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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
蟲毒の坩堝
54/109

6−1

 




 ザブリザブリと水面が揺れて、獄を跳ね除け叡智が進む。

 

 ラングと別れを済ませ船上から手を振っていた俺達だったが、いい加減部屋に向かわなければと甲板の上を歩きだす。

 都会に出てきた田舎者ばりに甲板の上でキョロキョロと見渡していると、ふと辺りの様子に違和感を感じた。


 ちょっと待て、何か可笑しい。


 そう思い周囲を確認していくと、直ぐ様その違和感の正体に気がつく。

 縛られてもいないのに動かないタル、普段通りに歩けている揺れない甲板。

 流石にこれは可笑しいだろ、と不思議に思い後ろを歩くリーンに質問を投げかけた。


「なあリーン。船ってこんなに揺れないものなのか?」

 

 既に船は出港しているはずなのに、現時点では殆ど揺れを感じられない。明らかに異彩を放ったこの状況なのだが、何故か俺の質問に対してリーンはキョトンとした表情で返事を返してくる。


「船って揺れるの? 私も数回しか乗ったことが無いけど、揺れる船なんて乗った事ないわよ。振動軽減の魔法があるし余程小さい船じゃない限り揺れるなんて無いと思うのだけど」

 

 さも当然の如くそう言ってくるリーンの態度を見て、改めて自分の知っている常識が通じないんだと思い知らされた。

 

 確かに、魔法なんてものがあるんだし、船を揺れなくする事だって出来ても可笑しくは無いよな。

 

 それに昔リーンから聞いた話では、この水晶船には『結晶機構』とやらが組み込まれてるらしいし、振動軽減の魔法を常時発動しても問題ないのだろう。

 流石に個人の小さな船や結晶機構を載せていない船なんかじゃ、そこ迄長期間魔法を発動出来るわけはないだろうから、揺れる船が皆無と言う事はないだろうが、一般的には船が揺れるという認識の方が少ないって事なのかもしれない。

 

 リーンの話で少し興味が湧いてきた俺は、船縁から顔を出し下を覗き込む。

 視界の中には醜悪な運河と淡く光る水晶船の横腹。さらに目を凝らすと、水面直前の空間がすこし歪んでいる事がわかり、何らかの魔法が発動しているのだろうと理解した。

 

 おお、すごいな。あの歪んで見えるのは多分風の魔法だろうとは思うけど、なんの為の魔法なんだろうか……船底に風、風と言えば、駄目だ思いつかん。いやしかし、本当魔法って便利だな。実際どれ位揺れを軽減してくれてるのだろうか。

 比べてみたい所だけど、俺も船ってよく分からないんだよな。


 俺の今までの人生で船に乗るという経験は殆ど無く、幼い頃に確か一回乗ったことがあったかどうか……殆ど記憶にも残っていないので、この船は殆ど揺れない、とその程度しか分からなかった。

 

 取り敢えず揺れも少ないようだし、今は船酔いとかしないように祈っておくか。できれば船酔い用の魔法とかあればいいんだけど……確か水魔法で体調回復の下位魔法があったし、それで治せたかもしれないな。こんな事ならクレスタリアで買っとけば良かった。

 

 多少後悔もしたが、船が出港してしまった今では後の祭り。今考えれば、出港前にもう少し前準備をしておくべき所ではあったのだが、クレスタリアでは大騒ぎに巻き込まれてしまったせいで、正直そんな暇などなかった。

 思わずあの大騒動を思い出し、溜め息を一つ吐きこぼす。そして少しでも落ちた気力を取り戻そうと、下の運河を視界に入れないようにして青空を泳ぐ雲を眺め心を癒していく。


「おい、そこの坊主っ。ぼけっと顔を出すな。あぶねーぞ」


 気力の充電を心みる俺に、船員であろう一人のおっさんが声を掛けてくる。

 危ないってなんの事だろうか……落ちるから気をつけろって事か。

 確かにこんな運河に落ちようものなら一瞬で死が待っているだろう。おっさんの言うことも尤もだ、と納得して船縁からゆっくり身体を引き剥がす。


「一応船の両脇に風魔法で飛沫避けはしてるが、船上まで飛んでくる事だってあり得ないとはいえねぇ。もし目にでも入ってみろ坊主の目玉なんて簡単に溶けちまうからなっー」

「本当に危ねぇッツ!?」

 

 船員の言葉に一瞬で反応し、エビのように勢い良く後ろに後ずさる。

 お願いします。次からはもう少し早く教えてくれると助かりますっ。駄目過ぎるだろこの運河。くそ、こんなもん見てても面白くもなんとも無い。一刻も早く部屋に行くべきだった。

 やれやれ、と額の汗を拭い周りを見渡すと、こちらを見ながら指をさして笑っているリーンとそれを諌めているドラン。どうやら今の一連の流れを見られてしまっていたようだ。


「ふふっ……やだ可笑しいっ、メイったら何その変な動き。ちょっともう一回やってくれないかしら、もう一回っ」

「リーンどん幾ら変な動きだからってそんなに笑ったらメイどんが可哀想だよ、こう言う時は知らないふりをして優しく見守ってやるのが一番だで」


 ドラン、それだけはヤメてくれ余計恥ずかしいっ。それとリーンは後で覚えてろよコノヤロウ。全くこいつらもう少し俺に対する優しさ的な物をもっと増やしたほうがいいと思うんだが……ま、まあいいさ、俺にはドリーがいるしな。

 そう自分を慰めドリーに向かって期待を込めた視線を向ける。すると、慰めてくれようとしているのか、肩にいたドリーが俺の頭にポンと手を置き、そのままとても真剣な声音で語りだした。


『メイちゃんさん……何故この世には獄級なんて場所があるのでしょう。

 自然を破壊し人々の生活を脅かす。私は、私は決してその存在を許せません。

 私の……水が、水がぁ、うわあああん』


 駄目だ、慰めてくれる気など微塵もなかった。というか、ドリーさん。途中までは凄く格好良い感じだったのに、最後の理由が限りなく薄っぺらいです。

 

 多分俺と一緒に運河を眺めていた時に「この水が全て綺麗な状態だったら」とでも考えてしまい、獄級に対する怨みを膨らませてしまったのだろう。というか、ドリーにかかったらはそこらにある砂漠ですら獄級区域になってしまうんじゃないだろうか。

 

 ケラケラと笑い続けるリーン。俺に向かって優しげな目線を送るドラン。いつの間にか運河の水は自分の物だと主張し始めたドリー。

 正直色々と言いたい事もあるのだが、いつまでもこんな場所に居ては船員さん達の仕事の邪魔になってしまうだろう。

 そう思った俺は、引きつる頬と溢れ出る文句をグっと堪え、笑い続けるリーンの首根っこを掴んで船内へと足を進めていく。

 


 甲板から階段を降り船内に入ると、先ほどまでの印象とはガラリと変わる。

 奥に向かう為の通路は、どこかホッとするクリーム色の壁。そしてと所々つけてある魔灯が柔らかい光を灯し、ダークブラウン色の床板を照らしている。外観の煌びやかさとは対照的などこか安心してしまう内装に俺は思わず感嘆の声を漏らしてしまっていた。

 

 いや、やっぱり豪華な内装よりこういうシンプルな方が落ち着くよな。

 

 落ち着きなく辺りを見渡しながら、自分達のチケットに書いてある番号とドアに付いてる番号を見比べながら自分達の船室を探していく。

 

 俺の買ったチケットはランクで言えば五段階ある中で下から三番目のもの。俺、ドリー、リーン、ドラン、樹々で三人部屋を一室。

 元々今回の船旅では俺、ラング、ドラン、ドリー、樹々と三人部屋で過ごす予定だったのだが、急遽ラングが抜けてしまった為リーンの個室をキャンセルし、そのまま三人部屋一室を残す形となった。

 同部屋にしようと言い出したのはリーン自身で、俺は何度か「本当に良いのか?」と尋ねたのだが「旅をする上でこういう事もあるのだし、余り気にしてもしょうが無いでしょ」と逆に窘められてしまった。

 

 部屋の値段は食事付きで銀貨十枚程、一人当たりではなく一部屋の値段で十枚。俺には高いのか安いのか良く分からない。個人的にはもっと安い部屋でも良かったのだが、武器や装備、荷物袋などそれなりに貴重な物があったので、やはり多少は安心して置いておける個室にしておいた方が良い、というドランの教えに従ってこの個室にすることになった。

 

 確か一番安いのだと大部屋で雑魚寝らしいからな。そういうのを狙った盗人も居そうだし、多少金が掛かっても個室を選んで正解なんだろうな。

 

 

 まあ余り長期間の航海でもないし、そこまで気にすることも無いのかもしれないけど。

 対岸への到着はおよそ明日の午前中位だろうという話。ドラン曰く、多めに見ても大体一日程度だと言っていた。一日と聞けば短いな、という印象を最初は抱いたものだが、改めて考えるとこれだって異常な事だろう。 

 

 ……どんだけ遠いんだよ対岸。もう運河って距離じゃねーだろ。

 

 流石に可笑しいと思いドランに質問してみると、運河の幅は異常に広いのは事実だが、時間が掛かる理由はそれだけでは無い、と簡単に教えてくれた。

 なにやらクレスタリアから対岸までの直線上には危険な区域もかなりあるらしく、それを避けて遠回りをしなければならなかったり、速度を緩めてモンスター達を刺激しないように進まないといけない場所もあるので対岸に着くまでにかなりの時間が掛かるとのこと。ただ、それとは別に、実際運河の水が両端を溶かしてしまっていて、凄まじく緩やかに、ではあるが運河の幅も広がっているらしく、このまま放っておけば長い月日を掛けて更に運河の幅は広がっていくだろうという話だ。

 クレスタリア等の国では運河がこれ以上広がらないように、両脇を水晶で固めるなんて無茶な計画も出ているらしいのだが、それが完成する為には途方も無い時間が必要になるんじゃないだろうか。


「メイっ。ほら、早く部屋に行きましょ」


 リーンのその言葉で、自分の足が止まっていた事に気づく。後ろにはリーンだけではなくドランもいる為、余りこの通路でボケッとしていたら他の人の邪魔になってしまうだろう。

 通路自体の広さは俺の想像していたものよりは広く、ドランの巨体でも問題なく通れる幅はあった。やはり亜人等の人種には身体が大きい者が居るので、通路も扉も多少大きめに作ってあるようだ。

 ただ、流石にドラン程の巨体がぼけっと突っ立ていては邪魔にならない訳が無いのだけど。


「悪い悪い、ちょっと考え事してて。よし、早く部屋に向かわないとな」

「全く、考えこんでぼーっとするのは悪い癖よ。注意力が散漫になって何か失敗してしまうかもしれないし、気を付けないと。

 メイはもう少し私を見習うべきだと思うの」


 そういってリーンは腰に手を当て無い胸を逸らし、少し口端を吊り上げ俺を見る。まるで「全く私がいないとこれだから」とでも言いたげな表情だった。

 言われる事はもっともなのだが、明らかに後半部分に違和感しか感じない。


「リーン、そういうセリフは地図を見れるようになって、片付けを出来るようになってから言うべきだと思う」

「まってメイ。私は両方出来るわよ。たまに失敗するだけじゃない」

「ちょっと待て。俺は一度足りともリーンが成功している場面を見たことがないんだが」

「あ、メイ。この部屋みたいよ。早く入りましょ」

 

 ご、誤魔化しやがった……こいつ何も反省していないっ。正直あの時見た地図なんて、役立た図としか言いようがない出来だったのに、何故こうも変な自信を保っていられるんだ。一回でいいからこいつの思考回路を見てみた……いや、どうせ見たって分からんからやめとこう。


 さっさと中に入ってしまったリーンを追って俺とドランも部屋に入る。

 部屋の中は宿屋の二人部屋を多少広くした程度、という所だろうか、三台のベッドが外壁側の壁に一定の間隔で置かれ、反対側には机と椅子が置かれていた。

 どこのベッドにしようかと悩んでいると、肩にいたドリーが真ん中のベッドを指さし楽しそうな声ではしゃぎだす。


『メイちゃんさん、私あの窓がある真ん中がいいです。っは!? 確かこういうものは早い者勝ちだと聞いた記憶が……ならば、早く取らなければいけませんっ。にょおおっ、とうっ』


 妙な掛け声を上げて、ドリーが肩からベッドに向かって飛び、くるくると回って華麗に着地した。

 何故ベッドを取るだけで無駄な技を繰り出すのだろうか。


『相棒っ、無事取りました。どうです褒めて下さいっ』

 

 バンっバンっ、とベッドを手の平で叩き嬉しそうに俺を呼ぶ。


「ドリー、その場所はお前が取りたかっただけだろうが……だがしかしっ、あの回転場所取りはかっこ良かったから褒めてあげよう」

『にゅへへ。さあ相棒存分に褒めて下さいっ』


 ゴロンゴロン、とベッドの上で転がりまわるドリーを「偉いぞー格好良いぞー」等と褒めていると……。

 ――ドスッツ。

 と、妙な音が聞こえてきた。

 不思議に思い後ろを振り向けば、左端のベッド上でリーンが飛び込んだであろう姿勢のまま首だけこちらに回し、どこか期待を込めた眼差しをこちらに向けている。

 そのリーンの姿から意図をなんとなく悟ったが、先程散々馬鹿にされた怨みがあったので、優しくかまってやる気など毛頭なかった。

 

「リーン、埃が立つからベッドに飛び込むのは止めたほうが良いと思うぞ」

「――ッツ!? そう……可笑しいわね。風の噂ではベッドに飛び込むと褒めてもらえるって聞いたのだけど」

「それは空耳だ、というかリーンの言動は魂胆が見え透いてて、褒める気にならねーんだよっ」

「っく……仕方ないわね。ならここは逆に、そう逆に私がメイを褒めて上げれば良いと思うの、私も満足するし皆幸せだわ。ねえ、メイちょっとなんか褒められそうな事やってみてくれないかしら」

「開き直って無茶振りしてくんなよっ」


 立ち上がったリーンは、さぁいつでも来いとばかりに片手を腰に当てもう一方の手の平をクイクイ、と動かす。

 なんて腹立つ動作をマスターしてやがるんだこいつ。

 今のリーンの相手をしているとそれだけで日が暮れてしまうのではないか、とそんな恐怖を感じ、無視するに決める。

 

 全く、今の騒ぎでも静かに冷静さを保ってるドランを少しは見習って欲しいもんだ。

 そう感心しながら、先ほどから静かにしているドランの方へと視線を向ける、がそこでも奇妙な光景を見つけてしまった。

 

 いつの間にか俺の頭から降りて、ドランのベッドの上で陣取る樹々……そして黙って向かい合うドラン。二人の間からは、妙に緊迫感のある空気が漂っていた。しいていうなら決闘前の剣豪といった所か。緊張感漂う空気の中、今まで黙っていたドランおずおずと樹々に声をかける。


「き、樹々どん。そこおらのベッドだからちょっと退いて欲しいかなーっと思ったりするんだけんども……」

〈ギャー〉

「いや、そこはおらのベッ……」


 ドランの言葉に樹々がその凄まじく悪い目付きを更に細め、ギロリ、とドランを睨みつけた。


「……あ、お、おら床って結構好きなんだで、だから樹々どんがベッドを遠慮なく使うといいだよっ」

 そういうと、しょんぼりと肩を下ろし、ベッドを樹々に譲って自分は床に座る。そのドランの姿に満足したのか、樹々はベッドの真ん中で悠々と丸くなり眠り始めた。


 あ、あっさり格付けがされてやがるっ、どんだけ気が弱いんだよドラン。


 ラングのお陰で初めの頃よりは臆病さも払拭したとはいえ、どうやら根本的な人の良さ、というか気の弱さは変わっていなようだった。仕方なくドランのベッドまで近寄り、グースカ寝ている樹々をつまみ上げた後、その鼻先にデコピンを叩きこみ起こす。

 ピィッ、と小さな驚きの声を上げ目を覚ました樹々は、俺の姿を確認すると「何をするんだ」と不満を顕に指をガジガジと甘噛みしてきた。


「ったく。ドランこういう時はちゃんと叱らないと駄目だぞ。ほらほら、今のうちにベッドを確保しとけって」

「おお、ありがてぇ。いやー流石メイどんだ、おら今日は床で寝る事になるかと思って覚悟を決めていた所だっただよ」


 しきりに褒めてくるドランだったが、凄まじくしょうもない内容なので、褒められても全く嬉しくはなかった。喜び勇んでベッドに近寄るドランを見ていると、苦笑と共にどこかその姿がドランらしいな、と思ってしまいなんだか微笑ましく感じてしまう。

 

 後は此処にラングさえいれば、いつものメンバーになるのにな。

 この平穏な光景を見ていると、騒がしい熱血漢の存在を思い出してしまい、ちくり、と心が痛んだ。


 いやいや、いつまでも気にしてても駄目だよな。ラングとは再会の約束をしたんだし。こうなったら、暫くダラダラしてこの妙な気分を回復させよう。


 寂しさを誤魔化し、今日の一日の行動基準を怠けると決める。そのまま自分のベッドに寝転がりドリーと一緒にゴロゴロ、と転がり平和を堪能していった。


 ◆


 さて、遂にこの時間が来てしまったか……ダラダラ過ごして気力も回復した事だし、そろそろこれにも手を付けねばなるまい。

 

 部屋に備え付けられている机に向かい、今日最大の障害である三通の手紙を机に並べ、その前で唸る。

 

 あ、開けたくねぇ。ブラムさん達からの手紙は問題ないけど、他二通が怖すぎる。一つは王妃から、もう一つは糞爺から。どっちも怖すぎて読みたくない。どうする俺、どの順番で読むかで今後の俺のテンションが決まってくるぞ。


 爺、ブラムさん、王妃の順番で読み、気力を保つべきか……ブラムさん、爺、王妃、で読んで最初にテンションを上げて後半を乗り切るべきか……いや、駄目だここはやはり最後にブラムさん達を残して気力を回復するべきだッ。ここは王妃、爺、ブラムさん達でいこう。

 覚悟を決めて封書を開け、緊張を漲らせ、ゆっくりと王妃の手紙を読んでいく。


 あれ? 大した内容じゃなさそうだな……。


 俺の予想に反して王妃からの手紙は今読んでいる部分までは特に問題のある内容では無く、思わず身体に入っていた緊張が抜け、心配して損しちまった、と一人で悪態をついた。

 内容としてはグランウッドで俺がやらかした事は実は仕組まれていた、という裏事情。後で説明しようと思ったが俺が直ぐ様逃げ出した為に説明をする暇もなかったとの事。そして恐らくリーンがキリナさんの家を尋ねるだろうと見越して、その件についての謝罪の手紙を送ったという話。

 

 なんだよビビらせやがって、てっきりもっと凄まじい内容が書いてあると思ったのに。

 すっかり緊張感も解け、王妃からの手紙の最後の一文に目を通す。


【旅に飽きたらグランウッドの騎士なんてどうでしょう? いつでもお待ちしていますよ。

 追伸、お詫びとしてはなんですが、貴方が獄級走破者であるとグランウッドで保証する書状も一緒に封入しておきました。困った時には使って下さい】


 くそッ、不意打ちかよっ。

 この王妃図太いというか、なんというか……やっぱり国をまとめる人ってこういう図太さが必要なんだろうか。 

 改めて手紙の入っていた封書を確かめてみれば、残念ながら本当にもう一枚謎の書状を発見してしまう。その書状には手紙に書いてある通りの内容と、なんだか偉そうな印まで押してあった。

 

 ……こういう危ない紙切れは袋の奥にしまっちゃおう。それがいい。

 

 俺は王妃からの手紙とその紙切れをそっと木箱に入れ、荷物の奥深くへと封印していった。

 ただ、幸いにもと言うべきか、グランウッドで肉沼走破のメンバーを発表したさいに、俺の名前は出さないでおいてくれたと書いてあり、未だ俺の名前は公には出ていないようだ。

 まあ、こんな爆弾紛いの代物を送られた事で、それに対する感謝の気持ちも吹き飛んでるけどな。


 不意打ちのせいで予想以上に疲れてしまった……だが、嫌な事を後回しにしたって始まらない。次だ、次ッツ。


【糞餓鬼へ。

 リーンは無事守っているのだろうな。もし傷一つでもつけてみろ、どこまでも追いかけてその性根を叩き直してやるから覚悟しておけ。

 そして早く儂愛用の武器を返す為に帰ってこい。それが出来ぬのなら、リーンに渡して届けさせてくれ、それならお前は帰ってこなくとも構わんぞ】


 俺はそっと手紙を閉じた。

 今読んだ内容の後も延々と早く帰ってこい的な内容と、俺に訓練を施してやるぞ的な事が書いてあり、俺の精神を容赦無く抉り取っていった。

 

 俺の気力は既に限界に達しそうです。

 大体八割がリーンに対する手紙じゃねーか。俺に送ってくるなよ糞爺。畜生もうダメだ。やはり最後にブラムさん達からの手紙を残しておいたのは正解だった、早く次にいって癒されよう。


【メイ、俺の土産は地域限定の酒とかで構わん。ブラム

 

 メイ君。貴方がたが元気ならそれが一番の土産です。ただどうしてもというなら水晶製のロッドとか喜びます。サイフォス。

 

 メイ君。お元気ですか? 相変わらず脳内にはヘドロが溜まっているのでしょうね。こちらはメイ君が居ないお陰か、とても平穏な毎日が続いて、私としては少々の寂しさを感じてしまいますね。あっ、突然ですいませんが、土産はシルクリーク製の最高級ローブがいいです。アーチェ。

 

 やあ、兄弟。もしかしたら今頃水晶船に乗っているのかな? あれはまさしく人類の叡智といっても過言ではないよ。是非とも帰ってきたさいには一晩中語り明かしたいものだね。それはそうと、私のほうは日夜研究に励んでいるのだけどね。中々結晶機構の強度改善がうまくいかなくて……(延々と魔道具についての熱き語りが続く)

 追伸。各国の魔道具なんかを土産として持ち帰ってくれると僕は信じてるよ。ゲイル】


 畜生っ、土産の催促ばっかじゃねーかッツ。

 思わず机に向かって手紙を投げつけてしまったが、きっと俺は悪くない。

 癒されないよ。こんなんじゃ俺の心は一欠片も癒されねーよ。大体アーチェの奴はなんで手紙の時だけ妙に丁寧口調なんだよ。余計腹が立つわっ。アイツの事だここまで予想して絶対わざと書きやがった。

 

 一応最後まで読んではみたのだが、土産催促の後の内容は「元気してるか?」や「またトラブルに巻き込まれてないか心配だ」など色々とまともな内容が書いてあった。ただ、残念ながら最初に書かれていた土産の催促のせいで全てが台無しになっているのは気のせいではないだろう。

 結局全ての気力を三通の手紙で完全に奪い去られ、俺は動く元気すらなく机に突っ伏した。


「どうしたのよメイ、突然手紙を投げ出したり、机に突っ伏したり」

「いや……グランウッドからの手紙が届いただろう。その内容がちょっと……な」

「あーそういえば私も読んだわよ。お祖父様ったら早く帰ってこいばっかりだし、ブラムさん達だって心配ばっかりして、全く困っちゃったわ」


 ……あ、あいつら絶対ゆるさねぇっ。

 俺は心中でブラム達に対する復讐を誓う。すっかり無くなっていた筈の気力も直ぐ様取り戻し、どんな手で嫌がらせをしてやろうかと、嬉々として計画を立てていく。


 ◆


「おおー結構いい風だなドリー」

『はい、中々いい場所ですねっ』

 

 先ほどまで、どうやってブラム達に嫌がらせをしてやろかと計画を立てていたのだが、余りに夢中になり過ぎてしまい、気がつくと身体の節々が凝り固まってしまっていた。流石にそのままでいるのも気分が悪く、俺は気分転換も兼ねてドリーと樹々を連れて甲板へと出てきていた。

 

 頬に当たる風と柔らかい暖かさの日光。船の最後尾一段高く上がった場所からの景色は中々のもので、下さえ見なければ青空が視界一杯に広がる癒し空間といっても過言ではない。

 

 後一、二時間位で夕方になりそうだな……このまま暫く過ごしていれば夕焼けが拝めそうだし、いい時間に来たかもしれないな。暇つぶしも持ってきたことだし、中々幸先が良いな。


 持ってきていた武器と装備一式、手入れ用の道具を入れた布袋をその場に降ろし、上機嫌でドリーに声をかける。


「さてドリー。中々いい場所も確保出来た事だし、ここで武器の手入れでもゆっくりすることにしよう」

『はいっ。私としても相棒から買って頂いた水色丸は綺麗にしておきたいですし、賛成ですっ』 


 樹々はさっさとあぐらをかいた俺の足の上に乗り、日光を浴びながらグテーっと眠りだし、俺とドリーは二人一緒に武器の手入れを始めていった。


 槍斧を太陽にかざし、刃や柄部分を確認していく。相も変わらず少し艶のある黒色の柄部分と、水晶の成分が強いのか透き通った黒蒼い刃は、多少の汚れはあったものの、特に傷が入っている様子もなく、その凄まじい強度の高さが伺えた。

 

 流石というかなんというか、本当丈夫だよなこの武器。でも、幾ら丈夫だからといってもクレスタリアでは強敵との連戦だったし、傷が入ってないか位見ておかないと。水晶平原じゃそれを怠ったせいでドリーと離れ離れになっちまったもんな。

 まあ、俺の武器に関しては砥石で削れる程度の強度だとはとても思えないし、刃毀れしててもどうしようもなさそうだけど。

 

 一先ず武器の傷がない事を確認し終わり、後は汚れを拭きとるだけとなった。袋から布きれとグランウッドで買った手入れ用の油を出し、それを使って愛用の武器を丹念に磨く。

 


 暫く無心で武器を磨いていたのだが、横合いから妙な歌が聞こえてきて思わずそちらに注意がそれる。


『水をーかけてーナイフを研いでー水を飲む。そして水を飲んでーかけてー研いでー飲む』


 妙なテンポの歌に合わせ、地面に置いた砥石で一生懸命ナイフを研ぐドリー。だが明らかに砥石にかける水よりもドリー自身が飲んでいる水の方が多いのは気のせいだろうか。

 止めようかとも思ったのだが、一生懸命ナイフの手入れをしているドリーを見ていたら、なんだかそんな気も起きず、好きなようにさせることにした。


 武器の手入れも終わり、次は防具へと手を伸ばす。

 軽鎧の方は特に傷んでいる様子はなかったのだが、篭手がひどい事になっていた。篭手の金属面には鋭く切り裂かれた跡がありありと残っており、それをしでかしたキリナさんの腕と水晶槍の切れ味を改めて思い知らされる。


 これは本職の人に頼まないと……俺にはどうしようもないな。

 流石に金属面の補修など俺に出来るはずもなく。さっさと諦め軽鎧とブーツに取り掛かる。




 ボケーっと空を眺めながら無意識に手を動かし、手入れを進めていたのだが、やはり何も考えないという事は思ったよりも難しいようで、暫くすると、今まで考えないように頭の隅に追いやっていた不安という名の種が脳裏に芽吹き始める。

 

 ――クロムウェル。

 あの時止めを刺せずに逃してしまったアイツは、また俺を狙ってくるのだろうか……出来ればさっさと俺の事なんて忘れてしまってくれればいいのに。

 仮に俺の事狙ってくるとしたら、次に会う時には桁違いに強くなっているんじゃないだろうか。それこそ獄級の主並に。

 出来れば二度と会いたくなんて無い。だけど、あの狂気と憎悪が篭った赤黒く濁った瞳。それを思い出すと、アイツはきっと俺を狙ってくる。そんな気がしてならなかった。

 

 考えれば考えるほど心の底から湧き上がる不安と恐怖。それが俺の心に陰鬱な影を落とす。

 

 次は勝てないかもしれない。もしかしたら俺のせいでリーンやドランを巻き込んでしまうんじゃないか。

 そうなると、リーン達を巻き込まないようにする為に俺は一人で旅をした方が……とそこまで考え胸の奥がズキズキと痛む。

 その方が問題無いのは間違いないのに……嫌だ、嫌だと本心が叫ぶ。

 きっと今まで頭の隅に押し込んできたのは、俺自身の甘え。その決心をつけられず今の現状に甘んじているのは俺のどうしようもない弱さ。

 

 もしかしたら、ラングと別れた事が切欠で、その不安が大きくなってしまっているのかもしれない。

 今の居心地の良い仲間を失いたくない。でも同時に大事な仲間を危険な目に合わせたくない。相反した考えが頭の中でグルグルと回り、考えれば考えるほど胸が締め付けられ不安が押し寄せる。


 それに気になるのはシャイドの去り際の一言【それでは、また会いましょう】アイツがどういう意図を持ってその言葉を放ったのか分からない。アイツの目的はクロムウェルだったんだろう? 俺はそれに巻き込まれただけな筈だ。それならアイツにとって俺はどうでも良い存在な筈なのに、何故また会おう等と言い出したのだろう。

 ただ俺がこうやって悩むのを見越して嫌がらせに言ったのだろうか、それとも何か他の意図があってあの言葉を残したのだろうか。

 分からない。理解出来ない。


 ――ゴトリ。


 考え事に没頭する余り、手に持っていたブーツを落としてしまう。思考の海に沈み込んでいた意識が急激にその音で引き戻され、ハッと我に返った。

 意識を戻し前を向くと、何故か目の前ではドリーが手をヒラヒラと振っていて、俺の顔を見て心配そうに声をかけてきてくれる。


『あいぼー、どうしたんですか。何か悲しい事でもあったのですか?』

「ドリー、なんでもないよ。ちょっと考え事をしてただけだから」

『むむむ、相棒嘘はいけません。あんな苦しそうな表情をこの私が見逃す筈ないのですからっ。さあ、私に全てを相談するがいいのです。そう、まるで全てを包み込む大樹の如く相棒の不安など受け止めきってみせましょうっ。

 何故ならば、私はメイちゃんさんの一番の相棒ですからっ』

 

 拳を振り上げ空に向かって高々と上げるドリー。

 

 その姿と先ほどの言葉でほんの少しだけ心が軽くなった気がした。そして気がつく、先ほど悩んでいる時でさえ、俺はドリーと別れる事を少しも考えていなかった事に。

 ――もう少し、もう少し様子をみよう。今考えた所で情報が少なすぎて打つ手も見えてこない。大体、いつまでもこんな顔をしてたらドリーに心配掛けちまうしな。

 頬を両手でピシャリと叩き、強ばっていた表情を無理矢理崩した。


「はははバカめ。この正直者の権化である俺が、嘘なんてつく訳無いじゃないかっ。そんな事を言う奴にはお仕置きしてしまうぞっ」

『にょわーー、相棒が復活しているっ。まさかあの表情すら演技なのですかっ? っく、相棒恐るべしっ』


 ありがとうドリー。その言葉を胸の奥にしまいこみ、ドリーと戯れ時を過ごしていく。


 ◆

 

「くそ、遊びすぎて余計疲れた」

『私としてはもう少し遊んでも良かったのですが』

「マジで勘弁して下さい」


 すっかり時刻も夕方。

 視界に入るすべての景色を夕日が赤く染め上げ、あのドドメ色の運河でさえも今はなりを潜めている様だった。

 俺が今まで見てきた夕日とは桁が違う。広大な運河のせいか、視界を遮るものなど何もなく、地平線にゆっくりと沈み込んでいく夕日の明かりが世界全てを燃やしているようにすら見えた。


 夕日ってこんなに綺麗なもんだったんだな……今だけなら悩みも全部吹き飛んじまいそうだ。

 


 暫く眼前の景色に見とれて動けなくなっていたのだが、ふと、俺の耳に誰かの話し声が聞こえてきた気がした。

 勘違いか、とも思ったが、念の為に耳を済ましてみれば、やはり人の声が聞こえる。どうやらこちらに近づいてきているようだ。


「お姉ちゃん早くしてよ、夕日が綺麗に見えそうな場所を見つけたのに、間に合わなくなっちゃうじゃない」

「あらあら、リッツったらそんな焦らなくても夕日は逃げないでしょ」

「沈むでしょうがッ」

「全くお主ら本当少し落ち着かんか」


 騒がしい声が聞こえ、俺の前に見覚えのある三人が現れる。


「っげ、先客がいるじゃない」

「リッツ、駄目よー失礼な事言ったら」

「おやおや、どこかで見たことがあると思うたら。あの時斡旋所で一緒になった若人ではないか。元気しとったかいの?」


 見覚えのあるのは当然で、クレスタリアでの警邏で一緒になった白リスさんと黒リスさん、岩爺さんの三人だった。




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