2−5
今さらながら、どれだけ自分の感覚が麻痺していたかよくわかる。
「知らなかった……川やばい、川、最高」
川の水で手を洗い、その後顔に水を掛ける。川に顔を突っ込みガブガブ水を飲み干す。一口飲み干す度に、全身に力が漲り、生き返っていく。
「さっきの飯もそうだけど、体の隅々まで染み渡るって言うのは、きっとこう言う感覚なんだろうな」
飯を食い水を飲み、そんな当たり前の事をしただけで、俺の体は息を吹き返し、正常な感覚を取り戻していく。
「あー生き返るー、鼻もだんだん戻ってきた気がする……っ臭、俺めっちゃ臭い」
鼻の感覚が戻り始めたとたん、自分から凄まじい臭いがする事に気づいてしまう。よく今までこの臭いを平気でいたな俺は。どうなってんだ。しかしこれならリーンの言葉も頷ける。
「そりゃこんだけ臭ければ、リーンも洗えと言うだろうよ」
さっさと体を洗うため服を脱ごうとすると。どこからか見られてる気配がしている。周りを見回してもドリーしかいないのだが……ドリー?
「ちょっとドリーさん、俺今から体を洗うから向こうに行っててくんない?」
それを聞いたドリーは、手のひらを手刀のような形にすると、手首を曲げてまるで人間が目隠ししているような形を取っている。
時折、指の間を開き、チラッチラッとやっている。俺が睨みつけていると「どうかお構い無くー」とでも言うかの如く手をヒラヒラさせる。
――本当に芸が細かい奴である。
「お前、目なんて無いだろうがぁ、どこぞのエロオヤジじゃあるまいし、さっさと向こうに行きやがれ」
ドリーの腕の部分を掴み、向こうに連れていこうとすると。彼女はそこらに生えている木の根を握り締め、掴まれた腕をイヤイヤっと振り、驚異的な抵抗を見せる。こいつ、どれだけ必死だよ。
「ぐぬぬぬ、はーなせー」
力いっぱい引っ張るが、ドリーのほうが力が強いので、いくらやっても剥がれない。
「だぁーーもう、好きにしろっ」
どうせ力づくで挑んでも、俺の瞬殺が確定されているので、さっさっと気持ちを切り替え諦めることにする。
俺が服を脱いでいると、ドリーは拳を握り腕を振り、イイゾー脱げ脱げーと囃し立てる。――なんてムカつく奴だ。自分の命の恩人に失礼な事を考えながら服を脱ぎ終えジャバジャバと川の水で体を洗う。
どんどん落ちていく汚いヘドロは、川に流されていく。見てるだけですっきりしてくるなこれは。――ん? だが体を洗っていると自分の体に違和感を感じる。
確かめてみると、肌の色が明らかに褐色になっている。最初はヘドロの汚れが取れてないだけか、とも思ったが明らかに変わってしまっている。試しに髪の毛も一本抜いてみるが、見事に真っ黒に染まっている。どう考えても沼に浸かりまくっていたせいなのであろう。
今のところ肌と髪の色が変わってしまっているだけで、他には特に異常もない、悩んでいても解決するわけじゃないので、とりあえず気にしない事にしよう。多分平気だよな? 今までなんともなかったし。
いざ、背中を洗おうとするが、手が届かない。どうにか洗おうと四苦八苦していると、ドリーが手招きしているので行ってみる。
どうやら洗ってくれるらしく、手が届くように座り直し背中を洗ってもらった。おー中々上手いもんだな。バシャバシャ、と水を掛け洗い流す。
――やっと体も洗い終わり、水滴を拭って、服を着る。渡してもらった服を見てみると騎士鎧の下に着る服なのだろう、上は黒の薄い布の服、下は茶色のズボンで太もも辺りが少し膨らんでいて、ふくらはぎ辺りから逆に細くなっている。おそらく脚甲などを付けやすくする為なのであろう。
俺の着ていた服と、履いていた運動靴はもう形容しがたい惨状になっていた。これは酷い、もう捨てるしかないよな。少し勿体無い気もしてくるけど。――まあ、仕方ないな、裸足のままでいることにするか。後でブーツなどないか聞いてみる事にしよう。
ヘドロだらけのゴミと化した俺の衣服は、そこら辺の木の棒を使って運ぶことにした。……せっかく綺麗になったのに、また触りたくはない。
ドリーに、「行くぞー」と、声をかけると、どうやら彼女は川の水を吸っていたのか、川に伸ばしていた根を戻し、俺の肩によじ登っていつもの如く根を出し貼りついた。
◆◆◆◆◆
騎士団が建てたキャンプ地に戻ると、サイフォスと呼ばれていた青年が俺を見つけて近寄ってくる。
「こんにちわ、『王宮騎士団』三番隊隊長の『サイフォス・クライム』と申します。ブラムさんがあなたを呼んでいるようなので少しお時間よろしいでしょうか?」
馬鹿丁寧に話しかけてくる金髪の青年、なかなかのイケメンだ。特に異論はないので了承する。
「わかりました。俺は『メイ・クロウエ』メイでいいです」
どうやら家名が後にくる事がリーンやブラムの名前で分かっていたので、名前をひっくり返して名乗る。サイフォスは俺が記憶喪失になっていると信じているので、俺が名乗り返した事に不思議そうな顔をしていた。
俺は遠くの空を見上げながら「皆様の暖かさのお陰か、名前と年齢だけは、なんとか思い出せたんですが……他のことは」などと、いけしゃーしゃーと嘘を吐く。
ドリーは俺の嘘など最初から信じていないので、俺の演技のあまりの気持ち悪さに羞恥を感じたのか、手をワキワキさせ、グネグネと悶えている。なんて失礼な奴だろう。
サイフォスは「そうか……」と言いながら、目を逸らす。なんていい人なんだっ。
もし俺がピノ◯オだったら、今頃、鼻は山をも超えて伸びているんじゃないだろうか。
「ブラムさんの所に向かう事はいいのですが、その前にクライムさん、ブーツなど余ってたら借りても構いませんか? この有様なもので」
俺は棒に引っ掛けて持ってきた服を見せる。サイフォスは苦笑しつつその辺の騎士にブーツを持ってこさせると代わりに俺の服を渡す。
「サイフォスで構いませんよ。――――メイさん、さすがに衣服はもうだめでしょう、燃やしてしまっても構いませんか?」
ブーツを履きながら、了承する。いくら洗ってもあの臭いは取れまい。サイフォスは先程の騎士に燃やすよう指示し、ブラムの天幕へ案内してくれる。
「あの時は、申し訳ありませんでした。勘違いのまま殺してしまうところでした」
サイフォスは心底申し訳なさそうな顔をして、こちらに頭を下げてくる。
「いや構いませんよ、あれじゃどう見たってモンスターでしたし。サイフォスさんの魔法のお陰で、頑固な汚れも吹き飛んだので、洗うのが楽でしたよ」
それを聞いたサイフォスは「ならば、沼を攻略した後は、騎士団全員に撃ち込まないといけませんね」と笑っている。
サイフォスと談笑しながら歩いていると、少し大きめの天幕に着き、サイフォスと別れ、中に入る。中ではリーンとブラムが中央付近で座って待っていた。
「おっメイか中々男前になったじゃねーか、――リーンから名前は聞いてる。少しでも思い出せたようでなによりだ」
たぶんリーンも、うっかり名前を口走ってしまい、適当に誤魔化したのだろう。やはり、リーンには嘘だとバレていたようだが、気にせず、先ほどサイフォスに言った事を繰り返す。
ドリーは相変わらずで、リーンまでもが、ブラムに見えないように腕を抓って、笑いを堪えているのか頬がピクピク動いている。こいつら……後で覚えていやがれ。
「俺の名前はもう知ってるだろうし自己紹介はいらねーだろう、とりあえずこっち来て座るといい」
俺に向かって、自分の左側――リーンとの間をトントン、と指先で叩くと座って待っている。促されるまま座ると、横に座っていたリーンから声を掛けられる。
「メイ、綺麗になったじゃない、臭いも大分取れたみたいね」
ニコリと柔らかく微笑み、ルビーのような瞳で俺を見ている。
「まだ少し残ってるけどな。――まさかあそこまで臭いとは思わなかったよ。顔洗ってる途中で鼻が戻って、ひどい目にあった」
本当に臭かった、俺がため息を吐いていると、彼女は口に手を当て、くすくす笑っている。
「よし、じゃあそろそろ本題にはいるぞ? メイの今後についての話だが――お前さんには『肉沼の森』攻略に参加してもらう事にする」
「……え?? ちょっと何を言ってるか分からなかったので、もう一回いいですか」
「お前さんには『肉沼の森』攻略に参加してもらう事にする」
ものの見事に復唱され、頭が働かなくなる。
「あっ、ちょっと……虫の知らせがして、母が、危険で危ないようなので、これにて失礼しますねー」
すぐさま逃げ出そうと試みるが俺は足を抑えられ、無理やり座らされた。
「わけわからん事言って逃げるな。だいたいお前、記憶ないんじゃねーのかっ、――まあ、ちょっと聞け。俺としても本意じゃないんだが、ちゃんとした理由があるんだよ、――まず、俺達がここの攻略に来てるのはわかってんだろ?」
とりあえず混乱を抑え、質問に頷く。
「俺達はよほどの事がないかぎり、ここを攻略するまで戻れない。お前一人送る為だけに、城には戻れんだろ。――さらに今から攻略しなきゃならんのに、少ない人員裂いてお前を送るってのもできん。ただでさえ人数がたりねーんだ」
そりゃそうだろう、たった一人の一般人相手にそこまで出来るわけがない。――だが一応ここに入らなくてもよさそうな案を提案してみる。
「なら、街か村の場所だけ教えてもらって、俺だけで行くってのはだめなのか?」
俺に向かって、ブラムは無精ひげの生えた顎を撫でつけながら、目を細め、忠告する。
「別に俺らはそれでも構わねーが、ここら辺りモンスターがうじゃうじゃいるぞ? 一匹や二匹程度なら、お前とその、黒い手の嬢ちゃんがいれば大丈夫だろうが、群れに出会ったら確実に死ぬぞ?」
まあ、それはそうだろうな、ドリーがいくら強くても、攻撃できる範囲は狭いし、囲まれてしまえば終わりだろう。だがやはり、出来る事ならあそこには戻りたくない……でも結局戻らなくてもかなりの確率で生き残れないんだろうな。それならばいっその事騎士団と一緒の方が生き残れる確率が高いのではないだろうか。ドリーと二人でも脱出は出来たのだし……。
やはりどうしても悩んでしまう。心情的には行きたくないが、着いて行ったほうが生き残れる気がする。何時までも悩んでいる俺に、ブラムがもう一つの案を持ちかけてくる。
「まあ、そういうこった、一応もう一つ案があるにはあるんだが……。あまり現実的じゃあない、聞くだけ聞くか?」
現実的じゃない案ってなんだ? なんでそんな物を今言い出す必要があるんだ。そんな疑問が頭に浮かぶが、一応聞くだけは聞いておきたい為、静かに頷く。それを確認して、ブラムは内容を話しだした。
「お前さんに三名ほどの騎士をつける代わりに――黒い手の嬢ちゃんにはお前と別れ、俺らと一緒に沼の攻略に参加してもらう……。ってのはどうだ?」
頭に血がのぼり、怒鳴りつけたくなるが、どうにか堪える。――そんな事出来るわけが無いだろうッ。ブラムの言葉は悩んでいる俺にとって、迷いを吹っ切る後押しになった。どうやらドリーも俺と同じ気持なのか、ブラムに向かって拳を突き出し、立てた親指を地面に向けて一気に下ろす。
「無理だ、不可能だ、ありえない、そんな事は絶対にさせない」
即座に答えた俺達の返事を聞き、ブラムは笑いながら、「そりゃそうだ」と言うとまとめに入る。
「まあそういうわけで、メイが助かる可能性が、一番高いのが、俺らと一緒に来るって案なわけだ。――確かに『肉沼の森』は獄級危険区域だが、案内が有るのと無いのじゃ、難易度に天と地程の差があるだろう。モンスターなら俺らが気張れば済むことだが、迷えばそれだけ疲労が溜るし、最奥に行くまでに食料が持つかどうかもわからん」
ブラムの説明を聞くまでもなく、俺の心はすでに決まっていた。
何度となく窮地を救ってくれた相棒を、元々いた場所とはいえ、あんな場所に向かわせて、俺一人が逃げ出すなど、出来るはずがない。
俺としてはドリーには、これからも一緒に居てもらいたいと思っていた。ドリー自身はあそこの住人なのだから、どう思っているのか分からなかったが、今の彼女の態度を見れば、聞く迄も無い事だったのだろう。
「わかりました、攻略に参加します」
俺の言葉が予想通りだったのだろう、ブラムは満足そうに頷いている。リーンは少し心配そうな顔をしているが、概ね納得はしているようだ。
お人好しだな……彼女たちにだって利がある話ではあるが、基本的にはこちらの身を心配して、この提案をしてくれているのが伝わってきた。
「さっきまで逃げ出そうとしてやがったのに、これだからな、ガキが見栄張りやがって」
ニヤニヤ笑いながら肘で俺を突付いてくる。
「俺とドリーだけだった時より、ましだと思っただけですよ。それに17なんて確かにガキだけど、俺より若いリーンが行くんだ、見栄くらい張りますよ」
ブラムの肘付きをシッシッと追い払っていると、リーンが反論してくる。
「メイ、なにか勘違いしているようだけど、歳は19で私のほうが年上よ」
「嘘言うなや、どう見ても19には見えんわ」
身長も小さいが、とある場所も〝無い〟とは言わないが、少しだけ〝残念〟な事になっている。
「メイ〝残念〟ながら本当のことだぞ」
ブラムの証言に俺は驚愕の顔を浮かべた。
「一体、私の〝どこ〟を見てそう思ったのかと、何が〝残念〟なのかは追々聞くとして。――私の方が年上だと判明したわけだし、メイの面倒を見る機会も多くなるんでしょうね。面倒を見てあげるのだから、尊敬を込めて『お姉ちゃん』と呼んでもいいのよ?」
俺とブラムの会話の意図に気づき、仕返しにとんでもない事を言い出した。こめかみに血管を浮かべながら「んん〜どうしたの〜」だの「ほらほら〜言ってみなさい」などと煽ってくる。――本当、いい性格してやがる。
面倒を掛けるのは間違いないし、世話になるのも事実なので、強く言い返すこともできず、我慢する。
リーンは俺の悔しそうな顔にある程度満足したのか、怒りを収める。
――だが気になる事も多少はあるので、確認してみる事にした。
「でもよく俺達を連れて行く気になりましたね、確かにドリーがいれば、道もわかるし楽になるだろうけど、どう考えても怪しいでしょうに」
付き合いが長いとは言えないが、幾度となく世話になった俺とは違い、リーンとブラムは今日会ったばかりなのだ。俺だけならまだしも、人面樹と同じ色をしている動く手なんて、怪しいなんてレベルじゃない。
「おれだって完全に信用してるわけじゃないさ、ただメリットもでかいからな。単純に、お前らのやり取りを見ているのが、おもしろいと言うのもあるが、リーンのほうもそんなもんだろう」
彼女の方を見ると、特に異論もないのか黙って頷ている。
「とりあえず、明日には沼に入るから今日は準備だけして、さっさと寝ろよ、リーン、メイに着いて行って明日の準備の手伝いをしてやれ」
「了解です隊長、それじゃあ、メイ行きましょうか」
さてこれから一体どうなるんだろうな……。渋々とだが、彼女の後を着いて行くことにしよう。