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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
蟲毒の坩堝
64/109

6−11

 



 駆ける。風の如く駆ける。

 月が爛々と輝く夜の中を、四台の馬車が横並びに疾走していく。

 大地を叩く力強い馬蹄ばていの音が俺の鼓膜を打ち、荒い地面で跳ねた馬車が、急にガタリと揺れた。

 ほろの外、御者の横に座っていた俺は、揺れに驚き反射的に座席の端を掴んでしまう。


「っと、何か揺れが大きくなって来ましたね」


 俺の言葉に少し苦笑を漏らした御者は、少し周囲を見渡しながら返事を返してくる。


「この辺りは蟲毒が近いですし、殆ど人が通りませんからね。地面がならされてなくて、少し揺れるんですよ。

 あっ、後そろそろ馬の強化が切れそうです。回復と共にお願いしても?」

「了解です。ドリー頼む」

『へいっ。ぬおおお、お馬さん、お疲れ様ですっ』


 ドリーがねぎらいの言葉をかけながら、手の平を馬へと向け、フィジカル・ヒールとブーストを放った。

 体力が回復したお陰か馬のスピードが更に上がり、身体がグン、と後ろに引かれる。

 ドリーに一言礼を言うと、すぐに『任せて下さいっ』と返事をしてきた。が、どうやら少し疲れてしまっているらしく腕をグタリ、と垂らし、いつもより元気が無くなっている様子。

 

「大丈夫かドリー?」

『へっちゃらですっ。ただ……そろそろ魔力が尽きそうです』

「なら、俺の魔力を……って俺も無いな」


 リドルを出て既に三日。交代しながら馬に絶え間なく強化と回復の魔法をかけ、かなりの強行軍を行なっていた。さすがに休まず進んでしまうと、魔法を使っていても馬が潰れてしまうため、短いながらも休憩を挟みながらではあったが。


 俺も魔力を消耗しているせいか、身体には倦怠感が溢れているし、長時間座り続けていた身体は少し強張ってしまっているようだ。


 無茶ばっかしても意味ないしな。少し休むか。


 軽く身体を伸ばし、休憩と強化魔法要員の交代をするため、ドリーと樹々、蝶子さんを連れて幌の中へと戻る事に。


 垂れ下がった布を捲り中に入ると、俺に気がついたリッツ達とその他の四名、計七名がこちらに一斉に顔を向けてきた。いきなり注目を浴びてしまったことに少し驚き固まっていると、一人の女性走破者が栗毛色の髪を揺らし、猫の様な耳をピクピクと動かしながら、俺に近寄り話しかけてきた。 


「あ、隊長さん交代ですか?」


 未だに慣れないこの呼び方に、一瞬反応できず返事が遅れてしまう。


 隊長――自分としては年長者を差し置いてそう呼ばれることに少し違和感があった。最初は「俺よりも別の人がいいんじゃ」と少し抵抗したのだが、集まった走破者達から「大口叩いて集めたんだしっかり責任を持て」や「ここに居る者達はある意味で貴方という人間に対して集まってきたんですよ? さて誰が相応しいんでしょう」とか「防衛の時の活躍は見てたよ。自信もってやってくれ」等と言われてしまう。

 いつも俺に文句ばっかり言ってくるあのリッツですら「アンタがやりなさい」と言い切り、結局、満場一致で俺が率いることに。


 嫌だとは思わなかった、逆に俺にとっては非常にありがたい言葉だ。 

 実際そう呼ばれる事に違和感を感じてしまうのは事実だし「俺なんかが」と思う心も何処かにあった。

 ただ、獄級を走破した経験があるのはこの中では俺とドリーだけだ。実際獄級へと入ったことがなければ分からないこともあるし、もしかしたら俺とドリーにしか見えない何かだってあるかもしれない。

 そう考えると俺自身が率いるのが一番走破できる可能性が高いのではないか、と頭のどこかで感じていた。


 覚悟は決めた筈だ。が、それでも俺を抜かして総勢三十二名と、リドルで苦しむリーン、そして同じように苦しんでいる被害者達。

 その全ての命が、俺の指示次第では容易く散ってしまうと思うと、凄まじい程の重圧が俺の背中に伸し掛かってきていた。

 水晶平原でラングが片腕を失ったのだって俺が出した指示の結果だ。あの時から感じてはいた事ではあったが、人を率いて指示を出すというこの立場は――とても、とても重い。


 ブラムさん達は、いつもこんな重みを背負って隊を率いていたんだろうか。本当、尊敬するよ。


 鮮明に蘇るグランウッドの騎士達の姿。それを俺はいつでも思い出せるように、脳にり込み、強張りそうになる顔を無理矢理に笑顔へと変えて、目の前でキョトンと首を傾げている女性走破者に言葉を返す。


「俺もドリーも魔力切れちゃって。すいませんが交代お願いできます?」

「はいっ、分かりました。じゃあゆっくり休んでおいてくださいね」


 栗毛女性はニコリと微笑み、俺と入れ替わるように幌の外へと出ていった。

 どうやら俺は上手く笑えていたようだ。率いる俺が不安そうな顔などしていればきっとそれは伝染する。獄級を走破するのに士気は絶対に大事なものだ。本当に気を付けないと。

 

 そういえば、外は結構寒かったしな。後で毛布でも持って行っていくか? いや、明日に備えないといけないし、そろそろ強化魔法を使わせるのを止めさせたほうが良いかもしれないな。時間を見て、早めに中に入れてやろう。


 季節の移り変わりのせいか、段々と気温が下がってきていて、先程外に出ていた時は向かい風もあってか、かなりの寒さだった。補助魔法を使える彼女が風邪でもひいて調子を落とされたら非常にマズイ「こういう所も多少気を配ってやらないといけないな」と座ることすら忘れ、無意識に顔を俯かせ、一人考え事を始めた、が。


「おいっ。おーい、隊長さんよ。休むのも良いけど明日の昼には蟲毒につくんだ。もう少し話を詰めておいた方が良いんじゃないか?」


 それを遮るように声を掛けられた。声に反応して顔を向けると、床で地図を広げていた男性走破者が――いや、酒場で俺に向かって瓶を投げつけてきたあのオッちゃんが「早く来い」と言いながらこちらに向かって手招きをしている。


 全く、この人は本当意外だったというか何というか。


 てっきり第一印象で直情的な前衛型だと思っていたのだが、聞いてみれば操具士と言われる後方支援型の職種。

 装備も、口元を隠すように巻いた茶色い布、何の皮で出来ているのかは分からないが、動きやすそうな軽鎧、右手には装着型のボウガン、左手にも装着型の丸盾と、動きやすさと両手の自由度を上げ、腰に吊るされた道具袋を上手く使えるようにと配慮されていた。

 性格のほうも特段怒りっぽいと言う様子もなく、この三日間の中で感じた印象は「意外と世話好きなのかもしれない」といったものだ。

 きっと、我を忘れて感情的になってしまうほどに、自分の仲間を大切にしている人だったのだろう。


 特技も後方支援らしい、マッピング、情報収集、遠距離からの援護とかなりマルチに動ける人で、隊を率いることに不慣れな俺を色々と助けてくれていた。戦闘に関してはそこまで強くは無いらしいが、俺にとって十分すぎるほど役に立ってくれている。


 俺は呼ばれるがままにオッちゃんの側へと近寄り、地図を挟んで向かい合わせに座った。


「さて隊長さん。蟲毒の立地に関しては特に説明の必要は無いな?」


 その言葉に黙って頷き、蟲毒に関する情報を頭の中で思い返す。

 【蟲毒の坩堝】そう呼ばれている獄級は、広大な土地をすり鉢状にしたような形で――外周、内周、中心部(下層)と三層に別れている巨大な蟻地獄のような場所で、そのそれぞれに違う名前が付けられている。

 外周から【蟻のむしろ】続いて【速生そくせい樹海】そして中心から地下に掛けてが、獄級の名前ともなっている【蟲毒の坩堝】

 この辺りまでは、俺自身でも調べていたのだが、オッちゃんの情報量の多さには正直面を喰らってしまった。それというのも、俺は酒場から出てからは道具などの準備を優先し、斡旋所の方は後回しにしていたのだが、その間にもオッちゃんは、只々延々と自分のツテや斡旋所などから情報を集め続けていたのだという。

 オッちゃん曰く「情報集めなんぞ下がやりゃいいんだよ。上はその情報から判断して、決定と指示を出すのが仕事だ。お前にはお前にしか出来ないことがあるんだ。こういう仕事はこっちに任せておけ」だそうだ。

 思わず「何このオッちゃん格好良い」と思ってしまったのも仕方ないことだろう。

 

 少し思考がズレてきてしまっていたが、それを修正するかのようにオッちゃんが地図をコツコツと指さしながら話を続けてくる。


「先ずは【蟻の筵】と【速生樹海】に入る前に出てくる呪毒蜂だが、ここは『突破するだけ』ならさして難しくは無い。隊長さんも調べてたみたいだが、シルクリークの兵隊が使ってた方法と、隊長さんの用意した道具とやらを使えば恐らく問題ないだろう……が、問題は【速生樹海】から先だ。こっから先の情報は、正直当てにはなりそうにない。何か良い案はねーか?」


 そう言って、オッちゃんは少し眉根を寄せて顔をしかめていた。

 俺の聞いた話によると【速生樹海】は広大ではあるが、それは円状になっている全体を通しての広さで、直進距離としては、それほどでは無いと聞いた。つまり、ただ抜けるだけなら真っ直ぐに進めば時間はそうかからない筈、なのだが……どうにも樹海を彷徨うろついているモンスターが常に変化しているらしい。

 蟲毒が出来たばかりの頃は毒ガスを撒き散らす気色悪いダンゴムシやら、ヒルが溜まってる沼があるだけだったらしいが、暫く経つと、人間の口を貼り付けた巨大なミミズが居るわ、人間の顔をもった人面サソリが出現してるわと以前と恐ろしく変わっていたそうだ。

 恐らく肉沼と同じく時間経過で絶えず変化していってるのだろう。ブラムさんもそのせいで地図が役にたたないとか言ってた気がするし。

 

 暫く頭を捻って考えてみるが、実際の場所をこの目で見たわけでもないし、簡単に良い案など浮かぶはずも無い。思わず唸るように考え込んでいる、と。俺達の横合いからリッツが身を乗り出して地図を覗き込んできた。


「遠くから火でも放って燃やしちゃえば良いんじゃない樹海」


 ――簡単に言ってくれる。

 確かに普通の樹海ならそれも一つの手なのだが。それが出来ない理由があった。俺は頭の中で簡単に噛み砕いてリッツに出来ない理由を説明することに。


「なあリッツ。当然の如くそれを思いついた奴が昔いて、更にはシルクリークの軍が実行したことがあるんだと。

 周囲を大量に動員した軍で囲み、魔法で火を放ち、実際火が広がって燃えた、までは良いんだ。ただそのせいで樹海にいたモンスターが一斉に溢れ突撃、シルクリークの軍と正面衝突したらしい。

 最終的には一気に溢れでてくるモンスターに押されてしまうわ、派手にやらかしたせいで蟲毒の奥にいたモンスターまで出てくるわで、あえなく撤退。

 それでも樹海は燃え尽きてるだろうし、と次に来た時には――凄まじい速さで再生した樹海が既に復活していて、振り出しに戻ると。 

 その再生速度から【速生樹海】と名前がついたらしい。

 どうするよ火つけて馬鹿みたいにモンスター出てきたら。この人数で相手するのか、絶対無理だろ?」

 

 俺の言葉に「うげぇ」と嫌そうな顔をして「今の無しで」と迷わず前言撤回してくるリッツ。

 俺も気を取り直して考えてみるが『これぞ』と言うような良い案は浮かんでは来なかった。


「オッちゃん。やっぱり俺の判断としては、妙に捻ったことを考えるよりも、出来るだけ最短距離で、モンスター達に見つからないように静かに進むってのが一番良い気がするんですよ。昨日話した方法で多少はマシになるとは思いますし。

 ただ、蟲毒の坩堝に関しては……」


 そこまで言って両手を少しあげて「打つ手なし」と意思表示をする。その俺の様子を見て、オッちゃんは静かに頷き。


「まあ蟲毒に関してはオレも同意見だ。内部構造も変化しすぎて情報なんて無いしな。今回街を襲ってきたデカイ蟲と鎌もった奴だって初めて出たモンスターらしいからな」


 そう言って鏡写しのように俺と同じく手を上げた。

 

 今までシルクリークの軍も蟲毒までたどり着いた事もあるし、様々な手を使って攻略を試みたらしいのだが、その全てが失敗に終わっているという話だ。

 

 俺は、何か良い案が見つからないものかと思い、オッちゃんから聞いたシルクリークの軍が使ったらしい幾つかの策を思い出していく――。

 

 魔法で穴を掘りながら一直線に下へと目指す。が、所々魔法でも掘れない地面が出現し、それを避けながら掘り進めていった先は、誘導されたかのように蟲達の巣穴に繋がり、即座に見つかって、あえなく失敗。

 

 強引に川から水を引き、蟲毒へと流し込もうとしたことも。ただ、そんな事をしてれば目立つのは当たり前で、すぐさま蟲達に見つかり数に押されて同じく失敗。ただそこでめげずに、水魔法の使い手を集めて魔法で蟲毒に直接水を流し込んだ。が、水が流れこんでいった穴を途中で蟲に塞がれ、更にはその流し込んだ水をも利用され、次に突入した時には水棲昆虫の巣が出来てしまい状況が悪化したらしい。

 その他にも様々な案が出されては失敗を続けており、現在の防壁を築いて守りに専念するといったものに落ち着いているのだそうだ。

 

 だが、俺としては軍で攻めるという行為自体が、根本的に間違っている気がしていた。

 肉沼も、水晶平原もそうだったのだが、獄級のモンスターは人や亜人など、生きているものを素材としてモンスターが生成されている気がしてならなかった。その予測が当たっているとしたら、蟲毒もそうなのではないだろうか? 

 仮にそうだとしたら、獄級に対して真っ向から数で攻めてしまうと被害者の数に比例して相手の数も増えてしまい、最終的には消耗戦になり負けてしまう。

 つまり……グランウッドのとった少数精鋭での攻略は、実はかなり理にかなった戦法だったのかもしれない。ただ、奥にいる主を倒せるだけの戦力を残せれば、の話だが。  

 

 俺達の総勢も、三十三名と一本と二匹という少なくもないが、決して多くはない数。

 この数を生かし、出来るだけモンスターから見つからないように、そして迅速に攻略していくことが、一番走破できる可能性が高い気がする。

 食料に関してだって、ドリーの魔法もあって、困ることなどそうそう無いし、持っていく荷物もそのお陰で減るのだから、速度こそ最大限に生かしていくべき長所だろう。


 ここ二日、散々と悩んで結局決めたのが正攻法なのだから、自分としては少々情けなくもなる。しかし嘆いていればいい方法が見つかるわけでもないし、今は思いつく限り、出来うる限りの事をやっていくべきだ。


「とりあえずオッちゃん。現地の情報が見えない今の状況じゃこれ以上考えようがないし、蟲毒の坩堝に関しては正攻法で進みつつも、状況によって案を出していくって方向性でいきましょう」

「まあ、それしかねーな」

「あと、明日の昼に到着って、馬に魔法使わないこと前提ですよね? もしそうならそろそろ指示出しとかないと」

「おう、さすが隊長さんってか、分かってるじゃねーか。ならいっちょ頼むぞ」


 その言葉に頷き、ドリーに伝言を頼む。俺の肩の上で腕を振り上げ『お任せっ』と元気良く返事を返したドリーは、並走する馬車全てに向かって。


『皆さーん。今から、相棒の指示をお伝えしますっ「蟲毒に着くのは明日の昼。馬に対しての魔法はもう掛けなくて良いので、魔力を消耗した人達から順にしっかりと休養をッ。そして、それまで休んでいた者は互いに話し合って各馬車から一名づつ見張り立ててくれ。もう蟲毒までの距離は余りないんだ。警戒だけは怠らないでくれよッ」以上です』


 一言一句、たがう事無く俺の言葉を伝えていった。全てを言い終わると『どうですっ』と言わんばかりの勢いでおれに向かってクルリと手首を返してくるドリーに、俺はこぼれ出る苦笑と、溢れ出る感謝の気持ちを抑えることが出来なかった。

 

 今回、蟲毒に向かうにあたって俺はドリーに関しての説明を一日目の夜に既に済ませていた。勿論リッツ達に話したのと同じ『念樹』というホラ話ではあったが。

 話した最大の理由は『敵に気付かれずに、隊全体に向かって大声で指示を伝えられる』というこの能力が、蟲毒攻略に必要不可欠なものだと判断したからだ。幾ら嘘とはいえ、余りペラペラと話すような話ではないのだが、リーンの命だってかかっているこの状況で「使わない」などという選択を俺には取れる筈もない。

 当然話す前に、俺は「ドリーの事を話しても良いか」と本人に聞いたのだが、それに対してドリーは数瞬の迷いも無く『リーンちゃんを助けるのに必要なのでしょう? 断るわけがありませんっ』と了承してくれた。


 ったく、いつまで経ってもドリーに世話になりっぱなしだな。

 

 『さあ、褒めてくださいっ』と言葉に出すまでもなく全身からそんな雰囲気を垂れ流しているドリーに、俺は、魔力回復とご褒美の二重の意味を含めて魔水の瓶を差し出してやった。


「うむドリー完璧だ。さすが俺の相棒、間違いなく世界一位の座に輝いているぞっ。よし、そんなドリーにはご褒美として魔水をあげてしまおう。さぁ存分に飲むがいいさっ」

『――ッツ!? ま、まさか褒めて貰えるだけじゃなく、ご褒美のお水まで貰えるなんてっ。

 ……さあっ、相棒。次の指示はなんですか? バンバン私に仰って下さいっ』

「おい……おいドリー。仮に次また指示を頼むとしても、飲んで良い魔水の瓶はその一個だけだからな」

『つぅ、次の指示をぉ。バンバン……言って下さぃ』


 急に元気がなくなりすぎだろドリー。


「なあクロ坊。楽しそうな所悪いんじゃが、ドリー嬢ちゃんのその『念話』とやらはもう他の馬車には聞こえないようにしてあるのかのぉ。もし今の声が届いていたら相当間の抜けた事になってそうなんじゃが」

「あっ……」『あっ……』 

 

 岩爺さんに言われて俺とドリーの声が重なった。

 今の反応から見ても、間違いなくドリーの出した情けない声は他の馬車にも届いている。今頃は他の馬車もここと同じような雰囲気になっている事だろう――クスクス笑いが溢れる少し間の抜けた雰囲気に。


 ある意味で良かったかもしれないな。少し位精神的に余裕を持ったほうが、何事も上手くいく気がするし。


 妙に間の抜けたドリーのドジだったが、結果的には張り詰めた空気を緩め、上手く身体の力の抜くことが出来たのではないだろうか。俺はそう前向きに考える事にして――急激に襲いかかってきた疲れを取る為、馬車の壁に身体を預けゆっくりと目をつぶっていった。


 ◆


 太陽がその身を頭上へと踊らせた頃、俺達は目的地でもある蟲毒の坩堝近辺へと、無事到着することが出来た。

 下手したらモンスターに見つかって、途中で襲われてしまうかもしれない。とかなり警戒していたのだが、別段そんな様子もなく、少々呆気無く感じてしまう程。


 いや、本番はここからだ。直ぐに準備を始めないと。


 気を引き締め直して、馬車から降りた走破者達に急いで指示を出していく。


「一台残して、三台全ての馬車から、幌と馬を外してください。幌のほうは別に壊してもいいですよ。

 あ、全員で一斉に取り掛からないで、見張りもきちんと立ててっ。それと荷台自体には傷を付けないように注意して下さいっ」

 

 無茶苦茶やっているが、この三台の馬車は必要があって買い取っていたので、別に何をやっても問題は無い。


 蟲毒に向かう前から、馬車が絶対に必要になることは斡旋所で調べた情報から分かっていたので、出発前に斡旋所の受付で、馬車は幾らで買いとれるのかと尋ねていた。だが、何故か受付のお姉さんから「馬車の料金は既に払われております」と言われてしまいかなり驚かされることに。

 犯人はオッちゃんで、俺が買いとろうする前に、馬車三台ぶんの料金を払っていたらしい。俺自身はそんなに人数が集まるとも思っていなかったので、一台だけ買っておいて、仮に人数が多くなるようだったらその時考えようと思っていたのだが、俺と違い、オッちゃんはある程度集まりそうな人数を把握していたようだ。

 俺が居なくなった後、斡旋所で何か話し合いでもあったのだろうか。

 

 オッちゃんが金を払ってくれた事を知って、何故そこまでと聞くと「死んだら金なんて必要ねーだろ」と相変わらず男前なセリフを吐いてきた。

 ただ「走破した後、耳揃えて返せよ」と付け足してきたので、全部台無しだったが。 


 

 一先ず、作業に取り掛かっている走破者達を眺め、問題なさそうだと確認し終わった俺は、残った一台の馬車へと近寄り、ここまで運んでくれた御者さん達と少しだけ言葉を交わしていった。


「ここまでありがとうございました。次に会うのは、一週間と三日後ですかね?」

「そうなりますね。またこの辺りまで様子を見に来るので、その時無事お会い出来ることを願っていますよ」

「はい、お互いに」

「ええ、お互いに」


 こちらの無事を祈ってくれる四人の御者達と軽く握手をして――走り去っていく一台の馬車とそれに引き連れられていく馬たちを少しの間だけ見送った。

 俺は頭に乗っていた樹々をドリーに預け、いつもの定位置へと隠れさせる。ここから先は隠れていてもらわないと本格的に危険なのだから。


「隊長さんよ。準備が終わったぞ」

「おお……大分早いですね。なら急いで出発しましょうか」


 オッちゃんの言葉に視線をやると、既に幌を外され丸裸となり、四角い箱に車輪を付けただけの、馬車というよりただの荷台が三台並んでいた。

 

 時間もないし、とりあえずこんなもんで良いか。壊れなきゃ問題ないんだし。

 

 そう判断し、荷台を俺も含め前衛職の九名で押していき、駆け足気味に蟲毒へと向かう。


 周囲を警戒しながらスピードを緩めること無く、荷台を押し続けていると、少し先の大地が唐突に途切れ無くなっているのが確認できた。

 直ぐに荷台を押すのを止めるように指示を出し、オッちゃんと二人で先行して先の様子を見に行く事に。


「こ、これは中々の光景で……」


 ギリギリの位置で目立たぬように大地に身を伏せながら、そんな呟きを口から漏らしてしまう。

 途切れたように見えた大地は、現世と獄の境界線。俺は自らの視界に入ってくる光景に驚き、少しだけ身がすくむ。

 どんな事が起これば大地がここまで広大にくぼんでしまうのだろうか、視界いっぱいに広がる大地の全てが、巨大なボールでも押し付けたかのように、丸く、すり鉢状にへこんでいた。遥か下方には、ドーナッツ状に広がる樹海と、その中心に土塊で出来たかのような城にも似たナニカが見える。恐らくあそこが蟲毒の坩堝に入る為の入口なのだろう。


「とりあえず隊長さん。ちょっと確認の為にコレ投げるから、警戒だけはしててくれよ」


 オッちゃんは先ほどまで幌を支えていた木材の一部を右手でヒラヒラと振り、俺に注意を促してきた。


「行くぞ、ほらよっと」


 掛け声と共に腕を振るい、なだらかに下る大地に向かって木材を投げた。ヒュンヒュンと回転しながら飛んでいった木材が、重力に引かれ地面に落ちた――その瞬間。

 木材を中心とした半径三十メートル程の大地全てが一瞬で黒く染まる。キチキチキチ、と耳を覆いたくなるような異音と共に、木材が食い千切られ、木カスすら残らず消え去った。

 もしここに生身で足を踏み入れたら――そんな嫌な想像をしてしまい、身体を一度震わせた。

 何匹居るか数える気すら起きないほどの幾多の蟻は、領域に入った異物をなんの躊躇いもなく食い尽くす。そのあまりの数と黒く染まった大地はまさに【蟻のむしろ】と呼ぶに相応しいものだった。


「オッちゃん。俺、見なきゃ良かったとかちょっとだけ後悔してます」

「まあ、概ね同意見だ。ただ情報と変わりないかは確かめておかないとな」

「ですよね。で、呪毒蜂はどの辺りで反応してくるんです?」

「ああ、筵の中間辺りから樹海の上を飛んでる蜂共が反応して襲ってくるらしいな。ただ、樹海の少し手前。坂の終わりで地面の色が変わってるだろ。あそこから先は蟻は来ないらしいから。彼処まで行ったら蜂を振りきって全力で樹海に逃げ込むしかないだろ」


 確かにオッちゃんの言うとおり、樹海に入る少し手前の大地の色が少し濃緑色に近い色になっている。ただ、逃げこむという印象より――。


「どっちかって言うと、巣穴に飛び込んでいく感じですけどね」

「はは、ちげぇねーな」


 頬を掻きながら苦笑するオッちゃん。それを見て、機嫌が良さそうだと判断した俺は、一日目の夜から何度かしては答えてもらえなかった質問を懲りずに投げかけた。


「というか、今から獄級に入るわけですし、そろそろオッちゃんの名前教えてくれません?」

「ああ? まだ言ってるのか隊長さんよぉ。教えねーって言ってんだろうが」


 相変わらず全く変わらない返答をしてくるオッちゃん。初日から何度か尋ねているのだが、いつも「嫌だね」だの「教えねーよ」とバッサリ断られていた。

 ただ、さすがのオッちゃんも何度も同じ返答するのが嫌になってきたのか、舌打ちを一つしながら初めて断る以外の返答をしてくる。


「……つか、隊長さんは名前聞いて仲良くなっちまったら見捨てられなくなるたちだろ。俺だっていつ死ぬかわかんねーんだ。その時即座に見捨てられなくなったら困るだろうが」


 ピクッ、とその言葉に反射的に頬が引き攣る。覚えがありすぎて反論出来なかったからだ。さらにオッちゃんの言ってることも間違っていない。戦力を減らさないように一人を助けるのは良い。だが、私情が入って五人を見捨てて一人を助けてしまうのは、今の俺の立場じゃ絶対にやってはいけないことだ。


 といってもここまで世話になっておきながら名前も知らないなんて非常に気持ちが悪い。どうにか反論しようと考えるが。

 

『瓶おじさん、大正解です十点あげましょう。相棒はそれはもーお優しいのですからっ』

 

 ドリーが自慢気な口調で止めを刺す。

 おいドリー余計なこと言うな。


「まあ、そういうこった。オレの名前は獄級を走破してから交換って事で諦めなっ」


 ニヤリと口角を持ち上げ勝ち誇った顔を向けるオッちゃんを見て、俺は降参の意思を示すようにパタパタと手を降った。


 それから何度か木材を投げ、蟻以外のモンスターが出てこないかなどを確認し、問題ないと判断した俺達は――伏せた身を起こして、馬車へと戻っていった。


 既に準備も終わり、緊張の面持ちで俺達を待っている走破者達。その顔を見渡し、俺はゆっくりと口を開く。


「今から獄級への突入を開始します。犠牲者を出さない――とは言いません。そこまで獄級は甘く無いのだから。でも、腕が無くなろうが足が折れようが、俺は必ず蟲毒の坩堝を走破する。その覚悟だけは、その思いだけは決して折れはしない。

 申し訳ないけど、皆の命、獄級を走破するまで俺が預かったッ」


 ――応ッ、と短く鋭い声が飛び、ピリピリとした空気が辺りを支配する。その姿を見て全ての準備が整ったことを確信した俺は、全員に指示を飛ばしていく。


「一台の荷台に付き、俺を含めエントボルトを使える前衛二名。それ以外はさっさと荷台の上に、指定した強化魔法と風魔法を使える魔法使いはしっかりとバラけて乗ってくれ。斜面を下っている途中、中間地点で呪毒蜂が反応してくるはずだ。荷台の上に乗せてある煙筒は俺の合図と共に魔法で射出。

 じゃあ、全員乗ったな。車輪にエントをッ」

『エント・ボルト』


 バチィィッツ。

 荷台に乗り込まなかった走破者達が、俺の合図と共に次々と車輪にエントを掛けていく。

 下位のエントでは車輪以外にまで影響を及ぼす程効果範囲が広くはなく、元から繋がっていた荷台は車輪の一部だと判断しているのか電流も流れてはいかない。つまり、上に乗っている人達にはエントの影響を受けない状態になっている。

 俺はその様子を見て、何も問題がない事を確認し、次なる指示を出す。


「前衛に強化魔法を掛けろッ」

『オーバー・アクセル』


 赤い魔法球が荷台に乗っていない全ての走破者に掛かり、身体能力を強化する。


「行くぞッ、全力で押せえええッッ!!」

「オラァァアア嗚呼ッ!!」


 俺の声に反応した走破者達が一斉に雄叫びを上げ始め、凄まじいまでの力が荷台にギチギチと掛かっていく。

 徐々に、徐々に早く車輪が回り、速さを増しながら蟲毒へ向かって押し進む。ある程度パワーバランスは考えて配置をしていたのだが、俺の押している車体が若干先行し始める。俺は適度に力を抜きながら、出来るだけ前に出過ぎないように合わせていく。

 グングンと斜面が迫る。俺は車体の横合いから顔を出し距離を確認しながら、タイミングを測り……。


「今だッ、乗り込めッ」


 声を張り上げ合図を送り、飛び込むように荷台へと飛び乗った。

 坂から飛び出した車体が徐々に傾き大地に前輪が接触――バチュンッ、短く電流の走る音が聞こえ、周囲にナニか焼け焦げたような臭いが撒き散らされ始める。


 凄まじい勢いで坂を疾走し始める三台の車体。その後を追うように、前方を遮るように黒い蟻が大地から無限に涌き上がっている。

 火花にも似た紫電が瞬き、黒い蟻の群れを車輪が引き裂くように、焼き尽くすようにして疾走の跡を残していく。


 滑らかな地面と、角度のある坂によって、疾走していく車体のスピードは馬鹿みたいに上がり続けている。

 俺は向かい風と肌で感じる速度のせいで、生理的な恐怖が芽生え、しがみつくように捕まっていた車体の端を力いっぱい握りしめていった。

 

 と、いうよりシルクリークの軍はよくこんな事を試そうと思ったな。ジェットコースターどころじゃないぞこれ。


 シルクリークが使った蟻の筵を突破する一番簡単な方法がこれで、車輪の回転とエントの効果で車輪が喰われる前に無理矢理に突破するという荒業だった。正直考えた奴はどうかしてるとしか思えない。


 そろそろ中間地点を過ぎるな。こっからは妙な事考えてる暇はないか……。

 

 俺は頭を振って気を締め直し、集中力を切らさないように、周囲を警戒していった。

 

 金属が擦り合わされる嫌な音が延々と鳴り続け、車輪に轢かれた哀れな蟻が黒い煤となって舞い散っている。

 俺は合図を出すタイミングを伺いながら、振り落とされないように車体にしがみつく。盛大に加速の乗った車体が中間地点を過ぎ去った――瞬間。樹海の中央から黒い雲が溢れでるように飛び立った。

 ここに居るすべての走破者達にとって、脳裏に焼き付いて離れないだろう呪毒蜂の群れ。どうやら縄張り的なものがあるらしく、この中間地点を越えると一斉に襲いかかってくるようだ。


 まだだ、まだ早い。

 指示を出そうと焦る心を力づくで抑えつけ、タイミングを測る――。


「ドリー、今だッ」

『みなさん煙筒をお願いしますっ!』


 風が吹いてようが、車体もろとも疾走していようが、ドリーの声は全員に行き届く。

 三台の車体にバラけて乗っていた風属性の使い手達が、俺の合図と共に一斉に風の弾丸に乗せて煙筒を射出。モウモウと煙を上げ続けている筒が、蟻達の出現しない大地へと向かってばら撒かれていった。

 

 蟲毒のモンスターには明らかに元となっている虫などが居る。そして、実はその特性や本能的なものまで受け継いでいるのでは無いかと俺は予測していた。

 呪毒蜂の元はどう見ても蜂しかない。

 蜂にとって草や木が燃える煙というものは、非常に生存本能や、巣を守ろうとする防衛本能を刺激してしまうものらしく、煙の量によっては、自らの巣をも見捨ててその場を離れてしまうのだとか。

 俺の使った煙筒の中身は道具屋曰く「馬鹿みたいに煙を出す特殊な葉っぱが詰められている」との事。つまりもし蜂の本能が残っているのなら、この煙は絶対に嫌がる筈なんだ。


 頼む、効いてくれ。

 

 祈るように煙の先から飛来してくる呪毒蜂を見ていると、煙に煽られた一匹の呪毒蜂が、冷静さを失ったかのように、飛ぶ方向を変えた。それを切欠にするかのように次々と煙から逃げるように飛び始めた呪毒蜂。それを見て、俺は思わずガッツポーズを取ってしまっていた。


『相棒そろそろ下に到着します。どうするんですかっ』


 ドリーの声に前方へと視線を向けると確かにすり鉢の底――樹海が近くまで迫ってきていた。このままの勢いで水平になっている底に到着してしまえば、まず間違いなく乗っている車体は大破してしまうだろう。


 さすがにこの層ぐらいは犠牲者を出さずに突破しないと蟲毒走破なんて話にすらならないッ。


 俺は気合を入れ直し、ドリーに次の指示を伝えていった。


『皆さん、指定された風魔法を使い、底につく前に速度を落として下さい』 


 指示を受け、俺を含め、風属性の使い手達全員が一斉に手の平を前方へと向け。


『ウィンド・リコイル』


 風の砲弾を連続で放ち、反動で少しづつ速度を落としていった。


 しかし徐々に魔法を撃ち続けている風属性の使い手達から苦痛の呻きが聞こえてきていた。俺にも経験があるが、この魔法をあまり連続で放っていると、かなり腕が痛んでしまう。だが、腕が多少痛もうがここさえ乗り切れば、後で回復魔法で治せるのだから今は我慢して貰うしかない。

 

 痛む腕を抑え、延々とウィンド・リコイルを撃ち続けて入るが、既に底までの距離は然程無く、速度だって多少緩んではいるものの、まだ安全圏まで落ちきっていなかった「間に合わない」そう感じた俺とドリーは声を張り上げ、叫ぶように指示を飛ばした。


「全員飛べッ」『飛んでくださいッ』


 俺の指示に、自分を含め、ある一定以上の身体能力をもった走破者達はすぐさま反応を示し、底に着く直前にその身を上手く投げ出し、地面に着地していく。

 万が一のためにこの指示の事も伝えてはいたが、全員が全員とっさに反応出来る筈も無く――轟音と共に砕けた荷台から投げ出され、地面に強かに打ち付けられた者達が数名俺の視界に映っていた。

 しかも運悪くその内の一人が右足だけバタリと蟻の領域へと投げ出してしまっている。一瞬で右足へと群がり始めた蟻の群れと、痛みで絶叫を上げる男性走破者。


 まだ先は長いんだこんな所で犠牲者なんて出して堪るものかッ。

 

「ドリー、ウッド・ハンドッ!」

『ウッド・ハンド』

 

 反射的とも言える速度でドリーに短く指示を出す。魔名しか言っていないのだが、ドリーを俺の意思を上手く汲み取り、投げ出された男性の近くに樹手を出し、強引に引きぬきこちらに向かってほうった。

 その間にも俺は全力で駆け出し、放られた男性の右足に触らぬように受け止め、すぐさま地面に下ろす。痛みで暴れる男性を後から羽交い絞めにして動きを止め、無理矢理に手甲の皮部分を悲鳴を上げ続ける男の口へと噛ませていった。


「いますぐ右足に火炎魔法を撃ち込んでくれッ」


 近くにいた女性の走破者に向かって叫びを上げる。最初は少し戸惑っていたようだったが、やがて意を決したのか、その女性走破者は小さな火球を男の右足へと撃ち込んだ。


「――――ガアアッッ!?」


 身体を跳ねるように暴れさせ、口元に噛んだ俺の篭手をギチギチと音を鳴らすほどに噛み締め、痛みで暴れ狂っている。俺は、足にまとわりついていた蟻が全て燃え尽きるまで全力を込めて抑え続けた。

 

 やがて右足にまとわりついていた蟻の全ては燃え尽き――それを確認した俺は、近くにいた走破者に頼んで燃えつづけている炎を水の魔法で消火して貰う。


「クロウエ、あほクロウエッ。何トロトロやってんのよっ。煙が切れて蜂が戻ってくるわよッ」


 リッツの声に反応して辺りを見渡せば、確かに先ほどと比べて明らかに煙の量が減っている。

 この人の治療は後だな。先ずは樹海まで逃げないとッ。

 右足の表面が黒焦げになってしまっている男性走破者を背負い。俺は全速力で速生樹海に向かって駆け出した。


 全力で走ってはいるのだが、背負った男性とその武器や防具の重量のせいか、そこまでの速度は出せなかった。徐々に大きくなってくる羽音が非常に耳障りで、俺の心を焦らせる。


『相棒、来ますっ』


 少し後ろを振り向いてみれば俺を追ってくる呪毒蜂達が目に入る。ドリーもナイフを引き抜き構えているが、少し数が多い「躱しきれるだろうか」背後を振り返りながらそんな事を考えていると、右頬を掠りそうになる位の距離を一発の魔弾が通りすぎていった。

 犯人に心当たりがあった俺は、思わず樹海に向けて文句を飛ばす。

 

「あぶねーだろうが馬鹿リッツ!」

「あら助けてあげたんじゃないッ。ありがとうございます位言えないの、あほクロウエっ!」


 挑発的な表情で俺を煽ってくるリッツだったが、確かに俺の直ぐそばを通過した弾丸は呪毒蜂の一匹を撃ち落としてくれたようだった。

 思わず返す言葉が見つからず唸る俺の横を――ボウガンの矢、魔銃の弾丸、水の槍など様々なものが通りすぎていく。

 どうやら樹海から援護射撃を撃ってくれているらしい。だが、そこに向かって突っ走る俺にとっては弾丸に向かって行くようなものなので、非常に生きた心地がしなかった。


 どうにか味方から放たれる弾幕に撃たれること無く、樹海に滑りこむように逃げ込み、近くに生えていた気味悪い紫色をした草むらに、身を伏せるようにして隠れた。

 草むらの隙間から覗き皆の姿を探してみるが、既に各々好きな場所に隠れているらしくその姿は見つからない。

 背負っていた男性走破者をゆっくりと下ろし、うめき声をあげないように口元へと手を当て、ただじっと息を潜めてモンスターをやり過ごしていく。

 蜂の羽音が真上から聞こえてきても、ガサコソと草むらを揺らす音が聞こえてきても、ただじっと耐え忍ぶように伏せて、隠れ続ける。


 やがて蜂の羽音も聞こえなくなり、樹海の中を不気味な静けさが覆い始めていた。俺は慎重に慎重を重ねながらゆっくりと草むらから身を起こし、静かに辺りを探っていく。

 どうやらモンスターはこちらを見つけることが出来なかったようだ……。


 ったく、犠牲者こそでなかったけど、突破するだけなら楽だと思っていた外層でここまで焦らされるとは思わなかった。

 

 額にかいた嫌な汗を拭い、肩にいるドリーに「もう大丈夫だと」皆に伝えるように頼む。

 

 ドリーの声を聞いて続々と姿を表した皆。それを見て、思わず安堵の溜め息を漏らしてしまっていた。

 

 少しだけ安心した俺は、無意識に樹海の外の様子を眺めていた。

 視界に広がる蟻地獄のような外層。

 降りたからにはもう引き返せない――あそこを登って逃げることなんてもう俺達には出来ないのだから。








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