表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
蟲毒の坩堝
74/109

6-21

                                                                                                      




 蜘蛛の糸から無事に逃げ延び、人壁の広間から抜け出し休憩を取り終わった“オレ”達は、まるで道がわかっているかのように先へと進む“隊長さん”に導かれ、新たなモンスターに遭遇することも無く、一時間ほど歩いて奥へと進んでいた。


「隊列をしっかり組んで警戒を緩めるなよ。数ある視界がこっちの強みでもあるんだ。天井から床、壁に至るまで全部に目を配れ。

 あっ“オッちゃん”いつも悪いけど、俺が見逃している部分があったらフォロー頼みます」


 前方から“オレ”にそう言い放った“隊長さん”は、ドリーの嬢ちゃんと共に再度テキパキと指示を飛ばし、恐れを感じさせない足取りで、隊を更に奥へと牽引していく。


 全くどうなってんだ、隊長さんは。この光景を見てもあの調子かよ……かなわねぇな。


 頼まれた見逃しがないかを探しつつも、ついつい視線はウンザリするような景色へと動く。


 赤く、淡い光を灯した液体が、透明な膜で出来た巨大な円柱内にパンパンに詰め込まれ……とてもじゃないが通路とは呼べないほどに広大な広間の天井と床を、つなぎとめるようにして奥へと向かって並び立っている。


 その円柱の一本一本の太さは、大木もかくやと言うほどで、それが立ち並ぶこの空間は、さながら血管の巨木が立ち並ぶ、悪夢の樹林といったところか。


 だが、それだけなら蟲毒(ここ)に入ってから見た中じゃマシな部類、問題はその透明な円柱に入っている“モノ”だ。


 死体、死骸、(むくろ)、呼び方はどうであれ、命の炎が消えた人の残骸が、赤い液体の中を藻屑のようにユラユラと漂い……はたまた山となって沈殿している。


 身震いがする。

 一人、二人、そんなちゃちな人数じゃない。まさしく無数で、到底数え切れそうにないほどの数。


 ほんと、碌な場所じゃねーなここは。


 見たいわけでもないのだが、やはり視界に入るとどうにも気になり、奥へと足を向かいながらも、円柱内部の様子を伺ってしまう。


 円柱の底に沈んでいる肉団子――これはきっとあの忌々しい蜂の仕業。

 首がスッパリ飛んでいるアレは――鎌の化け物に()られたに違いない。


 体に穴が開いていたり、皮膚が紫に変色していたり、多種多様な死に様を見せている死体達。

 その全てが半ばから溶けていて、このまま放っておけば、生きた証も何もかもこの世から消し、赤い液体に混ざり込んで、影も形もなくなってしまうのじゃないのか……。

 思わずそんなことを考えずにはいられなかった。


 一体何のためにこんなことをしていやがるんだ?


 死体が溶け出しているであろう赤い水が、先ほど見たあの部屋に流れ込み、生きた人を通して緑の液体に――まるで目の細かな絹布をつかって泥水でも()しているような、必要なものとそうでない物を人の体を使ってわけているような……。


 馬鹿げてる……そんなことして何になるってんだ。大体あの糞蟲共にそんな知能があるとは思えねぇ。


 反射的に頬を軽く抓って自分の考えた馬鹿みたいな想像を追い出した。


 それにしても、もう少しマシな景色にならねーもんか。


 オレだって走破者の端くれで、今まで人の死体なんて腐るほど見たが、なんというかこれは別もんだ。

 気持ちが悪いとかそういうのではなく、虚しさだったり悲しさだったり……そんなモノをない交ぜにしたような、言い表せない恐怖を感じる。


 きっとそう感じているのは、オレだけじゃない筈だ。

 その証拠に、キョロキョロと落ち着かない眼差しを向け、動揺している走破者や、顔面が蒼白を通り越して真っ白にしちまっている奴だっている。


 例外は隊長さんと、ドリーの嬢ちゃん。

 後は――岩肌のせいで顔色すらわからねーロックラッカーの爺さんくらいなものか。


 呆然と前方に目をやっていると、まるで『思いついた』と言わんばかりの表情を宿した隊長さんが、先ほどから顔を白く染めていた走破者へと指 を差し向け、肩の上にいるドリー嬢ちゃんを、ツンツンと突付いて声を上げた。


「なあ、ドリー良いことを教えてやろう。

 見てみろよあの人の顔……真っ白になってるだろ?

 実は人間あそこまで顔が白くなると、白色研石と全く同じような皮膚になるんだぞっ」

『ひょっ!? ほ、本当ですか!? 

 ……なら相棒っ、もしかして、あの走破者さんのお顔で水色丸が研げ……たり?』

「当然だっ、構わんやれっ」

『ひゃっほーいっ』

「――ええッッ!? いやいや、隊長勘弁してくださいってっ。

 ドリーちゃん見て見て、ほーらもう戻っただろ? ねっ? ねっ?」

『……むむ?』


 バシバシと自分の顔を叩いて、必死になって嬢ちゃんに言葉をかけている走破者。

 見れば確かにその顔色は、先ほどとは違った血の通ったものとなっていた。


 全く、目ざといというかなんというか……。


 これまでだってそうだ。

 何度となく挫けそうになって、諦めてしまいそうになって、死を覚悟したことだってあったのに、その度に毎回どうにかしちまう。


 大体、今オレ達が歩いているこの場所だって、間違いなく今まで誰もたどり着くことが出来ていない……そんな場所。

 その上、隊長さんいわく、最奥にもかなり近いって話だ。


 オレが獄級の最奥に? っは、未だに信じられねーよ。


 蟲毒を走破してみせる――確かにそう決心してここまで来たわけだし、自分なりに必死になってやれることをしてきたつもりだ。

 だが、隊長さんとドリーの嬢ちゃんが居なければ、こんな奥まで辿り着くことなんて絶対に出来なかった。


 隊を率いて導いて、迫る困難を跳ね除ける。まるで、子供の頃聞いた英雄譚の主役だ。

 いや、実力だってあって、惹かれるナニカがあって、本当にこんな場所までたどり着いちまう根性だって持ってやがる『実はどこぞの英雄でした』なんて言われた日には、オレは呆気なく信じちまうだろう。


 が……そんな隊長さんにも、悪い意味で気になる部分があった。


 ――ったく、無理ばかりしやがる。


 思わず睨むようにして先頭を歩く背中を見つめてしまう。

 オレの視界に映っている隊長さんの姿は力強いものだが、その本心は一体どうなっているのか。


 強いようで弱く、硬いようで脆い。

 人死になんて走破者やってりゃ……いや、普通に暮らしていたって身近なもんだし、こんな場所に潜り込んでりゃ出て当たり前だ。なのに、いちいち気にしてやがる。

 文句の一つも言わないで突っ張って、泣き叫ぶこともしないで、固めて固めて、傷ついた部分を表面だけ塗りたくっただけのような……そんな危うさ。


 本人は隠しているつもりなんだろうが、どうにも間の抜けた性格のせいで、隠し切れていない。

 ちょっと勘の良い奴は全員気がついているだろう。


 どこかで崩れはしないだろうか、どこかで折れてしまわないだろうか。


 そんな心配を、いつだってこっちは向けているのに、毎回それでも折れない姿を見せつけられ、その姿に励まされ、結局助けられてばかり……全く持って情けねえ。


 口から出るのはため息で、内から湧くのは自分自身の不甲斐なさ。


 ……いつまでも頼っているわけにはいかねーか。

 隊長が率いる者ってんなら、それを支えてやるのがこっちの仕事なんだしな。


 決意にも似たそんな思いを心の中で呟いて、オレは足取りを速め、隊長さんの背を守るような位置で、隊と共に奥へと向かって歩んでいった。



 なんの問題もなく血管の広間を抜けて、三十分ほど歩いた頃だろうか――今まで進んでいた通路がなぜか急激に下り始め、触手の化け物が出てきた あの妙な通路と同程度にまで道幅を狭めた。


〈オッちゃん、ちょっと……〉


 先頭を進んでいた隊長さんが、(おもむろ)にこちらへと振り向くと、珍しく険しい表情を湛えたままオレを呼ぶ。


〈どうした隊長さん、何かあったのか?〉

〈いや、どうもこっから先の床の感触がオカシイ。

 もしかしたらあの時の通路みたいに罠があるかもしれない……道幅も少し似ているみたいだし、ちょっと気をつけたほうが良い〉


 床の感触? 言われるがまま促され、隊長さんの示している床を踏んでみるが、多少柔らかい程度でオカシイというほどのものではなかった。

 しかし、オレの反応を見た隊長さんが、通路に転がっている蟲の死骸を足で払うように退ける……と。

 その下から先ほど突っ立っていた血管と同じような見た目の、奇妙な床が現れた。


 こんなもんよく気がついたな……。


 改めて床を見せられそこを踏んでみると、確かに隊長さんの言う通り妙な感触ではあったが、死骸を被されたあの状態でコレに気づけと言われたら、首を横に振らざるを得ない。


〈とりあえずここを進むしか無いみたいですし、銭貨あたりをばら撒きながら、少し慎重に進んでみましょうか。

 ロック・ウォールを砕いて進みたいところですけど、地面がこれですしね……〉


 トントン、と爪先で地面を叩いて嫌そうに顔を顰めている隊長さんに、オレは苦笑交じりの小さな笑いを返す。


 最後に土を見たのは何時だったか、通路全てが生々しい死骸で形成されているここでは、隊長さんの言う通り、ロック・ウォールは使用できない。

 使える資材は有限で、消費は出来る限り抑えたい。

 オレと隊長さんは苦虫を噛み潰したような顔を互いに見合わせながらも、消費しても問題無さそうな資材を選んでいった。


 ジャラジャラと銭貨や折った矢の残骸を少しずつ撒きながら、急傾斜の通路を下っていると、ここに来て更に景色が変化を見せる。

 通路に積み上げられていた死骸がすべて消え去って、透明なパイプのような通路に変わっていったのだ。


〈これはちょっと歩くのが怖いな……〉


 そう言いながらも隊長さんは、地面の硬度を確かめながら先頭きって進んで行く。

 後に続いたオレの足裏にも、床というには頼りないブヨブヨとした感触が伝わり、その柔らかさに思わず背筋が粟立った。


 歩くのが怖い――そう思ってしまっても当然だ。

 今オレ達が進もうとしているこの通路は、どうなっているかは知らないが、とてつもなく高い位置に通っている。

 簡単に言えば、崖上から地面へと向かって斜めに延びている、液体通っていない血管の中、とでも言えば良いのだろうか。

 これが先ほどまでの死骸の地面ならまだ良かったのだが、今は頼りない感触を伝える透明な床だけ。

 少し下を見ただけでも、自分達がとてつもない高さにいることが理解出来てしまうし『こんな床じゃいつか破けてしまうんじゃないか』と、嫌な想像は拭えない。


 この床に重みを加える気にはならねーな。

 オレと隊長さんは視線を交わしコクリと一つ頷いて、隊を少しだけ散開させた。


 しかし、そんなオレ達の心配など杞憂でしかなかったのか、いざ歩いてみれば思いのほか床は頑丈で、破けるような様子は見受けられない。


〈んー、さすがに武器で切りつけたら拙いでしょうけど、普通に歩く分には問題なさそうですね。

 足元が透明ってのは気分的には頂けないけど……モンスターが居ないのがわかったから逆に良かったか?

 とりあえず、もう撒いて進む必要はなさそうですね。〉

〈助かった、と言って良いもんかね。隠れる場所もねーし、オレとしては複雑な心境だよ〉


 隊長さんと会話を交わしながらも、近くに居た走破者に『もう資材撒かねーでいいぞ』と声を掛け、出来る限り下を見ないようにしながら、坂を淡々と進んでいく。


 暫く進み続けていると、透明な膜を通して下方に地面らしきものが見えてくる。

 

 なんか妙だな?


 まだ距離が遠くてしっかりとは確認できないが、蜂の巣の入り口のような形で色が分かれ、緑や黄色、はたまた紫色だったりと、かなり色取り鮮やかだ。

 ジッと眺めていると、チラチラと動いているようにも見え、気分が悪くなってくる。


 まさかと思うが、こんな場所に花でも咲いてやがんのかね。


 あり得ない、とは分かっていたものの、延々と不気味な景色を見続けていたせいか地上の景色がひどく懐かしく、そんな阿呆な考えが浮き上がる。

 しかし、歩みを進め、段々と地面が近づいてくるうちに、先ほどの考えがいかに馬鹿なものだったかが思い知らされた。


〈っぐ、なによあれッ〉


 吐き気を抑えるように口元を押さえた一人の走破者がそんな言葉を漏らした。


 蟲、蟲、蟲蟲蟲蟲。

 蠢き、這い回り、オレが彩り鮮やかだと間の抜けた感想を抱いていた地面は、その全てが蟲の群れ。

 何匹いるか数える気にもならない程の蟲達が、区分けされたように同種のモノで集まって――互いが互いを殺し、貪り合っている。

 闘争を繰り返す蟲達の足元には、まるで死骸から体液を吸い上げるように、毒々しい紫色の液体が通った血管が、円状に広がり脈動を繰り返していた。

 

 地獄絵図。

 まさしくその言葉が相応しい。

 鎌は鎌で、蜂は蜂で、今まで見てきた全てのモンスター達がそこにいた。


 圧倒的な惨状に、オレの肌は全てが粟立ち、膝は笑い、その場で座り込んで喚き散らしたい衝動に駆られてしまう。

 次いで頭を占めたのは『こんなに数がいたのに……今まで何でオレ達は襲われていなかったんだ』といった疑問の束。

 

 あの蟲達の恐ろしさをオレは十分知っている。

 もし仮に、(ここ)にいる何割かの蟲達が一斉に襲ってきていたら、リドルなんて容易く蹂躙されていたに違いない。


 オレは……こんな奴らが地下で蠢いていることも知らねーで、今までリドルでのうのうと暮らしていたのか。


 無意識の内に、額を抑えるように当てられていたオレの手は、自分のものじゃないほど冷たくなっていて、細かく静かに震えていた。


 ――今までリドルは襲われたことがない。 

 ――もし蟲が来たって追い返せば良い。

 知らない、ということはココまで人を間抜けにさせてしまうのか。


 今までどれだけ馬鹿だったのだろうか。こいつらの機嫌しだいで、いつあの街が壊滅していたってオカシクなかったのに。

 

 五感で感じる空気は重く、より粘つくように変わり、蟲達が上げる雄叫びと悲鳴は、痺れた脳に木霊する。


〈おいおい、このままじっとココにいても良いことないぞ皆。間抜けな蟲達が同士討ちしてくれる間に、さっさとここを駆け抜けるぞっ〉

『はい皆さん、駆け足準備ですっ!』


 その声にハッと意識を戻すと、目の前には奥へと向かって指を示す隊長さんと、天高く人差し指を上げ、準備の号令を上げるドリーの嬢ちゃん。


 怖くないのか?

 いや違う。隊長さんだってきっと恐怖を感じている。

 よく見れば、顔色だって悪くなっているし、手だって震えてやがるじゃないか。


 さっき決心つけたばかりでまたこれだ……いつもあの姿に救われる。


 これ以上みっともない真似を若い隊長さんに晒すまい。そんな思いが力を起こし、止まっていた足を動かした。

 一歩足を踏み出し前へと向かい、足を止めていた隊は、徐々に早く駆けていく。



 底へ、底へ、地の底へ。

 毒々しい血飛沫を上げて殺しあう蟲達を上空を、弾むようにして抜けて行く。

 蟲達は闘争に夢中なのかは知らないが、こちらに目を向けることなく、ひたすらに戦いを繰り返している。


 そんな中を走り続け、硬質な甲殻がかち合う音と、巨体同士がぶつかり合う轟音が徐々に小さくなり、蟲達の闘技場を遥か後方に追いやった頃――下方に、全身に傷を負った蟲達と、リドルを襲った“屍喰らい”そして地面にビッシリと密集している、繭のような形をしたナニカが見えてきた。


 なんだありゃ?


 警戒しながらもその繭に眼差しを向けていると、

 ――ギギギィイィイ……。

 突然薄気味悪い鳴き声が上がり、それと同時にナニカが裂けるように割れた。

 中から出てきたのは鎌を持った無数の蟲。


 おいおい、もしかしてこりゃ全部卵かよ。


 眼下に見えるあの無数の繭が全て蟲の卵なのだとしたら、一体どれだけの数生まれてくるのか、正直想像すらもしたくない。


〈あいつら共食いしてやがる……〉


 誰かがそんな嫌気を滲ませた言葉を漏らした。


 その走破者と同じ方向へと視線向けてみると、湧き出るように繭から飛び出してきた蟲達が、側にいた屍喰いへと群がり、容赦なく餌食にしていく光景が見えた。

 抵抗するでもなくただ黙って食われていく蟲達を見ていると、まるで最初からその為にここに居たのではないかとすら思えてくる。


 というか、もしかしたらあの傷ついた蟲共はさっきの場所での生き残りで、そいつらがここで卵を産んでいるのか?


 そう考えると、あいつ等がボロボロになっているのも納得がいくが……オレには何を考えているのか理解出来そうにはない。


 産んで、増やして、殺して、産んで。

 地の底で延々と繰り返されてきたであろうこの光景は、まるで果ての見えない獄の輪廻。

 自分は見てはいけないものを見てしまったのではないのだろうか。

 そんな妙な考えが脳裏に過ぎった。


「おい皆、モンスターばっかり見てる暇は無いらしいぞ。

 この通路、更に地面の下まで続いてるみたいだけど……先から嫌な感じしかしない。

 気合入れろよッ、最奥だ!!」


 鼓舞するような隊長さんの声に反応し、外へと向かって固定されていた顔を前方へと向けると、確かに今まで走っていた通路が、迫る地面に飲み込まれるようにして入り込んでいるのが伺えた。

 だが、その穴を視界に入れ、近づけば近づくほどに、総毛立つような悪寒が全身へと襲い掛かり、心が悲鳴を上げていく。


 行きたくない。あの先には進みたくない。


 嫌な感じ――そんな生半可なものじゃ無い。

 一歩進むごとに全身で感じる威圧感と、死に直面したかのような本能的な恐怖を抱く。


 くそっ、やってやる。これ以上ビビッて堪るかよッ。


 踏み止まりそうになる足を意地を持って動かして、オレは……いや、オレ達は、飛び込むようにして穴の中へと駆け込んだ。




 ◆◆◆◆◆




 沈み始めた日の光が、街と大地を徐々に塗り替え“オラ”の視界と眼前に立つラッセルの姿を赤く包み込み始めていた。


 ――黒い旦那とその使い魔は今どこに?

 先ほどラッセルの放ったその質問の真意を図りかねていたオラは、問いかけには応えず口を閉ざし、右手にもっていた鎖を握り締めた。

 

 ジャラ。

 張り詰めた空気の中で鳴った鎖の音――瞬時に反応を見せたのはやはり鉄仮面の戦士で、叩きつけるような殺気と威圧感をこちらへと向けてくる。

 肩に担いだ大槌を揺らしながらこちらを見る様は『動いてみろ、動いた瞬間に叩き潰す』と言外に語りかけてきているようだ。


 怖い、そう思う気持ちは相変わらずあったが、最初に戦士を視界に入れたあの時よりはその感情は強くなく、先ほどの戦闘によって熱くなった体は、怯える影を見せてはいない。

 

 元々ドラゴニアンと呼ばれる種族には好戦的な本能が備わっている――と言われている。

 正直オラには『そんなモノなんて無い』と思っていたけれども、実はほんの少しだけ、豆粒ほどくらいあった……のかもしれない気がしなくもない。


 いや、そんな単純なものじゃない。

 きっとこの溢れる闘志と怯まぬ勇気は、大事な仲間から受け取ったものだ。


 グラグラと煮えるように動いているブレス器官のお陰か、体は熱く滾り、両腕の痛みを誤魔化して、今も背中に感じる男の子の視線は、相変わらずオラに勇気を与えてくれていた。


【なんだその目は……爬虫類如きが調子に乗って随分と生意気な目を向ける】

「何のことだかわからねーだで。オラはここを守っているだけなんだけども?」


 ラッセルを挟みながら対峙するオラと戦士の視線がギシ、と交わり空気を(たわ)ませる。


「ちょ、待ってくだせぇってお二人さん。アッシは騒ぎを大きくするきはねーって言ってるでしょうが!」


 今にも弾け飛びそうなそんな雰囲気を感じたのか、ラッセルが慌てた様子でオラと戦士に『待った』をかけるように手をかざし、間に入ってきた。


「旦那も頼みやすから街の住民を刺激する真似しねーでくだせぇ。もし大規模戦闘にでもなっちまったら、命が幾つあっても足りやせんやっ」

【気に食わん】                                        

「食うも食わないも、そんな好き嫌い言われてもアッシの知ったこっちゃねーですって。

 旦那の仕事は終わったでしょうや。

 こっちはアッシの仕事ですから大人しく……大人―しく待っててくだせぇ」


 宥めるラッセルと、無言でこちらに冷たい仮面を向け続ける大槌の戦士。

 先ほどと比べると多少は殺気を抑えたようではあるが、やはり油断出来そうにはない。

 ただ、ラッセルの余りに必死な様子を見て、熱くなってしまっていたオラの頭も若干ながら冷えた。


 慣れないことしたせいで、オラも少し熱くなってるみたいだで……わざわざ向こうを刺激する真似は控えるべきだよ。


 緊張で止めていた呼吸を軽く吐き出し、警戒だけは解かないままに、多少体に篭っていた力を弛緩させた。


「はぁ、ドラゴニアンの旦那の印象も以前と比べて随分と違っている気がしやすね。

 まあ、とりあえず落ち着いてくだせぇや。

 アッシとしては本当にさっき聞いた質問に答えてもらって、その確認が取れれば何する気もねーんですよ」


 疲れた声音でそう言い募るラッセルの言葉は真剣そのもので、嘘をついているようには聞こえない。

 しかし、やはりオラとしては、その言葉を素直に信じるわけにもいかなかった。

 街中でアレだけのことをしでかした上、ラッセル自体がかなり怪しい立ち位置にいるからだ。


 一体何が目的でメイどんとドリーどんのことを聞いてきてるんだで?


 全くその目的が見えてこない。

 確かラッセルは、クロムウェル共々影の化け物に連れていかれ姿を消したはず……。

 そう考えると、彼の背後にはシャイドかクロムウェル、あの二人のどちらかが付いている可能性が高く、オラとしては、そんな怪しさしか無い彼に仲間の居場所を教えたくなかった

 

「とりあえず、何でそんなことを聞いてくるのかだけでも教えて貰えると、オラとしてはかなり助かるんだけんども」

「いやいやっ、詳しくはしらねーんですって、ただ【居場所を確認してくるだけでいい】って言われてるんですからっ。

 知ってることって言えば【見失った】だとか【報告が切れた】だとかブツクサ文句言ってたくら…………イテェッ!?

 あ、いやなんでもねーです。へへっ、ちょっと足がつっただけでさぇ」


 話の途中で何故かラッセルは突然悲鳴にも似た声を上げ、足元を怯えた様子で伺った。

 その視線に釣られて同じく視線を下げるも、そこには夕日に照らされ伸びている影だけ。

 

 影――と言えばあのクレスタリアで見た化け物だ。

 思わず『ラッセルの影に例のバケモンが潜んでいるんでねぇか』といった妙な想像を浮かべ、ラッセルの影をマジマジと観察した……が、別段オカシナ様子は見当たらない。

 

「で……ちょいと質問に答えてくれやしやせんかね?」


 考えすぎだで……そんな思いを膨らませていたオラに向かって、ラッセルが催促するような調子で答えを促してきた。


 これは困っただよ。

 教えない、そう答えるのは簡単だが、戦力的には向こうが圧倒的に上、正面から戦えばきっとこちらが負けてしまうだろう。

 熱くなって刃向かうのは簡単ではあるけれど、守るものが後ろに控えている今、そんな馬鹿な真似を早々するわけにもいかない。

 正直答えて引いてくれるというのなら、願ったり叶ったりといった状況だ。


 今までの状況を頭の中で整理し、考えを纏め上げ、メイどん達を不利な状況に陥れず、尚且つラッセルの質問に答えられるギリギリの返事を考える――。


「……メイどん達はこの街にいないだで」


 恐らくこの辺りが妥当。


「いない? ならやっぱり……いやでもそれだけで確定させる訳にはいきやせんし」


 オラの返答を聞いてラッセルは首を傾げながらブツブツと何事かを口走っている。


 ――これは間違いなさそうだで。

 悩むような、何かを確かめているような、そんなラッセルの姿を見て、オラは先ほど考えていた予想が、外れていないと確信を持った。


 恐らくラッセルは、メイどん達の話を多少なりとも知ってはいる……が、その事実確認が出来ていないのだろう。


 避難所(ここ)へとやってきたことから考えても、街でなんらかの情報を仕入れてきたのは明らかだし、メイどん達が蟲毒へと向かったのだって、どこかで話しくらいは聞いているはず。

 だがしかし……街に来て即座にあんな騒ぎを起こしたファシオンに対して、街の住民が好意的な感情を持つわけがない。

 多分まともに答えてくれた人が少なかったのか、答えがバラバラだったのか……どちらにしても、ここに来たのは確認を取る為に違いない。


 となれば、次に来るの質問はきっと……。


「ならドラゴニアンの旦那、せめて何処に行ったか教えてくれやしませんかね?」

 

 やっぱりそうきただよ。


「いや、悪いとは思うけんども、オラも今どこに居るかなんて詳しくは知らねぇだで。

 ただ、街にいないのは間違いないだよ」


 予想通りの質問に間髪入れず返答したオラをジッと見つめたラッセルは、フードから覗かせた表情を困り顔に変え、黙り込んでしまう。


 おお、さすがメイどん。


 以前メイどんが『嘘をつくのに一番必要なのは躊躇わない勇気っ!』と言っていたのを覚えていたので、それに習って即座に返事をしてみたのが上手くいったようだ。


 ……この分だと『ここだけの話……俺って嘘つきの免許皆伝を貰ってるんだよな』と言ってオラにチラチラと見せてきたあの免許皆伝の証も、実は本物だったのかもしれねぇだよ。

 走破者許可証に“瓜二つ”の見た目だったからあの時は信じなかったけんども、オラが間違っていただで。


 ――後はこのまま納得して引いてくれれば万々歳なんだけんども。


 頭を捻ねりながらもコクコクと頭を頷かせているラッセルの姿は、好意的に見ればオラの言葉に納得してくれているようにも映る。


 黙って返答を待っている内に、やがて何か思い立ったのかラッセルは頭を上げて、オラに向かってゆっくりと口を開いた。


「わかりやした……確かに居ないという話も聞いていやしたし、恐らくそれは本当なんでしょうや。

 ただ、アッシとしては出来れば確認をとっておきてぇんもんで、せめて中を確かめさせて貰えやせんか?」


 その言葉を聞いて思わずオラ喉がつまり『っぐ』と短い音を鳴らす。

 非常によろしくない流れだで。

 

「メイどん達が居ないのは本当だけんども、それは出来ない相談だよ」

「……何故ですかい?」

「じゃあ逆に聞くけんども、ここに来るまであんな騒ぎを起こした人達を、寝込んでる人達がいるこの場所に、簡単に入れると思うのけ?」


 今度は逆にラッセルの喉が鳴った。

 当然だ、普通に考えてこの提案を受け入れられる訳がない。

 部屋を移動させているとはいえ、この中には寝込んでいる亜人達だっているのだから。


 もし中に入られてその人達がファシオン兵に見つかってしまったら?

 そのとき彼らがどういう行動を起こすかなんて、オラには試してみるつもりすらない。


「なら、兵はここに置いてアッシだけでも中に入れるってのはどうですかい?」

「それもできねぇだで……信用できる要素が何一つ無いのは、そっちだってわかってるんでねーのけ?」

「あぁ、そりゃ……まぁドラゴニアンの旦那にしてみりゃきっとそうでやしょうねぇ」


 ラッセルはこちらが何を言いたいのか感づいたのか、口をへの字に曲げ、フードの上から頭ボリボリと掻いている。


 こちらとしては全く信用がおけないこの男、例え一人であろうと許可できない。

 避難所に残っている走破者達をつけて中に入れる――とも考えたがラッセルは一級走破者だ、今いる人員ではとてもじゃないが抑えきれないだろう。

 オラはオラでファシオン兵から目を離す訳にもいかないし、やはり厳しい。


 手足を縛って担いで中に入れるというのなら考えなくもないが、彼はクレスタリアの一件のせいで斡旋所から手配を受けている筈だ……そこまで無防備に身を任せる気はないだろう。


 なにか良い譲歩案はないものかと頭を巡らしてみるが、残念ながら思い浮かばない。

 ラッセルの方も同じようなことを考えているのか、うなり声を漏らしながら首を傾げている。


 メイどんならばこんな時でも妙な抜け道を思いついてどうにかしてしまうかもしれないが、オラではこの辺りが限界だ。


 自由な状態で中に入りたいラッセルと、それを許すわけにはいかないオラ。

 騒ぎを大きくしたくない、その気持ちは互いに同じなのかもしれないが、結局どこまでいっても平行線で、話がつくことは無いのかもしれない。


 このままではどちらかが危険を負って譲歩しない限り、ただ無駄な時間を過ごすだけ、もしオラとラッセル二人だけならばきっとそうなっていたことだろう。

 が、残念ながらここにはもう一人、オラ達の思惑などまるで関係がない者がいた……。


【ラッセル、邪魔だ】

「な、何するんですかい旦那!?」


 強引にラッセルの肩を掴み後ろへと放り投げた大槌の戦士は、ズシリと重量感溢れる足取りをこちらへと向けた。

 

 やっぱりこうなっただよ……。


 予想はしていた――とでも言えば良いのか、ラッセルから『中を確認させてくれ』との言葉を聞いた時点でこうなるのではないかという思いはあった。

 できれば何事も無く済んでくれればそれが一番良かったのだが、早々上手くはいかないらしい。

 

 チラリと背後を見やれば、視界に入る固唾を呑んで見守っている子供と娘さん、そして亜人男性の姿。

 あんな戦士なんて全然怖くない……訳ないが、後ろにあの人達とリーンどんが居る限り、オラは此処から引く気は無い。


「あああ、もうっ、結局こうなっちまいやした!?

 これはさすがに止めたほうが……いやまだ“使わずに済む”可能性もありやすし……。

 よし、ドラゴニアンの旦那は騒ぎになる前にさっさと負けちまってくだせぇやっ。

 死なない程度に負けるのがコツですぜぇっ!!」


 な、なんて勝手なことをいってくれるだで。

 

 遠くから好き勝手な言葉を投げかけるラッセルのお陰で、一瞬体から力が抜けそうになってしまったが、ため息混じりに(こうべ)を振って、近づく戦士を迎え撃った。


 昼と夜との狭間の時間。

 夕焼けの赤が空も人も建物も、その全てを灯火の様に燃やしているそんな場所で。

 右手に槌と右手に(ハコ)を――真正面から対峙したオラと戦士は、互いを睨み武器の一振りが届く位置で動きを止めた。


 改めて感じる戦士の巨躯と存在感。

 さすがにオラより頭一つ分程は低いが、人種としては珍しいほどに大きく、今も全身から漏れ出させている強烈な圧力が、オラの眼前にいる戦士の姿を実際より大きく感じさせている。


【退け爬虫類――我が任務は既に完了した。いち早く王の元へと戻る為には、こんなところで無為な時を過ごすわけにはいかぬ。

 退かぬなら叩き潰して進むぞ】


 錆付いた鉄のような冷たく鈍い耳障りな声が、オラの聴覚をビリビリと揺らす。

 言葉だけ取れば、こちらに対して警告を促している内容に聞こえるが、態度と声音で微塵もそんな気持ちがないことを伝えてきている。


「凄んだって駄目だで、あんた等を中に入れたら絶対碌なことにならねぇだよ。

 悪いけんども、ここを通すわけにはいかねぇんだ」

【笑わせるッ、虫ケラ如きに後れを取った者を守って守護者気取りか!】

「住民を守ることもしないで好き放題やってるよりマシだで!」


 ほんの少しだけ震えそうになった体を、心に描いた勇姿で制し、叩きつけられるように放たれた戦士の怒声を跳ね退ける。


 腰を落として大地に根ざし、オラは武器を右肩に担ぎ構えをとった。


【亜人如きが何処までも調子に乗る……良い機会だ直々に身の程を弁えさせてやろう】


 そう言って、ゴキリと首を鳴らした戦士の構えは、鏡合わせの如くこちらと同じで、背後に控える兵に指示を出す気配すらも無い。

 どうやら一対一で、しかも真正面からこちらを叩き伏せる腹積りらしい。

 

 幾らなんでもそれは舐めすぎだで。


 オラが仲間の皆と比べて誰よりも弱いのなんて、骨身に染みて理解している。

 だが、純粋に腕力だけなら、ドラゴニアンという種族と生まれ持った体の大きさもあって、数少ない特技だと言えるほどには自信があった。

 一対一、同種の武器、更に真正面からの打ち合い、さすがに負ける訳にはいかない。


 馬鹿にしている、いや、完全にこちらを見下しているのかは知らないが、こちらにとって有利な状況。

 それに、ここでオラがこの戦士を退けてしまえば、後に控える兵士を動揺させて引かせることだって夢じゃない。


 皆の為にもやってやるだよ。


 ジリジリとした嫌な空気が全身に絡みついてくる中――オラは腕へと力を込めた。


塵芥(ちりあくた)に等しい亜人共だが、オレがその中でも最も嫌悪するのは、己等(おのれら)だ爬虫類ッ!】

「そんなことオラの知ったことじゃないだよ。こっちだって、あんた達みてぇな人は大ッ嫌いだでッ!」


 互いを否定する言葉と共に、全力を込めたオラの振り下ろしと、そこに合わせるように振るわれた戦士の一撃が真正面から衝突し、

 ――ゴッギィィィイイイッッッ!! 

 街全体に響き渡るのではないかと思うほど、盛大な音を響かせた。


「なっっ!?」

【――ッ!?】


 骨が砕けそうなほどの衝撃が腕を駆け抜け全身へ――弾かれた武器に釣られて諸手を上げて、オラと戦士は互いに地面をガリガリと抉りながら、後方へと距離を離す。


 話に聞いてたけんども、まさかここまで強いとは思わなかっただよ。


 身体強化すら使っていないだろう相手に、オラの全力を込めた一合が正面から止められた。

 未だに信じられない思いが胸中に渦巻いているが、ビリビリと痺れを残したオラの腕が、今起こった結果が真実だと物語っている。


「……アンタ本当に人け?」

【忌々しい……この体を持ってしてもこの結果とは……本当に忌々しい奴等だ。

 許しがたい、この様な無様な結果、決して許してなるものか。

 潰して、踏みにじって、肉片すらも消し飛ばさねば気が収まるはずが無いッ】


 怨嗟の篭った呪言を繰り返し、真っ直ぐに歩いて距離を詰めてきた大槌の戦士は、先ほどの位置まで戻ると、まるで時を巻き戻したかのように同じ構えを取って動きを止めた。

 

【どうした、早くかかって来い】


 どうやら、何が何でも打ち合いでこちらを負かすつもりらしい。


 負けてなるものか――そんな思いを燃料に、震えそうになる心を奮起させ、オラは戦士の前へと歩みを向ける。

 

 先ほどの一撃で、この戦士の力が人ではありえない程に強いのは理解した。でも、純粋な腕力だけみれば、若干オラに分があるかもしれない。


 恐らく互角に終わったのは、武器に力を乗せる技術、衝撃を伝える技術、などの様々な技量が、オラとは比べ物にならない域へと達しているからなのだろう。

 まともに戦えばきっとオラなんて相手にならないほどの強者なのだろうけど、傲慢と言うべきか頑固と言うべきか、あくまでこちらの土俵で打ち負かさないと気が済まないと見える。


 この好機を逃してはいけない。

 あの戦士が意地になってオラに合わせてくれているうちに、さっさと勝負を決めてしまわないと……勝てる可能性が毛ほどもなくなっちまうだで。

 

 オラと戦士は先ほどよりも更に深く腰を落としこむ。

 そのまま足裏をグリグリと動かし地面を削り、斜めに固めて、必倒の一撃を放てる体勢を作り上げた。


【叩き潰す】

「絶対に負けてなんかやらねぇだよ」


 強く、強く、もっと強く。

 重く、重く、眼前の敵を破壊出来る一撃を。

 練り上げた力を武器へと伝え――オラと戦士の戦闘開始の鐘が鳴る。


「グルォォオッ!!」

【墳ッッ!!】


 ゴギィッッ!!

 二度(ふたたび)の衝突。

 かち合った瞬間、痛い程の音塊が耳へと入り込み、脳を掻き回すように揺らす。

 一度目と全く同じ軌道をとった一撃は、先ほどと異なった短く強い音を響かせて、そして先ほどとは違った結果をもたらした。

 多少体を崩したものの、オラも戦士も後退せず。


 互いに無言で構えを直し――そしてまた振るう。

 先ほどよりも激しい音が鳴り響くが、今度は体すら崩さない。


 一撃、それでも駄目ならもう一撃。

 右から殴り、叩き潰す意思を込めて振り下ろし、かち上げるように左から振り上げる。

 弾かれるごとにまた武器を振り回し、徐々に徐々に互いの腕が早くなっていく。


 ガッ――ゴッッ! ゴギィッ!!

 叩く叩く叩く。

 武器が奏でた金属音が加速度的に間隔を狭めていき、一撃ごとだった打ち合いは、既に全力を込めた乱打戦。


 暗くなり始めた空の下、繰り返される衝突が瞬くような火花を咲かせ、オラの視界を輝く星のようなチカチカとした光で埋めていった。


 負けない。負けたくない。

 ただそれだけを考えて、相手を打倒する一撃を捻り出す。

 頑強さ、それだけを求めたオラの武器と、相手を押しつぶす、そんな迫力を感じさせる無骨な槌が打音を繰り返し、周囲の風を叫ばせた。


 踏み込む足が地面を抉り、反動を支える腕からギシギシと悲鳴が上がる。

 舞い散った赤い火花が、オラの鱗の上で跳ねた。

 

 強い、この戦士は強い。

 明らかに自分より格上であることは、武器を重ねれば重ねるほどに理解できた。

 腕の振りが巧い。体の動かし方が巧い。

 武器を握る手の平へと込める力の配分が絶妙だ。

 

 オラとは比べ物にならないほどの技術の塊が垣間見える。

 同種の武器だからこそ分かることがあって、戦って見たからこそ感じるナニカがそこにはあった。

 

 一合交わす毎に突きつけられる力の差。

 押されていく、力任せでしかないオラの攻撃は、戦士の技術に押されていく。


【潰れろ、ひしゃげろ、撒き散らせッ!】

「ッぐ!?」


 怒声と共に打ち込まれてくる殺意の篭った一撃がオラの腕を軋ませて、ビキビキとした骨からくる痛みに、口から呻きが漏れ出した。

 

 こ、この人、これだけ打ち込んでもまだ余裕が……。

 今までに無いほどの剛打を受け、この戦士が技術だけではなく力までもが余裕を残していることを理解させられた。

 限界まで力を込めて攻撃を放ち続けるが、段々とこちらに伝わる衝撃の方が強くなっていき、打つごとに心と体が軋みを上げる。


【なんだ、どうしたッ――もう終わりかッ!

 やはり所詮はこの程度か爬虫類!】

「このくらい、まだまだやれるだでッッ」


 放たれる咆哮に負けじと声を返し、暴風を撒き散らす槌に殴打を返す。

 それでも戦士は怯みもしない。

 今までの人生で一番力を込めた一撃も、これまでで一番上手く振れただろう一撃も、その全てが戦士の体に届かなかった。


【これだから己等はッ。技も磨かず身体能力に任せて武器を握る。

 見ろッ、身体能力が通じぬ今となっては我が負ける道理無しッッ。

 ハハハハ、下等下等下等ッッ!】


 その言葉を境にして、戦士から繰り出される攻撃が、更に力と速さを跳ね上げて、オラに向かって容赦なく暴力の塊を叩きつける。


 吹き飛びそうになる体と、あまりの衝撃で手放しそうになる自身の武器。

 だが、オラの心に湧き上がってきたのは『もう駄目だ』という諦めの心では無く『負けたくない』そんならしからぬ思いだった。


 分かっているだで。オラに技術や経験、必要なものが全く足りていないことなんて、自分自身が一番分かっているだよ。

 それでも強くなろうと決心してから、ラングどんに認めて貰ったあの日から、オラは少しでも強くなれるように武器を振ってきたんだで。

 未熟なのは分かっている。弱いのだって知っている。それでも絶対に諦めたりなんてしないッ。


 せめて腕の痛みがなかったら、万全な状態であったなら、そんな言い訳じみた思いを押し殺し『負けたくない』そんな思いを武器へと込めて、戦士の一撃と真正面から殴りあう。


【生意気にもまだ粘るかッ。さっさと死ねば良いものを。

 おい、兵士共――武器を鳴らせ、足を鳴らせ、我が王へと贈るであろう、勝利の歌を踏み鳴らせッッ!】


 ――応ッッ。

 大槌の戦士の声に呼応して、ファシオン兵士が武器を上げ、足を大地へ踏み下ろし、

 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ!!

 武器の轟音に合わされ上げられた音が、空気を震わせ大地を揺らす。


【果てろ、ひしゃげろ、ここで死ねッッ!】

「負けねえ、負けたくねえ、負けられねぇだで!」


 まるで意地でもぶつけるかの如く、軌道を合わせて乱打が続く。

 腕がもぎ取れそうになっても、骨が砕けそうになっても、繰り出す一撃だけは止まりはしない。

 叩き付ける。自分の想いを武器に込めて。

 燃やし続ける。闘志と勇気を燃料に。


 逆巻く風が唸り声を撒き散らし、地面の土を空へと舞わす。

 轟音と同時に攻撃の余波が広がり、大気を震撼させる。


 始めてかも知れない。この種類の感情をここまで強く抱いたのは。

 

 ――負けたくない。この人だけには負けたくない。

 守るんだ、皆を守って見せるだで。

 メイどんとの約束も、ラングどんとの約束も、男の子の憧れるオラの姿も全部、全部守ってみせる。


 昔のオラとはもう違う、そう感じた。

 強くなりたいという想いの先が、この打ち合いを続けたことで形になってきている気がした。

 強い、強い盾が良い。

 オラはそんな強さを手に入れたい。巨体を生かして仲間を守る。

 そんな強固な盾になりたい。


 鈍亀ドラン。

 オラにとってそれはもう悪口でも何でもなかった。

 いい名前だで。

 亀のように強く硬い甲羅があれば、オラが守りたいものを全部守れるようになれるはず。


 だんだんと感覚が無くなって来ている腕を、構うこと無く振り回す。


 やがて、思考全てが真白ましろに染まり、自然に体が攻撃を行う為への動作を選び始めていった。

 ――守る為に、攻撃を繰り出そう。

 想いは体に宿り、踏み込みんだ足は力を腰へと伝え、全ての重みを腕から武器へと乗せて行く。

 手本はそこだ、すぐ目の前だで。

 完璧にこなすなんて贅沢を思っちゃいけねぇ、今より少しでも強い一撃を放てれば良い。


 打ち込もう。最大の一撃を。

 叩き込もう。守る為のオラの意思を。


 無意識のうちに――オラが選んだ攻撃の軌道は、初撃と同じ振り下ろし。

 そして、そこに当然如く戦士は軌道を合わしてきた。

 期せずして再現された開幕。

 ただ、一つだけ違ったのは、振り下ろした武器に乗せられた重みだった。


「グルゥオオ雄雄雄ッッ!」

【大地の染みへと変わるがいいッッッ!】


 ――――ッッッッツツツ!!!


 知覚出来ない程の打撃音が轟いて、叩き合わされた武器は、手から離れて宙を飛んだ。

 受け止め切ることが出来なかった衝撃が、腕を巡って全身へと走る。

 オラの体は、まるで小石でも弾いたかの如く後方へと吹き飛ばされた。


「ッガ!?」


 回る視界と転がる体。

 口の中に土が入り込み、ジャリジャリと牙が砂を噛んだ。

 やがて勢いは消えていき、オラは動くことも出来ぬまま、力無く地面に横たわった。


 一体……どうなったのだろうか。


 唯一動かせる頭を緩慢に動かし、ぼやける視界を前方へと向けると、視界の中に武器を持たずに膝を突いている戦士の姿が映り込んだ。

 どうやらオラの放ったあの一撃は、こちらと同じく相手の武器を跳ね飛ばし、大槌の戦士の膝を地へと落とすことが出来たらしい。


【おのれ……おのれ……許さんぞ、我が膝を着かせたこの恥辱、決して許しなどしないッッ】


 なんだ……あんなに人を馬鹿にしておいて、自分だって人じゃねーんでねーか。


 憤怒の言葉と共に膨れ上がる威圧感と悪意。

 殺意をそのまま凝縮したような黒紫色をした瘴気が、鎧の隙間から地面に向かって漏れ出しているその姿は、どう見ても人では無いナニカ。


 戦士の声は怒りを滲ませている。余程この結果が不満だったらしい。


 鎧を軋ませ立ち上がり、後方へと吹き飛んだ己の武器を再度手にとり、オラへと向かって歩き出す大槌の戦士。


 立ち上がらねーと……まだオラは守りきれたわけじゃねーんだ。


 近づいてくる戦士を迎え撃つ為、手足に力を込めてみるも、ピクリとも動いてくれない。

 仕方なく体だけ動かして、膝をつくまで持ち上げようとするが、途中で力が抜けて倒れてしまった。

 顎を地面に打ち付けて、頭が揺さぶられた。


 立て、ここで立たねーと……。


 想いと意志は溢れていた。でも、身体と四肢は動かない。

 二度の戦闘と受けた魔法。

 火傷を負った腕に自身の限界まで使われた力。

 もう意思の力では動かせないほどに、体力が尽きていた。


 悔しい……もっと強くなりてぇな。


 強さの形が朧ながらも形になって見えたばかりなのに、それを実現させることなく終わると思うと、たまらなく悔しかった。


 オラは、戦士を睨みつける。

 例えこれが最後になろうとも、情けない姿だけは決して晒さぬように。


【最後まで気に食わない目つきだ……もういい、死ね】


 すっかりと日が暮れてしまった空へと向かって、大槌が高々と振り上げて、オラの頭へと向かって下ろされるのが見えた。

 

 ごめん皆……頑張ったけんども、オラ守れなかっただで。


 ――ゴシャッッ!!


 

 耳に届いた破砕音。

 でも砕かれたのはオラの脳髄――ではなく、どこからともなく戦士に向かって放たれた、土塊の弾丸。

 一体誰がこれを放ったのか。

 それを確認したオラは、心を彩る歓喜の感情が込みあがるのを、抑えることができなくなっていた。

 

【……住民風情が一体何のつもりだ?】

「おい、おいおい。お前こそ俺達の料理長様に何してくれてんだ。

 折角取ってきた食料を誰が料理してくれると思ってんだ?」

「というか、こいつって、大槌じゃない!? なんでこの街にいるのよ……」


 戦士とファシオンをグルリと取り囲む、待ち望んでいた走破者達の姿。

 手に手に武器を、足元に見えるのは食料。

 食糧調達を終えて帰って来たのであろう彼等がそこにいた。

 

「なにがあったか知らねーが。これ以上好き勝手させねえぞ」

【亜人を庇う気か? 良い度胸だ。お前ら共々消し飛ばしてやろう】


 殺気を振りまき武器を構え、戦士とファシオン兵へと立ちはだかる走破者達。

 不意に、今まで強がって我慢していた涙が零れ落ちそうになった。


 ……良かった。皆が戻ってくるまでオラは耐えられたんだ。


 一人で守りきることは叶わなかった。

 でも、自分の頑張りは無駄ではならかった。

 それがとても嬉しくて、後で仲間に自慢しても良いだろう程に、とても誇らしい気持ちがオラの心を暖めた。


 未だ動きが取れないオラの耳に、更なる声が届く。


「おい兄ちゃん大丈夫かッッ! 治癒士の(ばばあ)引っ張り出してきたぞ」

「誰が婆さねッ。せめてお婆様と呼びなッ!」

「ど、ドランさん早く手当てをっ」


 体が動かせず、視界に収めることは出来なかったが、声を聞いてすぐに誰か分かった。

 亜人走破者と治癒士のお婆さん、それにきっと娘さんに違いない。

 どの辺りからかはわからないけれど、きっとオラが危ないのを見て、避難所の中へと助けを求めに行ってくれたのだろう。


 とても戦うことなんて出来ないだろうに、ここまで出てきてくれたお婆さんと娘さん。

 下手に手を出すことも出来ず、きっと心配し続けてくれていたのだろう亜人走破者さん。

 男の子の声が聞こえないのを見ると、無理やり奥へと押し込まれてしまったのかもしれない


 ありがたい。なんてありがてぇんだ。

 

 身体が勝手に立ち上がろうと力を込め始める。

 無理だとわかっていた。でも今なら何故か立ち上がれそうな気がした。


『フィジカル・ヒール』『サンライト・ヒール』


 オラの願いを叶えるかのように、周囲から魔名を唱える声が何重にも重ねて響き渡った。

 優しい光に身体が包まれ、失っていた力が体に戻る。

 一度、二度、拳を開いて握って調子を確かめた。


 ――動ける。

 痛みが全て消えた訳じゃない。体力が全て戻ってきた訳じゃない。

 でも、立ち上がるには十分で、戦うのには十二分だった。


 漲る闘志を胸抱き、オラはゆっくりと立ち上がる。

 地面に少しだけ埋もれてしまっていた愛用の武器を、力任せに引き抜いて、並ぶ走破者達の前に出た。


「皆には手ぇ出させねー。オラはまだまだ戦えるだで」

【……本当にしつこい爬虫類だ。まるで蟲ケラ共と同じだな】


 少しの距離を離して向かい合うオラと戦士、ファシオン兵を取り囲む走破者達。

 修羅場とも言える張り詰めた空気が、辺り一帯に漂い始めていた。


「嗚呼、こりゃ本格的に拙いことになっちまいやした……ど、どうしやしょう。いやさすがにこれはもう……」


 戦闘態勢を整えきった兵士と走破者を見て、ラッセルが慌てふためくようにして頭を抱えて蹲っている。

 ブツブツと愚痴のような言葉を零し続けている彼は、ナニカ決断することを躊躇っているようだ。


 しかし、そんなラッセルに追い討ちを掛けるように、彼にとって不幸とも言える事態が起こる。


「いやいやーシルクリークの兵隊様達。

 さすがにこれ以上暴れられたら、こっちとしても許容できる範囲じゃねーんだが?」


 ツルツルに剃り上げた頭を困ったようにペシペシと叩いた一人の男。

 その背後に引き連れた大勢の人々。

 修羅場に現れた新たな乱入者の正体は、警備隊長さん率いるリドルを守る警備隊だった。


 彼らがここにきたと言うことは、恐らく街での騒ぎを収め終わったのだろうか。

 警備隊長さんはいつもの少し怖そうな表情、ではなく、何故か全く似合っていない愛想笑いを湛えたまま、大槌の戦士へとツカツカと近づいて行く。


【……この街は揃って王に反逆する阿呆ばかりか?】

「いやいや、とんでもねえ。反逆なんて滅相もねぇ。ただな、困ったことに俺達はその王様から『街の治安を守れ』って言われていてな。

 で、今この街の治安を荒らしてんのは兵隊さん、どっからどう見てもアンタ達だ……つまり俺達はアンタ達をどうにかしないと、それこそ王様の命令に歯向かっちまうことになる。

 いやー拙いだろうそりゃ、なあ?」


 な、なんて屁理屈捏ねるんだでこの人っ。


 顔は笑っているが、完全に目が笑っていない。

 その上『手前らさっさと出て行きやがれ』という気持ちを隠すことなく振りまいていた。


 さすがにリドルはシルクリークの管轄下だし、これは色々と拙いんじゃないか、とも思ったが、いざ何か言われてもきっとまた屁理屈を捏ねて、誤魔化すつもりに違いない。


【王の命令によって我らは来ているのだ。そちらが従うのは当然だ】

「いやいや、仮面の隊長さんはどこまでいっても隊長で、王様じゃーない。

 残念ながら直接言われるか正式な書類でも持ってこない限り、俺達は王様の命令を守らなきゃならねー義務がある。

 いやー困った困った。

 と、言う訳で、ここは涙を呑んで俺達はあんた等を追い出す側につくって訳だ」


 警備隊長さんも後ろに控える警備の人達も、睨むようにしてファシオンを見つめている。

 どうやら本気で歯向かうつもりのようだ。

 

 それにしても、まさかここまで一気に形勢が変わるとは思わなかった。

 数の上では既に逆転を果たし、ファシオン兵全てを円状に取り囲むように組まれた陣形は、どうみてもこちらが圧倒的に有利。

 オラにとっては逆転で、ラッセルにとっては悲鳴を上げたくなるような惨状だろう。


「だ、旦那ッ、ここは大人しく引きやしょうや」

【何故だ……全員まとめて殺してしまえば良いだろう】

「いやいや、この状況見て言ってくださいや」


 なんの躊躇いも無くそう言い放った大槌の戦士に、ラッセルが腕を振り上げギャーギャーと、指を周囲に指し示す。

 だが、そんなラッセルを呆気なく無視した戦士は、溢れる殺気を抑えもせずに、まるで止まる様子を見せない。


【……王に仕えるファシオンが、この程度の雑魚相手にやられる道理は無い】

「兵士は知りやせんがアッシがただじゃ済まねーですってッ」

【知るか。手を出すなとは言われているが守れとは命令されていない】

「嗚呼、もう駄目だ。これ以上は絶対に拙い……仕方ない死ぬよりは……」 


 まるで絶望の淵に立たされたかのように、顔色を蒼白に変えたラッセルは、ブツブツと何かつぶやきながら、己の腰に吊るしている道具袋らしきものをゴソゴソと漁り出す。

 一体何をするつもりなのか、と見ていたオラだったが、急激に動き始めた事態に視線を奪われてしまい、ラッセルから外さざるを得なくなった――。


 戦士の大槌が天に向かって振り上げられる。

 体から漏れ出す黒紫煙と悪意を隠そうともせず、背後に控えるファシオン兵へと声高に指示を出す。


【さあ、王の従順なる兵よ。愚かな住民と薄汚い亜人を一纏めに蹂躙し、制圧し、物言わぬ骸へと変えろッッ】


 戦士の声に呼応して、ファシオン兵が武器を引き抜き、シャリンと冷たい音を鳴り渡らせた。

 

「オラが絶対にやらせねぇだでッッ」

「おらァッ、総員、目標はシルクリークの糞兵士共だッッ! 散々好き勝手された恨みだ遠慮はいらねーぞッ」

「兵士様に逆らうなんて嫌だ嫌だ。仕方ねーな、お前ら、せめて苦しまねーように全力でぶち込んで差し上げろッ」 


 オラを含めた走破者達が、それぞれに怒号を返し、剣、槍、斧、杖、様々な武器を槍衾(やりぶすま)の如く真っ直ぐファシオン兵へと差し向ける。

 

 向き合わされる武器と武器、張り詰め切った場の空気は遂に限界へと達し、走破者とファシオンが双方同時に駆け出した――。


 ……が。

「畜生ッ! こんな所で死ぬよりはマシな筈ッ。やりゃいいんでしょやりゃッ!」


 激突の寸前。

 オラ達と戦士の間に、拳大ほどの大きさがある丸いナニカが投げ込まれ、パパパパンッ、と聞き覚えのある喧しい音と共に、目を眩ませる閃光が視界を焼いた。


 目くらまし? 早く目を開けないと拙いだよ。


 反射的に閉じてしまった目と、止まってしまった体に焦りを覚える。

 隙をつかれないように、と急いで目を開けたオラが見たのは、何故か走破者とファシオンの間で立ちふさがるようにしているラッセルの姿。

 しかも、右手に握った妙な黒い球体を、味方である筈の戦士に突きつけるように向けているではないか。


「悪いとは思いやすが大槌の旦那。ここで引いてくだせぇや」

【断る】

「……じゃあ仕方ない【命ずる、従えッ】」


 ラッセルの言葉と同時に、黒い球体から紫色の光が生まれ、数度の明滅を繰り返し、暗くなってしまった広場内部を怪しげに照らす。

 

 聞くはずの無いラッセルの命令は、時を停止させたかのように戦士の動きを止めて、ファシオン兵の武器を止めた。


 驚愕の感情がオラ達全員に走り、ざわめくように困惑の声が上がった。

 というよりも、こちらだけではなく、命令した本人ですら困惑している様子。


「へへ、へへっ、ほ、本当に効果ありやした。これで助かる……嗚呼、でもアッシの寿命が……」


 ラッセルは、右手に乗せた黒い球体を眺めながら、乾いた笑いと、嘆きのつぶやきを交互に繰り返し、深い深いため息を吐き零していた。


 あの黒い丸い奴どっかで見た覚えがあるんだけんども……駄目だ思い出せねえ。


 ラッセルの手に乗っているあの謎の球体を確実にオラは何処かで見たことがあったのだが、その何処かがまるで思い出せそうにない。

 多分チラッと見たようなもんだとは思うんだけんども……。


 ファシオン兵と戦士の動きが止まったのを良いことに、オラの思考がドンドンわき道へと逸れ始めていたが――眼前のラッセルがハッと何かに気がつき立ち上がり、こちらに向かって声を掛けてきたことで、元の軌道に戻された。


「すいやせんが、皆さん。ここはアッシに免じて手を引いては貰えやせんでしょうか?」


 真剣な声音で訳の分からない提案を示してきたラッセルに対し、辺りは一瞬静寂が満ち――それを引き裂くようにして一斉に怒号が飛ぶ。


「ざけんなよ手前ッッ、なに訳わかんねーこと言ってやがる」

「あれだけ好き勝手しておいてそれで済むわけがねーだろうがッッ!」

「そこに直れッ! ぶっ殺してやるッ」


 口々に罵りの言葉を吐き出し、ラッセルに向かって殺意を向ける走破者達に、暫く黙っていたラッセルだったが、プルプルと体を震わせたかと思うと、やがてブチリ、と音を立てて切れた。


「喧しいッ、アッシが命賭けてこの状況に持ち込んだってのに、好き勝手ギャーギャー喚き散らしやがって。

 アンタラは黙って『はい』か『了解』って言っとけば丸く収まるんだッ。

 いい加減にしねーとこいつらけし掛けるぞコラッッ!」


 ラッセルの罵声を切欠に更に場が乱れていき、口汚い言葉が矢のように放たれる。

 先ほどまでの修羅場から一転して、違った方向へと向かう修羅場となった。

 

 なんかだか、よくわからない状況になってしまっただで……。


 思わずため息が出そうになる。

 だが、ラッセルがこのまま引いてくれると言うのなら、オラとしては是非ともそうして欲しいところだ。


 確かに今の状況はこちらが有利なのかもしれないが、もしあの戦士が本気で暴れ出してしまえばオラ一人では抑えきれないし、相当な被害が出る。

 やはりここはラッセルの提案を呑むべきだよ。


 なにもそう考えたのはオラ一人ではなかったようで、

「おい手前ら、すこし黙ってろッッ」 

 罵声溢れる広場の中を、警備隊長さんの上げた怒声が切り裂くように通り抜けた。

 

 やはり、警備隊長を任されているだけあって住民からの信頼が厚いのか、あれだけ騒がしかったこの場が、たった一声で静まり返る。

 

 おお、怖いけどすごいだで。


 ノシノシと周囲を睨みながらラッセルの元へと近づいていった隊長さんは、ドスの利いた低い声を上げて、ラッセルに向かって話しかけ始めた。


「手を引けって、本気でいってんのか?」

「当たり前でしょうや。ここで引いたほうがどう考えても互いの為になると思いやすが?」

「何で止まっちまったかは知らねーが、こいつらを手前が指揮して連れ出せんだな?」

「そっちが手を出してこなければ……アッシとしてはそのつもりでやす」


 眉を顰め暫く考え込んだ隊長さんだったが、やがて舌打ちを一つ鳴らし、

「さっさとこの街から出て行きやがれ。帰る途中にまた騒ぎ起こしたらたたじゃすまねーぞ」

 ラッセルに向かってシッシッ、と手を振りそう言った。


 この選択は、当然と言えば当然か。

 警備隊長さんが、被害と恨みを天秤に掛けて、被害を取らないはずが無い。


 一瞬ざわりと走破者が動揺を見せたが、隊長さんが射殺さんばかりの視線を周囲に巡らすと、それもすぐに止んだ。


「じゃあ絶対にこっちには手ぇ出さなぇでくださいね? 次はさすがに止められるかわかりやせんので」

「そりゃこっちの台詞だ。いいからさっさと行け」

 

 隊長さんの言葉に胸を撫で下ろしたラッセルは『逃げやすからね。もう逃げやすからねッ、構いやせんねッ』と、誰に向かって言っているのか分からない台詞を、何度となく吐いていたが、やがて何かに納得したように一つ頷き、微動だにせず立ち尽くしているファシオン兵へと顔を向けた。


「総員、速やかに撤収してくだせぇ。途中で何か問題が起こっても絶対手を出さねーでくだせーよッッ」


 ――ザッッ!

 ラッセルの号令と同時に、足が砂を噛む音が寸分の乱れもなく重なり合い、今までピクリとも動かなかった兵士が、一斉に街の外へと向けて足を進めだす。


「はぁ……じゃあアッシらはこれで」


 陰鬱なため息を一度吐いたラッセルは、先に進んで言った兵達の後を追うように小走りで駆けていき――やがてオラの視界から姿を消した。


 こ、これで終わりけ? またどっかから変な人達が湧いてきたりしないのけ?


 余りにも事態が動きすぎて、またナニカ起こるのではないかと疑心暗鬼になっていたオラだったが、ラッセル達の姿が見えなくなったのを認めた瞬間、体にドッと疲れが襲い掛かってきて、情けなくもその場に座り込んだ。


「おいおい大丈夫か兄ちゃん。いや大丈夫じゃねーか……アンタ頑張ったもんなっ」

「そうだよ。オレは最後の一撃しか見れなかったがありゃー凄かったぞ」

「ドランさんは、さすがに今日はゆっくり休んでくださいね」


 力無く座りこんでしまったオラの肩を次々と走破者達や警備兵の人達が叩き『よくやった』『かっこよかったぞ』などと言葉を掛けてくれる。


「……いや、えっと……その、どうもだで」


 嬉しかった――感極まって喉が詰まり返事を返せなかったほど。

 褒められたこと、こんなにも皆から認められたこと、少しは自分に自信が持てそうになったことも。

 でも、なにより、一番嬉しかったのは、メイどんとラングどんの約束を守りきれて、仲間をオラが助けられたという事実。

 

 目に堪った涙を零さぬように、空に向かって顔を上げると、視界の中には夜空一面にキラキラと光る星の海。

 溜まった涙のせいで、ボヤケてしまった星の光は、いつもとは違うけど、とても綺麗なものだった。


 メイどん……オラあの戦士に勝てはしなかったけんども、頑張って守っただよ。いっぱい話し聞いてもらいたいから、早く帰ってきてくんろ。


 空に向かって手を伸ばし、瞬く星に祈りを捧げ――オラは、安堵や歓喜や恐怖や不安、その全てを溜まった涙と嗚咽で流していった。


 強くなりたい。

 その想いは以前よりも大きく、形となってオラの心に残っていた。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ