6−9
ドランと呼ばれる走破者を下から引き上げ、その連れを避難所内部の建物へと連れていった『アタシ』は、防壁上へと戻るべく石で作られた階段を駆け上がる。
徐々に大きくなってくる怒声や掛け声。モンスターからの不意打ちを警戒しつつ、開け放たれたままとなっているドアから出た。
どうやら防壁の上は先程と特に変化はないようで、多数の走破者達がモンスターの侵入を防ぐべく慌ただしく動き回っている様子。
アタシは一先ず父と姉と合流しようと、辺りを見渡し姿を探し始めた……が、何故か二人の姿が見つからない。
まさか怪我なんてしてないでしょうね……父さんとお姉ちゃんなら滅多なことにはならないだろうけど。
二人を信頼しているものの、どうしたって嫌な想像が頭に過る「妙な事を考えるな」と、頭を振ってその想像を追い出してみるが、やはり心配なものは心配だ。アタシは沸き上がる不安についイライラとしてしまい、空を飛び交う呪毒蜂へと八つ当たり混じりの銃口を向けた。
――バシュ、バシュ、バシュッ。
聞きなれた銃声と共に、上空にいた三匹の蜂が魔弾で羽根を撃ち抜かれ、錐揉みする様に地に落ちていく。それを確認したアタシは、思わずモンスターに向かって「ざまぁみなさい」と鼻を鳴らした。
この呪毒蜂とは相性が良く、遠距離が得意なアタシにとって然程脅威となる相手ではない……その数が少なければの話ではあるが。
愛銃を手の中で半回転させ、肩に担ぐように持ち直す。
ジム・オリコニアスが制作したこの魔銃。命結晶を使うことで魔力の消費を抑える事が出来るので、自身の持っている魔力量以上に弾数の余裕はある。だが、命結晶にもアタシ自身の魔力にも限りがあるのは当然で、数える気すら起きないほど群れ集っているこの虫達を、全て撃ち尽くすことなんて不可能だ。
蟲毒に入る前にこのモンスター達と戦えたことはある意味で行幸と言えるかもしれない。勿論街に襲撃が来ない方が良いに決まっているのだが、起こってしまった事実は変えられない。多少は利益になったとでも考えなければ、やり切れないものがある。
溜め息を一つ零し、二人の捜索を再開していく。苛立はモンスターにぶつけた事で多少は軽減されたようだった。
暫くモンスターを撃ち落としながら防壁の上を歩きまわっていると、ようやく見慣れた黒い毛並みを見つけることが出来た。どうやら姉は防衛の手薄な部分へと加勢に出ていたらしく、愛用の杖を上空へとかざしながら影の針弾をばら撒くように飛ばし、空を飛び交う蜂の雲に風穴を開けている。
周りにいる走破者達は「良いぞーやっちまえッ」や「近づくモンスターは前衛が抑えますので、そのまま上空をお願いしますッ」等と声を掛けつつ姉を援護してくれている様子。
相変わらずと言うべきか、姉は呑気にも一々掛けられた声に「頑張りますねー」とか「あらあら、じゃあお願いしますー」と返事を返していた。
お姉ちゃんはもう少し緊張感ってものを持てないのかしら。大体一々返事を返さなくていいのよッ。
こんな状況でも変わらない姉の姿に少しだけ安堵を覚えつつも、アタシは魔法を撃ち続ける姉の元へと走りより声を掛けた。
「お姉ちゃん、無事だったみたいで良かったわ……あ、所で父さん見なかった? 探してるんだけど全然見つからないのよっ」
「あら、リッツちゃんも元気だったかしら? 父さんならいるじゃないー。ほら、あそこに」
姉の指差す方角は何故か避難所の外へと向かって伸びている。嫌な予感を感じながら視線を向けると、蟲達の群れに向かって疾走していく父の姿が目に写った。
「父さんってば、一体何をしてるのよッ!?」
余りの驚きに全身の毛が逆立つ様に動き、怒声に近い声を上げてしまう。
「えっと、確か『ちょっとそこまでクロ坊を助けに行って来る』って言ってたわねー」
ちょっと遊びに言ってくる、と言わんばかりに軽い父の言葉を聞き、怒りやら戸惑いやら、色々な感情が頭の中を巡る。
何で態々そんな危険な事をするのよ。放っておけば良いじゃない。
本当に訳がわからない。人助けをするしないは別に父の好きにやれば良いとは思うが、もう少し状況を考えて欲しいものだ。あれだけの数の蟲がひしめく中へ態々自分から向かっていくなど、正気の沙汰とは思えない。しかも助ける相手があの腹ただしいクロウエとかいう人族だ。
最近酒場で顔を合わせることが増え、父さんともそれなりに仲良くしているようだが、アタシとして腹ただしいことこの上ない奴だ。わざとなのか何も考えていないのかは知らないけど、毎回こちらをオチョクルような事しかしてこない。
この間も愁傷な態度で「何だか……怒らせちゃったみたいだね。悪気はなかったんだ」と言いながらクルミを差し出してきたものだから、仕方なく許してあげたのに……本当に酷い目に合った。
ついあの想像を絶する辛さを思い出してしまい、身体が小刻みに震え、少しだけ目尻に涙が溜まる。
思わず沸々(ふつふつ)と底の方から怒りがこみ上げてきた。もともと人族自体、余り好きになれないのに……加えてあの性格だ、腹がたって仕方ない。
使い魔のドリーちゃんはあんなに可愛らしいのに……。
正直、最初は不気味だとは思っていたのだが、声が聞こえるようになってからガラリと印象が変わった。妙に人懐っこい性格とあの可笑しな動きを見ている内に「あれ、この子って結構可愛くない?」とか思ってしまっていたのだ。
アタシの肩にも乗ってくれないかなー、等と余計な事を考え始め、段々と思考が脱線し始めた頃。突如歓声のような声が上がる。
《おおおッ、なんだあの爺さんすげーな》
《どうなってるのあれ、髪の毛に武器でも付けてるのかしら? でもロックラッカーに髪の毛とかってないわよね……》
《良いぞー。いい加減あの若いのを連れ戻してやってくれっ》
走破者達が見ているのは、先程姉が差した方角と同じ。会話の流れからしてもクロウエの救出に向かった父の話だろうと予想出来た。何が起きているのかと顔を動かし状況を確認した瞬間――アタシは気の抜けた声を漏らしてしまう。
「何アレ、いや……本当、なにアレ」
迫り来る蟲をものともせずに叩き落としていく父――いや、父の頭上に付いているドリーちゃん。踊るように腕をしならせ、水のエントを掛けたナイフを凄まじい速度で振り回している。その技量は凄まじいもので、飛び交う蜂の薄羽根のみ、父の進路の邪魔になるモンスターのみを正確に選びとって切り伏せていた。
確かに一見すれば蟲達を切り伏せ勇猛果敢に突き進んでいくロックラッカーの走破者。そう見えなくもないが、あの頭上に乗っているのがドリーちゃんだと知っているアタシにとっては「なにアレ」という言葉しか出てこなかった。
もう少し……もう少しで良いからドリーちゃんが、マトモな場所で戦ってくれたらアタシもこんな複雑な思いをしないで済んだのに。
身内の頭の上で、黒い腕がビュンビュンと動いている所を見たら、きっと誰だって溜め息ぐらい出てくるだろう。さっきまで心配していたアタシの気持ちを返して欲しい。別に危険な現状は全く変わっていないのだが、そう思わずにはいられなかった。
《お前らッ、俺達より一回りも若けぇ奴と、よぼくれた爺さんが気合入れてんだッ。くだらねぇ声援なんぞ掛けてねーで、さっさと動きやがれぇッ!
あの若いのがモンスターを引きつけてっからこっちが楽できてるんだろうがッ。開いた手ぇ動かして、何時でも戻ってこられるように糞蟲共を減らして帰り道を作れやッッ》
毛髪をつるつるに剃り上げた人族の男性が、周りの走破者を叱咤しながら鼓舞し始める。外壁の時にも自然と指揮を取っていたし、恐らくこの街の警備隊長でもやっているのだろう。
ハゲ男の掛け声によって周囲の温度が急激に上がった気がした。雄叫びを上げ、先ほどよりもヤル気を出し始めた走破者達。シルクリークから流れて来ただろう亜人達までもがその空気に影響され士気が上がっている。雄叫びと怒号が響きながら武器は唸り、魔法が放たれモンスター達に牙をむく。
男の言葉が切欠ではあるが、間違いなくこの熱気の根源は、蟲達の中心で暴れまわっているクロウエのせいだろう。
襲撃を受け次々と人が死んでいく中、一人で蟲に突撃をかまし敵の注意を引き受ける。そんな事をやらかしている馬鹿がいたらそりゃ士気も上がるというものだ。実際、避難所へと向かってくる蟲の数は明らかに先ほどよりも減っていて、最初の頃よりは楽になっている。
なんとなくアタシは父さんの向かっている先、クロウエへと視線を向けた。
クロウエの姿は至極簡単に見つかった。蟲の溢れる防壁の外、クロウエの周囲だけが油で弾かれた水の如く円状に切り開かれているからだ。
一時は傷を負い動きが鈍くなっていたみたいだが、援護の魔法と回復魔法が掛かってからは前以上に荒々しく暴れているようだった。
正直、本当に人族なのか疑わしくなるほどの身体能力。まあ、実際あれと同じ事をやれと言われて出来る走破者はそれなりにいるとは思う。だが、クロウエと変わらない程度の年齢で、と条件をつけたらかなり少なそうだ。間違いなくその中の八割はドラゴニアンだとは思うが。
というか、仮にいたとしてもあんな馬鹿な真似をやらかそうとするやつ自体居ない気がする。
それにしても、少し予想外というか、まさかあんな荒々しい戦い方をする奴だとは思わなかった。普段のフザケタ性格から考えてみても、もう少し冷静な戦い方をするものだと勝手に想像していた。あれじゃ技術も何もあったもんじゃないし、命が幾つあっても足りはしない。
「まあ、アタシには関係無い話よね。いい加減父さんの援護も始めないと」
父を援護する、ということは同時にクロウエも援護するということで、多少納得いかない部分もある。だがよくよく考えれば、あの馬鹿クロウエに借りを押し付ける絶好の機会だと気がついた。
流石のアイツでも命の恩人なんてデカイ借りを作ってしまえば、態度を改めるでしょうね。後はそれを盾にしてこの間の怨みを晴らしてやるだけよ……延々と謝罪させ続けようか、クルミを山ほど持ってこさせようか。
なんにせよアタシにとって悪い事にはなるまい。思わずクロウエがヘコヘコと頭を下げている場面を想像してしまい、無意識のうちに笑みが浮かぶ。
アタシは、周囲の援護が入る場所――魔法使いの多い地点へと移動して、身体を軽く解した後、銃床を肩に添え父の周りを飛び交う蜂達に向かって鼻歌交じりに引き金を絞っていった。
◆◆◆◆◆
身体が重い、腕が千切れそうだ。足がへし折れそうだ。血が足りないせいか脳の回転すら止まっているようだ。
もうそろそろ良いんじゃないか、ドリーもリーンもドランも樹々だって皆上手く壁の中へ逃げ込めたんじゃないか。
何度そう考えたか分からない。でも、溢れかえる蟲達のせいで視界は悪いし、下手に視線を外せばその隙を逃さず襲いかかってくるから確認すら取れやしない。
もしかしたらまだ避難出来ていないかも、もう少しモンスターを引きつけないと脱出できないかもしれない。そう考えると止まることも諦める事も出来なくなっていた。
守れなかった――倒れていくリーンの姿が瞼に焼き付き、手に触れた血潮の暖かさは今も消えず残っている気がする。
せめて、せめて安全な場所に逃げ込ませて治療を受けさせないと、只々そんな思いだけを胸に止まること無く武器を振り回す。
飛び掛ってくる蜂を拳で砕き、武器を薙ぎ払った勢いのままに回し蹴りを放つ。
何処かの誰かに似ている動き。瞼に焼き付く仲間の動き。感謝しなければならないだろう再会の約束を交わしたカルガンの漢に。
今まで何度も間近で見てきたラングの体術。見ただけで簡単に真似できるわけがない。でも、別れの早朝に行った餞別という名の訓練によって穴ぼこだらけの動きが少しだけ埋まっていた。
これを見越して訓練などと言い出したのだろうか。いや、あのラングがそこまで考えて動く筈も無いか。そんな失礼極まりない事を考えながら、裏拳をモンスターに打ち込んだ。
一体何匹倒したのか分からない。というよりも一部の記憶がポッカリと抜けていた。
どれだけ頭に血が昇っていたんだ俺は……。
自嘲気味に呟き溜め息を吐く。今の今まで、蟲達を止めるかのように飛び回っている蝶子さんの姿に気がつかなかったのだから、どれだけ周りが見えていなかったのかがよくわかる。
本当、良くこんな状態で今まで生きてたな。
まともに意識が戻った時には何故か傷が塞がっていたし、身体が軽く、力が漲っていた。恐らく今も防壁の上から援護射撃を撃ってくれている走破者達が回復魔法と強化魔法でも掛けてくれたに違いない。ただ、回復魔法も強化魔法も万能ではないようで、失った血は戻ってこないし、体力だって完全に戻っていなかった。
貫かれた腕は今も引き攣るような痛みを感じるし、身体の節々がギシギシと悲鳴を上げている。
しかし、あの蜂の毒って大したものじゃないのか? そこまで身体に異常は無いみたいだけど……。
軽い風邪を引いたみたいに少し頭はボーっとするが、リーンのように倒れてしまう程ではなかった。
リーンは連戦で疲れていたみたいだし、そのせいで倒れたのか? もしそうだとしたら、傷さえ塞げば命に別状はないのではないか。少しの安堵と同時にリーンに頼り切りになってしまっていた自分の不甲斐なさを悔やむ。
俺は俺のやれることをやらないと、息も荒く体力は尽きているが、諦めてたまるものかと気合を入れる。
切って切って、殴って潰して。
終わること無く続くモンスターの猛攻に徐々に身体が辛くなる。
時折回復魔法や強化の魔法が飛んできているし、炎や雷の魔法が俺の周囲にいるモンスター達に降り注ぎ、その数を減らしてくれている。だが、擦り減らされた精神と、削り取られた体力は既に限界に近づいていた。
呼吸のしすぎで肺は破裂してしまいそうで、乱打される心臓は今にも止まってしまいそうだ。意識だって朦朧としてきている。その証拠に聞こえるはずのない相棒の声まで聞こえてきているだから。
『せっかく相棒の元へと向かっているのに……それを邪魔をする悪い虫さん達はっ、私と水色丸によって枯れ葉のように散るのですっ。さあ構わず突き進んで下さいっ、岩のお爺さん。
枯れ葉のように舞い、枯れ枝の如く刺すのですっ』
「ドリー嬢ちゃん。それどう聞いても儂が老いぼれって言われてるようにしか聞こえんのじゃが……枯れ葉みたいに散るの? 儂って枯れ枝なの」
妙にはっきりとそんな声が聞こえてきて、流石に可笑しいと思い顔を向ける。
目に入ってきたのはこちらに向かって疾走してくる岩爺とその頭上で動きまわる黒い腕。
……えっと、幻覚だ。完全に幻覚だわ。そうじゃなければ間違いなくチョンマゲに似た何かだ。いや凄いです。最近のチョンマゲは戦闘もこなせるみたいで。
余りの光景に思わず現実逃避に似た考えを抱く。見なかった事にしようと思い顔を背けようとしたが、
「さてドリー嬢ちゃん。ここは任せてさっさと大事な相棒とやらの所に……行って来るんじゃなっ」
岩爺が頭に生えたドリーを掴み、こちらに向かって猛烈な勢いで投げ飛ばしてきた。
『これぞ、真・引っ付き虫作戦っ。
わーーーーーー』
一直線に飛んできたドリーは、空中で人差し指と中指を器用に動かし、ナイフの刃を当たらないようにクルリ手の甲へと向ける。
そして、それ意外の指をバッと広げ、小指と親指で抱きつくように俺の顔面へと張り付いた。こめかみに親指と小指が力強く食い込んでくる。
きっとドリーにとって再会の抱擁のつもりなのだろう……ただ、非常に、非常に残念な事に、俺にとっては完全にアイアンクローだった。
『相棒っ……相棒っ! 無事で良かった、間に合って良かったっ。相棒のお陰でリーンちゃんも避難所に逃げられましたっ。さすが私の相棒ですっ』
「ちょ、前が見えないドリー。危ないって、まだモンスターがいるんだから危ないってっ」
嬉しそうにキャッキャと言って俺の顔面に張り付くドリーをどうにか引き剥がし、いつもの定位置に戻す。不意打ちを受けては堪らないと警戒するが、こちらに向かって来るはずのモンスターはいなかった。不思議に思い辺りを見渡すと心なしかモンスターの死骸が増えているように感じる。
「全く節操のない蟲共じゃ……せっかくの喜ばしい再会だというに、邪魔をするのはちと無粋すぎやしやせんか?」
声の聞こえた方向を見ると、赤銅色の杖を手に持った岩爺さんが、俺を庇うように立ち、蟲の群れ相手に説教じみた言葉を吐いていた。
蟲が来なかったのは岩爺さんのおかげか? でもあんな杖一本で何をしたんだ……。
小柄な体格と行き過ぎた年齢。手に持つ武器は杖のみ。どこからどうみても襲いかかる蟲の群れを食いとめられるようには見えない。
俺がそんな事を考え、呆然と岩爺さんを眺めている間にも、モンスターは岩爺さんを食い破ろうと襲いかかっていく。
反射的に「危ないッ」と声をかけた。が、岩爺さんは動じる素振りも見せず杖の先端付近を逆手と順手に握り微動だにしない。
――ィィィィイン。
風鈴でも鳴らしたかのような、透き通った金属音が鳴る。空気が凍ったかの如く静かになり、ポツリと呟いた岩爺さんの声がはっきりと俺の耳に届いてきた。
「元気が良いのは結構じゃ。ただな、お主らもう死んどるぞい」
ズルリ、と生々しい音と共に空中に居る蜂が、地を這う蛆が斜めにズレる。噴き出すように体液が四散し、一瞬の内に周囲の蟲は屍となった。
何が起こったのかと岩爺さんを見る。すると、先ほどとは違い手元には二本の杖が握られているのが見えた……いや、杖に仕込まれた赤銅色の刃と、杖の形をした鞘だった。
おいおい、まさかの仕込み杖かよ。
一瞬で鞘から引きぬかれ蟲を両断したあの技は、まるで居合。岩爺さんの練り上げられた妙技に思わず肌が粟立ち、尊敬の目を向けてしまう。
そんな俺の様子を見てか、肩にいたドリーが群がり始めた蟲を切り裂き、手首を傾げて俺を見つめてきた。対抗心でも燃やしているのだろうか。
「お、おう。格好良いぞ。ドリー」
取り敢えずなんて言えばいいのか分からず、詰まりながら褒めてみる。が、どうにも納得出来なかったのか、ドリーは更に勢い良くナイフを振り回し。
『っふっふっふ……小癪な虫さん達めっ。ですが、既に貴方達の樹齢は終わっていますよ』
何だか良く分からない決め台詞を決めて、再度チラリと俺を見た。
「凄いッ。いやー本当、ドリーが一番格好良いなっ。頼りになりすぎて困ったもんだっ」
『ひゃっほーいっ。そうでしょう? もっと頼りにしてくださいっ。
だから……だからっ。もう私を置いていくのはやめて下さいね相棒っ』
嬉しそうで、でもどこか悲しそうなドリーの言葉を聞いて、俺はドリーが妙な行動をした真意を理解した。また置いて行かれるのは嫌だ。私だって役に立つ。突き刺さるかのようなドリーの思いが胸に響き、俺の馬鹿さ加減を浮き彫りにする。
俺は、ドリーに「もう置いて行かない」「頼りにしてる」と返事を返し、優しく腕を撫でた。
そして、嬉しそうに返事を返してくるドリーを見て「いっぱい心配をかけてしまった」と一人心で呟いた。
必死になる事は間違って無い。単騎で突撃した事だって後悔なんてしない。でも、冷静さを失い馬鹿みたいに暴れるなんてどう考えても、俺らしくなかった。少しでも強くなろうと思うなら、仲間を守ろうと思うなら、考える事を止めてはいけない。
きっとドリーの言葉は懇願でもあり俺を叱り付ける言葉でもあったのだろう。
「ほれほれ、クロ坊。いい加減さっさと逃げるぞい。余計なヤツまで来おったようだしのぅ」
岩爺の言葉に顔を上げると、街から巨大な柱の様にも見える土煙が次々と上がり、地を揺らす振動と共にこちらに向かってきているのが見えた。
来るな来るな、とは願っていたが。どうやら無駄だったようだ。盛大に街を壊していた百手の姿を思い出し、眉根を寄せて顔をしかめてしまう。岩爺さんの言葉の通りさっさと逃げたいと思う気持ちもあったが、その前に確認しておかないといけない事があった。
「岩爺さん。避難所の防壁って外の壁と同じ? それとも違います?」
「ふむ……見た限り少し厚みは薄いように感じたが、それがどうかしたのかクロ坊」
「そうですか、なら残念ながら逃げるわけにはいかなくなったみたいです。っというわけで、俺はここであの百手を食い止めます」
返答に「ひょっ」という間の抜けた返事を返す岩爺さんに、俺はモンスターを捌きながらではあるが、簡単に説明をいれた。
現在こちらに向かってくる百手にはどうやら魔法が効かないらしい。つまり幾ら近寄らせないように防壁の上から頑張ろうが無駄だということだ。せめて外壁程の厚さと頑強さがあればどうにかなるかもしれないが、話を聞く限り避難所側の壁は外壁と比べると薄いようだし、近寄られれば壁を崩されてしまうかもしれない。
あの中にはドランも、動けないリーンも居る。それに、あの硬そうな甲殻だって俺の武器ならきっと貫ける筈だ。
絶対に通すものか、これ以上仲間を傷つけさせて堪るものか。
焦る気持ちを踏みつけて、恐怖を無理矢理握りつぶす。
――ギイイイイイイイアアアアアア嗚呼嗚呼ッツ。
街を破壊しながら現れた百手。トグロを巻きながら鎌首を持ち上げるその姿はどこか蛇の様にも見えた。
ただ居るだけで恐怖を撒き散らしているような巨体と見た目。それを堂々とうねらせ百手はこちらへ近づいてくる。
俺は、その巨体と見上げるように対峙し、ゆっくりとドリーと共に武器を差し向け。
「上等だッ、掛かってきやがれッ」『そうだそうだ、来やがれぇぃ』
虚勢まみれの啖呵を吐き出した。
「全く……若いもんは、本当元気が良い。年寄りは驚かされるばかりじゃよ」
隣で呆れたように溜め息を吐く岩爺さんに苦笑いを見せ、鎌首を持ち上げ俺を見下ろす百手に向かって走りだす。
◆
振り回される巨大な尾が周囲を薙ぎ払いっていく内に、いつの間にか周囲は更地のように広がってしまっていた。
何度となくコチラを押し潰そうと、振り回されるムカデの尾を飛び回りながら避け続け、時折吐き出してくる紫色の毒液をどうにか交わしながら百手の胴体へと攻撃を加えていく。
先程から数回試していたが、百手の背負う甲殻にはドリーのナイフでは歯がたたない。
腕や腹は多少柔らかいようで、何度か斬りつけることには成功した。ただ、いかんせん身体が大きすぎて致命傷を与えられた気がしない。
唯一の救いとも言うべき俺の武器なら、硬い甲殻ごと切り裂ける……が。
「畜生ッ、何なんだよこの体液。危なすぎるだろッ」
『ぬほお、なんかデロデロしてて気持ち悪いですねっ』
上手く攻撃を避け、安全な背面から甲殻を切り裂いた俺に、傷口から溢れでた紫色の毒液が降り注ぐ。どうにか飛び込むようにソレから逃れたが、安全な背面からは離れてしまう。
先ほどからこれの繰り返しだ。いくら上手く近づけても、傷口から毒液がこぼれてくるので、危なすぎて連続で斬りつける事が出来ない。
切っては離れ、切っては離れ。それを延々と繰り返しているのでこちらとしても未だ致命傷は受けていない。しかし、斬りつけても突き刺しても一向に衰えること無い百手を見ていると「本当に死ぬのかコイツ」などと疑心暗鬼に陥ってくる。
畜生、本当にしぶといッ。そんな所までムカデに似なくてもいいだろうが。
確か頭を潰せば……とかどっかで聞いたことがあるけど、あそこまで高い位置に頭があったら攻撃するなんて厳しすぎるだろッ。
柔らかい腹を庇う事すらしないで百手は頭を持ち上げ続けていた。やはり頭部を攻撃されるのを嫌っているらしい。防壁の上から援護の魔法が飛んできてはいるが、それを見た百手は迷うこと無く甲殻で受けきり全てを霧散させていた。
向こうの行動は至ってシンプル。虫らしい溢れんばかりの生命力を盾に、致命傷だけを避け持久戦を持ち込んできている、といった所だろうか。頭が良いのか本能に従った結果なのかは知らないが、向こうは多少の傷はお構いなし、こちらはマトモに食らったらアウトなんて、卑怯過ぎる。
だーもうッ。どうしろっていうんだこんな奴。
幸いにも、というかこの百手は俺の事をえらく気に入ったらしく、避難所に向かう気はサラサラ無いらしい。まあ、こんなのに気に入られても全然嬉しくないが。
「クロ坊っ。横から蜂が来よるぞッ。避けんか」
俺に付き合い百手の相手をしていた岩爺さんが、鋭く声を上げる。その声に反応し視線を巡らすと、俺の左側から二匹の呪毒蜂が鋭い針を光らせながら迫ってきていた。ドリーには死角となる左側、眼前には右から薙ぎ払われてくる百手の尻尾。上空に避けても間違いなく呪毒蜂に捕まってしまう。
百手の攻撃を食らうか蜂の攻撃を食らうかの、嫌な二択を迫られる。ただ、百手の攻撃を食らったらその時点で即死だ。迷うこと無く俺は上空へと飛び上がり、蜂からの攻撃に身構えた。
――バキッィ。
だが俺に届いたのは蜂の針ではなく、貝でも砕いたかのような破砕音。
俺に迫ってきていた筈の蜂の頭部は、どこから飛んできたのか、白い魔弾に撃ち抜かれはじけ飛んでしまったようだ。
チラリと防壁の方へと視線をやると、見覚えのある白い毛並。よくよく見れば岩爺さんの周りを飛んでいる蜂や蛆達が次々と撃ち抜かれている。どうやら岩爺さんの援護ついでに俺を助けてくれたようだ。
少し意外な気もするけど、助かった。リッツの奴には感謝しないと。
心の中でリッツに賛辞の言葉を送りながら、同じミスを繰り返さないように、百手の攻撃を慎重に躱していく。
身体から汗が出なくなるほど百手と死闘を繰り返しているが、百手は衰える様子すらなかった。
俺は体力が尽きかけ息を切らしているし、未だ無傷で済んでいる岩爺さんも、疲れからかその動きがかなり鈍っているようだ。
二人共リッツからの援護がなければいつ攻撃を受けても可笑しくなかった。
「クロ坊……儂もうダメ、疲れた。ああ、美味しい酒が飲みたいのぅ。なあ、ちょっと持ってきてくれんか」
「アホかっ、出来るわけないだろっ。
でも、本当にキツイなら避難所の方に逃げて良いですよ。別に岩爺さんが付き合う必要はないですし」
「そうか……クロ坊は若いもんを心配する年寄りの優しさなんぞ、イランと言うか……ああ、優しさの欠片もないのぉ、最近の若いもんはー」
「喧しいっ。人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。大体自分が『もうダメだ』とか言い出した癖にっ」
「ん? 儂は、そんなこと言うとらん。最近記憶がどうにもあやふやじゃなー。これも歳のせいかもしれんのぅ」
た、たちが悪いぞこの老いぼれ。
ただ、実際岩爺さんの体力も限界に近い。このまま手立て無く戦い続けても確実にこちらが押し負けてしまう。何か……何か手を考えないと。
頭をどうにか潰す。いやいや、その「どうにか」が重要で、それができないから困ってるんだ。落ち着けよ俺。冷静に冷静にだ。
やはり避難所へと逃げるか? いや、どう考えても駄目だ。戦ってみて改めて分かったけど、コイツはやっぱり強い。幾ら水堀と防壁があっても止めること等出来ないだろう。
『にゅうう、いい加減お腹が減って来ました……お水を飲みたいですっ』
さすがに疲れてきたのか、肩にいるドリーがポツリとそんな言葉を零した。
水……水堀。頭に何かが引っかかる。ムカデに関する何かで、恐らく水が関係する事だ。
ムカデ、水、グルグルと頭の中でその言葉が周り、やがてある一つの思い出が浮かび上がってきた。
やれる。イケるかもしれない。
自然と口角が釣り上がり、百手を見ながら笑みを浮かべていた。
『相棒。なんか悪そうな顔になってますよっ』
「放っとけっ。つか、ドリーに頼みがあるんだけど良い?」
『お任せくださいっ』
元気に手を上げ返事を返すドリーに、俺は頼みごとを伝えていった。
一連の流れをドリーに伝え終わり、後は実行に移すのみ。俺はドリーの小指と親指に以前から使っていた黒い布を結びつけた。ドリーはその布を丸めて手に握りこみ、準備完了とばかりに手を突き出す。
『完璧です。私は何時でも良いですよっ』
「おうっ。じゃあ行くぞッ」
ドリーを右腕で掴み助走を付けながら振りかぶり。はち切れんばかりの力を載せて全力で避難所に向かって投げ飛ばした。
『ふひょおおおおおおおおおお』
キラリと光る星のごとく。ドリーが空を飛んでいく。いい仕事したぜ、と言わんばかりに汗を拭う仕草をしていると、不意に岩爺さんと目が合った。
「な、何をしとるんじゃクロ坊」
「いや、ちょっと伝言を」
そう言って相変わらず元気に暴れまわる百手を目指して駆け出した。
◆◆◆◆◆
防壁の上で休むこと無く援護射撃を続けているが、いい加減アタシの魔力も、命結晶すら底をついてしまいそうだった。
早く逃げてきなさいよッ、なんで何時までもあんな所で戦ってるのかしら。
魔力が尽きていく事に焦りを感じ、イライラとモンスターと戦い続ける父とクロウエに愚痴を零す。引き戻しに行こうにも、自分の特技は射撃だ。あそこまで蟲を躱して向かう自信など無いし、誰かに彼処に向かってくれとは頼めない。
どうしよう、どうしよう。焦燥感が頭を巡る。このまま放っておいたら父さんが死んでしまうかもしれない。そう考えると心が痛み、嫌な想像から涙がこぼれそうになる。
『私は〜タンポポー。風を捕まえ相棒の指示を届けに空を飛ぶ〜』
突然頭上から聞き覚えのある声で、調子っぱずれの妙な歌が聞こえてくる。ハッと顔を向け空へと視線を向ける、と。
ヒラヒラと布で空気を捕まえて、空からドリーちゃんが舞い降りてきている。
『ぬおお、白フサさんではないですかっ。すいませんが私を受け止めて貰えないでしょうかー』
どうやらドリーちゃんもこちらに気がついたようで、アタシに声を掛けてきた。その言葉に何も考えずに手を伸ばし、舞い降りるドリーちゃんを両手で受け止めた。
『ありがとうございますっ【アイビー・ロープ】を入れ替えてしまっていたので、これしか手がありませんでした。
しかし、さすが相棒。降りていく時に多少私が操作しましたが、見事ここまで着くことが出来ましたっ。
所で白フサさん。トカゲさんか、指揮を取っている人を知りませんか? 相棒からのお願いがあるのですが』
未だ戸惑うアタシを気にすることも無く、ドリーちゃんが元気よく話しかけてくる。お願いとやらはよく分からないが、一先ず連れていってみる事にした。
◆
《おらッ、お前らさっさと動けッ。おい、そこの長髪、エント掛けてからって言ってるだろうがッ。
お、ドラゴニアンの兄ちゃんはそのままガンガン運んできてくれ。
土魔法の使い手はまだ準備出来ねーのか! 火と雷の方はとっくに終わってるぞッ》
《へーい》
「わかっただよ。メイどんの為にも、おら頑張るだで」
《後少し待ってくれっ》
忙しなく怒号が飛びかい走破者達が動く。ハゲの男が陣頭指揮を取り、それに従い準備を進めている。取り敢えずやることも無いので、その光景を眺めているが、本当にこんな事で上手くいくのだろうか。
火のエントを掛けた金属をひたすら水堀に投げ込む魔法使い。あり得ない怪力で鉄の柱を抱え、水堀に突き立てていくドラン。
突き立てられた鉄柱には次々と火炎球が撃ち込まれていき、熱で真っ赤に光らせている。
次第に水堀から湯気が上がり、辺りに熱気が立ち込め始める。少し興味が湧き、水堀へと顔を覗かせてみると、水堀はグラグラと煮だった鍋の様になっていた。
『トカゲさん、後は合図を上げて、最後の仕上げです』
「わかっただよ。上手くいくと良いんだけども」
『大丈夫です。私の相棒の考えなんですからっ』
どこからその自信が来るのか、ドリーちゃんは迷うこと無く言い切った。
不意に周囲の雰囲気が変わる。視線を巡らせ辺りを見ると、どうやら準備が整ったようだとわかった。
《よし、合図を上げろおおおおおッ》
『パステル・ライト』
ハゲ男の掛け声と共に、数人の魔法使いが空へと向かって色とりどりに光る球体を撃ち放っていった。
◆◆◆◆◆
「クロ坊、来おったぞい合図じゃっ」
「やっとか、マジでキツかった何度死ぬかと思った事かこんちくしょう」
空に飛んでいく合図の魔法に思わず愚痴のような言葉を飛ばす。準備が整うまでの間、援護は少なくなって蜂や蛆が群がってくるし、相変わらず百手は元気いっぱいだし。本当にキツすぎて死ぬかと思った。
「散々苦しめられたお礼を返してやるッ、このあほムカデっ。さあ覚悟するんだな。そして倒されてしまうが良いっ。
フハハハハッ!!」
「なあクロ坊や。儂はそういう言葉は全力で逃げながら言うもんじゃないと思うんじゃよ」
「何言います岩爺さん。三十六計逃げるに如かず。逃走こそが勝利への架け橋ッ、大体人に背負われてる人が偉そうに言うもんじゃないでしょっ」
「老人愛護の精神じゃよ。ほれほれ走れらんか、もう直ぐ後ろまで来とるぞっ」
背中に背負った岩爺の言葉に恐る恐る振り返ってみれば、怒涛の勢いで俺達を追いかけてくる百手を始め蜂と蛆の姿。蛆はまだマシだが蜂と百手の足が早すぎて、全力で逃げてもドンドン距離を詰められてしまう。
背負われている岩爺さんが近寄る蜂を撃ち落とし現状を教えてくれているが、本当にギリギリらしい。
「うおおおお、やばい」
残りカスしか無い体力を駆け続ける足へと注ぎこみ、背後から迫る虫達から全速力で逃亡していく。
徐々に詰まる蟲との距離、ガチガチと打ち鳴らされる大顎の音すら聞こえてくる。
――あと少し、もう少し。
何度も感じた蟲への恐怖が心奥でまたくすぶり始めたが、それをどうにか根性と気合で押し返す。
――こんな所でビビったら間違いなく足をもつらせ転んじまう。後ちょっと頑張れ俺、気合を入れろッ。
歯を食いしばり、足を動かし、息を吸うことすらままならず、ただ走り、駆け抜けた。
不意に咆哮が聞こえた。いや、咆哮では無い。防壁の上に居る魔法使い達の魂を込めたような魔名の叫び声だ。
その瞬間、俺は全力を込めて飛び上がる。
『アース・メイク』『グランド・ホール』『ロック・ウォール』
何十人もの魔法使いが一斉に魔法を放つ。まるで天変地異でも起こったかの如く。地面に穴があき、岩の壁が出来上がり、その全てが形を変えていき、一つの巨大な落とし穴を作り上げた。しかもただの落とし穴では無く、煮だった熱湯が満載されている水堀とつながった大穴だ。
洪水のように水掘から穴に向かって熱湯が流れ込み、穴の中でもがく百手に襲いかかっていく。
――――――ギィッッ!!
悲鳴なのか絶叫なのか、空気を切り裂くような音にならない雄叫びを上げて百手が穴から逃れようと、穴の縁に這いずり出した。
だが、それも予測通り。
岩爺を避難所近くに下ろした俺は、踵を返して穴の縁へと駆けだし、這いでてこようとしている百手の上空へと武器をかかげて飛び上がる。
その俺の行動を見て、背後から数名の魔法使いが予め決めておいた魔法を撃ち出した。
『ボルト・ライン』
紫電のラインが空に描かれ、俺の武器へと向かって放たれる。落雷に似た音が響き渡り、全ての雷が俺の武器へと直撃し、その全てを吸収しつくした。
ビリビリと空気を揺らし、かつて無いほどに振動し始めた武器を全力で、そして怨みを込めて百手の頭に投げつける。
――ドスッ、と泥濘に杭でも突き立てたかのような鈍い音が聞こえ、俺の投げた武器は百手の頭部を容易く貫き、縫いつけた。
――――ィィィッ!
声にならない絶叫を上げて、百手の身体が静かに緩やかに動きを止めていく。死骸の上では蝶子さんがヒラリヒラリと羽ばたいている。その姿はどこか見送っているようにも見えた。
昔婆ちゃんがムカデが出た時熱湯かけてやっつけてたんだよな。うまくいって良かった……本当に良かった。
百手を倒したことへの安堵からか……溜まりに溜まった疲労が一気に噴出し、身体から力が抜けていく。
抗う事も出来ずに意識が落ちていく中、どこからかドランの声が聞こえた気がした。
背負って逃げてくれるのかな。意識があれば楽しかっただろうに。間違いなくドランの背中は馬鹿みたいに広いのだから。
◆◆◆◆◆
多分夢を見ていた。誰かが『起きてっ起きてっ』と俺の身体を叩き続ける夢を。力が強いわけじゃなかったが、戦闘で傷んだ身体に響き半端じゃなく痛い。思わずキレ気味に叫んだ瞬間、意識が覚醒していった。
「いてーよちくしょうッ!」
怒声を上げて目が覚めると、何故か俺の目の前にはドリー、ドラン、岩爺さん達。後見たこともない婆さんが一人いた。それぞれが何故か目を見開き、死人でも見るかのような顔で俺を見ている。
辺りを見渡すと、俺の知らない広い部屋。そこには大量の怪我人であろう人達が寝かされていた。
視線を戻してみてもやはり皆が皆、驚愕の表情を顕にして固まっている。
「な、何でしょうか」
よく分からないこの状況に若干の戸惑いを感じながら俺は間の抜けた声を掛けてしまう。
『あいぼおおおおおおっ』
「メイどおおおおおんっ」
「ちょ、痛いし、何なの馬鹿なの? おれ怪我人だよ。マジでやめて本当痛いですッ」
何故か空を飛び突っ込んできたドリーと馬鹿みたいに太いドランの両腕で揺さぶられ、身体に激痛が走る。俺が訳もわかないまま揺さぶられ続け、少し涙目になってしまったころ。白いローブを羽織った婆さんがズイ、と出てきて静止の声を上げた。
「いい加減お止めッ。せっかく蟲毒のモンスター達から街を守りきったてのに、こんな所で死人を出すきかいッ」
妙な婆さんの怒声で、ようやくドリーとドランが静まった。痛みから解放された俺は、思わず見ず知らずの婆さんに精一杯感謝の言葉を贈っていた。
しかし「守りきった」って言葉からすると、もう蟲達は街から居なくなったのか。本当に良かった。
まあ、あの百手さえ居なければ、避難所の防壁でどうにかなるしな……ただ、そうなるとドンダケ寝てたんだよ俺。一日か? 二日だろうか。道理で腹が空いてる筈だ。
キュルル、と鳴る腹を思わず抑え、安堵の溜め息を吐く。
そんな俺に向かって先ほどドリーとドランを一喝した婆さんがツカツカと近寄ってくる。そして、何を考えているのか、俺の頭を鷲掴み、ジロジロと目や口を覗き込み出した。
暫くのあいだ訳も分からずじっとしていると、婆さんは満足したのか掴んでいた頭を離し、俺を見ながらポツリと一言呟いた。
「なんで坊主は動けるんだい。呪毒蜂に刺されたんじゃないのかい?」
その言葉に何も考えず「いや、そりゃ刺されましたけど」と返事を返す。
「だから、何で刺された坊主が目を覚ましてるのかって言ってるんだいっ。
いいかい? 呪毒蜂の毒ってのはね【確死】の毒なんだよ。一度刺されれば二度と意識が戻ることはないし、解けない呪いの様に治すことすらできはしない。
刺されたら最後、激痛と高熱にうなされ続け、二週間程度で死んじまう……そういう毒なんだよ」
吐き捨てるように言い切った婆さんの言葉を俺は全く理解できず――いや、理解する事を拒否して、挙動不審に辺りを見渡していく。
俺の右隣、少し離れた場所に見慣れた仲間の姿を見つけた……未だ起きる様子も無く、苦痛の余り声漏らすリーンの姿を。
リーンだけではない。部屋全体からうめき声のような苦痛に苛まれている声が上がっている。
俺には、その苦痛のうめき声が、呪いをかけるために唱える呪詛のように聞こえ始めていた。