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俺の人生ヘルモード  作者: 侘寂山葵
水晶都市クレスタリア
37/109

運河と水晶 騎士悲哀

 


 人混みを抜け、俺たちが泊まっている宿屋『足休亭 《そくきゅうてい》』へと帰ってくる。

 一先ず食事は取ったものの、明日からの予定や今後の行動方針を、一階にある食事処で少し飲食しながら話しあう事になった。

 壁際の丸テーブルに案内された俺達は、小腹を満たせそうな食事と、各々が好きな飲み物を頼み、席へと着く。

 

 目の前ではドランが祭りで食いそびれた晩飯をガツガツ、と頬張り、右隣ではリーンが軽い酒を飲んで頬が少し赤くなり、ラングはサラダを頼んだようで、ボールに入った野菜をむしゃむしゃと食っている。

 やっぱ草食なのなお前。

 

 俺は野菜にチーズが乗ったシーザーサラダ風のものを一品、サイコロ状に切って焼いた『水豚』ステーキ。

 酒は特に規制があるわけでも無いので、飲んでも良いのだろうが、特に飲みたいわけでもないのでオレンジジュースを頼んでおいた。

 

 しかしえらく柔らかいなこの肉、簡単に噛み千切れるんだけど……こういう肉なのかね? 別にまずいわけじゃないから、いいけどさ。

 そして、気のせいか先ほどよりもサラダが減っている気がするが、勘違いだろう。疲れてんのかね。


「しかしすごい騒ぎだったな」


 思い出す先ほどの騒ぎ、凄まじい熱気と盛り上がりだった。熱狂的とさえ言えるほどに。


「そうね、でも仕方ないんじゃないかしら。多分グランウッドでもあんな騒ぎになってたと思うわよ」

「うーん、でもあれだよな。斡旋所って結構適当なんだなあんな事になってるし」


 偶然とは言え、あんなに簡単に依頼の虚偽が成立するなんて大丈夫なのか?

 そんな疑問をリーン投げかける、リーンは顎に手を当て、少し難しそうな顔をして答えてくれた。


「でもやっぱり証拠提出って難しいのよね。実際討伐依頼を達成した確認って、モンスターの死体を国側で確認するか、その後、被害が出てないか、とかしかないのよ。

まあ嘘の報告をしようものなら、命力の記録と共に斡旋所に残るから、手配されて二度と走破者は名乗れなくなるわね。

今回の一件は完全に向こうの勝ちよね。実際依頼を受けて、獄級が消滅しているっていう事実まであるし」


 そりゃそうだな。毎回、国の監視が着いて行く事なんて出来やしないし、でも依頼の重複とかしないもんなのか?

 そうなるとややこしい事になると思うんだけども。

 そんな事を不思議に思い尋ねる。


「それはないわね。基本的に依頼って、ある程度範囲が決まってるのよ。クレスタリアならここまでの範囲内での依頼、みたいに。

獄級走破なんて国でしかやってないし。重複したりはありえないわね」


 ふむ、一応ちゃんと区分けしてあるのか、それなら重複はしないな。

 特に今回の一件に関わる気も無いが、仮に有ったとしてもこりゃ駄目だろう。向こうに証拠が揃い過ぎてるし、こちら側の意見など誰も耳を貸さなかっただろう。

 だが、ラングの感想は少し違うようで、クワッとまなこを開き、反論する。


「ふんッ、軟弱だ。他人の手柄を横取りしようなんて、まずその精神が気にくわぬッ」


 鼻息も荒く、こちらにまで怒りの歯噛みが聞こえてきそうだった。

 ――まだ言ってやがるラングのやつ。やっぱり相当悔しいらしい。

 ラングにとって、その名誉で憧れる人に近づける気がしてたのかもしれない……いや、ないな。ただ単純に気に食わないだけだなこれは。


 俺自身は、ラングの様に気に食わない、とそんな感情は別にないのだが、他の懸念事項があるにはあった。


「そういえば、もしかしたらクロムウェルだかが俺達に気がついたかもしれないんだよな」


 あの祭りの最中で目が合った一瞬。

 あれで俺たちの事を確認しているかは分からないが、少しの動揺を表情に出した気がする。しかしそれだって気のせいだという可能性も捨てきれないのだが。


「そういう事ならば。口封じなどの心配か?」

「うーん、ちょっとまだわかんない。ただ、今の状況で、正直口封じっているの? って気がしなくもないんだよね」


 正直ここまで向こうに有利な条件がついているこの現状で、態々事を荒立てて口封じをする必要性が無い気がする。

 どうせ俺たちが何を騒いでも向こうに正義があるんだから。

 

 まあ、クロムウェルの性格がまだ分からない今、そう決め付けるわけにもいかないんだが。

 もし短絡的な性格の人間なら、あり得る話ではあるのだから。

 ――ただ、水晶平原で見たあの撤退を鑑みると、好ましい性格じゃないのはわかるが、冷静さを欠く人物では無い気がするんだよな。

 

「まあ、今の所は大人しくして、身の回りは気をつけましょう、としか言えないかな」

「そうね、警戒はしておいて損はないわね。でも今その事を話してもどうにもならないし、一先ず置いておきましょ。

で、メイ。明日はどうするつもりなの?」

「どうすっかねー、何も決めてないんだけど。というか船はどこなの? 一応、この先の目的は船乗ってみたいって感じだったんだけど」


 正直船には一回乗ってみたかった事もあるし、シルクリーク位しか此処から行ける土地を知らないってのもあった。


「良いんじゃないかしら。南にこのまま進んでも大きな国はずっとないし、余り南に行き過ぎると未開の土地ばかりになっていくから、一級区域や二級区域がそこら中に広がってるもの。

でも一番の理由としては、ここから一番近い国が『シルクリーク』ってことかしら」


 じゃあ、次の目的地はシルクリークって事で良いか。――でもなー。聞きたくない様な、聞いとかなきゃいけない様な事があるにはあるんだよな。

 俺は恐る恐るリーンに質問を投げかける。


「なあリーンさん。シルクリーク付近には獄級なんてないよね?」

「やだ、メイったら……あるに決まってるじゃない」

「まじかよ……」

「大丈夫っ! 本当に大丈夫よメイ。シルクリークへの通り道からは離れてるし、態々向かいでもしない限り平気よっ、ね?」


 ――そ、そうだよなっ。流石に何回も獄級なんて入って堪るかよっ。

 リーンの言葉にほっと胸をなで下ろす。この短い間で二回も獄級に入っている現状、不安になるのも仕方ない。

 まあ、水晶平原ではある意味自業自得と言っても間違いじゃなかったけども……。


「ちなみに場所の名前は『蟲毒の坩堝 《こどくのるつぼ》』って言うのだけれど、一応覚えておいてね」


 蟲毒っていえば虫だよなきっと。

 こんな心当たりが当たっても全然嬉しくはないが、一つだけ俺の記憶に残っているものがある。

 ――マンホールから沸き出す蛆虫達が人を喰らい、俺に向かって殺到してきたあの光景。 

 思い出したくもない、蛆虫の津波。

 

 もしそうなら最悪だ……間違いなく、碌な場所じゃない。絶対に近寄らないし、真っ直ぐシルクリークに行く事を心に決める。

 俺の葛藤などはリーンにとっては知らぬ事。考えこむ俺を他所に、話の続きをし始めた。


「後、出港の日付も分からないし、チケット買っておかないと乗れないわよ。取り敢えず明日にでも行ってみたら?

でも、私はちょっと知り合いを訪ねたいから明日はいないけどね」


 そういって少し楽しそうに笑うリーン。

 何だかリーンが知り合いに会うから、と言って嬉しそうに話すのは珍しい気がする。

 だったら、邪魔したら悪いよな。

 

 しかし、シルクリークか、今の所他に行き場所もない様だし、とりあえずは船のチケットを取っておかないとダメそうだな。

 一人で行っても分からない事があったら困るし、リーン以外の同行者を捕まえないとな。


「じゃあドランはどうだ? もしくはラング」

「ふむ自分は少し依頼を受けて体を慣らしてくるのでドランに頼むと良いだろう」

「ふぁんがふふぁ」

「……取り敢えず口の中の物を無くしてから喋ろうなドラン」


 ドランは喉を鳴らし口の中の物を飲み込むと、改めて返事をした。


「別になんも予定ないから構わんだよ」

「よし、なら決まりだな。でも船のチケットとかってどうすんだ。四人取っとけばいいのか?」


 ――自分で言って気がついたけど、今まで、勝手に一緒に来るもんだと思いこんでいたのだが、ラングとドランは偶然一緒になっただけだったんだよな。

 

 俺の言葉にラングが少し唸りながらも口を開いた。


「す、少し迷っておる。本来、自分の目的は故郷に一度帰ること。だが一緒に旅路を歩みたいという気持ちも……ある。

出港の日までには決めておこうと思うので、出来れば買うだけはしておいて欲しいのだが」


 その言葉を聞いて少し嬉しくなってしまった。

 ――そうか、ラングも一緒に行きたいと思ってくれていたんだな。

 ここまでの旅路でラングに対する信頼も上がり、知らないうちに俺の中で仲間の一人と数えられるようになっていたのだ。

 

 後は、ドランか……彼に対してはまだ付き合いが浅く、まだわかっている事が少ない。

 だが、臆病な人柄に隠れているが、とても大きな優しさと、土俵際での粘り強さを持ちあわせている、と俺は個人的には思っている。まあ、なにより戦闘以外での得意スキルが非常に助かっている、って所も大きいが。

 

「おらぁ、今まで特に目的地なんて決めてながったから、皆さえ良かったら、出来れば着いて行きてーと思ってるんだけども……迷惑かけねーか不安で」


 今更なにをいっているのだか、俺としてはマッピングと食事、方向感覚だけでも十分に役に立ってくれている。


「そんな事気にすんなってドラン。正直、戦闘全くしなくっても他の部分だけでも滅茶苦茶俺は助かるぞ」

「一先ずクレスタリアにいる間は、自分が依頼に引きずっていって鍛えてくれるわっ」

「ドランさんのご飯は美味しいですしね。メイが良いなら私は特に異論はないわね」

「ドリーもいいよな?」

『――ッ!? は、はいっ。勿論ですっ』


 皆の言葉にドランは言葉が出なくなったのか、黙ってしまった。

 

 少しドリーの反応がおかしかった気もするが、明日の予定も決まり、今日の所は解散することにした。

 早く解散しないとリーンが酔っ払って面倒臭い事になるしな……。

 リーンは今のところ、多少顔を赤くしているものの、まだそこまで酔っ払っているわけではないらしい。

 

 ――さっさと寝かせないとぜってー絡まれる。

 

 いやいや、と首を振るリーンの首根っこを引っ掴み、ズルズルと引きずり部屋に戻っていく。

 リーンをベッドに投げ込んだ後、自分の部屋に戻り、明日に備えて寝る準備を始めよう、としたのだが。

 ドリーに渡していた財布袋をしまおうとした途端、ドリーが肩から飛び降りヒョイ、と俺の手から逃げてしまった。


「ドリー、財布しまわないといけないから渡してよ」

『……にょほほ、相棒のお手を煩わせる訳にはいきませんっ。私がやっておきますねっ』


 …………。


「なあ、何を隠しているドリーよぉ」


 ジリジリ、ドリーに近寄る俺。


『あ、相棒が何を言っているか、わ、わ、わかりませんっ』


 明らかに動揺しながら後ずさるドリー。


「相棒に隠し事をするつもりなら、もう少し動揺を隠さないといけないなッ」

『――ッ! 耳がっ、突然耳が、なんか、アレな病気で聞こえなくなりましたっ』

「お前耳ねーじゃねーかあああああ」


 飛びかかる俺、逃げるドリー。

 財布袋を閉めてある紐を引っ掴みドタバタ、と奪い合う。


『メ、メイちゃんさん、お待ちになってくださいっ。あっ、あんな所にサイフォスさんがタルにはまっていますっ』

「あほかッ、嘘つくならもっとマシな嘘つけやドリー」

『っく、流石相棒、凄まじいまでの知力っ。しかし、ぬふぉぉ、負けませんよっ』


 何だ一体何をこんなに必死になってるんだドリーのやつ。

 ギリギリ、と引きあう袋の紐は限界に達し、遂に紐がちぎれてしまう。


〈ギャース〉

 

 転がった袋の中から一匹のトカゲが顔を出し、こちらに向かって口を開き、鳴き声を上げている。


「……え? なにこれ」

『と、とかげの【樹々 《キキ》】ちゃんです……』


 ◆◆◆◆◆


 今、俺の前でドリーとトカゲが座っている。

 ドリーは中指と薬指を直角に曲げピタリと地面につけ、人差し指と小指を地面に向かって伸ばし、見事な『正座』をしている。否っ、これは『土下座』と言っても過言ではないかもしれない。

 ドリーよ、本当無駄に器用だな、おい。


 ドリーを問い詰めると、とかげ屋? で俺に隠れて買ったとあっさり暴露した。

 お金はドリーにたまにあげていたお小遣いを使ったそうで、袋に入れていればバレないと、根拠のない自信を発揮していたらしい。

 

「どうすんのさドリーもうお店閉まっちゃてるし返せないよ」

『待って下さいっ。ちゃんと私がお世話をしますから。どうかーどうかー』


 手はそのままに、腕をぺたりと地面につけ土下寝をするドリー。

 ――いやいや、駄目だろ。リーンが買おうとしたのも止めたのに、絶対後で「ずるいじゃないっ、ドリーちゃんばっかり! 私ももっと甘やかしなさいよっ」等と言われるに決まっている。

 

 ドリーの横で、大人しくしているキキちゃんとやら、目付きが悪く相変わらず可愛くはない。小さい竜に見えなくもないが、どちらかというとトカゲ寄りだった。

 きっと名前は、鱗が緑だからとかいう単純な理由に違いない。


「明日……返しにいくからな」

『メイちゃんさんッ! 少し、少し考えてみてください』

「ふむ、言ってみると言いドリー」

『私は考えたんです……怪盗淑女と紳士にはやはりマスコット的なものが必要ではないか、と』


 だからドリー、逆だからな逆。紳士が先だっ、そこは譲れない!

 だがしかし、ドリーのいう事も一理ある……のか。いやいや、駄目だ騙されちゃいけないっ。簡単に乗せられてなるものか。


『メイちゃんさん。今少し心が揺れたとみましたっ』

「そ、そんなことはないよドリー」

『そういえばですが、実は先程、ご飯にあげようと野菜を拾ったのですがっ』


 ……拾った場所は俺の皿からだなドリーよ。

 敬々しくプチトマトを一つつまみ上げ、俺に渡してくるドリー。


『私があげようと思っていましたが。メイちゃんさんになら……譲っても構いませんっ』


 取り敢えず言われるままにトマトを受け取り、じっとこちらを見つめるトカゲに差し出してみる。


 ――パクリ。


 差し出されたプチトマトを半分ほどまで齧りつき、トマトを地面に落としたトカゲは、恐竜の様に小さく退化した腕を使ってトマトにしがみつきガジガジ、と食べる。


 ――ッツ!? あらやだっ。ちょっと可愛いじゃないかッ。

 現金なもので、こうなってくると、目付きの悪さもどこか愛嬌たっぷりに見えてきてしまい、俺はじっとトカゲが食事する様を眺め続けた。


『メイちゃんさん……どうですか? 素直になっても……良いのですよ』


 ドリーは座り込んだ俺の肩にポンと手を乗せ、そう呟いた。

 はは、馬鹿な、一体何を素直になれってんだ。俺はいつも素直じゃないかッ。


「なあ、ドリー。餌をあげるのは交代だよな?」

『わかっていますよ、相棒っ。次は私ですからね』


 こうして、ドリーと共に思う存分、キキを愛でながら、夜は更けていくのだった。


 ◆◆◆◆◆


 【時刻十時】


「こんにちわドラン。いい天気だなっ」『トカゲさん良いお日柄ですねっ』〈ギャース〉

「おーメイどん。所で、その頭に乗ってるのはなんだで?」

「新しい仲間ッ『キキちゃん』だ」


 腕を組む俺の頭上に、堂々と居座っているキキを見せびらかしながら、船を見に行くためにドランと合流した俺。


 結局、昨夜の騒ぎを経て、ドリーの誠意の篭った説得に、仕方なくッ、仕方なくッ俺は広い心で許しを出し、キキを飼う事と決まる。

 

 リーンに関しては朝食の時に見つかってしまい、予想通りの言葉を投げつけられ散々駄々をこねられたのだが、暫くキキと遊ばせてやると直ぐ様上機嫌になり怒りを納めてしまった。単純なやつめ。

 その後はリーンと共に朝食を取り、キキの種族についての話を聞いておく。

 

 朝食を終え、リーンに出掛けないのかと聞くと、どうやら昼からの予定らしく、その間はゴロゴロするのだと言って、フラフラと眠気眼を擦りながら部屋に帰っていった。

 ラングにも教えようと部屋を訪ねてみたが、既に依頼を受けて出ていった後らしく部屋にいないようだ。


 何はともあれ、予定通り、ドランと共に馬車に乗り、照りつける太陽の中、船着場に向かって出発する。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 【俺メモ】【走破竜 《そうはりゅう》】


 走破竜と名前が付いているものの、種族としてはトカゲの一種。見た目が竜種に少し似ている為に竜の名前が付けられた。

 昔は体も大きく馬よりも力が強かった為に走破者達の移動手段として可愛がられていたのだが、もともと戦闘に特化した種族では無く、モンスター達から餌として狙われ、数を減らしていった。

 

 小さくなった理由としては戦闘を避けるために体を小さく進化させた結果だと結論が付けられている。

 現在ではペットとして多くの人々から愛され、可愛がられている。

 

 基本的に草食、たまに魚なども食べる。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 馬車に揺られ、二時間程かかって船着場に着く。

 船着場、というよりは小さな村といった感じだった。

 運河に面した場所には水晶柱が立ち並び、先がよく見えない。

 取り敢えず船を一目見たかった俺は真っ直ぐ運河方面に向かって歩みを進める。


 近づいて行くにつれ、徐々に見えてくる船の全貌。

 昔、映画で見た……ガレオン船に良く似ている。

 全長五十五メートル程の大きさでマストの数は三本、白い帆が見える。全体が蒼く輝いて見えるのは、蒼く塗られた木材の上から隙間なく水晶板を貼られているせいだろう。

 船首には水晶で作られた女神像が前方に向かって両手を広げている。まるで全てを包み込む優しさを表すように様に。


 言葉が詰り声が出ない。

 俺は肉沼に落ちてから此処までの間、何度感動したのだろう、なんど驚き言葉を失ったのだろう。

 わからない、数えようが無いくらいの数かもしれない。

 初めて見たから? いや、どこかこの感覚は違う、魂に刻まれた何かが歓喜を上げているかのようだった。


 俺は我慢出来ず走りよる。未だ見えぬ運河も一目見たかった。出来れば少し入ってみたかった位だ。


「ぬははははーーー」『お水ーーーーっ』

「え? 何するつもりだでメイどん。危ないっからそったら走ったら駄目だでっ」


 テンションが上がって走って行く俺を全力で追いかけてきたドランにむんずと捕まえ止められる。

 何だよ、いきなり。ちょっと遊びに行くだけじゃないか。


「ドラン離してっ、泳げないっ」『お水が私を呼んでいますっ』

「メイどん、ドリーどん、何があったか知らんけども、自殺はよくねー。おらが相談に乗るから何でも話してくれよぉ」


 ん? どうにもドランの言っている事がよく分からない。運河にモンスターでもでるのか? それなら危なかった。

 もう少しちゃんと話を聞いてからにするべきだったな、つい舞い上がってしまった……。


「ごめんドラン。モンスターでも出る場所だったか? 自殺とかそんなんじゃないから安心してって」

「え? 確かにモンスターは出るけんども……もしかしてメイどんここの事何も知らなかったりするのけ」

「お、おう。ごめん、なんも知らない」 


 溜息を一つ吐いたドランは俺を連れて運河に近寄って行く。

 水晶柱の隙間を抜け徐々に現れる運河。

 想像通り、とても汚い濁ったドドメ色の水がゆったりと流れ。シュウシュウ、と煙を上げる様は水の全てが劇薬で出来ているかの様。

 向こう岸が見えない程広大に広がる運河は、渡ろうとする者の気力を根こそぎ奪っていく。


 正直意味が分かりませんでした。 


「え、あれ。これ、運河ですよね?」

「メイどん。ここに肉が付いた骨が一つあるけんども、ちょっと見てて欲しんだよ。こうやって肉を運河につけると」

 そういうとドランは一本の骨付き肉を取り出し運河につける。

 ――ジュウッ。


 奇妙な音と共に煙が上がり、肉が骨だけ残して消滅していた。


「ごめんドラン。ちょっと太陽がまぶしすぎて見えなかった。ははは」


 俺の言葉にもう一本取り出すドラン。だが結局結果は先程と同様の物になってしまう。

 いやいや、なにこれ。全然想像と違いますが、どういうことだよこれっ。

 俺の疑問を悟ったのかゆっくりとドランが説明を始めてくれる。


「知らねんだったら無理はねーけんども。この運河は通称『醜酸運河 《しゅうさんうんが》』って言うんだ。

ここからずっと北西にある獄級『醜酸水源』から流れてくるもので、肉を溶かしてしまうんだで。他にも木材や地面なんかもほーんの少しだけど溶かしちまうんだけども。水晶だけは何故か溶けねって話で。この運河を渡るには水晶船に乗って行くしかねんだよ。

 後、凄く薄まってるから浴び続けなければ平気だけども、ここら辺は雨にも少しだけ混じっていて、長い間雨に当たり続けると塗装やなんかも禿げちまうから、クレスタリアの家々は水晶板で覆われてるだよ」


 つまりあれか、クレスタリアから船が出てるのもここの所為で水晶板も此処の所為、と。

 いやーまじ凄いっすね獄級……いや本当。


「ぜんッぶ、台無しじゃねぇぇかぁぁッ!!」

『うわーーーん、ぐっふぅぅぅぅぅ』


 青空の元、叫び声を上げる一人の男と、地面を叩き、泣き崩れる一本の手がいた……俺とドリーだった。


 ◆◆◆◆◆


 【時刻十三時】

 

 知人に会う用事があった『私』は、クレスタリアの街並みを抜け、城近くにある一つの屋敷にたどり着く。

 水晶に包まれた屋敷は見事な作りで私の実家と同じ程の大きさ。

 水晶の門で待ち構える門番に話を通し中に入れて貰い、案内されるがまま進んでいく。


 良かった、どうやら彼女は家にいるようね。でもなんだか少しドキドキしてきちゃったわ、ちゃんと話せるかしら?

 

 私が彼女と最後に会ったのは今から二年前だったか、確か一級区域の討伐遠征にクレスタリアと合同で行った時だろう。

 まあ、昔から家自体に付き合いがあったので、最初に会ったのは子供の頃からだったのだけど。

 

 彼女の印象はお姉さん。実際私よりも二つ上ではあるのだけれど、子供の頃から世話を焼いて貰い、その印象が植えつけられている。

 私が姉に憧れるのも彼女からの影響があったのかもしれない。


 昔は、仲良くしていたの筈なのに、何時の頃からだろうか、余り話さなくなったのは。

 

 ――違うわね。私が彼女から距離を離したのだもの。騎士になって自分を諌めた私。

 話しかけてきた彼女に対しても他と変わらず返していたのも私。

 でも、今の私なら彼女とまた仲良くなれるかもしれない……友達になれるかもしれない。

 そんな思いが募るのは私が少しは変われたからなのだろうか、分からない、分からないから確かめたい。

 

 よし、頑張るわっ。取り敢えず敬語は駄目よね。親しく、メイに話し掛ける感じで……。

 

 正直、もう少し時間が欲しかったが、あっという間に彼女がいる部屋に着いてしまった。

 案内をしてくれていた執事に待ってと声を掛ける暇も無く、執事がドア越しに声を掛ける。


「キリナ様、リーン様がお着きになられました」

『良いですよ、お入りになられて下さい』


 ドア越しに聞こえる彼女の声に少し緊張するも、執事に促され部屋へと入る。

 部屋に入った後は執事は出ていってしまい、彼女と二人きりになってしまった。


 緊張を解そうと思い、視線を辺りに彷徨わせる。

 特に装飾もしていない部屋の中心に対となって置いてあるソファー、その奥側に彼女は腰掛け私を見ていた。

 相変わらずの綺麗な銀髪を肩まで垂らし、メイド服に酷似した青と白の服装もいつも通り。

 透き通った白い肌にスッと取った鼻筋。宝石の様な青い瞳がじっと私を見つめてくる。


「お久しぶりで御座います、メルライナ」

「ひ、久しぶりねっ。キリナ」


 駄目よ、緊張で声が裏返っちゃったじゃないっ。

 どうしよう、どうしよう……。

 

 自然に、親しげに話し掛ける、という予定と違い、いきなり躓いてしまって慌てふためく私。それを見て、キリナは驚いたように目を開かせている。


「メルライナ……何だか昔の『アレ』な貴方に戻っていますが何事ですか?」

「アレってなによっ、心外だわっ」


 なんて失礼な事を言うのだろうキリナは。私ほどしっかりとした人は中々いない筈よっ。

 ――だが彼女は怒る私を見て慌てるでもなく、くすくすと笑い微笑んでいる。


「もう、笑わないでよっ。折角会いに来たのに」

「失礼しましたメルライナ。貴方のそんな表情を見るのが久しぶりで、少々感情が高ぶってしまいましたね……それにしても、何があったのですか?」


 別に悪いことをしているわけでもないのに、ほんの少し言いにくかった。

 恐る恐るわかりやすい様に、短い言葉に纏めてみる。


「えっと、騎士をね、やめちゃったの」


 私の言葉にキリナは整った銀の眉尻を少しだけ上げ反応を示す。

 大丈夫かしら、怒られないわよね? 

 そんな不安がこみ上げてくるが、今更もう引込みがつかない。


「……ふむ、騎士を辞めた、という割には顔が随分嬉しそうなのですが?」

「そそそ、そんな事、無いこともないわよっ」

「では、その嬉しい出来事をキリキリ、と話してご覧なさいませ」


 彼女の言葉に少し顔がひきつるのがわかったが、嬉しそうな彼女の顔を見て話さないわけにも行かず、取り敢えず余り話しては駄目そうな、ドリーの事、水晶平原の事、等を少し省いて今までの道程を簡単に話していった。



「……つまりは、メルライナは獄級で拾ったメイという男性に拐かされ、ホイホイと騎士を止め、現在旅をしている、ということで私は理解しましたが。何か間違っていますでしょうか?」

「全然話しが通じてないじゃないっ」

「冗談です」


 どっ、と疲れが降りてきて思わず溜息を吐き出す。本当に彼女が言う冗談はわかりにくい。


「後、いい加減メルライナはやめて欲しいのだけど、後その喋り方も」


 何処かメルライナと呼ばれると距離を感じてしまい、居心地が悪い。

 私の言葉を聞いたキリナは、顎に手を当て小首をかしげて考えこみ。


「そう……ですね。今の貴方にはメルライナ、という呼び方は相応しくない。これでいいですか『リーン』

然しながら、この喋り方は私の癖なのでそこは諦めて貰うしか御座いません」


 彼女の言葉に自然と顔がほころび、昔話に花を咲かせていった。


 ◆◆◆◆◆


 【時刻零時】


 キリナとたわい無い話を続けたり、一緒に夕食を取り、すっかり夜中になってしまう。

 今までの時間を取り戻すように話し込んでしまい時間を気にしていなかった。仕方なく今日はキリナの好意で家に泊ることになった。


「それにしてもキリナも忙しいんじゃないの? いいのかしら泊まっちゃたりして」

「そのセリフは寝間着に着替える前にするべきでしたねリーン」


 既にキリナから借りた寝間着に着替え終わった私に、彼女は鋭い指摘を放った。

 その後、彼女は少し眉をしかめ、難しい顔をする。


「何かあったの? 相談に乗るわよ」

「……いいえ、特に何もないですよリーン」


 間違いなく嘘だ。

 別に何か証拠があってそう思ったわけではないのだが、今まで楽しそうにしていたのに、いきなり顔色を変えれば私でもわかる。


 余計なお節介だろうか? でも彼女のそんな顔を見たくない。折角子供の頃のようにこうやって話せるようになったのだし、やはり明るく笑っていて欲しかった。

 

 上手く話を逸らそうとするキリナを、延々と問い詰めると、溜息を零して彼女の重い口を開く事に、成功する。


「全く、貴方は。一度決めると本当にしつこい。そんな所だけは昔と全く変わっていませんね。

 

 ですが……グランウッドの騎士を辞めた今のリーンになら、相談しても良いかも知れません。

 ただ、今から話す事は決して誰にも話さないで下さいませ。

 本来なら貴方にも話せない内容なのですが、今の私は、どうしても……味方が、欲しい」


 キリナの態度からただならぬ事情があることが判る。だが此処で引き下がる位なら最初から相談を聞くなど言わない。

 静かに頷く私に、キリナは事情を少しづつ話していく。


「私が姫様付きの『水晶騎士』をやっていることは貴方も知っている事、ですね?」


 勿論知っている。クレスタリアで最も強く、最も王に近い位置にいる家系『スケイリル』

 彼女はその後継者であり『キリナ・スケイリル』の名を持つ水晶騎士。

 グランウッドの『メルライナ』クレスタリアの『スケイリル』もともと親交があった家同士、私とキリナは古くからの知り合いなのだから。


「ではその水晶騎士が休みといえども姫様の元を離れ、今貴方とこうやってゆっくり話をしている事自体が『異常』では御座いませんか?」


 そう言われて見て気がついた。

 確かにおかしいわね。緊急の遠征ならまだしも、水晶騎士が姫の側使えをしないでこんなにゆったり出来るはずがない。

 私の考えを見通したかのようにキリナは頷き、先を続ける。


「結果から言えば、私は側使えを外されたので御座います」

「なっ、あり得ないでしょそんな事ッ。一体何をやらかしたのよキリナ」


 あり得ない。水晶騎士が側使えを外されるなんて前代未聞にも程がある。

 そして、キリナは少し顔を俯かせ、ボソリと呟いた。


「強いて言うなら……何も、でしょうか。

 何度も言いますが、今から話す事は貴方だから話す事。他言は無用でお願いします。

 

 ――元々の発端といえば良いのでしょうか? それは五年ほど前の事です。

 今は病に倒れている王が、まだご健在の頃『儂の命を救った恩人』だと、一人の男を連れてきたのです。

 私の印象としては胡散臭い男、といった所でしょう。実際私にとってあの男は十二分に怪しく、信用のおけぬ輩でした。


 ですが、私の心情など他所に、男は王からの勅令で、クレスタリアに仕える事となってしまった。

 流石に一番位の低い位置から始めたのですが。どういった手段を用いたのか三年程で伸し上がり、今では姫様のご相談役としての地位を得た」


 キリナは一旦話を止め深呼吸を一つ、一拍の間を置き、続きを話す。


「勿論、新参が伸し上がるのに反対する者は腐るほどおりました、が。

 反対していた者は、時には男の派閥に付き、時には事故などで死んでいく。

 徐々に徐々に広がっていく男の派閥。

 

 私としましては、水晶騎士の役目として当初より警戒をしていたのです。しかし、遠征や、少し城から離れた隙に徐々に姫様に取り入っていき、半月程前、男の邪魔になる私は側使えを外されました」

 

 キリナはその時の事を思い出したのだろう、眉間に皺を寄せ忌々しそうに吐き捨てた。



「そこから姫様は徐々に変わっていってしまわれた。今まで少々夢見がちな部分が御座いましたが、お優しく、広い心を持ったお方だったのです。

 それが、男に何を吹きこまれたのか、少しづつ性格が変わられていきました。

 今はまだそれ程ではないですが、このまま放っておいては他国に自ら戦争を仕掛けても可笑しくない。それ程に、苛烈なものになってしまうでしょう」


 キリナの話に呆然とする。どう考えてもその男が伸し上がる為に他者を引き込み、殺害したのではないか?

 姫の事だって男に何か吹きこまれ、良いように使われている様にしか思えなかった。

 何故キリナは何もしなかったのだろうか、幾らなんでも男の仕業だと彼女だって分かっているはずなのに。

 

 ――ギチリ、と彼女が歯噛みする音が聞こえてきた。


「なぜ、私が何もしなかった、とでも思っているのでしょう?

 ――ッ、何もしなかったのではありませんッ。正確には何も出来なかったッ!

 あの男は、何かするにも自分では動かず。証拠など何も残さない。幾ら疑って調べてみても、出てくるのは男にとっての捨て駒同然の手合いだけッ。

 男を捕まえられる証拠など、何も、何も出てこなかったッ」


 彼女らしくなく、今までの我慢を溢れ出させるかの様に声を荒げて、叫びを上げた。

 いつもの冷静なキリナの表情は消し去り、顔を負の感情に歪ませる。

 その表情を見ているだけで、心が痛く、悲しみが満ちていく。

 私は声も出ず。何も言えなくなっていった。

 

 ――少しづつ、少しづつ。

 キリナの感情が高ぶっていくのがわかった。


「ですが、つい最近、何故か男が急激に動き始めたのです。

ようやく、ようやく粗が出始め、色々と調べがついてきたのにッ。既に私の味方など、皆無に等しくなっていた!

正直こんな事を頼むのは筋違いというものでしょう――ッ」


 キリナは拳をギリギリと握りしめ、顔を悔しさでいっぱいにし、私に向かって感情を吐露する。


「――ですが、お願いです。

たすけて……助けてくださいリーン」


 私の心は既に決まっていた。

 彼に助けられた私の様に、私も彼女を助けたい。

 安心させるようにニコリと微笑み自信をもって胸を張る。


「大丈夫、キリナの頼みだもの、私に任せてよっ」


 キリナは少し驚き、そしてゆっくり目を閉じ「ありがとう」と呟いた。



 多少の時間をかけ、キリナは大分落ち着いてきたのか何時もの表情、抑揚に戻っていた。

 そして最後に男の名前を私に告げた。 


「貴方は関わり合いになった事がないので知らないでしょう。

その男の名は……『シャイド・ゲルガナム』」


 その名前、忘れぬ様に心に刻む。





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