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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
蟲毒の坩堝
73/109

6-20

 




 まだ太陽が沈む気配すら見せずリドルの街を照らしている。

 喧騒漂う街中を必死になって走り抜けた“オラ”は、普段よりも力を込めて、避難所のドアを開けて中へと駆け込んだ。

 玄関ホールをそのまま真っ直ぐに走りぬけ、近くにある皆が寝かされている部屋へと飛び込むように入っていく。


「たたた、大変だでッ! 街の中がえらい騒ぎになってるだよッ!」


 ドアを開けるやいなやそう言ったオラの視界に飛び込んできたのは、大声に驚いて一様にこちらを見ている“数人”の走破者達と、同じく驚きを顕わにしている街の娘さんと治癒士のお婆さんの顔だった。


 何で走破者の数がこんなに少ないんだで……。


 予想していたよりも遥かに少ない人数を見て胸中に不安が過ぎる。


「いきなりどうしたってんだドラゴニアンの兄ちゃん。街の中で騒ぎって……また盗みでもあったのか?」


 目を瞬かせながら話しかけてきた男性の亜人走破者は、ドカリと下ろしていた腰を上げ、心配そうにこちらに歩み寄ってくる。


「ち、違うんだで。シルクリークの兵隊さんが食料もってやってきたと思ったら、亜人には渡さないとか言い出すもんで、そっからえっらい騒ぎに……」


 焦りから多少シドロモドロニになりながら状況を説明していくと、話しを聞いていた亜人男性の表情が徐々に険しくなっていき、今まで見せた事もないほど目端を吊り上げ威嚇するような唸り声を漏らす。


「……おいッ! もしかしてだが、鉄仮面被ったフザケタ奴が率いてたか?

 背中に曲刀の刺繍がついた兵士がいなかったか!」

「――ッツ!? な、なんでわかったんだで? いたっ、間違いなくいただよ、大槌もった鉄仮面の戦士も、口元を隠した曲刀刺繍の兵士も」

「嗚呼……糞ッ、やっぱりか……よりにもよって最悪の奴らが」


 乱暴に地面を蹴りつけながら苛立ちをぶつける亜人男性と、話しを聞いてどよめく避難所内の一部の亜人。

 どういうことなのか全く理解できず呆然と立っていたオラに、亜人男性は『わりぃ、俺はシルクリークから逃げてきた口でな……』と小さく呟き、色々と話しを聞かせてくれた――。



 話しによると、オラが見かけたあの兵隊さん達は、シルクリーク王直属の兵隊で【ファシオン】という名前らしい。

 男性の言うには、曲刀の刺繍を背に貼り付けたファシオン兵の性格は、一貫して冷徹で容赦がないとの事。

 最初の頃はそこまで数が多くなく、派手に動く事はなかったらしいのだが、時が過ぎるごとに兵の数が増えていき、その数に比例するようにして、段々と事態が悪化していったのだとか。


 逆らう者には容赦のない制裁を。

 歯向かう者には情けを感じさせない断罪を。


 シルクリーク内での亜人差別――その全ての元凶は“王”と【ファシオン】に集約していると言っても過言ではないと男性は言った。


 際限なく酷くなる王の勅令と、それを躊躇いなく実行していく兵隊。

 下っ端の兵士さんや街の住人は、好きで王の命令を聞いているわけではなく、監視のように街を練り歩くファシオンのせいで、そうせざるを得ないのだとか。

 その証拠に兵隊の見ていない所では亜人を気にかけたり、匿ってくれたりと、とても良くしてくれているらしい。


 最悪――男性の話を聞いていく内に、先ほどの言葉が本当の事なのだと嫌でもわかってしまう。


 上がる税と、制限されていく生活。

 それに耐え切れず兵隊に逆らえば、なんの躊躇いもなく処罰され、亜人を家畜同然のような目でしか見ない。

 溜まる不満と怒りが爆発するのも当然で、それによって何度となくシルクリーク内で小競り合いが起きていたのだとか。


 亜人の中には当然のことながら走破者もいて、それなりの実力者だっている。

 そんな者たちが徒党を組めば、さすがの兵隊さん達だって唯では済まない……筈だった。


 亜人達だってそう信じ立ち上がった。

 だが、その結果は予想と全く異なったものへとなってしまう。


 完膚なきまでの敗北。

 

 兵自体の強さもさることながら、それを率いる四人の戦士が尋常ではないほど強く、亜人の中にいた実力者達はその戦士達にことごとく打破されてしまったらしい。

 冷徹な心を表すような鉄仮面と、まるで心の隙間すら隠し通すかのような全身を覆う鎧と装束。

 オラが見たあの戦士は間違いなく【大槌】そう呼ばれる最悪の一人だと男性が言う。


 痛みすら感じていないのではないかと思うほどの頑強さ、人種では有り得ないほどの身体能力。

 鉄仮面にあったら迷わず逃げろ。

 それがシルクリークに住んでいる亜人達の共通認識になってしまったほど。


 聞けば聞くほど頭が痛くなる内容。

 一頻り話しを聞き終わった後も、オラは沈み込んでしまった気持ちを持ち上げる事は出来なかった。


 ただシルクリーク内に入るだけですら馬鹿げた税を掛けられ、亜人達だけ全ての店での値段が跳ね上がる。

 人種と亜人が同時に罪を犯せば、その全ての罪が亜人に被せられ、逆らえば即座に断罪。

 

 逃げ出して当たり前、不満がでない訳がない。


 とてもじゃないけど、王様の、国のやる事だとはおもえねーだよ……。


 亜人だって立派な人だ。食事もするし考えだってする。

 家族だっているし、生活だってある。

 その全てを好き勝手に制限していく権利なんて、誰にもある筈がない。

 大体そんなことを続けていたら国家間での繋がりだって悪くなっていく一方だ。


 何を考えているんだで……いや、本当に何も考えていないのけ?


 聞いていた以上に酷いシルクリークの有様。

 オラの口からは溜息以外吐き出しようがなかった。

 

 なによりオラにとって重要なのは、そんな輩がリドルの街へと来てしまった事実。

 ラッセルの事もそうだが、先ほど聞いた人手が少ない理由もオラの頭を悩ませる。

 正直今の状況は不安要素しか残っていなかった――。



 既に避難所の中は蜂の巣を突付いたかのような騒がしさに包まれており、飛び交う走破者達の怒声が鳴り響いている。


「一先ず、亜人の被害者を移動させておけッ、ここまで奴等がこねーとは思うが、念の為だッ!」

「急げ急げッ! ほら、奥の部屋が開いていただろ。被害者もその連れも、亜人は全員隠れるんだ。

 一人は絶対見張りに立っておけよ。何かあったらすぐに知らせろッ」


 動き回る走破者達の動きは焦りを滲ませ、亜人達は顔色を蒼く染める。

 その切羽詰った空気に感化されたのか、街の娘さんはオドオドと不安そうに身を竦ませていた。 

 

 せめてもう少し人手があれば、まだ安心できたのだけんども……。


 悪い事は重なるのが世の常と言うものなのか、日々の食料調達のため現在避難所の人手は極端に薄くなっていた。


 よりにもよって今こなくても良かったのに。

 思わず天を仰いで、なんの利益にもなりそうにないただの愚痴を零しそうになる。


 駄目だ駄目だ。そんな事で時間を無くすのは勿体ねぇ、オラも皆を手伝わないと。


 (こうべ)を振って気持ちを切り替え、オラは慌しく動く走破者達と共に、寝たきりになっている亜人達を奥の部屋へと移動させていく。

 被害者の数は多いものの、亜人の数だけとなるとそれほどでもない。

 休むことなく動いているうちに、いつの間にか避難所に寝かされていた亜人は姿を消し、一段落着いたと言っても良い状況へと変わっていた。



 時間に余裕が出来たオラは、他に自分に出来る事はないか……と視線を巡らしていく。

 すると、避難所の奥――リーンどんが寝かされている辺りで、何やら困った様子で子供の相手をしている娘さんを見つけた。

 少々気になり近づいていくと、オラの耳に届いたのは、男の子の泣き声とそれをオロオロと宥める娘さんの声。


「えっと……娘さん。どうかしたのけ? 何かオラに手伝える事があるなら手を貸すけんども」

「あ、ドランさん。いえ……ちょっとこの子が今の騒ぎで不安になってしまったみたいで」


 そう言うと娘さんは眉をひそめ――困惑と心配を綯い交ぜにしたような、複雑な表情を浮かべ、グズリ続けている子供の頭を優しく撫でた。

 

 目尻に涙を溜め込んだまま人族の子供は、不意にオラへと眼差しを向けて、喉をしゃくらせながら、

「ぐしゅっ……また……悪い事が起きるんでしょ?」

 暗い表情を湛えてそう言った。


 思わず言葉が詰まってしまい、返事が出来なくなる。

 下手な事は言えない……この子はお婆さんが話してくれたあの子供だ。

 迂闊に『そんな事ないだよ』などと言ってしまえば確実に見抜かれ逆に不安を抱かせてしまう。


 ど、どうすれば……何て慰めていいか全くわかんねーだよ。


 困惑する頭を必死に巡らせ、何か良い方法はないかと探っていると、何となーく役立ちそうな気がしなくも無い感じがする事もあるかもしれない一つの言葉が浮かび上がってくる。

 

 確か、リドル襲撃前に宿屋でメイどんがオラに向けた言葉だ。

 記憶の底を浚うかのようにしてその時の記憶を思い出していく――。



 宿屋に帰ってきたメイどんが、外から帰ってくるなり『腹が減った……』と言って、リーンどんが大事に取っておいた甘いパンを食い散らかした時だった。


 止めておいた方が……と注意するオラの言葉にメイどんは『絶対にバレナイから安心しろ』と返し、結局全て食べきった。


 その後帰って来たリーンどんが、

『ここに置いておいた私のパンが無くなってるじゃないっ。絶対メイでしょ!』

 と詰め寄ったのだがメイどんはすかさず、

『リーンッ、大変なんだ。でっかいネズミが入ってきてお前のパンをッ! 糞ッ、俺も応戦したんだが武器がなくてどうしようも無かったんだ。不甲斐無いっ』

 と躊躇いも無く言い切った。


 絶対にバレルと思って戦々恐々としていたオラの予想を呆気なく裏切り、大剣を背負ってネズミ型モンスターの討伐依頼に向かったリーンどん。

 それを見送ったメイどんはオラに向かってゆっくりと振り返り、確かこう言ったんだ。


 ――なあドラン。世の中には付いて良い嘘と悪い嘘があるんだ……これは良い嘘の方なんだぜ、と。

 オラはしっかりと覚えている。その後ニコリと微笑んだメイどんの口元に食べかすが付いていた事を……。


 …………。


 駄目だっ、まるで役に立たない言葉だでっ!?


 思わず『ぬおおお』と唸りを上げて頭を振ったオラだったが『子供が見ているっ』と気が付き、どうにか冷静さを取り戻す。


 ……いや、役に立たないと決め付けるのはまだ早いだで。

 あの言葉自体はそんなに悪い言葉じゃないだよ。メイどんの使い方が“少し”間違っていただけ。 


 問題が起きないと言い切るのは絶対に拙いが、それが起きても安心出来るようなそんな嘘をつけば、きっとこの子の不安を取り除けるに違いない。

 

 何か……何か良い嘘はないのけ?


 余り嘘というもの自体ついたことが無いので、中々思いつくことが出来ない。

 早くしないとこの子に不審がられてしまう。

 焦りを感じ始めたオラの脳裏に今度はラングどんの言葉が蘇る。

 

 ――ふははっ、良いかドラン。漢という者は、生まれ出た瞬間……否っ、生命として誕生したその時から、強い者に憧れる本能が宿っているのだッ。

 これは正しく宿命と言っても過言ではないっ!!


 こ、これだでっ!!

 確かにラングどんの言う通り、オラにだって強い漢に憧れる気持ちはあるもんな。

 ラングどんの言う事なら間違いないだろうし、これを絡めて嘘をつけばきっと上手くいく筈だよっ。


 二人の仲間の言葉で勇気付けられたオラは、鼻をグシュグシュと啜る男の子に向かって、宥めるように両手の平を向け、出来るだけ優しく声をかけた。


「よーく聞くだよ? 悪い事は起きるかもしれないけども、それはもー強い人がこの避難所に居るから心配することはないだよっ」


 オラの言葉にピタリとグズルのを止めた男の子。


 か、完璧だで、この男の子もきっと安心したに違いない……。

 自分の考えた策がどうにか通用したのを見て、思わず安堵で胸を撫で下ろす。


「それって誰?」

「ん?」

「誰?」


 メイどん……助けてくんろ。


 どうやらオラは完全に子供を甘く見ていたようだ。

 てっきり今の言葉で『そんな人が居るんだね凄いっ』と済ませてくれると思っていたのに、まさか誰と聞かれるとは思いもしなかった。

 

 安堵していた所への予想外の追撃。

 即座に混乱し始めたオラは、仲間に向かって心の中で助けを求めてみるが、応えてくれる者は近くに居なかった。


 どう答えれば良いのかわからず、一人固まってしまったオラに、

「もしかしてドラゴニアンのオジサンの事?」

 追い討ちが入る。


「お、おじさん!?」

 反射的に自分を指差したオラに、男の子はコクリと頷いた。


「だって、ドラゴニアンって強い種族なんでしょ? 前に聞いたことがあるよ」


 色々言いたいことはあったが、概ねその言葉は間違っていなかった。

 身体能力最強種族と名高いドラゴニアンは、数の少なさと、その強さからそれなりに有名だ。

 この子が知っていたとしてもなんらオカシナ事ではない……。

 だが、一体この言葉にオラはどう答えれば良いのだろうか。

 早く教えろとばかりにオラを見つめてくる子供の双眸はまさに凶器。

 

 どどどど、どうすればっ。

 ここでオラが違うと言ってしまえば、次にこの子から出てくる言葉は間違いなく『じゃあ誰?』だろう。

 オラがこの避難所にいる人の名前を出してしまえば、今度はその人へと迷惑が掛かってしまう。


 駄目だそれは駄目だでッ。

 オラが嘘をついたせいで他の人に迷惑が掛かるなど、あって良いはずがない。

 被害を被らないといけないのは間違いなく張本人であるオラだでっ。


 オラは自分の付いた嘘に責任を取るべく覚悟を決めた。


「そ、そうだでっ、正解だで。ドラゴニアンは強い種族だもんで、不安に思うことはなんもねーだよー」


 言ってしまった。もう後戻りは出来ない。

 臆病者のオラが強い? とんでもない嘘をついてしまった。

 罪悪感が胸の奥をチクチクと刺し続ける。

 だが後悔はしていない、これで誰にも迷惑掛けることなくこの子を慰める事が出来たのだから……。


「どれくらい? どれくらい強いの?」


 もう……オラの後ろは袋小路になっているのだろう。

 何だこれは一体何がどうなっているのだろうか。終わりは何時来るのだ。

 嘘をついた先から次々と新しい質問が向けられて、これではどんどん嘘をつき続けるしかなくなってしまう。


 助けてくんろ、誰か助けてくんろ。


 まるで無駄な悲鳴を上げて、全く意味のない祈りを捧げる。

 ドンドンと塗り重なっていく嘘の壁がオラの行く先を狭めていく。

 既にオラには『どうにかして強さを示す』それ以外の道は残されてはいなかった。

 

 なにかオラでも出来そうな方法を……。

 

 今までで一番頭を使ったのではないかと思うくらい思考を回し、打開策を探す。

 だが、オラが得意な事で強さを示せるものなどほぼ皆無で、残されたものなど最初から一つしかなかった。


 期待に目を輝かせる子供に『ちょ、ちょっと待っててくんろ』と声を掛けて、オラは自分の荷物でもある金属箱へと駆けていく。

 ジャラジャラと鎖を乱暴に揺らし、箱を背負って子供の下へと戻り、荷物の中から金属製の鍋を取り出し、地面に置いた。

 不思議そうに鍋を見つめる子供と娘さんに一度強度を確かめさせてから、オラは両手で挟むようにして鍋を持ち上げる。


「じゃ、じゃあ、一回しかやらねーから良く見てるだよ?」

「うん」

「いくだよ?」

「うん」

「ぬううううううりゃッ!!」


 ――ベコッッ!!

 オラが込めた力に負けて、金属製の鍋が内側へとペチャンコに押し潰れる。

 

 鍋の上部に向け三角形に形を変えてしまったソレを見て、

「うおおおお、ドラゴニアン……すげええええええええええええ」

 拳を握り締めた男の子が嬉しそうな声を上げた。


 だが、暫くの間キャッキャと喜んでいた子供だったが……急に表情を少し暗く染める。


「ねえおじちゃん、もう一個聞いても良い?」

「もも、勿論だで」


 次はどんなとんでもない質問が口から飛び出すのかと恐れ戦き身を固めていたオラに、子供は少しだけ震えた声で言った――

「おじちゃんはそんなに強いなら何で虫の巣に行かなかったの?」と。

  

 その言葉を聞いて先ずオラの心に訪れたのは安堵だった。


 良かった……今度は嘘をつかなくて済みそうだで。

 ほっと一息つきながら、オラは子供にもわかりやすいように、噛み砕いて質問の答えを口に出す。


「それはな……オラなんかより、もっと、もーーーーっと強い仲間が向かってくれてるからだでっ」

 

 ビクリと体を少しだけ揺らした男の子は、驚きながらもオラを見る。


「ほんとに?」

「ほんとだで」

 本当にメイどんとドリーどんはオラよりもっともっと強い。


「絶対?」

「間違いないだよっ」

 絶対に、間違いなくあの二人なら大丈夫だと信じている。


「んー、そっか、なら良いっ」


 男の子は質問の答えに満足したのか、グシグシと鼻を擦って立ち上がる。

 どうやら、オラは上手く答えることができたようだった。

 子供の姿を座りながら眺め『このまま何も起こらなければ一番良いのに』と、胸中の不安を押し込めていった。

 


 ◆



 あれから暫くの間――子供に延々と纏わり付かれ、角を引っ張られたり鱗をガリガリ掻かれたり、体の上を好き放題這い回られたりと、散々な目にあった。

 取りあえず今は飽きてしまったようで母親の近くで大人しく座っているが、またいつこちらに襲い掛かってくるかわからない。


 子供は嫌いじゃないけんども、ずっと相手しているとなんだか異常に疲れるだで。


 グデ、と壁に背を預け座り込む。

 ただ、シルクリークの兵隊さんがここに来るくらいなら、子供の相手をしているほうが断然良い。

 

 それに子供と遊んでいるほうが気分が紛れるだで。


 何度か交代をした見張りから街の様子を伺っていたが、どうやら騒ぎは収まるどころか酷くなっているとの事。

 街へと直接赴いた訳ではないらしいが、時折聞こえる悲鳴や怒声、立ち昇った噴煙などから見ても間違いないという話だ。


 早くここから出て行けばいいのに。

 らしからぬ怒り混じりの妙な感情が零れだし、思わず自分で自分にビックリしてしまう。

 どうにも、皆が頑張って街を復興させている姿や、この避難所にいる人達を間近で見ていることもあってか、それを邪魔しようとする輩に対して 自分でも気づかぬうちに怒りを感じてしまっていたらしい。


 一度大きく息を吐き出してから気持ちを静め、避難所の中を眺めていく事で、気分を変えていった。

 

 先ほどまでの忙しさは何処へやら――静々と世話を続ける娘さんと、ジロジロと睨みつけながら患者の間を練り歩くお婆さんの姿しか見えない。

 それも仕方ない事か、亜人走破者達は別部屋へ、人種の走破者は見張りへと立っているのだから。

 ただ、オラはそのどちらにも向かう訳にはいかなかった。

 亜人走破者達の下へと向かえばここで寝ているリーンどんを疎かにする事になるし、見張りに立とうにもオラの巨体と種族では逆効果。

 

 今のオラはただ黙ってファシオンという名の嵐が過ぎ去るのを待つしか出来ない。

 

 余りにすることがなかった為、壁に持たれたまま少し瞼を下ろす。

 別に眠たかったわけではなく、こうやっていると落ち着く気がしたからだ。


 暫しそのままの状態で時を過ごしていると――不意に壁を伝わり誰かの声が聞こえた気がした。


 一瞬の事だった為『きっと気のせいだで』と流そうとした……のだが、

〈……お……やって…………が嗚呼ッッ!?〉

 今度は先ほどよりハッキリと誰かの声を聞き取れた。


 途切れ途切れでしか聞こえなかったが、どう考えても平穏を表すような声ではなく、どちらかといえば緊急事態を告げる警鐘のような声音。


 まさかシルクリークの兵士が来たのけ?


 やはり先ず頭に浮んだのは“ソレ”だが、どうにも様子がオカシイ。

 あれだけ派手に動き回っているシルクリークの兵士を走破者達が見逃すとは到底思えない。

 仮に見逃していないのだとしたら、それこそ何故兵士が近づいてきていることをコチラに知らせなかったかわからない。

 

 そう考えると答えは二つに絞られる。

 シルクリーク兵士が見張りの警戒を掻い潜りここへと近づいてきたか、もしくはそれ以外の何かが起こったか……だ。


 猛烈に嫌な予感が全身を舐める。

 何かが外で起こっている。しかも間違いなく厄介ごとだ。


 絶対に急がないと拙いだで。


 重たい体を壁からヌゥと起き上がらせて、自らの武器を手に取り外へと向かって走り出す。


「ちょっと様子がオカシイだで、オラは外を見てくるから、ここから動かないでくんろっ」


 走り去るオラの背中に娘さんと男の子から何か声を掛けられたが、今はそれに答えている暇がなく、悪いとは思ったが返事をせずにそのまま部屋の外へと飛び出した。

 

 そのままの勢いで玄関ホールを突っ切り、近くにあった窓から少しだけ顔を覗かせ、外の様子を伺う。

 

 あれは……シルクリークの兵士じゃないだで。


 オラの視界の中に見えるのは、二十名程のボロローブを羽織った誰か。

 全員が一様に口元を布で覆っているせいで、男か女かすらもわからない。

 もう少し詳しく周囲を見渡そうと顔をグイと動かしたオラの視界に、胸辺りから袈裟懸けに切り裂かれ、仰向けに地面に転がっている走破者の姿が映った。


 口の中に直接刃物を突き込まれたかのような寒気を抱く。

 あの走破者をオラはよく知っていた。

 ここでずっと手伝いをしてくれていて、さっきまで進んで見張りに立ってくれた彼だ。


 彼が倒れている地面には赤く広がる円状の血溜まり、このまま放っておけば間違いなく死んでしまうだろう。


 焦りを感じるオラ視界の中で更に事態が動く。

 ボロローブの一団――その中心にいる一人が“右手”に持っている長剣を高々と上げ、止めを刺さんと今にも振り下ろそうとしていた。

 恐らくあの剣で彼を斬ったのであろう……陽光を受けた長剣は、赤くヌラリと妖しく光っている。


「や、やめるだよッ!! 何やってるんだでッ!」


 反射的にドアを押し開き外へと出てしまったオラは、自分の行動に対して『しまったっ』という後悔の念が少しだけ湧いた。

 この状況で不用意に外に飛び出し姿を晒すなんて絶対してはいけない事だ、と。

 きっとメイどんだったらそう言うはずだ。 

 しかし、わかってはいたのだが、オラにはどうしてもあの男性走破者を放っておく事が出来なかった。


 オラの声に反応してボロローブの一団が一斉にこちらへと顔を向ける。

 やはり口元に巻かれている布のせいで、顔を確認する事が出来ない。

 先ほど長剣を持っていたローブがノソノソと先頭に進み出て、オラの顔を探るようにジッと眺める。

 長剣を持った者とオラの視線が一瞬だけ交わった。

 

 よくわかんないけども、なんだか嫌な目だで。


 人の瞳の範疇ではあるが、どこか欲で曇ったかのように黄色く濁ったその目は、オラにとって好ましくない輝きで、どこか不快感をわかせるものだった。

 

「おやおや、でけぇトカゲだなぁおい。浮かない顔してるみてーだが、調子でも悪いのか?」


 だらりと血に染まった長剣を地面に向けながら“男”がオラに話しかけてくる。


 ……あれ? どこかで……。

 余り好きにはなれそうに無いその声を、オラはどこかで聞いた覚えがあった。

 一体どこで聞いたのだろう、と記憶を探ってみるが、あと少しのところで引っかかって出てこない。

 

 オラが少しだけ思案に暮れている間にも長剣の男は“右手だけを”ローブから覗かせ、こちらに向かって赤く濡れた剣をフラフラと差し向ける。


「おい、ドラゴニアンの兄ちゃんッ。一体何が……って誰だこいつら?」


 オラの背後から飛び出すように現れた走破者三名が各々に武器を構えてボロローブの一団へと対峙する。

 その内の一人は、先ほどファシオンの説明をしてくれた亜人男性で、武器を構えた十数人のボロローブと対峙していたオラにとってはとても心強い増援だった。

 

「……えっと、オラにもよくわからねーんだけんども、あの長剣の男が、見張りを一人を切ったみたいなんだで」

「ああ? こいつらがか? 何もんだ手前らッ、目的は何だ!」


 亜人男性が怒声を上げながら、殺意すら込めた眼差しで集団を睨む。


「目的だぁ? まあ簡単な話だ。棺桶に入れるには少々豪勢な物を、親切に回収してやろうって話だ」

「なッ!? ふざけてんじゃねーぞ、そんな好き勝手やってただで済むと思ってんのかッ!!」


 相変わらず右手だけをローブから出している長剣の男は、亜人走破者の言葉に少しの動揺すらも見せはしない。


 何故この人達はこんなにも余裕があるのだろうか? 

 こんな事をしでかせば確実に街の警備兵につかま……て……あっ!?

 こ、これは拙いだで……。


 相手がここまで余裕を持つに至った理由に気がついてしまい、オラの脳裏に絶え間ない焦燥感とピリピリとした危機感が乱れ飛ぶ。


「ただで済むだぁ? 残念ながら済むんだよ“今”ならなっ」


 ゲラゲラと腹を抱えて笑い声を上げた長剣の男。


「簡単な話だろう? シルクリーク兵隊様が、今も好き勝手暴れまわっているこの状態で警備兵はいったい何処に向かっていくんだろうな?」

「――ッツ!? 糞がッ、そういう事かよッ」


 ギチッィと亜人男性が歯を軋ませ、吐き捨てるようにして長剣の男に返答した。


 やっぱり……予想通りというべきか、この人達は今の状況だからこそ襲撃をかけてきたのだ。

 これでは時間稼ぎをした所で警備兵が現れるかどうかすらわからない。

 それに、仮に駆けつけてきてくれたとしても十分な戦力を揃える事は出来ないだろう。


 こちらの悔しがる様を見て気分を良くしたのか、長剣の男はヒィヒィと地面を蹴りながら笑い声を上げている。

 ――バサリ、と一瞬だけ長剣の男が着ていたローブが捲れ、その中の様子が目に映った。

 あるはずのものが無い。あるべき場所に何も無い。

 長剣の男は“隻腕”だった。


 先ほどまで頭の隅で引っかかって出てこなかったモノがそれを見た瞬間に、ズルリと飛び出した。

 どこかで聞き覚えのある声、あの何だか好きになれない眼差し、そして“左腕”を失った男性戦士。

 ここまで揃って気がつかぬ訳が無い。

 少し震える声でオラはその男の正体を口から吐き出した。


「間違いないだで、そこの長剣の人……水晶船の上で腕切られたあの走破者だよな?」

「…………ッチ、しらねーな誰だよそいつは、なんの証拠があってそんなこと言ってんだおいッ?」

「ひ、左腕が無いし、声だって聞き覚えがあるだでッ!」


 オラの言葉を聞いた隻腕の戦士は、右手で武器を遊ばせながら笑い声を上げた。


「あー、笑わせてくれやがる。隻腕の奴なんて腐るほどいるだろうが、声はてめぇの勘違いだろう。

 いや……そうだな……まあ俺も隻腕だしよ、そいつの気持ちもわかるかもしれねぇな。

 きっと辛い毎日を送ってんだろうぜ、金はねーし、まともな仕事もできねーし。

 もしもだ、もしもそいつに“借金”なんてあったらきっと強盗ぐらいするだろうなぁ。

 お前もそう思わねーか?」


 っぐ、この人……。

 間違いない絶対にあの走破者だで。


 それにしてもこの戦士、確か積荷の負担を払うために斡旋所から監視の人がつけられていた筈なのだが、どうしてこんな所に平気でうろついていられるのだろうか?

 いや、この状況だで……きっと騒ぎに紛れて監視員の目から逃れたんだ。


 それにしてもどうすれば……余りにも分が悪いだで。

 

 急いで治療しなけば死んでしまうであろう走破者。

 数だって向こうの方が多く、街の警備兵の応援は期待できない。

 実力差……はどうだろうか。

 こんな事をするくらいだ、きっと金銭に困っているものだろうし、そう考えると一級並の者は居ないだろう。

 二級? いや三級辺りかそれ以下か。


 だが、かといってオラ達が有利になった訳でもない。

 避難所の手伝いをしてくれている走破者の半数以上は“実力不足”で蟲毒の走破に向かえなかった者達で、今オラの側に居る三人の走破者達もそこに含まれる。


 オラなんかにやれるのだろうか……自信が、自信が無い。

 仲間のお陰で以前より少しは強くなれているような気もするが、この数の差を覆せるほどオラが強くなっているとはどうしても自分では思えない。


 ……せめてオラ以外の誰かならこの状況でも簡単に勝てたにちげーねぇのに。


 二人は蟲毒へ、一人はここには居らず、もう一人は倒れ付している。

 いつも頼りにしていた仲間が誰一人として近くに居なくて、残されているのはオラ一人。


 オラなんかじゃ……オラなんかじゃ。


 昔に比べて腰が抜けないだけマシなのかもしれないが、こんなにも弱い自分が情けなさすぎて、涙が零れそうになる。


「なんか言えよおいッ!!」


 男の怒声にビクリと体が震える。

 モンスターを相手にするのは大分慣れてきたが、こうやって恫喝するように大声を上げられるとどうしても体が反射で縮こまってしまう。

   

 でも、逃げる訳にはいかなかった。

 倒れている人を助けないと、メイどんとラングどん、その二人と交わした約束を守らないと。


 もしこの人達を避難所へと通したら、中の皆がどんな目にあうのかわかんねーだで。


 余りにも返事をしないオラ達の様子に苛立ちを感じ始めているのか、隻腕の男はガシガシと地面を蹴りながら、こちらを睨む。


「っち、俺もそれなりに急いでるんだがな……こっちとしてはさっさとてめぇらぶっ殺して通っても良いんだがよ。

 一応念には念をで、派手にやりあうのは避けたいわけだ。

 どうだ? 黙ってそこを通せば手前らの命は助けてやる」

 

 駄目だ。オラは中の人達の命を守る為にいるのに、自分が助かるからという理由でここを通せるはずが無い。

 他の人達もそんな気持ちなのか、隻腕の男の言葉に答えぬままじっと黙って構えたまま。

 オラ達の様子を伺っていた男は、さもつまらなさそうに唾を吐く。


「あーまた黙りか?

 ん? そうか、そういやお前らアレだったな。死人の看病して喜ぶ馬鹿だったよな。

 もしかして皆の為にここから先は通せませんってな事か? ったく面倒くせぇ奴等だ」


 ガリガリと剣先で地面を抉りながら、隻腕の男は『良い事を思いついた』と言わんばかりにパチリと指を鳴らす。


「わかった、わかったよ。

 じゃあこうしよう……お前らが俺達の邪魔をしなかったら、こっちは中の奴には一切手をださねぇ。

 それなら良いだろう? 装備品なんてまた買えば良いわけだしよぉ。

 元々こっちは死人には興味ねーんだ。これで手を打っとけよ、なあ?

 じゃねーとそろそろこっちも我慢の限界なんだよ。なあ皆!」


 長剣を肩に担ぐように持ち、首だけ回して後ろに声を掛ける男。

 その声に応えて、各々の武器を上げるボロローブの一団。


 我慢の限界――男のその言葉は、戦闘開始を意味している。

 今ここで戦ってもきっとこの人数差じゃ勝てないし、早くあの倒れている人の治療もしなければならない。

 動揺混じりの視線を動かすと、周囲にいた三人の走破者達の『どうするんだ?』といった問いかけるような目線と交わった。


 どうしよう、どうすれば……。

 弱気と弱音が脳裏に走る。


 相手は中の人達の命の保障をすると言っている。

 ここでオラが提案を受ければ、リーンどん達の命は守れるのでは?

 そうだっ、それなら二人との約束を破った事にならないんじゃないか?


 心の隙間に入り込むようにして、弱々しい思考が頭に潜り込み、オラに囁き掛けるかのようにして、逃げる自分を許す為の言葉が飛び交った。


 ――このまま提案を蹴って負けでもしたらそれこそ大変な事になるだで。

 重心がほんの少し後方へ傾く。


 ――命あってのモノダネだよ。

 右足が少しだけ宙へと浮いた。


 ――武器なんて買い直せば済む事だもんな。

 上がった足が後方へと移動し。


 ――そうだっ、オラが頑張ってお金を貯めて弁償すればいいんだ。

 道を開けるかのようにして体が半身になっていく。


 ――しょうがないきっとしょうがないんだで。

 完全に体を横へと向け、提案を受けると意思表示する為に上げた右足を後方へと下ろ…………せなかった。


 石像のようにガチリと固まる体と視線。

 後方へと顔を向けたオラが見てしまったのは避難所のドアから覗き込むようにしてこちらを伺っている男の子。

 キラキラと輝き何かを期待するような感情を湛えた子供の瞳は、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐにオラの“背中”へと注がれていた。


 オラの“よく知る”眼差しとあの視線の“意味”を理解する。


 あぁ、オラが強いなんて嘘なんだけんどもな。


 自分に向けられたその視線がなんだかとてもおかしくて、ついつい口から笑いが零れ出る。


 実から出た錆だけんども、まさかオラがラングどんの背中に向けていたあの眼差しを、今度は自分が受けるとは思わなかっただで……。


 スゥ、と大気を吸い、全身に空気を取り込んで、静かにゆるりと吐き出していく。

 意識を集中して、全身で血液が巡っていく感覚を味わった。


 ギシィ、少しだけ体に力を入れ、拳を握る。

 もう一度だけ深呼吸をし……全身全霊で体に力を込めた。


 ――ギチッッィイ!!

 端切れんばかりに力を込めたせいで四肢が膨らみ、鎧のように肌を守っていた鱗が擦り合わされて盛大に鳴いた。


 オラのどこにあったのか、溢れる力が止まらない。


 この足だけは……この足だけは絶対に引けねぇんだ。

 例え嘘のお陰で向けられたものだろうと、あの視線を受けたら決して引いちゃいけねぇ。


 全くオラはなんて馬鹿だったんだ。

 後少しで、今も戦っている仲間に、再会の約束を交わした仲間に、すぐに目覚めるであろう仲間に、一生顔向けできねぇ真似を晒すところだったッ。


 ズンッッッ!!

 思いを込めた右足を“前方”の大地に叩きつけるように踏み降ろす。


「いきなり何してんだ? 早くそこをどけって言ってんだろうがッ!!」


 視線の先にいる隻腕の男が何か言っているが、今のオラの耳には届かない。

 

 熱く滾った体に更なる力を込めていく。

 まだ……まだまだ足りない。


 ラングどんの闘志はこんなもんじゃないッ。メイどんの勇気はこんな弱々しいものじゃないッ。

 もっと巡らせるんだ血液を更に燃やすんだ魂を。

 誰かを導く“漢”の背中はもっと力強いものだでッ!!


「グルルぅゥゥァァアアア!!」


 練り上げられた力を口から吐き出し、思いを込めた咆哮を上げる。

 震える大気、振動によってビリビリと音を鳴らす避難所の窓。


 ビクリと身を竦ませ動きを止めたローブの一団を、縦に割れていく瞳孔を感じながら睨み、そのまま視線を横へとずらす。

 オラの目に映ったのは、倒れている走破者の姿。


 先ずは彼を助けないと駄目だで……。


 だらりと前に垂らした両手が鎖と(はこ)を握り締め、膝を曲げて力を溜め込んでいた両足を、オラは大地に向かって蹴りつける。


 ――ゴッ!

 地面が爆ぜた。


 前傾姿勢をそのままに、倒れている走破者の元へ走り出す。

 体を竦めた二名のローブがオラの進路上に見えた。


「悪いけんども、邪魔だでッ!」

 鎖を握っていた手を離し、左手を払いのけるようにして振るうと、

「待てやめッ、ガアッ!?」

 オラが想像していたよりも軽い二人の体は呆気なく横へと吹き飛んだ。


「くそッ、このトカゲ野郎。やっちまえ」

『フリーズ・ランス』


 隻腕の男が怒声を上げて、右側にいたローブの一人がオラへと向かって氷槍を放ってくる。

 他の仲間ならばきっと華麗に避けきってしまうだろうあの攻撃、でもオラではきっと避けきれない。


 ……いや、いいだよ。オラにはオラの戦い方があるんだで。


「オオオオオォォッ!!」


 力いっぱい鎖を振り回し、こちらに飛んでくる氷槍へと向かって箱を叩きつける。

 ――ガシャッッ!


 甲高い破砕音が響き、砕け散った氷の礫が周囲へと撒き散らされていく。

 礫によって、更に動きが止まったローブの集団を、押しのけるようにして掻き分け、血に染まった走破者を地面から救い出す。


 囲まれないように直ぐに後方へと下がり、急変した事態に着いて来れず、ジッと動かぬまま目を瞬かせている三人へと怪我人を渡し、中に運んで治療するようにと言付ける。

 暫く躊躇って動いてくれない走破者に『ここは任せるだでっ』と言ってみせ、さっさと中に追いやった。


 二人は中に一人は玄関口へ。


 これなら存分に武器を振り回せる。

 こちらに向かって殺気を飛ばし、怒声を上げて喚いているローブの集団と対峙した。


 ラングどんならこんな時どうするんだろうか?

 

 男の子の中にいるであろう強いオラを演じる為に、彼の姿を思い起こす。

 

 間違いなくするであろう“ある事”がオラの脳裏に浮び上がり、なんとなく気恥ずかしい気持ちを感じながらも実行に移す事に決めた。


 武器を振り上げ力任せに地面へと打ちつける。

 砕け散る大地と鳴り響いた轟音が、騒いでいた集団の口を縫いつけ強引に静けさを取り戻す。


 鎖を握って手を構え、地面に下ろした箱を握り、胸を張って背を伸ばし、限界まで空気を吸いこみ口を開き――


「さあ、掛かってくるなら何時でもくればいいだよ。


 オラの名はドラン――ドラン・タイトラック……。

 親から貰ったこの巨体、背負いに背負ったこの重み。

 簡単に越えられると思わないほうがいいだでッッ!!」


 覚悟を込めた名乗りを上げた。



 ◆◆◆◆◆



 あぁ……あの子は一体どこに行ったのかしら。

 どこかに走り去ってしまった“男の子”を探して避難所の玄関ホールへと入った“私”の視界に、怪我人を運ぶ二人の走破者さんの姿が映る。


「ああ“娘さん”じゃないか、偏屈婆さんは奥に居るか? 早くこいつを見てもらわないと」


 少し焦った声音で“私”に話しかけてきた走破者さん。

 こいつ――と指差された方向を見ると、肩から逆腰へかけて血で真っ赤に染まっている怪我人の姿。

 どう見てもかなりの重症だ。

 

「え、えっとお婆さんは奥に居ますけど、ど、どうしたんです一体?」

「おお、婆さんはいるか、とりあえず悪党がやってきてそれをドラゴニアンの兄ちゃんが相手してるって所だ。

 というか、娘さんはもしかして男の子探しにきたのかい? それだったらホラっ、そこにいるからさっさと連れて奥へと引っ込んでくれ。

 危ないから外にだけは出るなよ!」


 奥へと向かって行く二人を見送り――ホラ、と指された方角に眼差しを向けると、私が探していた男の子が、何故かドアの端から頭だけ出して外の様子を伺っていた。


 とりあえず何が起こっているのかもわからないままに私は、男の子の元へと駆け寄った。

 

「もー、勝手にどっかいっちゃ駄目でしょ? 心配したのよ」


 どうにか引っ張って奥へと連れて行こうとするもテコでも動かないとばかりにドアへと張り付く男の子。


「待って、ちょっとお姉ちゃんも見てみてよ……ドラゴニアンのおじちゃんすげええええええ」


 引っ張って奥へと連れて行こうとする私に男の子が外へと向かって指を向ける。

 促されるまま視線を向けた私が見たものは、少し信じられないような光景だった。


 飛ぶ――人が宙を軽々と飛んでいた。

 巨腕に捕まれたローブの人が力任せに違う人へと投げ飛ばされて、お返しとばかりに放たれた魔法は、振り回された武器によって力任せに打ち落とされる。

 少しばかり避けきれずに当たってしまっても、まるで倒れる様子を見せず、盛大に暴れる一人の竜人(ドラゴニアン)


 あれってドランさん?


 なんとなく自分の目を擦る。

 もう一度見てもやはり暴れているのはドランさんだった。

 

 でも少し様子が違う。

 いつも気弱そうに揺れている筈の瞳孔は縦に割れ、口元は噛み締められるように閉じ、牙の隙間からは白い煙が漏れていて、どこか凶暴そうな印象に変わっていた。


 普段のドランさんの姿しか見ていなかった私は――竜の逆鱗に触れてしまったかのように、猛って吼えて暴れ回っているその姿を見て反射的に『やはり別人ではないか』と思ってしまった。

 

 それにしても、あれがドラゴニアンという種族で、走破者とはあんなにも強いものなのか。

 普通に生活を過ごす私にとって、今繰り広げられている戦闘は現実味のわかないものだった。


 巨体を揺らして全てを跳ね除け、振り回される大きな武器は風を巻き起こし土埃を上げる。


 ノソリノソリと歩きながら、ローブの人達を押し返すようにして下がらせているドランさんに向かって、

「てめえら雷か炎を使えッ、氷と土は駄目だッ、こっちにまで被害が来ちまうッ!」

 長剣を持ったローブの男性が怒鳴るような指示を出す。


 その声を受けた数人のローブの人達は容赦なくドランさんに向けて火の槍とバチバチと光る雷の玉を投げつけた。


 危ない!

 反射的にそんな言葉が出そうになったが、ドランさんの姿を見て、ソレは音に変わる直前に喉元で止められた。


 近くにあった魔灯の鉄柱を強引に武器でへし折り、飛んでくる魔法へと向かって投げ飛ばし、今まで振り回していた箱を盾のように掲げて身を伏せる。

 飛び交う雷玉に投げ出された鉄柱が直撃し、降り注ぐ火の槍は箱に止められ辺りに炎を撒き散らす。


 燻る炎の中からゆらりと立ち上がったドランさんは少し煤けていて、腕などは黒く焦げついているようだった。

 昔お父さんから『知ってるか? ドラゴニアンの鱗は火に強いんだぞ』と聞いた覚えがあったが、さすがに耐えられる範囲にも限度があるようだ。


 直撃はしていないが、無傷ではない。

 痛みだってあるだろうに、気にする素振りすら見せずに再度武器を振るう。

 叩きつけられた武器が地面を抉り、武器の直撃を避けても土塊が飛び散って、体に当たっていく。


 猛然と動き続けるドランさんと、戸惑うように距離を離そうと逃げるローブの集団。


 どうにも不思議な光景だ。


 私には強さの差など詳しくはわからない。

 だけど数も多くて遠くから魔法を撃っているローブの人達が優勢なのは明らかで、それを続けていればいずれドランさんが倒れてしまう事もわかった。

 なのに、怯えているのは集団で、今も押しているのはドランさん。


 妙な声援を上げている男の子を抱きしめるようにして留めながらも、いつの間にか私まで手に力が篭っていた。


 心の中で『頑張れ、頑張って』と声援を送りながら外を見ていると、

「おいおい、二人とも何やってんだッ。あぶねーだろ速く下がってろ巻き込まれるぞ」

 外からやってきた亜人男性が、怒鳴り声を上げてこちらに近づいてきた。


「えっと、すいません……」

「あーいや怒鳴っちまってすまねぇ。

 まあ、危ないっていってもあの様子じゃあ、ここから出なきゃ大丈夫かもしれねーけどな」


 男性は私達の側へと立つと『実は俺も見物人みたいな事になってるんだ』と言って笑った。


「下手に近づくと俺じゃ兄ちゃんの邪魔になっちまうし、それに……きっともう戦闘も終わるだろうしな」


 その言葉を受けて外を見てみるが、まだローブの人達はそれなりに残っていて、直ぐに戦闘が終わるとは到底思えなかった。

 少しばかり気になってしまった私は、亜人男性にそう思った事を伝える。


「いやいや、ありゃもう無理だ。

 娘さん、よく考えてもみな――自分のすぐ前で、当たったら間違いなく死んじまう金属塊が物凄い速さで振り回されてたらどう思う?


 とんでもねぇ怖さだよ。

 時間をかけ、慎重さを失わず距離を離して戦えばどうなるかわからんが、あの状況でソレを出来る奴があの中にいる筈がない」


 その男性の言葉を裏付けるように、ローブの人達の中から逃げ出す人達が出始める。

 長剣を持った男性はソレを見て慌てふためくようにして罵声や命令を飛ばすが、余り効果はないようだった。


「ふ、ふざけやがってッ! 走破者の数が少ないことはわかってるんだッ、あと少しなのにッ、なんで、なんで手前みたいな奴がいるんだよこの糞トカゲッ!」


 ――轟。

 男の叫びを寸断するかのようにドランさんの振り下ろした武器が地面を砕く。

 転がるようにしてどうにか避けた長剣の男だったが、自分の直ぐ側の地面が深く抉られているのを見て『ヒィッ』と短く悲鳴を上げた。


「畜生ッ、畜生、畜生おおおおおおおおお」


 駄々を捏ねるかのように地面を蹴りつけた男は、空に向かって叫び声を上げると、背中を向けて街へと逃げ出した。

 

 それを切っ掛けに蜘蛛の子散らすような状態で残ったローブ達も逃げ出し始め外へと向かう。

 

 特に追いかける気はないのか、追いかける元気が残っていないのか、ドランさんは肩を荒く動かしながら、空を見上げ佇んでいた。


 一先ずこれで安全になったのかしら? 早くドランさんの怪我もお婆さんに治してもらわないと。


 ほっと一息吐き零し、なんとなしに逃げていく長剣の男へと目を向けた――。


「…………え?」

 

 私の視界に映る奇妙な光景に一瞬何が起こったのかわからなくなる。


 先ほどまで街へと向かって逃げていた男の上半身が無くなっていた。

 腰から下だけが、フラフラと足を動かし、やがてバタリと地面に倒れる。


 反射的に喉元から悲鳴がせり上がってくるが、必死になって口元へと手を当て、それを押さえこんだ。

 

 今大声を出してはいけない……。


 なんでそんなことを思ったのか自分でも良くわからない。

 だが、下半身だけになってしまった男の側にいる“鉄仮面”を被った戦士の姿を見て、私の本能がそう叫んでいた。


 全身を覆う鎧と衣服、重そうな大槌からは長剣の男のものであろう血が滴り落ち、地面を濡らしている。


 ドシッ、と肩に大槌を担ぎ直した鉄仮面の戦士は背後に引き連れた砂色の兵隊へと向けて、

【亜人如きに怯え逃げ出すなど生きる価値すらない。追え、そして殺せ】

 そんな指示を躊躇いもなく言い放つ。


 気持ち悪い程に揃えられた声と動きで鉄仮面の戦士に応えた砂色の兵隊は、逃げ出していく者を剣で弓で曲刀で、容赦なく処断し骸に変えた。


【つまらぬ、なんという脆弱さだ。

 ラッセル、お前の用事をさっさと済ませてしまえ、どうにも先ほどから爬虫類がいてな……コチラとしては我慢の限界だ】

「ちょ、こんな所で平然と名前で呼ばねぇでくだせぇ!?

 大体旦那は我慢なんてしやしねーでしょうがッ! さっきだって勝手に動いちまいやすし、もうほんとに勘弁してくだせぇよ」

【当然だ、王の命令だけが我を動かすに至るものだ】

「はぁ、とり合えず頼みやすから大人しくしててくだせぇな」


 ウンザリと肩を落としすラッセルと呼ばれた男性は警戒するように構えを取るドランさんに近づいていき、

「どうもドラゴニアンの旦那、お久しぶりで」

 戸惑い混じりに声をかけた。


「……何のようだで、オラとしては早くここから出てってくれれば助かるんだけども」

「いやいや、そう警戒しねーでくだせぇや。アッシとしては特に何をしようという訳じゃありやせん。

 ちょいと仕事といいやすか、確認といいやすか、とにかく聞きたいことがあるだけですから」


 ラッセルの言葉にもやはりドランさんは構えを解かず、話の続きを待つかのようにして、ジッと見つめていた。


「大したことじゃねぇんですがね? あの黒い旦那と使い魔の腕はここに居やすかい?」








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