6−5
時折荷台を揺らしながら、馬車が北西へと向かい、走り続けている。
幌の隙間から空を仰げば、少しだけ薄暗く、灰色の雲が流れているのが見受けられた。日の沈み具合から鑑みると、夕方まで後数時間という所だろうか。
曇ってるけど、雨は降らなさそうかな。確か途中の森で馬車を停めて一晩休むって話だし、出来れば天気は崩れて欲しくないもんだ。
船から降り、馬車を走らせ既に二日が経過している。船からぶっ続けでの移動となってしまった為、少し休めるのはありがたい。
最初船から降りた時は、宿でも取ってゆっくりとしようとも思ったが、船長に教えてもらった情報を皆で話し合った結果。リドルに着いてからゆっくり休めば良いだろうとの結論に至った。
やはり、シルクリークでの問題が悪化している可能性も考えると、出来るだけ早めにリドル着き、情報を集めた方が良い。仮に悪化しているとしても、大事になる前なら、目立たないようにして、シルクリークをさっさと通り抜けてしまうという手だって使えるのだから。
どっちにしろ、暫くリドルに滞在はしなきゃいけないのは変わらないけど、船着場の小さな村よりはマシだろうしな。
とそこまで考え、最近まともに休めて居なかった事に気がついてしまう。
どおりで最近疲れてる筈だよ。どんだけトラブルに巻き込まれてんだっ。
一日二日宿でゆっくり出来た事はあるのだが、その後大概何か問題に巻き込まれ、一週間以上休んだ記憶がない「これは気が付かないほうが精神的に楽だったんじゃないか」とも思ってしまったが、気づいてしまった今では後の祭り。思わず愕然としてしまい、もし、神という存在がいたら絶対殴り飛ばしてやると、罰当たりな事まで考えてしまっていた。
しかし、いつまでもこんな事を考えていたって気が滅入るだけだ、と自分を励まし、気分を持ち上げる為に頭を切り替えて行く。
よしっ、先ずはリドルに着いたら美味いもの食べて風呂に入ろう。情報収集はちゃんとするけど、それ位贅沢したっていいじゃないか……でもその前に、今から向かう森に泉があるって話だし、そこで少し身体を洗うってのもありだな。水浴びをして旅の埃を落とすだけでも、大分気持ち的には楽になる気がするし。
馬車の御者に話を聞いたのだが、その森には『幻想蝶の泉』と呼ばれる美しい泉があり、船着場の街からリドル間での休憩地点としてかなり有名な場所らしい。不思議と危険なモンスターなども生息して居ないので、かなり便利な場所なのだとか。
幻想蝶の泉。何故そう呼ばれているのか少し気になり、御者に名前の由来を訪ねてみたのだが「お客さん行った事ないんですか……まあ、いけば分かりますよ」とニヤニヤしながら言われ、残念ながら教えてもらえなかった。非常に気になりはするが、夜には到着するという話だし、楽しみにしておくのも良いか、と納得する。
しかし皆よく旅続きで疲れないよな。やはり現地人は違うというか何というか。
移動の連続で、俺がこんなにも疲れていると言うのに、皆は全くそういった素振りを見せていない。それどころか、この程度、旅をするなら当たり前でしょ。的な雰囲気さえ醸し出していた。
思わず感心してしまい、改めて仲間の様子を伺ってみる。
「うーん、こっちの道も良いんだけども、危険区域を通らないと……んなら、こっちだと……遠回りになっちまうし」
一人でブツブツと呟きながら、地図を開いて順路等を細かくチェックしたり、他に通れる道が無いかと計画をたてているドラン。
「ねえねえ、ドリーちゃん。私もちょっと餌を上げたいっ」
『むっふー。リーンちゃんならば仕方ありませんね。はいどうぞー、これが樹々ちゃんのご飯ですっ』
ドリーが育てた野菜やら果物が入った籠の中から、レタスっぽい野菜を取り出し、アグアグと口を開けてご飯を待っている樹々に、楽しそうに野菜をあげている二人。
『あ、はいリーンちゃん。この果物はリーンちゃんの分ですよっ』
「もードリーちゃんは可愛いわね。少しお腹も空いてたし、ありがたく貰うわね」
リーンはドリーから何やら黄色い果物を受け取り、頬をニヘラと緩ませていた。
何だこいつらタフ過ぎる。実はドランよりも俺のほうが神経細いんじゃないのかこれ。
思わず呆然と皆を見つめてしまう。すると、俺が馬車内に視線を戻したことに気がついたドリーが、手に一つの黄色い果物を掲げ、俺の元へとちょこちょこ、と走り寄ってきた。
何をするのかと見ていると、あぐらをかいていた俺の膝によじ登り、根の足を伸ばして俺に向かって果物を差し出してくる。
『はい相棒っ。言ってくれれば何時でも私が食べさせてあげましたのにっ』
どうやら俺が見つめていたのを、何を勘違いしたのか、羨ましがっていると思ったらしい。
別段腹が空いていたわけではなかったのだが、楽しそうなドリーの姿を見て、断れる筈も無い。俺はそのまま身を屈めて、差し出された果物に齧り付いた。
ジワリと口内に果汁が溢れ、爽やかな酸味と少しの甘みが口の中に広がる。しいていうならオレンジとマンゴーを足して二で割ったかの様な味だろうか。
初めて食べる果物の味に少々の感動を覚え、軽く一つ平らげる。
不意にドリーを見ると、何か期待するかのように親指と人差し指をモジモジと動かし、膝の上でじっとしていた。その様子を見て、最初は何かと思ったが、やがて褒めてもらいたいのだと、思い当たる。
「凄いなドリーっ。かなり美味しかったぞ今の果物。それに、わざわざ食べさせてくれるなんて、相棒は感動してしまったよっ。いやー本当美味しかった。ドリーの思いとかが篭っているのかもしれないな」
少々大げさかとも思ったが、嬉しかったのは事実だったので、手の甲を軽く撫ぜ、ドリーを褒め称える。少し調子に乗っていつも以上にドリーを持ち上げてしまったが、ドリーが喜んでくれるならいいかと思い、気にしない事にした。
すると、俺の言葉を聞いたドリーはモジモジさせていた指をピタリと止め、ワナワナと身体(腕)を揺らし始め。
『そう……ですか。まさか、そこまで喜んで頂けるとは……むふふ、では今からありったけの種を果物にしてしまいますねっ。待ってて下さい相棒っ』
ドリーは指揮棒でも降るかのように、人差し指を上機嫌で振り回し、その勢いで種袋をゴソゴソと漁りだした。
「ちょ、おい待てドリー。お願い、本当に待ってっ」
このままでは馬車内、全てが果樹園になってしまいかねない。焦った俺は、次々と種を蒔こうとするドリーを必死で止める。
「なあ、ドリー。ほら魔力だって無限じゃないわけだし、ドリーだって疲れちゃうだろ? また今度、また今度でいいからっ」
『おっと相棒。心配ご無用ですっ』
ドリーは手をパーに広げ、こちらに向かって待ったをかけ、自信満々な調子で話の先を続けてくる。
『私が頑張ると相棒が喜ぶ……相棒が喜ぶと褒めてもらえる。褒めてもらえると嬉しいっ。
ねっ? これぞまさしく一種二株と言うわけですっ』
ね? じゃないから。つか一種二株って何っ。もしかして一石二鳥とでも言いたいのか。お願いだから勝手に新しい言葉を作るのはやめて下さいドリーさん。
なんてこった。ちょっと調子に乗って褒めすぎた。ど、どうにか妥協点を見つけ出さないと。
ここまでやる気一杯のドリーを止めるには一体どうしたら良いだろうか。少なくとも何もさせないまま話を終わらす事は出来そうにない……そうだ、せめて量を減らさせるべきだ。それしかない。
俺は平静を装いながら種袋を漁るドリーに近づき、そっと話しかけた。
「なあ、ドリー。いい事を教えてやろう。世の中にはこういう言葉があるんだよ……量より質、だと」
『――ッツ!? っく、流石メイちゃんさん……悔しいですが全くもってそのとおりですっ。失礼しました。これも若木の至と言う所でしょうか……』
しれっと混ぜても駄目だぞドリー。木じゃなくて気だからな。
どうにか説得の甲斐もあってドリーを止めることに成功した。しかしまだ少しだけ物足りなさそうな態度をしていたので、少なくなってしまっていたクルミを少しだけ増やしてくれ、と頼む。するとドリーは嬉しそうに返事を返し、クルミに『グロウ・フラワー』を掛けてくれた。
俺はそんなドリーの姿を眺め、揺れる馬車の荷台へと身体を任せていく。
◆
日が沈み、月明かりが煌々と辺りを照らす中、馬車は今晩の目的地、幻想蝶の泉がある森へと、車体を揺らし進んでいく。
暫しの間森の中を進んでいると、不意に視界が開け、円状に森が切り開かれた広場へとたどり着いた。
へー、なんかキャンプ地みたいだな。
丸太で作られた椅子、石で簡易に組まれたカマド、それだけではなく辺りには数十台の馬車も止まっており、走破者や旅人達がそれぞれグループを作り野営の準備をしている。恐らくリドルからや俺達と同じように船着場の村から来た人達なんだろう。
物珍しさから辺りをキョロキョロと見回していると、背後にいたドランから声を掛けられる。
「メイどん、一先ず食事や焚き火の準備をしないと。今晩も冷っこい夕食を食うハメになるだで」
それもそうだ。馬車の中で火を使うわけにもいかなかったし、今日位は美味いもの食べたいよな。
俺はドランの言葉に同意して一緒に準備を始めようとする。だが、そんな俺に待ったを掛けるかのように、ドランが話を続けてきた。
「いやメイどん。おら一人で準備するだよ。それで……その代わりと言ってはなんだけんども。火をつけるのに、アレを使わせて欲しいんだけども」
恐る恐るといったドランの態度を見て、ははーん、と手を打ち、荷物から魔道具を取り出してドランの右手にそっと握らせる。
「ドラン……別に一人で準備する事はないさ。火をつける時にドランがそれを使えば良いだけじゃないか」
『そうですよトカゲさんっ。相棒の心の広さと言ったらそれはもう、なんだか広い感じなのですからっ』
褒めてくれているのはわかるけど、随分アバウトな感じになっているぞドリーよ。
「メイどん……なんて、なんて良い人なんだでっ。おら存分に堪能するだよっ」
感動に打ち震え、上機嫌な面持ちで準備を進めていくドラン。俺もそれを手伝い、辺りから石を集め、簡易のカマドを作っていく。
暫く黙々と作業を進め、どうにか念願のカマドも完成した。そして、いざ火を着けるといった段階になった所で、馬車から必要な荷物を降ろしていたリーンがやってくる。
「ねえメイ、私も何か手伝いた……あら、火をつけるのね。任せてっ『リトル・ファイア』」
ボっ、と小さな着火音がし、カマドの中に無情の種火が投げ込まれた。瞬間空気が凍りつき、俺達の動きがとまる。
暫しの間沈黙が辺りを支配していたが、徐々に目の前で起こった惨事を皆が理解し始めた。
「ちくしょう、なんてことをッツ」
叫ぶ俺。
『にょおお、ばっきゃろーいっ』
リーンに向かってペシペシと小枝を投げつけるドリー。
「っぐ、お、おらの……楽しみが」
膝をつき絶望の淵に立たされたかのような顔をするドラン。
「え、何? なんで私火を付けただけなのにこんな反応されてるの?」
三者三様の反応を見て、リーンが戸惑いを顕に、後ずさる。
駄目だリーンのやつ何もわかちゃいない。ゆっくり火を着けるのが醍醐味なのにっ。「へへっ、俺が風を送るよ」とか言いながら火を大きくしていくのが楽しいのにっ。魔法でつけたら味も素っ気もないじゃないか。
キッ、とリーンを睨みつけながら、落ち込むドランの肩をドリーと共にそっと叩き、慰める。
「ドラン、次の機会はいっぱいあるさ、この悔しさを次にぶつけようぜ。なんせリーンだから仕方ないよ」
『そうですよトカゲさんっ。なんせリーンちゃんですから』
「メイどん……ドリーどん。そうだっただよ。リーンどんだもんな……仕方ないだで」
「ちょっと待って皆っ。なんなの、どういう意味よ。仕方ないって何よっ」
慌てふためくリーンを三人でイジメながら、着々と残りの準備を進めていった。
◆
「よし、色々と『問題』があったけど、取り敢えず準備は終わったな」
「もー、メイ許してってば。私が悪かったわよ」
お手上げ、と言わんばかりに両手を上げて、リーンが降参の構えを見せる。流石にいつまでもリーンをいじめていると、本格的に落ち込みかねないので「仕方ないな」と言って矛を収める事にした。
全ての準備も終え、さて、夕飯を作ろうか、となった所で、突然背後から聞き覚えのある声が耳に入る。
「あーっ、よくも騙してくれたわね。この嘘つき人族ッ」
その声に振り向いてみれば、リッツ、シル、岩爺さんの三人がこちらに向かって歩いてきているのが目に入った。
リッツは怒りの為か尻尾の毛を逆立て、目を吊り上げながら俺に向かって指を突きつけヤイヤイと喚いている。
ヤバイ、多分この前騙して連れていった事がバレたんだろう。
しまった予測しておくべきだった。そうだよな。あの村から馬車に乗ったら、ここでまた会っても可笑しくはないよな……ここは、なんとか柔らかく対応し、リッツの怒りを収めるべきだ。
ニコリと爽やかに微笑み、片手を上げて挨拶をする。
「や、やあリッツ。どうしたんだいそんなに興奮して、余り怒っていると肌が荒れるぞ、ハハハっ」
「余計なお世話よっ。アンタのせいでしょッ」
どうやら油を注いでしまった様だ。
だが、岩爺さんとシルさんは別に怒っていないのか、逆に怒るリッツを諌め始めてくれた。
「これリッツ。別にそんな怒らんでもいいじゃろうが、お陰であっさりあの窮地を脱出できたわけじゃし」
「そうよー、リッツちゃん。お肌が荒れたら大変よ」
だが、そんな二人の言葉でも、怒りが収まる様子は無く、リッツは尻尾を怒りでブンブンと振り回していた。
流石にこのままじゃ拙い。どうやって許しを得ようか、そう一人で考えていると、肩にいたドリーが自信に満ちた声音で俺に話しかけてくる。
『メイちゃんさん、こんなこともあろうかとっ……私は完璧なる謝罪方法を考えていたのですよ。是非お任せ下さいっ』
そういうと俺の肩から飛び降り、リッツの前までチョコチョコと歩いていった。
一体何をするんだドリーの奴? あの感じからすると相当自信があるみたいだけど。
黙ってドリーの様子を見守る俺達。突然目の前にやってきたドリーを見つめるリッツ達。
そんな注目を浴びる中、ドリーの完璧なる謝罪とやらが始まった。
ビシッと、中指、薬指、親指をくっつけ、人差し指と小指を立て、狐の様な形に構えたドリー。
そのまま、根の足を使い右へフラフラ、左へフラフラ。元の位置まで戻ってクルクルと回転し、そのまま宙へとその身を躍らせた。見事な空中大回転を決めた後、上下を入れ替え、手の形はそのままに地面へと華麗に着地をしてみせる。狐の構えかと思いきや、実はそのまま入れ替えると、土下座の構えにもなるという驚愕の事実。俺は戦慄を感じざるおえなかった。
ドリーは暫くそのまま動かなかったが、やがて一言こう言った。
『申し訳ないですっ』
な、何てことだよ……完璧だ。完璧な仕事だドリー。余りの可愛さに全人類は許してしまうに違いないっ。
謝罪を終えたドリーは、一汗かいたと言わんばかりに手をヒラヒラさせて、俺の元へと戻ってくる。
『相棒……やってやりました。どうでした私の【謝罪の舞】っ。もしもの為にと考えておいて良かったですっ』
「完璧だったよドリー。俺だったら思わず全部許しちまうよ。な、そうだろリッツ」
ハハハ、とドリーと二人で笑い、リッツに向かって笑顔を向ける。
「馬鹿にしてんでしょアンタらっ」
怒られた。
一体何をリッツが怒っているのか俺には理解できず戸惑ってしまう、だが、色々と考えている内に一つの結論へと至った。
しまったそうだよな。それも当然だよ。
自分の失態に気が付き、額に手を当て、頭を振る。
「ごめんな、リッツ。そうだよ俺も踊らないといけないよな。ドリーに謝らせるなんて筋違いだよ」
『私は構いませんのに……相棒お優しいですっ。ならば、私も再度ご一緒しましょう』
「……ありがとうドリー」
いざ、と。構えを取り、ドリーと二人でリッツに謝罪の舞を行おうとするが。
「馬鹿なのっ。違うわよそういう問題じゃないでしょっ。というか何なの、その使い魔。何で喋ってるのよっ。何で踊ってるのよ」
リッツは、混乱の極みとも言わんばかりにドリーを指さし、地団駄を踏んでいる。
やべえ、ドリーの奴、謝罪の舞に夢中で声を伝えていやがった……なんて事だ、どうやって誤魔化そう。
脳をフル回転させ、ドリーの説明を頭の中で創り上げる。
「いや、この子はドリーって言うんだけど、グランウッドの二級区域奥に住んでいる『念樹』って種族なんだ。余り人前には出ないから知らない人も多いみたいだけど、結構グランウッドの地元では有名なんだよね。
なんか精霊的なものが樹に宿ったとか言われてもいるけど、ちょっと胡散臭いよな。
ちなみに種族名の通り、特技は念話で、人との意思疎通ができるんだよ。凄いだろう?」
『おおお、相棒私は【念樹】って種族だったんですね』
そうだ、今のドリーは念樹って種族です。だから、お願いだから余計な事を言わないで下さい。
俺の言葉に岩爺は「ほー知らんかったのー」とシルさんは「可愛いわねー」と笑っている。
リーンとドランに顔を向けると「よくもまあ、そんなペラペラと嘘が出る」と言わんばかりの表情で俺を見ていた。
肝心のリッツと言えば、頭を捻り「聞いたこと無いわね」と考え込み、先程の怒りを忘れている様子。
どうやら上手く誤魔化せたようだ。人はさも当たり前の様に言われると、余程自信がない限りは嘘だとは言い切れなくなってしまうものだ。 仮にリッツ達がグランウッド生まれだとしても、辺境の土地だからね。とでも言って誤魔化す予定だったから、問題ない。
リッツは暫くウンウン唸っていたが、やがて自分の中で、ドリーに対する疑問に決着を付けたらしく、伏せていた顔を上げ、先ほどとは違い、少し落ち着いた様子で話しかけてきた。
「借り一つだから……クルミ二粒で許してあげる」
ハイ、と手をこちらに向かって差し出してくるリッツに俺は思わず「えー」と不満の声を上げる。
「何よ。確かにアンタのお陰で早々と逃げられたかもしれないけど、私だって手伝ったんだから、そこを恩に感じる必要はないでしょ? なら結局私が騙されたって借りが一つよ」
多少はリッツの理屈にも頷けるものがある。それにクルミ自体は増やそうと思えば増やせるし、これで許してもらえるなら安いものだと結論に達し、リッツにクルミを二粒手渡した。
その様子を見てた岩爺さんがやれやれと首を振り、リッツに話しかける。
「まったく、まだ借りとかなんとか言うとるのか」
「何よお父さんが言ったんでしょ? 『人に借りを作るな。貸した借りは必ず取り返せ』って」
何だその教え、殺伐としすぎだろう。
思わず岩爺に向かって、一体何教えてんだ爺と視線を向ける。と岩爺さんを必死に杖を振りながら、焦った声で言葉を返してきた。
「まてクロ坊、儂そんな事一言も言っとらんて、教えたのは『人から受けた恩は必ず返せ。人助けをしていけば、いつか必ず自分にかえっててくるものだ』としか言ってないぞい」
曲解しすぎだろ。どんだけヒネくれてんだよ。
リッツは岩爺さんの言葉にもハハン、と鼻を鳴らして、動じる素振りもない。
「別に間違ってないじゃない。同じようなものでしょ」
「違うわいっ。全く、どこで育て方を間違ったのか……」
なんて無駄な争いだ、と思いながら岩爺とリッツをぼけっと眺めていると、背後からリーンの声が掛けられた。
「メイ。そろそろ夕飯の準備を始めましょ、早くしないと遅くなっちゃうわよ」
リーンの言葉に「それもそうだな」と納得し、岩爺さんに向かって夕食の準備があるからと伝える。すると、それを聞いた岩爺さんが一つの提案を持ちかけてきた。
「実は、儂ら今着いたばかりでの。これから準備を始めるのも大変じゃし、夕飯を一緒にとらんかの? その替りといっては何だが、それなりに良い食材を提供するぞい」
別に俺としては構わなかったが、一人で決めるのもアレなので、岩爺さんに少し待っててくれと言って、ドランとリーンに聞いて見ることに。
「調理をドランがするって言うなら私は別に構わないけど、別に寝る時まで一緒って訳じゃないんでしょ?」
「おらは人数が増えたほうが料理の作り甲斐もあるし、別に構わんだで。それに……おら、お爺ちゃんって居なかったから少し話してみたかったんだで」
二人共特に異論はないようだ。まあ食事が豪華になることも考えれば、受けたって損はないだろう。
岩爺さんに了承の旨を伝え、俺達は食事の準備を初めていった。
◆
夜の闇の中、焚き火がパチパチと爆ぜている様子を眺めていると、何故か不思議と心が落ち着いていくのを感じる。
やはり焚き火って良いもんだなー。なんか本当にキャンプでもしてる気分になってくるな。
焚き火の周りをグルリと囲んで、皆で食事を取り始める。
今日のメニューは、岩爺さん達から提供された、鶏肉と、チーズの塊。それをトマトや野菜を入れた鍋の中に入れ込んだ、トマト煮込み。
煮込まれたチーズは既にスープと混ざってドロドロに溶け込んでいて、トマトの酸味と合わさり濃厚な旨みを出している。提供された肉も中々良い物らしく、噛み切る瞬間に、肉汁を溢れ出させた。
一言でいって旨い。疲れた身体と心を芯から温めてくれそうな味に、俺は夢中になって食事に熱中してしまう。
他の皆もやはり旨いと感じたのか喋る事よりも、食べる事へと意識を集中し始める。
あっと言う間に鍋の中身は空となり、それぞれが満足そうな表情で各々食事の片付けをしていき、その後休憩をとり始める。
俺自身も水筒の水を飲みながら、ゆっくりと満腹になってしまった腹を休めていく。すると、焚き火を挟んで目の前にいた岩爺さんが、そんな俺を眺めながら、ニコニコと話しかけてきた。
「いやー美味かったのう。まさかドラゴニアンの若人がこんなにも旨い食事を作れるとは思いもせなんだ。基本的にドラゴニアンの特技と言えば戦闘と思ってしまうもんじゃしな。いやいや、素晴らしい。良い材料を提供した甲斐があったというもんじゃよ」
その言葉に思わずと言った感じで頷くリス姉妹。
「そうねー。お姉ちゃんも、もっと食べたくなってしまったものー」
「た、確かに夕飯は中々美味しかったわ。褒めてあげなくもないわね」
シルさんは満足気にお腹をさすっているし、リッツは手放しに褒めるのが悔しいのか、微妙に上から目線な言い方をしていた。だが、耳は垂れ、尻尾は満足気に揺れている為、なんの意味もない。
ははは、そうだろう、そうだろう。うちのドランはそりゃあもう素晴らしい人材なんだっ。
何故か、俺が褒められているわけでもないのに、鼻高々と言った気持ちになってしまう。上機嫌でドランに視線をやると、ドランは「そんなに褒められると、頑張って作った甲斐があっただよ」などと言いながら照れていた。
唯一反応を示していないリーンは、腕を組み無駄にカッコつけて座っている。のだが、これはバカバカと食べ過ぎてお腹いっぱいになって動けないだけだ。
知らない人がいるから間抜けな姿は見せまいとして頑張っているのだろう。だが、仮にこの場にいるのが俺達だけだったなら、丸太の上で垂れるように転がり「もう動けないわ。ねえメイ、馬車まで運んでくれると私嬉しい」とか言い出している頃合いだ。
その後も、暫く他愛のない話を続けていたのだが、ふと気になったことがあったので、岩爺さんへと質問を投げかけた。
「そういえば、岩爺さん達ってシルクリークを目指しているんですか?」
岩爺さん達は亜人三人組だ。このまま、シルクリークに向かってしまえば拙い事になるかもしれない。確定状況ではないシルクリークの情報を無闇に話す気などは無かったが、取り敢えずどの程度彼らが情報を持っているのか探ってみようと質問をしてみることに。
十中八九シルクリークに向かうのだろう、と思っていた。のだが、岩爺さんは朗らかに笑いながら、俺の予想を遥かに超える爆弾発言を投下してきた。
「儂らかの? そうだのー、そのうちシルクリークに入るかもしれないんじゃが、目的地としては『蟲毒の坩堝』じゃな」
ブッッ。と思わず飲んでいた水を焚き火に向かって吹き出した。
一瞬何を言っているのか分からなくなってしまう。だが、そういえばこの爺はボケた振りまでかます爺だった事を思いだし、冗談かよと心の中で毒づいた。
「いやー冗談ばっかり言っちゃって。岩爺さんも人が悪いですよ。獄級なんかに好き好んで入る人が居るわけないじゃないですかー」
「いや冗談じゃないぞい。ちょっと探しモノがあってのー。色々探したんじゃが見つからないんじゃ。
それで、後は獄級の中しかないと思っての、色々と向かっているのじゃよ」
ほ、本気かこの爺。獄級に入ってまで探さないといけないものってなんだよ。気になりすぎるだろ。
流石に不躾だとはおもったのだが、余りにも気になった為に、恐る恐る聞いて見ることに。
「探しものってなんなんです? 獄級にまで入らないといけないんなら相当なものですよね。やっぱり」
「うむ……自分探しと言ったところじゃ」
駄目だッ、やっぱりボケてやがるこの爺っ。恐らく教えてくれるつもりはないって事だろう。なんて掴めない爺だ。
思わずリッツとシルさんに視線をやり、この爺なんとかして下さい。といった視線を送る。
「あらあらクロ君。多分だけど、お父さんは本気で言ってるのよー。ボケてるわけでも冗談でもないから安心してね」
「アホか、余計悪いわっ」
お姉さんの方も手遅れだった。だが、まだ比較的まともそうなリッツが残っている。
「何よ、いくら聞いても私達だって知らないわよ。危ないから来るなって言われたのを無理矢理着いてきただけだもの」
そういってリッツはプイと顔を背けてしまう。
本当に何を考えているのだろうか。何か爺さんなりに譲れぬものがあるのかもしれないが、危ないにも程がある。シルクリークの問題が、とか思ってた自分が馬鹿らしくなってしまうほどに。
冷や汗を掻き、ドン引きしながら、岩爺さんに新たな疑問を投げかける。
「それじゃあ今までどっかの獄級とかに入ったことがあったり?」
「おう、あるぞい『クレスタリア』に滞在していたのも『水晶平原』に入るためじゃしな」
と岩爺さんがいった所でリッツが不満の声を上げた。
「何回も何回も、苦労して、隠れながら進んでっ。やっと、鏡みたいな部屋の前までいけたのよ。それなのに、お父さん急に帰るとか言いだすし。
渋々帰ったら、今度は他の走破者に先をこされて全部台なし。本当、あのクロムウェルとか言う奴余計な事してくれちゃって。許されないわッ」
そうだそうだ。クロムウェルが全部悪い。
「いや本当凄いですねっ。獄級なんかに入るなんて、僕ビックリしてしまいました」
「メイ……」
「メイどん……」
俺の言葉を聞いてリーンは目を半眼にしてやれやれと手を振って、ドランは優しそうな眼差しでこちらを見つめてくる。
おい、お前らその顔を止めろ。言いたいことはわかるが、滅茶苦茶ムカつくからなそれ。
『えー、相棒がキラキラ平原……きゃっほーい』
口を滑らせようとするドリーを肩から引っぺがし、ブンブン振り回す。だが、ついこの前、仲を深める遊びだと教えたばかりだったので、余計な事を言うなというニュアンスは全く伝わらず、ドリーは凄く楽しそうにしている。
そんな俺とドリーを不思議そうに見つめる三人の亜人に「お構いなく」と愛想笑い。余計な事を言う前に、さっさと逃げるべきだと感じた俺は、ちょっと馬車に戻りますね。といって、慌ててその場を後にした。
◆
真っ暗な馬車の中、急激に意識が覚醒していくのを感じる。どうやら馬車に戻ってドリーと色々と話している途中で眠ってしまっていたらしい。
馬車の中を見回すと、ドリーと樹々が遊んでいるだけで、リーンやドランはまだ戻って来ていない様だった。
やがて、俺が起きたことに気がついたドリーと樹々が俺の方に向かって走り寄り、声をかけてくる。
『おー相棒起きたのですねっ。私も少し眠ってしまっていたのですが、ちょっと前に見が覚めてしまいました』
「そっか、俺もだよ。でも丁度良かったかもしれないな。まだ幻想蝶の泉とやらを見てなかったし」
御者から聞いた泉。楽しみにしていたのだが、岩爺の爆弾発言やらのせいで、すっかり忘れてしまっていた。このまま寝ていたら危うく見逃す所だったし、運が良かったと言うべきか。
『おおお。私も忘れていました。あいぼー、ちょっと見に行きましょうよっ』
楽しそうにしているドリーを肩に乗せ、俺は幻想蝶の泉へと向かう。だがその前に、泉に向かうには広場を通る事にもなるので、リーンとドランの様子を見に行くことに。
広場へと戻ってきた俺は自分達の焚き火がある所へと、足を進める。
焚き火の周りを見てみるとリッツ達三人の姿は既に無く、リーンは丸太の上で転がって寝ていて、ドランは火の世話をしながら、まじめに夜番を務めていた。
俺はドランに「ちょっと泉を見てくるから、その後、夜番を交代するよ」と言い残し、広場を抜けて泉を目指す。
暫くの間、鬱蒼と茂る森の小道を淡々と進んでいく。月明かりが木々の隙間から差し込んでいるお陰で、足元が見えない程ではない。
結構遠いのかな……お、なんか広そうな場所が見えてきたな。
少し早足で進んでいくと、不意に、視界が開け明るい場所へとたどり着く。
――この時見た光景を俺は一生忘れることは無いだろう。そんな考えが先ず脳裏に過る。
半径五十メートル程に森が開け、真ん中には透き通った水が張られた底の浅い泉が広がり、泉の周りには蒼い蝶のような形をした花が一面に咲き誇っていた。
風に飛ばされた蝶に似た花が、月明かりに照らされながらもヒラヒラと辺りを舞っている。
幻想蝶の泉。その名前に劣らない、いや、そんな名前ですら物足りないと感じてしまうほど美しい光景に、俺は言葉も出なくなり、その場で固まってしまった。
やがて、泉の水が湧くように、俺の中の感情が溢れ出す。
何故だろうか、この光景を見ていると、ひどく切なくなってしまい、泣きたいような衝動に駆られてしまう。
呆然としながら泉の元へと歩み寄り、水辺で座り込み、俺はじっと泉を只々眺め続けた。
何故だろう。助けることが出来なかった。二度と会うことが出来なくなった友人と家族を思い出す。
友人と遊びに行った記憶や、家族で出かけた記憶。だがどうにも思い出すのは昔のことばかりで、高校に行ってた頃の記憶がとても薄く、思い出すまでにやたらと時間がかかってしまう。
俺はやっぱり薄情者なのだろうか、そんなに直ぐ忘れてしまう程の記憶だったのだろうか。自分がとても冷たい人間の様に感じてしまい、また泣き出してしまいそうになる。
そんな時、肩にいたドリーが柔らかい声音で俺に向かって声を掛けてきた。
『綺麗ですね相棒』
「……そうだなドリー」
静かなドリーの言葉に俺も静かに返事を返す。
『……ねえ相棒。ありがとうございますっ』
不意にドリーが礼を言ってくる。だが俺は一体何のことだか分からず、首を傾げ、話しの続きを待った。ドリーは肩の上で月に照らされヒラヒラと舞う花びらを掴むように手を伸ばし、ゆっくりと、言葉を続ける。
『相棒が……連れてきてくれたお陰で、私はこんなにも綺麗な場所を見ることが出来ました。
残念ながらこの嬉しさを上手く言葉にして伝えることは出来そうにないです……でも、敢えて言うならば。
相棒、私と出会ってくれてありがとうございますっ』
その言葉を聞いて俺は目を見開き固まってしまった。
お礼を言うのは俺の方だろう。出会えて良かったと思っているのは俺の方だ。
なのに、それなのに。こんなことを言われてしまったら、俺はなんて言って良いのか分からなくなってしまうじゃないか。
心に響くドリーの言葉が、俺の身体に染み渡っていく。今何か喋ったらきっと泣いてしまいそうだ。そう確信して口を噤んだままドリーの指を握ってそのまま暫く黙り込んでしまった。
◆
二十分程経った頃だろうか。
どうにも感傷的になってしまっている自分を諌め、新たに気持ちを切り替えていると、ドリーがなにか見つけたのか声を上げる。
『相棒見てください。蒼い蝶々さんがいますっ』
ドリーの指差す先、泉の中心辺りには確かに蒼い蝶が一匹ヒラヒラと飛んでいた。フラリフラリと透き通った羽を揺らし、何故かこちらに近づいてくる蒼い蝶。だが、段々と近づいてくるにつれ、その蝶が普通のものとは違う事に気がついた。
透き通った羽では無く本当に透き通っていて、体全体が魔力光の様なもので出来ているようにも見える。しいていうなら蝶の幽霊といった見た目だろうか。
「うお、なんだこいつ」
『おお、綺麗ですねー。ほりゃ、この指止まれっ』
ヒラヒラと飛んでいた蝶は、ビッと突き出したドリーの指には止まらず、ドリーの手首に着けているヨモギのブレスレットに、正確に言えばその花へとピタリと留まった。
――本当に幻想蝶って感じだなこれ、触れるんだろうか……。
ちょいちょい、と蝶の羽を軽くつ突いてみると、その羽根には触れることが出来ず、幻影を触ったかのように通り抜けてしまう。
――え、本当に幽霊? なんなのこれ。
流石にその事実にビビって指をビクリと引っ込める。だが、ドリーは一向に驚いた様子も無く、腕に止まった蝶を手首を返して見ながら、楽しそうにしていた。
悪い奴じゃ、ないのか? それともこういうモンスター的な奴なのかな……あり得なくもないか、モンスターの中には、無害な奴も居るみたいだし。
自分なりにこの蝶の正体を突き止めるべく、色々と調べていると、不意に背後からガサリと音がした。さっきまで幽霊? などと言っていたせいか、いつも以上に驚いてしまい、慌てて背後を振り返る。すると、何故かそこにはリッツの姿。
馬鹿野郎ッ、驚かせやがって。
勝手に自分で驚いただけだったのだが、少々の気恥ずかしさもあって、自分の中で罪をリッツになすりつけた。
そんな俺を見てリッツを少し目を見開き驚いた様な表情をするも、一瞬で嫌そうに顔を顰める。
「こんな所で、何してんのよ」
「いや、なんか変な蝶が居てさ、珍しいなーと眺めてたんだよな。ほれ、ドリーの腕にいる奴」
リッツは少し身体を屈め、ドリーの腕を見つめる。暫く色々な角度から眺めていたが、やがてこめかみに人差し指を当て、グリグリと指を回しながら奇妙な事を言い出した。
「アンタ、頭でも可笑しくなったんじゃない? 治療したほうが良いわよ。どこにも蝶なんて居ないじゃない」
リッツの言葉に俺は思わず眉根を寄せる。実際俺の目には未だにドリーの腕に引っ付いている蝶の姿が写っているからだ。
最初は「冗談でもいってるのか」とも思ったが、リッツの表情からはそんな様子はまるで見られなかった。と言うよりも、こいつは人を貶す時に態々捏造してまで文句を言ってくるような面倒臭い奴じゃない気がする。実際ドランの料理を褒めてたりもしたわけだし。
しかし、そうなると本当に見えていないって事か……でもなんで。
暫く思考を回していると、一つだけ、他にも俺とドリーだけが見えてしまうモノがある事に気がついた。あの獄級の主を倒した後に現れる妙な珠。
もしかしてこの蝶も似たようなもので出来てるのか? でも獄級のモンスターみたいに凶悪な感じはまるでしないよな……実際ドリーだって何も警戒していない様子だし。
色々と予測を立ててみるが、何も分かりそうには無かった。
分からないことが多すぎて、今考えても無駄か……。
諦めて顔を上げる、と訝しげな顔をしたリッツの顔が目に入る。すっかり存在を忘れていたことを思い出し、俺は慌てて言い訳を始めた。
「悪い悪い。なんかそこらに咲いてた花がドリーの腕にくっついてたみたいで、勘違いしちまったみたいだ」
「……ふーん。まあなんでもいいわよ。良かったじゃない頭が可笑しくなったわけじゃなくて。
それよりも何でアンタがこんな所にいるのよ。折角人が多い時間を避けて泉を見に来たのに、台無しじゃない」
リッツの理不尽な文句の付け方に軽くイラッと来た俺は、シッシと手を振り、言い返す。
「はいはい、文句あんならもっと離れて座りゃいいだろうが、ほれ、向こう岸とか」
俺が指さしたのは遥かに離れた向こう岸。
別に向こう岸じゃなくても良いのだが、せめて目につかないもっと離れた場所にいけばいいのに、と思ったのも事実。
リッツはその俺の言葉を聞いて、鼻を軽く鳴らして小馬鹿にする様に返答してくる。
「馬鹿ね。ここが一番いい眺めなんだから他の場所にいったら意味ないじゃない」
おお、そうか。ここが一番いい眺めなのか、なんか得した気分だな。
プリプリと怒るリッツを相手にしていたらキリがないと思ったので、自分に都合の良いセリフだけ抜き取って勝手に得した気分に浸る。リッツはブチブチと文句を言いながら、少しだけ離れた場所に座り、泉を眺めながら右へ左へと尻尾を揺らす。
すると肩に居たドリーが急にソワソワとしだし、ぴょんと俺の肩から飛び降りて、ソロリソロリとリッツの元へと近づいていった。
なんだドリーの奴。何をするんだろうか?
そう思い眺めていると、ドリーは手に何かを握っているの様子。目を凝らして見てみると、どうやらクルミのようだ。
近づいていったドリーは、チラリとリッツの表情を伺うと、さっとクルミを差し出し、まさかの交渉を始めていく。
『白フサさん。このクルミをあげるので、尻尾に触っても良いですか?』
あの野郎。なんて羨ましい事を言い出すんだ。
ドリーの言葉を聞いたリッツはピクリと片眉を跳ね上げ、返答を返す。俺は絶対に怒られるぞ、とか思いながらそれを見守っていたのだが。
「あんまり強く触ったらだめよ? それが守れるならいいわ」
まさかの許可が降り、ドリー嬉しそうにリッツの尻尾に飛び込んだ。
『なにこれー、なにこれーっ。うおおおお、相棒フサフサですっ』
尻尾を掴んだドリーをリッツは右へ左へと揺らし、遊ばせている。
なんだ一体なんで許可が降りたんだ。あれか、素直な心か? 無邪気さがあればいいのだろうか。畜生羨ましくなんかないぞ、全然羨ましくなんかないッ。俺はあんな尻尾に惑わされるわけが……。
そう自分に言い聞かせながら、俺はゆっくりとリッツに近づき、クルミを一つ差し出した。
「尻尾をさわ……」
「王金貨二枚ね」
「馬鹿な、インフレにも程があるッ」
勿論そんな大金など持っているわけないので、俺はリッツに向かって「バーカ、守銭奴」と吐き捨てながら元の場所へと戻る。
楽しそうに尻尾と戯れているドリーに悔しさを感じた俺はドリーをこちらに呼び寄せることに。
「ドリーこっちに来れば相棒が遊んであげたりするぞっ」
『な、何ですって……あ、にょわあああああ』
リッツの尻尾に振り回されていたドリーだったが、俺の言葉に反応して手を思わず手を離してしまったようで、勢いに任せて泉の中へと飛んでいってしまった。
ボチャン、と間抜けな音が鳴り、ドリーが泉みに落ちてしまう。ドリーの腕から離れた蝶はヒラヒラと俺の元までやってきて、俺の頭の上、樹々がのぺっと寝そべっているその隣に止まる。
「ちょ、ちょっと腕っ子ちゃんが落ちちゃったじゃないっ。早く助けなさいよッ」
俺に向かって若干焦りをみせながらリッツが詰め寄ってきた、が。あのドリーが溺れるわけもないので「大丈夫だって」とリッツを宥め、俺は一人くだらないことを考え始める。
もし女神が出てきて金のドリーと銀のドリーを出してきたらどうしよう……勿論普通のドリーが良いに決まってるが、どうにか全部奪いとる事ができないだろうか。
そんな事を考え、仮に女神が出てきたらどうやって女神から増えたドリーを奪い取るかの計画を立て始める。
女神の右腕を捕まえ一本背負い……とそこまで計画を詰めた所で泉の水面がポコリと揺れ、ドリーが叫びを上げながら飛び出してきた。
『うまーーい』
ザバーンと泉の中からドリーが飛沫を上げて宙に舞い、そのまま俺の肩の上に優雅に着地した。
妙にドリーはご機嫌な様子で嬉しそうに揺れている。
『んーみゅ。ここのお水は素晴らしいです。まろやかで、きめ細やかで、力強く、なんだか命力とか魔力的な何かがあふれていてっ。まさに命ちゃんさん水と言っても過言では無いくらいの代物でしたっ。ぬふぉぉぉ。力がみなぎってきますっ』
なんだその水全く美味そうじゃないぞ……というか力が溢れるってまさかっ。
一つ思い当たる事があった俺はドリーの手に付いていた刻印を確かめる。すると、真っ赤になっているはずのドリーの刻印は紫へとその色を戻していた。
「あーずるくね。また魔力が増えてやがる。いいなおい、少しは俺にも分けてくれよ」
思わず羨ましげな口調でドリーに向かって無茶を言う、すると、ドリーが指を振りながら、予想外の言葉を放つ。
『ふっふっふ、もしかしたら出来るかもしれませんよ相棒』
無駄に自信満々なドリーに心のなかで、いやいや無理だろ、とかツッコミを入れつつ俺は話しの続きを待つ。
『今しがた【真・私】に進化してしまった訳ですが……そのお陰で? なんと、相棒の魔力の流れがとても良く見えるようになっているのです』
「ほうほう」
『更にいえば、相棒の魔力は何故か私の魔力と酷似しているのです。つまりこれを利用すれば魔力をお互いに移動する事が出来るかもしれない、という事ですっ』
「いやアンタ達、なに無茶苦茶な事言ってるのよ。無理に決まってるでしょ」
リッツは手を振り、あり得ない、と言っているが、俺はドリーの言葉を聞き、少しだけイケルんじゃないかと思い始めた。
魔力が似てるってのはよく分からないけど、もしかして、俺が掛けたエントがドリーには影響がなかったりするのも関係しているんじゃないか。仮に魔力が似ているからドリーに影響がなかったのだとすれば、本当にそんな事だって出来るのかもしれない……。
「よし、ドリー君試しに俺から魔力を吸ってみたまえ」
『あいあい、相棒っ。にゅうううほおおおおおおお』
ドリーが奇妙な掛け声を出し、俺の頭をワシと掴む。すると、直ぐに身体の中から何かが抜け出ていくのを感じた。暫くじっとしているとやがてドリーは手を離し、俺の身体には、軽く走った後ような倦怠感だけが残っていた。
「本当に魔力が移動した? 冗談でしょ……」
横にいるリッツは信じられないものでも見たかのように、呆然としている。
『いやっほーい、相棒出来ました。出来ましたよっ』
「ほんとに? そりゃ凄いなっ。つか、魔力吸うってどんな感じなのさドリー」
『ふーみゅ。相棒の魔力はそれはもう凄くて、優しくて、凄い感じでしたっ』
全く分からないけど凄いが二回でる程なのはよく分かった。ならばいつものお礼も兼ねてもう少し吸わせてあげても良いかもしれないな。
「ドリーよ、気に入ったのならもう少し吸っても構わんよ」
『いえいえ、悪いですよっ。次は私が相棒に魔力をあげますよっ』
互いに、いいよいいよーと譲り合って遊んでいると、不意に目の前に影が落ちた。何かと思って顔を上げると身体をワナワナと震わせたリッツの姿。
「アンタら、何軽いノリでとんでもない事やってんのよっ。あり得ないでしょう、他人の魔力が自分に入って平気なんて、何がどうなってるのよっ」
何かやってはいけない事だったのだろうか。
よく分からないがリッツは信じられない、と言わんばかりの態度で、両手を広げて全身で不満を表現している。
そんなリッツに向かってドリーは指を振り、甘い甘いと、言いながら返答した。
『白フサさんは、まだまだの様ですね相棒。私達の一心同体っぷりを分かっていないようですっ』
「うむ。全くだ」
取り敢えずよく分からないが、ドリーの言うことだから間違いないはずだ。
俺とドリーの返答を聞いたリッツは深い溜め息を吐き「あーもう駄目。訳がわからない。きっと疲れてるのよ」と言い残し、怒って去っていった。
今度リッツに魚の骨でも食わせてやったほうがいいんじゃないだろうか。
その後も暫くドリー、樹々と一緒に泉で遊ぶ。途中で身体を洗おうとも思ったのだが、この綺麗な泉で垢を落とすことに躊躇いを感じてしまい、結局諦める事に。
二十分程遊んだ後、そろそろドランと交代してやらないと、と思いだし、俺は焚き火の元へと帰っていった。相変わらずヒラヒラと舞う蝶と共に。