濁る水晶助けを求め、真紅の炎が影照らす
【時刻二十二時二十分】
ヤル気を漲らせどんどんと先に進んでいく私。
大通路を通り過ぎ、先へ先へと足を進めていくも、一つ重大な事実に気がついた。
「ねえ、キリナ。道が分からないんだけど」
「……なら何故一人でズカズカ進むのです」
「だって、その。ねえ?」
「ねえ? じゃ、ないでしょう。全く……リーンは私の後ろをついてきて下さい」
呆れたように額に手を当て、やれやれ、と首を振るキリナ。ただ、言われたことも尤もだったので、私は大人しくキリナの後ろをついて行く事にした。
大通路を真っ直ぐに抜けた先は、王の間になっているらしいのだが、今回はそこにいく必要がなく、途中にあった脇道に入り、通常の広さになった廊下を進んでいく。廊下には青い絨毯が敷かれ、時折水晶製の装飾品等が置かれているのが見えた。大通路に比べれば、魔灯の数が少なく少しだけ暗く感じる。
「シャイドの私室は二階の廊下奥にあります。そして、この時間にシャイドは部屋に居ないことを調べておいてあるのですが、一つ問題があって、廊下前に見張りの兵が一人」
「それで、見張りはどうするの? キリナなら通してもらえる?」
「無理でしょうね。見張りに立っているのはシャイド派のものでしょうし、私を通すとは思えません」
「なら、この際兵士を捻って無理矢理進めばいいんじゃないかしら?」
「それも一つの手なのですが、できればシャイドの私室を探る時間が欲しいのです。その前に問題を起こせば、その時間が無くなり、クロウエ様方を助ける為の証拠を、シャイドの手の者に隠滅されてしまう可能性もあります……ただその可能性が出てくる、と言うだけで、どうしてもというわけではありません」
そうね……シャイドを捕まえたからといって、メイ達が助かるとは限らない。できるなら先に証拠を手に入れておいた方が安心だもの。しかしキリナは一体どうやって見張りの兵士を突破するつもりなのだろうか?
キリナは私の表情を見て、考えている事を悟ったのか説明を続けてくれる。
「しかし、私は確実に警戒されてしまう為、如何しようも無いのですが、今此処には幸いにも、もう一人いるわけです……」
そういうと、チラリと私を見るキリナ……え、何。なによ?
「実は我が家の侍女服はクレスタリア国で正式に採用されているものとほぼ変わりません。唯一違う所はスケイリル家のエンブレムが肩口に付いている事ぐらいでしょう。つまり、それさえ外してしまえばこの城で働いている侍女の服装と変わらないわけです。侍女服は各家毎に色々と変化はあるのですが、シャイドはそういったものには興味が無いようで、侍女服は基本のものをそのまま使わせているようです……さて、ここまで言えばわかるでしょう? リーン頑張ってください」
そういうとキリナは私に向かって微笑んだ。
――つまり、私にシャイド付きの侍女を装えと、その上で見張りをどうにかしろと言っているのだろう。冗談じゃない、とは思うが、メイ達を助ける為にやらなければいけないのなら、我慢するほか無いだろう。
嫌々ながらもキリナから詳しく話を聞き、作戦を立てていく。
◆
私は静々と二階の廊下を奥に進む。
既に侍女服の肩口に入っていた刺繍はキリナの武器の刃で取っている。今からやることは単純で、シャイドからの命令で見張りに交代を伝え、あの場から追い払うこと。
近づいていく私を確認したのか、見張りの兵士がこちらを見つめ、待ち構えている。
「そこの侍女、この先に何か用か? ここは通せない事になっているのだが」
ドキドキ、と心臓が鳴り。身体が少し緊張で強張る。上手くいくだろうか、否、上手くいかせねばならない。
「失礼します……この先に用事、では無く。見張りの方に、とシャイド様からの伝言を預かって参りました」
「何、シャイド様からか。なんだ一体」
見張りの表情が先ほどよりも引き締まり、少しだけ緊張感を漂わせていることがわかった。これはやはり、この見張りがシャイドの部下ということなのだろうか。まあ、この男がシャイドの部下だろうとそうでなかろうと、私がしなくてはいけない事は変わらないのだからどうでも良い事なのだけど。
「先ほど大通路の方でシャンデリアの一部が落下する、という事故が起こりまして、幸いにも怪我人は出なかったのですが、姫様の御身に何かあったら事なので急遽点検作業をすることになりました。ですが、今の時間では人手が足りず、シャイド様もお部屋に居られない為、見張りよりもそちらを優先しろとのご命令です」
こんな言い分で大丈夫なのだろうか……少々不安ではあるのだが、他に何も思いつかなかったのだから仕方あるまい。
ただ、キリナもこれで駄目なら力ずくでいこう、と言っていたので、多少気が楽ではあった。私の言葉に見張りの兵士は腕を組み、少し難しい顔をする。
「う、うむ。確かに先ほど何かの破砕音が聞こえてきたので不思議に思っていたのだが、そういう事か。しかし、ご命令といえど、見張りを放っておくわけには……」
「しかし本来見張りの目的はシャイド様の警護なのでは? 現在シャイド様はお部屋に居られない。ならば少しの時間なら問題無いでしょう」
シャイドが望む警護本来の目的など私もキリナも知りはしない。だが、この見張りの兵士も知らないのではないだろうか、というかま掛けではある。上手くいけば御の字、いかねば力ずく。どちらにせよ私にとっては結果は変わらない。いや、出来れば上手く騙されてくれれば嬉しいのだけど……。
「それに私は別に構いませんが、命令に背いた事で何か罰があるかもしれませんよ」
延々と考えを続けていた兵士だったが、私の罰という言葉に妙に反応を示し、やがて結論が決まったのか、一人静かに頷いた。
「シャイド様の命令なら仕方あるまい。本来なら交代の兵が来るまでは動くべきではないのだろうが……」
「現在人手が足りていないのですが、見張りは後で交代の方が来られるようですよ? 少しの間なのでシャイド様もそういった判断を下したのではないでしょうか」
「そうか……交代がくるのか、ならばいいだろう了解した。直ぐに向かうことにする」
その言葉に思わずガッツポーズを取りそうになったが、意識を総動員して我慢する。
まさかこんなに簡単にいくとは思わなかったわね。表向きは本当にシャイドの警護という名目でここの見張りをしていたって事かしら? もしそうなら見張りの兵士もそこまで此処を重要視していない事も頷けるものね。
見張りの兵は持ち場を離れ、下の階に続く廊下へと消えていった。暫く待ち、キリナと合流し、更に奥に向かって進んでいく。
「でも案外上手くいきましたね。私としては少々苛立を隠せない状況ではありますが……シャイドを捕まえた後に兵士達に厳しく再教育を施さねばなりませんね」
厳しい顔つきをしたキリナは拳を握りしめ、兵士達への死刑宣告を告げる。
キリナ、それは自分で騙しておいて酷い仕打ちじゃないのかしら。
「さて、この曲がり角を左、行き止まりを右に曲がって、廊下の一番奥がシャイドの私室です」
そうキリナに言われ私が先に曲がり角を曲がる……と。
「――ッツ!? キリナ戻ってっ」
キリナを直ぐに後ろに押し戻す。
「リーン、一体何を……」
「少し黙っていて……廊下の先に誰かいるのよ、確かクロムウェルの仲間のラッセルとかいう奴だった筈」
「あの鷲鼻の男ですか、しかし何故ここに」
「私が知る訳ないでしょ。どうすんのよあれ」
いい機会だからぶっ飛ばしてやろうかしら……いやいや、折角ここまで問題なく来れたのだ、何か他に手はないかしら。
「さて、リーン。じゃあ宜しくお願いしますね。私は一度来た道を戻ります。リーンはラッセルを誘導して、少し戻った先にある客間に連れ出してください」
「何でよっ!? 大体私あいつと会ったことあるんだからバレちゃうわよ」
「心配しすぎですよ。リーンが会ったのは装備を整えモンスターとの戦闘中でしょう? 今は服装も違うし、多少化粧も施しています。それに髪型もちがうのでしょう。バレはしませんよ。
ただ、念の為に武器の入ったその箱は持って行って下さい」
確かにあのラッセルとかいう男に会ったのは一度のみ、キリナの言うとおりバレない可能性も高いけど、本当に大丈夫かしら。キリナに詳しい部屋の場所を聞き、表情を澄ました顔に取り繕う。動揺を顔に出さないように気をつけ、私は曲がり角を曲がってラッセルに近づいていった。
私から話しかけるまでもなく、ラッセルがこちらに気が付き話しかけてきた。
バレませんように、バレませんように。
私は心の中で、ラッセルが気がつかないことを祈る。
「お、その服装はシャイド様の侍女か? なあ、シャイド様かクロムウェルの旦那見かけやせんでしたかい、なんか用事があるとかで、二人してどっかいっちまって、ここで待ってろって言われてたんですが、全然戻って来やしない」
――良かった、バレてないっ。
私はラッセルにバレないように安堵のため息を吐く。さて、一体なんて行って連れすべきかしら、ラッセルは私の事をシャイドの侍女だと勘違いしている。このままこれを上手く使いたいわね。
「ラッセル様、実はその為に私はここまで来たのですが、シャイド様は暫くまだ時間が掛かるとのこと、その為一旦客間でお待ち頂けるように、との伝言です」
「……そうですかい、それなら仕方ありやせんね。ちと場所が分からないんですが、案内をお願いしても?」
嫌なんだけど。一人でいきなさいよね。とは言えない。
「分かりました。ではご案内致しますね。こちらですよ」
ニコリと微笑んだつもりなのだが、今上手く笑えているのだろうか。微妙に引きつった笑いになっている気がしなくもない。私は片手に木箱を抱え、ラッセルを目的の客間に案内していった。
◆◆◆◆◆
【時刻二十二時】
さてどうしたもんか、先ずは向かうべきは場所は武器の確保。で間違いないだろう。俺達の装備がそこにあるとは限らないが、まずは向かってみないことには始まらない。
『相棒、この階段を上がった先には一人見張りがいましたがどうしましょう?』
〈まじかよ、流石にこの人数でバレないようにすり抜けるのは無理だろうな。騒がれないように静かに気絶させよう。ラング頼めるか?〉
〈容易い事〉
やはり頼りになるな。肉体しか頼りになるものが無い今、例え片腕だとしても確実なのはラングだろう。
俺達は静かに地下牢からの階段を上っていく。すると、確かに出口付近に一人の兵がいるのが見えた。ラングがそろそろ、と気配をけして背後から忍び寄り、兵士の首筋に手刀を叩き込み眠らせた。
〈メイ殿、完了だ。してこやつどうする?〉
〈んーどうしたもんか。できればバレ辛くしておきたいな。そういえばドリーダガーナイフもってたよな?〉
『はい、七つ道具の一つ淑女ナイフですね。ちゃんと持ってきていますっ』
あーあの七つ揃っていない七つ道具か、大体ダガーナイフはいっぱいあるのにまとめて一つと考えている辺り、思いついて適当にきめたのだろう。
俺はドリーからナイフを受け取り見張りの兵を壁際に立たせると、兵士が着けている鎧の首についている金属部分にナイフを斜めに通し、壁に突き刺し固定する。更に兵士の持っている槍を手に握らせ、服を少し破いて手に巻き付け無理矢理持たせる。
ふはは、完璧だな、これで絶対バレないだろう。
〈メイ殿、なんか気持ち悪い感じで立っているのですが大丈夫で?〉
〈メイどん。おら、これ駄目だと思うんだけど〉
確かにちょっと首はグテン、となっているし、膝も曲がってちょっと生気がない感じになっているけど、大丈夫だって、多分。
『相棒の知略……恐るべし』
流石ドリーよくわかってる。完璧だよな。
満足した俺は、ドリーの案内の通りに廊下を進んでいく。
暫く進むと、目的の部屋にたどり着き中に入る。三部屋分程ぶち抜いてあるのか、部屋はかなりの広さ。中は薄暗く、棚がところ狭しと並べられ、武器やら防具やらがそこらに乱雑に置いてあった。
「よし、取り敢えず部屋の中を探るぞ」
俺の言葉にラングとドランは頷き、部屋の中を探っていく。俺もドリーと二人で辺り見渡しめぼしい場所を探していく。
――んー、中々見つからないな……つか棚とか箱多すぎだろ、どんだけあんだよ全く。
部屋には棚のみでは無く、色々と詰められた箱も並んでいるので、一つ一つ開けて探していくのもかなりの労力だ。
〈メイ殿、ちょっと来てくだされ〉
急にラングが俺に声を掛け、こちらに向かって手招きをしていた。
なんだ、ラングの奴何か見つけたのか?
呼ばれるまま近づいていくとラングの目の前に三メートル程の長さがある大箱が置いてあった。
〈この辺りは全部探してみたのだが、この箱だけ生意気にも鍵が掛かっていて開けられなかったのだ、どうにかならんもんですか〉
そう言われても、この金属製の箱はかなり硬そうな見た目をしている。周りにある武器を使って壊すことも出来るかもしれないが、間違いなくかなりの音が響いてしまい、その音を聞きつけ誰か来てしまうかもしれない。
じっくりと鍵穴眺めて考えこむ。流石に現代のように小さなものではなく少し大きめの鍵穴。
鍵か、確かピッキングとかって映画でやってるの見た事あったけど、中の金属を持ち上げて開けるんだっけか? でも俺にそんな技術あるわけないし、どうしたもんか。
『相棒、私が少し試してみましょうか?』
〈なにドリー開けられるの?〉
『私に不可能など結構ありませんっ』
ドリーさん、自信があるのか無いのかどっちだよ。
ドリーは自信満々に俺の肩から降りると、鍵穴に小指を突っ込んで中を探る。
『ふむふむ、ほうほう……成程』
〈おお、その感じは、わかるのかドリー〉
『はいっ、余裕で分かりません』
ちきしょうこの野郎。
『ですが開けられそうですっ』
そういうやいなや、ドリーは種を入れた袋から一粒種を取り出し、鍵穴に放り込む。
『グロウ・フラワー』
ドリー魔法が発動し、なにやら鍵穴から音が聞こえ始め、暫くまっているとガチャリと箱から音がした。
マジかよ、開けやがった。すげーなドリー何でも出来るんだなっ。
〈良く出来たなドリー。偉いぞー〉
『ぬへへ、任せて下さい。なんだか適当にやっていたら開いてしまいましたっ』
まぐれかよっ。少し褒めて損した気分だぞ。
でも開いたことには変りないし、良かったと言えるだろう。ドリーを一撫でし、ラングと共に箱を開けてみると、目的だったドラン以外の装備がしまわれていた。
〈おおお、我らの装備ではないか、やりましたなメイ殿〉
〈やったなラング。さっさと装備を付けて、後はドランの箱を探して逃げるぞ〉
他の場所を探していたドランを呼ぶと、どうやらドランの金属箱は別の場所に置いてあったらしく、既に背中に背負っていた。
ドランの箱を探しだす手間も省け、残った俺とラングは順々に自分の装備を身につけていった。
やはり今までずっと愛用していた装備を身につけると、安心感が違う。正直、俺の感覚からすると、武器や防具に慣れ親しみ、身につけると安心する。という言葉だけ聞くと変な人にも思えてくるが、まあ、仕方ないよな。
『おかえりなさい水色丸ーっ』
余程自分のナイフが戻ってきたことが嬉しかったのか、ドリーはやたらとはしゃいでいる。大事にしてくれているようで俺も少し嬉しくなってしまった。
武器も無事取り返し、後は外に逃げるだけ、だが一体ここからどう行った順路で脱出すればいいのだろうか。俺はドリーにここまで来た順路を説明してもらい、逃げ出す算段を整える。
『私としては、でっかい廊下は余り通らないほうが良いと思いますっ。隠れる場所もなく、見つかりやすいのではないかと……』
〈そうかー、確かドリーの話しによると、二階の廊下が大通路に脇に通ってるんだよな? なら大通路は通らずに二階を通って入り口付近で一階に飛び降りるってのはどうだろうか〉
『それが良いと思います。流石に大通路先の出入口からは脱出はできないかと思うのですが、その付近にある廊下にある窓から外に出られるかとっ』
そうか、ならばその案でいくか……余りこの場にとどまっていても仕方ない。一先ずその経路で逃げ出してみることにしよう。
〈じゃあ急いで出発するぞ〉
〈応〉〈了解〉『あいあいー』
部屋を出た俺達は、廊下を少し戻り、二階に上がる階段を登っていく。時折人影が見えるも、上手く途中にある部屋などに隠れやりすごす。
――順調だな。これは結構簡単に逃げられるんじゃないか? ふはは、流石怪盗紳士といった所か。
少し調子にのった俺は順調に廊下を進み曲がり角を曲がった……のだが。
何故か俺の目の前には見覚えのある銀髪女性が一人、武器を手に持ち驚いた表情を浮かべ俺を見つめていた。
「貴方が何故ここにッ、――ッハ!? そそそ、それよりも、あの時は……」
銀髪女性はおれに向かって何かを話しかけ、武器を持っていない方の手を伸ばしてくる。
…………。
〈ぎゃあああああッ〉『きゃああああああッ』
余りの事態に俺とドリーの遠慮がちな悲鳴が口から飛び出る。
ヤバい、まじでヤバい。大体なんでこの人足音も気配もしねーんだよ。常に忍び足で歩いているんですか? どこの忍者だこの野郎。きっとあの言葉の続きはこうだろう「あの時はよくも逃げ出してくれましたねッ。もう逃がしはしない」とかだろう間違いない。
『エント・ボルトおおおお』
腰に下げた鉄粉に未だかつて無い速度でエントを掛け、女性に向かってふりかける。
〈鬼は外ーーー! 鬼は外ーー!〉
思わず本音が溢れでて、女性に大して失礼な掛け声を上げてしまうが、それほど俺はテンパっていた。
〈ラング、ドランッ。逃げてーー。すぐ逃げてーーッ〉
『わわわわっ。早くっ、急いで下さいっ』
俺とドリーの必死な声音に、ラングとドランも何かを悟ったのか、急いでこの場を逃げ出していく。
「ちょ、ちょっとお待ちなさいッ、いや待って、待って下さいッ」
あの人俺を引き止めて何をするって言うんだッ、またダルマか、ダルマにしようとしているのかッ。冗談じゃ無い。逃げるが大勝利という言葉だってあるのだ、待って堪るかッ。
〈わーーーー〉『わーーーー』
聞く耳なんて持つわけもなく、俺達は速攻でその場を逃げ出した。
廊下を必死にひた走る、後ろを何度か確認した際姿は見えなかった。どうやら後を追いかけて来ていないらしいが、安心は出来ない。俺達が一息ついた所で「待っていましたよ……」とかいって先回りしててもおかしくは無い。――怖すぎるだろうそれは。
〈メイ殿、こんなに必死に逃げずとも。女子一人など、大した事はなかろう〉
〈ラング……冗談じゃなく本当に拙いんだって。多分三人がかりでも普通に負けれるかもしれん〉
〈そんな馬鹿なッ〉
〈ええ、あの人そんなに強いんだか?〉
〈というか相性が悪すぎる。強いのは当然だけど、技術も凄くて本気を出されたら受けることも出来ず武器ごと真っ二つにされる。もしかしたらドランの武器なら受けれるかもしれないけど、俺じゃ目で追えない位の早さで動きやがるから、まずドランじゃ受けれない〉
〈な、なんとッ〉
廊下は幅が狭く、動きまわることが出来ないから彼女自身動きを制限されるが、それはこちらにも言えること。あの狭い空間で振動する水晶槍を避けきるなど先ず無理だ。ラングの目なら終えるかもしれないが、間違いなく手甲ごと叩き切られて捌けないだろう。せめてリーンが居ないと相手にする事も考えたくなど無い。
しかし、なんであの人が城にいるんだよ。脱出が順調とかまじで嘘です勘弁して下さい。
俺は早くこの危険地帯から逃げ出す為に出口を探して突っ走っていく。
◆◆◆◆◆
【時刻二十二時四十分】
リーンがラッセルを誘導し終えるまで、少し廊下を戻り身を隠そうとしていたのだが、捕まっているはずのクロウエ様方が何故か私の目の前に現れた。私は動揺してしまうも、まずは誤解を解くため謝ろうとしたのだが、彼は私の顔を見るなり、悲鳴を上げて逃げ出していった。
リ、リーンに言われていた事とはいえ、実際やられるとかなり精神的にダメージがきますね……よりにもよって鬼呼ばわりされるとは。しかしなんでこんな所に……牢に捕まっているはずでは? いや、ここに居るという事は、どういった手段をもちいてか知りませんが、牢から脱獄したのでしょうか。
な、何でこう、静かに待っていれば済むものをどんどん騒ぎを大きくしていくのですか彼はッ。
私は頭痛が走り、頭を抱え、しゃがみ込みそうになる。
どうすれば。リーンに伝えに行く? いや駄目ですね。間違いなく、しばらくしたら逃げたことが発覚し騒ぎがおこる。その前に何としても彼らを助ける証拠を手に入れ、シャイドを先に捕まえるべきでは無いでしょうか。
そう判断した私は、早足でシャイドの部屋へと向かっていく。
先ほどラッセルが居た場所まで戻ってみれば、リーンとラッセル両名の姿は無く。どうやらリーンが上手くやってくれたのだとわかった。
警戒を緩めず、奥へと進みシャイドの部屋までたどり着く。部屋には鍵が掛かっていたが、迷わず武器を振るい鍵を両断する。
鍵が無くなったドアを開き、中に入る。灯りが消えたシャイドの私室はさして装飾も無く、こういう面を見ていると何故シャイドはあんなに汚い手を使い地位をあげていたのか分からなくなる。
シャイドという男は金に固執するようにも見えず、女にも興味を抱いている様子がない。普通の人間が抱く欲らしきものが見当たらず、私にはシャイドの事が理解出来ないし、人間味を感じさせない雰囲気に気味の悪さを抱いてしまう。
そのまま考えこみそうになるが、ハッ、と気が付き意識を戻す。
――そうです。こんな事を考え込んでいる時間はないのでした……すぐに部屋の中を調べなければいけません。
私は灯りも付けず、窓から入り込む月明かりを頼りに部屋の中を探り回る。
机を調べ、棚を調べ、部屋の隅から隅まで余さず調べていくが、何も見つけられない。
無い、無い。一体どこに隠して居るのですか……まさかこの部屋には無く、どこかに他に隠してあるのでしょうか。いや、まだ決め付けるのは早計です。やはりバレては拙いものほど、自らの近くに隠すと思うのですが……。
基本的に全て探した……後見ていないのは天井と床下。天井の可能性は低い気がする。天井裏というものは、結構広く空間がある為、あまり物を隠すには向いていない。
敷き詰められた絨毯の上で槍の柄を地面に打ちつけ音を聞いていく。白い石材の床が打ち鳴らされ、カツン、カツン、という音が槍を通して伝わってくる。順々に部屋の隅から全ての床を調べていくと、棚をずらした床だけ種類の違う音が聞こえた。私は四角く区切られた石材の床に水晶槍の刃先を差し込み、柄に力を入れる。ガギリ、と音がし、石材が動いた。
どうやら四角い石材の一個の中身を繰り抜き、上から同じ石材でフタをしていた様だ。中を探れば魔法印で鍵が掛けられた金庫が一つ。試しに武器で斬りかかってみるが、硬い感触が返ってくるだけで傷が付いた様子は無い。
鍵は魔法刻印タイプ。これは本人以外開けないように出来ている。便利と言えば便利なのだが、多数の人間が関わる箇所に使うには向いていない。だが、シャイドが個人的に物を隠すには好都合なものだろう。箱の素材はミスリルと黒鉄鉱との混合金属『普通』の武器なら歯がたたないでしょう。
先ず間違いなくこの箱の中に目的の物は入っているでしょうし、致し方有りませんね……。
『エント・サンダーボルト』
部屋の中に落雷の音が鳴り響き、周囲に雷光を撒き散らす。できれば余り騒音を立てたくは無かったのですが、使わなければ開けられないのだからしょうが無い。
槍が雷を吸収し振動を始める。箱を地面に置き、武器を振り上げ金属箱の端を切断する。ギャリギャリ、と嫌悪感が沸く切断音が聞こえ、思わず眉を顰めてしまうが、無事箱を切断できたようだ。
中身を傷つけないように端を狙ったのですが、上手くいったようですね。
箱を持ち上げ中身を床に落とすと、中からそれらしき用紙が姿を表した。内容を一つづつ確認してみれば、私が黒ずくめの隠れ家から手に入れたものと同じ物が数枚。パラパラとめくっていくと、目的であったクロムウェルとの誓約書を見つける。
「よし、これで全て上手くいくッ。早くリーンに知らせなければ……」
喜び勇んで、直ぐにリーンの元に行こうとドアのある方向に振り向こうとした瞬間。
「おやおや、躾のなっていない鼠が私の部屋に紛れ込んでいるようですね。いけませんね。いけませんよ?」
背後から急に声を掛けられ、ビクリと身体を竦ませてしまった。
ゆっくりと振り向けば、ニヤニヤと笑うシャイドの顔が見え、手には一本の赤いクリスタルが嵌った杖を持っている。
私は静かに立ち上がり、シャイドに向かって槍を構える。
「鼠……とは中々言ってくれます。貴方ほどの害虫に言われると更に不愉快になるのですが、大体貴方はこの時間用事で此処には居ないはずでは?」
「普通大事な物には警報位付けておくものでしょう? 可能性すら考えつかないとは、獣は獣と言うことでしょうか」
「貴方こそ自分の立場を分かっているのでしょうか、ククリなどという、下らぬ組織を作り、禁薬にまで手を出し、何をするつもりなのかは知りませんが、この誓約書さえあれば貴方の地位など直ぐに吹き飛んでしまうんですよ? 理解できたのなら大人しく捕まってしまいなさい」
私は手に持った誓約書をシャイドに突きつけ、余計な動きをするなと殺意を込めて牽制する。だがシャイドはそれを聞いても笑顔を崩さずさして気にしても居ない素振りで私を面白そうに眺めている。
「ひひひッ、貴方は何もわかっていない。分かっていませんね。私にとって地位なんてどうでも良いのですよ。どうぞ勝手に姫に公開するなり。好きなようにすればいいでしょう。良かったですね? これで貴方も城に戻れる。おめでとう御座います」
私は一瞬シャイドの言っている意味が理解出来なかった。地位など、どうでもいい? 勝手に公開すればいい?
他の者がこのセリフを言ったのなら只の負け犬の遠吠えだと私は思えた。そう切り捨てられた。だが、シャイドは一欠片の動揺も見せず、心底そう思っている事が嫌でもこちらに伝わってきてしまった。
理解出来ない。頭が沸騰しそうにグラついてくる。冷静にならねばいけない事は分かっているが、心がザワつき、感情を制御できなくなってくる。
「なら何故貴方はその地位まで登ったのですかッ」
叫びを上げる。
「何故素晴らしかったこの国を濁してしまったのですかッ」
悲鳴を上げる。
「何故姫様を変えてしまったのですッツ!!」
吹き上がる感情の波が今にもシャイドに襲いかかりそうになる。
「やかましいですね。決まっているでしょう。わからないのですか? 仕方ありませんね」
そういうとシャイドは真っ赤な口腔を私に見せつけ、心のそこから楽しそうな笑みを浮かべ、私の心を抉るように言語のナイフを突き刺した。
「キヒッ、単なる暇つぶしに決まっているでしょう。人が踊らされる所を見るのは私の至福の喜びですから、ね?
まあ、もう要らなくなってしまいましたし、丁度良い時期でしたよ。ありがとう」
その言葉を理解するまでに少しだけ時間が掛かった。
もうダメだ、我慢など出来るわけがなかった。こいつは本気でそう思っている。
「嗚呼アアアアアッツ!!」
頭の中の何かが音を立てて千切れ飛び、シャイドを殺すことしか考えられなくなる。手に握った水晶槍は、シャイドを引き裂ける事に喜びを感じるように振動し、そのままシャイドの胸に吸い込まれる様に容易く突き刺さった。
シャイドは胸に突き刺さった槍の柄をゆっくと握り、憎々しげにこちらを睨み、苦しそうに声を出す。
「ま、まさか本当に刺されるとは思いませんでした……なんという失態でしょう」
私の中に暗い喜びが湧き上がり、シャイドを殺した事に少しの愉悦を感じてしまう。
やりました、ついにこいつを、シャイドをこの手で……殺した。
だが、私の視界でゆっくりと目を閉じていった筈のシャイドは……唐突にその表情を元に戻し、先ほどの苦しそうな声など無かったかのように言葉を吐く。
「と、でも言えば貴方は満足でしたかスケイリル? 今まで中々の精神耐性をお持ちになられていたようですが、随分弱ってしまったようですね。
私を殺すのは楽しかったですか、満足しましたか? 私に居場所を奪われ、姫からも見捨てられ、誇りに思っているスケイリルの名前と国が濁っていく様を間近で見せられどのような気分だったのでしょう。教えてください。良いでしょう? ねえ」
胸を貫かれても平然と表情を崩さず、両手を広げ、楽しそうに語りかけてくるシャイドを見て、私の全てが混乱に支配される。思わず槍を引き抜き後ろに後ずさる。
「っひぃ……来ないで下さいッ、近づかないで下さいッツ」
胸を貫いたのです。生きている筈が無い。
この手で殺したのです。何故生きている。
未だ楽しそうに語るシャイドの声が徐々に徐々にだが、異質に変化していく。流れていた筈の血液は時が戻るかのようにシャイドに戻っていく。
反転した。それ以外私に表現しようがなかった。
シャイドの姿が黒く覆われていき、胸に開いていたはずの穴まで無くなっていった。それまでシャイドだと思っていた者は、月夜の明かりで浮かび上がる影にその姿を吸い込まれていく。
影は肉体に、肉体だったものは影に。反転し、徐々に影となったシャイドの姿も黒く染まる。
頭に道化が被るような奇妙な二股影帽子。その素材は影で出来た人の皮膚。そう理解できたのは帽子の表面で苦悶を上げる影の人間がボコリ、ボコリ、と浮き出ては消えていったのが見えたから。帽子の先は影が腕の形を象っていて、二本に分かれ、何かを手繰るかのように蠢いていた。服装もすべて影に染まり、顔には唯一真っ赤に色が付いた口腔だけを張り付かせていた。手に持った杖を一振り振るい。心の底をかき回すような気味の悪い声で私に話しかけてきた。
【嗚呼、なんて良い表情をしているのでしょうか。嗚呼、なんて素晴らしい満足感でしょうか。
それと、一つだけ訂正するならば組織名は『ククリ』ではなく『括り』
括って括って操って……手繰って探って突付いて回る。影から括り、影から操り、私を満足させる為だけの組織。いい名前でしょう?】
私は金縛りにあったかのように動けない。何故か身体が動けない。まるで糸に縛られてしまったかのように。
――助けて、誰か助けてッ。心の中で声を上げ、恐怖で悲鳴が零れそうになる。
冷静に対処しなければいけない事は分かっている。分かっているのだが、どうやったって動けない。身体の内からジクリジクリとヘドロのような恐怖が私を捕まえ離さない。
ゆっくりと、伸ばしてくる真っ黒い影の腕が、怯えて動けなくなった私に触れようとしてきた……。
「来ないで……触らないでッ」
もう少しで私に触れるかと思われたシャイドの腕は寸での所で止められた。
耳を打つ轟音。そして私の視界が真っ赤に染まる。
轟音の原因は真紅の炎。巻き上がる炎が部屋の壁を吹き飛ばし、轟々と渦巻く煙の中から赤い髪を靡かせ、私の大切な友人が現れた。
「キリナ大丈夫っ……って何よこの気持ち悪い奴ッ。キリナから離れなさいッツ」
その姿はとても頼もしく、とても力強く。恐怖で冷たく動かなくなってしまっていた私の身体に暖かさと力を取り戻してくれる。
そんな……そんな姿だった。