しを聞いたのに、さらに不安を煽られてしまうハメになるというなんとも間の抜けた結果となってしまった。


 馬車の中での数日間は、不安を消すことも出来ず、俺はあれやこれやと考え事をしながらも、一緒に乗っていた仲間を見ながら過ごした。


 行きと同じく一緒の馬車に乗っていた岩爺さんの調子は、正直余り良いとは言えない状況だった。

 やはり片目だとなにかと不便な様子だし『問題ないぞぃ』とか言っているが、岩爺さん自身の動きもどうにも悪い。

 とはいえ、甲斐甲斐しく世話を焼いているリッツとシルさんに向かって『馬鹿みたいに年寄り扱いするでない』と騒いでいるところを見ると、命に別状があるような感じでもなく、そこまで心配する必要もなさそうではある。


 考えて考えて、悩んで悩みまくって。

 そわそわとしながら馬車に揺られ、俺は……遂にリドルの街へと到着した。



 ◆



 揺れていた――馬車が止まる。

 どうやら降りる時間が来てしまったらしい。

 待ちに待った時間ではあったが、俺の心は不安で揺れていた。


「お客さん、着きましたよ」

「ああ、ど、どうも」


 御者の言葉に心臓が跳ねて、俺はどもるように言葉を返した。

 もしこの馬車を降りて、誰かに『被害者は死にました』と言われたらどうしよう。

 自らの足で避難所に赴いて、リーンの骸を見てしまったらどうすればいい。


 指が微かに震えている。

 外に出なければ、とはわかっていたが、足が動かない。

 ずっと不安だった気持ちは、ここにきて最大限に膨れ上がっていた。

 目前にまで迫りすぎて、事実を知ることが出来る状況に怯えてしまっている。


 足はどうにも動かなくて、不安で不安で心が弱音を吐いていた。


『メイちゃんさん……降りましょう? 何があっても私は居ます、怖がらないでください。

 確かめなければ、私たちの頑張りの結果がわかりません……ね?』


 言葉と共に宥めるように撫でられた頭。

 体温はなくとも暖かく、例え体はなくとも、抱きとめられているかのような安心感を俺に与えてくれる。


 俺は黙って頷き、足を進める。

 捲り上げた幌はとても重く。目に入った陽光は俺の視界を眩く照らす。


 馬車から降りて、石畳の地面に降りる。

 並び立つ建物と、石畳が続く大通り。壊れた建物は大分修復されていて、散らばっていた石の破片は綺麗になくなっていた。


 見覚えのある景色、よくしっている場所。

 俺が降り立ったのは、走破者斡旋所の直ぐ近くだ。


 後に続いて降り立つ走破者達を、落ち着きなく待っていた俺の耳に、ざわざわと囁くような声が届いてきた。


〈おい、あれって……〉

〈だよな間違いねーよ、俺あの顔みたことあるぞ〉

〈ありえねぇ、本当に……〉

 

 訝しげに周りを見渡すと、街の住民や走破者達の姿。


 なんだ?


 ざわりと揺れていた声が、徐々に大きさを増し、やがて一人の男が血相を変えて大声を上げ始めた。


「帰ってきやがった。本当に帰ってきやがった! 鳴らせ、直ぐに鳴らせッ!

 言われていた鐘を鳴らしてやって、届かせろ! 知らせてやれ、町中に!」


 男の叫び声が、誰かに伝わり、それがまた誰かに届く。

 伝言ゲームのようにざわめきが広がって――

 ――ガラーンッ、ガラーンッ!

 襲撃の時とは違う、別の鐘の音が鳴った。


 響き渡る鐘の声。上がる誰かの叫び。街が鳴いているかのように騒ぎ出す。


 その異様な状況に戸惑って、キョロキョロと辺りを見渡していると、

 ――ゴガッ!!

 通りの先に佇んでいる斡旋所のドアが凄まじい勢いで吹き飛んだ。


 空を飛ぶドアを追い越すように誰かが外へと飛び出し、俺の視界に入り込んだ。

 自分の目を一度擦る。

 もう一度擦る。


 声を出そうと口を開いて見たが、

 ぁあ……。

 意味をなさない言葉しか出なかった。

 嗚呼……。

 情けない吐息しか漏れてくれなかった。


 俺の視界には、住民を含め沢山の人が見えていたはずなのに、今はただ二人の姿しか見えていない。


 動きやすそうな白い布の服は、斡旋所から飛び出した勢いで花弁が舞うようにフワリと靡き、燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光を受けた赤い髪は、まるで彼女の命の灯火が、力強く燃えていることを表しているかのようだ。


 大きく大きく力強い巨体。

 彼女の後ろでいつもの優しそうな瞳を揺らした彼。

 優しそうな雰囲気は相変わらずなのだが、その姿は俺の記憶に刻まれたものとは違い、様々なものから守ってくれそうな、住み慣れた自分達の家のような安心感を抱く。


 リーン。

 ドラン。


 名前を呼ぶ為に声を出したはずなのに、動かされた口から言葉は漏れない。

 近づく為に足を進ませたはずなのに、俺はその場から一歩たりとも動いては居なかった。


 俺は……俺は、救えたんだ。

 打ち震える心は泣き声を上げて、俺の視界は何故か少し滲んでいた。


 タッタッ、と足を二歩進ませたのはリーン。

 ノシノシ、とその後を追ったのはドラン。

 二歩が三歩へそして跳ねる。速度が増して、加速が付いて――


「メーーイっ! ドリーちゃーーんっ」

「メイどおおん、ドリーどおおおおんっ」


 仲間の二人が、俺の下へと走り出した。

 不安げな表情から、歓喜の笑顔に。

 二人の双眸から零れた涙は、朝露のようにキラキラと光っていて、叫ぶように俺の名前を呼ぶ声は、少し震えている。


 かなりの勢いでこちらへと駆ける二人。

 速度に差が有り、まずこちらへとたどり着いたのはリーン。

 駆ける速度はそのままに、彼女は躊躇いもなく頭から俺の腰辺りにドカッ、とぶち当る。

 衝撃から思わず後ろに倒れ込みそうになってしまったが、どうにか足に力を込めて、俺はそれを受け止めた。

 

 ぐりぐりと頭を動かし続けるリーン。

 その腕はぎゅうぎゅうと強くて、彼女がしっかりと生きていることを、俺に伝えてきてくれているようだった。


「なんなのよっ、私の知らない間に、何危ないことしてるのよッ!」


 顔を上げて俺を見て、怒ったように、困ったように赤い瞳を揺らし、言い募るリーンに、

「リーン……良かった……無事で良かった」

 俺は、ただそれだけしか言えなかった。


「それは……こっちの台詞じゃない……本当に無事で……ょ……ぁ」


 声が弱々しく小さくなって、リーンは子供のように、わーわと泣き声を上げる。

 耳に入ってくる泣き声も、抱かれた腕の温かさも全部、全部、本物で、俺が先ほどまで感じていた不安なんて、今ではどこかに無くなってしまっていた。


「ほ、本当にほんもんのメイどんだでっ。ゆ、夢じゃねーんだよなっ」

 

 相変わらずの体が重いのか、遅れてやってきてドランは、両手を引っ込めたりまた伸ばしたりと、まるで俺をガラス細工かとでも思っているかのように、心配そうに動かしている。

 何度も何度も俺の体を確かめるように巡らされたドランの目からも、巨体に似合った大粒の涙が零れていて、どれだけこちらのことを心配してくれていたのかが、嫌でも理解できてしまう。

 

 感謝、喜び、様々な想いが渦巻いて、なんだか俺まで泣いてしまいそうだ。


 既に気の利いた台詞など言える余裕なんて俺にはなく、

「ありがとう、ドラン」

 単純に感謝の言葉をかけることだけで精一杯になっていた。


「お、おらぁ話してぇことが一杯あって、でも、えっと……えっと。

 メイどおおおおん! 良かっただでぇぇ!」


 何を言っていいのか判らなくなってしまったらしいドランが、その大きな体で俺に抱きついてくる。

 軽々と浮き上がる体。

 リーンもろとも俺を一緒に巨碗で抱き上げ、ドランはおんおんと泣いた。

やっぱりドランは優しくて、とてもとても心配性だ。


 締め付ける力はとても強く、強くて……それはもう強くて……いや、本当に強いですっ。


「いてぇっ、馬鹿っ、ちょっと緩めて、本当に待てドラン!

 砕けるぅっ、なんかハミ出るッ!」

「おら心配で心配で……心配だっただでぇ」

「ぐしっ、ぐしゅ……プィーーー」

「おいっ、リーンッ!? プィーってなんだプィーってっ! え……いやいや、鼻? まさか鼻じゃないですよねッ?」

『メイちゃんさん、花なら私の腕に咲いてますよっ』

〈ギャーーっ〉


 残念、文字が違いますドリーさん。

 嗚呼、くそ、駄目だ。なんだか色々台無しだ。


 恍けたことを言ってくるドリー。

 相変わらず好き勝手やっているリーン。

 馬鹿力で抱きしめてくるドラン。

 巻き込まれて悲鳴を上げている樹々。


 俺の周りに居るのは相変わらずの仲間達。

 確かに少し台無しになった気がしなくもないが、その姿も性格も、全部が俺にとって大事なモノで、取り戻したかったモノなのだから、これはこれでいいのかもしれない。


 ドランに抱き上げられたままで、改めて回りを見渡した。


 視界に映ったのは、隊の皆の姿。

 それぞれに再会を喜び、涙を流し、歓喜の表情を湛えている。


 良かった、走破できて……良かった助かって。

 全部が全部万々歳とはいかないし、考えないといけないことも、仲間に言わなきゃならないこともある。

 でも今は、俺の胸の内にあふれ出して止まない、歓喜の感情を抑えることは出来なかった。




 ◆




 時間は夕方、懐かしく感じる大木オバサンの酒場。

 俺の視界の中には、大量の人が映り込んでいた。


 夜に備え付けられた魔灯の明かりが、ほのかに赤い暖かそうな光を発している。

 グルリと頭を動かせば、見えるのは並べられたテーブルとその上にドカドカと乗っている食事。

 各々にコップを手に持ちながら座っている人々は、一様に口を閉ざして中央の樽の上に立った俺を見つめている。

 直ぐ隣を見れば、ニコニコと笑っておられる斡旋所の受付のおねーさん。

 肩の上にはドリーはおらず、目の前には視線の針山。


 なんだこれ、何故こんなことに……。


 恐らく、いや間違いなく元凶はあの馬鹿共、というかリーンを始め隊の全員だ――。



 再会を果たしたあの後、俺達は斡旋所の中に入ってまず依頼の達成を告げた。

 外で騒いでいる間にも、既に話は通っていたらしく、カウンターに赴いた俺達は、少し緊張したような表情をしたお姉さんに、斡旋所の更に奥の部屋へと通された。


 なにが起こるのかと身構えながら、いざ奥の部屋へと入ってみると、中にいたのは偉そうな服を着込んだオッサンがいた。

 話しを聞くとどうも、リドル斡旋所の責任者ということらしい。


 そこから行われたのは、獄級走破の内容確認。

 当然といえば当然だろう。

 内部がどうなっていたか、どういう風に走破したのか、などなど、事細やかに質問された。

 勿論話して良いことは基本的に全て話した。

 モンスターの種類や、内部構造、クリスタルが実際にあったことや主の姿形。

 話さなかったのは、主との会話内容の一部と、俺の妙な能力とも言える吸収、後はドリーに関するあれやこれや。


 俺が狙われている、という事実は、既にリドルにくるまでの間に隊の皆と話し合いを済ませ、絶対に漏らさないようにすることと決まっていた。


 理由は危険すぎるからだ。

 獄級を走破することは、どこの国にとっても待望といえる。

 もし、能力のことや、ドリーの力、狙われているといった事実をばらしてしまえば、利用されるか、囮にされるか、はたまた使い潰されるか。

 なんにせよ碌なことにならない。


 狙われている俺が放置されるのも、それはそれで危険なことではある……が、最後に聞いた主の話しからすると、別に俺が居ても居なくても、どちらにせよ大変なことになるらしい。


 さすがに全てを隠すと色々と拙いので、責任者の人には『獄級を放っておくと拙いことになるらしい』とは教えておいた。

 それを聞いた責任者は、苦虫を噛み潰したかのような表情に変えると、他の国に連絡を入れる為に人を呼びつけ『その話しだけは先に伝えるように』と指示を出していた。


 その後は、依頼達成のお金の話しなど。

 目を剥くような依頼金の金額と、それの受け渡し日時や方法。


 日時はすぐには受け渡さないで、しばらく日が経ってからとのことだ。

 これは詳しく話をされなくてもわかりきっていたことだったので、別に驚くことでもない。


 獄級の消滅確認――確かにそれは、斡旋所の人材でもある御者の人が行っているが、それだけで莫大な金を渡すわけにはいかない。


 もしすぐに受け渡しなんてことをすれば、俺達が御者のことを買収してグルになって金を受け取って逃走、なんて馬鹿な真似が出来てしまう。

 それを防ぐためにも、多少の時間を置き、確認の為に人をやって、消滅の事実を確定させる。

 それから受け渡しだ。

 金額も金額だし、走破者の級と違って持ち逃げされたら取り返せるものではないので、当然だろう。


 金額に関しては……王金貨が……いや、思い出すと何だか恐ろしいし、俺には関係ないので、どうでもいいか。

 というのも、俺はその金を“被害者と街、そして隊の仲間内に譲渡する”と決めていたからだ。

 

 放っておいても襲われたから余り気にすることはない。そう皆は言ってくれてはいるが、やはり自分のせいで襲われた、という気持ちが拭えない。


 その謝罪にお金ってのはきっとオカシナ話だし、それで全部が済む訳もないが、ないよりは絶対にあったほうが良い。

 例えば両親が死んでしまった子供が居たとして、その子が今後生きる為には絶対にお金が必要なのだから。

 

 罪悪感を少しでも消したい。自分のせいで子供がそのまま死んでしまったら気分が悪い。

 など、結局の所、この決断は誰かのため――というわけではなく自分の為でしかない。

 被害者のことを全く無視することもできない、かといって知らない人の為に自分の身を犠牲にする、なんて聖人根性も無い。

 やはり俺は、どこまでいっても中途半端な人間なのだろう。


 せめて『隊の仲間で死んでしまった人達の連れには謝罪を入れにいこう』とは思ったのだが、オッちゃんに『絶対にやめろ』と止められてしまった。

 オッちゃん曰く『謝りてーんならそれはそれで構わないが、少なくとも今は絶対にやめろ。まだ死んでから日が浅いこのときに、態々刺激するような真似をするな』とのことだ。


 納得……出切るような、出来ないような、微妙にやりきれない気持ちにはなったが、最終的には話さないことに決まった。


 いつか時が経って、その時俺がまだ生きていて、機会が巡ってきたら謝ろうと思っている。

 問題の先送りにしかなっていないような気もするが、所詮すぐに謝りたいって気持ちも、俺の一人よがりでしかないのだろう。


 で、なぜ俺がこんな状況になってしまったかということだが――

 俺が遂にありがたくもなんともない“獄級走破者”になってしまったからだ。


 基本的に獄級走破者となるにはそれに相応しい力が必要で、幾ら獄級を走破したからといっても全員がそれになれるわけではない。

 詳しく話を聞いて、どう考えても力が足りないものや、相応しくない者は走破しても級は上がらない。

 だが、今回の俺に関しては、グランウッド国からのお墨付きや、隊の皆がペチャクチャと自慢げに話しやがった走破内容のこともあって、あっさりと級が上がることとなった。


 俺にとって獄級走破者の称号は、要らないような……それでいて後を考えると、役に立つことがありそうな、といった微妙なものだ。

 無いなら無いで、リスクが減るし、あったらあったで、リターンもある。


 俺の他にも数名級が上がることになったものもいる。

 リッツと後は、一級の位を元々持っていた二名ほどだ。

 岩爺さんも十分その資格があったのだが、片目を失っていたことや、本人の『力が落ちた』発言もあり、級が上がることはなくなった。


 そして、俺が獄級走破者になったことを聞いたリーンやドランが『お祝いをしよう』と言い出し、そこに乗っかった隊の皆のせいで、この異様な状況に陥っている。


 簡単に言えば、獄級走破者おめでとう――じゃあ、皆も集まったことだし、お前何か一言お願いな。

 そして樽の上。



 馬鹿だろアイツラ、まったく嬉しくはない、というか勘弁して欲しいです。

 

 酒場の中は不気味に静まり返っていて、今か今かと言葉を待っている人々の視線が、やたらと痛い。

 俺の隣にいる受付のおねーさんは、蟲毒に向かう前に俺が酒場で色々と話しを振っていたあの人。

 やたらとニコニコしているのは、あの時とは違い今度は俺が槍玉にあげられるかのような状況になっているからだろうか。


「さぁ、獄級走破者様であられるメイ・クロウエさん。

 メイ・クロウエさんっ! 何かお話をどうぞっ」


 態々名前を強調して急かすおねーさん。

 っぐ、この人、意外と根に持つタイプなのかもしれない。


 期待の眼差し、空気を読んで誰も騒がない人々。獄に入ったときとはまた違った緊張感がある。

 なんといえば言いのだろうか……そう、まるで学校の全校集会で最前列に立って何かを言わなきゃいけないような状況に似ている。


 やべぇ緊張してきた。


 しかし、このまま何も言わないと収まりが悪いと言うか『じゃあ飲んでください』なんて間抜けなことを言えば、下手したらまたビンでも投げつけられかねない。

 まるで獄のエリアを打開する為に考え込むかのように、思考を回し、無難そうな言葉を捜す。


 暫く考え、どうにか頭の中で纏まった俺は、一つ咳払いをしてから、勇気を出して話しを始めることにした。


「えっと、今回は俺が獄級走破者になったお祝いってことですが、それは一旦置いといて。

 皆には出来れば別のことを祝ってもらいたいです。

 獄級の消滅、被害者の生還。

 そして、獄級が消えたことによって、これから先、死んでいく人々が減るであろうこと。

 

 結局俺が一人居たところで、絶対に獄級の走破なんて出来なかったし、仲間を助けることなんて叶わなかった。

 俺が言わなきゃいけない礼の言葉だって山ほどある。

 

 だから……生きていることに、生き延びられたことに、助けてもらったことに、全てに感謝と、祝いを込めて――」


 俺は、手に持ったコップを高々と上げて、全力で吸い込んだ肺に溜めて――


「乾杯だッッ!!」


 祝杯の叫びを上げた。


 ――――ッッッッッッツツ!!!


 ガシャッ、と響く乾杯の音と、大気を振動させるような乾杯の声は、混じって響いて重なって、意味を持たない音ととして、酒場全てを震わせた。


 酒が飛ぶ。笑い声が上がる。自慢げな武勇伝が始まる。

 どんちゃん騒ぎが幕を開け、ココにいる全ての人々が、小さな小さな祭りを楽しむ。


 盛大な乾杯の声のせいで、ギンギンと鳴る耳を、俺は小指でグリグリとほじりながら、樽から降りた。


「隊長さんっ、ほらさっさとこっちに来いよっ!」

「隊長っ、この飯うめええええええええっ!」


 既に隊長じゃないというのに、相変わらず同じ呼び方で俺を呼ぶオッちゃんと男性走破者の一人。

 見れば既に酒をかっくらって、流し込むように食事を食らっていた。


 いや、気持ちは分かるけど、せめて俺が行くまで待てよこいつら。


 その横を見れば、前衛職の男性走破者が子供のチャンバラごっこの如く、身振り手振りを交えて知らない走破者達に話を聞かせている。


「主の大腕の雨あられが降って、動けなくなった奴等が出たわけだ……そしてっ! 

 そこに打ち込まれた毒針の弾丸だ、そりゃもうすげえ数だった。後ろには仲間が、前からは針の攻撃だ……」

「おおお! で、どうなったんだ?」

「聞きたいか? 出たわけだよ前に、そう仲間を守る為にっ!」

「おお、カッコいいな」

「隊長さんと爺さんがもう凄いこと凄いこと、バッサバッサと針を撃ち落してなっ」

「ほうほう、でお前さんもいたんだろ? どれぐらい撃ち落したんだ?」

「俺か!? そりゃ、お前……二割くらい……は頑張ったかな?」

「お前意外とやるなぁ」

「ま、まあなっ」

 

 なんというか、楽しそうでなによりだ。

 思わず苦笑が零れ出た。

 

 一際でかいテーブルを更に突合せ大きくし、隊の皆が食事を囲って俺を呼ぶ。

 ドリーもリーンもドランもリッツ達も、皆が皆俺を呼ぶ。

 ギャーギャー喚いて食事を掴み、ワーワー騒いで杯を交わす。

 俺は、今だけは悩みも考え事も忘れて、皆の下へと向かっていった。


 


 ◆


 

 

 騒ぎは続き、既になんだか大変なことになっていた。ドリーもいつの間にかどっかに行ってしまったし、誰か助けてくれ。


「クロ坊―、儂目が見えんくなってしもうて酒が注げんから、ほれ、注いでくれ」

「てめぇ爺っ、さっきバカバカ自分で注いでたじゃねーかッ!」

「嗚呼、目が痛いッ! 誰かさんを助けた時に失しのぅた、目が痛いのぉ」

「ッぐ!?」


 しきりに『目が痛い』といい続け、酒が無くなる度に俺に注げと言ってくる岩爺さん。

 助けられたことは本当なので、無碍にも出来ず、酒を注ぐしかない俺。


 あー、誰かこの酔っ払いを何とかしてくれ……。


 そんな俺の祈りが届いたのか、岩爺さんの後方から救世主になってくれそうな人物が現れた。

 黒い毛玉さんことシルさんだ。


 どうやら彼女もすこし酔っているのか、顔をほんのりと頬を赤く染めながら、両手に一杯に食べ物を持って現われ、

「あらあらーお父さん、お酒ばっかり飲んでいたら目に毒じゃないー。

 ほら、お食事を取ってきたから、一杯食べて治しましょうねー」

 そう言いながら岩爺さんの口に食事を突き込み始めた。


 訂正しなければなるまい。シルさんは、かなり酔っているようだ。


「シル……その量は儂食べきれない……お待ち、食べきれないから、儂、破裂しちゃうから」

「はいーもっと食べてくださいねー」

「クロ坊っ、助けて、」

「親子の和気藹々とした団欒って本当に良いですよね。僕邪魔しちゃ悪いしこれで」

「裏切りおったなクロ坊っ!?」


 裏切り? 何を言っているんだこの爺さん、ついに耄碌してしまったようだ。

 最初から手を結んでいるわけじゃないのに、裏切れるわけが無いじゃないか。


 ようやく酒注ぎ係から開放されることに喜んだ俺は、口にバカスカ詰め込まれていく岩爺さんを見捨て、さっさとこの場から離れる。

 だが、落ち着く暇無く、すこし歩いただけで次の相手に捕まった。


「クロウエッ! クルミがないじゃないどうなってんのよ! 出して、ほら、早く」

 

 何故か無駄に怒りながらバンバンとテーブルを叩いてクルミを要求してくるリッツ。

 目の前には既に大量の食事が積まれているし、先ほどからこいつは頬をパンパンに膨らませながらモシャモシャと食い散らかしている。

 マジでリスだこいつ。


「いやいや、何で俺がお前にクルミを運んでこないといかんのだ。断るっ」

「あー痛いわね、クロウエを助けた時に、どこかその辺を怪我した傷が痛むわね」

「お、お前……嘘をつくならもう少しマシな嘘つけよ」

「アタシ今の言葉で傷ついたわね。慰謝料にクルミを要求するわっ、さあ出して」

「慰謝料を請求していいのは俺だと思います」


 酒が入っているせいなのか、延々と食事を続け、俺にアレを持って来いコレを持って来いと命令してくるリッツ。

 態度がやたらと偉そうだし、尻尾はフサフサだしで、面倒な酔い方をしている。


 こういう輩は放置するのが一番いいだろうし、これ以上酔っ払いの相手をしていたらキリが無い。

 俺は騒ぐリッツを無視して更に移動を開始する。


 知り合いの多い場所は拙い、そう考えた俺は、先ほど乾杯の音頭を取った樽付近までやってきたのだが、またしても知っている顔……いや、腕に出くわした。


『はい皆さん、一番ドリーっ、相棒の歌を歌いますっ!

 メイちゃんさーんが、びょわっと解決―、強いぞー凄いぞーメイちゃんさんー。

 昼はー優しくて、夜は怪盗紳士――

 へいっ!』

「へいっ!」

「いいぞーー! よく分からない腕の嬢ちゃんっ!」

「歌えーもっと歌えー」

「いやいや、あんた達、腕が喋ってる所に驚きましょうよ!?」


 ちょっ、ドリーさんッ!?


 樽の上で、腕を振り上げ歌うドリーと、酔っ払ってヤンヤヤンヤと騒いでいる全く知らない走破者達。

 

 樽の上でドリーは、右にテッテ、と根足を動かし、左りにトット、と揺れ動く。

 もしかしたら誰かがドリーに酒でも飲ませたのかもしれない。

 無駄に声を伝えて歌ってるドリーを見ても、特にだれも騒いでいない。

 既に全員頭がお花畑になっているようだ。

 

 喋れること自体はそこまで隠し通さねばならない訳ではないので、別に構わない……が、さすがにこのまま放っておくわけにはいかないだろう。


 俺は急いで樽へと走り寄り、ドリーを止めようと手を伸ばす。


『にょおおお、相棒、相棒ではないですかっ、わーーー』

「まて、落ち着けドリー。」


 だが、俺を見つけた瞬間、ドリーは根足をつかって、びょんっと跳ね飛んだ。


 そして、勢いよく俺の肩上に飛び乗ると、そのままきゃっきゃっと楽しそうに遊び始め――

『……zzz』

 寝やがった。


 腕をグテェ、と垂らしながら何だか寝言をブツブツと呟いているドリー。

 一瞬、大丈夫か? と心配したが『不思議水……美味しいですっ……zzz』などとのたまっているのできっと大丈夫だろう。


「おおー獄級がきたぞ、なんか面白いことやれッ」

「さあ、獄級冗句を言うんだっ」

「獄級小話でも良いぞッ」

「お前ら何でも獄級ってつければ良いと思うなよッ!!」


 先ほどドリーの歌を聴いていた走破者達の無茶振りに怒声を返し、さっさとこの混沌の渦から脱出していく。


 どこか……どこか静かな場所に……ってあれはドラン?


 逃げ出す途中で、視界の端に見覚えのある巨体を発見してしまう。床にベタリと座り込んだドラン、その前には椅子と、何故かちょこんと乗っている樹々。

 逃げたい欲求はあるが、何をしているのかやはり気になる。

 バレナイように近づいて、こっそりと伺った。


「メイどぉん、おらぁな、頑張ったんだでー、避難所にいた皆をなぁ……頑張ったんだでぇ」

〈ギャーー〉

「そうだよー、それはもう恐ろしい人が来たんだけんども……頑張ったんだでぇ」

〈ギャーー〉

「メイどんもそう思うのけ? んーそうだなー」


 駄目だ、放っておこう。

 下手に触るとなんだか拙いことになりそうな予感がしたので、俺はドランを見なかったことにする。


 このままだと何処に逃げても無駄な気がする……そろそろ岩爺さんもお亡くなりになっている頃だろうし、ここは元居たテーブルに戻ったほうが逆に安全だ。


 その辺りに転がっている人を踏まないように気をつけながら、俺はテーブルへの帰還を果たす。


 駄目だ……叫んだせいで喉が渇いちまった。


 喉が渇いているせいか、唾が口の中でやたらとばりつくようになっていて、どうにも気持ちが悪い。

 よし、何か飲み物を飲もう。

 

 テーブルの上から酒以外の飲み物を探す、が中々見当たらない。

 途方にくれて、おばちゃんから新しいものをもらおうかと考え始めた――その時。

 スッと、横合いから飲み物が差し出された。


 誰かは知らないけど、なんて気が利く奴なんだ……ありがとう知らない人。


 既に臨界へと達していた喉の渇きに耐えかねて、差し出されて飲み物を受け取り、喉へと流し込む。

 喉を通る甘い液体。鼻腔に香る果物の香り。

 まるで酒のようなアルコール臭漂うその飲み物は。


「酒じゃねーかッツ!!」


 飲み干したコップを思わずテーブルに投げる。

 勢いのまま流し込んだ液体は既に胃の中へ、別に元々俺の居た場所と違って酒を飲んだからどうだ、というわけではないのだが、なんとなく罪悪感が涌き上がる。


 視線を巡らし、俺にこれを渡した犯人を捜そうとしたのだが……その必要は全く無く、コイツしかいないという奴が、いつの間にかすぐ横に座っていた。

 

 逃さないとばかりに俺のローブの裾を片手に握り、無駄に凛々しい顔を浮かべ俺を見ていたのは、

「メィ、どこに行ってたのょ。あ、喉乾いたでしょ? ハイ飲んでっ」

 当然の如くリーンだった。


「それ酒だよね? さっき俺に渡したのもお前だよね?」

「……ん?」

「ん? じゃねーよっ。毎回酒を飲まそうとしやがって!」

「やだもうメイったらっ、おかしいっ! 喉が渇いたの? ハイ、飲んでっ」

「お願いです。話を聞いてくださいっ」


 逃げようとするも裾をつかまれ逃げられない。

 どうにも自分が寝込んでいる間に置いていかれたのが相当嫌だったらしく、今日はなにかと側に付いてきて、世話を焼いてくるリーン。

 ありがたいことだとは思うのだが、大体何かしようとすると失敗しているので、結局俺が世話を焼いているような形になり、相手をしていると非常に面倒なことになる。


 今も酒で赤く染まった顔を、ニコニコとさせながら、ズイ、とコップを突きつけている。

 ただ、どうにも目標が定まっていないせいで、そのコップは俺の口ではなく、頬をグリグリと抉っていた。

 頬っぺたが、びしょ濡れです。


「誰か……頼む。この酔っ払い共を何とかしてくれっ」

「ねっ、美味しいでしょメイ。このお酒はね……飲み物はねー、はい、もっと飲んでっ」

『……メイちゃんさん……れは食べ物ではなく……ぁょですよ……おお、これで相棒も立派な植物にぃ……zzz』


 もう駄目だ……夢の中の俺ですら何やら大変なことになっている。


 酒が入ったせいか頭が少しぼーっとして、体がポカポカと熱くなってくる。

 結局リーンに捕まり逃げられない状態は、大木オバサンが見かねて救出してくれるまで続いた。

 

 何だかんだ大変だったけど、とても楽しい。

 俺も少しくらいはハメを外さないといけないか? 

 などと考えながら、その後も宴を満喫していった。



 ◆



 時が過ぎ、宴の場所が変わっていく。

 深夜、というよりも、太陽が昇っていないだけで既に朝方とも言える時間。

 俺は、リーン達や隊の皆と共に中央避難所の屋上にいた。


 夜の風はヒヤリと冷たく、酒と騒ぎで温まりすぎた体を適度に冷やしてくれている。

 全員揃って円状に座り込み、手に持っているのは小さな杯。

 なにも全員でまた酒を飲もうと言うわけではなく、入っているのは各々好きな飲み物だったりだ。

 

「ほれ、隊長さん、一言」


 オッちゃんの声が俺を促した。

 待ち構えるように皆が俺を見て黙っている。

 今日これで二回目ではあるが、あの時とは少し状況が違った。多くの言葉は要らない。単純な言葉だけでいい。

 

 瞬く夜空に向かって杯を上げる。全員がそれに続いた。


「死んでしまった人達に……弔いの杯を、献杯」


 杯を打ち合わせるでも無く、騒ぐわけでも無く静かに告げられた言葉は、死んだ者に届くかのように朗々と響き渡った。


「で、隊長さんよ、あんた達これからどうするんだ?」


 杯の中身を飲み干したオッちゃんが、心配げな表情で俺に向かってそう言った。

 どうする……それは、散々考えて俺の中で既に決まっている。


「えっと、シルクリークに行こうと思ってます」

「そいつぁ、お前」


 口を開けて、目を開いたオッちゃんが、何を言って良いのか分からなくなったのか、頭をかいて気難しそうな顔をして黙りこんだ。


 シルクリークに行く。これは既に俺の中での決定事項だった。

 理由は簡単だ、ドランから話しを伺い聞いていたが、シルクリークにはシャイドの存在がチラついているからだ。

 

 アイツは知性もあるし、俺が狙われる理由だって知っている気がする。

 捕まえて、ぶっ飛ばして聞かなければならない。何故俺が狙われるのか……そして何をしでかそうとしているのか。

 

 何も知らないまま狙われ続けるなんて真っ平ごめんだ。

 

 隠れ逃げて、生き延びる。

 その方法も当然考えたが――最終的には一体どこに隠れれば安全なんだ? と言う結果になった。

 大きい国に逃げようと、小さな隠れ里に隠れようとも、クロムウェルみたいにいきなり主化する奴だっているかもしれない。そう考えると、結局安全な場所なんてない。

 いや、クレスタリアでの事件を考えると、下手したら大きい国の内部ほど危ないかもしれないな。


 物陰に隠れ、いつ来るか分からない化け物にガタガタと怯えて一生を終えるのか?

 冗談じゃない。

 それに、蟲毒という場所を見たことや、主と話したことによって、嫌な予感というよりは、もう確実に起こるであろう程度に俺は思っていることがあった。


 放っておいて逃げ回っているだけだったら、いずれ自分ではどうにも出来ないほどに大変なことになる、と。


 そうなったら、俺が死んで欲しくないと思っている人達が死んでしまうかもしれない。

 嫌だ。

 隠れ住んで逃げ回っていたら、皆ともう会えなくなってしまうかも知れない。

 絶対に嫌だ。


 怖い、勿論とんでもなく怖い。獄級に関わることも、下手したらまたあんな場所に入るかもしれないと考えることも。

 でも、やらないといけない。


 結局は自分の為、どこまでいっても自分の為。ただ、その結果が他の人達の為にもなるかもしれないってだけだ。


 本当に、俺はどうしようもない奴だと言える。

 ため息混じりの吐息を吐いて、思わず顔を顰めてしまった。


『おっと浮かない顔ですねメイちゃんさんっ。ご安心くださいっ、私がきっとお守りしてみせましょうっ』

「何? メイってばまた考え込んでるの? 本当に世話が焼けるわっ、ふふ、私にドンと任せなさいっ」

「メイどんっ、心配無用だでっ。おらに、まかせ……ちょこっと任せるだでっ」


 俺が落ち込んでいるとでも思ったのか、ドリー、リーン、ドランの順番で各々頼りになりすぎる言葉をかけて来る。


 本当にありがたい。

 仲間達だけは俺の為に、たとえ俺の命を賭けてでも守らないと。

 矛盾した想い。でも俺にとって、それは自分の中でちゃんと筋の通った想いだった。


 全く、俺のせいで巻き込まれたってのに……。


 既にリーン達には謝罪を済ませている。

 俺のせいで狙われて苦労をかけて心配かけて悪い、と、頭を地面につけて謝った。

 謝って謝って謝って。

 頭を上げた俺が聞いた言葉は『あらそう? 次は私が助ける番ね』と何気ない素振りで言われたリーンの言葉と『お、おっかねぇ、けんども。おら、やってみるだでっ』と妙に張り切っているドランの言葉だった。

 

 余りにも当然のように言い切られ、俺は一瞬その言葉の意味が分からなかったほど。

 嬉しかった? そんな言葉で言い表せないほどの感情の波が打ち寄せた。

 仲間を巻き込む位なら一人でシルクリークに行く、などと悩んだりもしていた筈なのに、そんな考えは、羽毛の如く吹き飛ばされた。


 結局どこまでいっても仲間に支えられている。


 仲間の言葉に俯かせていた顔を上げた。

 背中に背負っていた重みは、まるで皆に配られてしまったかのごとく、軽くなっている。


「しかし隊長さんがシルクリークに行くってんならやっぱりコレいるだろうな。ホレっ受け取ってくれ」


 顔を上げた俺にオッちゃんの言葉が掛けられ、一つの袋が投げ渡された。

 ジャラ、反射的に受け取った小さな袋が、聞き覚えのある音を鳴らして俺の手に収まる。

 促されるまま袋の中を開けてみれば金貨が入っていた。およそ二十枚ほどだろうか。


「ちょ、いやいや、受け取れないってオッちゃん。なんでまたこんな真似を」

「気にすんなって、全員からかき集めてその程度だから、ちぃとばかりすくねーが」

「十分大金でしょうがっ」

「……いや、それがな? 実はオレ達、少しばかり大きな金が入る予定があるんだよ」


 ニヤリと口を吊り上げて、親指と人差し指で丸を作って俺にヒラヒラと振るオッちゃんを見て、俺は呆れたような、苦笑いしか返せなかった。

 どうやら、金を受け取らない俺にすこしでも渡そうという隊の皆の心意気らしい。

 受け取れない、というのは簡単だが、ここでそれを言うのは相応しくない。


「じゃあ、ありがたく頂くことにするよ」


 どうにも照れ臭くて仕方ないが、俺は手にもった袋を軽く上げ、オッちゃんや皆に礼を言った。


 そんな俺の様子を見たオッちゃんは……徐にチッチと指を振って、こう言った。


「おいおい隊長さん、馬鹿いっちゃいけーねよっ、ぶっ壊した馬車代も含めてきっちり返してくれよ?」

「畜生っ、台無しだッ!」


 ニヤニヤと笑う隊の皆の顔は、やたらと意地悪そうで、先ほど照れくさそうに受け取ってしまった自分が凄まじく恥ずかしい気がしてきてしまう。

 とりあえず、このままだと延々とからかわれかねないので、どうにか流れを変えようと、自分で話しを振ることに。


「と、とりあえず俺のことは良いとして、皆はどうするんだ?」


 少しどもってしまったが、特に突っ込まれることもなく、俺に向かって各々返事をしてくる。


「オレは元々ここに住んでたわけだしな。一先ずは仲間とゆっくりすることにするさ」

「私も同じくね」

「自分はグランウッド方面に行こうかなーとか思ってます」


 オッちゃん、女性の魔法使い、前衛職の戦士がそう言って、ネコ系亜人の女性が少し浮かない顔でその後に続いた。


「私は元々シルクリーク出なんですけど……あそこには戻りたくないし、ここに残ると思いますっ。

 ……向こうにはまだ知り合いが残っているんで少し心配ですが、隊長がいくっていうなら大丈夫ですよねっ?

 一応手紙は送ろうとは思っていますが、隊長がお会いしたらよろしく言っておいてください。

 名前は【サバラ】って言うんですけど、悪い奴じゃ……ないんで?」


 何故か後半を疑問系にした女性の言葉に、俺は片手を上げて了承を返した。

 とはいえ、幾らシルクリークに行くといっても、そんな都合よく出会えるわけもないし、そこまで気にすることはないだろう。


「儂は……どうにも体の調子が悪いし、暫くはここに残ろうかのぉ」

「えっ!? 聞いてないわよ父さんっ」

「そりゃ言うとらんしの」

「お父さんーできればそういうことは早く言ってくださいねー」


 恍けた様子でいう岩爺さんにやたらと慌てたリッツが突っかかり、シルさんがやんわりと岩爺さんを叱っている。

 なんと言うかいつもの様子ではあった。


 しかし、岩爺さんはここに残るのか。調子が悪そうだし、仕方ないか。

 岩爺さん達の目的も獄級にあるし、もしかしたら一緒になるかな? とか少しだけ思っていた俺は、モヤモヤする寂しさを感じてしまっていた。


「そういえば、クロウエ達ってまだ暫くはここに滞在するの?」

「いや、できれば早めに出ようとは思ってる」

「え、なんでよ? まだ体休めないといけないでしょアンタ」

「そう言っても、向こうにいくまでに結構時間掛かりそうだし、暫くは情報集めになるだろうから、その間に休むよ」

「そ……そう」


 ションボリと尻尾を垂らすリッツの姿はどこか寂しそうで、なんだか悪いことをしてしまった気になった。

 寂しい――その感情は、きっとリッツだけのものではない。俺を含め、皆がそう感じている。


 命を賭して、死地を駆け抜け。

 あの蟲毒の中で築いた絆は、やはりとてもかけがいの無いもので、その仲間と離れてしまうことは、とても寂しいことだ。


 だが、生きていればきっとその内また会える。

 繋いで分かれて繋がって、夜空に浮かぶ満月のように、大きく丸く描かれた、絆の輪。

 それはきっと途切れはしないのだから。


 リドルの中央で行われた、弔いの宴はひっそりと続く、死んだ者と、仲間の別れを惜しむように。




 ◆◆◆◆◆




 そろそろ寒くなる季節だと言うのに“儂”を照りつける太陽の光は鬱陶しい程に暑い。

 目の前にいるクロ坊も、同じことを思うておるのか、馬車の前で荷物を片手に嫌そうに顔を顰めている。


 宴から数日後。

 遂にこの日が来てしまった。

 クロ坊達との別れの日。

 長い年月を生きた儂にとって、別れは幾度も繰り返されてきたことではある。しかし、やはり何度体験しても心に過ぎる寂しさは無くなってはくれないものだ。


 すでにクロ坊と別れの挨拶は済ませていた儂達は、少しだけ離れた場所から、クロ坊を中心に、取り囲むように別れを告げる走破者達を眺めていた。


 皆が皆、一様に寂しそうな顔をしている。

 娘達もそれに変わりは無い。

 下がる尾、垂れる耳。

 珍しいことに、シルですらその感情を顕にしていた。


「寂しいですねーお父さん」

「そうじゃの」

「…………」


 囁くように呟いたシルと、ダンマリと口を閉ざし、羨ましそうにクロ坊達とその仲間を眺めているリッツ。

 いや、羨ましそう、では無く、羨ましくてたまらないのだろう。

 

 相変わらずの絆を見せるドリーの嬢ちゃん。

 クロ坊の謝罪に何の躊躇いも無く返した赤毛の嬢ちゃん。

 臆病な性根の割には、ついていくと言い切ったドラゴニアンの坊主。


 他人、という枠組みを貫いて尚、有り余るような繋がりの強さ。完璧なものでは決してないし、揺れ動く事だってあるだろう。

 しかし、だからこそ、家族以外との絆というものは貴重なのだ。

 

 リッツにしてみれば、それをまざまざと見せられ、自分もそこに入りたいという願望が止められないのだろう。

 知ってしまったからこそ、羨ましい。一度繋がってしまったからこそ、離し難い。

 リッツにとって、家族ではなく他人と繋がれる機会はとても貴重な経験だった筈。


 旅立ち……かの?


 儂は……湧き上がる寂しさを押し込めて、もって来ておいた荷物を大事な大事な愛娘に投げ渡した。

 投げ渡された荷物。反射的に受け取る娘。

 リッツはどういった意図なのかが分からないらしく、困惑の表情を浮かべて儂を見ている。


「父さん……何よこれ?」

「旅道具に決まってるじゃろっ?」

「え? アタシ達、ここに滞在するんでしょ」

「そうじゃよ、儂とシルはここに残る」

「――ちょッ!?」


 リッツの白い尻尾が逆立つように膨らんで、怒りを湛えた瞳で儂を睨んだ。

 いや、怒りだけではなく悲しさも混じっていたかもしれない。

 何で? アタシは要らないの? そんなことを言いたげな自分の娘の表情を見ていたら、妙におかしくなって儂はいつのまにか笑い声を漏らしていた。


「何で笑ってるのよっ、どういうことか説明してよッ!」

「いや、落ち着けリッツや!? これには、それはもーう深い事情があるんじゃよッ」

「事情? なによ。下らないこと言ったら、幾ら父さんでも許さないからねっ」


 っほ、危なかったの。腰痛のせいで腰がアレだから、シルクリークに薬を取りに行ってくれ、なんて冗談を言っていたら、儂はどうなっていたことか……。

 昨晩から言おうと思っていた台詞を心の底にしまい込み、儂は戦々恐々としながらも、リッツに理由を与えてやる。


「儂調子が悪いじゃろ? 目も無くしてしもうたし。獄に入ろうにも暫し休まんとどうにもいかんのじゃよ。

 でも、ほれ儂が休んどる間に、クロ坊が他の獄級を走破してしまう可能性もあるじゃろ?

 そこでっ、儂の自慢の娘であるお前が、クロ坊達について回って“儂の為に”情報をあつめてきて欲しいのじゃよ。

 いやー自慢の娘は、儂に恩返ししてくれんかのー」


 そこまで言ってチラリとリッツの顔を見る。

 瞳を彷徨わせ、迷っているような表情ではあったが、鼻先がピクピク動いている所を見ると、かなり揺れているらしい。

 嘘は言っていない。実際、主との戦闘で少しはっちゃけ過ぎたあれから、体の調子がどうにも悪い。


 随分久しぶりじゃったしのぅ。


 戦闘こそ多少行えるものの、クロ坊達について行くには、獄に入るには少し……いやかなり心もとない状態だ。

 だからといって自分の娘だけをクロ坊達に付いていかせるのもそれはそれで心配ではあるが、どうせ儂と一緒にいても危険なのは同じこと。


 それに家族と一緒では駄目なのだ。一緒にいればリッツはきっとこちらに甘えてしまう。

 自分では駄目だとわかっていても、間違いなくそうなってしまうだろう。

 あの子は甘えたがりで優しい子、羽ばたくには儂がいては邪魔になる。


 愛している娘との別れは、儂にとっても耐え難いものがあるが、それもまた人生。それもまた愛。

 いずれ再会の時はきっと来る。少しだけの別れくらい我慢しよう。


「でも、なんでアタシだけなの? お姉ちゃんは一緒にこないの?」

「ひょ? リッツや、まさかこんな儂を一人で置いていくつもりか? 親不孝にも程があるぞい」

「そうよーリッツちゃん。お父さんは止める人が居ないとお酒ばっかり飲んで人に迷惑をかけちゃうのよー」

「そうね……それもそうだわ」

「そ、そんなに儂酷くないぞい!?」


 仕返しとばかりに容赦なく放たれた言葉の槍。


 未だリッツは了承の意を言葉として出してはいなかったが、その心は既に旅立つことを決めているように見えた。

 儂は苦笑を零しながら、自らの首元へと手を差し込んで、ゴソゴソと渡さなければならないものを取り出し、リッツへと渡す。


「ほれリッツ、これを持っておいておくれ」

「なによこれ……指輪?」


 薄汚れ薄汚れ、黒ずんでしまった銀の指輪は、リッツの手の中で通された鎖をジャラリと揺らす。


「それがあれば、儂の探しモノをわかるじゃろうて」

「こんなので本当にわかるの?」

「見つかればそれでいいし、見つからなければ、それはもう儂には必要ないということじゃな」


 訳が分からない、とでも言いたげなリッツは、指先で指輪を少しだけいじくって、やがて自分の首に銀の鎖を掛けた。

 特に凄い能力があるわけでもないただの指輪。だが、それがあれば十分だろう。


「ほ、本当にアタシ一人?」

「一人じゃ」

「冗談じゃなくて?」

「今までに無いくらい儂は真剣じゃよ」


 少し瞳を潤ませて、怖がっているかのように何度もこちらに質問を続けるリッツ。

 もう一押しせねばならんか?


「ほれリッツ、クロ坊達がもういってしまうぞっ、急がんかっ」

「――っ!? えっと、アタシ……その」


 クロ坊達とこちらに視線を行き交いさせたリッツは、やがてグッと歯を噛み締めるように表情を変えると儂に駆け寄ってきた。


「行ってきます、父さん、お姉ちゃん」

「手紙を寄越すんじゃぞ?」

「またすぐに会いましょうね、リッツ」


 リッツは、ギュッ、ギュッと儂とシルの体に一度抱き、こちらを振り返りながらも、クロ坊達のもとへと走っていった。


 陽光の中を走っていく愛娘の背中は、あふれ出す歓喜を湛えていて、見ているこちらまで心が温まるものだった。


 クロ坊にドリー嬢ちゃん、そして仲間の二人、リッツをよろしく頼むぞい?


「クロウエッ! このアタシが父さんの為に雇われてあげることになったわよ、ありがたく思いなさいッ」

「はあ? なにリッツもついて来るの? 岩爺さんはシルさんは? 雇われるってなんだよッ」

「いいからさっさと行きなさいよ、細かいことは後で説明してあげるからっ。ちなみに一日金貨一枚の報酬を要求するわ」

「法外すぎるッ、お前もう帰れ!」


 いや……クロ坊、なんかすまんかった。


 馬車に乗り込んでいったクロ坊は、最後にこちらを振り向いて、千切れんばかりに手を振り叫ぶ。


「皆ッ、絶対また会おうな! 余りお金使いすぎちゃ駄目だからなッ! とくにオッちゃんと岩爺さんは気をつけろよっ」

「うっせっ!」

「やかましいわっ!」


 重なった叫びを聞いてニヤリと笑ったクロ坊は、馬車の幌へとその身を隠し、ガタガタ揺れる馬車の車輪の音と共に、仲間と共に街を出る。


「シルも行っても良かったんじゃぞ?」

「お父さんのお世話をしないとー、リッツちゃんが安心できないでしょー?」


 なんとも良い娘達をもったもんじゃ。

 シルの言葉を聞いていると、儂の耳に街の人々の話し声が、入ってきた。


〈聞いた? 獄級走破者〉

〈おう、腕が三本ある亜人だっけか?〉

〈いやいや、腕の使い魔と、主人だろ?〉

〈え? 俺腕が本体だって聞いたけど〉

〈それはねーよ流石に〉

〈名前は……なんだっけかクロムウェル?〉

〈ちげーってクロウエだっって、確かメイ・クロウエだ〉


 話しを少し聞いていただけで思わず噴出してしまった。

 

 空を呆然と仰ぎ見る。


 クロ坊、既にお前の名前は広がりを見せておるぞ?

 

 動いている――雲ではなく、世界ともいえる何かが。

 今まで走破できなかった獄級が既に三つも潰れ、シルクリークをはじめ、国もこれからドンドンと動いていくだろう。

 

 きっと、いや間違いなくその騒ぎの中心にはクロ坊がいる。

 まるで彼に全て暴かれていくかのように、今まで潜んでいた問題が膨れ上がっているようだ。


 燦然と輝く太陽は、まるで彼らを祝福しているようで、靡く風はきっと背中を押してくれているのだろう。


 出発しろリドルの街を。

 向かうがいいシルクリークへと。

 願わくば、御主達の道のりが、輝かしいものにならんことを!!










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