表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
蟲毒の坩堝
63/109

6−10

 



 意識も戻り、ドランから色々と話しを聞いてみたのだが、どうやら俺は二日間丸々と眠り続けていたらしい。

 

 襲撃を退け切ったのが昨日の朝方。そこから生存者を探して街の捜索と、崩れそうになっている建物の撤去、通りに溢れる残骸や蟲の死骸を片付け、被害者達の遺骸を探したりと、めまぐるしい程の忙しさだったとドランが苦笑いしながら教えてくれた。

 俺が反射的に「そんな大変な時に悠長に寝ていてごめん」と謝ると、ドランは焦ったように手を振り「メイどんは頑張ったんだから、そんなこと気にしなくて良いんだでっ」と笑いながら言ってくれた。

 そのドランの笑顔はとてもギコチナク、対する俺の返答も明るく装っていたが酷く不自然なものだったかもしれない。


 少し休んで自分で動けるようになった俺は「まだ寝ていたほうが」と止めるドランから逃れ、決して離れまいとしがみついてくるドリーと、いつもの様に後をついて来る蝶子さんを連れて外へと出た。


 日も落ちきり夜の闇が辺りを覆う中、焚き火や魔灯の明かりに照らされ、記憶に新しい防壁と街へと通じる架け橋が視界に映る。


 ここって中央避難所だったのか。


 てっきり知らない場所だとばかり思っていたが、どうやら俺が寝ていた場所は襲撃を防いだあの中央避難所だったらしい。

 恐らく避難所を開放して怪我人を寝かせるためのスペースにでもしているのだろう。

 だが「怪我人を寝かせる」といっても回復魔法があるこの世界で、怪我を治すのに長い時間を取られることは無い。つまり、あの場所に寝かされていたほぼ全ての人が、治すことの出来ない呪毒蜂の被害者だということだ。

 

 未だに痛む節々と軽い風邪を引いたかのように重い頭。ドランの言うとおりまだ寝ていた方が良いのかもしれない。でも、俺には彼処に居続けられるほどの気力は無かった。

 悠長に寝ていた罪悪感から居づらくなった――等と言うつもりはない。単純にあの場所に居ることに耐えられなくなってしまったのだ。

 呻くように苦痛に苛まれる人々の声と、その被害者達の側にいる人々の視線が「なんでお前だけ助かったんだ」そう言われているように感じ、逃げ出すように外へと出てきてしまった。

 きっと俺の被害妄想だろう。でも、もし俺があの人達の立場で、俺でもなくリーンでもなく、別の誰かが毒から逃れ意識を取り戻したら――そんな嫉妬にも似た感情を抱いてしまっていたかもしれない。


 陰鬱な気持ちを吐息と共に押し出すように外へと出し、鉛のように重く感じる足を動かし前へと進む。

 月明かりがあるとはいえ、普段のリドルに比べると周囲は格段に暗く、普通の人なら散乱している瓦礫に足を取られ、マトモに歩くことは出来ないだろう。

 俺は自身は夜目が効くので、そこまで苦労する事はなかったが……。


 見えすぎるのも問題だな。


 周囲の景色を見渡し、見えすぎる目を少しだけウザッタク感じる。 

 それというのも、あの明るく騒がしかったリドルの街が今では見る影も無くなっているからだ。

 瓦礫と屍で作られた山。家を失い焚き火で身を寄せ合っている人々。腕に死骸を抱え啜り泣くように声を上げている人も居る。これで大分片付けをした方だというのだから救われない。

 ただ、抱えられる死体が残っているだけ幾分かマシな方なのかもしれない。死んでしまった多くの被害者は蟲達に喰われ持ち去られてしまっているのだから。



 滅入った気分のまま漠然と歩みを進めていると、いつの間にか南門へと到着していた。


 別にここに何か目的があって来たわけではなかったので、いざ着いてみれば何をしていいのか分からなくなった。ただ、このまま避難所へと戻る気には更々なれなかったので、とりあえず見渡しの良さそうな防壁の上へと昇ってみる事に。


 防壁の上部にある通路両脇は、腰辺りまで石材が高くなっていて、腰かけるには丁度良い高さになっている。

 一先ず俺はそこへと腰を下ろし、防壁の上から街を見渡した。

 壊れ果てた街並を、空に輝く月と点在する焚き火の明かりが、ぼんやりとだが浮かび上がらせている。改めて見ても、南門から大通り、そこから避難所にかけての被害が一番大きいようだ。蛇行するように薙ぎ払われた建物は、恐らく避難所に向かってきた百手の仕業だろう。

 ただ、大通りから離れるにつれ、被害の度合いは少なくなっているようで、殆ど無傷の建物もあった。幸いにも、斡旋所とそこにくっついている酒場は無事で、今も煌々と明かりが灯っている。


 襲撃を防いだことへの乾杯か、死者を送るとむらいの杯か。きっと今酒場には様々な思いが渦巻いているに違いない。

 

 無事に街を守りきった――そう言われると聞こえは良い。だが、現実では大量の死者を出し、街は壊れ、被害者は今も呻いている。果たしてこれを勝利と呼んでも良いのだろうか。

 人によって意見は違うだろうが……俺の胸中には敗北感が止めどなく満ち溢れていた。


「リーン……」


 ポツリと呟き夜空を仰ぐ。苦痛に苛むリーンの表情が瞼に焼き付き離れない。

 色々な思いが頭の中で止めどなく渦巻き、その全てを集約したような――そんな愚痴にも似た呟きが口からこぼれでた。


「何で……何で俺ばかり」


 何で俺の周りでばかり面倒事が起るのだろう。

 何で俺は獄級を避けようとしているのに引き寄せられるように巻き込まれてしまうのだろう。

 何故見えない筈のものが見え、意識が戻るはずが無いのに戻った。

 何で……何で俺はここに居るんだろう。


 今まで「みっともない姿を見せまい」とつまらない見栄を張り続け、一度だって仲間にこんな思いを零したことは無い。

 これまでだって幾らでも拙い状況があって、強敵と呼べるモンスターや獄級の主に出会ってきた。それでも我慢してここまでこれた。

 なのに、シルクリークに、いや蟲毒に近寄るにつれ、自分でもどうしていいか分からない程に心が揺れて、不安定になっていく。

 

 もう、もう限界だった。一人で抱える事が出来なくなっていた。

 

 最後に目にしたリーンの姿が切っ掛けで、押し込めていた疑問とストレスが次から次へと溢れ出て、言葉となって吐き出される。

 遂には我慢することを諦め、ドリーと俺しかいない夜空の下で、喚くように叫び、怒りを乗せて振りまいた。

 そんなみっともない俺の愚痴を、馬鹿みたいに吐き出される感情の吐露とろを、ドリーは何も言わず、受け止め続けてくれたのだった――。



 どれだけの時間が過ぎたのか俺には良く分からない。只々思いの丈をぶちまけて、心に溜まった全てを吐き出しつくした頃。

 蹲るように座った俺の頭をドリーが撫ぜた。


『私は……私は初めて相棒のそんな姿を見ることが出来ました。本音を言えば、もっと早く見せてくれれば良いのに、とは思いましたけど。

 それで、相棒は悩みを吐き出してスッキリしましたか? 私は少しでもお役に立てたでしょうか?』


 黙ったままにコクリと頷き返事を返す。


『ふっふっふ、それなら良かったです。私はメイちゃんさんの相棒で右腕なんですからっ。これで相棒の元気が出て【覚悟】が決まるというのなら、幾らでも聞いてあげますよっ』


 ドリーの言葉で一度だけ大きく心臓が跳ねた。


 ――そうか、やっぱドリーも気づいてたか。


 思わず苦笑いを零してしまう。もしかしたらドリーには俺の見苦しい葛藤なんてお見通しだったのかもしれない。そう考えると少し恥ずかしくなり、頭を抱えて転がりたくなった。


 時間が無いのは分かっている。リーンが今も苦しんでいるのだって理解していた。でも、俺には心を整理して覚悟を決める時間がどうしても必要だった。

 こんな馬鹿みたいに揺れる脆い心のままでは絶対に『リーンを救うこと』なんて出来はしないのだから。


 心の底に灯っているロウソクのような――いや、マッチ程度の小さな小さな『勇気』と言う名の火。それを少しづつ、少しづつ薪をくべ大きくしていく。

 「何で俺が」そんな思いが無いわけじゃない「もう嫌だ」そう嘆く心は勿論あった。でも俺はやらなければ後悔する。リーンを見殺しにしたら絶対に後で悔み続ける。

 何もできない訳じゃない少なくとも俺には『リーンを救う』手立てに心当たりがあるのだから。



 俺が最初に起きた時に居たあの婆さんは、どうやらこの街の治癒士だったらしく、呪毒蜂の事を聞く俺に色々と詳しく教えてくれた。

 『蟲毒の坩堝』そう呼ばれる獄級にしか生息しない呪毒蜂の毒。

 曰く、回復魔法は効かず、解毒効果のある薬草なんかも全く効かない呪いの様なものだ。

 曰く、魂に直接打ち込まれる命力にも似た毒だ。

 等と、憶測と真実が入り混じった様々な話しをしてくれた。

 だが、俺はその話を呆然と聞きながらも、婆さんの話を全てを台無しにするような、根本から解決するような力技が頭に浮かんでは消えていたのだった。


 魂に打ち込む、だとか。解毒不可能の毒だとか。幾ら理屈をこねあげても所詮は体液も毒液も魂も『モンスターの一部』であることに違いない。

 これがただのモンスターだったなら俺に打つ手は無かった。でも、獄級のモンスターだからこそ、見えてくる希望もある。

 これは二つの獄級消滅に立ち会ったからこそ気づける荒業。確実だとは言い切れないが、賭けても良いくらいには可能性のある方法。


 考えれば考えるほど身体の震えは大きくなって、想像するだけで陰鬱な気分になってくる。

 それでも、俺は心の灯火に次から次へと薪をくべる。

 ――リーンを死なせてなるものか。

 ――大事な仲間を守ると決めたばかりじゃないか。

 様々な思いを炎に変えて、恐怖と不安を燃やして消して、覚悟と勇気を産み出していく。


 これからやらないといけない事は生半可な思いでは成し遂げられない。簡単に出来ることだとは到底思えない。

 だが、さんざん喚いて愚痴を零したお陰か、既に俺の覚悟は決まり、心の整理も終わっていた。


 やってやる、何が何でも成功させてやる……蟲毒の坩堝を走破して、その内部に輝くクリスタルを破壊。毒もモンスターも何もかも全部、消滅させてやるッ!


 自分を鼓舞するように、決意の証を心の中で叫んだ。



 獄級。そう呼ばれる区域はやはり普通とは違う。まるであの一角だけが隔絶されたかのような、そんな雰囲気を入った者に感じさせる場所。

 まるで異常を無理矢理に形にしたような、あり得てはいけないモノを、世界を騙して作り出したような、そんな訳のわからない区域だと感じていた。

 正直全て想像の産物でしかないのだが、あの異常な場所を保持しているのがあの赤黒いクリスタルなのではないだろうか。だからアレを壊したら獄級から生まれた全ての存在が掻き消えるように、消滅してしまうのではないだろうか。

 実際、肉沼も水晶平原もクリスタルを壊した瞬間に沼も水晶もモンスターの死骸や飛び散った体液まで、残らず全てが消え去ったのだから、俺の考えがあながち間違っているとは思えなかった。

 

 唯一の例外というか不安要素としては俺とドリーの事だろうか。

 俺の肌とドリーの色は未だ褐色と黒に染まっている。今の考えが正しいのなら俺達に紛れたコレも消えていないと可笑しいだろう。ただ、俺とドリーに関しては正直意味不明な事が多すぎて、一々基準にして考えてもしょうがないと、半分諦めている。

 

 他にも、シャイドの持っていたクリスタルを壊した時にアイツが消えなかったなどがある。ただ、あれはまた別物ではないかと俺は考えていた。

 大きさも違うし、別に周りの光景が変わるような事もなかった。きっと力の弱い携帯用のクリスタルみたいな物なんじゃないだろうか。

 そう考えると、あれとは別にシャイド用のクリスタルが何処かにあるのかもしれない。肉沼と水晶平原にあったものと同じような物が。


 と、そこまで考え「これ以上考えても所詮は憶測の域でしかないな」と自重することに。

 不安要素もあって確実性は確かに無いが、少なくとも、現時点では蟲毒のクリスタルを壊せば、六割から八割方リーンは助かるのではないかと踏んでいる。


 それだけ可能性があれば行く価値はあるよな。

 

 鉛のように重くなっていた足は既に軽くなり、節々を走る鈍い痛みはたぎる心で押しのけてしまっている。俺はゆっくりと腰を上げ、肩で心配そうに俺を見ながら揺れているドリーに向かって明るく声を掛けた。


「さてドリー君。そろそろリーンを助けに行く準備をしないとなっ」

『にょほっ!? 既に元気になっているっ。恐るべし……さすが私の相棒ですっ。例えて言うならまるで雑草の如きしぶとさと言えましょうっ』

「え、それ褒めてる?」

『勿論ですっ』

「そ、そうか」

 

 いつも通りに会話を交わし、俺は避難所に向けて行きとは違い、軽い足取りで戻っていった。


 ◆◆◆◆◆



 メイどんが急に外へと出て行ってしまい『オラ』は一人避難所で手伝いを続けていた。

 流石に女性の世話をするわけにもいかないので、リーンどんの事は人族のお婆さんや、手伝いをしてくれている娘さん達に任せ、毛布を運んだり、寝込んでいる人達を抱えて移動させたりと、自分に出来る事をやっていた。


 正直、昨日から働き続けだった為、身体は疲れて果てている。でも、動いていなければ、動き続けていなければ落ち込んでしまい何もできなくなってしまいそうでどうしても止まることが出来なかった。


 やっと手に入れたオラを認めてくれる『仲間』そんな大事な人達が苦しんでいるのをただ見ているのはとても辛い事だ。

 絶対に治らず死んでしまうと言われたリーンどん。その姿を悲痛な表情で見ていたメイどん。


 オラは本当に何もできないだで。少しは強くなったつもりでいたけども、結局はリーンどんを守りきる事も出来ないし、落ち込んでいるメイどんに掛ける言葉だって思いつかない……ラングどん、おらぁ、どうしていいかわかんねーだでっ。 


 思わず肩を落とし、地面を見つめて動きが止まる。ボロボロと涙が溢れでて、抱えた毛布を濡らしてしまう。

 

 暫くの間動くことも出来ずにその場で止まっている。と、不意に背中をポンポンと叩かれた。振り返ってみると、そこには外へと出ていってしまっていた筈のメイどんの姿。しかも先程のように悲嘆にくれたような表情ではなくなり、飄々とした笑みを口元に湛えている。

 おらと一緒に、置いていかれた樹々どんも、その姿を見つけ跳ねるように近づいてきて、何時もの定位置に収まった。


「何だよドランそんな顔して、グシャグシャになってるぞ。仕方ねーな。ドリーちょっとこれ持って」


 オラが戸惑い混乱している間にも、メイどんは荷物の中から布片を一枚取り出し、肩にいたドリーどんに渡した。そして、ドリーどんの腕を右手に持つと。


「やれドリーっ!」

『にゅおおおおおっ』

 

 ワシワシワシワシワシワシワシっ。

 全力でおらの顔を拭い始めた。


「わっぷ。ちょ、ちょっと待ってくんろ。拭いてくれるのは嬉しいんだけんども、思いの外激しいだでっ、ひいっ、痛い。ちょっと痛いだよっ」

『ふぅ。相棒任務完了ですっ』

「いい仕事だドリー」


 ようやく開放され、改めて二人を見ても、やはりいつも通り。

 一体何がどうなってるんだよ……おらには全くわからないんだけども。


「さて、ドラン。ちょっと頼みたいことがあるんだけど良いか?」


 メイどんは、先ほどまでふざけていたくせに、急に顔を真剣な表情へと変え、おもむろにそう言ってきた「おらに出来ることなら」そう反射的に返答すると、メイどん満足気に頷いて。


「ちょっと『蟲毒の坩堝』を走破してくるからリーンを頼む」


 サラリと、とんでもない事を言い出した。


 返事も出来ずに呆然と固まり、口を開けたままにしているオラに向かって、メイどんは丁寧に説明を始めてくれる。

 獄級から生まれたモンスターは内部にあるクリスタルがなくなれば消滅してしまう。それは今までに走破した二つの獄級を見ても間違いないはずだ、と。

 そう考えると獄級から生まれた呪毒蜂もあのクリスタルがなくなれば消えてしまうわけで、その一部である毒もろとも消えてしまうに違いない。

 そんな話を聞くにつれ、胸の内にドンドンと希望が湧いてくる。メイどんが言うのだから信じよう。リーンどんを助けることが出来るのかもしれない。

 いつの間にか落ち込んでいた気持ちは吹き飛んでしまっていた「急がないと」そんな焦りの気持ちから、オラは慌てて蟲毒へと向かう準備を始めようとした。だが、そんなおらをメイどんは腕を掴んで止めてきた。


「メイどん、離してくんろ。ほら急いで準備しねーとっ」

「待ってくれドラン。俺は『ついてきてくれ』とは頼んでないっ『リーンを頼む』って言ったんだッ」


 その言葉を聞いた瞬間、オラの頭の中は真っ白になり――どうにか理解した頃に胸の内から怒りや悲しみやら自分でも訳の分からない感情がこみ上げてきた。


「何でそんな事言うんだでッ。おらが臆病だからか、おらが弱いからか? 

 幾らメイどんでも許せねーだよっ。オラだってメイどんやリーンどんの事を仲間だと思っているのに、何で……何でそんな事をッ」


 止まらない怒りが口から溢れ、それを次々とぶつけていった。メイどんは目を瞑り暫く黙ってオラの言葉を聞き続けていたが、やがて力強い瞳を真っ直ぐにこちらに向けてきた。

 思わず視線があった瞬間、気圧されるようにして口を閉じてしまう。


「ドラン、取り敢えず落ち着いてくれ。そして俺の話を聞いて欲しい。

 もし最後まで聞いて、それでも納得がいかないようならドランの好きにしてくれ」


 何を言われても絶対に付いて行く。そう心に決めてはいたが、余りにも真剣な表情で言ってくるので渋々メイどんの話を聞く事に。


「なあドラン。今このリドルの街はどんな状況だ?

 見て分かる通り、襲撃によって家は壊されているし、人の心だって荒んでいる。お世辞でも、良い雰囲気とは言えないよな。それに、下手したら食料だって足りなくなるかもしれない。

 

 つまり。簡単に言うと、俺が怖いのは二次災害と呼ばれるものなんだ。

 俺も詳しいって訳じゃないけど、こういう状況が続くと人の心は簡単に荒れてしまうし、犯罪行為に手を出す輩だっているらしい。

 実際街にいる走破達の数は減っている訳だし、街の警邏をしている人達だって死んだ人は多いだろ? 更に言えばシルクリークから流れてきた亜人達もいる。

 

 今は良いんだ。街を守りきったっていう達成感や、大事な人を亡くしてしまった喪失感が大きいうちは。でも、時間が経ったら人為的問題が何か起こるかもしれない。その時に俺達が二人共蟲毒に行っていたら残されたリーンはどうなる? 

 一生懸命蟲毒を走破して、やっと帰って来たら何か問題が起こってて、リーンに被害がいっていたらどうする……」


 そこまで言い切りメイどんは一つ息を付いた。メイどんの言うことも判る。実際にモンスターに襲われた村や街が、その後で色々な問題が起きたって事も聞いたことがある。でもまだ納得がいかなかった。どうしても納得したくはなかった。

 どうにか頭を捻り、何か言い返す言葉を探す。


「えっとだけども『それは警邏の人たちが少なかったら』が前提の話だと思うだよ。ほらこんな騒動になったんだから、シルクリークから兵隊さんが派遣されてくるに違いないだで。それなら問題ないと思うだよ」


 おらの言葉を聞いて、メイどんは、顔を少し俯かせ、申し訳なさそうな表情を顔に浮かべた。


「……残念だけどドラン。そっちの方が俺としてはもっとヤバイ。今のシルクリークは亜人差別の流れが出来てきているってドランだって聞いただろ。

 それなりに大きなこの街で、流れこんできた亜人達がいて、そこにシルクリークからきた兵隊が流れこんで来たら……それこそ間違いなく問題が起こる」


 もっともだ。こんなことにも気がつけないなんて、自分でも気が付かない内に余程焦っていたらしい。

 思わず返す言葉が見つからず、グウと喉が鳴る。


「ドラン、俺はお前だから任せたいと思ったんだ。ドランの強さと、今まで見てきた人柄を信頼してるからこそ頼んでるんだよ。

 お願いだから……俺が戻ってくるまでリーンを守ってくれないか?」


 オラを見つめるメイどんの瞳は、とても力強いもので、その凄まじいまでの覚悟と決意がこちらにまで伝わってきた。もうオラが何を言っても無駄だと分かってしまった。


 ずりぃだよ、メイどん。そんな言い方して、オラだから任せるなんて本気で言ってきて……そんな言い方されたらオラには断れねーよ。

 

 目尻に溜まる涙を零さぬように、口から溢れる嗚咽を漏らさぬように、オラは静かに、静かに頷いた。


「まだ俺は準備があるし、出かけてくるよ。樹々の事も宜しく頼むよドラン」


 そういって頭に乗せた樹々どんを、掴んで渡して来ようとするが、ギラリと樹々どんの目が光り、その指に齧り付いた。


「ちょ、いてーよッ。何だよ止めろってっ。離せって。痛いマジで痛いッ。本当ごめんなさい離して下さい」


 メイどんの指から食いついて離れない樹々どんを見て、肩にいたドリーどんが楽しそうに揺れていた。


『相棒、ついて行きたいみたいですよ。多分良いと言うまで離さないと思いますっ』

「はあ? そんな馬鹿な事がある筈ないだろドリーっ」

『じゃあ試しに連れて行くといってみたらどうでしょう?』

「……連れて行く」

〈ギャー〉


 ぺっ、とメイどんの指を満足気に離した樹々どんは、ふんぞり返るようにまた頭の上で寝そべり始める。メイどんはそれを見て「そんな馬鹿な」と言わんばかりの表情に変えた。


「……連れてかない」

〈ギャース〉

「――ッツ!? マジかよちくしょうッ。連れてく絶対連れていきますッ」


 性懲りもなく手の平を返したメイどんだったが、今度は頭部に直接噛み付かれ、一瞬で連れて行くと意見を変える。

 そんな樹々どんを見て「連れて行って貰えて羨ましいと」少しだけ感じてしまった。


 可笑しな事もあるもんだよ。獄級なんてあぶねー所、オラ絶対行きたくないのに。それでもやっぱり羨ましいと思ってしまうだで。

 でも……オラにはオラのやらないといけない事があるんだ。頑張ろう、メイどんが帰ってくる場所を守るために。


「ドラン、俺ちょっと用事あるから行かないとっ」


 焦ったように、荷物を掴んで出ていくメイどん。オラはそれを思わず止めていた。


「待ってくんろ、オラもなにか手伝うだでっ」


 暫く考え込んだメイどんだったが、やがて「分かった」と頷いてくれる。

 オラは忙しなく出ていくメイどんの後を追い、暗い街へと駆け出していった。


 ◆◆◆◆◆


 酒場の中で『アタシ』は父さんと姉さんの二人と共に食事を取りながら、周囲の光景を眺めていた。

 どんよりとした重い雰囲気。中には今回の襲撃を防いだことへの祝杯を上げている連中もいるが、それを含めても明るい雰囲気だとは言えそうにない。


 「辛気くさいわね」そんな呟きを思わず零してしまう位にはアタシの機嫌も悪かった。

 

 せっかく借りを押し付けてクロウエに復讐してやろうと思ったのに、あんな空気の中じゃそんなこと言い出せる訳ないじゃない。


 クロウエの仲間は未だに倒れ込んでいて、起きる見込みは無いらしい。何故か同じ状況だった筈のクロウエが二日間寝込んだだけで意識を取り戻していたりもしたが……。

 

 起きて早々「仲間が助からない」と話を聞いたアイツの顔はそれはもう酷いものだった。

 顔色を蒼白に変え、泣きそうな表情を張り付けて、嘆くように仲間を見つめていた。


 さすがにアタシも、そんな空気の中で「さあ、借りを返しなさい」なんて言える筈が無い。

 仕方なく諦めて、父さん達と食事に来たのはいいのだが、あの雰囲気にあてられたのか、アタシの気分まで落ちていた。

 父さんも姉さんも同じ心境なのか、何も話す気が起きないようで黙々と食事を続けている。


 ――ガタンッ!!

 突然、背後から勢い良く開く扉の音が鳴り、その後斡旋所の方へと走っていく足音が聞こえた。

 少し気になり顔を向けると、斡旋所の受付には、何故かクロウエと、付き添うように側にいるドランの姿。

 どうも斡旋所の受付と言い争いをしているようだ。


 一体何をやっているのアイツらは。いつも訳の分からない事ばっかりして、遂に可笑しくなったのかしら?


 暫く様子を見ていると、クロウエが荷物を漁りだし、受付に向かってなにやら一枚の紙切れを差し出し始める。

 さすがにこの距離からじゃ文字を読めるはずもないが、端っこの方に何やら光る印が押されている事だけ確認できた。どうやら何かの書状の様なものらしい。


「何をやっとるのかのぉ、あの二人は。クロ坊だってまだ寝とったほうが良いだろうに」


 父さんは心配そうに二人の姿をじっと見つめている。


「アタシは知らないわよ。アイツって訳わかんないから、訳わかんない事してるんでしょ」

「お姉ちゃんとしては、リッツちゃんの言ってることも大分訳が分からないわー」


 のほほんとした口調で指摘してくる姉さんの言葉を一先ず無視して、視線をクロウエへと戻す。が、既にカウンター前には居ない。

 視線を彷徨わせて辺りを探してみると、何故か酒ダルを持ち上げ酒場の中央へと移動してくるドランと「ちょっとスイマセンねー」と言って周りの机などを退かしはじめたクロウエ。

 

 ドランが担いでいた樽を、ドン、という音と共に床に置き、クロウエが、その上に昇り始める。

 

 ――本当に訳がわからない。


 徐々に周囲の人々が奇行をおこなっているクロウエへと視線を集めた頃。


「すいませーん少しの間だけ時間をくださいッ!」


 そういってクロウエが大声を上げながら手をたたき始めた。

 肩に乗ったドリーちゃん、横に立っているドランまでもが、人差し指をビシリ、と上げ周りの注意を引きつける。

 ザワザワと酒場の中が騒がしくなり、ほぼ全ての人たちの視線がクロウエへと集まっていった。

 ある程度注意を引けた事に満足したのか、クロウエは手を叩くのを止め、準備運動でもするかのように大きく息を吸い込み。


「俺は、蟲毒の坩堝――つまりは獄級走破の依頼を受けたッ!」


 咆哮にも似た大声を上げた。声の大きさよりも、そのあまりの内容に、酒場内の空気がピシリと音を立てて凍る。

 よりにもよってなんて馬鹿な事を。そんな思いが脳裏に過る。

 大量の犠牲者が出て、ようやく守りきったばかりなのに、蟲毒の坩堝を走破する? 一体何をどう考えたらそんな馬鹿な事を言い出せるのだろうか。

 仲間をやられた復讐か、それとも遂に頭が可笑しくなったのか。

 未だ戦闘の余韻が抜けきれず、ピリピリとしているこの状況でそんな事を言い出せば殴られたって可笑しくはない。そんな事すら考えられなくなったのだろうか。


 実際凍った空気は徐々にだが溶け始め、辺りには殺気にも似た何かが漂い始めている。


 これは逃げたほうが良いかもしれないわね……。


 そう判断して椅子から少し腰を浮かす。だが、それを押しとどめるかのように、見慣れた赤い杖がアタシの肩に当てられた。

 杖の持ち主――自らの父へと視線を向けるが、もう少し座っていろと言わんばかりに顎をシャクってくる。

 納得はいかなかったが、何をいっても父さんは聞きそうにない。自分自身、多少事の成り行きが気になっていた部分もあったので、仕方なく言われるがまま腰を下ろした。


 尻尾、耳、全身の体毛が思わず逆立つ程の殺気が渦巻き始めている。今にもはじけてしまうんじゃないかと心配したが、その前にクロウエが動きを見せる。


「こんな状況で何を馬鹿な。そう思う人もそりゃ沢山居ると思います。実際俺だって仲間を呪毒蜂に刺されてしまっているのだから」


 やはり復讐でもしたいのか? そう思ったがどうにもクロウエの雰囲気がやけに落ち着いていて、そんな様にも思えなかった。


「まあ難しい御託をいくら並べた所で、意味が無い気もしますし、結論から言います。

 呪毒蜂の毒で倒れた仲間を救いたいッ。その為には獄級を走破する必要があるッ!」


 一瞬だけ周囲が静まり返ったが、すぐに罵声と怒号が飛び交い始める。


《ざけんな糞餓鬼ッ。何を根拠に適当抜かしてやがるッ。こっちだって仲間を刺されてんだぞッ。いい加減な事ばっかり抜かしやがって絶対許さねえ!!》


 そんな叫びと共に一人の走破者が手元にあった酒瓶を投げつけた。

 瓶が空を飛びクロウエに当たる、と思われたが、その直前で横にいたドランが腕を振るって粉微塵に瓶を叩き壊してしまう。


「オラの大事な仲間を傷つけるなんて絶対に許さないだよ。やれるもんならやってみるだで、オラの巨体で全部受けきって見せるだよッ」


 元の性格を多少知っているアタシからすればあれはきっと虚勢に違いない、とわかるが。そんな事を知らない周りの走破者達はドランの巨体とドラゴニアンという種族に狼狽えてしまったようだ。


 辺りの走破者達の様子を伺っていた私は再度クロウエへと視線を戻した。

 樽の上にクロウエ、肩にドリーちゃん、頭の上には妙なトカゲ、その右隣にドラン、そして左隣にお父さん……。


 ちょっと、父さん何してんのよッ!?

 

「クロ坊、なんか良い事でも思いついたのかの? 儂も興味があるし、話を続けてくれんか。なにか飛んできても切り落としてやるから心配せんでいいぞ」


 本当何やってるのよ……父さん。

 

 反射的に頭を抱え、蹲りそうになる。襲撃の時もそうだし、なぜこうも渦中に飛び込んでいくのか。

 

 クロウエは父さんに軽く会釈を返した後、また性懲りもなく話しを続けた。


「別になんの根拠も無いわけじゃない。詳しく話をするから少し黙って聞いてくれ」


 その顔は妙に自信に溢れたものだった。


 ◆


 長々と話し始めたクロウエの説明は突拍子も無いもので、獄級の奥にはクリスタルがあるだの、それを壊したらモンスターも全部消えるだの、信じられないようなことばかりだった。当然の如く、全ての話しが終わった今でも、信じる者は誰一人としていないだろう。

 

 私自身そう感じているし、周りの人達もそう思っているようで「結局なんの根拠もないだろッ」とか「夢ばっか見てんじゃねーぞ餓鬼がッ」と罵声が飛び始めている。

 だがそんな状況でもクロウエは特に動揺する素振りを見せなかった。


「まあ、いきなりこんな話をされてもそりゃ信じられないだろう。でも、クリスタルがあったのは事実だ――ねえ受付のお姉さん」


 クロウエが声を掛けた方を向くと、何故か斡旋所の受付をしている女性が苦笑いしながら立っている。

 一瞬で大量の視線が女性へと集まり、視線を受けた女性はやはり居心地が悪いのか非常に嫌そうな顔をしていた。


「……じ、事実です。少なくともグランウッドにある肉沼が走破された時は、そこにいるメイ・クロウエ様の言われた通り、赤黒いクリスタルが有り、更にはそれを破壊した事によって獄級はモンスターもろとも完全に消滅した、との報告が上がっています。

 水晶平原に関しては……その調査中です。はい」

 

 はあっ!?

 予想外の返答に驚きを隠せず、つい腰を浮かせ身を乗りだしてしまう。

 だが、別に驚いたのは私だけじゃないようで、先ほどまで騒がしかった筈の酒場が、女性の発したその一言で一刀両断に切り落とされ、音一つ立てずに静まり返ってしまっている。


 暫くはその空気の中で誰も動くことすら出来なくなっていた。が、突然先ほど瓶を投げつけていた男が、フラフラとクロウエに近づいていった。


《おい……餓鬼、本当なのか。本当に俺の仲間が助かる可能性があるのか?》


 震えた声で、願うようにそんな声を上げた男。それを暫く黙って見つめているクロウエ。


「間違いなく、と言いたい所ですが。可能性が高いとしか言えないです。ただ……此処で酒に溺れて悲嘆に暮れてるよりはマシだッ!」


 クロウエの吠えるような言葉を受け、男はワナワナと震えて膝をついた。それを切っ掛けに堰を切ったかのように質問が飛び交い始める。


《シルクリークからの増援を待ってからのほうが確実なんじゃないか?》

「駄目だ、そんな時間は無いッ」

《絶対じゃないんだろ? 走破して駄目だったらどうするんだよ》

「だったらそこで諦めていればいいだろッ、俺は一人でも行くッ」

《獄級だぞ……走破出来るわけがないじゃないかっ》


 最後の言葉で再度空気が沈み込む。

 そうだ、簡単に走破出来るわけがない。アタシ達だって散々苦労して無理だったんだ。そんな簡単なものじゃない。

 沈み込む様な空気の中、クロウエは何かを迷うように考え始めた。だが、やがて何かを決めたように顔を上げ。


「やらなきゃ可能性は無いだろ。それに、俺は獄級を走破した経験が……ある。疑うならまたそこにいるオネーさんに聞いてくれれば良い」


 口角を吊り上げニヤリと笑い、そんな事を言い出した。反射的に酒場中の視線が集まり「またですかー」とでも言いたげな表情で受付の女性困惑していた。気のせいか目尻に涙が溜まっているようにも見える。


「じ、事実ですぅ。まだクロウエ様は四級となっていますが、もし依頼を成功して生きて帰ってくれば正式に獄級走破者となります……尚、肉沼へと入った経験がある証拠ですが、グランウッドからの王印つきの書状までついてきてますです……はい」


 ――瞬間。空気が震えるように戦慄わなないた。

 歓喜の雄叫びを上げるもの、泣き出すようにその場に崩れる者。尋常じゃない熱気と咆哮の渦に、アタシの身体までいつの間にか震えてしまっていた。


「じゃあ、出発は明日の昼十二時頃に。移動は斡旋所から無事な馬車を何台か回してもらえるようになっている。

 俺は準備もあるしもう行くけど、明日は本気で付いてきたい奴だけ来てくれッ」


 じゃっ、と二人と一本は同時に手を上げ、さっさと酒場から出て行ってしまった。

 一人残った父さんはニコニコと嬉しそうな表情を携え、アタシ達の元へと帰ってくる。


「いやー本当クロ坊を見てると面白いのぅ」

「……何で父さんまであそこに行ったのよ。もう少し考えて動いてよね」


 何もなかったから良いものを、場合によってはあの樽に集まっていた者たち全員が、此処に居る被害者からの怒りを買ってしまう恐れだってあったのに。


「まあ、何も無かったんじゃし良いじゃろ」

「良くないわよッ」


 ギリギリと歯を鳴らし、父の襟元を掴んでグイグイと揺する。


「リッツちゃんもう許してあげましょうよー。あ、所で父さん。私たちはどうするのかしらー?」

「いやいや、シルよ、そういうのは愚問というものじゃよ」

「あら、ごめんなさいねー」


 父さんも姉さんも既に行く気満々のようだった。


 まあどうせ、アタシ達は単独でも蟲毒に入る予定だったわけだし、何人来るかは知らないけれど、楽になったと思うしか無いわね。

 正直、数が多いようだと邪魔にしかならないけど、明日になってみればそれなりに減ってるでしょ。こんな熱気がいつまでも続くわけもないし、寸前で怖くなる奴なんて一杯いるんだから。それに――。


《はッ。態々獄級に入ろうだなんてご苦労なこった、精々無駄死にしないこったな》


 中にはあんな奴も居るんだ。

 余りのやかましさにウンザリしながら視線を向けると、船でも騒いで問題を起こしていた片腕の走破者だった。

 

 ギャーギャーと喧しい奴ね。頭に魔弾でも撃ちこんでやろうかしら。


 思わず本気でそんな事を考え始めるが、アタシがやる前にその走破者に向かって馬鹿みたいに厚い木の板が飛び、あっさりと直撃。一瞬で沈黙させてしまった。

 背後には腕を組んだ酒場の女将さん。どうやらあの木の板はオバちゃんが投げた物のようだ。


「喧しいんだよアンタはッ。文句しか出ないんだったら、そこで黙って寝ておきな!」


 オバちゃんの物凄い剣幕に、何故か怒られてもないアタシまで震え上がる。

 

 あのオバちゃん怖すぎるわ。


 一息付いて、手元にあった飲み物をグイと乾いた喉へと流し込んだ。

 今日は早く寝とかないと――明日は忙しくなるのだから。


 ◆◆◆◆◆


 南門の前で、馬車に寄りかかりながら俺は出発の時間を待つ。

 

 現在ここに居るのは俺とドリー頭上に居座る樹々、それに空を舞う蝶子さん。

 ドランは昨日の夜に見送りには来ないと言っていたので、此処には居ない。ただ「メイどんは絶対に帰ってくるんだから。オラはオラの出来ることをするだよ、任せてくんろっ」と。とても心強い言葉を貰っていたので気にはならなかった。

 今頃は力仕事や、食料調達など忙しく動いているのだろう。

 正直、かなりの高確率で街中で問題が起こる、とは思っているが、ドランがついてくれているなら俺も安心できるというものだ。

 

 既に、出発の準備は整えた。

 武器と防具の手入れも済んだし、命結晶もかなりの数を売り払い、財布を空にして今まで使ったことのある魔法紙も揃えた。

 新しい魔法を、とも思ったが使ったことのある魔法の方がやはり信頼感がある。それに新魔法だって前に買ってまだ使ってない奴がある筈だ。


 やれることはやった。それでもどうしても不安はある。今だって、ただ待っているだけなのに、緊張で胸が締めつけられるようだ。

 深呼吸を一つして、頭によぎる悪い想像をこれ以上広がらせないように、俺は顔を俯かせ、目を閉じた。

 

 暫くの間だんまりと目を瞑っている、と。


『おお、メイちゃんさん。見てください』


 ドリーが嬉しそうに声を掛けてきた。俺はその言葉に従い顔を上げる。

 視界の中には喚きながらこちらに向かってくるリッツ。その後ろをマイペースに歩いてくるシルさん。リッツに喚かれている張本人の岩爺さんが映っていた。 


「父さん飲むなって言ったのにまたあれから飲んだでしょッ」

「まてリッツ。めでたい門出に酒は付き物じゃろがっ」

「獄級に行くんだから止めなさいって言ってんでしょうがっ」

「あら、でもリッツちゃん。今日中に着くわけじゃないからいいじゃないー」

「そういう問題じゃなーーーいっ」


 来てくれたのか。

 リッツたちの姿を見た瞬間。自分ではどうしようもないほど、深い安堵の溜め息が溢れでた。

 

 大体、昨日の酒場だって本当にヒヤヒヤものだった。深く聞かれれば自分では答えられない事だっていっぱいあったし、獄級走破の証とか偉そうなこと言ったけど、肉沼とか俺ついて行っただけだし。


 いや本当、瓶投げられたときはどうしようかと……。


 正直ドランが格好よくたたき落としてくれていなかったら。あれを切っ掛けに不満が溢れ、俺が袋叩きにあっても可笑しくない程に空気が悪くなっていた気がする。

 後でその事についてドランに礼は言ったのだが……ドランはそれを聞いて「自分でも叩き落とせるとは思っていなかっただよ」と震えていた。

 本当に、本当に危なかったです。

 

 今考えても「よく上手くいったな」と自分でも驚かざる負えない「きっと何事にも勢いって大事なんだな」とそんな下らないことを考え一人頷いた。


「ちょっとクロウエッ! ばかクロウエッ、あほクロウエー」


 すっかりリッツ達の存在を忘れ、昨日の綱渡りを思い返していたが、耳元で喚かれ我に返った。


「何だよリッツっ。耳元で喚くなって」

「もう時間でしょーが。そんな事も守れないとか馬鹿なの? 馬鹿ね」 


 小馬鹿にしたように鼻を鳴らすリッツに若干イラっときたが、言われても仕方ない事だったので、言い返すことはしなかった。

 そして、ふと周りを見ると、いつの間にか三十名程の走破者が集まっている。

 

 まさかこんなに集まってくれるなんて。


 勿論、酒場で話を聞いてくれていた人間の数から考えると三十人と言う数は圧倒的に少なかった。だが、俺としては五人くらい来てくれれば良いなーとか思っていた程度だったので、さすがに驚いてしまった。


 俺を見つめる走破者達は、それぞれに顔に緊張や決意を貼り付けている。きっと色々な思いがあって、覚悟があってこの人達もここに来たのだろう。

 俺は心のなかで感謝の言葉を送り「じゃあ、出発します」と声を掛けて、馬車へと乗り込んでいった。 


 やってやる。肉沼だって水晶平原だって、これより少ない人数で切り抜けたんだ……絶対に、絶対に助けるからなリーン!





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ