6−15
息を吸い込むごとに異臭が鼻につく。腐りきった水の様な吐き気を催す淀んだ空気は、どこか粘度があるようで重く湿気が混じったものだった。
死骸に囲まれた地下へと伸びる暗い穴の中。頭上に輝く魔法球の明かりのみが、俺達の視界を保ってくれている……。
地下深くに向かって続く穴を黙々と奥に向かって一歩づつ慎重に歩いて行く。
ジャリジャリとした砂利でも踏みしめているかのような音が一歩ごとに鳴り、足の裏へと返ってくる感触は、俺の想像していたものと異なった、どこかゴツゴツとした固いものだった。
先頭を進みながらも時折背後を振り返り、隊の様子を伺っていたのだが、どうにも皆の顔つきが優れない。
その原因はこの異臭のせいなのか、それとも、いつ横穴からモンスターが襲いかかってくるかもしれない緊張感のせいなのか……いや、恐らくその両方だろう。
そこに加え、このグネグネと曲がりくねり、無数に枝分かれし続けている坩堝の迷宮。黙々と歩いていると『このまま延々と迷い続け、奥にたどり着けすらしないまま、死んでしまうのではないか』とそんな不安を抱かずにはいられない。
くそ、マッピングをする意味あるのかこれ。
左右に分かれ、上下に伸び、なんの規則性すらなく乱雑に口を開ける穴。広い通路もあれば人一人通るのがやっとの穴もある。
俺は当然の指示として、バックパッカーを務める者達に『通った道筋をしっかりとマッピングしてくれ』と頼んではいるのだが――数えることすら億劫になる幾多の分かれ道を、全て把握することなどまず不可能だろう。
今の所は道なりに、というよりも一番大きな道を選びながら進んでいるので、そこまで迷っているといった感覚はなかった……が、いつまでもそんな上手くいく筈もない。
予想したとおり、一時間ほど歩いているうちに、同じ大きさで三方向に伸びる分かれ道へと出くわしてしまった。
〈さて、隊長さん。大きな分かれ道だな、どっちに進む?〉
隣を歩いていたオッちゃんが、手に持ったマップを見ながら俺に向かって道を示せと促した。
やっぱり坩堝に入ってから、配置を変更したのは正解だったな。
現在リッツやシルさんは中列に、オッちゃんを前列に岩爺さんはそのままに、と若干隊列を変更している。やはり十分な広さがあるとはいえ、外に比べると狭いこの穴の中では、遠距離武器の持ち主はそこまで特性を生かせない。一応オッちゃんも遠距離武器の使い手でもあるのだが、マップづくりや様々な道具を使っての補助もこなせる器用系だし、なにより俺の補助を頼みたかった。
腕を組みながら眼前の分かれ道を睨みつけるようにして眺めていく。
並ぶように開いた三つの大穴。左から順に、上に伸びる道、下に向かう道、真っ直ぐに伸びる道。と別方向に伸びている様子。
正直、悩んでみたところで正解など判るはずもないし、伸びている方向が違うだけで、何かが違う様子もない。
取り敢えず今考えてもわからないけど、左は無いな。俺たちが向かっているのは最下層なわけだし、態々上に向かって進む必要性はないだろ。
そうなると、残ったのは中と右か……やっぱりここは素直に中かな。出来るだけ無駄な時間は掛けたくないし、最優先で下に向かう道を選んで行くべきだ。
〈……じゃあ中央の下に伸びる通路にしましょうか〉
ゆっくりと中央に向かって指を差し、オッちゃんに向かって道を示す。
オッちゃんは俺の返事を聞くと「まあ、一番無難な所だな」と言いながら、徐に分かれ道の側へと近寄ると、腰に下げた道具袋からチョークのようなものを取り出し、地面と壁にガリガリと音を立ててながら妙な印を付けだした。中列にいたバックパッカー達もそれを見て、各々に印を確認しながら、自らの地図へとなにやら書き込みを始めている。
恐らく通った道に番号や印をつけ、自分達の位置を正確に把握できるようにしている、といった所だろう。後でその辺りの情報もある程度把握しておいたほうが良いのだろうが、今は本職の人達に任せておくのが一番か。
俺自身は特にすることも無かったので、周囲を警戒しながら見渡していく。と、視界の端、一番右端の穴付近でフラフラと蝶子さんが飛んでいるのが目に入る。
蝶子さん……やけに、落ち着かない様子だな。
どうにも坩堝に入ってからは今までとは違って、俺達の後をついてくるわけでも無く、右へ左へと好き勝手に飛び回っている。
時折隊から離れて全く違う方向へ飛び去ろうとすらしている程だ。
今の所はある程度の距離が離れると、置いてかれまいとしてか、ちゃんと戻ってきているが、このままだといつ逸れてしまう事か。
もし逸れたら、二度と合流出来ないかもしれないな……。
俺自身蝶子さんにはなんとなく愛着も湧いてきているし、逸れたら探しに行きたいとも思う。だが、実際その状況になってしまったら、きっと俺は探しにいくことなんて出来ないだろう。
大体、隊の皆になんと言えば良い『俺とドリーにしか見えない蒼い蝶がいるんだ。でも、逸れたみたいだから探しにいきたいんだけどどうだろう』とでも言えと、そんな事を言っても誰も信じてはくれないだろうし、隊の皆を不安にさせるだけでしかない。
蝶子さんを捕まえられるのならまだ良いのだが、実際には触れる事すら出来ないので、どこかに飛んでいってしまえば、俺には止める手段がない。
頼むから勝手に居なくなったりしないでくれよ。
危なげに飛び回る蝶子さんを目で追いながら、俺は誰にも聞こえない程度の声量でポツリと呟き、オッちゃん達の作業が終わったのを見届けて、俺は隊を率いて下へ下へと向かって進んでいった。
◆
どれほどの時間さまよっているのだろうか。自分達はどの程度まで進んできているのだろうか。
延々と同じような景色を見続けていると、時間や、距離の感覚も、麻痺してしまったかのように鈍り始めていた。
『相棒、中列上部からウジさんですっ』
ドリーの言葉に従い視線を上へと向けると、まるで天井から垂れてくる水滴のように通路上部に開いた穴から屍喰らいがボトリボトリ、と落下しているのが目に入る。
っち、また出やがったッ。
周囲に聞こえない程度に加減した舌打ちを鳴らし、中列へと向かって岩爺さんと共に走りこむ。
〈岩爺さん、斬っちゃ駄目ですよッ〉
〈わかっとるよクロ坊。そう何度も言わんでよかろうに〉
〈ボケて忘れてるんじゃないかと思いましてっ〉
〈ほっ、中々言いおる〉
降ってくるウジを斬り飛ばさないように気をつけ、槍斧の横腹で叩くようにして落下地点をズラシていく。岩爺さんもしっかりと仕込み杖を抜くことなく、杖で殴り飛ばしている。
指示を出すまでも無く、俺と岩爺さん以外の前衛職の人達も各々に武器をうまく使い、中列に固まっている走破者達の頭上を守ってくれているようだった。
『さあ遠距離武器の皆さん、横に飛ばされたウジさん達をやっつけて下さいっ。魔法使いの方々は魔法は使わず待機ですよっ』
叩き落とされ、通路の脇へと飛ばされたウジ虫たちに向かって、ドリーは指を指し示しながら俺の代わりに指示を出し――その指示に従い中列にいた遠距離武器の走破者達が一斉に武器を構え、転がったウジに丁寧に矢を撃ち込み止めを刺していく。
何でこんな面倒くさい真似を――自分自身そう思わなくも無いが、今の状況のように、多少余裕のあるうちは出来るだけマイナスの要素を消しておきたかった。
頭上に降り注ぐウジ達を中空で殺し切ることは可能だ。だが、それをやってしまうと殺した後に降り注ぐ体液が、嫌でも全身に掛かってしまう「汚れたくない」と、これだけ聞くと非常に甘え切った言葉に聞こえるかもしれない。だがこれはこれで重要な要素だ。
肉沼でブラムさんも言っていたが「汚れると動きが鈍るし疲れが溜まる」あの時は俺自身汚れまくって感覚が麻痺していたこともあってか、そこまで重要視してはいなかったが、今になってあの言葉の意味が身にしみて分かった。
人間、汚れにまみれるとどうしても精神的な負荷が増す。
獄級という先の見えないダンジョンの中で、気色の悪い体液まみれになり、異臭を放ちながら探索を続ける。そんなことをしていて士気が持つ筈がないし、それを続けていたら、いつか心に余裕がなくなり折れてしまう可能性だってある。
必要があるなら幾らでも汚れる覚悟はある「リーンが助かるからまた肉沼に飛び込め」そう言われたら迷わず飛び込んでみせる。が、避けられるのならば出来るだけ避けていくのが無難だろう。きっと……まだまだ先は長いのだから。
次から次へと降り注ぐウジを逸らし、休むことなく動き続けた。俺一人なら確実に見逃してしまい、逸らし切れないだろう。だが、岩爺さんや他の走破者がいて……なにより。
『相棒っ、次は白フサさんの真上から三っ』
肩の上にはドリーがいる。
俺はドリーの言葉をきくやいなや、反射的に動き出し、抉るようにして地面を蹴り上げ、リッツの元へと駆けつけた。
視界の中には重力に従い落下してくるウジ三匹の姿。
一振りでは逸らしきれない。
〈ドリー、二匹まとめて頼むッ〉
『へいっ』
瞬時にそう判断を下し、ドリーに向かって走りながらも槍斧をほうり渡す。
〈リッツ伏せろッ〉
指示と同時に左足を軸にして若干身体を傾けながらリッツの頭部辺りに向かって右ハイキックを放つ。
――轟、と渦巻く風切り音が鳴り、続いて俺の脚にゴムマリでも蹴ったかのようなブヨブヨとした嫌な感触が伝わってくる。一瞬眉根をしかめながらも構わず足を振りぬいて、落ちてきたウジの一匹をボレー気味に蹴り飛ばした。
蹴りぬいた回転をそのままに身体を回し、その勢いを乗せて、肩に乗っていたドリーが槍斧を振りって残りの二匹を叩き飛ばす。
〈かすったッ。あたしの耳に足がかすったッ!〉
さすがの反応というべきか、上手く身を伏せ蹴りを避けていたリッツ。だが、若干間に合わなかったのか、蹴りが耳にかすってしまっていたらしい。少し怖かったのか、リッツはぺタリと耳をしおらせて頭を両手で押さえながら俺に文句を言っている。
若干なみだ目になっているのは俺の気のせいではないかもしれない。
〈ちょっとクロウエ、いい加減あたしも戦っていいでしょう? 自分で動けないと気分が悪いんだけどっ〉
〈駄目だって言ってんだろ。リッツの武器だって魔力消費だろうが。こんなところで無駄撃ちは厳禁だっ〉
駄々でもこねるかのように尻尾を振り回し不満の意思を伝えてくるリッツ。だが俺はそれを見なかったことにしてあっさりと無視していった。
リッツの言いたいことも分かるが、俺としては余り魔力を消費させたくはない。
矢は回収すれば良いし、体力は少し休めば戻る。それにいざとなれば回復魔法だってある。だが、魔力を回復させるには、体力を回復するよりも長い時間休まなければならないのだ。魔力を回復する薬もあるにはあるが、ほいほいと気軽に使って良いわけがない。
一応リッツの魔銃の特性を考えると、命結晶さえ回収していけば弾切れの心配は無いらしいが、態々余裕のある状態で消費させるのは少々勿体無い。
彼女の正確無比な射撃の腕。それにまだ使う機会には恵まれていないが、馬車の中で前もって確認しておいたあの魔銃の持つ独特の能力。それはもっと苦しい状況でこそ発揮されるべきだろう。
でも、このまま不満を溜め込ませるのも余り良くないか……。
ウジに注意しながらも、俺はどうにか不満タラタラのリッツを丸めこうもうと頭をひねる。
ん? こいつの性格から考えればここは逆に……。
〈いやーごめんリッツ。俺の考えが至らなかったよ。そりゃ攻撃するなとか言われたら怖いよな。リッツでもそりゃ耐え切れないか……はは、仕方ないなぁ、じゃあ他の人は駄目だけどリッツは攻撃しても構わないよ〉
へらへらと笑いながら、リッツにどうぞどうぞと許可を出す、と。
――ビキリ、そんな音が聞こえてきそうなほどにリッツの顔が引きつった。
〈だだだ、誰がびびってるってのよっ! 上等じゃない。アンタがお願いしますって言うまでアタシは絶対に動かないからね。ほら、クロウエッ、アタシの為に馬車馬の如く働くがいいわッ!〉
……。
こいつ、思ったよりちょろいというか、若干扱い方が分かってきた気がする。
あきれ混じりのため息をこぼし、俺はリッツに向かって「はいはい」と手を振った。
〈クロ坊……なんか手馴れとるのぅ〉
〈いや、慣れって怖いですよね〉
『んみゅ? 相棒はどうやって慣れたんですか』
貴方達のせいです。
全く自覚の無い人達に呆れた視線を投げかけて、俺は止まる事なくウジ達を片付けていった。
どうにか落下してくるウジも尽きる。
俺はそれを見届けて、一息つきながらも次の指示を出していった。
〈使った矢の回収と、ある程度ウジの命結晶を確保。それが済んだらすぐにここから移動。できるだけ急いでくださいね〉
外の樹海とは違い、溢れるほどにはモンスターの姿を見かけない。視界が悪いせいか、それとも凄まじく広大で入り組んでいるせいなのか。
その理由は考えたってわからない。
正直リドルの時とは違い、大量の数で押されないだけマシではあるのだが、一定時間おきに襲われ続けるのもそれはそれで厳しいものがある。
襲われては撃退し、使った矢の回収。そして、また少し進んでは襲われて、と徐々に徐々にだが、がりがりと精神と体力を削られているようだ。
ジワリジワリと削られて、全てが尽きてしまったその時は――――。
っち、何を馬鹿なことを考えてるんだ俺は。そうならない為に節約して進んでいるんじゃないか……。
脳裏に過ぎった不安の種を、俺は強引にもみ消すと、矢の回収と結晶の回収を急ぎ終わらせ、また地下へと向かって足を向けた。
◆
歩けば歩く程に『俺達は本当に奥に進めているのだろうか』といった嫌な疑問が浮かび上がる。
下に向かって進んでいるはずなのだが、何故か暫く進むとまた上り坂に出くわしてしまう。そこを避けてまた下に下ろうとするが結果は同じ。徐々に体力と気力が削られ、一定時間おきに襲い掛かってくるウジに嫌気がさしてくる。
大丈夫、進めている筈だ。下に向かっている筈だ。
そう自分に言い聞かせながら、延々と足を踏み出していく。
だが、足を進めていくうちに、そんな俺の心を容赦なくへし折りかねない事態が目の前に現れる。
どこか見覚えのある――左から順に上、下、真っ直ぐ別れた三方向へと伸びる道。
その分かれ道を視界に入れた瞬間、俺の心臓は跳ね上がった。
嘘だ。ありえない。あんなに進んだんだ。よく似た場所なだけだッ。
少しだけおぼつかない足取りのまま、走り寄るようにして分かれ道に近づき『偶然だ似たような場所についただけ』という証拠を探す。
だが、そんな願いは簡単に裏切られる――なぜなら、俺の視界に飛び込んで来たものは、地面と壁に描かれた見覚えのある印だったのだから。
ガツリ、と頭を強打されたような感覚に陥り、思考が混乱し、軽く眩暈が起こる。
無駄――今まで歩き回ってきた苦労の全てが無駄。ただ時間と体力を浪費しただけでの空回り。あれだけ歩いて、あれだけウジを撃退し続け、たどり着いたのが、同じ分かれ道。
崩れ落ちそうになる膝を力を込めて堪え、張り裂けんばかりに鳴り続ける心臓を胸の上から押さえつけ、乾いた笑いが漏れ出しそうになる口を無理やりに閉ざす。
俺の後ろでしゃがみこみ、印を確認していたオッちゃんが、止めを刺すように『間違いなく同じ場所だ』と呟いた。
呼吸が徐々に荒くなり、胃がギリギリと締め付けられる。
落ち着け、落ち着け落ち着け。オウムのように同じ言葉を胸中で繰り返し、感情が表に出ないように耐え続けていく。
不安なのは皆同じ。でも俺がそれを見せるのは駄目だ。絶対に駄目だッ!
ガチガチとかみ合わなくなっていた歯を無理やりにかみ締めたせいか、不意に口の中に小さな痛みが走る。
ジワリと広がる鉄の味とチクチクとした痛み……そのお陰で、少しだけほんの少しだけ、冷静さを取り戻す事が出来た。
引きつった頬を強引に動かして――。
〈さあオッちゃんっ、仕事仕事っ。またマッピングをお願いしますよ。次は右端に進みますからね〉
俺はくるりと後ろを振り返る。
暢気な声を上げ『さぼらないで下さいね』と声を掛け、固まる走破者達を急かしていった。
きっと俺の今までの人生で、間違いなく一番上手くいったであろう笑顔を貼り付けて。
〈お、おう、そうだなッ。時間がねーんだ。いそがねーと〉
止まった時間が動き出すかのようにして、オッちゃんを始めマッパー達が動き出す。それを見て、他の走破者も周囲の警戒を始めたりと、各々に反応を示していった。
上手くいったと心の中で一人で震え、誰も見ていないのを見計らい額にかいた冷や汗を拭っている、と。
チョイチョイと頭を突付かれた。顔を向けると親指をグッと突き出したドリーの姿。
『さすが相棒、世界一位です。演技力まで素晴らしいとはっ』
〈ちょっ!?〉
ドリーのそんな言葉を聞いて、思わずギクリと肩を震わせて、焦って周りを見渡すが、誰も気が付いた様子、というよりも聞こえている様子は無い。
ぐぐっ、この野郎っ。
しっかりと俺にだけ声が聞こえるように調節しているあたり、ドリーの方が一枚上手だったようだ。
〈なあドリー。気づかぬ振りも優しさの内だぞ〉
『にょほほ、失礼っ』
シュタ、と片手をあげて返事を返してくるドリー。だが、全く反省している様子は無い『仕方ない奴だ』と軽くこずいてみると、何故か嬉しそうに笑いながら肩の上で揺れていた。
覚えてやがれ、と心の中で負け惜しみを吐き、俺は時計を取り出し時間を確認する。時刻は【二十三時】を回っていた。
五、六時間近くを無駄に……いや、マップが埋まったんだ。無駄ではない筈だ。
落ち込みそうになる気分を必死に切り替えて、右端の通路へと進んでいく。
◆
定期的に襲い掛かってくるウジを撃破しながら、二時間程歩き続けていると、急に周囲の景色と足を踏みしめた感触が変わったことに気がついた。
魔法球に照らされ浮き上がっている通路の土壁は、湿気を含んで暗く色濃く変わり、今までジャリジャリとした感触だった地面も湿っているせいかやたらと柔らかくなっているようだ。
なにより、一番目立つ変化と言えば、今まで円状だった通路が半円状――カマボコに似たような形になり、通路中にボコボコと開きまくっていた穴がまるでなくなった事だろう。
……進めているのか?
今まで延々と変化の無かった坩堝の景色が多少といえども変わったことで、俺は若干の希望を抱かずにはいられなかった。
穴が無くなったという事は、今まで不意打ちで落ちてきていたウジたちに意識を割かなくて済みそうだな。でも逆に隠れる場所も無いからこっちが見つかったら少し面倒くさいことになりそうだが……。
なにより景色が変わった時は注意しておかないと。ここは獄級だ、何が起こるか分からないしな。
様々な不安はあったが、少しの希望と先に進めているという実感が心の奥底から湧き上がってくるのを止められない。
大丈夫。きっと進めている。心配するな。
――ガランッ!
考え事を続けながら先へと進んでいると、不意に背後から金属と金属が打ち合ったかのような音が聞こえてきた。
隊全員が揃ったように顔を向け、音の原因へと視線を向ける。
視線の先には何故か地面にポツリと転がっている片手剣とバックラー。
〈……あ、あれ?〉
後列にいた一人の女性走破者が、そんなあっけに取られたかのような声を出し、焦った様子で周囲を見渡し始め。
〈隊長、一人…一人足りません〉
震えた声で、そう言った。
一瞬で隊の間に緊張感が走り抜け、全員が武器を引き抜き油断なく構えを取る。俺は女性走破者の言葉を確かめるかのように、視線だけで隊の人数を数えていった。
一人……二人。
数えても、数えても。間違いなく一人足りない。何度も何度も数え直してみるが結果は同じ。
何が起こった? そんな疑問が先ず過ぎる。ちゃんと警戒はしていたはずで、今だってモンスターの姿は無い。聞こえてきた音だって、片手剣と盾が落ちた音だけだったはず。
可笑しい、絶対に可笑しい。
そう思って周囲を見渡してみても、やはりモンスターの姿は影も形もありはしない。
ピリピリと張り詰めた空気の中、俺は静かに声を出し。
〈なあ、誰か何でもいいから見た奴はいるか?〉
そう言って全員の顔を見渡した。
だが、皆揃って顔を横に振るばかりで、何もまともな情報など得られない。確か、片手剣とバックラーを持った走破者は最後尾右側に配置していたはず。
肩にいるドリーに視線をやるが、指をバツ印に変えて『分からない』と答えを返してくる。
さすがのドリーでも真後ろに近い位置では見えていなかったらしい。ドリーは確かに広い視野をもっているが、それは完全では無い。何度か確認した事があるが、実際見える範囲は、人よりは多少広い程度だ。
ただ、指を動かして辺りを素早く見渡すというアドバンテージがある為、実際に見える範囲よりは広範囲を見渡せているように感じてしまうだけ。
擬態を見破った芸当だって今は使えない。あれは『植物が視界に入っているのに、そこから植物の気配がしない』という違和感を利用して見破っているのであって、モンスター自体の気配を察知している訳ではないのだから。
……でも、襲われる瞬間を誰も見ていないのはまだ納得できるけど、音がして振り返り、姿すら見えないのは異常すぎる。
また何かしらの擬態か? そう思いもしたが、辺りには平たい土ばかりで、擬態できるようなものなどどこにも無い。
訳も分からずうつむき考え込んでいると――痺れをきらしたのか、一人の男性魔法使いが、ジリジリと残された片手剣とバックラーの元へと歩み寄り始めた。
一瞬止めようかとも思ったが、今の所周囲にはモンスターの姿もないし、このまま何時までも突っ立ていてるわけにもいかない。
俺は周囲の走破者に警戒をしろと指示を出し、近寄っていく魔法使いに『慎重に、何か見つけたらすぐに手を出すな』と声を掛けた。
じわりじわりと近づいていく魔法使い。俺はその姿を見ている内に、なにか漠然とした不安を感じ始めていた。
湿った地面。姿の見えない何か。隠れる場所の無いこの通路――。
あれ? 俺は何で隠れる場所が無いなんて思ったんだ。嗚呼、穴が全部塞がっていたか……。
そこまで考え、俺は総毛立つかのような悪寒を感じた。
「止まれッ! 動くなッ!」
声を張り上げ、静止の命令を投げかける。
俺の声に反応した隊全体が、ビクリと動きを止める。が、ほんの少しだけ声を上げるのが遅かった。
残された剣と盾に近づいていた走破者は既にその場所にたどり着いてしまっており、痕跡を調べるために剣と盾に向かって手を伸ばしてしまっていた。
剣の柄を取ろうと伸ばした手が、その先の地面に軽く触れた――瞬間。
地面がバクリと割れ、マンホールの蓋より少し大きい程度の太さをもったナニカが音もなく伸び上がり、走破者の手に喰らい付いた。
その喰らいつく寸前に、一瞬だけ見えた口内。その光景に怖気が走る。
バクリと開けた口の中には無数の人間の手らしき物体がウゾウゾと蠢いていたのだから。
俺の視界に入ってきたナニカ、それはミミズ型のモンスターのようだった。
気色の悪い長く半透明のゴムのような胴体。よく見ると体節ごとに短いスパイク状になっている短い触手のようなものが筒状の身体を囲むようにして一定感覚で生えている。
恐らく頭部であろう部分には目や鼻などの器官は何もなく、ただデカイ口らしきものだけが付いており、走破者の腕を咥え全てを飲み込むようにすぼませていた。
耳を打つ絶叫と、俺の視界内で無慈悲に振り回され、暗い穴の中に引きずられていく走破者の姿。
「畜生ッ、嫌だ嫌だッ嗚呼ア!」
『引きづりこまれてなるものか』そんな必死な思いで叫び、自由の効く片手で地面を掴む。だが、そんな男の指は嫌な音を立てて折れまがり、凄惨な爪跡だけを残して、やがて地面に飲み込まれていった――。
なんの音すらも立てず、何事も無かったかのようにして、ミミズ型のモンスターが開いた穴をバクリと閉じた口で塞ぐ。
あれだけの出来事を目の前で目撃し、ミミズがその位置にいると分かっている筈なのに……まるで見分けがつかなかった。普通の地面とミミズが蓋をした地面との違いが。
残された爪跡で『あの場所にミミズがいるのだ』と、どうにか分かる程度。
助ける暇が無かった――余りの出来事に反応出来なかった。
食われてから飲み込まれるまでの間、モンスターの姿を視認できたのは、恐らく噛んだ場所が腕だった為、飲み込むまでの手間がかかったからだろう。
もしなんの警戒もせずに足から踏み込んでいれば、また誰も目撃できぬまま食われていたかもしれない。そう確信できるほどの早業と、音すら立てず飲み込むあの巨大な口。
あの口内に生え揃っていた腕はもしかしたら獲物を飲み込んだ瞬間に悲鳴を上げさせない為の役割もあるのだろうか。そんな馬鹿馬鹿しい想像すら脳裏に巡る。
シンと静まり返る通路の真ん中で、俺達は未だに誰も動けない。
今自分が立っている位置から足を踏み出して、そこにあのミミズがいたら? そう考えると迂闊に踏み出すことなどできはしない。
『ミミズはあの一匹しかいないんじゃないか』などと、そんな甘い考えは微塵も湧いてはこなかった。
舐めてはいけない。侮っては駄目だ。俺たちが今いる場所は獄級だ、下手したら此処から先に、何十匹と埋まっていたってなんら可笑しくは無い。
ピリピリと張り詰めた空気の中で『全員動くなよ……』と当然の指示を出す。皆言われるまでもなく分かっているだろうが、今の俺にはその程度の指示を出すことしか出来なかった。
〈ドリー、見抜けるか?〉
一縷の望みを掛けて、ドリーに聞いてみるも。
『すいません相棒……私では無理です』
予想通りの答えが返ってくる。元気がなくなってしまったドリーに「気にするな、いつも助かってる」とフォローを入れる。
どうする。このまま動けないままここにいても、いずれ違うモンスターに見つかってしまうかもしれない。それに、ただでさえ時間を使っているのに、このままじゃ本当に拙い。
偶然もあるだろうが、今まで誰も踏まずに済んでいたことから考えると、まだこのミミズのいる区域に入ったばかりだとも考えれられる。
チラリと地面を見てみれば、わずかに残った足跡。今ならあれを辿っていけば引き返すことは出来そうだ。
……戻るか?
正直に言えばすぐに後ろに戻りたい。だが、どうにも気になることがあり、それを考えると、ここから戻る事が正解なのか分からなくなっていた。
仮にここから無事戻れたとしても、どこに行けば良い。中央の下り道にまた賭けるか、それとも左端の上り道に賭けるか?
もしその二つに向かい、また彷徨った挙句、元の場所に戻ってしまったら。また時間を無駄に浪費してしまったら……。
『実は、ここだけが正解の道筋なんじゃないのか』俺はそんな事を考えてしまっていた。
さすがに全く理由も無くそう考えたわけではない。
今まで二度獄級に入ってきたが『奥に向かえば向かうほど』嫌な仕掛けが多くなり、様々なモンスターが待ち受けていたと記憶している。
つまり、この通路もそういった場所なのではないか。奥に進ませないための罠なんじゃないか。
グルグルとそんな考えが頭を巡る。だが、この先が正解だという確証なんて全くないし、ここを進んでまた元の道に戻ってしまおうものなら、それこそ皆の心が折れてしまうかもしれない。
決断を下すことが出来ずにウダウダと悩み時間が過ぎていく。隊の皆は俺に決定を任せてくれるのだろう。既に残された足跡にだって気がついているはずなのに、誰一人として「戻ろう」とは言わなかった。
考えろ考えろ考えろッ。せめてここを突破する手立てがあれば、そこまで分の悪い賭けにはならないはずだ。大体この道が正解かなんて幾ら考えてもわかるはずがないし、今はもっと建設的な事に思考を割くべきだ。
俺は強引に考えを切り替えて、まずは此処を突破する方法がないかを模索することに。
あのミミズは地面に隠れて真上を踏むと襲いかかってくる。今の所それ以外ではこちらに襲いかかってくる様子は無い。
もしかして目が見えないのだろうか?
仮にそうなのであれば『埋まっている場所を踏まなければ良い』ということになる。次に気になったのは『どの程度の重さで反応するか』だ。
小さなものでも反応を示すなら――。
〈ドリー、ダガーナイフを先刻のミミズのいた場所に放り投げてくれ、突き刺すんじゃなくて、山なりに投げるだけでいい〉
『了解ですっ』
俺の言葉に従い、ヒョイとダガーナイフをほうり投げる。
ドリーの投げたナイフは狙った通りの場所に、小さくポスリ、と音を立てて落ち――バクリッ! と綺麗さっぱり地中へと消え去った。
こんな小さな物にも反応するのか……これなら幾らでもやりようがある。
そう考えて、俺は少しだけ口元が緩むのを抑えることは出来なかった。今の光景を見て、既に俺の心は決まっていた『この道を進もう』と。
「全員聞いてくれ、後ろには戻らず、ここを突破する」
隊全員の顔を見渡して、俺は進路の決定を告げた。不安と恐怖、決意を綯い交ぜにしたような表情が全員の顔に浮かぶ。それでも「反対だ」そう言い出す者は誰一人として居ない「ありがたい」そんな思いを胸に抱きながら、俺は急いで突破の為の下準備を始めていった。
荷物袋から取り出した自らの財布――既に散財して大した額は入っていなかったが、銭貨と呼ばれる小銭ぐらいはある。財布袋に片手をつっこみ、銭貨を手に握り、そのまま目の前と真後ろに鉄粒をばら撒いた。
パラパラと地面に降り注いだ銭貨が、右前方、左後方、その二箇所で地面に飲み込まれ消えていく。
大丈夫そうだな……。
それを確認して、俺は今いる位置から一歩だけ後ろに下がり、ドリーに予め伝えておいた指示を出してくれと頼む。
正直今からすることを考えると、俺自身が大声を上げてもよさそうなものだが、一ミリでも危険性を下げ、一秒でも時間の余裕を持たせたかった。
『では「土魔法を使える七名は、順番に俺の目の前にロック・ウォールで岩壁を作ってくれ。身体強化を使える魔法使いは俺に補助を頼む」』
ドリーの指示をきくやいなや、俺の目の前に一枚の岩壁が現れ、身体に強化の魔法が掛けられる。
俺は槍斧をバットでも振るかの様に全力で振りかぶり、渾身の力を込めて、岩壁に向かって振り抜いた。
ゴガッ! と鈍い破砕音が聞こえ、易々と砕かれた岩の塊が前方に向かってばら撒かれていく。バラバラと降りしきる岩に反応して口を開き飲み込み始めるミミズ達。
ばら撒かれた石の欠片が落ちていない場所がミミズ達のいる場所だと、既に視認できるようにまでなっていた。
「全員、石のある場所だけ選んで進んでくれ。暫く進んだら岩壁を作って破壊。この繰り返しで進んでいく。この方法はどうしたって音が鳴る。できるだけ急いでくれよ」
正直これはあまり褒められた策ではない。岩壁を破壊して進むので、嫌でも音は鳴るし、そのせいでいずれは敵を引きつけてしまうかもしれない。
一応他の方法もあるといえばあった。
例えば、チェンジ・ロック辺りで地面を岩に変えてしまえば、恐らくミミズのいる場所だけ浮き彫りになるだろうし、地面に矢でも撃ちこんでいってそれを辿るようにして進む方法だってある。だが、チェンジ・ロックを使っても効果範囲が狭すぎて幾度も魔法を使わないといけないので魔力消費が激しすぎるし、他のナニカをばら撒くにしたって消費するものが魔力から物資になるだけだ。
それを考えると、多少騒音は出るが「転がった石の再利用」ができ「破砕させることで一気に撒ける時間効率」この両方を備えたこの方法は、物資の消費と魔力の消費を抑え、急ぎ先に進むにはうってつけだった。
ここにドランがいれば、もっと楽だったろうに。
石のある場所をだけ選び、先に進み、また岩壁を破壊してばら撒いているうちにそんな思いが胸中に湧いた。彼の豪腕とあの巨大な金属箱で岩壁を叩かせれば、俺なんかよりも広範囲にばら撒けるし、もっと細かく石を砕けていたことだろう。
連れて来なかった事を後悔しているわけではない。ただ「早く仲間の顔が見たい」そんな気分に少しだけなってしまっただけだ。
繰り返し繰り返し、岩をばら撒き先に進む。
今の所なんの問題も無く奥へと進めている。一番の不安だった「モンスターが集まってくる」といった様子も何故か無い。多少はウジが寄ってくると予想していたので、これは少々意外でもあった。
〈隊長さん。ここの突破は案外楽勝かもしれねーな〉
近くを進んでいたオッちゃんも同じ事を考えていたのか、俺に向かってそんな呟きを漏らす。俺はそれに同意の頷きを返す。
ただ、俺には一つだけどうしても気になっていた事があった。
俺が話しに聞いていたミミズ型のモンスターとここに居るモンスターがどうにも一致しないことだ。確か俺が斡旋所で聞いていたミミズ型のモンスターはもっとデカイ奴で、ここいる程度の大きさのモンスターでは無い。
デカイやつの子供なのか? それとも全く別の種類か……。
今考えた所で判るはずもないが、どうにもそれが気になって仕方がない。
オッちゃんに尋ねてみても、ミミズ型のモンスターに関して持っている情報は俺と大差がないようで、あまり詳しいことはわからなかった。
簡単に進めるのは望む所ではあるのだが、余りに上手く行きすぎていると、どうにも不安を感じてしまう。
贅沢な悩みだな……。
自嘲気味に呟いて、変わらない景色の中を、同じ動作を淡々とこなしながら、黙々と進む。
そんな事を考えてしまったせいだろうか……進み続けて二十分程経った頃――。
〈くそっ、しまった。離しやがれこの野郎ッ〉
そんな焦りの混じった声が中列付近から聞こえてきた。
急ぎ振り返ってみれば、一人の戦士が、手に握った槍の柄をミミズに食いつかれ、抵抗している様子が視界に入ってきた。恐らく、進んでいる途中で槍が地面にでもついてしまったのだろう。
戦士は力づくでミミズから槍を奪い返そうとしているが、全く離してくれる様子は無く、むしろ力負けして穴に向かって引きづられてしまっていた。
「遠距離武器の使い手で攻撃して、ミミズを止めてくれッ」
さすがに今回は二度目。俺も周囲の走破者も戸惑うこと無く反応が出来た。
槍の柄に食いつき、強引に引きずり込もうとしているミミズに向かって、周囲に居た走破者からの攻撃が容赦無く突き刺さっていく。
――ッツ!!
口をガチガチと震わせ、ミミズはビクリと一度だけ跳ね動き、やがて力を失い槍を離す。
それを見て、各々が安堵したかのように胸を撫で下ろし、俺は槍を掴まれた走破者に向かって「次は気をつけてくれよ」と注意を促そうとした。
だが、突然凄まじい揺れが辺りを襲い、通路全体が戦慄くように軋みを上げ、地鳴りが響き始める。
なんだッ、何が起こったんだッ!?
揺れで倒れこまないように武器を地面に突き刺して支え、慌てる走破者達に『落ち着けッ』と声を掛けていく。
揺れ続ける通路の景色がまるで本性を表していくかのように変わっていった。
〈ひィッ!?〉
誰かが周囲の光景を見て、引きつるような悲鳴を漏らす。
通路を覆っていた土壁は振動でバラバラと音を立てて剥がれ落ち、その下から、ブヨブヨとした灰色の壁が姿を表していく。
今まで踏まなければ大人しくしていた筈のミミズ達が、天井、横壁、地面、全ての面から生え出すように現れて、ガチガチと口をかち合わせながら、蛇のように身をくねらせ始める。いや、もしかしたらこいつらはミミズじゃないのかもしれない。
今まで土に埋もれていたせいで気が付かなかったが、天井や横壁から生えるようにして現れた事でそんな思いを抱き始めた。
身体が繋がっているのだ壁と――ミミズという単体のモンスターではなく、まるで壁から生えた触手のようで、この通路全体がまるで一つのモンスターにも見える。
生え出したミミズ達は目が見えないのは変わらないのか、今の所、俺達に向かって襲いかかってくる様子は無い……だが。
「いいか、モンスターに絶対に触るなよ。たぶん触れたら反応してくるはずだッ」
先ほどまでの動きから考えると、こいつらは自分に触れたものに対して無差別に反応し、襲いかかってくるタイプのモンスターなのだろう。
触らなければ、気をつけて、慎重に進めば問題は……。
〈隊長後ろッ!〉
誰かの声で反射的に後ろを振り返り、何が起こっているのかを視認した俺は、その余りの光景に口から乾いた笑いしか出てこなかった。
ずっと後ろ――視線の先で、通路が引き絞られるかのようにして押しつぶされていく、真っ直ぐに俺達が居る場所へと向かって。
揺れ動く地面。押しつぶされていく通路。通路中に生え出したモンスター。
止まっていては潰される。生え出したモンスターに触ってしまえば襲い掛かられる。
前方には大量に生え出したミミズモドキが歯を打ち合わせ、嫌な音を奏で。
背後からは、全てを押しつぶすようにして、引き絞られていく通路。
に……げろ。
引きつる喉。どうにか捻り出した小さな声。震える拳を握りしめ、俺は全身全霊を込めて、叫び声を上げた。
「総員、全速力で逃げろおおおおッッ!!」