無くしたくない物、無くならない物
あの忌々しい糞爺主催の公開処刑が終わって二日後の朝。
俺は、宿屋のベッドの上で胡坐をかきながらも、自身の身体の調子を確かめていた。
……痛みは大分和らいでいる。これなら特に問題なく動けそうだ。
本当に、酷い目に合ったな……ちくしょう。
グルグルと肩を回し、思わず心中で悪態を吐き捨てる。
というのも、あの爺祭りが原因で昨日一日酷い筋肉痛に襲われて、まともに動けなくなってしまっていたのだった。
ドリーの回復魔法で治してしまえば問題なかったのだが――運がいいのか、悪いのか、その日にブラムから「魔法で治すよりも自然に治癒させたほうが、強くなれる」と言われてしまい、それもご破算となってしまう。
最初は、俺を苦しませるためのブラムの罠では? と疑っていたのだが、昨日訪ねて来たブラム自身がドリーに突付かれ痛みでのた打ち回っていたのだから信じる他なかった。
しかしブラムも中々面倒見の良い男ではある。
回復魔法を使うな――とそれだけを伝えに来たのかと思えば、一昨日の食事中に話した、ドリーの魔法印空き容量増加を律儀にも覚えていたらしく『折角だから』と永久魔道書を持って来てくれたらしい。
なんともありがたい話だ。
とはいえ流石のブラムも限界ではあったらしく、ドリーに土と水を一つずつ覚えさせた後、すぐにヨタヨタと帰っていった。
俺は俺で、その日はどうにかクレスタリア行きの定期馬車発着場と、その出発時刻を確認しただけで、ベッドから動けくなったのだから人のことは笑えない。
ただ、唯一の救いというべきか、ドリーが居たお陰で退屈だけはしなかった。
俺としてはリーンを此処二日見ていないのが、少々気に掛かっていた……のだが、どうせ明日には獄級走破の発表があるのだから、その時会う事にはなるだろう。
本当、ここ二日は碌な事が無かった……がしかし、今日はきっと違う。
なぜならば――
「今日も快晴だし痛みも取れたっ、更に言えばローブも出来る日じゃないか、楽しみだなっ」
『今日も元気に頑張りましょー』
そう、遂に待ちに待った俺のローブが出来上がるのだ、これで気分が良くならないなんて嘘だろう。
「いや本当、楽しみだな」
『ふふ、相棒、さっきからそればっかり言ってますよ?』
「まあ、そんなこともあるかもしれん」
軽く会話を交わしながらも、俺はドリーと一緒に朝の準備を始めていく。
【八時五十分】か……も、もういいよなっ、開いてるよなお店っ。
時刻をワクワクとしながら伺って、はやる気持ちをどうにか抑えながら、さて着替えを……
「メ、メイさんっ!」
といった所で、それを邪魔するかのようなタイミングで、なぜかサイフォスが慌てた様子で部屋の中に飛び込んできた。
「朝から元気ですね、サイフォスさん久しぶりです」
『おー今日はお尻に樽が付いていないですっ』
俺とドリーの暢気な朝の挨拶を受けたサイフォスは、彼らしくもなく挨拶も返さない。
なんだかどうにも様子がオカシイ。
「なんかあったんですか? ……ま、まさかまた爺関連じゃないですよね?」
「メイさんっ、そんな事言ってる場合じゃないくてですね。このままじゃ、リーンさんが、リーンさんが――明日結婚してしまいますっ」
――はぁ?
サイフォスさんの言葉の意味がなかなか理解出来ずに、一瞬呆けてしまう。
リーンが結婚するって誰と? いやいや……ギランしかいないよな?
「ちょでも、何でっ? 手柄上げたから、それでどうにかするってリーンが」
「それが……どうにも逆効果だったみたいで……というのも実は肉沼攻略のことをリーンさんはゴンド老に黙っていたらしく。
それを後で知ったゴンド老が、私達の居ない間にそれはもう荒れ狂って、沼に突撃して行きそうになったらしんですよ。
で、それを止める為に相当負傷者が出たようです。なんとか王妃様事を収めたのらしいのですが……」
お、思ったとおりの展開になっていやがった。しかしなんでそれで明日結婚なんて事になるんだ?
うんうんと考え込んでしまい、言葉が出なかった俺をよそに、更にサイフォスさんが口を開く。
「ゴンド老の怒り――そこにつけ込んで宰相殿のご子息である『ガラン』殿が、目出度い日が近いのだから、更に目出度く祝う為、祭りの日に結婚を重ねましょうと、強行し始めたんです。
ギランと四番隊も共に同調し始めて、どうにも止められなくなりまして ……ゴンド老は、二度とあんな事にならぬなら、とリーンさんの武器も防具も全て取り上げ、結婚式まで無理やり部屋に閉じ込めてしまっている様です。
王妃様が宥められましたが、さすがに家族間の事、強行に口出す訳にもいかず……ゼム老は元々結婚自体は反対しておりません、それ所かいい機会だとおっしゃられているみたいでどうにも……」
視線を伏せながらそういったサイフォスを見て、俺の心中にどんどんと焦りが浮かんでくる。
「ブラムさんはっ、アーチェはどうしたんだ?」
「さすがに引退しておりますが実質、騎士の最高権力のゴンド老、宰相であるゼム老、この二人に意見し、押し通す事など王妃様にしか不可能です。その王妃様も今回の件には不干渉を貫く姿勢ですし」
「サイフォスさんごめん、ちょっと、リーンに会いに行ってきます、行くぞドリー」
『あいさー』
「ちょ、まっ待って――あーもうっ、メイさんリーンさんの部屋は二階の右奧ですよっっ」
念の為、武器だけ担ぎ、着替えもせずに急いで駆け出す。背に掛かるサイフォスさんの声を聞きながら、俺はメルライナ邸へと駆け出した。
あり得ないだろ本人の意思を無視して、嫌な相手との結婚とか。
俺の感覚は此処の人達とは絶対的に違うのかも知れない、こんな結婚も当たり前なのかも知れない、でも……さすがにこれは見過ごせない……。
別にリーンが望むなら好きにすれば良いと思うが、あの様子じゃそれは絶対に無いだろう。
どうにも気に食わない気持ちが胸に湧く。そのイライラを当てるように地面を蹴りつけ、街行く人を風の如く避けながら走り続けていった。
◆◆◆◆◆
景色がドンドン後ろに流れ――やっと街を抜け、目指すメルライナ邸が目の前に迫る。
中に入る為に外壁門に居る番兵を探し、――居たっ。
「ちょっ、ちょっといいですか、メイ・クロウエです。リーンに会いに来たので呼び出して下さい」
「いえ、残念ながら明後日までは『誰も通すな』と、ゴンド様に聞かされています。また後日お越しください」
「ちょ、ちょっとでいいからっ。じゃあゴンドの爺さんでもいいっ、とにかく誰かに会わせてくれ」
「一体なんだ、朝からギャアギャアと喧しい」
格子型の門の『内側』からギランの野郎と数人の騎士が顔を出す。格子は当然閉ざされたままで、格子越しに俺とギランは相対する。
「これはギラン殿、いえ、この者がリーン様に会わせろと五月蝿くて」
「おっと、君は確かあの時の不審者君だったかな。どうしたんだ、僕の『妻』に何か用でもあるのか」
「リーンはお前の妻じゃねーだろ、取り敢えず会わせてくれよ」
「おっと、そうだったね『まだ』僕の妻じゃないね。それと、確かリーンは君に会いたくないらしいんだよ、帰ってくれないか、屋敷が汚れてしまうからね」
こいつ……絶対嘘だな。頭に血が登って行くのを感じる。
「いいからさっさと呼びやがれっ」
「……っち、こいつ、――ああ、わかったよ、おい僕のとこの魔法使い共だけ、ちょっと此方に来い」
騎士に向かって何やら呼びかけるギランに苛立ちを感じるが、――記憶に甦る一昨日の出来事を思い出し頭を冷やす。確か魔法で呼び出しをしていたはずだ、その為に魔法使いを呼んだのだろう。
やっとリーンを呼んで貰えそうだ……頭が冷えてきて、先刻までの自分の愚行を恥じ入る。あんなに冷静さを失っていたら、普通の時でも入れてくれるわけがないじゃないか、どれだけ焦っていたんだ俺は。
『相棒、落ち着いて、深呼吸ですっ』
そうだなドリー……やはり、ドリーはもちろん、リーン達の事でも少し短気になってしまっているのかも知れない、リーンの事言えねーな俺も。ゾロゾロと魔法使い達が格子の向こうに集まってきて何やらギランから話を聞かされている。
「さて不審者君、確か僕のリーンに会わせろって事で良いんだったかな?」
「ああ、早くしてくれ」
「――お断りだねぇ、お前らっ」
『相棒ッッ危ないっ』
その言葉に嫌な予感を感じ魔法使い達を見る……。
『ウォーター・ブレッド』『フレア・ランス』『アース・ピック』『ウィンド・スラッシュ』
――眼前の空間には、色取取りの魔法が乱舞する。
格子越しに魔法が飛んでくる。――穿つ様に水の弾丸が、焼き貫く為の炎の槍が、地上からは土の剣山、空を裂き唸りをあげ風の刃が襲いかかってくる。
完全に油断していて身体が動かない、目の端でドリーが剣閃を閃かせ水の弾丸を、炎の槍を、風の刃を切り裂いている。だが地上までは届かない、届かないのだ。
「がぁああああ嗚呼っ」
『相棒っ、大丈夫ですかッ、ねぇッ、相棒ッ』
「――いや丁度良い機会だった、邪魔だよね君って」
太ももを、腹を、足の甲を、腕を、確認出来ただけでも、それだけの箇所に土針が刺さっている。
――痛みに耐えるが頭がふらつく、だがギランの顔だけは、ハッキリと浮かび鼻につく、手前ぇやってくれやがったなっ。
「ギラン殿何をッ」
番兵がなにやら叫んでいるのが聞こえる。
「構わんだろ、ただの不審者だ、お前らそこらの林にでも捨ててこいっ」
意識が遠のき目が霞んでいく、頭の中の電源がガツンッと下りた気がした……。
◆◆◆◆◆
――どうにも変な夢を見ている気がした、ドリーが泣いている夢を、何でそんなに泣いているんだ、泣かせた奴はどこの馬鹿だ絶対許さん。徐々に声がはっきりしていき、意識が浮かび上がって行くようだ。
『フィジカル・ヒール』『フィジカル・ヒール』『ふぃッ……っく』
『魔法が出ないッ相棒が起きないッ、魔力が足りないッ……もっと私に魔力があればっ、もっと私に力があればっ、相棒が起きるのにっ、身体があれば魔法があれば、相棒を守れるのにッッ』
ドリーが泣いている、――嗚呼、どうやら俺の所為のようだ。馬鹿は俺か……のろのろと手を伸ばし、ドリーを撫でる。
『――ッ! あいぼぅ、やっと……やっとおきましたぁぁ』
きっとドリーに顔が有ったならその顔はぐしゃぐしゃに、なっていたかも知れないな。しかし何でこんな事に……そうだったギラン達に魔法をぶち込まれたんだっけか、よく生きていたもんだな。
「――ゴメンなドリー、心配かけて、また命を救ってもらったな」
『そッ、そんな事どうだっていいんですっ、相棒が生きてればそれでいいんですッ』
こんなに悲しませてしまうなんて、何をしていたんだ俺は。
「そっか……先刻は、ちょっと俺らしく無かったかもしれないな」
『そーですよぅ、相棒はもっとふざけていて、私と一緒に遊ばないといけないんですっ』
そうだよな、本当にそうだ。
「此処が何処か判るかドリー」
『街にある、お城の水が流れていく先の林でした。相棒を治すのに一生懸命で運ぶのを止められませんでした……』
どうやら外に運ばれてしまったわけじゃないようだ。身体は、――動く。
ドリーはまだ元気が無い、何も出来なかったと思い込んでいるんだろう、逆の立場だったら俺自身きっとそう思うに違いない。優しい子だなドリーは。
「これは実は秘密だったんだが……俺は魔法で少しおかしくなっていたんだ。――だがっ、なんとっドリーの『魔法』で全部、治ってしまったようだ、流石ドリーだなっ凄いぞドリーっ」
『――本当ですかっ!? ま、まかせて下さい相棒っ』
俺の言葉に喜び、元気になっていくドリーの姿を見ると自然と笑いが出てきてしまう、やっぱり、こうじゃないといけないよな。
調子も戻って来た事だし、自分の遣るべき事、――いや、やりたい事をやるとしよう。
「さてドリー、所で俺はやりたい事が有るんだがどうだろう」
『奇遇ですねメイちゃんさん、実は私もなんですよ』
「メルライナ邸に潜入だッ」『潜入ですっ』
――良く分かってやがる。
まずは潜入するにも準備をせねば――ふむ、身体の痛みはもう大分引いているようだ。懐から時計を出し、壊れてないかの確認をする。――大丈夫そうだな。
しかし五時間ほど眠り込んでいたらしく、時計の針は既に【十五時】を指していた。
まずは俺の出来たてローブを取りに行くか。随分と軽くなった心と身体にドリーを乗せて、防具屋に向かって駈け出した。
◆◆◆◆◆
ローブを受け取り宿へと帰る。おばちゃんは実に良く改修してくれたようで、ローブの右肩には穴があいているのだが、その上から同じ生地でカバーを出来るようになっていた。
右肩に付いた銀の小さな葉っぱのボタン、それを外してカバー後ろに垂らせば、実はそこにポケットが付いているという素晴らしい仕様。おばちゃんに「いやね、ポケットと銀ボタンには苦労したねぇ、銀貨一枚くらい」と言われ、快く、快くッ! 銀貨を渡し、いつか感謝をこめて逆襲してやる事を誓った。
ドリーはポケットをとても気に入ったようで、そこに魔侵水の瓶やら、スローイングダガーやら、自分の物を嬉々として詰め込んでいる。
『これと、これと、後これも入れます、相棒これも入れましょうっ』
「ドリー、もう入らないんだ、そこにはもう入らないんだ、――やめてっ、無理だから、入らないってっ」
――ドリーによってパンパンに膨らんだカバーの中身を少しだけ減らし、買ってて良かった薬草を、身体に塗り込み装備を着込む、飯を食べ、水を飲み気力を充実させていく。
「取り敢えず、暗くなるまでは大人しくしておこうと思うんだ」
『潜入ですもんねっ、夜が基本ですもんねっ』
「うむ、楽しそうでなによりだ」
しかし屋敷に行くとして、リーン部屋は二階の右奧……あれ? なんでサイフォスさんあの時わざわざ部屋の場所まで、――嗚呼、なんて馬鹿だったんだ俺は、そうだよサイフォスさんは最初から俺がこうするって思ってたんだ。それなのに頭に血が登ってあんな真似を、この分だときっとブラムやアーチェも一枚絡んでやがる。
「どうやらブラムさん達も俺に潜入しろって言ってるらしいぞドリー」
『当然じゃないですか、皆優しいですからねっ』
ドリーにとっては当然の事だったらしい。本当にみんな俺を過大評価してやがる。
最大の難問はあの超絶じじいだ、会わなきゃいいけど、――もし会ってしまえば、いかんいかん、余計な勝負は勝たなくていいんだ、大事な所だけ勝てばいいんだ。
そのまま俺は準備をしながら身体を休め、ドリーは俺の回復の為にスッカラカンになってしまった魔力を、瓶の水を飲む事で回復に専念している。二人でじっと決行の時間を待つ。
◆◆◆◆◆
気がつけば時間は既に【四時】になっていた。俺とドリーは宿を引き払い、館に向かう。
銀糸の入った、黒のローブを着こみ、頭にはフードを被り、おまけで貰った、ローブと同じ生地の布を巻き、顔を隠す。ローブの中は腰にベルトを巻き、皮袋やら、時計等を下げていた。真新しいインナーとズボンを着こみ、手足には篭手とブーツを着用。さすがに先刻まで着ていた服は、穴だらけになっていた為、泣く泣く捨てることになってしまった。
そろそろと館に近づく、武器を掛けた皮のベルトはローブの中に入れるわけにもいかず、ローブの上から何時もの如く肩にかけてある。ゲイルさんから貰った水晶灯は、さすがに今回使う機会はないだろうが、武器掛けベルトの左腰部分に装着した。邪魔なので左肩に背負った荷物は、館近くにあった木の上に隠しておく。
闇夜に紛れて外壁に近寄る。三メートルはある外壁に向かって飛び、上部に手を掛ける。ドリーに外壁の上から指だけ出して中を確認してもらう。
『相棒、視界良好です。誰も居ません』
「よし、良くやったドリー、中に入るぞ」
外壁を乗り越え、庭の中を静々と進む。こうやっているとなんだか怪盗にでもなったかのようだ。
「ドリー、怪盗紳士と名乗ってみようと思うんだが、どうだ」
『わ、私の脳に衝撃が走りましたよっ、相棒すごいっ、名前は変なのに、響きがカッコイイですっ』
「そうかそうか、ドリーもそう思うか」
残念ながらドリーに脳は無いのだけどな、――緊張感の欠片も無くなってしまっているが、きっとこれが俺とドリーの普通なんだろう。
さすがにこの時間は警備の人間はそこまで居ないらしく、たまに兵士を見かけるが、闇に紛れた俺に気がつく様子はない。
正面からはまずいよなやっぱり、入り口に兵士が居やがるし、裏の練兵場回って中に入るか。
コソコソと隠れながら屋敷を周り、裏の練兵場に向かう。練兵場には人影は見えず。遠くに屋敷の裏口が見える。
この程度の暗闇など、沼で鍛えられた俺の目には軽い軽い。裏口付近には彫像らしき影が見えているが問題はあるまい。
いざ裏口から入ろうとした所で、近くにあった彫像からなぜか、声が……。
「やはり来おったのぅ、糞餓鬼が、昼からずっと待っておったのに、中々来やしないから待ちくたびれたぞ」
――目の前には俺の中の獄級危険人物、ゴンドの爺がピクリともせずに俺の前に立っていた。昼からずっと……その間ピクリとも動かず此処に居たのかこの糞爺っ。糞爺と向かい合いながら俺の頭の中の警報が、ガンガン鳴っている音がしていた。