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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
蟲毒の坩堝
67/109

6−14

 


 暗い――暗く沈んだ意識の中で、延々と声が響いてくる。


 間に合わなくなるぞ、間に合わなくなるぞ。寝ていていいのか、時間が無いんだろう?


 声と共に脳内に流れる映像。

 蟲毒を走破し、クリスタルを壊し、ようやくリドルに帰って見た光景は――時既に遅く亡骸となってしまったリーンの姿。


 ァァァアアアア嗚呼ッ!


 俺は声にならない叫び声を上げる。悲鳴にも似た咆哮を上げる。

 ――ビクリ、と一度だけ身体が震え、それと同時に意識が跳ね上がるかのように覚醒していった。


 落ちていた瞼をゆっくりと開くと、そこは土の匂いが充満した穴蔵の中だった。


 夢……か。碌な夢じゃなかったな。


 ジワリと背と額に滲む嫌な汗。叩くように鳴る鼓動。座ったままで、槍斧を肩に立てかけるようにして眠っていたのだが、柄を握っていた手を見ると、微かに震えているのがわかった。


 ったく、休んでた筈なのに、逆にストレス溜めてどうするんだ。


 額の汗を手の平で軽く拭う。座ったまま眠り込んだせいか、凝り固まってしまった身体を解し、俺は恐る恐る周囲を見渡していった。

 四方の壁、天井、床、その全てが岩壁になっている四角い空間。天井間際には淡く光る魔法球が浮き上がっており、多少はマシ程度ではあるが、暗く蒸し暑い穴倉の中を明るく照らしていた。

 俺が眠りにつく前と殆ど変わらぬその光景――俺以外の二十九名の走破者達が各々が疲れた身体を癒すために、それぞれに休憩を取っている姿が目に入る。

 そこまで確認した俺は『悪夢を見て現実でも絶叫を上げる』などといった醜態を晒してはいないと分かり、安堵で胸をなで下ろす。

 寝ぼけた頭のままゴソゴソと荷物を漁り、時計を取り出し時刻を確認していった。

 

 十四時か……三時間は寝れたみたいだし、十分だな。


 俺達は、ホタルモドキの区域を突破した後――遠目に見えていた土塊の城に向かって歩き続け、第一の目標とも言える【蟲毒の坩堝】間近へと辿りつく事に成功していた。

 俺としては直ぐに坩堝へと突入したかったのだが、今の立場を考えるとそんな無茶をするわけにもいかない。

 人間時間が経てば腹も減るし喉も渇く。勿論睡眠だって取らなければならない。少なくとも最低限の休憩を挟まないと、隊を率いて坩堝へと入るなど出来るはずなどなかったのだ。


 分かっていた。そんな事はここに入る前から分かっていたことだった。

 だが、休んでいたせいで間に合わなかったら。

 掬った水が指の間から零れ落ちるかのように、救えるはずのリーンの命を取りこぼしてしまったら。

 そう考えると胸中に渦巻く焦燥感は消えてはくれず、情けなくもあんな夢を見てしまったのだろう。


 いや、呑気に悪夢を見てられるほどゆっくりと寝られた事に感謝するべきかもしれない。


 本来ならぐっすりと眠りこけるなど獄級内部では許されるはずもないのだが『魔法を使って地中に穴蔵を作り隠れる』といった方法が地上にいる蟲達には有効だと判明していた為。休憩場所を確保する事自体はそこまで苦労することではなかった。

 カマキリやナナフシにやられ、死んでしまった走破者もいる。だが、そのお陰でこの方法を知れたのだから、不幸中の幸いとも言えなくもない。


 ただ、残念なことに『地中だから安全だ』とは言い切れない。何故なら『間違いなく地中にもモンスターは居る』のだから。

 そう結論に至った最大の理由は、時折響いてくる地鳴りのような音と、ナニモノかが地面を掘り進んでいるかのような振動が土を通して伝わってきていたからだ。

 念のために『チェンジ・ロック』という名の土魔法で四方八方の壁を岩に変えて強度を上げてはいるが、本格的に見つかって襲われでもしたら、きっと大した効果は見込めないだろう。


 でも、地上で休みを取るよりは百倍はマシか。それに坩堝内部でもこの方法を使えば休憩を取れるかもしれないし、警戒はしなくちゃいけないけど、今は少しでも良い方向に考えておこう。


 眠気まなこを手の甲でこすりながら、ボケッとそんな事を考えている、と。


〈お、クロ坊がお目覚めのようじゃぞ。近くにいるもんは、ドリー嬢ちゃんに伝えてやってくれ〉

 

 俺が目を覚ましたことに気がついたのか、岩爺さんが、そう言って付近にいる走破者へと声を掛けた。

 岩爺さんの言葉は、瞬く間に休憩している走破者の間を伝言ゲームのように渡っていき――やがて、俺がいる場所とは真逆の位置、その天井に開いた丸い穴へと伝わっていく。


『にゅおお、相棒が起きたのですかっ。これは一刻も早くご挨拶に出向かねばなりませんっ』


 聞きなれたドリーの元気な声が地下の空間へと響き渡り、同時に天井に開いた穴からドリーが、シュポンという間抜けな音と共に落下、休憩している走破者の間を根の足を使ってチョコチョコと抜け、俺の側へと駆け寄ってきた。

 急いで走って来ているせいか、五本の指に一本づつ括りつけられている花が、プラプラと揺れ動いており、走る腕というよりは走る生花のようだ。


  座り込んでいる俺の目の前までやってきたドリーは、少し様子を伺うかのように手首をかしげ。


『むむ、寝汗をかいておられますねっ。ここは私が綺麗に拭って差し上げましょうっ』


 親切心からか、根の足を屈伸させて勢い良く飛びかかってくる。


〈ちょ、おいやめろっ。汚れるから余計汚れるからっっ〉


 俺は必死でドリーを空中でキャッチして、どうにか顔に届く寸前で留める事に成功した。

 防ぐ俺とワキワキと手を動かすドリー。指先に付いている花びらがピラピラと動いては、鼻を掠めてきてくすぐったい。


 正直、俺の事を思うドリーの優しさは、とても……とてもッ、嬉しいのだが、モグラのように穴から出て、外を偵察していたドリーは、公園で泥遊びをした後の子供のようになっていたので本当に勘弁して貰いたかった。


 だが、はしゃぐドリーの姿を見ていると『しょうが無い奴だ』と苦笑にも似た笑いが漏れでてしまう。

 

 相変わらずだなドリーの奴め。ちょっと綺麗にしてやるか。


 捕まっているのにも関わらずキャッキャと楽しそうにしているドリーを床にゴロっと転がして、荷物に入っていた布片に水を含ませワシワシと拭いていく。


『私が拭こうとしていたのに、何故か私が拭かれてますっ……っく、不覚です。にょははは』


 何がそんなに楽しいのか、笑い声を上げ、ビタンビタンと動くドリー。それを逃がさないように抑えつけ、ドリーの汚れを落としていった。


〈そういえば、俺が寝ている間何か変わった事とか無かったか? 外や坩堝の様子とかで〉

『変わったこと……ですか。そういえば、一度だけ、街を襲ってきたあのウジさん達が大量に樹海に出てきたことがありましたっ。ただ、ウジさん達自身は特に何をするわけでもなく、蜂さん達や他の蟲さんとかに食べられていたみたいですが』


 ドリーの言葉を聞き、俺の頭の中には大量の疑問符が浮かび上がる。


 ウジが大量に……またどこかを襲撃でもするつもりだったのか? でも、特に何をするわけでもなく食べられてたって話だし、そういう訳でも無いのか。

 大体、態々外に出てきて何もしないなんて、まるで自分から食われに行っているような……。


 俺は『さすがに考え過ぎだな』と頭を振って、妙な方向に逸れ始める思考を無理矢理に戻し、相変わらず楽しそうに転がっているドリーへと目を向ける。と、何故かドリーのヨモギの腕輪に見覚えのある花が縛り付けられていることに気がついた。


〈あれ、ドリー。その腕輪に付いてる花って……〉

『おお、相棒、気づいてしまわれましたか。その通りっ。あの蝶子さんと初めて会った泉、あそこに咲いていた花と同じものです。一度、坩堝の近くまで偵察に行ったのですがその時一杯咲いていまして、蝶子さんへのお土産に一輪頂いて来ましたっ。白フサさんに見せたら結んでくれたのですが……どうです、可愛いでしょう』


 どうだどうだ俺に一生懸命に聞いてくるドリーはとても嬉しそうで、この姿を見たらきっと誰もが可愛いと言う選択肢しか選べないだろう。


〈さすがドリー。どうやらお洒落の才能まであるようだな〉

『任せて下さい。怪盗淑女はお洒落泥棒ですっ』


 ごめんそれはよくわかりません。


 その後、じっくりとドリーの腕に付いている花を見てみると、確かにドリーの言った通り、蝶の形に似た蒼い花はあの泉に咲いていたものと同じものだった。


 へー、獄級にも普通の花が咲くんだな。


 そんな事を思いながらも『もっと褒めてくれ』と全身から発しているドリーの相手をしていく。

 流石にそろそろ普通に褒めるのも面白くない。なぜかそんな考えに至った俺は『様々な角度からドリーを褒め称える』というよくわからない事に挑戦し始めた。

 きっと、まだ寝起きのせいで頭が働いていなかったのだろう。



〈おう隊長さん、起きたみてーだな……って、何をやってんだ〉


 腕を振り上げポーズを取るドリーと、その横で寝転がり、下からの角度で『素敵ードリーさーん』と褒め称えていた俺。

 三秒ほど黙ってオッちゃんと見つめ合っていたのだが、冷静な表情で冷静なツッコミを入れられたせいで、ふと我に返る。

 俺はパタパタとローブを叩きながら身を起こし、真剣な表情を貼り付けオッちゃんに返事を返す。


〈実は、蟲毒の坩堝に入る前に有効な作戦を考えるため、様々な角度で思考するという努力を行なっていましたッ〉

〈ああ、そうか。隊長さんもう夢見るのは良いから早く起きてくれ〉

〈つ、冷たくありませんっ〉

〈あの状況で優しくできるかっ……まあ、隊長さんの調子が戻って何よりだ〉

 

 そう言って少しだけ笑ったオッちゃんの顔は、どこか安心しているようで、俺は自分の余裕の無さが見透かされているような気持ちになってしまった。


〈調子が戻るも何も、絶好調ですよ。このまま坩堝の走破すら出来そうなくらい〉


 気恥ずかしさを紛らわせるためか、反射的に調子の良い言葉が口に出るが。


〈おうおう、そりゃ頼もしいこって〉


 それすらも軽く流される。

 オッちゃんは苦笑混じりの笑い声を上げ、俺の目の前にドカリと腰を下ろしていった……更にそこに続くようにして。


〈クロ坊はずいぶんと調子がいいようじゃな。余りにも調子が良すぎて寝てる間に少しうなされとったようじゃが?〉

〈なに、アンタうなされてたわけ、坩堝に怯えて悪夢でも見たの? っは、アタシを臆病者よばわりした割にはクロウエも大したことないわねっ〉

〈あら、リッツちゃんもさっき寝ている時に尻尾がプルプルしてたじゃないー。おそろいねー〉

〈ちょっとお姉ちゃんっ。違うわよっ、少し寒かっただけよ〉


 相変わらずの岩爺さん、リッツ、シルさんがやってくる。

 岩爺さんの言葉を聞いて自分がうなされていたのだと初めて気がついた。ただ、叫び声を上げるよりは幾分かはマシだろうか。


〈全くついに岩爺さんも耄碌もうろくしたみたいですね。幻聴とか聞こえるようになっちゃってるんじゃないですか? 気を付けたほうが良いですよ〉

〈……ふむ、まあクロ坊がそう言うなら儂はそれで構わんがのぅ〉


 岩爺さんは一度顎を撫で付け、オッちゃんと同じようにして俺の近くに腰を下ろす。


 今の言い方から察するに『俺がうなされていた事を聞かなかった事にしてくれる』といった所か。俺は岩爺さんにだけ分かる程度に頭を少し下げ『感謝します』と合図を送る。

 年の功と言うかなんと言うか、やはり岩爺さんは侮れない。


〈さて、隊長さん。出発の時間も近いんだ、軽く先の事を話し合っておこうか〉

〈そうね。あとクロウエ、時間がもったいないからその間に腹になにか入れときなさいよっ。アンタのことだから途中で『僕お腹がすいて動けなくなっちゃったよー』なんて間抜けな事を言うに決まってるし〉

〈おいリッツ誰だよそれ。俺か、俺の真似か? せめてもう少し似せる努力を見せろっ〉


 両手の平を上に向け『あら似てるでしょ』と平然と言い放つリッツ『どうよ』と言わんばかりのその顔は見ているだけで腹が立つもので、俺は足元に転がっていた小石を指で弾いて飛ばし、ささやかな抵抗を行った。

 てっきりいつもの如くぶち切れるかと思ったが、リッツは若干鬱陶しそうにするだけで『遊んでないでさっさと何か食べなさいよっ』と言ってきた。珍しいこともあるものだ。


『ふっふっふ、相棒のものまねなら私が世界一位。では、不肖ながら今から相棒の真似をさせて頂きますっ』

〈こらドリー、収集がつかなくなるからやめろっ〉


 『えー』と不満気な声を出すドリーを止め、その代わりに何か食べるものを出してくれと頼みこんだ。

 ドリーはすぐに嬉しそうに動き出し、辺りに種を数個撒いて。


『あなた達はやれば出来る子〜。にゅううおお。ほりゃっ』


 いつものように訳の分からない掛け声を掛け、グロウ・フラワーを使って食べ物を出していく。

 グングンと成長していく種と、そこに生る数種類の果物や野菜を見て、側にいたオッちゃんは頬を引き攣らせ苦笑いをするしかなかったようだ。


〈相変わらずどうなってんだこの嬢ちゃんは、グロウ・フラワーにここまでの力はねーぞ普通〉

〈はは……これは念樹の一族に伝わる【ヤレバデキールコ】と呼ばれる秘技なんです。こっちの地方では余り見かけませんから珍しいでしょ。でも実際はそこまで珍しいものじゃないんですよねっ〉

『さあ、もう一個いきますよ。美味しく美味しく育って〜。へいやっ!』

〈なあ隊長さん。なんかさっきと言ってる事が……〉


 ドリー、頼むからその掛け声を統一してくださいっ。嘘の上塗りにも限度ってものがあるからっ。これ以上は恥しか上塗れそうにもないからっ。


 不思議そうに頭を捻るオッちゃんをまた適当な嘘で丸め込み、やる気全開で次々と植物を生やそうとするドリーを『もういい、もう十分ですっ』と言って止めた。


 出来上がった果物や野菜を俺の膝の上で転がっている樹々と一緒に齧りつき、いい加減に話し合いを始めていくことに。


〈じゃあ隊長さん。蟲毒の坩堝と言われる場所はあの土塊の城じゃなくて、その下層――そこに広がる地下区域って所までは分かってるよな〉


 オッちゃんの言葉に俺は静かに頷いた。

 俺も斡旋所で聞いてはいたのだが、ここに辿り着くまでにずっと見えていたあの小山のような土塊は完全にフェイクで、本拠地とも言える坩堝は地下に広がるアリの巣のような場所だと言うことらしい。

 少し考えてみればそれも当然と言うべきか――地表に出ている土塊の城程度の広さなら今頃シルクリーク軍が走破してしまっている筈だ。

 それに破壊するだけなら、外から魔法を放ってどうにかなりそうだし。


〈でだ。腕の嬢ちゃんが偵察に行ってくれて分かったことだが、坩堝付近の地上部にはそこまでモンスターが多くないらしいな。精々空を二十匹程度の蜂が彷徨いているくらいだった……んだっけか?〉

『はい。その後暫くして上の方からウジさんが大量に出てきましたが、それ以外はそんな感じでした』


 ……なら、蟲毒に突入するだけならそんなに苦労しそうには無いな。


〈じゃあ、リッツを中心に射撃部隊を組んで、空を飛んでいる蜂を撃ち落とす。その後急いで坩堝へと突入って感じで。一応用心のために蜂の注意を他へと惹きつけるようにはします〉

〈まあそんなもんだろうな。坩堝に入ってからは隠蔽色のローブとやらも大して効果ねーだろうし。かなり厳しくはなるな……〉


 オッちゃんの言うとおり、ここまで頼ってきたローブは坩堝に入ってしまうと大した効果は見込めなくなってしまうだろう。

 周囲の壁は土ばかり、その上植物の数は一気に減るのだから、逆にこのローブを着ている方がよほど目立ってしまう。

 ただ、樹海とは違って、坩堝の方は入り組んだ道が続くような場所の筈。派手な音さえ立てなければ、モンスターに群がられる事も少ないかもしれない。

 

〈ねえクロウエ。坩堝突入前の射撃部隊は、アタシ中心に編成するんでしょ? なら時間ももったいないし、アンタ達が話し合ってる間に、アタシが集めておいて良い?〉

〈そりゃ、助かる。人数が足りないようだったら、魔法使いも混ぜていいからな。あっ、でも選ぶなら風か水にしてくれよ〉


 リッツはやる気なさそうに『はいはい』と返事すると、さっさと立ち上がって準備に向かってしまう。

 ヤル気があるのか無いのか良くわからない奴だ。

 リッツにしてみればさっさと準備をしたいだけなのだろうが、俺にしてみればやらなければならない事が一つでも減るのは、負担も減るし、非常に助かることだった。


〈クロ君。私は何かすることはないかしらー〉

〈えっと、じゃあシルさんは、今全員が吸印している魔法。その種類を多少変更するように言ってきてくれませんか? 

 土系の魔法はそのままでも全然良いんですが、炎なんかも坩堝に入ってからなら多少は使えそうですし、派手なのじゃない限りは許可してやってください。

 逆に水は少し使い勝手が悪くなってしまうかもしれないので、風や氷に入れ替えるようにお願いします〉

〈わかったわ。頑張ってくるわねー〉


 ニコニコと笑いながら、ノンビリと尻尾を揺らして歩いて行くシルさんを見ていると不意に、ある一つの心配事が思いが浮かんできた。

 ――シルさんに任せても、大丈夫だろうか。


 疑っているわけでもないし、馬鹿にしているわけでもないのだが、自分の中でシルさんは非常にマイペースな印象だった為、いざ頼んでみたものの、ポケッとして何かやらかさないかと少しだけ不安になってしまったのだった。

 

 いや、どうせ後でしっかりと確認はするし、大した問題ではないけど。


〈さてクロ坊……儂の出番じゃな。さあなんでも言うてみい〉

〈えっと、お爺ちゃんは水でも飲んでゆっくりしててください〉

〈――ッツ!? いたわれば良いってもんじゃないぞクロ坊っ。頼りにされない年寄りの苦悩もわかってほしいもんじゃっ〉

〈いや冗談ですって。でも今は特にすることがないってのも本当ですって。その代わり、坩堝に入ってからそれはもう過酷に働いて貰うので〉


 俺はそう言ってニヤリと笑い岩爺さんを見た。

 ただでさえ苦しい状況なのに、岩爺さんの凄まじい剣技を遊ばせておくはずが無い。

 今から入る坩堝の中では間違いなく遠距離武器の使い手達よりも俺を含めた前衛の仕事が増えるだろう。岩爺さんにはその時嫌でも働いてもらうことになるはずだ。

 あれだけ『儂にも仕事をくれ』と言っていた岩爺さんだったが、いざ俺の説明を受けると岩爺さんは、一瞬で面倒くさそうな顔にかえ 『老人愛護は大事じゃぞ?』などと手の平を返し始めた。

 どうせ、なんだかんだと文句を言うが、岩爺さんの性格からして、いざとなれば動いてくれるだろう。

 俺は『嫌じゃ楽がしたい』と言い始めた岩爺さんを無視してオッちゃんと話を進めていった。


 ◆


 多少時間はかかってしまったが、ようやくオッちゃんとの話し合いも終わり、出発の準備が整った。

 シルさんの準備に関しては、思いのほか……というより俺は少しシルさんを舐めすぎていたようで、想像以上にしっかりとやってくれていた。


 のんびりだから抜けている、とかは余り関係がないようだ。


 心の中でシルさんに謝罪を述べ、俺は背伸びするように身体を動かし、自分の調子を確かめる。

 やはり休息を取れたことは大きかったのか、心持ちか身体が軽くなっている気がした。

 真剣になるのも、問題に向かって一生懸命に立ち向かっていくのも当然のことだ……でも、張り詰めて、ただ張り詰めて……延々と気の落ち着かぬ状態を保った所で、きっと上手くいかない。そのうちどこかで限界が来る。

 万全の状態を保つには、少しは気を抜くことも必要だ――と言うことなのだろうか。

 

 本当、中々上手くいかないもんだな。


 ピシャリと頬を叩き、今一度自分の気持ちを引き締め直す。


〈なあドリー、外の様子はどうだ?〉

『はい、今の所問題ないみたいですっ』


 単身外の様子を伺ってくれているドリーの言葉を聞き、俺は上へと向かって右手を振り上げ、合図を出した。


〈いいぞやれっ〉

『アース・メイク』

 

 俺の声と重なるようにして、魔名を発する声が響き、天井を覆っていた岩がバキバキと音を立てて開かれていく。

 挿し込んでくる太陽の光がいやに眩しく、明るく感じたが、悠長にそれを堪能している時間などあるはずもない。飛び上がるようにして地上へと上がり、すぐにドリーと合流した。


 暫く周囲の警戒を続け、全員が地上に出て来た事を確認した俺は、急いで蟲毒の坩堝へと向かって隊を率いて進んでいった。


 ――十分ほど足を進めた頃だろうか、道中蜂の姿も見かけはしたが、慣れた動作で難なくやり過ごして、目的地の蟲毒の坩堝へと無事たどり着いた。

 

 ……で、でけぇ。


 俺は、思わずそんな感想を心の中で呟いてしまう。

 広大に切り開かれ、一本の樹木すら生えていない広場。そこには小山ほどもあるだろう巨大な土の塊が積み上がっていた。

 視界一杯に広がる歪に積み重ねられた土塊の城。数えきれぬほどの暗く影の掛かった無数の穴と、頂上部分には土で出来た巨大な塔が数本ほど生えているその姿はどこか巨大な蟲のようだ。


 しかし獄級の割には全然マシな見た目だな……。


 土塊の周囲にある地面には、何故か埋め尽くすように蝶の形をした花が咲き誇っている。もう少しグロテスクな光景を想像していた俺としては些かあっけないというか、随分と現実的な光景だ。

 

 どうせまともなのは今だけで、内部には碌でもない場所しかないだろうけど。


 愚痴にも似た呟きを心のなかで零し、頭に浮かび上がってきた内部予想図に思わず肩を落としてゲンナリとした気分になる。


〈馬鹿クロウエっ、もう少し身を低くしないさい。見つかるわよっ〉


 リッツのそんな言葉が飛んできて、俺は慌てて樹木の影に隠れ空を伺った。すると、偵察でもしているかのように二十匹ほどの呪毒蜂達が坩堝周辺を飛び回っているのが確認できた。

 ドリーの言った通り、まだ数は少ないほうだ。しかし、隠れる場所がないこの広場をバレずに突破することはさすがに無理だ。

 『地面を掘って』とも考えてはみたが、掘れない地面とやらが現れる可能性もあるし、まだ坩堝にすら入っていないここで、余り無駄に魔力を消費するのは躊躇われる。


 仕方ない。当初の予定通り行くか。


〈リッツ、俺が良いと言ったら直ぐに射撃を開始。今視界に入っている呪毒蜂を落としきったら坩堝に開いている穴に向かって走れ。もし後から湧いてきたとしても無視しろ。わかったな〉


 リッツが黙って片手を上げて了承を示す。

 俺は蜂たちの注意を惹きつけるために、左方向へと右手を向けて、新しく入れておいた魔法を使っていく。


『リング・デコイ』


 俺が魔名を唱えると、手の平の上でグルグルと周囲の空気を取り込んで、ソフトボール程度の大きさの、風の球体が現れる。

 リドルで買っておいた『リング・デコイ』という名の下位の風魔法。周囲の空気を取り込んで形をつくるこの風の玉はある程度自らの意思で好きに動かせ、また、好きな時に破裂させて、音を鳴らして周囲の注意を引くことが出来る。

 一見便利そうではあるが、殺傷能力自体がゼロなので、そのまま使えば囮にしか使えない魔法だろう。

 だが、その代わり魔力の消費も非常に少なくすむし、周囲の風を取り込んで形作るという特性から色々と応用を効かせること事も出来る筈だ。

 音を鳴らすという特性のため、今まで使う事は無かったが、ここに関して言えば、どう足掻いても坩堝に向かうまでに発見されてしまう訳だし、いざ戦闘になってしまえば嫌でも音は響く。

 そうなれば援軍を呼ばれてしまう可能性だって高くなるのだから、ここはある程度開き直ってでも、戦闘時間を短くするべきだ。

 

 上手くいってくれよ……。


 頭の中で『行け』と念じながら、ゆっくりと風の玉を目的の場所に向かって放り投げるようにして飛ばす。早足程度のノロノロした速度で飛ぶ風の玉は、純粋に空気の塊で出来ているため、遠目では視認することは非常に難しく、流石の呪毒蜂達もそれに気が付く事が出来ないようだった。


 案外結構操作が難しいなこれ……よし、止まれ。いい子だからそこで止まっててくれ。


 自分が操作している割には、頼み込むかのような態度になってしまったが、慣れていないのだから仕方ない。

 覚束ない手つきで、離れた場所へと停滞させている風の玉へと手をかざし、ゆっくりと意識を集中させ――。


 今だッ、鳴れッ!


 翳していた手の平を握りつぶすようにして絞る。

 ――パァッン!

 風船が割れた音に似た乾いた音が一度だけ鳴り、その音に反応した全ての呪毒蜂達が狙い通りグルリと顔を向け、動きを止めた。


〈リッツ、やれ!〉


 俺のすぐ隣で待機していたリッツ率いる射撃部隊は、合図と同時に、動きが止まってしまっている呪毒蜂達に向かって容赦無く攻撃を加えていく。

 飛び交う矢と弾丸は、動きの止まってしまった呪毒蜂を呆気無く撃ち抜いていき、次々と地に落とす。

 

 五匹――十匹――。


 次々と撃ち落とされ、数が減っていく蜂を見つめ、今にも飛び出してしまいそうな身体を押さえ込む。

 そして全ての蜂が撃ち抜かれた――瞬間。

 全員が坩堝に開いた穴へと向かって飛び出した。

 

 一番先頭に岩爺さんと前衛、その後ろにリッツ達射撃部隊、魔法使い達、挟むようにして殿しんがりに俺が配置。

 直線に並ぶようにして、咲き誇る蒼い花畑を駆け抜けていく。

 隊長が殿というのもどうかとは思うが、この隊の中で一番足が早いのは間違いなく俺で、ドリーのお陰で色々とフォローが効くのも俺だ。

 さらには呪毒蜂の毒も効かないとくれば、こうなるのは当然の事だろう。


 ひたすらに地を蹴り続け、半ば程まで駆け抜けた頃か――目の前に見える坩堝、その頂上に建っている土の塔と、土塊に開いた無数の穴からゴポリと、溢れるように蟲達が涌き出した。

 聞きなれた羽音と顎の打ち合わされる音。見覚えのある蠢く白い体。

 俺たちの行く手を塞ぐかのように上部から勢い良く下ってくる白い雪崩と塔から次々と湧き出す黄色と黒の斑雲。


 きっと間に合う。もし間に合わなかったら死ぬ。必死に走りながらも予測を立て、自分の足なら間に合う事を確信する。だが分かっていても足は竦みそうになり、恐怖で目を瞑ってしまいそうになる。

 まるで雪山から流れてくる雪崩に向かって全速力で向かっていくかのような恐ろしさ。あれを食い止めるなんてまず無理だと一瞬で分かってしまう質量の差。

 ドリーに指示を伝える暇すらも惜しんで、俺は声を張り上げ指示を飛ばす。


「中列にいる魔法使い達は直ぐに自分に強化魔法を掛けろッ。走れ、走れ走れええええッ!」


 俺の声に反応した数人の魔法使い達が周囲に次々と強化魔法を掛けていき、駆ける速度を上げていく。


 只々全速力で疾走し、暗くポッカリと開いている不気味な穴へと向かう。自ら巣穴に飛び込んでいくような、そんな嫌な想像が頭に浮かんでくるが、それを打ち捨てるようにして振り払う。

 雪崩れるウジはもう目の前まで迫り、地獄へと誘うような暗い穴も直ぐそこだった。

 どちらにしても碌なもんじゃないとも思ったが――今はただ仲間を救うためだけに、暗い穴の中へと身を投げる。


『アース・メイク』


 俺が飛び込むと、今入ってきたばかりの穴が魔法によって即座に閉じられ、それと同時に。

 ――外から凄まじい音が轟いた。

 地震のように揺れる地面。柔らかい物が地面に叩きつけられる生々しい音。

 勢い良く降ってきたウジ達が、硬い地面に叩きつけられるている音だろうとすぐに分かってしまう。耳を塞いで音を遮断しようと試みるも、身体に染み渡る振動が嫌でも音を思い返させる。

 光が閉ざされ真っ暗闇になってしまった坩堝の内部に、延々と轟音が響き渡り続けていった。


 あまりの轟音に全員が動けなくなり、蹲って耳を塞いでいると――やがて、鳴り続けていた音が止み、辺りに静寂が訪れた。

 一瞬本当に音が止んだのか、自分の耳がイカれてしまったのか分からなくなったが、不意に聞こえてきた誰かが零した安堵の溜め息が耳に入り、自分の耳がまだ正常に動いているのだと分かった。

 

 全員が音が鳴り止んだことに呆けてしまっているのか誰も一言も話さなかった。だが、何時までもこうして呆けているわけにもいかない。

 既に俺たちが内部に入ったことはあちら側も気づいている筈だ。こんな所で何時までも止まっていたら絶対に拙い事になる。

 身体全身で感じる危機感に従い、俺はすぐに立ち上がって指示を飛ばす。


〈魔法使いは明かりを早く付けてくれ。何時までもこんな所にいたらモンスターが群れてくるかもしれない。すぐに移動するぞ〉

『フォロー・ライト』


 使用者を追尾してくれる明かりが、通路上部に向かって放たれて、周囲の闇をかき消すようにして照らし始める。


 俺達はその時初めて坩堝の内部を自らの目にすることが出来た。

 大人三人が横に手を広げ進めるほどの幅、武器を振り回すことに、なんの邪魔にはなりそうにもない高さがある天井。

 地下へと向かってうねりながら伸びていく丸い穴のまわりには数えるのが億劫になる程の横穴が開いている。


 急いでいる筈なのに、思わず身体が固まり周囲を呆然と眺めてしまう。


 視界に広がる全ての内壁――そこには化石のように浮き上がった。虫達の死骸で埋め尽くされていたのだから。

 ウジ、サソリ、蜂、カマキリ、他にも見たことのある蟲がズラリと内壁に埋められている。


 どれだけの数を積み重ねたのだろうか。どれだけの時を積み重ねたのだろうか。

 蟲毒の坩堝――どうやら、ここは蟲の死骸で作られた、深く広大な地下迷宮と言うことらしい。











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